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甲府盆地で桃の花を楽しむ (2017年) [旅行]

松本から高遠城址の桜を見て帰る予定でしたが、今年は開花が遅くて17日(月)は七分咲きとの事。昨年、満開の高遠桜を見ているため、七分咲きでは行かない方が良いと判断しました。(高遠までの一本道は大渋滞となりますので...)

中央高速を東京方面に走ります。諏訪湖を左に見て更に走って甲府盆地に入ると、ピンク色の花がいたる所に咲いていますのが見えます。何かと思ったら桃の花だそうです。「釈迦堂PA」に入って周りの桃の花を見てみますが、上り方面からはあまりきれいに見えません。(‐‐;

反対側には、きれいな桃の花が咲いています。何とかあちらに行けないのかな~と思って、PAの人に聞くと、歩いて行けるとの事です。PAから外に出て、5分ほど歩いて高速道路を渡って縄文時代の土偶、土器などを展示している釈迦堂遺跡博物館の周辺にきれいな桃の花が広がっています。(下りのPAからはそのまま行けるようです)
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本当に桃色の桃の花が広がっています。
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博物館の駐車場の向う側に売店があり、そのお店の周りのに色々な色の桃の花が咲いています。これは白い花のアップです。
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紅白と言えば梅の花ですが、桃の花の方が大きくて色もメリハリがあって迫力がありますね。
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赤、白、桃色などの桃の花を楽しむことができます。
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これで天気が良ければ最高だったのですけどね。
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やはり桃の花は桃色が良いですね。
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ここから甲府盆地を眺めると、桃色の花が斑状に点在しています。本来は観光目的でないのでしょうからしょうがないと思いますが、ある程度まとまって咲いているともっとすごいだろうなと思いました。
高遠の桜は残念でしたが、きれいな桃の花を楽しむことができました。

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真田丸の上田城で桜を楽しむ (2017年) [旅行]

NHKの大河ドラマで一躍有名になった真田丸の上田城に花見に行ってきました。

今年は昨年よりも一週間桜が遅れていたため、4月16日に行ってきました。昨年よりもソメイヨシノの花がきれいでした。川越を6時半頃出て、関越道を走って8時半頃に上田城に着きましたが、駐車場が満車で15分くらい並びました。やはり日曜日は混んでいますね。

お堀の桜がきれいでした。
南櫓(左側)と北櫓(右側)です。
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東虎口櫓門です。
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北櫓のしだれ桜です。
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お堀の桜も満開でした。
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南櫓前の桜です。
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憩いの広場のお花と桜です。
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憩いの広場のピンクの桜です。
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桜のアップも撮ってみました。
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上田から小布施に行きました。北斎館に隣接した栗庵 風味堂でお茶をしました。
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コーヒーと栗のパフェが美味しかったです。
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その後、今年も松本市内にある弘法山古墳の桜を楽しみました。まだ満開とは言えませんが、やはりきれいです。古墳の上に登るとこのようにきれいな桜を楽しむことができます。
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古墳の頂上に登る道は結構きついですが、絶対に登るべきです。
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この日は土屋太鳳さんも来ていたそうです。すれ違いだったようです。見たかったな~!(笑)
(太鳳さんのインスタです⇒ https://www.insgy.net/media/1494887440531160162_4922392476
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白とピンクの桜が本当にきれいでした。
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桜と松本市街と北アルプスを楽しむことができます。
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今年も信州の桜を楽しむ事ができました。

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落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]

天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実
落合先生の代表作の紹介です。
本来であれば落合先生の本としてまっ先に紹介すべき本でしたが、諸般の事情で遅れてしまいました。

この本は、1997年に発刊ですので、もう20年前になります。落合先生が、佐伯祐三のパトロンであった吉薗周蔵氏の遺児である明子氏の代理人となったことで、佐伯祐三の真贋事件に関わることになる経緯と顛末を書いたものです。

佐伯祐三真贋事件とは、吉薗周蔵氏が残した佐伯祐三の未公開作品を周蔵氏の遺児である明子氏が、1994年に福井県の武生市(現在の越前市)に寄贈することになった事から話が始まります。この佐伯作品は、当時美術界のドンと言われていた河北倫明氏が座長となって選定委員会を設置して調査した結果、佐伯祐三の真作であるとのお墨付きを与えました。この時の委員のメンバーが凄いです。
座長:河北倫明(美術館連絡協議会理事長)
富山秀男(京都国立近代美術館館長)
陰里鉄郎(横浜市立美術館長)
西川新次(慶応大学名誉教授)
三輪英夫(東京国立文化財研究所美術部第二研究所長)
という、美術館の館長クラスのメンバーが揃っていました。
これに対して佐伯絵画の鑑定を行っている東京美術倶楽部という業者の団体が猛烈な反論を行ったことで真贋事件に発展し、結局武生市への寄贈話が頓挫することになります。ちなみに、東京美術倶楽部には鑑定師の中島誠之助氏も加盟していたそうです。古美術商の中では東京美術倶楽部に入る事がステータスになっているそうです。

この真贋事件は、真作派の「専門家」と贋作派の「業者」との対立という構図です。
このブログで何度も紹介している「佐野乾山事件」も同様に「専門家」VS「業者」という構図でした。私は、佐野乾山事件を調べていて、東京国立博物館や京都国立博物館の技官や東大の教授など美術界の中心にいる人たちが真作派だったのに、なぜ黒(グレー)にさせられてしまったのか不思議に思っていましたが、佐伯祐三の真贋事件はさらにスケールがワンランク上です。

何せ、真作派はすべて美術館の館長クラスの権威ある人たちであり、それを取りまとめていたのが河北倫明という美術行政のトップであり、美術界のドンだった人です。しかも、河北氏は対立する東京美術倶楽部の顧問でもあるという捻じれ構造も内在していました。これだけ凄い役者がそろっていても真作派が負けて贋作にされてしまうのですから、金銭が絡んだ時の業界勢力の力というのは恐ろしいものだと思います。

例えば、佐野乾山事件の時には乾山の真作が300点くらいと言われていた時に、一度に200点以上の佐野乾山が発見されました。もしこれらの作品が真作と認められた場合、これまで希少性も含めて形成されていた乾山作品の市場価格(価値)が暴落するのは自明の事です。
同様な事情が佐伯祐三作品にもありました。佐伯作品は日本人の洋画としては非常に高価で、1点でも数千万円から億の価格が付くものもありますが、この時発見された大量の吉薗佐伯が真作と認められた場合、これまで美術館や個人に売却されていた作品の価格が暴落することになります。

さらに佐伯作品の場合、妻である米子の加筆疑惑があったためさらに事情が複雑です。佐伯祐三の妻である米子も画家でした。第二次渡仏の時に佐伯祐三が客死した後、日本に帰国した米子は佐伯の遺作や佐伯の友人の絵に自ら加筆して「佐伯作品」として売って生活費を稼いでいたと言われています。この米子加筆に関しては、関係した業者の間ではかなり有名な話だと聞いています。

1991年に「パリを描いた画家たち展」という展覧会が開催されました。これは、昭和2年にパリに居た佐伯祐三を慕って横手貞美、大橋了介、荻須高徳、山口長男の4人が渡仏して佐伯と一緒に絵を描いていましたが、その時の作品を集めた展覧会です。
私はこの展覧会の図録を見て驚きました。モランの寺やパリの街角など佐伯作品の重要なモチーフに関して、その4人の後輩たちも佐伯と見紛うような絵を描いていたのです。私には、その絵のいくつかは佐伯作品だと言われても見分けがつかないように思いました...。

restaurant1.JPG吉薗周蔵氏が残した佐伯作品は、これまで知られている佐伯作品とは雰囲気が異なるものでした。この吉薗佐伯作品に対する真作派のコメントを紹介します。
河北倫明座長:一目見て佐伯祐三の本当の姿が響いてきた。美術的価値はこれまでのものと匹敵し、今までのものに見られない荒削りで習作的なおもしろさがある。デッサンや手記に関しては、走り書きもあり、バラバラにせず総合的な調査をしたい。山発コレクションと比較すると、山発はいいものを抜いていったもので、今回の作品は山発コレクションの素材が残ったものといえ、(佐伯作品の)背景や土台を見るには面白い。

富山秀男:出所からしても佐伯作品と思う。これまでの作品との関連性も強く感じる。佐伯に対する既成概念より幅が広がったと考えている。今までの作品はよそゆきで今回出てきたのはふだん着の作品。研究し直す必要がでてきた。

陰里鉄郎:これまでの佐伯像よりビビッドなものを感じる。

このビビッドな佐伯作品を所有していた人こそ、落合先生が20年以上に渡って研究してきた吉薗周蔵氏です。遺児の明子氏から調査を依頼された落合先生が、持ち前の洞察力と豊富な知識を駆使して明子氏も知らなかった周蔵氏の実像を明らかにしていく過程は、この本の白眉と言えます。

russia1.JPG落合先生の調査によって、吉薗周蔵氏は公家の名家で正三位の堤哲長の孫であることが分かりました。周蔵氏は大正元年、18歳の時に縁戚であった上原勇作陸軍中将の特務(いわゆるスパイ)となります。そして、上原の指示で軍のためにケシの栽培を行って、純粋アヘンの製造を行いました。これによって、周蔵氏はかなりの収入を得ることになります。
そして、大正6年23歳の時に上原勇作から佐伯祐三の援助を行うように依頼されます。それ以来、周蔵氏は佐伯のパトロンとなり、金銭的な援助を行いました。

しかし、上原勇作の特務という裏の仕事であったため、それを裏付ける証拠が出るはずもなく、「佐伯と周蔵氏の接点がない」、「周蔵氏に佐伯を援助できるほどの収入があったとは思えない」、「佐伯は実家が裕福だったので周蔵氏からの援助など必要なかった」などの理由で周蔵氏と佐伯祐三との関係も否定されました。
これに関しては、(「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著」:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-08-25)にも詳しく書いていますので、興味がある方はご覧下さい。

事件が起きた時期もよくありませんでした。小泉首相の北朝鮮訪問前ですので、北朝鮮による日本人の拉致問題は、第二党であった社会党の党首でさえ「そのような事はありえない」というようなコメントを出していた時代です。この頃は、北朝鮮の工作員などの話をすると、「映画の見すぎじゃない?」などと馬鹿にされたものです。バブル崩壊直後で日本人が平和ボケしていた時代ですから、「上原勇作の特務」と言っても誰も信じない時代でした。
ちなみに、日露戦争時にレーニンに多額の資金援助行ってロシアの後方撹乱を行った陸軍の明石元二郎も上原勇作の配下でした。その関係で、周蔵氏が任務で渡欧した時は明石の残した諜報網を利用したと言われています。

この本は、一部が佐伯祐三の真贋事件の経緯と顛末が書かれており、ニ部には吉薗周蔵に関連した薩摩治郎八や奉天古陶磁に関して書かれています。ニ部の内容も非常に貴重な情報が満載で、佐伯に興味が無い方でも楽しめると思います。

落合先生は、この真贋事件の後も吉薗周蔵氏の残した吉薗手記の調査、解析を継続して行い、現在の「落合秘史」につながっています。

ぜひみなさんに読んで欲しいと思います。
(ただし、絶版なので中古品でも5,000円以上しますが...)

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む
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活字に出来ない《落合秘史3》 南朝天皇・北朝天皇の機密~明治天皇すり替えの極秘計画 <DVD> (DVD 活字に出来ない落合秘史)天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本ワンワールドと明治日本 (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)活字に出来ない落合秘史2 金融ワンワールド~天皇と黄金ファンドの秘密 (<DVD>)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)

桜と菜の花のコラボレーション! (2017年) [関東]

今年も菜の花と桜のコラボレーションが素晴らしい、埼玉県の幸手の権現堂公園に行ってきました。

今年の桜は昨年に比べて約1週間遅れでしたので、4月8日の朝7時30分頃に行きました。
7時から駐車場が開いているので、すでに駐車場はかなり埋まっていました。

昨年も雨模様でしたが、今年も同様でした。(涙) 土日と桜の満開と晴れは合わせて欲しいですね。(^^)
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菜の花も満開とは言えませんが、何とか遅れた桜の開花にシンクロしました。
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まだ花が咲いていない部分が緑色に見えます。
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このように、まだ咲いていない花が多かったです。
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しとしとと雨が降っていましたので、水滴がよいアクセントになりました。
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これは、桜の堤側から見た菜の花です。
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桜の花のアップです。
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混むのが嫌なので朝早く来ていますが、そのためほとんどの出店はまだ開いていません。(笑)
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今年も桜と菜の花のコラボレーションがきれいでした。
来年は快晴の下で撮影したいですね!

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再度、オホーツク海の流氷を見る! (2017年) [北海道]

今回は法事のため、週末北海道に行ってきました。
何とか再度流氷を見る事ができました。

羽田空港第二ターミナルの5Fのレストランから「STAR WARS」の飛行機が見えました。
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これは展望デッキから撮影しました。
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これは、搭乗した飛行機から撮影したものです。
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仙台港付近を撮影できました。雲が少し邪魔ですが、三井アウトレットは、雲の影になっている部分です。
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これは、松島の上空で撮影しました。中央部分の少し右の辺りがフェリー乗り場です。
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私の生れた北海道の北見市には、「ピアソン記念館」というものがあります。これは大正二年に来北したアメリカ人宣教師のピアソン夫妻が伝道活動の拠点とした自宅を記念として残しているものです。当時は、北海道の開拓のために屯田兵が入植していた時期で、開拓者たちへの伝道を行っていたそうです。
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記念館に入ってすぐの所に夫妻の写真が飾られています。
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二階の展示室です。正面の壁の右側に注目です。
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え? どうして坂本龍馬の写真が飾られているの?と思いますよね。
当時、未開の原野であったこの地に「北光社開拓団」を結成して高知県の農民を入植させたのが、坂本龍馬の甥(長姉千鶴の次男)である坂本直寛だったのです。直寛はキリスト教の牧師としても活動して、ピアソン夫妻と協力して伝道活動を行ったそうです。
坂本龍馬自身も北海道開拓の志を抱き三度移住を企てたとのことです。
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ピアソン夫妻ゆかりの人たちを紹介しています。新渡戸稲造、内村鑑三の名前も見えます。
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法事目的だったので、観光の時間は最終日の4時間くらいしかありませんでした。この日は晴れていて、斜里岳や知床半島の山が白く輝いていました。
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網走の天都山から見た網走近くに残っている流氷です。
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前回と逆で、能取岬には流氷が全くありませんでした。
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真っ白な知床連山がきれいに見えました。
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能取岬と言えば、この白黒の灯台です。
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今回も短時間でしたが、何とか流氷と天都山からの絶景を見る事ができました。

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水戸の偕楽園で梅を見る (2017年) [関東]

水戸の偕楽園の梅を見てきました。
2017年の2月の末に圏央道がようやく繋がりましたので、鶴ヶ島から水戸まで圏央道で行きました。ところが、現状では途中に対面通行の区間が多いので、80Km走行を強いられることになり結局2時間くらいかかります。現状では、距離は短くなりますが、時間的には北関東道や外環道を使った場合とあまり変わらない状況ですね。ストレスが溜まる分良くないかも。(笑)

開化率は90%を越えていると聞きましたが、それほどでもないような...。
園内には百種、三千本の梅が植えられているそうです。
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まだつぼみの木も多かったです。
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今回は好文亭の中も観覧してきました。徳川斉昭自らが設計したそうです。文人墨客と景観を楽しんだそうです。
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なかなか画になる建物です。
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庭園にも紅梅が植えられています。
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好文亭から園内を見るとこんな感じです。
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眼下に広がる千波湖を望む景観は素晴らしいですね。
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紅梅はやはりきれいですね。
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黄門さんと記念写真を撮ることができます。撮影するために長い行列ができていました。良く見ると若い黄門様です。(笑)
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まだ咲いてない木もあるし、花が枯れている木もある。梅の木の本数が多いのでいつ頃来ればいいのか時期が難しいですね。(^^)

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天孫皇統になりすましたユダヤ十支族 「天皇渡来人説」を全面否定する 落合莞爾著 その2 [落合莞爾]

	天孫皇統になりすましたユダヤ十支族  「天皇渡来人説」を全面否定する

落合先生の秘史シリーズです。
この本は、発売直後にAmazonの古代日本史分野でベストセラー1位になっていました。(2017年3月現在は、古代日本史分野:4位、天皇制分野:2位です) やはり、天皇家とユダヤ人との関係、日ユ同祖論についてはみなさん関心が高いようですね。


この本で「欠史八代」の実在を説く落合先生ですが、その先生にしても2年ほど前まではこの古代史の通説を鵜呑みにしていたそうです。
その後の「天皇とワンワールド」の執筆の際に調査、洞察して初めて「欠史八代」の実在を実感したそうです。
「欠史八代」が実在しなかったなら、崇神以前の日本には確固たる王朝が存在しなかったことになりますから、これに乗じて「帰化人」とは日本に王朝が存在したことを前提とした不適切な用語だから使用をやめて、代わりに「渡来人」を用いろ、と主張する不逞の輩が現れました。それも反日韓人だけでなく、日本人にもいたのです。 京都大学教授上田正昭氏こそその人で、上田説に煽られて広がったのが、「朝鮮半島の進んだ文化を携えて日本列島に渡来してやった」とする「半島優越史観」です。

物部氏(ユダヤ十支族)が天孫族に背乗りしたと書くと、いかにも物部氏がこっそりやったような印象を持ちますが、これは天皇家も公認していたとのことです。それは、物部氏が天皇家に多大な貢献をしてきたことに対する見返りだとのことです。落合先生は、以下のように物部氏の貢献を挙げています。
①家祖ニギハヤヒが縁戚ナガスネ彦を裏切り神武天皇(縄文族)の東征に協力した。
②物部神道(オリエント多神教)で朝廷祭儀を司り日本神道の骨格形成を行った。
③イカガシコヲが孝元の宮廷ユダヤ人となり任那天孫の育成と崇神王朝の実現に寄与した。
④尾張オキツヨソの妹世襲足媛が5代考昭の皇后となり、アマタラシ彦と孝安をもうけた。
⑤尾張宮簀媛がヤマトタケルの妃となり応神の招来に重要な役割を果たした。
⑥尾張目子媛が継体の皇后となって安閑、宣化を生み、継体王朝の実現に尽力したこと。
(上の尾張氏は、物部氏の分流です。)
ただし、尾張氏はカバネが連(むらじ)です。本来、天孫のニニギの兄であるホアカリの直系子孫の尾張氏はカバネが臣(おみ)あるはずですが、疑似天孫であることが後で分かるように手がかりを残しているようです。

【秦氏】(はたし)
飛鳥昭雄氏は、秦氏こそ古代イスラエルの十支族で天皇家のルーツであるとしています。落合先生も秦氏に関しては、飛鳥氏と同様に考えていたようですが、この本でそれを否定しています。
・秦氏=呂氏(りょし)秦君が率いる呂氏一族+北方騎馬民族系ソグド人
・当然、秦氏の中にも十支族ユダヤが潜入していたことはありうる。

【先代旧事本紀】(せんだいくじほんぎ)
この書に関しては、みなさんご存じないと思います。私もよく知りませんでした。
天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されていて、序文に聖徳太子が蘇我馬子に編纂させたと書かれていたため、平安中期から江戸中期までは古事記や日本書紀よりも尊重されていたそうです。しかし、江戸時代に偽書であるという説が主張され、現在もそのようにみなされています。
しかし、900年以前に成立したと考えられるため、この書にしかない物部氏の伝承など資料的価値があると評価されています。
このブログでも紹介したベリー西村氏の 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」には、
日本書紀:ユダヤ十支族系
古事記:ペルシャ系
先代旧事本紀:物部系
が編纂したと書かれています。興味深いですね。

先代旧事本紀

← この本は、私もKindleで購入しました。先代旧事本紀の解説書かと思ったのですが、原文でした。(笑)
興味ある方はぜひ。

とにかく落合先生の本は、ぜひみなさんに読んで欲しいと思います。



【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む
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活字に出来ない《落合秘史3》 南朝天皇・北朝天皇の機密~明治天皇すり替えの極秘計画 <DVD> (DVD 活字に出来ない落合秘史)天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本ワンワールドと明治日本 (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)活字に出来ない落合秘史2 金融ワンワールド~天皇と黄金ファンドの秘密 (<DVD>)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)

天孫皇統になりすましたユダヤ十支族 「天皇渡来人説」を全面否定する 落合莞爾著 その1 [落合莞爾]

天孫皇統になりすましたユダヤ十支族  「天皇渡来人説」を全面否定する
落合先生の秘史シリーズです。
この本は、発売直後にAmazonの古代日本史分野でベストセラー1位になっていました。(2017年3月現在は、古代日本史分野:4位、天皇制分野:2位です) やはり、天皇家とユダヤ人との関係、日ユ同祖論についてはみなさん関心が高いようですね。

このブログでも、古代日本とユダヤ人との関係についてはいくつかの本を紹介しています。それらの本でも、以前紹介した飛鳥昭雄氏のように古代イスラエル人が天皇となったという説もあります。

落合先生は、この本の中で天皇家のルーツが半島からやってきたという「半島文化優越史観」を徹底的に批判し、「天皇家のルーツは縄文人(天孫族)である」であると主張しています。

この本のポイントは、以下の5点です。
①天皇家はアマテラスの直系子孫(天孫族)の皇統である。
⇒ それ以外は「天神」(天津神)である。
②古代日本に中東の古代イスラエル人(いわゆるユダヤ人)が渡来して、海部直(丹後)、物部氏(河内)、宇佐氏になった。
③物部氏は、「先代旧事本紀」、「海部氏系図」を利用して天孫族に入り込み、天孫族になりすました。
⇒ 「先代旧事本紀」は江戸時代に偽書とされたが、「海部氏系図」は戦後に十分な調査がされずに国宝に指定された。
④戦後の日本史学界は、綏靖~開化までの天皇を「欠史八代」として徹底的に否定することで「半島文化優越史観」を打ち出した。
⑤物部氏を天孫の持ちあげようとした黒幕は、日本の古代史界のドンであった故上田正明氏である。

このユダヤ人の渡来に関する落合先生の情報源は、20年間研究してきた「吉薗手記」です。これは、孝明天皇の実質的な侍従長であった正三位堤哲長の孫であった吉薗周蔵(陸軍大将となる上原勇作の特務として活動)が残した文書です。
周蔵は、同じく孫である医師の渡辺政夫から上田家の家伝を聞きました。
辺さん云はるに、自分は京都のアヤタチの一族であるが、アヤタチといふは後に付けたる姓であり、元は海部(あまべ)といふ姓であった由。この海部は日本に流れ着いたるユダヤの人種である由。
この上田アヤタチ一族は、その血統を守るために同族婚を繰り返していた事も記載されていたそうです。その上田家からは、上田鬼三郎(出口王仁三郎)も出ているとのこと。さらに古代史の最高権威である故上田正昭氏が分家から入り家を継いだそうです。

その上田正昭氏が神官を務めていた小幡神社の祭神は開化天皇とその皇子だそうですが、その神官が開化天皇を含めた欠史八代の不存在を主張していたとのことです。そして、上田氏は、ニギハヤヒとホアカリを同体として天孫と記した「先代旧事本記」を持ちあげて上田家と同族の物部氏を天孫族であるとし、さらに戦後、疑惑の多い物部氏の「海部氏系図」を国宝に指定することによって物部氏の天孫族(天皇家)への潜入を肯定したと落合先生は指摘しています。
また、落合先生は、その上田正昭のバックはオリエント学界の三笠宮殿下であったことも指摘しています。

つまり、渡来ユダヤ人の末裔である上田アヤタチ家の当主である上田正昭氏は、日本史学界のドンとして、自分の出自とともに古代日本におけるユダヤ人の渡来を封印したのです。そして、欠史八代を不在とすることで、天孫の末裔の「臣」と連立系家系の子孫の「連」を区別できなくしました。これによって、その子孫である武内宿禰、その末裔の蘇我氏、葛城氏、平群氏などの有力豪族の出自が不明となり、半島からの渡来人の末裔とされました。これが、古代日本は朝鮮半島からの渡来人によって作られたとする「半島文化優越史観」が幅をきかせることの原因になっているのです。

日本の古代史に興味がある方には、必読の書だと思います。

【興味がある方へ】
落合先生が、京都皇統から伝えられて伝聞の一部を紹介します。
京都皇統代のメモ
皇別
①一期:第一期:神武から孝元までの皇裔諸氏。それ以降は「臣姓」を賜っている。
⇒ 多臣、春日、吉備、阿部、波多臣、巨勢、蘇我、平群、紀臣、葛城、江沼
⇒ 第一期の皇族、「臣姓皇別」
②第二期:開化から天武に至る間。「真人」を賜る。
⇒ 丹波、毛野、和気、安保、小槻、春日山、三尾、三河伴、牟義(むげ)、津部、御使(みつかい)、讃岐、土形、息長、三国、多治公、橘、当麻公、晴海、淡海、清原
③第三期:光仁・桓武以降、諸帝の後裔諸氏。「朝臣」
⇒ 純然たる臣下クラス。また源氏・平氏。主として同一の氏が繰り返し賜っている。
⇒ 16流の源氏、4流の平氏、在原、久我、長岡、良岑、広根
⇒ 「朝臣の皇別」
④神別:天孫とは、天祖からウガヤフキアヘズ尊、神武までの五代皇祖の後裔諸氏。
⇒ 神武即位以前は神代として特別に扱うため、神別の内に入れても差し支え無い。ただし、中央勢力と地方豪族の差異あること言うまでもなし。
⇒ 有名筋は出雲臣。これ天穂日命の末裔。河内臣これ天彦根命。尾張臣、これ天火明命 ← 天孫(落合先生も保留)

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む
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活字に出来ない《落合秘史3》 南朝天皇・北朝天皇の機密~明治天皇すり替えの極秘計画 <DVD> (DVD 活字に出来ない落合秘史)天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本ワンワールドと明治日本 (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)活字に出来ない落合秘史2 金融ワンワールド~天皇と黄金ファンドの秘密 (<DVD>)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)

オホーツク海の流氷を見る! (2017年) [北海道]

とんぼ返りですが、また北海道に行ってきました。

飛行機から見た北海道です。
右側に見える入江のようなものは、厚岸湾ですね。
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釧路の町と港です。
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屈斜路湖です。年末年始に来た時には凍結していないで真っ青でしたが、今回は8割くらい凍結していました。
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手前に見えるのは津別スキー場です。スキー場から見る屈斜路湖もきれいですよ。
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屈斜路湖の向う側には斜里岳が見えます。
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女満別空港が近くなってきました。
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お約束の網走郊外にある能取岬です。
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網走の町の周辺には流氷が見えませんでしたが、能取岬周辺は流氷で埋まっています。
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網走の天都山から見たオホーツク海です。こちら側も流氷でいっぱいです。
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今回は時間が無くて近くで流氷を見ることができませんでした。
次回は砕氷船に乗って流氷を見てみたいものです。

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飛鳥昭雄のエクストリームサイエンス「古代ユダヤと天皇家」 [歴史の真実・陰謀論]

http://enbanya.jp/dvd/detail.php?pid=56545400
飛鳥昭雄氏のDVDの内容を紹介します。エッセンスを書きだしてみました。
ポイントだけを書くと荒唐無稽に感じることも多いと思いますが、個人的にはなかなか興味深い内容だと思っています。
一部はYouTubeでも公開されていますので、興味ある方はぜひ見て欲しいと思います。

●「日ユ同祖論」は日本人が言い出したものではない。
⇒ 開国時に日本に来た商人たちが、日本の風習と聖書に書かれている内容との類似性に驚いて言い出した。

●日本人、天皇家のルーツ
①現住日本人(アイヌ、琉球人)
②物部氏:紀元前に秦の始皇帝が送った徐福(ヨセフ:古代イスラエル人)の一行が日本に来て住み着いた。始皇帝も徐福と同族であった。
⇒ この集団がアイヌ、琉球人を北と南に追い出した。
⇒ 物部氏となる。(旧約聖書の民)邪馬台国を統治していた。
③秦氏:紀元後に秦氏が朝鮮半島を経由して大挙して移住してきた。12支族が集まるのを待って渡ってきた。
新約聖書の民
東征して物部氏から国譲りを受けて神武天皇となる

●物部神道と血の儀式
・出雲神社、諏訪大社など古神道(物部神道)の神社は旧約聖書の「血の儀式」をやっていた。諏訪大社の「御頭祭(おんとうさい)」を見るとその名残が良く分かる。(鹿などのの首を切って神に奉げる)
・秦氏は、新約聖書の民であり「血の儀式」をやらない。秦氏が物部神道に入り込んだ。
⇒ 物部氏が「血の儀式」をやらないように監視するために、秦氏の下賀茂神社が物部神道の神社に禰宜を送った。(カモネギのルーツ)

●漢字の音読はヘブライ語への変換する鍵
日本語の漢字の音読は、ヘブライ語に変換するための鍵。
⇒ 始皇帝の父親は、呂不韋。音読で読むと「ロフイ」⇒ ヘブライ語で「癒し手」日本語以外ではヘブライ語にならない。
⇒ 漢字の重要な部分は、聖書の内容を織り込んで日本人が作った。

・茶道はキリストの聖餐会
⇒ 千利休(セイント・ルカ)が洗礼を受けて、バテレン禁止令の中で茶道を通してキリストの聖餐会を秀吉を利用して全国に広めた。
⇒ 千利休の弟子たちはキリシタン大名が多かった。

天皇家のルーツは、イスラエルの12支族+レビ族の子孫
⇒ 当初は、12支族のうちのガド族が「戦う天皇」であったが子孫が絶えた。
⇒ 帝「ミカド」は、ミ(from)+ガド=ミガド(ガド族の出身)。代々の天皇はマナの壺を継承している。(前方後円墳は、マナの壷の形を表したもの。円が下で四角が上)
⇒ ガド族の子孫が途絶えて、後継者争いになったため、レビ族が後継者になった。
「戦う天皇」から「神事を行う天皇」に変わった

日本の歴史に興味がある方にはぜひ見て欲しいと思います。

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日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)失われた日本ユダヤ王国「大邪馬台国」の謎 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)失われたイエスの12使徒「八咫烏」の謎失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)公安情報から読み解くユダヤと天皇家の極秘情報失われた天照大神の大預言「カゴメ唄」の謎タブーに挑む! テレビで話せなかった激ヤバ情報暴露します3 台風人間・八咫烏のヤバすぎる正体から最新宇宙人情報まで

「あの素晴らしい愛をもう一度」の真実 [音楽]

以前このブログでも書きましたが、私は中学生時代はフォークソングにはまっていました。
当時は、北山修作詞、あるいは加藤和彦作曲の70年代フォークがお茶の間を席巻していた時代です。その中でも、北山修と加藤和彦が歌っていた「あの素晴らしい愛をもう一度」が一番好きで、毎日のように聞いていました。この曲は、今では学校の教科書にも載っていると聞きましたが、時代の流れを感じますね。(笑)


この曲は日本のフォーク史に残る名曲だと思います。特にイントロのフォークギターのサウンドには今でも魅了されます。ところが、このイントロなんですが、今聞いてもどうやっているのかよく分かりません。
後にフォーク・クルセダーズを再結成した坂崎さんも当時コピーしても分からなかったようです。この動画の対談で加藤さんに聞いてようやく納得したそうです。

石川鷹彦さんが普通のスリーフィンガーを弾いて、加藤さんが12弦ギターで高音のマンドリンのようなサウンドを弾き続けていたそうです。(11:30 くらいからです)


それをレコーディング当時と同じような構成で弾いたのがこの動画です。


次の動画は、北山修の25歳の誕生日に行った「北山修/ばあすでい・こんさあと」に収録されているものです。このアルバムも中学生の頃、レコードが擦り切れるほど聞いていました。
このテイクでは加藤さんが一人でギターを弾いているので、通常のスリーフィンガーで弾いています。


この曲で重要なのは、北山さんが歌っている2番の歌い方です。
通常は、「あか~トンボのう~たを うた~った~そらは~~ ・・・」ですよね。石川さんの動画でもそう歌っています。ところが、北山さんは、「あか~トンボのう~たを うた~った~そらは! ・・・」と歌っています。これは、北山さんがふざけて歌っているんだとずっと思っていました。会場のお客さんも笑っていますので、同様に思ったのだと思います。
しかし、実際にオリジナルの歌(最初の動画です)を良く聞いてみると、北山さんは同じように、「うた~った~そらは!」と歌っていました。(ーー;

興味ない方にはどうでも良い話ですが、個人的に45年経ってようやく本当のことが分かったという話です。

ばあすでぃ・こんさあと+35歳バースデー・コンサート【興味ある方へ】北山修のバースディー・コンサートのライブ盤です。ディスク1、2があり、ディスク1には25歳の時のバーディーコンサートのライブが収録されています。これは貴重な音源だと思います。
これに収録されている「あの素晴らしい愛をもう一度」を高音質で聴いて下さい。
また、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」のテイクは最高です! ウッドベースのベースラインがたまりません。
興味ある方は、ぜひ購入して聞いて下さい。


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今年の北海道は寒い!(2017年) [北海道]

年末から北海道に帰省していました。
ここ数年は、北海道もそれほど寒くなかったのですが、今年はかなり寒かったです。

まずはいつもの羽田空港から。
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STAR WARSの飛行機が2種類ほどいました。
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お約束のスカイツリーと飛行機です。(^^)
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船と飛行機です。
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今回は、屈斜路湖がきれいに見えました。翼がちょっとじゃまですが...。
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やはり雪が多かったですね。
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網走の能取岬です。オホーツク海と白黒の灯台です。
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寒々としたオホーツク海が見えますね。実際、風がすごくて超寒かったです。
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風が強かったので、表面の雪が飛んでいます。
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この日は本当に寒かったです。
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網走湖(女満別湖)ですが、凍結しているので湖の境界も分からない一面の雪原になっています。
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女満別のメルヘンの丘です。
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網走の天都山の展望台のカフェ360でお茶しました。
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ここのぜんざいが絶品でした! 白玉とかぼちゃ団子、イモ団子、ゴマイモ団子が入っていて美味しかったです。大満足の一品です。
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女満別空港の周辺は、このような風景が続いています。
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ず~っと何にもないです。(笑)
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今年の北海道の冬は、久しぶりに寒くて北海道らしい冬でした。
これから行かれる方は覚悟して行って下さい。(笑)

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「日本はキリスト教国家だった! 封印された日本史」 著 を読む2 [宗教について]

封印された日本史~日本はキリスト教国家だった!今回は、日本とキリスト教に関する本です。

この本の主張は、「日本にはザビエルが来るずっと前からキリスト教が伝わっていた」ということです。

著者のケン・ジョセフ氏は1957年東京生まれ。18歳まで日本で育つ。米カリフォルニア州バイオラ大学卒。先祖はアッシリアとのこと。日本の古代史研究家、秦氏研究家、景教研究家で千葉大学准教授です。

ジョセフ氏のお父さんは宣教師で大東亜戦争終戦後、マッカーサー元帥が米国民に日本の復興を助けるため1万人がボランティアで日本に来て欲しいという呼び掛けに応じて来日したそうです。
ジョセフ氏の先祖の地である中東のアッシリアという国は現在はありませんが、現在のイラクやイラン辺りの地域にあったと言われています。エデンの園、バベルの塔、ノアの箱舟が漂着したアララト山もアッシリアにあったと言われています。

ジョセフ氏は、古代アッシリアの時代から中国とは交易を行っており、漢の武帝の時代に大月氏の国(現在のアフガニスタン)に使者を送ったという記録があるそうです。つまり、古代から中近東と中国は、シルクロードを通してかなりの交流があり、中国にもキリスト教(景教)が伝わっていたということです。そして、そのシルクロードの終着点が私たちの住んでいる日本ですので、当然日本にも伝わっていたというのがその主張です。

現在の通説では、16世紀にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが初めて日本にキリスト教を伝えたことになっています。しかし、ザビエルは日本に行く前にマラッカで日本人弥次郎に会い、日本の宗教、風習についてヒアリングしていたそうです。その時に、日本の仏教は基督教に似ており、混合していると気づいたそうです。そして、「福音はすでに日本において語られていると思われます。しかしその光は、今は彼らの罪と、異なる教えとによって、薄暗いものとなってしまっています。」とヨーロッパに手紙で伝えたそうです。

確かに、日本史をひも解いてみると、聖徳太子(厩戸皇子)が厩の前で生れたとか光明皇后の1,000人の垢すりの逸話も明らかにキリスト教(聖書)の影響があると思います。

ジョセフ氏は、景教以前に秦氏の渡来によって、古代キリスト教が日本にもたらされたと考えています。秦氏は応神天王14年(283年)に中央アジア弓月国の王が、約2万人という大集団を率いて渡来したと言われています。当時の日本の人口を考えると2万人は、かなりインパクトのある数だと思います。
秦氏は兵庫県赤穂市坂越に上陸したと言われています。秦氏は、京都の太秦を本拠地にして広隆寺を建立しましたが、これも仏教の寺ではなく古代キリスト教の教会だったと言います。江戸時代においても、儒学者太田錦城の「寺と名はついているが、仏教の寺ではない」という記述が残っているそうです。
また、後に造られた平安京は秦氏が造ったと主張しています。現在考えると、集団で渡来してきた秦氏が、どうして日本の中心である京都に土地をもらえたんだろうと疑問に思いますが、これは逆で秦氏が渡来した当時の日本の中心は河内周辺です。ですので、9世紀に秦氏が自分達の住んでいた土地に平安京を作ったということのようです。飛鳥時代以降は、奈良や京都は渡来人の新興住宅地だったそうで、当時の奈良の南部の住民の80%、京都の70~80%が渡来人、帰化人であったと言われているそうです。

ジョセフ氏は強く主張します。
・中近東、中央アジア、東アジアから多くの人がシルクロードを通って日本にやって来ている。
・奈良、京都はシルクロードの終着点である。
・シルクロードから日本にやって来た時、古代キリスト教や景教も一緒に伝来してきたはずで、その時に古代キリスト教や景教だけ中国や朝鮮半島に置いてきたはずがない。

その他、興味深い点をいくつか紹介します。
●茶道について
・茶道は、キリスト教の聖餐会である。
・キリシタン迫害時代に、茶室で「聖餐式」を行っていた。
⇒千利休の弟子たち「利休七哲」は高山右近などのキリシタン大名が多かった。
これに関しては、ジョセフ氏が、京都の裏千家の本部で確認したそうです。その時のコメントは、「 裏千家としては、そうは思っておりません。でも、家元がそう思っていらっしゃることは、事実です」とのことです。
もしこれが本当だとすると、秀吉は茶道の奨励を通してキリスト教を各地に広めたことになりますね。

●聖徳太子について
・聖徳太子が建立した四天王寺に「四箇院」(敬田院、施薬院、療病院、悲田院)という福祉施設が付随していた。このようなものは、他の仏教施設にはないものである。
⇒ これはキリスト教の思想によるものである。

●キリストの墓について
・このブログで紹介した青森県新郷村(旧戸来村)の「キリストの墓」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15)に関して、ジョセフ氏は、何日か滞在して調査したそうです。そして、キリストの墓の土地の持ち主にしつこく聞いて、以下の事実を聞き出したそうです。
昔その地方には渡来人の墓があったとのことでした。7つあったといいます。それらにさわると、バチがあたると言い伝えられていました。しかし戦前に、おばあさんがその墓を開けたそうです。そして中にある物を持ち出した。そのあと、いろいろあったみたいですけれども、やがて憲兵が来て、それらの墓を全部、大阪に持っていってしまったというのです。墓は、どうも基督教系の渡来人のものだったようです
現在、日本人は神道や仏教を信仰しているにもかかわらず、クリスマスを祝い、教会で結婚式を行い、バレンタインにチョコを送り、ハロウィンの仮装に興じています。普通に考えると節操がないとなりますが、この本に書いてあるように太古の昔から古代キリスト教に慣れ親しんできたからだと考えると何となく納得できますね。(^^)

日本の歴史に興味がある方にはぜひ読んで欲しいお勧めの一冊です。

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2017年 北海道美幌峠から初日の出を見る! [北海道]

2017年になりました。 相変わらず、ブログの更新が滞っていますが今年もよろしくお願いします。

さて、年末から北海道に帰省していました。今年は、念願の美幌峠で初日の出を見ることができました。
美幌峠は、ご存じない方もいるかと思いますが、道東の屈斜路湖の大パノラマを堪能できる北海道でも有数のビュースポットです。映画「君の名は」でロケされたことでも有名です。(最近大ヒットしたやつではありません。 昭和28年頃の映画です。(笑)) 夏に見るとこんな感じで湖を楽しむことができます。
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さて、1月1日の6時半頃にようやく展望台に到着です。美幌から峠までの一本道は、通常はあまり混んでいませんが、この日は大変な人で、車の列が並んでいて2つある駐車場に入れない状況でした。
すでに沢山の人たちが良い場所に陣取っていました。
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「美幌峠は一番上の展望台で見なければダメ」という私のポリシーに従って (笑) 上の展望台まで上がり ました。ここも良い場所はすでに取られていてぎりぎり一番端の場所を確保できました。
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この日は雲海で湖がまったく見えませんでしたが、これはこれで迫力があって良かったです。日が登る前、空が赤く染まってきました。
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この日は、とても寒くて恐らく-15 ℃以下にはなっていたと思います。完全防備の状態でも20分くらい待っていると手も足も冷たくなってきました。美幌峠は、屈斜路湖から強風が吹き上げてくることが多いのですが、この日は風が無くて幸いでした。もし強風が吹いていたら、5分も持たなかったと思います。
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知床方面の斜里岳に雲がかかっていますね。
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いよいよ太陽が頭を出してきました。
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顔を出し始めると出てくるのが早いですね。
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太陽が完全で出てきました。
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今年は天気が良くて良かったです! だんだん雲海が赤く染まってきます。
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これくらい太陽が登った時点で、撮影目的の人以外の方々はどんどん帰っていきます。もったいないと思いますが、撮影という目的がないと耐えられない寒さです。私の好きなスポットが空いたので、そこからのショットです。
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30年以上前に、ここで初日の出を見に来た時には、私たちの他には数組の車しかいませんでしたが、最近は例年1,000人くらい集まるそうです。当然、そんなに駐車場があるはずもなく、ご覧のように峠道に路上駐車することになります。
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上の展望台に登る途中からのショットです。
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下の展望台も写真撮影の人たち以外は帰ってしまいました。もったいないですが、とにかく寒いです。私もレンズを交換してもっともっと撮影する予定でしたが、手と足が凍えてその気力が湧きませんでした。(^^)
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ここのショットも良いですね。
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これは駐車場にむかう道の途中から撮影したものです。右側の高い所が、一番上の展望台です。
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今年は元旦から好天で、きれいな初日の出を見る事ができました。
今年は良い年になりそうです!

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東京白金台の松岡美術館を楽しむ (2016年) [美術]

東京港区の白金台にある松岡美術館に行ってきました。

松岡美術館は山手線の目黒駅から歩いて15分くらいでしょうか。庭園美術館を左に見ながら、てくてくと歩いて行き外苑西通りから少し入った所にあります。
この美術館は、不動産業で成功した松岡清次郎氏が一代で集めた蒐集品を展示しています。特に中国陶磁器、洋画、ガンダーラ美術などのコレクションが有名です。
松岡氏が他の数寄者たちと違うのは、馴染みの骨董商から買うのではなく、ロンドンやニューヨークのオークションに参加して気に入った作品を手に入れたことです。そのため、松岡氏は1億円の品を10億円で買ったというような陰口を叩かれているようです。しかしまあ、これは巨額の購入費を日本の骨董業界ではなく海外で支払ったことに対する恨みも半分くらい入っているのでは? と私は思っています。(^^)
美術館は、松岡氏の自宅の跡に建てられているそうです。
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この美術館も撮影はOKです。(ただし、スマホのような音のうるさいカメラは不可)
ロビーに飾ってあるオブジェです。
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二階に行く階段の踊り場に置いてある作品です。
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私の好きな中国陶磁器を見に来ました。
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明洪武帝時代の釉裏紅花卉文大壺です。形が良いですが、赤の発色は良くありません。釉裏紅は銅を高温の還元炎で赤く発色させるものですが、この時代は温度管理が難しいため赤く発色していない失敗作も多いようです。
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これも釉裏紅です。これはきれいに赤く発色しています。
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明永楽時代の青花龍唐草文天球瓶です。官窯の作品は龍の足の爪が五本描かれます。(五爪竜) この作品は爪が三本なので中近東などへの輸出品だったのかも知れません。
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清朝の陶磁器は、精緻な技巧と絵付けが特徴です。
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松岡美術館と言えばこの青花胭脂紅双鳳文扁壺が有名です。この絵付けは珍しいです。
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これは私の所有品ですが、このタイプの作品は日本ではこれと松岡美術館にあるものだけですね。(もちろん冗談です ^_^)
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ここからは前期の展覧会(宋~元時代)の出品作品です。
青花双鳳草虫図 八角瓶 です。松岡美術館を作るきっかけになった作品とのことです。
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紅釉の鳳凰文です。
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青花の扁壺ですね。
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これは青花の大盤です。
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磁州窯 掻落です。
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この美術館は洋画も良い画が揃っています。
藤田嗣治の作品です。
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佐伯祐三が最初に渡仏した時の師匠であるブラマンクの絵です。
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これは佐伯祐三が傾倒したユトリロの絵です。これらの絵を見ると、佐伯祐三の初期の作品はブラマンクとユトリロの模倣に近いように感じますね。
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1階にはガンダーラ美術が常設展示されています。
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みなさんも白金の街を散策しながら、美術館を楽しんではいかがでしょうか。

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徳川家康後鎮座400年の久能山東照宮へ行く (2016年) [旅行]

静岡にある久能山東照宮に行ってきました。
東照宮と言えば、私の住んでいる川越にある仙波東照宮のHPに、
日本各地数多くの東照宮があれど、川越は日本三大東照宮の一つで、仙波東照宮といい、喜多院の南側に隣接している。
元和2年(1616)駿府で徳川家康公が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、寛永10年(1633)建立された。
とあったので、ずっと三大東照宮は、川越も入っていると思っていました。しかしWebで検索すると日光、久能山は確定ですが三つ目にはいろいろな説があるようですね。(笑)

久能山東照宮は、久能山の山下の鳥居をくぐり、1,159段の参道を登る必要があります。
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長い階段で有名な山形県の山寺の階段でも1,015段ですから、結構大変でした。山寺のように階段の途中の平坦な部分が少ないので、ずっとこのような階段を登りっぱなしという感じです。
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山の上からは海がきれに見えました。静岡方面の眺めです。
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東照宮の入り口から太平洋を一望できます。
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社務所の横を通って、ようやく入り口の楼門にたどり着きました。鳥居から登るのに、おおよそ30分くらいかかりました。
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立派な楼門ですね。
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東照宮の境内の全景です。
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正面に拝殿が見えます。
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今回は、直接拝殿まで行く事ができず、横の方から入りました。
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末社の日枝神社です。
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御社殿に続く門も豪華です。
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国宝の御社殿です。
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「本殿」と参拝をするための「拝殿」を連結した「権現造(ごんげんづくり)」と言われる様式だそうです。
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装飾が豪華ですね。
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家康公の御遺体を埋葬した神廟です。
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今年が御鎮座400年祭だと思ったら、残念ながら昨年でした。(笑)
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久能山を逆側に降りると日本平です。遠くに富士山が見えますが、少し遠い感じがしますね。東照宮へのロープウエイは日本平から利用できます。
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日本平ホテルのロビーからは、一幅の絵のように富士山を見る事ができます。
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ロビーで富士山を眺めながらゆったりとコーヒーを飲み、ケーキを食べます。(ちょっと高いです。笑)
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静岡に来たら、おいしい海鮮丼を食べなければいけません。(^^) マグロと釜上げしらすと桜エビ丼です。とても美味しかったです。もう少しマグロをたくさん食べたかったです...。
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初めて久能山の東照宮に来ましたが、天気が良かったので気持ちが良かったです。
みなさんもぜひ1,159段の参道を登ってみてください。

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足利の紅葉と蕎麦と豆かんを楽しむ (2016年) [関東]

北関東の紅葉を楽しみに足利まで来ましたが、ちょっと遅かったようです。(11月26日)
足利と言えば織姫神社ですね。この日は、朝からボランティアの方々がたくさん来て境内の清掃を行っていました。お疲れ様です。
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竜宮城を思わせる美しい神社です。
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さて、今回の目的の1つはこのお蕎麦屋さん「蕎遊庵」です。足利と言えば全国の一茶庵系お蕎麦屋さんの総本山、一茶庵本店で有名ですが、食べログの足利の蕎麦ランキングではこの蕎遊庵の方が上です。
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織姫神社は、山の上に位置しているので下から登る場合には229段の長い階段を登る必要があります。東北の塩竃神社も長い階段で有名ですが、同じくらいの段数があります。その階段の220段目くらいにこの蕎遊庵はあります。お店の前のこの階段を登るとすぐ境内です。
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お蕎麦屋さんの前の階段の下を見るときれいな紅葉が見えました。
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さて、開店の30分前に並び、何にしようかと悩みます。(^^) どれも美味しそうです。このお店、テーブル席が2卓しかありません(あとは座敷席)が、Topで入ったので座ることができました。
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結局、「さらしなの生一本(きいっぽん)」のざる(私)とかけ(妻)、「石臼手挽き蕎麦」(私)を頂きました。
以前書いたように更科蕎麦はあまり得意ではありませんが、このお店のさらしなは、超細切りですがきちんと腰があり、のど越しが良く美味しかったです。
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かけも少し頂きました。そうめんよりも細切りですが、薄味でこれもありだと思いました。
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ただ更科そばだけだとちょっと物足りません。この「石臼手挽き蕎麦」は北海道産のキタワセを使っているそうで、表面がざらついていて、若干太めで切り口が明確な私の好みのお蕎麦です。腰と弾力があり噛むほどに甘味を感じる本当に美味しいお蕎麦でした。食後のデザートとして、そばがきぜんざいにも惹かれましたが、何とか我慢しました。
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さて、織姫神社を後にして次は足利尊氏ゆかりの鑁阿寺(ばんなじ)です。
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ここは、樹齢550年と言われている大いちょうの大木で有名ですが、時期が遅かったので黄色い葉が落ちていました。
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ご覧のようにイチョウの周辺は黄色い絨毯で覆われていました。
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こんな光景は初めて見ました。感動です!
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紅葉には遅かったですが、これを見られただけでも大満足です!
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黄色い絨毯に赤い紅葉は合いますね。
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本格的にレフ板を使って着物の女性の撮影をしていました。
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大いちょうから差す日差しがきれいでした。
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鑁阿寺の楼門(山門)です。ここを出て、参道沿いにあるカフェ「あまからや」へ。
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このお店の豆かんを食べるのがこの日の2つ目の目的でした。 このためにそばがきぜんざいを我慢したのです。(^^) この豆かんは、豆そのものは甘くなくて、とても食べやすく、黒蜜とかんてんとの相性の抜群です。くせになる美味しさです。
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足利を後にして、車で50分くらいでお隣の群馬県の大田市の反町館跡に来ました。ここは、足利尊氏とともに鎌倉幕府を倒した忠臣新田義貞所縁の地です。足利尊氏、新田義貞ともに源義家の子孫で源氏の本流でしたが、最後は敵と味方に分かれてしまいました。
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反町館跡には反町薬師(照明寺)が建てられています。これは本堂です。
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本尊の薬師瑠璃光如来は秘仏で1月4日にだけ開帳されるそうです。
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弘法大師のお堂(大師堂)です。
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今回、足利の紅葉には遅かったですが、大いちょうの黄色い絨毯には感動しました。
お蕎麦も豆かんも美味しかったです!

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今年一番の紅葉! 東郷公園の紅葉は最高だ! (2016年) [関東]

11月20日(日)に埼玉県の飯能にある東郷公園に紅葉を見に行ってきました。
この公園は、川越から行くと秩父に向かう道の丁度中間地点に位置しています。車でだいたい1時間弱の距離です。この公園には、日露戦争の日本海海戦での大勝利で世界的に有名な東郷平八郎元帥と乃木大将の銅像があることで有名です。昨年も来ましたが、紅葉の色付きが悪くて残念でした。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-12-23

この日は川越は朝から濃霧で、一つ先の信号が見えなくなるぐらいひどい霧でしたが、山道に入るにしたがって霧が晴れてきました。東郷公園の周りにはまだ霧が残っています。
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駐車場から見えた紅葉です。この色付きを見ると今年は楽しめそうです。
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この公園は、秩父御嶽神社の中にあります。神社の鳥居の回りも赤く色づいています。
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朝の9時前なので日が低く、まだ少し霧が残っていたので面白い画となりました。
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日の光で透けた紅葉は真っ赤です。
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狛犬の横を登るとその先に東郷元帥の銅像があります。
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今年は、東郷元帥の周辺は紅葉で真っ赤です!
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昨年の色とはまったく違うきれいな紅葉です。
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その鮮やかさに目を奪われます。
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上を見上げるとこんな感じです。
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東郷元帥の斜め後ろから見るとこのような感じです。
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これは、逆方向の後ろから見ました。
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これは元帥の銅像の左横から見た景色です。(中央下に銅像が見えます)
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御嶽神社の社の横を通って乃木大将の銅像への道へ行きます。
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山道を下って行くと、乃木大将の銅像の裏手に出ます。乃木大将の周りも真っ赤です。
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天気が良かったので、日の光で透けてきれいでした。
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こちら側から見ると少し寂しいですね。(^^)
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銅像と逆の方向を見上げるとこんな紅葉が広がっています。
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こちらの方向もきれいです。
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今年の秋は朝の寒さが厳しかったので、紅葉の色付きが最高ですね!
前回の松島もこれまでで最高でしたが、今回の紅葉も素晴らしかったです。

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麻布十番で更科総本家の蕎麦を食する [関東]

最近、お蕎麦がマイブームで週に3日、4日くらいはお蕎麦を食べに行くようになっています。そんな訳で、今回はお蕎麦の話です。

都営地下鉄の駅ができた頃から仕事の関係で麻布十番によく行くようになりました。この麻布十番は、いわゆる高いお店が多いエリアですが、更科蕎麦の本店が3軒もあることでも有名です。

①総本家 更科堀井 本店
②麻布永坂 更科本店
③永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店


なぜ、この狭いエリア(一番遠い店の間でも徒歩5分程度の距離)で3店舗が本店を名乗って競っているかについてはさておき、(興味がある方はググってみて下さい)問題はお店の蕎麦の味です。食べ物のお店を調べるには、やはり「食べログ」が便利なので、その評価を見て見ますと評価の高い順に 、

①更級堀井:3.60
②更級本店:3.57
③布屋太兵衛:3.08


となっています。
参考までに長年麻布十番に住んでいた知人に聞いてみたのですが、やはり①の堀井が一番美味しいとのことでした。ちなみに、私は10年くらい前にその知人に連れられて更科堀井に連れて行ってもらった記憶はあるのですが、何を食べたのかも味も全く覚えていません。(笑)

更級蕎麦とは、蕎麦の実の中心部分だけを使った蕎麦で、真っ白な高級感のある蕎麦で御前蕎麦とも言われます。一般的には更級蕎麦は蕎麦の香りよりものど越しのなめらかさを楽しむものと言われています。麻布十番にあるお店はその更級蕎麦の総本家と言われています。

最近、仕事で連続して麻布十番の近くに行く用事があったので、三軒のお店のせいろ蕎麦を食べ比べてみました。更級蕎麦で有名なお店の味を語るのに普通のせいろの味で評価するのはおかしいではないかとのご指摘もあるかと思います。しかし蕎麦屋の基本はせいろだと思いますし、何よりも私自身は、蕎麦の甘皮を一緒に挽いた普通の蕎麦や田舎蕎麦の方が好きなので更級蕎麦があまり得意ではないことも大きな理由です。「だったら、更科以外の蕎麦屋にしろよ!」という突っ込みは無しでお願いします。(笑)

①総本家 更科堀井 本店
まずは、堀井のお蕎麦です。ここは、更科本店で一番評価が高いお店ですので、普通のせいろと更科蕎麦をそれぞれ1枚ずつ頂きました。せいろは「から汁」で頂きます。ここのお蕎麦は、私がこれまで食べた事のないような食感の蕎麦で、蕎麦の切り口の角をまったく感じない不思議なものでした。美味しいとは思いましたが正直に言うと高評価の理由が分かりませんでした。
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本家の更科蕎麦を食べてみれば自分の更科蕎麦に対する認識が変わるのでは、との期待もあり食べてみましたが、結論は変わりませんでした。確かに、のど越しは良いですが...。(^^) 更科蕎麦は青いとっくりの「あま汁」で頂きます。最初はその甘さに驚きますが、慣れてくると病み付きになります。
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②麻布永坂 更科本店
このお店は、地下鉄の麻布十番駅から大きな通りを挟んだ向かいにあり、他の店のあるブロックとは少し離れています。
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ここではせいろの大盛りを頂きましたが、ここのお蕎麦も切り口の角を感じない普通に美味しいお蕎麦という感じでした。確かに美味しいけど...。
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③永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店
最後は布屋太兵衛の総本店です。このお店は大宮のそごうに支店が入っているので、そこでは何度か食べていました。その感想は有名な更科のお店ではありますが、「まあ、こんなものか」と思って食べていました。
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このお店は普通のせいろでも「あま汁」と「から汁」の2種類が付くのが特徴です。
さて、この麻布十番の総本店のお蕎麦ですが、最初に口に入れた瞬間に大宮店の蕎麦とは風味がまったく違うことが明確に分かりました。「う~ん、これはうまい蕎麦だ。さすが総本店だ!」と一人事を言いながら満足して食べました。あま汁、から汁の味は大宮店と大差ないように感じました。
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さて、最終的な3店の私のお好みランキングは次の通りになりました。

③布屋太兵衛
②更級本店
①更級堀井


つまり、食べログの評価と全く逆の結果となりました。
まあ、これはあくまでも私のランキングですので他の人には参考にならないと思いますが...。
食べ物の好みは人それぞれ違いますからね!(^^)

食べログの蕎麦屋の口コミを見ると、料理を食べながら日本酒を飲み、最後の〆に蕎麦を食べるというような人が多いので、単に蕎麦の味だけで評価されているのではないようです。今回の麻布十番の3店も、場所がらもありそのようなお店の一つでしょうから、他の料理、お店の雰囲気、麻布十番という場所を含めた全体の評価なのだと思います。

今回、3つの更科のお店を食べてみて、仮にこのお店が自宅の近くにあったとして食べに行くかと考えると、一度は行くにしてもあまりリピートはないだろうなという感じです。だって、私の住んでいる埼玉県には、もっと私の好みに合うお美味しい蕎麦屋さんが沢山あるんですもの。(笑)

最近はどのお店も新そばを出す季節になりましたので、蕎麦を食べに行くのが楽しみです。

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松島の円通院の紅葉を楽しむ (2016年) [東北]

この時期は、東北の紅葉を楽しむことにしています。
今回はあまり歩けない家族が一緒だったので、平泉方面は断念して松島周辺の紅葉を楽しみました。
まずは、松島のフェリー乗り場のそばにある「観瀾亭」で松島の景色を楽しみました。観瀾亭の入り口は幹線道路沿いですが紅葉がきれいでした。
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フェリー乗り場はすぐ隣です。
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朝10時に行ったので、まだ太陽が低かったです。
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伊達政宗が秀吉から拝領した茶室を移築した建物とのことです。
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抹茶とおしるこを頂きながら松島の景色を楽しみました。
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最初は私たちだけでしたが、だんだんと人が増えてきました。
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御茶の後は、周囲の紅葉を楽しみました。
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この日のお昼は、塩竃の有名店「すし哲」のお寿司です。大皿に乗ったお寿司が美味しそうです。この店は、まぐろにコダワリがあります。
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さて、次は円通院の紅葉です。円通院に関しては、これまでもこのブログで紹介してきました。
・平泉、松島で紅葉を楽しむ(2015年)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-11-15
円通院はライトアップされた紅葉の美しさで有名ですが、今回は昼間に見てきました。タイミングが良かったのだと思いますが、本当に紅葉がきれいでした。入り口からでも真っ赤な紅葉を見る事ができました。
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円通院は、石庭がきれいです。
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この日は天気が良かったので紅葉の赤が眩しかったです。
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ここは、伊達藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭を移築したそうです。
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通路の紅葉もきれいでした。この日も人が多かったです。
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庭には丸窓があります。
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丸窓から向うを眺めると、こんな感じです。
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石庭と紅葉は合いますね。
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松島を出て、帰りに西行戻しの松公園から松島を眺めました。
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仙台駅の駅ビルのエスパルの地下にある「すてーきはうす伊勢屋」で仙台牛のステーキを頂きました。サーロインの200gです。やはり仙台牛は美味しいです。(^^)
他にも美味しいお店はたくさんあると思いますが、ホテルの近くでお店を選びました。
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今回はいつもより行動範囲が狭くなりましたが、昼間の円通院の紅葉など普段見たことがない景色を楽しむことができて最高でした!

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入間航空祭を楽しむ (2016年) [関東]

11月3日は、埼玉県入間基地の航空祭です。
昨年は、川越の自宅のベランダで撮影してストレスが溜まったことを書きました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-11-04) そんな訳で、今年は絶対に入間基地に行って近くで撮影するんだ! と意気込んでいました。しかし、Web上の情報を見ると会場の混み具合はハンバでないようなので、渋滞と人ごみが嫌いな私としては、気持ちがかなりグラグラと揺れました。

1.JPG前日になってXF100-400㎜レンズと×2 のエクステンダーを借りることができたので、「400㎜あれば近くに行かなくてもいいだろう」と考えて、入間基地から入間川を挟んだ川沿いにある柏原の公園で撮影することにしました。この辺りの運動公園は、子供達の少年団の試合で何度も通っていたのホーム感覚で撮影できます 。

しかし、結論から言うと今年もストレスが溜まる撮影でした...。

T-4機のオープニングフライトです。
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U-125という飛行点検機だそうです。
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この後、T-4機が続きます。やはり戦闘機は速いです。400㎜で撮影するとフレームに入れるのも難しいです。しかもAFの食い付きが悪いため、なかなかキレの良い画像が撮れません。(- -;
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C-1 輸送機です。中型戦術輸送機だそうですが、見た目はかなり大きく見えます。
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ここからはブルーインパルスの飛行です。T-4機の撮影で、自分には近距離でブルーインパスルを撮るのは無理だと悟り、昨年同様に自宅のベランダから撮ることにしました。撮影は、400mmに×2 のエクステンダーを付けて、800㎜ (35㎜換算 1,200mm) で行いました。
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終わり際に自宅の上を通ってくれました。
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この日は、天気は良かったのですが、微妙にモヤっていて、距離があるためどうしてもクリアな画像が得られませんでした。また、エクステンダーを付けると2絞り暗くなり開放でもF11になってしまうため、今回のようにシャッタースピードが必要な場合はISO感度が上がってしまう事もクリアな画像とならない原因でした。

さらにクリアな画像を得るには、やはり近距離で300㎜くらいのレンズで撮影するしかありませんね。
来年こそ、入間基地に行くしかない!(笑)

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軽井沢の紅葉を楽しむ (2016年) [旅行]

紅葉の季節になりましたので、軽井沢に行ってきました。

事前に軽井沢プリンスのスキー場が「紅葉営業」しているとの情報を得たので行ってきました。今年は明日30日までのようです。軽井沢駅のアウトレットモール側のスキー場のイーストの高速リフトを運行しています。一人1,800円です。高いと言えば高いですが、それだけの眺めを楽しめるかどうかですね。

リフトで頂上まで上りました。軽井沢駅と軽井沢の街が見えます。残念ながら左上の浅間山は雲がかかっていました。
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軽井沢駅とアウトレットモールが見えますね。
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これは軽井沢とは逆方向の眺めです。
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プリンスホテルの入り口の紅葉です。
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もうすでに結構落ち葉が多かったですね。
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軽井沢駅から旧軽井沢銀座に行く道の紅葉です。
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これは軽井沢銀座の終わりのクリークガーデン横の紅葉です。
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つるや旅館の向う側の紅葉が見事でした。
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ちょうど日が照ってきたので、赤と黄色が鮮やかでした!
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軽井沢銀座を散策し、紅葉をを見回って疲れたのでいつもの茜屋珈琲店でお茶をします。
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ここのコーヒーは高いですが、美味しいです。コーヒーとジャム付きチーズケーキがそれぞれ800円です! 高っ! でもここに来ると寄ってしまうんですよね。コーヒーを淹れているのを見ていると、お湯を注ぐとコーヒーが山のように膨らみます。それは自分の家でコーヒーを淹れる時には見た事もないくらいの膨らみでしたので、「どうしてこんなに膨らむんですか?」とお店の人に聞いたことがあります。その時の答えは、「いいコーヒー豆を使っていますから...」とのことでした。なるほどという感じです。
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店内はこんな感じでカップが整然と並べられています。
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軽井沢と言えば、聖パウロカトリック教会ですね。ここもアジアの人たちの声がたくさん聞こえます。
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旧軽井沢銀座のアートショップで藤田嗣治展をやっていました。リトグラフが20~30万円くらいで販売していました。欲しいけど、ちょっと高い。(笑)
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イチョウの黄色もきれいでした。ここでも沢山の人が集まっていて撮影会でした。
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今年は昨年よりも寒い日が多かったので、紅葉がきれいでしたよ。
いよいよ紅葉の季節が始まりますね。

【過去の記事です】
【川越祭りに関してはこちらもどうぞ】
・ハロウィンの軽井沢を楽しむ(2015年)
・今日は軽井沢も暑かった! 久しぶりの旧軽を3Dカメラで楽しむ。

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フジのX-Pro2が1位に! 「日本カメラ9月号」全機!大撮りくらべ大会 [写真]


日本カメラ 2016年 09 月号


UPするのが遅くなってしまいましたが、「日本カメラ9月号」の記事です。

現行レンズ交換式カメラ全機種実写比較 全機!大撮りくらべ大会」という大企画です。
キヤノン、ニコン、ペンタックス、ソニー、富士フイルム、シグマ、オリンパス、パナソニック、コダックの現在販売されている合計60機種を一度に評価するという大変な企画です。60台もあると、同時撮影を駆使しても1カット撮影するだけでも2時間以上かかったそうです。機材総重量30kg、総額1,000万円超えと書いてあります。(^^)

評価内容は以下のような項目です。
01:仕上がりの色・ホワイトバランス・AE(撮って出しのJPEG画像をみる)
02:高感度画質(ISO6400の描写を比較)
03:暗所でのAF(薄暗いシーンでAF性能を比べる)
04:連写時の動体追従AF(選抜 動きモノ撮影対決)
05:解像感(高画素機・最新技術の頂上決戦)
そして評価結果ですが、ちょっとビックリです。私の使っている3年前に買った富士フイルムのX-E2が5位に入っているのには椅子からズリ落ちそうになりました。(笑)
まあ、画質の評価は「撮って出し」ですので、レタッチ前提のニコン、キヤノンの一眼レフ機種は納得いかないと思いますが、レタッチは人によって画質が変わり一律の評価ができないのでしょうがないですね。
【結果】
1位:富士フイルム X-Pro2
2位:ニコンD750
3位:富士フイルム X-T1
4位:ニコン D5
5位:富士フイルム X-E2
6位:キヤノン EOS-1DX MarkⅡ
7位:キヤノン EOS 5Ds
8位:ニコン D810
9位:キヤノン EOS 5Ds R
10位:キヤノン EOS 6D
<評価者>(敬称略)
カメラマン:伊藤亮介、宇佐美健、落合憲弘、曽根原昇
編集部:大谷、志村、佐々木
評価項目毎に、風景撮影では、EOS Mシリーズが上位に来たり、高感度画質はキヤノンのフルサイズ機が上位を独占、連写時のAF追従ではニコン機種が上位独占とそれぞれの得意項目があるようです。富士の機種はそれぞれの項目でまんべんなく高い得点を得たようです。

個人的には、富士のカメラが上位に来るのは違和感がありませんが、ソニーのカメラが一台もベスト10に入っていないのには驚きました。画作りの方向がカメラマン達の好みと合わなかったのかも知れませんね。

詳細に興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

カメラ雑誌に関しては、以下もご覧下さい。
「編集権の独立って? 最近のカメラ雑誌を見て感じたこと」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-04-13
「これからはミラーレス一眼の時代か? 家電批評 「一眼カメラの選び方がわかる本」 を読む」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-05-06-1

このブログの目次です。
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日本カメラ 2016年 10 月号 [雑誌]日本カメラ 2016年 11 月号 [雑誌]アサヒカメラ 2016年 11 月号 [雑誌]カメラマン 2016年11月号 [雑誌]


夜の川越祭りを楽しむ (2016年) [関東]

さて、10月のこの時期と言えば「川越祭り」です!
川越祭りに関しては、このブログでも何度も紹介しているので、細かい説明は書きません。
写真で雰囲気を味わって下さい。

【2016.10.19 追記】
川越祭りの公式発表です。2日間で約100万人が訪れたようです。

平成28年川越まつり 観光客数をお知らせします。
15(土)=508,000人
16(日)=477,000人
合計=985,000人

お祭直前まで、耐震工事のため覆いを被っていましたが、お祭に合わせてきれいな姿を見せてくれました。
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暗くなる前、午後5時頃の蔵の街です。人でいっぱいです。
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だんだん暗くなってきました。山車の提灯にもあかりが灯っています。
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夜の川越祭りを撮るために、「そばきり悠々庵」で新そばを頂いて時間をつぶします。川越祭りの時でも、この辺りのお店はそれほど混んではいませんでした。
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入り口には、浮世絵と陶器が飾られています。
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今の時期だと夏蕎麦の新そばだと思いますが、風味があり美味しゅうございました。
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午後6時を過ぎて暗くなり夜の川越祭りになっています。
山車が向かい合って囃し合いが始まりました。蔵の街の道は人でいっぱいで動けなくなります。
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西武線の本川越駅前に二つの山車があり、すごい人でした。
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今年は、このお面を付けている人が目に付きました。お祭の雰囲気にピッタリです。
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【過去の記事です】
【川越祭りに関してはこちらもどうぞ】
・NHKの朝ドラ「つばさ」で有名になった『川越祭り』を見る (2010年)
・3Dカメラで川越祭りを撮る!(2010年)
・2012年 今年も川越祭り! 市制90周年記念で29台の山車が勢ぞろい
・今年も川越祭りを見る! (2014年)
・今年も川越祭りを楽しむ (2015年)
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明治天皇はスサノオの末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む2 [歴史の真実・陰謀論]


天皇奠都と日本純血統人の使命_京都鞍馬寺・五月満月祭と天皇家の秘密

ベリー西村氏については、『「マレーシア航空370便」 米中軍事ケシュ技術争奪戦の生贄 ベリー西村著を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21)で紹介しましたように、「Ω様」と呼んでいる神様?から20年に渡って教えてを受けてきたそうです。その中から日本の起源と今後日本がなすべきことを書いたのがこの本です。

ベリー西村氏は、もともと予知夢の研究を行っていたそうで、2013年に出した著書で、「東京および数か所の都市が北朝鮮が同時に発射した30発の核ミサイルで破壊され、本人も死ぬ」という予知夢を見たと書いています。2013年当時はあまり現実味がありませんでしたが、最近の北朝鮮の動き(ミサイルの2発同時発射など)を見ているとだんだんとリアリティを感じています。これは絶対に実現して欲しくない話です。

前回書いた内容の日本人の起源のポイントを読んでいない人のためにもう一度書きます。
くわしくは、(『日本人は龍族の末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む1』: http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-09-22)をお読みください。

★16,000年前、金星経由で地球にやって来た龍族が、青森に住んでいた海洋民族と遺伝的な交配を行いました。その龍族の血を引いた人たちは、その後シュメールに移動してシュメール文明を興しました。そのシュメール文明が他の文明の起源となりました。

当時の日本人のルーツは、以下の通りです。
現住海洋民族:もともと日本に住んでいた民族で秦(はた)一族の侵攻により北海道、沖縄に追いやられた。
物部一族:支那大陸の秦(しん)の始皇帝が日本に送った徐福一行の子孫でシュメール血統(龍族の血統を引き継いでいる)。
藤原一族:ユダヤ十支族の子孫で、源氏となる。
蘇我一族:ペルシャ系弓月一族の子孫で、平氏となる。
その後、物部一族が統治していた近畿地方にあったヤマトゥ国(邪馬台国)を九州から侵攻してきた秦(はた)一族(藤原一族+蘇我一族)が攻め、出雲戦争の結果秦一族に国譲りを行い、大和朝廷となりました。国譲りの条件として物部一族も朝廷に参加することになり、出雲大社を再建させました。

●天皇の皇統に関して
・秦(はた)一族は、藤原一族(ユダヤ十支族系)が宇佐八幡宮を建立したことで、蘇我一族(ペルシャ系)と対立することになりました。飛鳥時代は藤原十支族系、蘇我ペルシャ系、物部純血統の三つ巴の乱世となります。

*592年:蘇我馬子(ペルシャ系)が崇峻天皇(十支族系)を殺害。
*645年:中大兄皇子(天智天皇:十支族系)が蘇我入鹿(ペルシャ系)を殺害。
*671年:大海人皇子(天武天皇:物部純血統)が天智天皇(十支族系)を暗殺。
*686年:持統天皇(十支族系)が大津皇子(物部純血統)を殺害。

天智天皇の血を引く持統天皇が無理やり自分の孫に皇位を譲って天智天皇の皇統を守ったのは、物部純血統に行ってしまった皇位を藤原十支族系に戻すためだったのです。
天武天皇の死後、権力を握った藤原一族は、720年に日本書紀、728年に古事記を編纂し、焚書を行い貴重な過去の資料をすべて焼き払いました。

その後は、源平の争いとなりますが、
平家:ペルシャ系。
源氏:藤原十支族系で、平氏を滅ぼした後は、足利家まで続く。
織田信長:平家、ペルシャ系
豊臣秀吉:?(記載なし)
徳川家康:藤原十支族系で、江戸時代は天皇も藤原十支族系
明治維新:天皇は、物部純血統に戻ったが、偽ユダヤであるイルミナティが日本に侵入し、現在まで日本全土を支配している。イルミナティに囲まれた東京の皇居(江戸城)に物部純血統末裔が住んでいるのが今の状況。封印された魔法陣に囚われているようなもの。
この状況を打破するには、天皇が京都へ戻られること(「奠都」(てんと))が重要。それがトリガーとなってスサノオ(龍族王)が地球に再臨することになる、とのことです。

以上の説明で明治天皇が東京に遷都された時に埼玉県大宮にある氷川神社を重視して、武蔵国の鎮守勅祭の社として定めて何度も行幸された理由がわかりました。明治帝は物部純血統でスサノオの血を引いていたので、スサノオを祭神としている氷川神社の総本社である大宮氷川神社を最重視されたということだと思います。(スサノオは龍族の王)

●伊勢神宮について
伊勢神宮は、日本の最高神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られている神社です。日本に「○○神宮」と呼ばれる神社はいくつかありますが、単に神宮と言えばこの伊勢神宮のことを言います。

さて、その日本の祖先神を祀った伊勢神宮ですが、その子孫であるはずの天皇は、神武天皇以来だれも参拝しておらず、明治天皇になってようやく参拝されました。これはあまり知られていないことですが、大きな謎だと思います。
また、称徳天皇が弓削道鏡に皇位を譲ろうとした時に起きた「宇佐八幡宮神託事件」で天皇は、勅使(和気清麻呂)を近くにある伊勢神宮ではなく、遠い九州にある宇佐八幡宮まで送っています。これまでの通説では皇位の継承に関する重要な事柄に関して、なぜ祖先神を祀る伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮に行ったのか理由が全く説明できていません

この本でΩ様は以下のように述べ明治天皇が参拝した理由を明確にしています。
伊勢神宮は、大和朝廷の神を祭った神社ではなく、大和朝廷が滅ぼした大国主命、龍族、スサノオの祟りを鎮めるために建立されたものであるため、十支族末裔の天皇は参拝することができなかった
明治天皇は大国主、龍族、スサノオの血を引いた物部純血末裔なので参拝することができた。(明治維新で血統が変わった)
・アマテラス=アフラ・マズダーは本来男神であったが、記紀を編纂した時代が持統天皇の時代だったので女神に改ざんした。

●諏訪大社について
以前、『イスラエルの失われた10支族が日本に来ていた! 「この国の「深奥」の重大な歴史」 久保有政著 を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-09-18)で諏訪大社の御頭祭と旧約聖書の記述との類似について書きましたが、その理由も書かれています。
・約7,000年前、青森文明が地震と津波で破壊され、龍族が飛騨高山を中心とした拠点を作りました。彼らは諏訪の地にシュメール思想(旧約聖のもとになった思想)通りの世界を造り、その噂がユダヤ系民族に伝わり諏訪の地の人口が増えていきました。
この情報は現在の中国、韓国にも伝わり、龍族エイリアンの血統、DNAを持つ人々、すべてが日本に渡ってきた。これが中国、韓国にYAP(-) 遺伝子を持つ民族が一人もいなくなった理由じゃ。龍族に選ばれた民が、すべて日本に集まっている、それが日本なのじゃぞ。

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諏訪大社の上社前宮にある十間楼(写真)は、ソロモン宮殿の幕屋(礼拝堂)と同じ様式、大きさ、方位で建築されているそうです。また、有名な「御柱祭」もソロモン神殿に使用する柱をレバノンからエルサレムに運んだ行事がもとになったそうです。



【2016.10.17追記】
●青森県にある「キリストの墓」について
このブログで紹介した青森県新郷村の「キリストの墓」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15)ですが、Ω様はバッサリと切り捨てています。(^^)
戸来村の六芒星は1935年、竹内巨麿が「竹内文書」を持って戸来村を訪れ、村や近隣の人達に一大センセーションを巻き起こした。その後村人は「村興し」の一つとしてキリストの墓という表示支柱に六芒星を追加したのじゃ。村人は無調査、または理解不足だったのか、キリストとキリストを殺した偽ユダヤのマークを一緒に表示してしまったのじゃ
言われてみれば...。(笑) 確かに、キリストを殺したユダヤのマークである六芒星がキリストの墓にあるはずがないですね。村人が後になって付けたというのが実情なのでしょう。

日本の歴史に興味がある方にはぜひ読んで欲しいお勧めの一冊です。

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2018年成就・イルミナティの悲願__英国誌「エコノミスト」予言の解読に成功!神との対話集夢研究者と神_神が語った睡眠・宇宙・時間の秘密洗脳―あなたが集団催眠から脱却する本です未来はすべて決定していた!_神様から教わった時間の秘密絶対入眠法_睡眠環境や精神状態に関係なく確実に眠ることができます神覚 _The Eighth Sense 〈第八感 〉_人に頼らず、ご自身で神様と対話してみませんかSTAP細胞は存在していた!_ 発覚!強奪されていた小保方晴子・世紀の大発見小保方晴子手記「あの日」への若山照彦の説明責任__日本人だけが知らないSTAP細胞、世界の現状

今年も曼珠沙華の季節に (2016年) [関東]

今年も曼珠沙華の季節になりました。
9月18日と25日に行ってきました。今年は9月に入ってから台風が多くて雨ばかりでした。18日は、雨は降っていなかったものの朝から曇りで、まだ3分咲きでした。25日は、晴れ間が見えて、遅咲きの方も含めてほぼ見頃の状態でした。
2日間とも朝6時に川越を出て、6時半頃に巾着田に着きました。道は渋滞していませんでしたが、駐車場は半分くらいは埋まっていました。8時過ぎに帰りましたが、すでに駐車場は一杯で道は大渋滞でした。

●9月18日です。まだ3分咲きで花はまばらでした。
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まだつぼみの状態の花が多かったです。
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●こちらから9月25日の撮影です。この日は晴れていて暑いくらいでした。
朝7時なのでまだ太陽が低いですね。
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ずっと雨が降っていたので、花びらに雨粒が残っています。
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ここからフィルムシミュレーションを「VELVIA」 ⇒ 「ASTIA」 に変えてみました。花の色がずいぶんと変わりますね。
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8時くらいにはもう、日差しが高くなり暑くなってきました。
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ここからまた「VELVIA」に戻しました。
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こんなに沢山の曼珠沙華が咲いていますが、1,2本で咲いている花を探してしまいます。(笑)
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白い曼珠沙華は数が少ないので、みなさん撮影していました。
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川沿いの紅葉です。紅葉時期がたのしみですね。
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駐車場のそばにコスモス畑が広がっています。
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遅咲きの方はあともう少し楽しめそうですね。
車で行かれる方は、少し遅れると渋滞が始まりますので、とにかく7時過ぎには着けるように来た方が良いと思います。

【過去の記事です】
・100万本の曼珠沙華を見に高麗の巾着田に行く (2012年)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08 )
・500万本の曼珠沙華を見に高麗川の巾着田に行く (2014年)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-09-22 )
・500万本の曼珠沙華を見に行く (2014年) その2)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-09-27 )
近くの高麗神社については、こちらをどうぞ。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-11-08

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日本人は龍族の末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む1 [歴史の真実・陰謀論]


天皇奠都と日本純血統人の使命_京都鞍馬寺・五月満月祭と天皇家の秘密

ベリー西村氏については、『「マレーシア航空370便」 米中軍事ケシュ技術争奪戦の生贄 ベリー西村著を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21)で紹介しましたように、「Ω様」と呼んでいる神様?から20年に渡って教えてを受けてきたそうです。その中から日本の起源と今後日本がなすべきことを書いたのがこの本です。


ベリー西村氏は、もともと予知夢の研究を行っていたそうで、2013年に出した著書で、「東京および数か所の都市が北朝鮮が同時に発射した30発の核ミサイルで破壊され、本人も死ぬ」という予知夢を見たと書いています。2013年当時はあまり現実味がありませんでしたが、最近の北朝鮮の動き(ミサイルの2発同時発射など)を見ているとだんだんとリアリティを感じています。これは絶対に実現して欲しくないです。

さて、この本のポイントを書くと、「日本人は16,000年前に金星経由で地球に来た龍族の血統を受け継いだ民族である」ということです。ですので、そのような話に興味が無い方は以下は読まない方が良いと思います。(^^)

私自身は、「広い宇宙の中で知能が高い生物が住んでいるのは地球だけであるはずがない」という考えです。ですので、当然その沢山ある地球のような星から地球を訪れた人たちが沢山いると思っています。そして、そのような地球に来ることができる高等な知識、技術、武器を持った人たちが、昔の人たちに神として崇められたことも十分可能性があると思います。例えば、旧約聖書の神は「我はねたむ神である」というような言葉が書かれており、苫米地先生が「けっこう煩悩あるじゃん!」と発言されている通り、それは決して全知全能の神ではないように思います。

さて、この本でベリー西村氏は日本人のルーツについて下記のように書いています。
現住海洋民族:もともと日本に住んでいた民族。秦(はた)一族の侵攻により北海道、沖縄に追いやられる。
物部一族:支那大陸の秦(しん)の始皇帝が日本に送った徐福一行の子孫でシュメール血統(龍族の血統を引き継いでいる)。
藤原一族:ユダヤ十支族の子孫で、源氏となる。
蘇我一族:ペルシャ系弓月一族の子孫で、平氏となる。

もともと日本には①の海洋民族が住んでいましたが、紀元前230年頃、②の物部氏が日本に上陸し住み着きました。紀元前210年から120年にかけて(③藤原一族+④蘇我一族)である秦(はた)族が、九州に上陸したと言われています。(秦とは「かき集められた民」という意味でユダヤ十支族の末裔、ペルシャ系末裔、シュメール末裔(混血)の総称)

それでは、この本に書かれている日本のルーツをまとめてみます。
①16,000年前、現在のアイヌ、沖縄人の祖先が海洋民族として青森文明を創った。(太平山元遺跡)当時の日本の人口は15万人、地球全体でも700万人であった。
②そこに龍族という金星経由でやって来た地球外人が飛来し、海洋民族と遺伝的な交配が行われ青森文明を興した。龍族の宇宙船の想念波動を増幅するためには金(Gold)とピラミッドが必要だった。日本では、皆神山(長野県)、位山(岐阜県)、尖山(富山県)笠置山(岐阜県)、沖縄の伊是名島海底などを造る。沖縄の伊是名島海底の3つのピラミッドをプロトタイプとしてエジプトのピラミッドを作った。(約10,000~13,000年前)
③その後、青森を地震、津波が襲い7,000年前頃に飛騨高山を主として日本列島に散らばった。
④青森海人は、その地からシュメールに移動してシュメール文明を造った。
⑤5,000年前に火星、月経由で飛来した別の地球外人(蛇族)がエジプトに飛来し、龍族と対立した。蛇族の宇宙船は真空重力エネルギー磁場を利用していたので、ピラミッドは不要であった。クリスタル、ヘマタイトを求めて地球に飛来した。その後、蛇族はエジプトから追い出されカナンに移動し、その後大部分が離散した。
⑥ペルシャ、インド、キルギス、弓月国を経由したシュメール人の末裔の一人が秦(しん)の始皇帝となった。
紀元前230年頃、始皇帝は、徐福に命じて秦一族から血統の正しい者たち3,500人を選ばせて、龍族の「純血」を守るために日本に85隻の船で移住させた。本隊は三重に上陸。一部は佐賀、鹿児島、宮崎、丹後、四国、和歌山、能登、駿河に上陸し、その地で文化、技術、信仰、医薬、天文、稲作、鋳造技術などを広めた。
⑦秦帝国崩壊により、漢民族に弾圧を受けた軍人の秦(はた)一族60万人が約90年かけて結集し北九州に渡った。秦とは「かき集めた人々」という意味で、純血ではなく中東、西アジア、東南アジア、シベリア大陸の混血した民族が含まれる。
・秦混成軍によって、大量の鉄剣や鎧が日本に持ち込まれた。(当時の日本の人口は約20万人)
・紀元前120年頃、平和に暮らしていた龍族の純血民は銅剣で対抗したが、鉄剣には抵抗できず九州全土を制圧された。
・紀元前110年頃、ペルシャ系軍団が中国地方、四国地方へ侵攻を開始。その後、190年かけて四国の徳島に本拠地を置く。徳島を選んだ理由は「邪馬台(ヤマトゥ)国」に最も近く攻撃からも安全な場所だったからである
「ヤマトゥ国」は徐福末裔(物部純血一族)たちが治めていた
・物部一族はシュメール哲学をベースに北斗七星、シリウス思想を神社を通して日本で広めていた。アフラ・マズダー(アマテラス)の天使は「巫女」であり太陽神に仕えていた。全国の巫女から6名を選んで大巫女とし、大巫女6名は特別に「日巫女」という職位で呼ばれていた。それを秦混成軍は卑弥呼と蔑称した
・紀元前80年から最大の激戦である出雲戦争が始まり、その後60年続いた。秦混成軍は戦闘では出雲を攻略できなかったため、水源と食料に毒を混ぜる戦略で出雲国王は死亡。兵士、住民の半数が死亡した。これに失意した龍族王、龍族は地球から離れた。
⑧秦混成軍は疲弊し、兵力は5万人を割り、ヤマトゥ国との戦闘できる力は無かった。しかし、ヤマトゥ国も出雲に大量の兵士、食料を供給していたので同様に疲弊していた。
⑨支那では魏が滅亡して司馬一族(ユダヤ十支族系末裔)の晋が興り、それにより同族である秦混成軍に鉄剣が大量にもたらされてヤマトゥ国との武力バランスが崩れる。秦混成軍はヤマトゥ国に降伏を要求し、ヤマトゥ国は降伏条件を出し受け入れた。(これが日本神話にある「国譲り」)
「国譲り」の条件は、「物部一族の存続」、「新朝廷への参加」、「出雲大社の再建」。
⑨秦混成軍はヤマトゥ国を征服し、大和朝廷を成立させた。古事記、日本書紀編纂後、漢字のみを使用すると定めた。しかし、制定後200年以上の間、地方では、これまで使っていた神代文字を使用していた。その後、藤原一族は日本に存在する神代文字の書物はすべて焼き払った

いかがでしょうか。 なかなか面白いと思いませんか?
興味ある方にはお勧めの本です。

さらに詳しく知りたい方は、その2もご覧下さい。
『明治天皇はスサノオの末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む2』
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-10-02

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イスラエルの失われた10支族が日本に来ていた! 「この国の「深奥」の重大な歴史」 久保有政著 を読む [歴史の真実・陰謀論]

もう隠しようがない 日本人が知って検証していくべきこの国「深奥」の重大な歴史 ユダヤ人が唱えた《古代日本》ユダヤ人渡来説
今回は、日本人とユダヤ人との関係に関しての本です。

まず最初に断わっておきますが、さまざまな陰謀論で語られる「ユダヤ」は、いわゆる「フリーメンソン」のことで、これは人種的にも宗教的にもユダヤとは関係ありません。(詳しくは、「ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む」:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-05-29 をご覧ください。)
著者の久保氏は1955年兵庫県伊丹生れ、ユダヤ文化研家、古代史家で、日本とユダヤの関係の著書を多く書かれています。

日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人は同じ先祖を持つ)は、かなり昔から唱えられていますが、まあほとんどがトンデモ論の扱いだと思います。これが日本人=ユダヤ人という意味であればありえない話だと思いますが、この本で主張しているのは、
古代日本にイスラエル人(ユダヤ人)が渡来し、神道や天皇制、また日本人の特徴となる伝統文化などをもたらした」ということです。そして、その説が日本人だけでなく多くのユダヤ人からも唱えられています。この本は、そのユダヤ人たちの主張をまとめたものです。

この本でいう「ユダヤ人」は「古代イスラエル人」のことです。
かつて古代のイスラエル民族は、紀元前10世紀には12支族からなる統一王国をつくっていた。だが、そののち南北に分裂。「北王国イスラエル」には10支族がついたが、アッシリア帝国によって捕囚され[紀元前722年]、そののち世界に離散した。
一方、「南王国ユダ」の人々は、のちに「ユダヤ人」と呼ばれる人々であるが、バビロン帝国やローマ帝国によるエルサレム破壊などの憂き目を経験し、さらに約1900年間の世界への流浪を経験したのち、ついに1948年、祖国の地に「イスラエル共和国」を建国した。
彼ら南王国ユダの子孫=ユダヤ人は、同胞である「イスラエルの失われた10支族」を探し求めてきた。

この本では、5人のユダヤ人を紹介しています。
ラビ・マービン・トケイヤー(1936年~):東京広尾の日本ユダヤ教団のラビ(教師)
ヨセフ・アイデルバーグ(1916~1985年):イスラエル防衛軍士官。京都の護王神社の見習い神官となり日本の伝統を研究。7ヶ国語を話す。
ラビ・エリヤフ・アビハイル(1932~2015年):「イスラエルの失われた10支族」の調査、およびイスラエルへの帰還を支援する特務機関「アミシャーブ」の創設者。
アビグドール・シャハン(1933年~):教育者、文学者、歴史家。
エリ=エリヤフ・コーヘン(1949年~):ユダヤ教司祭の家に生まれる。元イスラエル大使。

⑤のエリヤフ・コーヘン氏は、このブログで紹介した「キリストの墓」にエルサレム・ストーン(石灰岩)を寄贈した方です。(「30年ぶりにキリストの墓を訪ねる」 http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15 参照)

これらの人たちは、日本に来て日本の神道や生活様式、考え方や神話の内容がユダヤ人のそれと驚くほどの類似性があると感じています。

●旧約聖書と古事記、日本書紀の内容の類似
●カタカナとヘブル語の表記の類似
●日本語と古代ヘブル語の類似(数多く提示されている)
●日本の神社とイスラエルの神殿の類似
・日本の御神輿(おみこし)とイスラエルの契約の箱が似ている。
・日本の神社は手水舎で禊をおこなうが、ユダヤ教でも死者や出血、汚れ、病気などを穢れたものとみなし、それらに触れた場合清めの行為が必要。
・日本の神社の神官の装束と古代イスラエルの祭司の服装が似ている。
・諏訪大社の御頭祭と聖書にあるモリヤにおいてアブラハムがイサクを神に捧げようとした話が酷似している。(諏訪大社の御神体は「守屋山(モリヤ山)」である)

ユダヤ人は、現在でも「イスラエルの失われた10支族」の調査を続けており、その多くはシルクロード沿い(アフガニスタン、パキスタン、中央アジア、北インド、ミヤンマー、中国)などで見つかっているそうです。そしてそのシルクロードの終着点である日本に到達したであろうことは間違いないと考えています。

その日本に来たユダヤ人は「弓月の民」=「秦氏」であろうと言われています。秦氏は京都の太秦に移住したと言われています。太秦には大辟神社(おおさけ神社、現在は大酒神社と書く)があり、大辟は、イスラエルの王ダビデの中国語表記と同じだそうです。

私は、30年以上前に恐らく(詳細は失念)ヨセフ・アイデルバーグ氏の本を読みましたが、「話としては面白いけど...。」という印象でした。しかし、今回の久保氏の本を読み、少なくとも古代において日本がユダヤ人の影響を受けていることは間違いないと思いました。

興味ある方にはお勧めの本です。

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日本とユダヤ 聖徳太子の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)神道のルーツとユダヤ 日本の神道と伝統的風習の起源は古代イスラエル人!神道の中のユダヤ文化 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)仏教の中のユダヤ文化―聖書から見た釈迦の教えと聖徳太子伝説 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)

本物の塩は美味しい! 「すごい塩」 白澤卓二著 を読む [健康]


長生きできて、料理もおいしい! すごい塩すごい塩―――長生きできて、料理もおいしい!
← Kindle版です。

今回は、塩の話です。

著者の白澤卓二先生の略歴です。 1958年神奈川県生まれ。千葉大学医学部卒業後、老化ゲノムバイオマーカーの研究を行う。順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。医学博士。
このブログでは、(「砂糖」をやめれば10歳若返る! 白澤卓二著 を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-03-31)を紹介しました。この本で、先生は「砂糖はソフトドラッグだ!」と主張されています。また、最近ではココナッツオイルを使ったダイエット法でよくTVにも出ていますね。また、以前このブログで紹介したジョコビッチの本に解説文を書かれています。

今年のGWに八幡平に行った時に、たまたま三陸「宮古の塩」を買ってきました。この塩が荒塩で、そのまま食べても美味しかったので、すっかりはまってしまいました。とは言え、塩はあまり摂ると体に悪いと思っていたのですが、前述のジョコビッチの本や「自分を変える最強の食事」に海塩を積極的に摂取していることが書いてあり、興味を持ちました。
そんな時、たまたま見たTVで九州の天草の昔ながらの製塩法で作っている塩の紹介をやっていたので、早速Webで注文しました。(「通詞島の釜炊き塩」) また、8月に北海道に行った時には、網走で「オホーツクの塩」を買ってきて、現在はこれを使っています。(下の写真)

ohotsuku.JPG特に「自分を変える最強の食事」では、著者は朝の起きぬけに水に溶かした小さじ1/2~1杯の海塩を摂ることで夜までのエネルギーを高くキープできている、と書かれています。私もさっそく試してみましたが、とてもいい感じです。ただし、これは通常の食塩でやってはダメです!。かならず「海塩」を使って下さい。

さて、食塩と海塩の違いはなんでしょうか?
日本では1971年まで伝統的な製法で塩が作られていましたが、1971から1972年にかけて塩を作るための施設が日本政府の方針で閉鎖になりました。これ以降、塩専売公社のみが塩を作り販売して良いことになり、塩と言えば、専売公社の作ったのはまったくミネラル分のない「精製塩」(純度99.9%)となりました。このNaClは、食品というよりは工業製品です。

海塩は、伝統的な塩田で天日干ししたり、平釜で海水を蒸発させたりして作ったもので、海水に含まれるマグネシウム、カリウム、カルシウム、ナトリウム、塩素、セレン、銅、亜鉛など必須ミネラルが含まれています。ミネラルの摂取はバランスが重要で、精製塩(食塩)だけを摂るとナトリウムとカリウムのバランスが崩れて高血圧などの病気の原因になります。

この本で白澤先生は、おすすめの海塩として「わじまの海塩」、「ひんぎゃの塩」を挙げています。いずれもマグネシウム、カルシウムが豊富だそうです。
私が試した、「宮古の塩」、「オホーツクの塩」、「通詞島の釜炊き塩」と比較してみましょう。

マグネシウム カルシウム
わじまの海塩 295mg 527mg
ひんぎゃの塩 2,000mg
宮古の塩 220mg 71mg
オホーツクの塩 600mg 510mg
通詞島の釜炊き塩 625mg 124mg
(いずれも100g当り)

このようなミネラル分を含んでいるため、なめてみると食塩の単なるしょっぱさではなく、まろやかでこくがあり、少し甘味を感じます。

「敵に塩を送る」という言葉があるように、塩は本来私たちが摂らなければ死んでしまうもので、過剰摂取はないそうです。海塩はマグネシウムを多く含むので、摂取しすぎると「えぐみ」を感じてそれ以上は食べたくなくなるし、仮にたくさん摂取したとしても水分さえきちんと摂っていれば余計な塩分は排出されるそうです。

白澤先生は、この本で一般に言われているような高血圧の原因など「塩が体に悪い」ことを裏付けるデータは1つもない、と書かれています。逆に、極端な減塩は体のだるさ、筋力、気力の低下、立ちくらみの原因になります。また塩が不足すると脳卒中、心筋梗塞などの病気の原因にもなるそうです。

先日、たまたま麻布十番を歩いていたら「塩屋」という塩専門のお店があり驚きました。(http://www.shop-ma-suya.jp/)中を覗いたら、日本中どころか世界中の塩を売っていました。それぞれの塩の味を確かめることもできるようです。私の使っている「オホーツクの塩」、「通詞島の釜炊き塩」も売っていました。お店の中を見て回るだけでも楽しめます。塩をトッピングするアイスクリームもイートインできるようです。
本物の塩を求める人が多いということですね。

健康に興味や心配がある人はぜひ読んで欲しい本です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
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能登わじまの海塩500g通詞島の釜炊き塩 400gオホーツクの塩 オホーツク海水100%青ヶ島の自然塩【ひんぎゃの塩】240g



「ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!」 福田一典著 を読む [健康]


ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!―今あるがんが消えていく『中鎖脂肪ケトン食』ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!← Kindle版です。


今回は、がんの治療に関する本です。

著者の福田一典氏は、1953年福岡県出身。熊本大学医学部を卒業後、米国バーモンド大学医学部生化学教室に留学し、がんの分子生物学的研究を行い、1992年から(株)ツムラ中央研究所研究部長(漢方薬理の研究)、1995年国立がんセンター研究所等を経て、2002年に銀座東京クリニックを開設し、がんの漢方治療と補完・代替医療を実践しています。

現在、1年間に70万人ががんと診断されていて、がんで死亡する人は35万人だそうです。つまりがんの治療率は5割を切っているそうです。一般にがんの治療の基本は小さい時に完全に切除することで、進行した状態ではがんの根治は困難と言われています。また、抗がん剤による治療は、正常細胞もダメージを受けるので健康な人でも耐えられないような副作用があることが問題となっています。

このブログでがんにはビタミンCが効くことを紹介しました。(「ビタミンCの大量摂取がカゼを防ぎ、がんに効く 生田哲著 を読む」http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03
この本は、そのビタミンCの効果をさらに上げる方法を紹介しています。

この本の主張は、「がん細胞はブドウ糖を絶てば死滅する」ということです。

がんの民間治療として絶食療法は昔から知られていたようです。これは食事を制限した時に、人間の体は生命維持のためのエネルギ―供給(脳や心臓など重要な臓器)を優先するため、がん細胞に栄養が行かなくなるというロジックのようです。このブログでも紹介した石原結實先生は、がんは長年の高脂肪食の食べ過ぎによる血液の汚れが原因と主張されていますので、この絶食による血液の浄化、がん治療の効果は確かにあるように感じます。

この本によると、がん細胞はエネルギーとしてブドウ糖しか利用できないそうで、ブドウ糖を制限するとがん細胞が死滅するということです。最近ダイエットでよく行われている「糖質制限」を行うことで、体内に代替エネルギーとして脂肪酸が分解してできる「ケトン体」が造られます。体内の正常細胞は「ケトン体」を利用できますが、がん細胞はケトン体をエネルギーとして使うことができないので、痩せ衰えて行くそうです

そして、がん細胞の唯一のエネルギー源であるブドウ糖と構造が似ているのが、ビタミンCです。糖質制限を行っている状況でビタミンCを大量(25~100g)を点滴する治療を行うことで、がん細胞がビタミンCをブドウ糖と間違えて取り込みビタミンCが発生する過酸化水素によって死滅することになり、ビタミンC療法の効果が上がると言われています。

【私が愛用している仙台勝山館のMCTオイルです】
仙台勝山館 MCTオイル 360g <ココナッツベース100%>
この糖質制限は、1920年代に米国メイヨークリニックで「ケトン食療法」が発案され、この時は、90%以上のカロリーを脂肪から摂取していたそうです。1960年代には、中鎖脂肪酸によってケトン体の再生効率が上がったため、脂肪摂取割合は50%に下がったそうです。中鎖脂肪酸は、以前紹介した(究極のダイエット - 脂肪を摂るとやせる!  シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-06-06)で書いたように、私もダイエットで利用しています。ココナッツオイルやMCTオイルを摂取することで、体内でケトン体を作ることができます。中鎖脂肪酸の良い所は、通常はブドウ糖が枯渇した時に生成されるケトン体がブドウ糖があっても生成されることです。(がん治療にはダメですが…。)
極端な糖質制限はいろいろな弊害もありますので、『シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」』では、必要な炭水化物も摂りつつ、ケトン体による脂肪燃焼効果を得るため、この中鎖脂肪酸を強力な武器としています。

しかし、このように昔から知られている有効で簡単ながん治療が、なぜ現在主流になっていないのでしょうか? やっぱり効果が無いんじゃない? とみなさん疑問に思うでしょうね。私もそう思いました。

いろいろな理由を考えてみましたが、やはり「医者や製薬会社が儲からないから」というのが大きな理由ではないでしょうか? 糖質制限、中鎖脂肪酸(ココナッツオイル、MCTオイル)、ビタミンCなどダイエットの延長でがんが治ってしまうと困る人たちが沢山いるのだと思います。(あくまでも私の意見ですので、ご自分で判断して下さい)

がんの多くは生活習慣病と言われています。健康的な食生活、日常生活を行うことで病気が治るというのは、至極当然ではないでしょうか?

この本の中には専門的な化学式が沢山出てきて読みにくい部分もありますが、健康に興味がある方にはお勧めの一冊です。

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