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足利の紅葉と蕎麦と豆かんを楽しむ (2016年) [関東]

北関東の紅葉を楽しみに足利まで来ましたが、ちょっと遅かったようです。(11月26日)
足利と言えば織姫神社ですね。この日は、朝からボランティアの方々がたくさん来て境内の清掃を行っていました。お疲れ様です。
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竜宮城を思わせる美しい神社です。
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さて、今回の目的の1つはこのお蕎麦屋さん「蕎遊庵」です。足利と言えば全国の一茶庵系お蕎麦屋さんの総本山、一茶庵本店で有名ですが、食べログの足利の蕎麦ランキングではこの蕎遊庵の方が上です。
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織姫神社は、山の上に位置しているので下から登る場合には229段の長い階段を登る必要があります。東北の塩竃神社も長い階段で有名ですが、同じくらいの段数があります。その階段の220段目くらいにこの蕎遊庵はあります。お店の前のこの階段を登るとすぐ境内です。
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お蕎麦屋さんの前の階段の下を見るときれいな紅葉が見えました。
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さて、開店の30分前に並び、何にしようかと悩みます。(^^) どれも美味しそうです。このお店、テーブル席が2卓しかありません(あとは座敷席)が、Topで入ったので座ることができました。
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結局、「さらしなの生一本(きいっぽん)」のざる(私)とかけ(妻)、「石臼手挽き蕎麦」(私)を頂きました。
以前書いたように更科蕎麦はあまり得意ではありませんが、このお店のさらしなは、超細切りですがきちんと腰があり、のど越しが良く美味しかったです。
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かけも少し頂きました。そうめんよりも細切りですが、薄味でこれもありだと思いました。
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ただ更科そばだけだとちょっと物足りません。この「石臼手挽き蕎麦」は北海道産のキタワセを使っているそうで、表面がざらついていて、若干太めで切り口が明確な私の好みのお蕎麦です。腰と弾力があり噛むほどに甘味を感じる本当に美味しいお蕎麦でした。食後のデザートとして、そばがきぜんざいにも惹かれましたが、何とか我慢しました。
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さて、織姫神社を後にして次は足利尊氏ゆかりの鑁阿寺(ばんなじ)です。
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ここは、樹齢550年と言われている大いちょうの大木で有名ですが、時期が遅かったので黄色い葉が落ちていました。
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ご覧のようにイチョウの周辺は黄色い絨毯で覆われていました。
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こんな光景は初めて見ました。感動です!
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紅葉には遅かったですが、これを見られただけでも大満足です!
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黄色い絨毯に赤い紅葉は合いますね。
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本格的にレフ板を使って着物の女性の撮影をしていました。
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大いちょうから差す日差しがきれいでした。
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鑁阿寺の楼門(山門)です。ここを出て、参道沿いにあるカフェ「あまからや」へ。
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このお店の豆かんを食べるのがこの日の2つ目の目的でした。 このためにそばがきぜんざいを我慢したのです。(^^) この豆かんは、豆そのものは甘くなくて、とても食べやすく、黒蜜とかんてんとの相性の抜群です。くせになる美味しさです。
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足利を後にして、車で50分くらいでお隣の群馬県の大田市の反町館跡に来ました。ここは、足利尊氏とともに鎌倉幕府を倒した忠臣新田義貞所縁の地です。足利尊氏、新田義貞ともに源義家の子孫で源氏の本流でしたが、最後は敵と味方に分かれてしまいました。
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反町館跡には反町薬師(照明寺)が建てられています。これは本堂です。
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本尊の薬師瑠璃光如来は秘仏で1月4日にだけ開帳されるそうです。
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弘法大師のお堂(大師堂)です。
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今回、足利の紅葉には遅かったですが、大いちょうの黄色い絨毯には感動しました。
お蕎麦も豆かんも美味しかったです!

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埼玉の東郷公園の紅葉は最高だ! (2016年) [関東]

11月20日(日)に埼玉県の飯能にある東郷公園に紅葉を見に行ってきました。
この公園は、川越から行くと秩父に向かう道の丁度中間地点に位置しています。車でだいたい1時間弱の距離です。この公園には、日露戦争の日本海海戦での大勝利で世界的に有名な東郷平八郎元帥と乃木大将の銅像があることで有名です。昨年も来ましたが、紅葉の色付きが悪くて残念でした。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-12-23

この日は川越は朝から濃霧で、一つ先の信号が見えなくなるぐらいひどい霧でしたが、山道に入るにしたがって霧が晴れてきました。東郷公園の周りにはまだ霧が残っています。
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駐車場から見えた紅葉です。この色付きを見ると今年は楽しめそうです。
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この公園は、秩父御嶽神社の中にあります。神社の鳥居の回りも赤く色づいています。
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朝の9時前なので日が低く、まだ少し霧が残っていたので面白い画となりました。
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日の光で透けた紅葉は真っ赤です。
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狛犬の横を登るとその先に東郷元帥の銅像があります。
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今年は、東郷元帥の周辺は紅葉で真っ赤です!
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昨年の色とはまったく違うきれいな紅葉です。
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その鮮やかさに目を奪われます。
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上を見上げるとこんな感じです。
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東郷元帥の斜め後ろから見るとこのような感じです。
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これは、逆方向の後ろから見ました。
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これは元帥の銅像の左横から見た景色です。(中央下に銅像が見えます)
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御嶽神社の社の横を通って乃木大将の銅像への道へ行きます。
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山道を下って行くと、乃木大将の銅像の裏手に出ます。乃木大将の周りも真っ赤です。
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天気が良かったので、日の光で透けてきれいでした。
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こちら側から見ると少し寂しいですね。(^^)
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銅像と逆の方向を見上げるとこんな紅葉が広がっています。
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こちらの方向もきれいです。
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今年の秋は朝の寒さが厳しかったので、紅葉の色付きが最高ですね!
前回の松島もこれまでで最高でしたが、今回の紅葉も素晴らしかったです。

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麻布十番で更科総本家の蕎麦を食する [関東]

最近、お蕎麦がマイブームで週に3日、4日くらいはお蕎麦を食べに行くようになっています。そんな訳で、今回はお蕎麦の話です。

都営地下鉄の駅ができた頃から仕事の関係で麻布十番によく行くようになりました。この麻布十番は、いわゆる高いお店が多いエリアですが、更科蕎麦の本店が3軒もあることでも有名です。

①総本家 更科堀井 本店
②麻布永坂 更科本店
③永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店


なぜ、この狭いエリア(一番遠い店の間でも徒歩5分程度の距離)で3店舗が本店を名乗って競っているかについてはさておき、(興味がある方はググってみて下さい)問題はお店の蕎麦の味です。食べ物のお店を調べるには、やはり「食べログ」が便利なので、その評価を見て見ますと評価の高い順に 、

①更級堀井:3.60
②更級本店:3.57
③布屋太兵衛:3.08


となっています。
参考までに長年麻布十番に住んでいた知人に聞いてみたのですが、やはり①の堀井が一番美味しいとのことでした。ちなみに、私は10年くらい前にその知人に連れられて更科堀井に連れて行ってもらった記憶はあるのですが、何を食べたのかも味も全く覚えていません。(笑)

更級蕎麦とは、蕎麦の実の中心部分だけを使った蕎麦で、真っ白な高級感のある蕎麦で御前蕎麦とも言われます。一般的には更級蕎麦は蕎麦の香りよりものど越しのなめらかさを楽しむものと言われています。麻布十番にあるお店はその更級蕎麦の総本家と言われています。

最近、仕事で連続して麻布十番の近くに行く用事があったので、三軒のお店のせいろ蕎麦を食べ比べてみました。更級蕎麦で有名なお店の味を語るのに普通のせいろの味で評価するのはおかしいではないかとのご指摘もあるかと思います。しかし蕎麦屋の基本はせいろだと思いますし、何よりも私自身は、蕎麦の甘皮を一緒に挽いた普通の蕎麦や田舎蕎麦の方が好きなので更級蕎麦があまり得意ではないことも大きな理由です。「だったら、更科以外の蕎麦屋にしろよ!」という突っ込みは無しでお願いします。(笑)

①総本家 更科堀井 本店
まずは、堀井のお蕎麦です。ここは、更科本店で一番評価が高いお店ですので、普通のせいろと更科蕎麦をそれぞれ1枚ずつ頂きました。せいろは「から汁」で頂きます。ここのお蕎麦は、私がこれまで食べた事のないような食感の蕎麦で、蕎麦の切り口の角をまったく感じない不思議なものでした。美味しいとは思いましたが正直に言うと高評価の理由が分かりませんでした。
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本家の更科蕎麦を食べてみれば自分の更科蕎麦に対する認識が変わるのでは、との期待もあり食べてみましたが、結論は変わりませんでした。確かに、のど越しは良いですが...。(^^) 更科蕎麦は青いとっくりの「あま汁」で頂きます。最初はその甘さに驚きますが、慣れてくると病み付きになります。
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②麻布永坂 更科本店
このお店は、地下鉄の麻布十番駅から大きな通りを挟んだ向かいにあり、他の店のあるブロックとは少し離れています。
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ここではせいろの大盛りを頂きましたが、ここのお蕎麦も切り口の角を感じない普通に美味しいお蕎麦という感じでした。確かに美味しいけど...。
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③永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店
最後は布屋太兵衛の総本店です。このお店は大宮のそごうに支店が入っているので、そこでは何度か食べていました。その感想は有名な更科のお店ではありますが、「まあ、こんなものか」と思って食べていました。
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このお店は普通のせいろでも「あま汁」と「から汁」の2種類が付くのが特徴です。
さて、この麻布十番の総本店のお蕎麦ですが、最初に口に入れた瞬間に大宮店の蕎麦とは風味がまったく違うことが明確に分かりました。「う~ん、これはうまい蕎麦だ。さすが総本店だ!」と一人事を言いながら満足して食べました。あま汁、から汁の味は大宮店と大差ないように感じました。
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さて、最終的な3店の私のお好みランキングは次の通りになりました。

③布屋太兵衛
②更級本店
①更級堀井


つまり、食べログの評価と全く逆の結果となりました。
まあ、これはあくまでも私のランキングですので他の人には参考にならないと思いますが...。
食べ物の好みは人それぞれ違いますからね!(^^)

食べログの蕎麦屋の口コミを見ると、料理を食べながら日本酒を飲み、最後の〆に蕎麦を食べるというような人が多いので、単に蕎麦の味だけで評価されているのではないようです。今回の麻布十番の3店も、場所がらもありそのようなお店の一つでしょうから、他の料理、お店の雰囲気、麻布十番という場所を含めた全体の評価なのだと思います。

今回、3つの更科のお店を食べてみて、仮にこのお店が自宅の近くにあったとして食べに行くかと考えると、一度は行くにしてもあまりリピートはないだろうなという感じです。だって、私の住んでいる埼玉県には、もっと私の好みに合うお美味しい蕎麦屋さんが沢山あるんですもの。(笑)

最近はどのお店も新そばを出す季節になりましたので、蕎麦を食べに行くのが楽しみです。

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松島の円通院の紅葉を楽しむ (2016年) [東北]

この時期は、東北の紅葉を楽しむことにしています。
今回はあまり歩けない家族が一緒だったので、平泉方面は断念して松島周辺の紅葉を楽しみました。
まずは、松島のフェリー乗り場のそばにある「観瀾亭」で松島の景色を楽しみました。観瀾亭の入り口は幹線道路沿いですが紅葉がきれいでした。
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フェリー乗り場はすぐ隣です。
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朝10時に行ったので、まだ太陽が低かったです。
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伊達政宗が秀吉から拝領した茶室を移築した建物とのことです。
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抹茶とおしるこを頂きながら松島の景色を楽しみました。
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最初は私たちだけでしたが、だんだんと人が増えてきました。
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御茶の後は、周囲の紅葉を楽しみました。
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この日のお昼は、塩竃の有名店「すし哲」のお寿司です。大皿に乗ったお寿司が美味しそうです。この店は、まぐろにコダワリがあります。
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さて、次は円通院の紅葉です。円通院に関しては、これまでもこのブログで紹介してきました。
・平泉、松島で紅葉を楽しむ(2015年)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-11-15
円通院はライトアップされた紅葉の美しさで有名ですが、今回は昼間に見てきました。タイミングが良かったのだと思いますが、本当に紅葉がきれいでした。入り口からでも真っ赤な紅葉を見る事ができました。
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円通院は、石庭がきれいです。
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この日は天気が良かったので紅葉の赤が眩しかったです。
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ここは、伊達藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭を移築したそうです。
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通路の紅葉もきれいでした。この日も人が多かったです。
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庭には丸窓があります。
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丸窓から向うを眺めると、こんな感じです。
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石庭と紅葉は合いますね。
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松島を出て、帰りに西行戻しの松公園から松島を眺めました。
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仙台駅の駅ビルのエスパルの地下にある「すてーきはうす伊勢屋」で仙台牛のステーキを頂きました。サーロインの200gです。やはり仙台牛は美味しいです。(^^)
他にも美味しいお店はたくさんあると思いますが、ホテルの近くでお店を選びました。
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今回はいつもより行動範囲が狭くなりましたが、昼間の円通院の紅葉など普段見たことがない景色を楽しむことができて最高でした!

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入間航空祭を楽しむ (2016年) [関東]

11月3日は、埼玉県入間基地の航空祭です。
昨年は、川越の自宅のベランダで撮影してストレスが溜まったことを書きました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-11-04) そんな訳で、今年は絶対に入間基地に行って近くで撮影するんだ! と意気込んでいました。しかし、Web上の情報を見ると会場の混み具合はハンバでないようなので、渋滞と人ごみが嫌いな私としては、気持ちがかなりグラグラと揺れました。

1.JPG前日になってXF100-400㎜レンズと×2 のエクステンダーを借りることができたので、「400㎜あれば近くに行かなくてもいいだろう」と考えて、入間基地から入間川を挟んだ川沿いにある柏原の公園で撮影することにしました。この辺りの運動公園は、子供達の少年団の試合で何度も通っていたのホーム感覚で撮影できます 。

しかし、結論から言うと今年もストレスが溜まる撮影でした...。

T-4機のオープニングフライトです。
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U-125という飛行点検機だそうです。
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この後、T-4機が続きます。やはり戦闘機は速いです。400㎜で撮影するとフレームに入れるのも難しいです。しかもAFの食い付きが悪いため、なかなかキレの良い画像が撮れません。(- -;
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C-1 輸送機です。中型戦術輸送機だそうですが、見た目はかなり大きく見えます。
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ここからはブルーインパルスの飛行です。T-4機の撮影で、自分には近距離でブルーインパスルを撮るのは無理だと悟り、昨年同様に自宅のベランダから撮ることにしました。撮影は、400mmに×2 のエクステンダーを付けて、800㎜ (35㎜換算 1,200mm) で行いました。
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終わり際に自宅の上を通ってくれました。
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この日は、天気は良かったのですが、微妙にモヤっていて、距離があるためどうしてもクリアな画像が得られませんでした。また、エクステンダーを付けると2絞り暗くなり開放でもF11になってしまうため、今回のようにシャッタースピードが必要な場合はISO感度が上がってしまう事もクリアな画像とならない原因でした。

さらにクリアな画像を得るには、やはり近距離で300㎜くらいのレンズで撮影するしかありませんね。
来年こそ、入間基地に行くしかない!(笑)

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軽井沢の紅葉を楽しむ (2016年) [旅行]

紅葉の季節になりましたので、軽井沢に行ってきました。

事前に軽井沢プリンスのスキー場が「紅葉営業」しているとの情報を得たので行ってきました。今年は明日30日までのようです。軽井沢駅のアウトレットモール側のスキー場のイーストの高速リフトを運行しています。一人1,800円です。高いと言えば高いですが、それだけの眺めを楽しめるかどうかですね。

リフトで頂上まで上りました。軽井沢駅と軽井沢の街が見えます。残念ながら左上の浅間山は雲がかかっていました。
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軽井沢駅とアウトレットモールが見えますね。
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これは軽井沢とは逆方向の眺めです。
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プリンスホテルの入り口の紅葉です。
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もうすでに結構落ち葉が多かったですね。
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軽井沢駅から旧軽井沢銀座に行く道の紅葉です。
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これは軽井沢銀座の終わりのクリークガーデン横の紅葉です。
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つるや旅館の向う側の紅葉が見事でした。
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ちょうど日が照ってきたので、赤と黄色が鮮やかでした!
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軽井沢銀座を散策し、紅葉をを見回って疲れたのでいつもの茜屋珈琲店でお茶をします。
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ここのコーヒーは高いですが、美味しいです。コーヒーとジャム付きチーズケーキがそれぞれ800円です! 高っ! でもここに来ると寄ってしまうんですよね。コーヒーを淹れているのを見ていると、お湯を注ぐとコーヒーが山のように膨らみます。それは自分の家でコーヒーを淹れる時には見た事もないくらいの膨らみでしたので、「どうしてこんなに膨らむんですか?」とお店の人に聞いたことがあります。その時の答えは、「いいコーヒー豆を使っていますから...」とのことでした。なるほどという感じです。
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店内はこんな感じでカップが整然と並べられています。
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軽井沢と言えば、聖パウロカトリック教会ですね。ここもアジアの人たちの声がたくさん聞こえます。
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旧軽井沢銀座のアートショップで藤田嗣治展をやっていました。リトグラフが20~30万円くらいで販売していました。欲しいけど、ちょっと高い。(笑)
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イチョウの黄色もきれいでした。ここでも沢山の人が集まっていて撮影会でした。
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今年は昨年よりも寒い日が多かったので、紅葉がきれいでしたよ。
いよいよ紅葉の季節が始まりますね。

【過去の記事です】
【川越祭りに関してはこちらもどうぞ】
・ハロウィンの軽井沢を楽しむ(2015年)
・今日は軽井沢も暑かった! 久しぶりの旧軽を3Dカメラで楽しむ。

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フジのX-Pro2が1位に! 「日本カメラ9月号」全機!大撮りくらべ大会 [写真]


日本カメラ 2016年 09 月号


UPするのが遅くなってしまいましたが、「日本カメラ9月号」の記事です。

現行レンズ交換式カメラ全機種実写比較 全機!大撮りくらべ大会」という大企画です。
キヤノン、ニコン、ペンタックス、ソニー、富士フイルム、シグマ、オリンパス、パナソニック、コダックの現在販売されている合計60機種を一度に評価するという大変な企画です。60台もあると、同時撮影を駆使しても1カット撮影するだけでも2時間以上かかったそうです。機材総重量30kg、総額1,000万円超えと書いてあります。(^^)

評価内容は以下のような項目です。
01:仕上がりの色・ホワイトバランス・AE(撮って出しのJPEG画像をみる)
02:高感度画質(ISO6400の描写を比較)
03:暗所でのAF(薄暗いシーンでAF性能を比べる)
04:連写時の動体追従AF(選抜 動きモノ撮影対決)
05:解像感(高画素機・最新技術の頂上決戦)
そして評価結果ですが、ちょっとビックリです。私の使っている3年前に買った富士フイルムのX-E2が5位に入っているのには椅子からズリ落ちそうになりました。(笑)
まあ、画質の評価は「撮って出し」ですので、レタッチ前提のニコン、キヤノンの一眼レフ機種は納得いかないと思いますが、レタッチは人によって画質が変わり一律の評価ができないのでしょうがないですね。
【結果】
1位:富士フイルム X-Pro2
2位:ニコンD750
3位:富士フイルム X-T1
4位:ニコン D5
5位:富士フイルム X-E2
6位:キヤノン EOS-1DX MarkⅡ
7位:キヤノン EOS 5Ds
8位:ニコン D810
9位:キヤノン EOS 5Ds R
10位:キヤノン EOS 6D
<評価者>(敬称略)
カメラマン:伊藤亮介、宇佐美健、落合憲弘、曽根原昇
編集部:大谷、志村、佐々木
評価項目毎に、風景撮影では、EOS Mシリーズが上位に来たり、高感度画質はキヤノンのフルサイズ機が上位を独占、連写時のAF追従ではニコン機種が上位独占とそれぞれの得意項目があるようです。富士の機種はそれぞれの項目でまんべんなく高い得点を得たようです。

個人的には、富士のカメラが上位に来るのは違和感がありませんが、ソニーのカメラが一台もベスト10に入っていないのには驚きました。画作りの方向がカメラマン達の好みと合わなかったのかも知れませんね。

詳細に興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

カメラ雑誌に関しては、以下もご覧下さい。
「編集権の独立って? 最近のカメラ雑誌を見て感じたこと」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-04-13
「これからはミラーレス一眼の時代か? 家電批評 「一眼カメラの選び方がわかる本」 を読む」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-05-06-1

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夜の川越祭りを楽しむ (2016年) [関東]

さて、10月のこの時期と言えば「川越祭り」です!
川越祭りに関しては、このブログでも何度も紹介しているので、細かい説明は書きません。
写真で雰囲気を味わって下さい。

【2016.10.19 追記】
川越祭りの公式発表です。2日間で約100万人が訪れたようです。

平成28年川越まつり 観光客数をお知らせします。
15(土)=508,000人
16(日)=477,000人
合計=985,000人

お祭直前まで、耐震工事のため覆いを被っていましたが、お祭に合わせてきれいな姿を見せてくれました。
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暗くなる前、午後5時頃の蔵の街です。人でいっぱいです。
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だんだん暗くなってきました。山車の提灯にもあかりが灯っています。
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夜の川越祭りを撮るために、「そばきり悠々庵」で新そばを頂いて時間をつぶします。川越祭りの時でも、この辺りのお店はそれほど混んではいませんでした。
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入り口には、浮世絵と陶器が飾られています。
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今の時期だと夏蕎麦の新そばだと思いますが、風味があり美味しゅうございました。
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午後6時を過ぎて暗くなり夜の川越祭りになっています。
山車が向かい合って囃し合いが始まりました。蔵の街の道は人でいっぱいで動けなくなります。
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西武線の本川越駅前に二つの山車があり、すごい人でした。
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今年は、このお面を付けている人が目に付きました。お祭の雰囲気にピッタリです。
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【過去の記事です】
【川越祭りに関してはこちらもどうぞ】
・NHKの朝ドラ「つばさ」で有名になった『川越祭り』を見る (2010年)
・3Dカメラで川越祭りを撮る!(2010年)
・2012年 今年も川越祭り! 市制90周年記念で29台の山車が勢ぞろい
・今年も川越祭りを見る! (2014年)
・今年も川越祭りを楽しむ (2015年)
このブログの目次です。
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明治天皇はスサノオの末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む2 [歴史の真実・陰謀論]


天皇奠都と日本純血統人の使命_京都鞍馬寺・五月満月祭と天皇家の秘密

ベリー西村氏については、『「マレーシア航空370便」 米中軍事ケシュ技術争奪戦の生贄 ベリー西村著を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21)で紹介しましたように、「Ω様」と呼んでいる神様?から20年に渡って教えてを受けてきたそうです。その中から日本の起源と今後日本がなすべきことを書いたのがこの本です。

ベリー西村氏は、もともと予知夢の研究を行っていたそうで、2013年に出した著書で、「東京および数か所の都市が北朝鮮が同時に発射した30発の核ミサイルで破壊され、本人も死ぬ」という予知夢を見たと書いています。2013年当時はあまり現実味がありませんでしたが、最近の北朝鮮の動き(ミサイルの2発同時発射など)を見ているとだんだんとリアリティを感じています。これは絶対に実現して欲しくない話です。

前回書いた内容の日本人の起源のポイントを読んでいない人のためにもう一度書きます。
くわしくは、(『日本人は龍族の末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む1』: http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-09-22)をお読みください。

★16,000年前、金星経由で地球にやって来た龍族が、青森に住んでいた海洋民族と遺伝的な交配を行いました。その龍族の血を引いた人たちは、その後シュメールに移動してシュメール文明を興しました。そのシュメール文明が他の文明の起源となりました。

当時の日本人のルーツは、以下の通りです。
現住海洋民族:もともと日本に住んでいた民族で秦(はた)一族の侵攻により北海道、沖縄に追いやられた。
物部一族:支那大陸の秦(しん)の始皇帝が日本に送った徐福一行の子孫でシュメール血統(龍族の血統を引き継いでいる)。
藤原一族:ユダヤ十支族の子孫で、源氏となる。
蘇我一族:ペルシャ系弓月一族の子孫で、平氏となる。
その後、物部一族が統治していた近畿地方にあったヤマトゥ国(邪馬台国)を九州から侵攻してきた秦(はた)一族(藤原一族+蘇我一族)が攻め、出雲戦争の結果秦一族に国譲りを行い、大和朝廷となりました。国譲りの条件として物部一族も朝廷に参加することになり、出雲大社を再建させました。

●天皇の皇統に関して
・秦(はた)一族は、藤原一族(ユダヤ十支族系)が宇佐八幡宮を建立したことで、蘇我一族(ペルシャ系)と対立することになりました。飛鳥時代は藤原十支族系、蘇我ペルシャ系、物部純血統の三つ巴の乱世となります。

*592年:蘇我馬子(ペルシャ系)が崇峻天皇(十支族系)を殺害。
*645年:中大兄皇子(天智天皇:十支族系)が蘇我入鹿(ペルシャ系)を殺害。
*671年:大海人皇子(天武天皇:物部純血統)が天智天皇(十支族系)を暗殺。
*686年:持統天皇(十支族系)が大津皇子(物部純血統)を殺害。

天智天皇の血を引く持統天皇が無理やり自分の孫に皇位を譲って天智天皇の皇統を守ったのは、物部純血統に行ってしまった皇位を藤原十支族系に戻すためだったのです。
天武天皇の死後、権力を握った藤原一族は、720年に日本書紀、728年に古事記を編纂し、焚書を行い貴重な過去の資料をすべて焼き払いました。

その後は、源平の争いとなりますが、
平家:ペルシャ系。
源氏:藤原十支族系で、平氏を滅ぼした後は、足利家まで続く。
織田信長:平家、ペルシャ系
豊臣秀吉:?(記載なし)
徳川家康:藤原十支族系で、江戸時代は天皇も藤原十支族系
明治維新:天皇は、物部純血統に戻ったが、偽ユダヤであるイルミナティが日本に侵入し、現在まで日本全土を支配している。イルミナティに囲まれた東京の皇居(江戸城)に物部純血統末裔が住んでいるのが今の状況。封印された魔法陣に囚われているようなもの。
この状況を打破するには、天皇が京都へ戻られること(「奠都」(てんと))が重要。それがトリガーとなってスサノオ(龍族王)が地球に再臨することになる、とのことです。

以上の説明で明治天皇が東京に遷都された時に埼玉県大宮にある氷川神社を重視して、武蔵国の鎮守勅祭の社として定めて何度も行幸された理由がわかりました。明治帝は物部純血統でスサノオの血を引いていたので、スサノオを祭神としている氷川神社の総本社である大宮氷川神社を最重視されたということだと思います。(スサノオは龍族の王)

●伊勢神宮について
伊勢神宮は、日本の最高神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られている神社です。日本に「○○神宮」と呼ばれる神社はいくつかありますが、単に神宮と言えばこの伊勢神宮のことを言います。

さて、その日本の祖先神を祀った伊勢神宮ですが、その子孫であるはずの天皇は、神武天皇以来だれも参拝しておらず、明治天皇になってようやく参拝されました。これはあまり知られていないことですが、大きな謎だと思います。
また、称徳天皇が弓削道鏡に皇位を譲ろうとした時に起きた「宇佐八幡宮神託事件」で天皇は、勅使(和気清麻呂)を近くにある伊勢神宮ではなく、遠い九州にある宇佐八幡宮まで送っています。これまでの通説では皇位の継承に関する重要な事柄に関して、なぜ祖先神を祀る伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮に行ったのか理由が全く説明できていません

この本でΩ様は以下のように述べ明治天皇が参拝した理由を明確にしています。
伊勢神宮は、大和朝廷の神を祭った神社ではなく、大和朝廷が滅ぼした大国主命、龍族、スサノオの祟りを鎮めるために建立されたものであるため、十支族末裔の天皇は参拝することができなかった
明治天皇は大国主、龍族、スサノオの血を引いた物部純血末裔なので参拝することができた。(明治維新で血統が変わった)
・アマテラス=アフラ・マズダーは本来男神であったが、記紀を編纂した時代が持統天皇の時代だったので女神に改ざんした。

●諏訪大社について
以前、『イスラエルの失われた10支族が日本に来ていた! 「この国の「深奥」の重大な歴史」 久保有政著 を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-09-18)で諏訪大社の御頭祭と旧約聖書の記述との類似について書きましたが、その理由も書かれています。
・約7,000年前、青森文明が地震と津波で破壊され、龍族が飛騨高山を中心とした拠点を作りました。彼らは諏訪の地にシュメール思想(旧約聖のもとになった思想)通りの世界を造り、その噂がユダヤ系民族に伝わり諏訪の地の人口が増えていきました。
この情報は現在の中国、韓国にも伝わり、龍族エイリアンの血統、DNAを持つ人々、すべてが日本に渡ってきた。これが中国、韓国にYAP(-) 遺伝子を持つ民族が一人もいなくなった理由じゃ。龍族に選ばれた民が、すべて日本に集まっている、それが日本なのじゃぞ。

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諏訪大社の上社前宮にある十間楼(写真)は、ソロモン宮殿の幕屋(礼拝堂)と同じ様式、大きさ、方位で建築されているそうです。また、有名な「御柱祭」もソロモン神殿に使用する柱をレバノンからエルサレムに運んだ行事がもとになったそうです。



【2016.10.17追記】
●青森県にある「キリストの墓」について
このブログで紹介した青森県新郷村の「キリストの墓」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15)ですが、Ω様はバッサリと切り捨てています。(^^)
戸来村の六芒星は1935年、竹内巨麿が「竹内文書」を持って戸来村を訪れ、村や近隣の人達に一大センセーションを巻き起こした。その後村人は「村興し」の一つとしてキリストの墓という表示支柱に六芒星を追加したのじゃ。村人は無調査、または理解不足だったのか、キリストとキリストを殺した偽ユダヤのマークを一緒に表示してしまったのじゃ
言われてみれば...。(笑) 確かに、キリストを殺したユダヤのマークである六芒星がキリストの墓にあるはずがないですね。村人が後になって付けたというのが実情なのでしょう。

日本の歴史に興味がある方にはぜひ読んで欲しいお勧めの一冊です。

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2018年成就・イルミナティの悲願__英国誌「エコノミスト」予言の解読に成功!神との対話集夢研究者と神_神が語った睡眠・宇宙・時間の秘密洗脳―あなたが集団催眠から脱却する本です未来はすべて決定していた!_神様から教わった時間の秘密絶対入眠法_睡眠環境や精神状態に関係なく確実に眠ることができます神覚 _The Eighth Sense 〈第八感 〉_人に頼らず、ご自身で神様と対話してみませんかSTAP細胞は存在していた!_ 発覚!強奪されていた小保方晴子・世紀の大発見小保方晴子手記「あの日」への若山照彦の説明責任__日本人だけが知らないSTAP細胞、世界の現状

今年も曼珠沙華の季節に (2016年) [関東]

今年も曼珠沙華の季節になりました。
9月18日と25日に行ってきました。今年は9月に入ってから台風が多くて雨ばかりでした。18日は、雨は降っていなかったものの朝から曇りで、まだ3分咲きでした。25日は、晴れ間が見えて、遅咲きの方も含めてほぼ見頃の状態でした。
2日間とも朝6時に川越を出て、6時半頃に巾着田に着きました。道は渋滞していませんでしたが、駐車場は半分くらいは埋まっていました。8時過ぎに帰りましたが、すでに駐車場は一杯で道は大渋滞でした。

●9月18日です。まだ3分咲きで花はまばらでした。
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まだつぼみの状態の花が多かったです。
DSCF5778.JPG
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●こちらから9月25日の撮影です。この日は晴れていて暑いくらいでした。
朝7時なのでまだ太陽が低いですね。
DSCF5891.JPG
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ずっと雨が降っていたので、花びらに雨粒が残っています。
DSCF5994.JPG
ここからフィルムシミュレーションを「VELVIA」 ⇒ 「ASTIA」 に変えてみました。花の色がずいぶんと変わりますね。
DSCF6021.JPG
DSCF6025.JPG











































8時くらいにはもう、日差しが高くなり暑くなってきました。
DSCF6038.JPG
ここからまた「VELVIA」に戻しました。
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こんなに沢山の曼珠沙華が咲いていますが、1,2本で咲いている花を探してしまいます。(笑)
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DSCF6081.JPG











































白い曼珠沙華は数が少ないので、みなさん撮影していました。
DSCF6084.JPG
川沿いの紅葉です。紅葉時期がたのしみですね。
DSCF6080.JPG
駐車場のそばにコスモス畑が広がっています。
DSCF5870.JPG

遅咲きの方はあともう少し楽しめそうですね。
車で行かれる方は、少し遅れると渋滞が始まりますので、とにかく7時過ぎには着けるように来た方が良いと思います。

【過去の記事です】
・100万本の曼珠沙華を見に高麗の巾着田に行く (2012年)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08 )
・500万本の曼珠沙華を見に高麗川の巾着田に行く (2014年)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-09-22 )
・500万本の曼珠沙華を見に行く (2014年) その2)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-09-27 )
近くの高麗神社については、こちらをどうぞ。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-11-08

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日本人は龍族の末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む1 [歴史の真実・陰謀論]


天皇奠都と日本純血統人の使命_京都鞍馬寺・五月満月祭と天皇家の秘密

ベリー西村氏については、『「マレーシア航空370便」 米中軍事ケシュ技術争奪戦の生贄 ベリー西村著を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21)で紹介しましたように、「Ω様」と呼んでいる神様?から20年に渡って教えてを受けてきたそうです。その中から日本の起源と今後日本がなすべきことを書いたのがこの本です。


ベリー西村氏は、もともと予知夢の研究を行っていたそうで、2013年に出した著書で、「東京および数か所の都市が北朝鮮が同時に発射した30発の核ミサイルで破壊され、本人も死ぬ」という予知夢を見たと書いています。2013年当時はあまり現実味がありませんでしたが、最近の北朝鮮の動き(ミサイルの2発同時発射など)を見ているとだんだんとリアリティを感じています。これは絶対に実現して欲しくないです。

さて、この本のポイントを書くと、「日本人は16,000年前に金星経由で地球に来た龍族の血統を受け継いだ民族である」ということです。ですので、そのような話に興味が無い方は以下は読まない方が良いと思います。(^^)

私自身は、「広い宇宙の中で知能が高い生物が住んでいるのは地球だけであるはずがない」という考えです。ですので、当然その沢山ある地球のような星から地球を訪れた人たちが沢山いると思っています。そして、そのような地球に来ることができる高等な知識、技術、武器を持った人たちが、昔の人たちに神として崇められたことも十分可能性があると思います。例えば、旧約聖書の神は「我はねたむ神である」というような言葉が書かれており、苫米地先生が「けっこう煩悩あるじゃん!」と発言されている通り、それは決して全知全能の神ではないように思います。

さて、この本でベリー西村氏は日本人のルーツについて下記のように書いています。
現住海洋民族:もともと日本に住んでいた民族。秦(はた)一族の侵攻により北海道、沖縄に追いやられる。
物部一族:支那大陸の秦(しん)の始皇帝が日本に送った徐福一行の子孫でシュメール血統(龍族の血統を引き継いでいる)。
藤原一族:ユダヤ十支族の子孫で、源氏となる。
蘇我一族:ペルシャ系弓月一族の子孫で、平氏となる。

もともと日本には①の海洋民族が住んでいましたが、紀元前230年頃、②の物部氏が日本に上陸し住み着きました。紀元前210年から120年にかけて(③藤原一族+④蘇我一族)である秦(はた)族が、九州に上陸したと言われています。(秦とは「かき集められた民」という意味でユダヤ十支族の末裔、ペルシャ系末裔、シュメール末裔(混血)の総称)

それでは、この本に書かれている日本のルーツをまとめてみます。
①16,000年前、現在のアイヌ、沖縄人の祖先が海洋民族として青森文明を創った。(太平山元遺跡)当時の日本の人口は15万人、地球全体でも700万人であった。
②そこに龍族という金星経由でやって来た地球外人が飛来し、海洋民族と遺伝的な交配が行われ青森文明を興した。龍族の宇宙船の想念波動を増幅するためには金(Gold)とピラミッドが必要だった。日本では、皆神山(長野県)、位山(岐阜県)、尖山(富山県)笠置山(岐阜県)、沖縄の伊是名島海底などを造る。沖縄の伊是名島海底の3つのピラミッドをプロトタイプとしてエジプトのピラミッドを作った。(約10,000~13,000年前)
③その後、青森を地震、津波が襲い7,000年前頃に飛騨高山を主として日本列島に散らばった。
④青森海人は、その地からシュメールに移動してシュメール文明を造った。
⑤5,000年前に火星、月経由で飛来した別の地球外人(蛇族)がエジプトに飛来し、龍族と対立した。蛇族の宇宙船は真空重力エネルギー磁場を利用していたので、ピラミッドは不要であった。クリスタル、ヘマタイトを求めて地球に飛来した。その後、蛇族はエジプトから追い出されカナンに移動し、その後大部分が離散した。
⑥ペルシャ、インド、キルギス、弓月国を経由したシュメール人の末裔の一人が秦(しん)の始皇帝となった。
紀元前230年頃、始皇帝は、徐福に命じて秦一族から血統の正しい者たち3,500人を選ばせて、龍族の「純血」を守るために日本に85隻の船で移住させた。本隊は三重に上陸。一部は佐賀、鹿児島、宮崎、丹後、四国、和歌山、能登、駿河に上陸し、その地で文化、技術、信仰、医薬、天文、稲作、鋳造技術などを広めた。
⑦秦帝国崩壊により、漢民族に弾圧を受けた軍人の秦(はた)一族60万人が約90年かけて結集し北九州に渡った。秦とは「かき集めた人々」という意味で、純血ではなく中東、西アジア、東南アジア、シベリア大陸の混血した民族が含まれる。
・秦混成軍によって、大量の鉄剣や鎧が日本に持ち込まれた。(当時の日本の人口は約20万人)
・紀元前120年頃、平和に暮らしていた龍族の純血民は銅剣で対抗したが、鉄剣には抵抗できず九州全土を制圧された。
・紀元前110年頃、ペルシャ系軍団が中国地方、四国地方へ侵攻を開始。その後、190年かけて四国の徳島に本拠地を置く。徳島を選んだ理由は「邪馬台(ヤマトゥ)国」に最も近く攻撃からも安全な場所だったからである
「ヤマトゥ国」は徐福末裔(物部純血一族)たちが治めていた
・物部一族はシュメール哲学をベースに北斗七星、シリウス思想を神社を通して日本で広めていた。アフラ・マズダー(アマテラス)の天使は「巫女」であり太陽神に仕えていた。全国の巫女から6名を選んで大巫女とし、大巫女6名は特別に「日巫女」という職位で呼ばれていた。それを秦混成軍は卑弥呼と蔑称した
・紀元前80年から最大の激戦である出雲戦争が始まり、その後60年続いた。秦混成軍は戦闘では出雲を攻略できなかったため、水源と食料に毒を混ぜる戦略で出雲国王は死亡。兵士、住民の半数が死亡した。これに失意した龍族王、龍族は地球から離れた。
⑧秦混成軍は疲弊し、兵力は5万人を割り、ヤマトゥ国との戦闘できる力は無かった。しかし、ヤマトゥ国も出雲に大量の兵士、食料を供給していたので同様に疲弊していた。
⑨支那では魏が滅亡して司馬一族(ユダヤ十支族系末裔)の晋が興り、それにより同族である秦混成軍に鉄剣が大量にもたらされてヤマトゥ国との武力バランスが崩れる。秦混成軍はヤマトゥ国に降伏を要求し、ヤマトゥ国は降伏条件を出し受け入れた。(これが日本神話にある「国譲り」)
「国譲り」の条件は、「物部一族の存続」、「新朝廷への参加」、「出雲大社の再建」。
⑨秦混成軍はヤマトゥ国を征服し、大和朝廷を成立させた。古事記、日本書紀編纂後、漢字のみを使用すると定めた。しかし、制定後200年以上の間、地方では、これまで使っていた神代文字を使用していた。その後、藤原一族は日本に存在する神代文字の書物はすべて焼き払った

いかがでしょうか。 なかなか面白いと思いませんか?
興味ある方にはお勧めの本です。

さらに詳しく知りたい方は、その2もご覧下さい。
『明治天皇はスサノオの末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む2』
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-10-02

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イスラエルの失われた10支族が日本に来ていた! 「この国の「深奥」の重大な歴史」 久保有政著 を読む [歴史の真実・陰謀論]

もう隠しようがない 日本人が知って検証していくべきこの国「深奥」の重大な歴史 ユダヤ人が唱えた《古代日本》ユダヤ人渡来説
今回は、日本人とユダヤ人との関係に関しての本です。

まず最初に断わっておきますが、さまざまな陰謀論で語られる「ユダヤ」は、いわゆる「フリーメンソン」のことで、これは人種的にも宗教的にもユダヤとは関係ありません。(詳しくは、「ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む」:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-05-29 をご覧ください。)
著者の久保氏は1955年兵庫県伊丹生れ、ユダヤ文化研家、古代史家で、日本とユダヤの関係の著書を多く書かれています。

日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人は同じ先祖を持つ)は、かなり昔から唱えられていますが、まあほとんどがトンデモ論の扱いだと思います。これが日本人=ユダヤ人という意味であればありえない話だと思いますが、この本で主張しているのは、
古代日本にイスラエル人(ユダヤ人)が渡来し、神道や天皇制、また日本人の特徴となる伝統文化などをもたらした」ということです。そして、その説が日本人だけでなく多くのユダヤ人からも唱えられています。この本は、そのユダヤ人たちの主張をまとめたものです。

この本でいう「ユダヤ人」は「古代イスラエル人」のことです。
かつて古代のイスラエル民族は、紀元前10世紀には12支族からなる統一王国をつくっていた。だが、そののち南北に分裂。「北王国イスラエル」には10支族がついたが、アッシリア帝国によって捕囚され[紀元前722年]、そののち世界に離散した。
一方、「南王国ユダ」の人々は、のちに「ユダヤ人」と呼ばれる人々であるが、バビロン帝国やローマ帝国によるエルサレム破壊などの憂き目を経験し、さらに約1900年間の世界への流浪を経験したのち、ついに1948年、祖国の地に「イスラエル共和国」を建国した。
彼ら南王国ユダの子孫=ユダヤ人は、同胞である「イスラエルの失われた10支族」を探し求めてきた。

この本では、5人のユダヤ人を紹介しています。
ラビ・マービン・トケイヤー(1936年~):東京広尾の日本ユダヤ教団のラビ(教師)
ヨセフ・アイデルバーグ(1916~1985年):イスラエル防衛軍士官。京都の護王神社の見習い神官となり日本の伝統を研究。7ヶ国語を話す。
ラビ・エリヤフ・アビハイル(1932~2015年):「イスラエルの失われた10支族」の調査、およびイスラエルへの帰還を支援する特務機関「アミシャーブ」の創設者。
アビグドール・シャハン(1933年~):教育者、文学者、歴史家。
エリ=エリヤフ・コーヘン(1949年~):ユダヤ教司祭の家に生まれる。元イスラエル大使。

⑤のエリヤフ・コーヘン氏は、このブログで紹介した「キリストの墓」にエルサレム・ストーン(石灰岩)を寄贈した方です。(「30年ぶりにキリストの墓を訪ねる」 http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15 参照)

これらの人たちは、日本に来て日本の神道や生活様式、考え方や神話の内容がユダヤ人のそれと驚くほどの類似性があると感じています。

●旧約聖書と古事記、日本書紀の内容の類似
●カタカナとヘブル語の表記の類似
●日本語と古代ヘブル語の類似(数多く提示されている)
●日本の神社とイスラエルの神殿の類似
・日本の御神輿(おみこし)とイスラエルの契約の箱が似ている。
・日本の神社は手水舎で禊をおこなうが、ユダヤ教でも死者や出血、汚れ、病気などを穢れたものとみなし、それらに触れた場合清めの行為が必要。
・日本の神社の神官の装束と古代イスラエルの祭司の服装が似ている。
・諏訪大社の御頭祭と聖書にあるモリヤにおいてアブラハムがイサクを神に捧げようとした話が酷似している。(諏訪大社の御神体は「守屋山(モリヤ山)」である)

ユダヤ人は、現在でも「イスラエルの失われた10支族」の調査を続けており、その多くはシルクロード沿い(アフガニスタン、パキスタン、中央アジア、北インド、ミヤンマー、中国)などで見つかっているそうです。そしてそのシルクロードの終着点である日本に到達したであろうことは間違いないと考えています。

その日本に来たユダヤ人は「弓月の民」=「秦氏」であろうと言われています。秦氏は京都の太秦に移住したと言われています。太秦には大辟神社(おおさけ神社、現在は大酒神社と書く)があり、大辟は、イスラエルの王ダビデの中国語表記と同じだそうです。

私は、30年以上前に恐らく(詳細は失念)ヨセフ・アイデルバーグ氏の本を読みましたが、「話としては面白いけど...。」という印象でした。しかし、今回の久保氏の本を読み、少なくとも古代において日本がユダヤ人の影響を受けていることは間違いないと思いました。

興味ある方にはお勧めの本です。

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日本とユダヤ 聖徳太子の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)神道のルーツとユダヤ 日本の神道と伝統的風習の起源は古代イスラエル人!神道の中のユダヤ文化 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)仏教の中のユダヤ文化―聖書から見た釈迦の教えと聖徳太子伝説 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)

本物の塩は美味しい! 「すごい塩」 白澤卓二著 を読む [健康]


長生きできて、料理もおいしい! すごい塩すごい塩―――長生きできて、料理もおいしい!
← Kindle版です。

今回は、塩の話です。

著者の白澤卓二先生の略歴です。 1958年神奈川県生まれ。千葉大学医学部卒業後、老化ゲノムバイオマーカーの研究を行う。順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。医学博士。
このブログでは、(「砂糖」をやめれば10歳若返る! 白澤卓二著 を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-03-31)を紹介しました。この本で、先生は「砂糖はソフトドラッグだ!」と主張されています。また、最近ではココナッツオイルを使ったダイエット法でよくTVにも出ていますね。また、以前このブログで紹介したジョコビッチの本に解説文を書かれています。

今年のGWに八幡平に行った時に、たまたま三陸「宮古の塩」を買ってきました。この塩が荒塩で、そのまま食べても美味しかったので、すっかりはまってしまいました。とは言え、塩はあまり摂ると体に悪いと思っていたのですが、前述のジョコビッチの本や「自分を変える最強の食事」に海塩を積極的に摂取していることが書いてあり、興味を持ちました。
そんな時、たまたま見たTVで九州の天草の昔ながらの製塩法で作っている塩の紹介をやっていたので、早速Webで注文しました。(「通詞島の釜炊き塩」) また、8月に北海道に行った時には、網走で「オホーツクの塩」を買ってきて、現在はこれを使っています。(下の写真)

ohotsuku.JPG特に「自分を変える最強の食事」では、著者は朝の起きぬけに水に溶かした小さじ1/2~1杯の海塩を摂ることで夜までのエネルギーを高くキープできている、と書かれています。私もさっそく試してみましたが、とてもいい感じです。ただし、これは通常の食塩でやってはダメです!。かならず「海塩」を使って下さい。

さて、食塩と海塩の違いはなんでしょうか?
日本では1971年まで伝統的な製法で塩が作られていましたが、1971から1972年にかけて塩を作るための施設が日本政府の方針で閉鎖になりました。これ以降、塩専売公社のみが塩を作り販売して良いことになり、塩と言えば、専売公社の作ったのはまったくミネラル分のない「精製塩」(純度99.9%)となりました。このNaClは、食品というよりは工業製品です。

海塩は、伝統的な塩田で天日干ししたり、平釜で海水を蒸発させたりして作ったもので、海水に含まれるマグネシウム、カリウム、カルシウム、ナトリウム、塩素、セレン、銅、亜鉛など必須ミネラルが含まれています。ミネラルの摂取はバランスが重要で、精製塩(食塩)だけを摂るとナトリウムとカリウムのバランスが崩れて高血圧などの病気の原因になります。

この本で白澤先生は、おすすめの海塩として「わじまの海塩」、「ひんぎゃの塩」を挙げています。いずれもマグネシウム、カルシウムが豊富だそうです。
私が試した、「宮古の塩」、「オホーツクの塩」、「通詞島の釜炊き塩」と比較してみましょう。

マグネシウム カルシウム
わじまの海塩 295mg 527mg
ひんぎゃの塩 2,000mg
宮古の塩 220mg 71mg
オホーツクの塩 600mg 510mg
通詞島の釜炊き塩 625mg 124mg
(いずれも100g当り)

このようなミネラル分を含んでいるため、なめてみると食塩の単なるしょっぱさではなく、まろやかでこくがあり、少し甘味を感じます。

「敵に塩を送る」という言葉があるように、塩は本来私たちが摂らなければ死んでしまうもので、過剰摂取はないそうです。海塩はマグネシウムを多く含むので、摂取しすぎると「えぐみ」を感じてそれ以上は食べたくなくなるし、仮にたくさん摂取したとしても水分さえきちんと摂っていれば余計な塩分は排出されるそうです。

白澤先生は、この本で一般に言われているような高血圧の原因など「塩が体に悪い」ことを裏付けるデータは1つもない、と書かれています。逆に、極端な減塩は体のだるさ、筋力、気力の低下、立ちくらみの原因になります。また塩が不足すると脳卒中、心筋梗塞などの病気の原因にもなるそうです。

先日、たまたま麻布十番を歩いていたら「塩屋」という塩専門のお店があり驚きました。(http://www.shop-ma-suya.jp/)中を覗いたら、日本中どころか世界中の塩を売っていました。それぞれの塩の味を確かめることもできるようです。私の使っている「オホーツクの塩」、「通詞島の釜炊き塩」も売っていました。お店の中を見て回るだけでも楽しめます。塩をトッピングするアイスクリームもイートインできるようです。
本物の塩を求める人が多いということですね。

健康に興味や心配がある人はぜひ読んで欲しい本です。

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能登わじまの海塩500g通詞島の釜炊き塩 400gオホーツクの塩 オホーツク海水100%青ヶ島の自然塩【ひんぎゃの塩】240g



「ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!」 福田一典著 を読む [健康]


ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!―今あるがんが消えていく『中鎖脂肪ケトン食』ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!← Kindle版です。


今回は、がんの治療に関する本です。

著者の福田一典氏は、1953年福岡県出身。熊本大学医学部を卒業後、米国バーモンド大学医学部生化学教室に留学し、がんの分子生物学的研究を行い、1992年から(株)ツムラ中央研究所研究部長(漢方薬理の研究)、1995年国立がんセンター研究所等を経て、2002年に銀座東京クリニックを開設し、がんの漢方治療と補完・代替医療を実践しています。

現在、1年間に70万人ががんと診断されていて、がんで死亡する人は35万人だそうです。つまりがんの治療率は5割を切っているそうです。一般にがんの治療の基本は小さい時に完全に切除することで、進行した状態ではがんの根治は困難と言われています。また、抗がん剤による治療は、正常細胞もダメージを受けるので健康な人でも耐えられないような副作用があることが問題となっています。

このブログでがんにはビタミンCが効くことを紹介しました。(「ビタミンCの大量摂取がカゼを防ぎ、がんに効く 生田哲著 を読む」http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03
この本は、そのビタミンCの効果をさらに上げる方法を紹介しています。

この本の主張は、「がん細胞はブドウ糖を絶てば死滅する」ということです。

がんの民間治療として絶食療法は昔から知られていたようです。これは食事を制限した時に、人間の体は生命維持のためのエネルギ―供給(脳や心臓など重要な臓器)を優先するため、がん細胞に栄養が行かなくなるというロジックのようです。このブログでも紹介した石原結實先生は、がんは長年の高脂肪食の食べ過ぎによる血液の汚れが原因と主張されていますので、この絶食による血液の浄化、がん治療の効果は確かにあるように感じます。

この本によると、がん細胞はエネルギーとしてブドウ糖しか利用できないそうで、ブドウ糖を制限するとがん細胞が死滅するということです。最近ダイエットでよく行われている「糖質制限」を行うことで、体内に代替エネルギーとして脂肪酸が分解してできる「ケトン体」が造られます。体内の正常細胞は「ケトン体」を利用できますが、がん細胞はケトン体をエネルギーとして使うことができないので、痩せ衰えて行くそうです

そして、がん細胞の唯一のエネルギー源であるブドウ糖と構造が似ているのが、ビタミンCです。糖質制限を行っている状況でビタミンCを大量(25~100g)を点滴する治療を行うことで、がん細胞がビタミンCをブドウ糖と間違えて取り込みビタミンCが発生する過酸化水素によって死滅することになり、ビタミンC療法の効果が上がると言われています。

【私が愛用している仙台勝山館のMCTオイルです】
仙台勝山館 MCTオイル 360g <ココナッツベース100%>
この糖質制限は、1920年代に米国メイヨークリニックで「ケトン食療法」が発案され、この時は、90%以上のカロリーを脂肪から摂取していたそうです。1960年代には、中鎖脂肪酸によってケトン体の再生効率が上がったため、脂肪摂取割合は50%に下がったそうです。中鎖脂肪酸は、以前紹介した(究極のダイエット - 脂肪を摂るとやせる!  シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-06-06)で書いたように、私もダイエットで利用しています。ココナッツオイルやMCTオイルを摂取することで、体内でケトン体を作ることができます。中鎖脂肪酸の良い所は、通常はブドウ糖が枯渇した時に生成されるケトン体がブドウ糖があっても生成されることです。(がん治療にはダメですが…。)
極端な糖質制限はいろいろな弊害もありますので、『シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」』では、必要な炭水化物も摂りつつ、ケトン体による脂肪燃焼効果を得るため、この中鎖脂肪酸を強力な武器としています。

しかし、このように昔から知られている有効で簡単ながん治療が、なぜ現在主流になっていないのでしょうか? やっぱり効果が無いんじゃない? とみなさん疑問に思うでしょうね。私もそう思いました。

いろいろな理由を考えてみましたが、やはり「医者や製薬会社が儲からないから」というのが大きな理由ではないでしょうか? 糖質制限、中鎖脂肪酸(ココナッツオイル、MCTオイル)、ビタミンCなどダイエットの延長でがんが治ってしまうと困る人たちが沢山いるのだと思います。(あくまでも私の意見ですので、ご自分で判断して下さい)

がんの多くは生活習慣病と言われています。健康的な食生活、日常生活を行うことで病気が治るというのは、至極当然ではないでしょうか?

この本の中には専門的な化学式が沢山出てきて読みにくい部分もありますが、健康に興味がある方にはお勧めの一冊です。

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やせる! 若返る! ケトン体食事法がんに効く食事 がんを悪くする食事医療大麻の真実  マリファナは難病を治す特効薬だった!恐怖 有毒ミネラルにあなたは殺される!―ガン専門医が、業界の圧力に屈せず、「緊急告発」 (危険警告Books)決定版!抗がんサプリメントの正しい選び方、使い方


夏の北海道 女満別 - 知床 - トドワラ - 美幌峠 (2016年) [北海道]

さて、今年の夏も北海道に行ってきました。
今回は、天気が今一つで残念でした。釧路にも行ったのですが、その日は土砂降りの雨で釧路湿原の写真を撮ることができませんでした。(- -;

関東地方ではもう見られないアジサイがきれいに咲いていました。
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お決まりの女満別のメルヘンの丘です。曇っていて残念でした。
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網走にある「オホーツク海に一番近い駅」、北浜駅に行ってきました。
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壁一面に訪問した人たちの名刺や切符が貼られています。天井にはどうやって張ったのでしょうね。(笑)
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駅舎は喫茶店になっており、ランチを食べました。カレーが美味しそうでしたが、せっかく北海道に来たので大好きな「いも餅」にしました。普通のお餅に見えますが、箸で簡単に切れるほど柔らかくて美味しかったです。
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右に見えるオホーツク海に沿って線路が延びています。見えているのは網走方面です。
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世界遺産の知床のウトロの手前にあるオシンコシンの滝です。水量が多くて迫力がありました。
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この日の目的である、「純の番屋」です。北見の実家からおよそ150Kmの距離です。
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ウニ、いくら、カニの三色丼を頂きました。とても美味しかったですが、ウニをもう少し食べたかったのでウニ、いくら丼にすべきでしたね。(^^)
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カキとホタテも合わせて食べました。こちらもとっても美味でした。
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店内は、こんな感じです。この店、最初にカウンターの所に行って店員のおばさんに注文するのですが、このおばさんすごいです! 後から来たお客さんがシンガポールから来たことが分かるとメニューの説明がすぐに日本語から英語に切り替わりました。恐るべし! お客さんの半分くらいはアジア系の方でしたね。
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帰りは中標津の方を通って帰りました。せっかくなので「地球が丸く見える」開陽台に行ってきました。久しぶりにきましたが、本当に地平線が丸く見えます。
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遠くには国後島も見えました。
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野付半島にも寄りました。カメラのバッテリーを充電し忘れて、この一枚しか撮れませんでした。せっかく来たのに痛恨のミスです。これは「トドワラ」ではなく「ナラワラ」です。
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途中でキタキツネに遭遇。それほど痩せてなくてきれいな狐でした。
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さて、私にとっては必須の「美幌峠」です。今回は、新たな武器「XF10-24㎜ F4」を持ってきたので、何とか頂上から屈斜路湖の全景を撮影することができました。美幌峠を全部撮影するには、35㎜換算で15㎜の画角が必要ということですね。雲が低く、湖面にきれいに映っていました。
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35㎜換算の35㎜で撮るとこの画角になります。
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私は、このクマザサに覆われたなだらかな風景が大好きです。
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こちらは和琴半島から屈斜路の湖面を見たものです。雲の低さが分かると思います。
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女満別空港です。周辺は麦畑です。時間のない方は、女満別空港周辺を一周するだけでもこのような道東の風景を満喫することができますよ。
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冒頭にも書きましたが、今回は雨が多くて天気の良い日があまりなかったのが残念でした。
まあ、また行きますから次に期待しましょう。

北海道旅行に関しては、
・夏の北海道 - 1 (流氷館 - 能取岬 - 美幌峠)(2015年)
・夏の北海道 - 2(摩周湖 - ちゃちゃワールド)(2015年)
・今年の北海道の夏は暑かった!(1) 旭川(雪の美術館) - 美瑛(青い池) 富良野 (2014年)
・今年の北海道の夏は暑かった! (2) 北見- 能取岬- 阿寒湖 オンネトー (2014年)
・3年ぶりの道東の旅 美幌峠 摩周湖 神の子池(2010年) 

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羽田から北海道へ (2016年) [関東]

今年も北海道に帰省してきました。羽田は天気が良くて暑かったです。

羽田空港第二ターミナルのレストランの席でモーニングを食べながら撮影できました。
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第二ターミナルなのでANA機が多いです。
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30分だけ展望デッキで離陸を撮影しました。
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搭乗した飛行機から撮影しました。
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上空からみたディズニーランドです。右側がディズニーランドで、左側がディズニーシ―です。
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東京の上空は厚い雲で覆われていました。
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北海道の女満別空港付近です。左側に見えるのが女満別湖(網走湖)です。
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女満別周辺の風景です。
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女満別から羽田に帰る時の着陸寸前に撮影しました。離陸待ちをしている飛行機ですね。
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東京はやはり暑いです。夏の雲がすごかったです。
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今回は、行きも帰りも窓際に座れたので景色を楽しむことができました。

北海道旅行に関しては、
・夏の北海道 - 1 (流氷館 - 能取岬 - 美幌峠)(2015年)
・夏の北海道 - 2(摩周湖 - ちゃちゃワールド)(2015年)
・今年の北海道の夏は暑かった!(1) 旭川(雪の美術館) - 美瑛(青い池) 富良野 (2014年)
・今年の北海道の夏は暑かった! (2) 北見- 能取岬- 阿寒湖 オンネトー (2014年)
・3年ぶりの道東の旅 美幌峠 摩周湖 神の子池(2010年) 

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大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。

今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

力道山との確執
以前、このブログで梶原一騎先生の「男の星座」を紹介しました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04) 最近はKindle版で読めるようになりました。この作品で、梶原先生を取り巻く、太陽である力道山、月である大山倍達を軸に話が進んでいきます。
本篇は、昭和29年12月22日の東京蔵前国技館の力道山VS木村政彦の”プロレス巌流島の決闘”から始まります。ご存じのように力道山の裏切りによって木村が敗北した試合の後、力道山に喧嘩を売った大山倍達が登場します。この辺はおなじみのシーンですね。前半は、この力道山と大山倍達との交流を中心に描かれています。みなさんすでにご存じのように、この二人とも朝鮮半島から渡って来たという過去を持ちます。しかし、この「男の星座」では、力道山の過去は明らかにしていますが、大山倍達の過去に関しては描かれていません。この辺りは、まだ大山氏に対する遠慮があったのかも知れませんね。(上記ブログより)
いろいろな経緯があり喧嘩別れで極真会を離れた梶原先生も真樹先生も大山倍達が韓国出身だということに関しては一言も触れていません。これは、お二人の大山館長に対する最大限の配慮があったのだと思います。
一九五四年七月特別号の『オール讀物』(文藝春秋)において力道山と大山倍達の対談が行なわれた。「サムライ日本」というタイトル通りに、二人は終始日本人として振る舞い、最後まで朝鮮・韓国の話題に触れることはなかった。
この対談は、何かの特集で読んだ覚えがあります。この対談が後に二人が決定的に対立するきっかけになりました。この二人は、同じ半島出身ということで、以前から面識があったようです。二人とも半島出身であることを隠していたことは共通していますが、その徹底度合いがまったく違ったようです。力道山は、朝鮮訛りを徹底的に排除しましたが、大山倍達は五十年以上日本に住んでいたにもかかわらず韓国訛りの日本語を話していました。
しかし、力道山は大山とまったく正反対だった。彼は自らの出自の漏洩を避けることに神経を尖らせ続けた。その異常さゆえに、後年の力道山は精神的な病に冒されるほどだったと言われている。また、そんな彼の意識が自らの死期を早めた遠因であると語る関係者は少なくない。

その二人が冒頭に挙げた力道山と木村政彦との一戦の後に大山倍達が激怒し、力道山に挑戦状を叩きつけ、周囲の人たちに制止されると、その後力道山と一対一の勝負を付けるためにつけ狙ったことが大山倍達の本に書かれています。力道山対木村戦の時、大山倍達が力道山に挑戦したのは、力士出身の格闘技評論家である小島貞二氏の著書に書かれているので、本当だと思っていましたが、その後も力道山を付け狙ったというのは大山氏の本とそれをベースにした梶原先生の「空手バカ一代」に書かれているだけなので、正直言って疑っていました。しかし、本当の話だったようです。
その後も、大山は小島貞二や門茂男が言うように力道山を付け狙い続けた。一九五〇年代頃から大山と親交があり、町井久之のもとで活動していた秋元明は次のように証言する。「大山さんが力道山に挑戦状を突き付けて何度も試合を迫ったのは本当です。大山さんはマスコミの人たちに力道山と戦いたいと吹聴して回りました。それで、この話が大事になってしまったのです。
ただし、「空手バカ一代」を読むと兄と慕っていた木村政彦が力道山にやられたので、その仇打ちという意味付けで描かれていますが、実際の理由は異なるようです。前述の雑誌『オール讀物』での対談での腕相撲が原因とのことです。
すると大山さんの怒りはまだ収まっていないようで、『力道は絶対に許せん』と言い張るので驚きました。大山さんが言うには、ある雑誌の対談で力道山と会ったが、余興として最後に腕相撲をすることになったそうです。互いの立場を立てて引き分けにしようと申し合わせていたのに、記者が写真のシャッターを切る瞬間、突然力道山が猛烈な力を入れて大山さんは負けてしまいました。
つまり、兄と慕う木村政彦の仇打ちではなく、自分のメンツのために挑戦したというのが本当のようです。木村戦も大山倍達との腕相撲の話にしても、力道山があらかじめ決めていた約束を破って自分が勝つという汚いやり方をしたので、大山倍達が「力道山は許せん」となったということのようです。
それに対して周囲の人たちは、どう思っていたかと言うと、
正直、民団関係者のほとんどが実際に二人が戦えば確実に大山さんが勝つし、力道山はプロレスラーとして活動が出来なくなってしまうと信じていました。ただ、そうなると今度はプロレスを興行するヤクザ関係者まで巻き込んでしまいます。ヤクザと揉める方が問題だと小浪さんが言い出して、そこで小浪さんと町井先生と曺(寧柱)先生の間で相談し、何とかして二人を仲直りさせなければならないということになったのです(秋元明)
結局、大山倍達と力道山とのトラブルは、力道山の興行を仕切っている日本のヤクザと朝鮮の建青・民団などの抗争につながる可能性があったため、曺寧柱と町井久之が両者の間に入って必死に和解させたようです。力道山と木村政彦の世紀の一戦において力道山が裏切って勝利した時も木村の後援をしていた暴力団員が力道山をつけ狙ったそうですから、巨額のお金が動くプロの興行というのは複雑なものです。
ちなみに力道山は、ヤクザに対しては常に低姿勢だったそうです。
力道山はヤクザに対していつも低姿勢で媚びるようなところがありました。町井先生に対しても同様でした。
最強のステゴロと言われた花形敬の映画『疵』で「「力道山も恐れた男」として語り継がれる伝説の都会派ヤクザ」と宣伝されていましたが、力道山は花形に限らずヤクザに対しては低姿勢だったようですね。

②学歴詐称の件
大山倍達は、拓殖大学と早稲田大学に通ったことになっています。
大山が拓殖大学に入学したことを疑う人はほとんどいないが、早稲田大学への入学については大山特有の大言であると一笑に付す関係者は多い。
しかし実際には、拓大入学が嘘で早稲田大学への入学は事実だったそうです。普通に考えれば逆だろ? と思いますが、大山館長は武道家としては早稲田大学よりも木村政彦の通っていた拓殖大学の方がふさわしいと考えていたのかも知れません。

③佐藤栄作元首相との関係
大山館長の初期の頃の本を読むと佐藤栄作元首相の写真が出ていたので、子ども心にどのようなつながりがあるのか不思議に思っていました。大山館長は、毛利松平氏の紹介で佐藤大臣のボディーガードをやっていたそうです。
一九六一年、池田勇人内閣で通産大臣を務めた佐藤は念願の首相の座に向けて積極的な活動を開始する。その際、大山は佐藤のボディガードを務めたと言われている。「毛利松平氏の紹介だったということですが、大山さんは一九六〇年代初期、佐藤栄作氏のボディガードをやっていました。それは間違いありません。それで、当時のお金で五百万円以上を極真会のビル建設資金としてもらったと聞いています」(鄭達鉉談)

④真樹先生の『大山倍達との日々』への対策に関して
このブログでも紹介した真樹先生の『大山倍達との日々』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-03-20) に対して、やはり大山館長は激怒していたようです。館長は、小島氏に真樹先生の本に対する反論の本を書かせようと考えていたようですが、小島氏は固辞しました。
「真樹の本に私自身が反論するのは大人気ない。だから、これは私以外の人間が書いた形にしなければならない。そこで小島にその本を書いて欲しいんだ」
私には大山の申し出を受ける気持ちは最初からなかった。私が著者となる書籍で、たとえ大山とはいえ他人の意向に則った幇間のようなものは書きたくなかったからだ。しばらく考えるふりをした後、私は婉曲に断った。大山の再三の要請にも私は首を縦に振らなかった。大山は怒りながらも最後には諦めた様子で、「私の命令を正面から断ったのは芦原(英幸)と小島だけだよ」とこぼし、「それじゃあ、他に誰か書き手はいないかね?」と訊いてきた。
この時、小島氏は郷田勇三氏を推薦したそうですが、結局は当時館長の秘書業務を行っていた北海道支部長の高木先生が書かされることになったようです。

大山倍達、極真会館に興味がある方には必読の書だと思います。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

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芦原英幸正伝大山倍達の遺言極真空手 黒沢浩樹-最後の超人伝説芦原英幸伝 我が父、その魂芦原英幸正伝格闘家に告ぐ!実戦格闘技論
最強格闘技論(リアルバトロジー)

大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
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今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

私のように昭和30年代に生れた男たちは、梶原一騎先生原作の「空手バカ一代」に多大な影響を受けてきました。そして、私を含めて多くの人たちは大山倍達にあこがれて、極真会館に入門して空手を学んだと思います。私にとって大山倍達は神のような存在でした。現在では、内容の多くの部分が梶原先生の創作によるものだということが通説になっていますが、その当時は考えもしませんでした。

そして、中学生になると漫画だけではなく、大山倍達に関する本をかたっぱしから読んでさらに大山館長へのあこがれを強くしていきました。しかし大山館長の本を読んで行くうちに子ども心にもいくつかの疑問が湧いてきました。それは、「なぜ本によってこんなに文体が異なるんだろう?」ということです。これは、今考えると何人かのゴーストライターが書いているのだから当り前なのですが、その当時の中学生には理解できないことでした。(真樹日佐夫先生も何作か書いていました)

その他にも気になった(違和感を感じた)点がいくつかありました。
①大山館長は石原莞爾の主催する東亜連盟に加わっていると本に書いてあること。空手と関係があるのだろうか?
②「日本人たるものかくあるべし」とか「日本男児として云々」ということが必要以上に強調されていること。おそらく大山館長はそれほど日本を、日本人を愛しているのだろう...。

この2点に関しては、その後ずっと気になっていましたが、今回紹介する本を読んでようやく納得できました。大山館長の伝説はほとんど梶原先生が創作したような言われ方をしていますが、それがまったく間違いであることが分かります。
大山倍達の人生を辿った私たちの「旅」は、ある意味で巷間に知られる「大山倍達伝説」の反証の連続だった。「伝説」のなかで描かれる大山倍達の姿は、ほとんどが「虚像」だったのである。
 大山は一九五〇年代初頭から、メディアを利用することで「空手家・大山倍達」の偶像化を試み始めた。同時に、大山は自らの手によって、現在も語り継がれている「大山倍達伝説」を創作した

大山倍達は、日本統治時代の朝鮮(現韓国)で生れた「崔永宜」であり、厳格な親に反発して勘当されて日本に渡り「空手家・大山倍達」として大成します。大山館長が韓国人であることは、もうすでに周知の事実であると思いますが、その半生を朝鮮の民族運動にささげていたことはこの本で初めて明らかになりました。そしてその民族運動に関わったのは、大山氏の師匠である曺寧柱の影響でした。
大山倍達を語るとき、避けることの出来ない存在が曺寧柱であることはいまさら言うまでもない。だが、「大山倍達伝説」関連の視点で捉える曺の姿は、多分に「空手家」としてのイメージが強い。しかし、曺の真の姿は「空手家」としてより、むしろ「民族運動家」にこそある。

そして、曺寧柱は、「五族協栄」「民族協和」による民主的な国家運営をするという石原莞爾の思想に影響を受け、熱心な信奉者となります。石原は戦後地元の酒田で病気の療養をしていましたが、GHQにより呼び出されて酒田法廷で証言をします。この時に石原を乗せたリヤカーを引いていた若者の一人が大山倍達であったこと初めて知りました。
しかし、大山倍達には曺寧柱のような思想はありませんでした。
大山には決して民族主義者のような思想もなく、朝連と対決しなければならないイデオロギーもなかった。ただ戦うことに酔っていた。一度に何人を倒せるのか、どの技が敵を倒すために有効なのか……。それだけが大山を朝連との抗争に駆り立てた唯一の理由だった

その当時、在日朝鮮人の民族団体は、共産主義革命を主張し政治的色合いの濃い「在日朝鮮人連盟(朝連)」と民主主義の立場から朝鮮人自身の手で朝鮮建国を目指す「在日朝鮮建国促進青年同盟(建青)」および「在日本朝鮮居留民団(民団)」が対立していて激しい抗争を繰り返していました。
朝連と建青・民団はことあるごとに衝突した。それは「殲滅戦」と言ってもいいほど、徹底した暴力による抗争だった。双方数百人におよぶ激闘に発展することもしばしばで、棍棒や刃物などの携帯は当たり前、ときには拳銃やライフルなどの銃器さえ使われた。もちろん抗争による死傷者は続出し、それは現在、私たちが映画などで観る「暴力団同士の抗争」を遥かに凌ぐ過激さだった。そんな抗争劇が数年間続いたのである。

そのような状況の中、建青のメンバーとして、建青を守るという大義名分を得た大山氏は戦闘隊長としてボクシングや空手を使って自ら抗争に明け暮れ、朝連を相手に戦うこと自体に喜びを感じていました。
前日、MPの出動によって攻撃を阻止された朝連は、建青の完全な殲滅を画策し、百五十名にもおよぶ青年隊を送り込んだ。大山たち応援隊がきたとはいえ、対する建青は朝連の三分の一に満たない五十名程度で応戦することを余儀なくされた。(中略)
大山は意気揚々と朝連青年隊に対峙した。ボクシング、空手で鍛え上げた大山の強さを知らない青年隊は、一斉に大山に殴りかかってきた。なかには棍棒や鉄パイプを持った者たちもいた。ところが、大山は相手の攻撃をものともせず、次から次へと朝連青年隊を殴り倒していった。大山にはもはや武器も通じなかった。この乱闘事件で、大山は数十名の朝連の青年隊員に重傷を負わせることになる。

この時、大山氏は同じ在日朝鮮人である東声会の町井久之と一緒に戦い、その後も交流を持っていました。大山倍達伝説の一つの「戦後ヤクザの用心棒をしていた」という話がありますが、当時は朝鮮人と日本人ヤクザとは敵対していたため、日本のヤクザの用心棒をする可能性は低く、これは町井との関係のことを言っているようです。
朝連との抗争で、町井一派と大山さんが一緒に出ていくと、それだけで朝連は総崩れでした。戦う前に相手は怯んでしまうんです。朝連にとっては大山さんと町井さんの二人が目の上のタンコブだったんです。大山さんと町井さんが朝連の本部に乗り込んでいって、道場破りのように朝連の看板を持ち帰ってきたこともあったくらいです」(鄭達鉉談)

大東亜戦争中は、日本人に同化し、日本人として一緒に戦っていた朝鮮人ですが、終戦後は戦勝国でも敗戦国でもない第三国人として無法の限りを尽くしました。
終戦当時、集団で大手を振る朝鮮人と正面からわたり合えたのは日本人ヤクザや愚連隊だけだった。後に日本最大の広域暴力団・山口組三代目組長となる田岡一雄は、『山口組三代目 田岡一雄自伝〈電撃篇〉』(徳間書店)のなかで次のように記している。《現在ではとうてい考えられぬことであるが、当時はそれほど警察は三国人に対して無力だったのである。三国人の暴虐非道に対して身を挺して楯となり、防波堤となったのは全国のやくざであった。(中略)われわれが率先して治安を守らなければならぬ時代だったのだ》
大山が渡日してから死去するまでの五十数年間のうち、最も「朝鮮人」「韓国人」らしく生きていた時代だ。同時に、自らを日本人として描いた「大山倍達伝説」においては、何よりも隠蔽したい時代でもある。また、皮肉にもこの時代があったからこそ「大山倍達伝説」は生まれたとも言える。何故なら、大山にとっての民族運動は「空手修行」と直結していたからだ。

このような時代に、大山倍達は朝連との抗争という大義名分を得、生き生きと自らの強さを追求していたのです。

まだまだ書きたい内容がありますので次に書きます。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

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大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



前回の満洲事変から日本は、中国大陸での関東軍の軍事行動が続き、盧溝橋事件をきっかけとして支那事変の泥沼に引きずり込まれてしまいます。その原因ですが、今回は結論から書きましょう。
断言します。大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿とその側近たちです彼らが中華民国との泥沼の戦いに日本を引きずり込み、それだけでは飽き足らずに対米開戦を仕組んだのです。(下線は引用者、以下も同様)

それでは、近衛文麿の経歴と功績を書いてみましょう。
◆皇別摂家(近衛家・一条家・鷹司家)の出身。(つまり天皇家の血筋)
◆45歳で首相になり、治安維持法違反の共産党員や二・二六事件の逮捕・服役者を大赦しようと主張し、周囲を驚愕させた。
◆盧溝橋事件で、戦線の拡大を渋る参謀本部に圧力をかけて強硬路線を進め支那事変を拡大させた
◆「支那事変中は発動しない」と約束して国家総動員法を公布し、一ヶ月後に施行した。
日独伊三国同盟を締結して大政翼賛会を発足させた。
◆近衛の側近である尾崎秀実がゾルゲ事件(ソ連のスパイのゾルゲに情報を流していた)で捕り総辞職した。

これを見ると、私たちが教科書で戦前の昭和の歴史の中で習う重要フレーズは、ほとんど近衛文麿がやっていたことが分かります。そして、近衛は日米関係修復の選択肢がほとんどない状況で東條英機にバトンタッチします。そのため、大東亜戦争の戦争責任はイメージ的には東條英機がほとんど一人で引き受けている状況です。東條さんとしても、恨んでも恨みきれないでしょうね。
ハリウッド映画「終戦のエンペラー」(2013年)で、GHQの担当者が東條英機に対して天皇の戦争責任について「3名の証人が必要だ」という要求に対して、ただ一人近衛文麿の名前を示すシーンがあり、とても印象的でした。

話を盧溝橋事件に戻します。
1937年(昭和12年)7月7日、北平(北京の当時の名称)郊外の盧溝橋で夜間軍事演習中の日本軍が銃撃されました。ここに日本軍がいるのは、北清事変後に結ばれた北京議定書で駐屯する権利が認められたからです。在日米軍が日本にいるのと同じ条約上の権利です。
謎の多い事件でした。国民党軍の兵舎も銃撃され、お互いに相手が攻撃してきたと誤解し日中双方が小競り合いになりますが、何やらおかしい雰囲気を感じ取った両軍は11日は停戦で合意します。
盧溝橋事件の真相は今でもよくわからないのですが、確実に言えるのは日本陸軍には中国と戦う意思がまったくなかったということです。この時点で陸軍参謀総長は宮さまで儀礼的な存在、しかもたまたま参謀次長と現地駐屯軍司令官がそろって危篤です。(引用者注:つまりこの時点で、戦闘領域を広げた場合に責任を取れる人がいなかった)
参謀本部第一部長には満洲事変で名を馳せた石原莞爾がいましたが、石原は「満洲国養成に専念すべき」「ソ連への警戒に専念すべき」「大陸で戦うよりは居留民を引き上げて補償金を払ったほうが安上がり」「満洲を獲った以上は大陸本土に深入りする理由はなく、むしろ長期的には蒋介石政権と提携して大陸の安定を図ったほうが日本の国益になる」という理由で、国民党政府との戦いには絶対反対なのです。

しかし、中国には国民党政府の他に、中国共産党が存在し、日本と蒋介石を戦わせようとしていました。
廊坊事件、広安門事件と北京周辺で日本軍への襲撃事件は続き、7月29日には200人以上の日本人居留民が虐殺された通州事件が発生します。女性は輪姦されたうえ、四肢を切断されて殺され、しかも別の兵士に死姦されるという常軌を逸した虐殺です。こうした事実が報道されるや、日ごろからただでさえ中国に反感を抱いていた世論は止まらなくなり、「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」が合言葉となります。「今こそ凶暴なシナ人に制裁を加えろ」というわけです。石原莞爾のような冷静な意見は通らなくなります。

最近のシリア情勢やフランスでのテロをニュースを聞くと、この支那事変の時の日本人の被害を思い出します。現在の私たちは、海外居住の日本人が通州事件のような悲惨な仕打ちを受けた場合、冷静に判断できるでしょうか?
そこに近衛文麿首相が戦いを嫌がる参謀本部に対して「世論がこんなに怒っているのに、なぜ参謀本部は戦おうとしないのだ」と圧力をかけます。部長と首相では勝負になりません。総理大臣が本気で「やれ」と命令してきたことに対して逆らえる公務員などまずいないのです。しかも、近衛の背後には世論の圧倒的支持があります
日本が強硬に出ると、蒋介石も戦わないわけにはいきません。中国の場合は、「軟弱論即暗殺」の危険性だってあるのです。
こうして日本と蒋介石政権の双方で、和平を言いだす要素がなくなっていくのです。

これ以降、日本軍は8年間支那事変を戦い続けることになります。私たちは、その大きな原因は軍部の独走では無かったことを認識すべきです。
なぜこのような事になったしまったのでしょうか。
現在では、日本の近衛文麿とアメリカのF・ルーズベルトの両方の取り巻きには、ソ連の独裁者スターリンのスパイが大量に潜り込んでいたことが明らかになっています。
日本としては石原莞爾の主張するようにソ連の南下に備えて、日本との緩衝地帯である満洲を守っていれば良かったのです。しかし、スターリンとしては日本の脅威がソ連に向かないように、支那事変をしかけ、近衛を使って日本軍を南下させて、蒋介石と日本軍が共倒れになることを狙ったのです。
結果はその通りになりました。8年間におよぶ日本軍との戦いで疲弊した蒋介石は共産党の毛沢東に敗れ、日本はアメリカに敗れてしまいました。そして、アメリカはドイツと日本に勝利して世界は平和になると思っていましたが、気が付くとアジアは共産主義で真っ赤になっていました。そのため、朝鮮戦争でソ連・中国による共産主義の南下を防ぐために戦う事になります。

フランスでのテロ、トルコでのクーデターなどヨーロッパでは危ない雰囲気が漂っています。さらに中国は、自分の国の領土拡大の行動が今まで以上に露骨になっています。

過去の日本の歴史をきちんと正確に学び、日本の進むべき道を冷静に考えて対処することが、今まで以上に重要な時期だと思います。過去の戦争では、朝日新聞などの大手メディアが国民感情を煽り、国民を戦争の道へと引きずり込んだことが分かっています。そのようにメディアに乗せられたことに反省し、報道内容、ネット情報の真贋を冷静に判断することが最も重要な事だと思います。

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2

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倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



以前、倉山先生の本については、『負けるはずがなかった!「大東亜戦争」倉山満著』で、
ソ連との片手間の中国との片手間のイギリスとの片手間に、アメリカの喧嘩を買った日本」というフレーズを紹介しましたが、その中国との闘いの発端となった満洲事変(“州”ではなく“洲”が正しい)について書きます。満洲事変に関しては、保守論者の中にも「満洲事変は言いわけのできない日本の自作自演の侵略」との評価がされることが多いですが、実際にはどうだったのでしょうか?

満洲事変は1931(昭和6)年に奉天郊外で起きた柳条湖事件に端を発します。通説では、戦前の昭和の時代は、「議会政治が弱体化して軍部が台頭し、テロが多発した暗い時代」となっており、私もそうイメージを持っていました。しかし、実際には大正末期から昭和7年まで明治憲法下で憲政会と政友党が交互に政権を担当する「憲政の常道」が機能しており最も政党政治が強力な時代で、軍縮傾向の状況で陸軍や海軍の立場は弱く、大蔵省から予算を取るために四苦八苦していました。しかも長引くデフレ不況、政治の腐敗が続き、無策な政府に対する国民の不満が溜まっていました。

当時の中国は、1912年に辛亥革命で満州族の清朝が滅亡しましたが、それに代わって国を統一できる政府がなく各地域の軍閥が跋扈する国として統制が取れていない状況でした。(倉山先生に言わせると「無法地帯」) 前回書いたように、清国は満州民族による征服王朝ですから、満洲は清の領域に入っていました。しかし、その前の漢民族の王朝である明国時代は、領土は万里の長城内だけであり、それより外は未開で野蛮な「化外の地」でした。ですので、(満洲 = 中国の領土)ではありません。基本的には満洲は満州族のものですが、日清、日露戦争を経て満洲の北はロシアが勢力を持ち、南は日本が満州鉄道を警備するための関東軍の駐留の権益を得ていました。

その当時、満洲地方は軍閥の張学良が支配していましたが、非常に治安が悪く、その地域に住んでいた日本人居留民(その多くは朝鮮人)が被害を受ける事が多く、その度に関東軍が出兵して救援していましたが、対中関係を重視している政府は根本的な対策を打たなかったため、現場の兵士の不満は溜まっていきました。そしてついに、石原莞爾中佐を中心とする関東軍の謀略により、満洲事変が起こされました。
関東軍の工作対は列車通過直前に線路を爆破し、しかもそのまま通過できるような爆破具合だったので、死傷者ゼロだったという、神業的な自作自演テロでした。
これが道徳的に問題だというなら、中国大陸では一瞬たりとも生きていけないでしょう。
しかし、他国に対する侵略は国際法違反ではないのか? という疑問がわきますが...。
「侵略」とは、国際法用語です。Aggressionの訳語なので正確には「侵略」ではなく、「侵攻」です。(中略)
では「侵攻」とはどういう意味でしょうか。「先に手を出すこと」でも「先制武力攻撃」を仕掛けることでもありません。「挑発もされないのに、先に攻撃を仕掛けること」です。大事なのは「挑発」の有無です。
本章を読んできた方で、中華民国(あるいは満洲の張学良)が日本に対して一切の挑発をしていないと証明できる方がいるでしょうか。
当時の国際法では、当時の満洲のように無法地帯(国際法用語では「無主の地」)を獲得しても侵略にはならず、合法であったとのことです。

そして、石原莞爾の天才的な軍事作戦によって、わずか1万6千名程度の出先機関でしかなかった関東軍で30万人以上いたと言われている張学良軍を制圧することができました。しかし、国際法にも違反せず、軍事的には完勝と言える状況にもかかわらず、日本は世界から侵略者として糾弾されることになりました。私たちは、その点を反省すべきだと思います。

さて、当時の状況を時系列でまとめてみましょう。
①第一次世界大戦後アジア太平洋における日本以外の大国は米英ソであるが、当時の日本は軍事強国であり、日本の安全を脅かす国は無かった。
②日本国内では、大正デモクラシーの潮流の中で政党政治が力を持ち陸海軍の地位は低下していた。政党の権力は頂点に達し、衆議院二大政党が内閣を組織する「憲政の常道」が確立し、陸海軍ともに高官たちは出世のために二大政党に取り入る風潮がはびこった。
③政友会の田中義一首相兼外相の時、中国国内は、張作霖と蒋介石の抗争で内乱状態(無法地帯)であり、日本人居留民保護のために出兵を繰り返した。
④満洲の駐屯軍である関東軍が張作霖を暗殺した。本来、軍隊の規律を保つために責任者を死刑にすべきだったが、田中首相は決断できず河本大作大佐を護衛失敗の理由で処分しただけで済ませ、それが原因で総辞職した。
⑤当時満洲を拠点としていた張学良軍は日本人居留民に対して非人道的行為を繰り返しており、その度に関東軍が戦闘行為を繰り返していた。
⑥それに対して日本政府は中国との関係を重視し、しかるべき抗議を行わなかった。
⑦関東軍の石原莞爾大佐が柳条湖事件を主導し、約1万人程度の関東軍で約50倍の張学良軍を撃破し、満洲を制圧した。これに対して国内世論が支持した
⑧政府は対外的に、不拡大方針を出し、参謀総長が関東軍に対して撤退命令を出した。これにより、国際連盟は、日本に対して満洲での「匪賊討伐権」を容認した
⑨しかし同日、日本で政変が起きて犬養毅内閣に代わり外相も代わり、関東軍と対立した。
⑩翌年、関東軍は溥儀を立てて満洲国を建国するが、犬養内閣はこれを承認しなかった。
⑪上海事変に対して陸海軍は共同して対処し、中国政府と和議にこぎつけるが、その10日後、5.15事件で犬養首相が暗殺される
⑫犬養内閣に代わって斉藤実海軍大将が総理になり、満洲国を承認する。国際連盟は満洲の実態を把握するためにリットン調査団が派遣される
⑬リントン調査団はリットン報告書をまとめ、満洲国は承認しないが、満洲における日本の権益は容認した。(イギリスが何とかひねり出した妥協案で、中国には花を持たせ、日本に実を取らせた)
⑭しかし朝日新聞を筆頭とする日本のマスコミはこの報告書を反日文書だと糾弾し、世論を煽った。ポピュリズムに流された政府は、リットンと国際連盟を敵視した
⑮1933年、政府はリットン報告書が採択された場合の国際連盟脱退を閣議決定した。溥儀など満洲人の要望により、関東軍が熱河に軍事作戦を展開して国際連盟との関係をさらに悪化させた
国際連盟はリットン報告書を採択し、日本は連盟を脱退した

以上の状況をさらに大ざっぱにまとめると以下のようになります。(もちろん異論はあるでしょうが...笑)
●日本は朝鮮人居留民保護のために満洲事変を起こした。
●民衆は朝日新聞などマスコミの煽りで親日文書であるリットン報告書、国際連盟を憎悪した。
●日本は満洲人の溥儀のために国際連盟と敵対し、脱退した。

何と、日本は朝鮮人と満洲人のために世界を敵に回して戦争を開始した事になります
(- -;

特に、リットン報告書に対する正確な理解ができていなかったことが致命的ですね。この辺りも現在の私たちが注意すべき事だと思います。今でも、政府の政策に対して「◎◎法案絶対反対」などとレッテル張りしたプロパガンダ報道が大きくされていますからね。自分でも内容をきちんと把握して判断すべきだと思います。

もう一つ満洲事変での反省点は中国のプロパガンダに対する対応です。
満洲事変期における中国のプロパガンダは世界史に残る傑作でしょう。何しろ、軍事的には全戦全敗でありながら、口先だけで状況をひっくり返したのですから。(中略)
満洲事変が起こるや、「古い封建的軍事主義の日本が、若い成長期の民主主義国家である中国を侵略している」といった類の宣伝がばら撒かれました。これを知っていながら外務省は一笑に付したので宣伝戦でやりたい放題やられました。現に当時のアメリカ世論は信じてしまったのですから、「こんなデタラメを信じるバカはいないはずだ」では通らないのです。明らかに国益を損ねました。
もし、ここで日本がまともに国策を統一し諸外国に真っ当な説明をしていれば、中国は世界の嫌われ者として放逐されていたでしょう。
ところが、時の外相である幣原喜重郎の宣伝に対するすさまじい発言が残っています。(中略)要するに、何も言わなくても日ごろの行いがいいのでみんながわかってくれるという態度です。
残念ながら国際社会はそんなに甘くないですし、中国人のプロパガンダ能力をナメすぎです
中国のやり方は今でも同じパターンの繰り返しですから日本はこれを反省し、現在の中国のプロパガンダに対しては、バカバカしいと思わず必ずきちんと世界に対して反論しなければなりません。(反論しないと認めたことになる)

中国は、満洲国を「偽満州国」と呼び、日本の傀儡政権であると非難しています。
満洲国は日本がでっち上げた傀儡国家だ、というのは決まり文句です。だったら、アメリカは21世紀になってもアフガニスタンやイラクで同じことをしています。ロシアもグルジアからアブハジア切り離し、独立国を名乗らせています。ベルギーだってもとはといえばイギリスの都合でできた国ですし、バングラディシュはインドがパキスタンから分離独立させて創った国です。満洲国だけを「傀儡」だのなんだのと批判するのはどういう了見なのでしょうか。

最後に、1930年代以降の日本は、ファシズム国家であったと言われていますが、倉山先生は「ファシズムにも軍国主義にもなれなかった。国家が一丸となって真面目に戦争しなかった」から負けたのだと書いています。
憲政の常道は失われましたが、帝国憲法も議会も敗戦まで健在でした。(中略)
もう一つ、当時の日本を軍国主義と呼ぶのも褒めすぎです。軍国主義とは「国策の最優先事項に軍事を据えること」です。誰がそんなことをできたのでしょうか。(中略)昭和日本の悲劇は、軍国主義に走ったことではなく、軍国主義になれなかったことです
第二次世界大戦を戦った大国は1933年から45年まで一人の独裁者が政治を指導しています。ソ連のスターリンやドイツのヒトラーは言うに及ばず、民主国のはずのアメリカでもF・ルーズベルトが死ぬまで大統領でした。イギリスも第二次世界大戦が勃発した1939年からは政争を中止し、ウィンストン・チャーチルが首相として挙国一致内閣を率いています。
日本だけはこの十三年間に十三代の内閣で十一人の総理大臣が交代しています英米ですら独裁者に匹敵する指導者を選んで戦争を行おうとしている時代に、日本政治は不まじめすぎたというべきです

思い返せば、小泉首相以降、第1次安倍内閣から第2次安倍内閣までの間、民主党を含めて毎年のように総理が変わり、まともな政策を打ちだすことができませんでした。日本は同じような政治状況の中で、中国大陸での泥沼の戦争、大東亜戦争を戦っていたわけです。確かにあのような政治状況ではまともに戦えるわけがありません。

しかも最初に書いたように、満洲事変当時は、「長引くデフレ不況、政治の腐敗が続き、無策な政府に対する国民の不満が溜まっていた」という状況に加え、当時の幣原喜重郎外相は極端な親中で、満洲で居留民に被害が発生しても日中友好の観点から何も言わないという対応です。
まるで、反日デモで日本人の店舗が破壊され、略奪されても何の抗議もしなかった、少し前の民主党政権時代そのものではありませんか!
戦争というのは、このような状況の時に起こるんだというのが理解できますね。安倍首相が、まずはデフレ不況の脱却を第一に掲げたことは非常に重要なことだと思います。

満洲事変だけで長くなってしまいました。
それ以降に関しては、気力が続けばまた書きます。(^^)

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

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キレとボケがすごいXF90mm で川越祭りを撮る [写真]

ミラーレス一眼カメラのX-E2を使いはじめてから3年目になります。それまでは普通のコンデジしか使ったことがなかったので、レンズによって撮れる画がまったく変わることを知り、恐ろしい交換レンズ沼に嵌っています。(^^)

現状は、ズームレンズ:10-24㎜、18-55㎜、55-200㎜、単焦点:35㎜ F1.4、56㎜ F1.2、60㎜ F2.4 Macro の6本を使っています。初心者の私でもいろいろなレンズが欲しくなるのですから、本当に恐ろしい世界ですね。(笑)

ただ、最近のXFレンズは高くて、10万円以上するのもが多くてなかなか手が出ません。単焦点では、XF56mm F1.2でキレの良さとボケの楽しさを知りました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-07-05

FUJIFILM 大口径短焦点フジノンレンズ XF90mmF2 R LM WRそのため、昨年発売になったXF90㎜ F2 Rの評判が良かったのでとても興味がありました。昨年10月、2日間だけ借りることができたので、川越祭りで試してみました。(ブログへのUpが遅れてるなぁ・・・)

結論から言うと、「非常に良い」です!(笑) 確かに開放からのキレは56㎜以上のように感じますし、焦点距離が長い分だけ大きくて、きれいなボケを楽しむことができます。
ただし、その分大きくて重いです。重量、長さとも55-200㎜のズームレンズとほぼ同じくらいです。これまで56mmは大きいなぁと思っていましたが、90㎜を使ってから56㎜に付け替えるととてもコンパクトに感じました。(^^)

遠景はくっきり、近くはきれいにボケてくれます。(F4.0)
DSCF5791.JPG
蔵の瓦の立体感がいいですね。(F4.0)
DSCF5857.JPG
山車の上おじさんと背景のコントラストが面白い。(F2.8)
DSCF5873.JPG
蔵の街の通りですが、近くの人たちは顔にボケを入れなくてもいい具合にボケでくれます。(F4.0)
DSCF5881.JPG
アンパンマンとバックのボケを見て下さい。(F2.0)
DSCF5842.JPG
七味唐辛子です。ピント範囲が狭いです。(F2.0)
DSCF5845.JPG
明るいので、切れが良く写ります。(F4.0)
DSCF5889.JPG
こちらは夜に撮りました。(F2.5/ISO2500)
DSCF5688.JPG
これも夜です。(F2.0/ISO400)
DSCF5713.JPG
これは昼間です。女性モデルがいないので、ポートレートのイメージです。(笑)(F2.0)
DSCF5805.JPG
これは八幡神社ですね。(F2.0)
DSCF5814.JPG
このレンズは、中望遠レンズにしては結構寄れる(60cm)のでマクロ的にも使うことができます。(F5.0)
DSCF5830.JPG

せっかくなので、近くにある道教のお宮の「聖天宮」に行きました。
入り口の門の屋根のある龍の飾りです。(F2.2)
DSCF5519.JPG
こちらは本殿の屋根の飾りです。鳳凰と龍です。(F2.2)
DSCF5520.JPG
龍と宝珠ですね。(F2.2)
DSCF5526.JPG
本殿の正面から撮ったものです。(F2.8)
DSCF5552.JPG
本殿の屋根です。立体感がいいですね。(F2.8)
DSCF5587.JPG
人形のUpです。ボケ具合がいいですね。(F2.0)
DSCF5581.JPG

ご覧頂いたように、とてもメリハリのある画が撮れます。AFはXFレンズの中でも速い方なので絞りで背景のボケを具合を調整することを楽しめます。絞りを開けるとボケを楽しめますし、絞ればとてもシャープな画が撮れます。

ただ、私の撮影する被写体を考えると90㎜という焦点距離がどうもしっくりこないため、買うまでには至りませんでした。(良かった... 笑) 90㎜付近の撮影が多い方にはお勧めのレンズですね。

XE-2で撮影した画像に関しては、以下もご覧ください。
・X-E2でXF 56mm F1.2を使う。 ボケ味が楽しいレンズです。
・X-E2で角館の桜を撮る! (2014年)
・X-E2で日本一の弘前の桜を撮る (2014年)
・飛行機からの風景を撮る
・川越でミラーレス一眼のボケ味を楽しむ! XF35mm F1.4 R 単焦点レンズをX-E2で試す
・天空から帝都を眺める その2 -- FUJI FILM X-E2 で見た東京

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中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



今回は、困ったお隣の国、中国の話です。

倉山先生は、最初に断言します。
まず、中国に「近代」などありません。あるのは、独裁の古代と殺戮の中世だけです。中国大陸では古代と中世が繰り返されてきただけで、中国はいまだに近代国家ではないのです。
そう言われると納得できる部分が多いです。(^^)
中国の歴史は、以下のパターンの繰り返しが続いているだけだとのことです。
①新王朝、成立

②功臣の粛清

③対外侵略戦争

④漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成

⑤閨閥、宦官、官僚など皇帝側近の跳梁

⑥秘密結社の乱立と農民反乱の全国化

⑦地方軍閥の中央侵入

⑧①へ戻る
このパターンは、20世紀の毛沢東以降も続いているとのことです。

この中で、日本人と一番違うのは、②功臣の粛清ではないでしょうか?
新しい王朝を打ち建てた皇帝がまっ先にすることは、功臣の粛清です。それまでの功労者を殺すのです。しかも一族皆殺しです。なぜならば、自分の地位を脅かす能力があるからです。
日本だと、自分が偉くなったら、自分に尽くしてくれた腹心の部下を重用して大事にしますが、中国ではまったく思想が違います。
「これまで一緒に苦労してきた仲ではないか」といった人情をあてにしたら、中国大陸では生き残れません。
恐ろしい世界ですね。日本人は、どうしても「同じ人間なのだからいつかは分かりあえる」と考えてしまいますが、中国人には(韓国人もか?)、まったくあてはまらないようですね。そのような自分勝手な理屈を考えの違う国民に期待してはいけないということでしょうね。

特に、毛沢東は究極の中華皇帝だということです。彼は、①中華人民共和国という帝国を起こすと、順調に②中国共産党、紅軍の歴戦の闘士を粛清し、③朝鮮戦争で対外侵略を行いました。そして、④漢字を簡体字に変更しました。改竄歴史書は今作っているようです。(^^) この流れを見て行くと今後中国がどうなるか興味深いですね。
1957年11月、恐怖政治をしている独裁者がモスクワに集まった共産主義国サミットで「核戦争を起こそう! 人類の三分の一か半分が死ぬことは世界にとっていいことなのだ!」などと嬉々として提案し、出席者全員を唖然とさせという世界最“恐”の独裁者が毛沢東です。ソ連のフルシチョフは「絶対に中国に核武装させてはならない」と決意しました。
彼の言った「自分は始皇帝より多くの人を殺しているから偉い」、「一億死んでもまだ十億」という名言は有名ですよね。

そして、よく言われる「中国五千年の歴史」に関してです。
一九四九年に成立したこの国は、たかだか建国六十年です。よく「中国何千年の歴史」などと言われますが、それは「支那(チャイナ)大陸」という土地に人が住んでいたという記録が何千年か残っている、くらいの意味でしかありません。
ある程度馴染みのある中国の王朝を書いてみます。この中で、青字+太字で示したのが、いわゆる漢民族の王朝です。それ以外の王朝は、北方民族などに征服された王朝や一つの王朝としてまとまっていない国です。

夏(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)

|(略)

前漢(西漢、紀元前206年 - 8年)
|(略)
後漢(東漢、25年 - 220年

|(略)

隋(581年 - 618年)
唐(618年 - 907年)
五代十国時代(907年 - 960年)
北宋(960年 - 1127年)
南宋(1127年 - 1279年)
元(1271年 - 1368年)
(1368年 - 1644年)
清(1616年 - 1912年)

つまり、明以前の漢民族による王朝は、1,000年以上前の後漢まで遡る必要があるわけです。これでは、漢民族の王朝である中国という国の連続性があるとは思えません。私は遣隋使や遣唐使で知られている随や唐は漢民族の王朝だと思っていましたが、北方の鮮卑族の王朝だそうです。いかに中国に関する知識が無かったかが分かりますね。まあ、学校ではそのよう事は教えてくれないのでしょうがありませんが...。
これを見るだけで「中国五千年の歴史の嘘」が分かりますね。

くれぐれも中国のプロパガンダに騙されないようにしましょう。

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

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倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

仙台 定義如来 西方寺を訪れる (2016年) [東北]

仙台に来ています。
仙台で一番高いビル、ウェスティンホテルが入っているトラストタワーです。東京駅にあるトラストタワーと同じような外観です。
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今回は、ウエスティンに泊っていないので、下からの眺めです。(^^)
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今回は、仙台から車で1時間北にある定義山 定義如来 西方寺に行ってきました。
入り口の山門です。ちなみに定義山は、仙台弁なので「じょうげ」と言うそうです。そのため、住所も「仙台市青葉区大倉字(あざ)上下」となっています。
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この地は平貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦い後に当地に隠れ住んだという平家落人伝説があり、一番奥に見えるのが貞能の墓所を祀った貞能堂です。以前来た時はここが本殿だと思い、ここだけしか見ませんでした。(--;
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貞能堂の入り口の飾りが見事ですね。
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お手水の龍も迫力があって見事です。
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狛犬も迫力がありますね。
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ここが本堂です。右に立たれているのが子育て観音様です。
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本堂の作りが見事ですね。
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本堂の奥に五重塔があります。
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1986年に青森ヒバのみを使って建立されたそうです。
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定義山と言えば、このお店の「三角あぶらあげ」が有名です。単に大きな三角のあぶらあげを七味と醤油をかけて食べるだけなのですが、揚げたてなのでとても美味しいです。前回は、これを食べるためだけにここに来ました。今回は朝食を食べ過ぎたので、とても食べられず残念ながら写真がありませんので、Googelの画像でご覧下さい。(https://www.google.co.jp/search?q=%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E5%B1%B1+%E6%B2%B9%E6%8F%9A%E3%81%92&espv=2&biw=1680&bih=920&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiv_fa7y8XNAhVFGJQKHRRhBLkQ_AUIBigB#imgrc=_
ここはいつもお客さんで一杯でした。
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途中にある橋の上から見た渓谷と五重塔です。天気が良くて良かったです。
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川の水もとてもきれいですね。
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仙台に戻って、私の大好きな回転寿司「うまい鮨勘」に行きました。北見の回転寿司「トリトン」が東京にも進出して有名ですが、仙台で美味しい回転寿司と言えば「うまい鮨勘」です。味も「トリトン」に負けていません。
活ほたてが大きいです。甘味があって美味しかったです。
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鮨勘と言えば「まぐろ三昧」です。赤味、中トロ、大トロの三貫です。(二人分)
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この時期は、ウニはカラ付きの「がぜウニ」がいいですね。これも美味でした。
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旅行の時は、食べるのが大きな楽しみですから「一日一食」は中断します。
旅行で体重が増えても、また減らせばい~んです。(笑)

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200万アクセス、ありがとうございます!

気がついたら200万アクセスを超えていました! いつもいつも訪問頂きありがとうございます。
2009年7月から始めたブログですが、2013年11月に100万アクセスを超え、2016年6月に200万アクセスを超えることができました。

ブログ開始以来、週1回程度しか更新できていませんし、あまり宣伝も行っていないので本当にみなさんのおかげです。このブログは、検索エンジンから来訪される方(So-net以外の方)が多いので、アクセス数の割にNice!が少ないのが特徴ですね。(^^)

現状の当ブログのベスト20です。
相変わらず「あさま山荘」関連のアクセスが多いですね。また、今年の4月に熊本で大地震があったので、東日本大震災関連の記事もアクセス数が増えていました。
順位題名ジャンルアクセス数
1 あさま山荘に行ってきました! こんな狭い場所で銃撃戦をやっていたの? 社会75,144
2 大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む格闘技29,090
3 東日本大震災の地震はオカシイ? 地震波形を見る! 震災・原発24,845
4 真樹先生が高森真士のペンネームで書いた「血と骨」 柳川次郎との交流を読む 真樹日佐夫23,739
5 何かオカシイぞ! 東日本大震災前の建設関連株の動き 震災・原発21,559
6 極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本..格闘技20,152
7 笹川良一は本当に悪人だったのか? 悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子著 社会16,895
8 これはジョークではない! 金正日は日本人だった 佐藤守著を読む 社会16,656
9 間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む ダイエット15,567
10 ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2 格闘技14,119
11 合氣道の開祖 植芝盛平は弱かった? 中村天風と植芝盛平 氣の確立 藤平光一著を読む 格闘技13,226
12 「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著を読む 美術13,129
13 まっすぐに蹴る  佐竹雅昭著 を読む 格闘技11,906
14 「赤いサイロ」がK-1グランプリで優勝! テレビ朝日の「ミルミルミシル」 北海道11,195
15 東日本大震災の津波にも負けなかった! 日本三景の松島 東北10,459
16 「水分の摂りすぎ」は今すぐやめなさい 石原結實著 を読む 健康10,054
17 東日本大震災は人工地震か? 震災・原発9,901
18 世界を動かしているのはロックフェラーとロスチャイルドだ! 世界権力者人物図鑑 副島隆彦著 を読む 歴史の真実・陰謀論9,771
19 ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1 格闘技9,646
20 あさま山荘に行ってきました! 冬のあさま山荘はやっぱり寒かった... 社会9,494


今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

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幸手の権現堂でアジサイを楽しむ (2016年) [関東]

4月に素晴らしい桜と菜の花を紹介した(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-04-06埼玉県の幸手の権現堂は6月には100種16,000株のアジサイが咲き誇ります。ここは、アジサイも素晴らしいですね!

駐車場の入り口の所にある白いアジサイです。アナベルでしょうか。
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色とりどりのアジサイが咲き誇っています。
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ここのエリアが一番密集していて見ごたえがありました。
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額アジサイの真ん中の花はまだつぼみですが、この時期が一番みずみずしいような気がします。
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カラフルなアジサイが見事でした。
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おっと! 珍客がいらっしゃいました。(笑)
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これまで見て来たアジサイの中では、ここが一番見ごたえがありました。
7月3日まで「あじさいまつり」が開催されているそうです。

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究極のダイエット - 脂肪を摂るとやせる!  シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」 を読む [ダイエット]

シリコンバレー式 自分を変える最強の食事シリコンバレー式 自分を変える最強の食事← Kindle本です。

今回紹介する本は、「完全無欠ダイエット」の本です。
この本は2015年9月に発売なのですが、私は本屋に平積みしているのを見て即購入しました。

しかし、読んでみるとコーヒーのカビ毒の話やコーヒーにバターやオイルを入れるという「完全無欠コーヒー」というイカガワシイ話が書かれてあり、コーヒー大好きでブラックしか飲まない私は想像しただけで「うっ・・・」となり、さらにグラスフェッドバター、MCTオイル、中鎖脂肪酸などなど聞きなれない言葉が沢山出てきて途中で読むのを止めて、部屋の隅に置きっぱなしになっていました。

しかし、このブログでも紹介した「ジョコビッチの生まれ変わる食事」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-04-03)を読んで食事の重要性を再認識し、この本の事を思い出して再読してみました。
読みなおしてみると興味深い内容ばかりです。前回は何を読んでいたんだ?という感じです。それ以来何度も読み返しています。

著者である、デイブ・アスプリーは1970年生まれ、シリコンバレーの億万長者です。彼は、「低カロリーで毎日運動する」というこれまでのダイエット法を実践しました。しかし摂取カロリーを1日1,500~1,800Kcal、週6日、毎日90分の運動を実施したにもかかわらず、痩せることができず体重が140Kgまで増加したそうです。

それをきっかけにして人体の仕組みに関して研究を行い、ハッキング=バイオハック(太るメカニズムの解明と自分の体を使った人体実験)を開始 し、それに30万ドル(約3,300万円)以上使ったそうです。そして、最終的にたどり着いたダイエット法(「完全無欠ダイエット」)によって1日0.5Kgずつ減量し、元気になり、腹筋が割れ、回復力、集中力がUPしてIQがUPしたそうです。

さて、そのダイエット法ですが、著者が一番勧めているのが、朝、一杯の「完全無欠コーヒー」を飲むことです。これは、熱いコーヒーにグラスフェッドの無塩バターとMCTオイルを大さじ1~2杯入れて飲むものです。これまでの低脂肪が重要というダイエットとは真逆の方法です。これによって、朝食抜きでも空腹感を感じることなく昼まで脂肪を燃焼させて活動することができると言います。

バターとMCTオイルを入れることで中鎖脂肪酸をたっぷり摂ることができ、身体の中を脂肪燃焼モード(ケトン体モード)にすることができるという理論です。そして、良質な脂肪をたっぷりと摂ることで、脂肪はクリーンに燃え、栄養たっぷり、満足感をもたらし体も脳も最大限に機能させることができるとのことです。著者は、一日4,000~4,500キロカロリーの「完全無欠な脂肪」の食事を続けた結果、頭が冴え、痩せだしたと書いています。

グラスフェッドバター」、「MCTオイル」って何だ? と思われているかも知れません。(私も全然知りませんでした) グラスフェッドとは、要は牧草(グラス)飼育という意味です。最近の牛はほとんどが穀物で飼育されているので、こういう牛はグレイン(穀物)フェッドと言われています。牛が本来食べるべき牧草をきちんと食べているグラスフェッドの牛は健康で当然その牛肉は、グレインフェッドの牛に比べて「栄養が豊富で毒素が少なく、他のどんな食品よりも多くの抗酸化物質、オメガ3脂肪酸、微量元素、ビタミンを供給してくれる」とのことです。そして当然、牛乳にしてもバターにしてもグラスフェッド牛のものが格段に健康に良いそうです。
牛にジャンクフードを与えれば、牛はジャンクフードになる。反芻動物は草を食べるようにできているのだ。
MCTオイルのMCTは、「Medium Chain Triglyceride」のことで中鎖脂肪酸のことです。中鎖脂肪酸はココナッツオイルやパーム油などに含まれています。MCTオイルはそれから中鎖脂肪酸だけを抽出したもので、より純度が高いものです。最近、ココナッツオイルダイエットの流行っているようですが、ココナッツオイルの特有の匂いが苦手な人は、無味無臭のMCTオイルを使う方が良いと思います。

仙台勝山館 MCTオイル 360g <ココナッツベース100%>私も早速、MCTオイル+グラスフェッドバターを入れた「完全無欠コーヒー」を試してみました。確かに、油を入れているので油っぽくなりますが、変な味も匂いもなく全然普通に飲めます。私は、前回書いたように2月から「1日1食」を実行していたので、ダイエット効果に関してはあまり効果を感じていませんが、朝一杯の「完全無欠コーヒー」を飲むことで、自分で自覚できるくらい元気が出て、集中力が増し、頭がスッキリします。

脳を含めた細胞は脂肪で構成されていることを改めて強く実感しました。そして、確かに朝食抜きの空腹感の低減にも効果があるようです。グラスフェッドバターまではちょっとと思っている方は、MCTオイルだけでも効果がはっきり分かると思います。私も最初は、グラスフェッドバターは入れずに、ここで紹介しているココナッツベース100%の仙台勝山館のものを使用しました。(少々高いのが難点ですが...。)
有機バイオバター グラスフェッドバター 無塩バター

さらに高いのが、このグラスフェッドバターです。日本の乳牛はほとんどがグレインフェッドなので、どうしても輸入品になってしまいます。私の住んでいる川越にある成城石井に売っていたので、試しに買ってみましたがやはり高いな~というのが正直な感想です。(250gで2,500円!)

アスプリー氏は、バイオハックの段階であらゆるダイエット法を自分で試したそうですが、どれも成功しなかったそうです。
食事の目的は頭と体に燃料と栄養を届けることである。
⇒ 脳は1日のカロリー消費の25%を占める
⇒ 運動を増やしてカロリーを減らしたら疲労してやる気も出なくなる
これはとても説得力があります。そうなんですよ! 低炭水化物ダイエットや一日一食を続けると、腸内の善玉菌のエサが減るので腸内環境が悪くなります。そして、低脂肪の食事を心がけていると体が乾いてきて頭がすっきりしなくなります。
それらの解決方法がこの本にはいろいろと書かれています。

また、脂肪を沢山食べろという以外にも、この本にはこれまでの常識をひっくり返すことが沢山書かれています。
自分的に、一番うれしかったのが、コーヒーはとても体に良いということです。
コーヒーはスーパーフードである
⇒ 集中力、記憶力、パフォーマンスを高め、脳卒中や糖尿病のリスクを下げる
⇒ 腸内の善玉菌(やせる腸内細菌)のえさとなるポリフェノールを大量に含む(赤ワイン、チョコより多い)
(氏は「太るか痩せるかは腸内細菌で決まる」、痩せる腸内細菌を増やすことが重要だと言っています)
これ以外にも興味深い情報が満載の一冊です。

ダイエット、健康に関して興味がある方には必読の書だと思います。

ダイエットに関してはこちらもどうぞ。
・私も実践! 「やってみました1日1食!! 」 船瀬俊介著 を読む
・小麦は食べるな! 「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 ノバク・ジョコビッチ著 を読む
・万病が治る! 20歳若返る! 『かんたん「1日1食」!! 』 船瀬俊介著 を読む
・男性は読まないように! 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井睦著 を読む
・間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む
・ダイエット本の決定版! 「やせる」 勝間和代著 を読む

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あなたを生かす油 ダメにする油 ココナッツオイルの使い方は8割が間違い体が生まれ変わる「ケトン体」食事法: 太らない、疲れない、老けない――体と頭を「糖化」させるな (単行本)やせたければ「いい油」オメガ3を摂りなさい 生活シリーズ1日スプーン2杯だけ ココナッツオイルでやせる!やせたければ脂肪をたくさんとりなさい ダイエットにまつわる20の落とし穴


秩父で1,500万本の天空のポピーを楽しむ (2016年) [関東]

埼玉県の秩父の皆野町にある「天空のポピー」を見に行ってきました。
ここは、標高500mの高原に1,500万本のシャーレ―ポピーが咲き誇ることで有名です。
Facebookなどで一面真っ赤な花の写真がUpされていたので行きたかったのですが、場所が秩父です。秩父への道は一本道なので渋滞するだろうな~。渋滞はやだな~と迷っていて行くのが1週間延びてしまいました。(笑)
そのため、満開は過ぎていたようですが、まだまだ見頃でした。

川越から皆野町までは50Km弱です。川越を7時に出発したところ、何とか渋滞もせず1時間10分で目的地に着きました。でも、驚いたことに駐車場はほとんど埋まっており、少し遅くきたら入れない所でした。みなさん何時から来ているのでしょうね。(^^)

さて、これが「天空のポピー」です。眺めが良いです。
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赤い花だけでなく、ピンクや白の花が混じっているので真っ赤ではありません。
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美瑛のように「◎◎の木」などの名前が付いているのか分かりませんが、アクセントになりますね。
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こちらの方が密度が濃いのですが、朝早いのでこの時間は逆光になります。
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花の名前はシャーレーポピー(別名:虞美人草)だそうです。知らなかったのですが、ケシ科の花だそうです。
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数は少ないですが、白い花もあります。
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ポピーの間の道を歩いて行きます。
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きれいな青空に白い雲がきれいでした。
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こちらはやはり逆光です。
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本当に天空のお花畑を歩いているという感じです。
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混んできたので、9時前に「天空のポピー」を後にしました。もうすでに駐車場に並ぶ車で長い渋滞ができていました。後でFacebookを見ると6Kmで3時間かかった人もいたようです。早く行って良かったです。

せっかくここまで来たので近くの長瀞の石畳を見てきました。
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東北の一関にある厳美渓のような奇岩がたくさんあります。
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川の水の色がきれいです。
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この船で川下りをします。一関で言うと厳美渓と猊鼻渓を合わせたような場所と言えますね。(^^)
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渓谷の中を船で進みます。絵になります。天気が良いので気持ちよさそうですね。
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その後、お土産屋を見ながら10時半頃にお蕎麦を食べてお昼としました。

長瀞と言えば、阿左美冷蔵の天然氷のかき氷が有名ですよね。20分くらい並んで、抹茶あずきのかき氷を食べました。何も付けていない状態です。食べきれるのか?と思うほど大きいです。左側にあるのがあずきで、右側にあるのが抹茶と黒蜜の容器です。
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もちろん見た目通りに美味しいですが、900円とかなり高いです...。さらにこの店の秘伝のみつを使ったものは、1,000円超えです。一番高い「秘伝みつスペシャル」なんて1,500円ですよ! まあ、美味しいんでしょうけどね。
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朝、7時に出て、いろいろと楽しんで12時半頃に家に帰ることができました。
渋滞もなく快適でした。やはり早起きは3文の得ですね。

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佐野乾山はホンモノだ! 岡本太郎の見た佐野乾山 美術手帖 1962年8月号 を読む [美術]

2 (3).JPGこれまで探していて入手できなかったこの本をようやく手に入れることができました。50年以上も前の本です。

美術手帖 1962年8月号の中に寄稿されている、
「生活者のイメージ 琳派と自然 佐野乾山展をみる」 岡本太郎

新発見の佐野乾山が話題になった1962年6月、芸術新潮が「佐野乾山」展を企画して新発見の作品と資料を東京と大阪で公開しました。これは、芸術新潮の編集部が、「実際にそれらの作品を見る機会を得た人は意外に少ない。そして、噂話にひとしいような真贋論議が実物に則した研究に先走ってしまった。」という問題意識を持って企画したそうです。(素晴らしい!)

今回、紹介する岡本太郎氏の手記は、この「佐野乾山」展の作品を見てその感想をまとめたものです。この手記に関しては、佐野乾山に関する資料には必ずと言っていいほど引用されています。
例えば、白崎秀雄著「真贋」には、以下のように引用されています。
(前略) 会場に入るなり、意外な思いだった。 二つ三つと見るにつれ--なかなかイイジャナイカ。--色が鮮やかなハーモニーで浮かび上がっている。筆さばきも見事だ。(中略) 気どりやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものがない。(中略)いきいきした線、タッチ、そのリズムが何となくモダ―ンな感じで、ふとピカソやマチスのデッサンを思いおこさせる奔放な表情があったりする。(中略)さてこの展覧会は、真贋のうるさいセンギに決着をつける為に計画されたのだろうが、そんなことどうだっていい。たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーのもり上がりがあれば、本ものより更に本ものだ。
これを読むと岡本氏がホンモノ派であることは明白ですが、どの程度乾山の真贋について考えているのかは良く分かりませんでした。

前置きが長くなってしまいました。それでは、岡本氏の記載を紹介します。

岡本氏は、佐野乾山を見るまで光琳は評価していましたが、乾山はまったく評価していなかったようです。この前提で読まないと前出の引用部分の意味合いが良く分からないと思います。
(略) 光琳の絢爛として厳粛な、一義的芸術、その激しい格調、ロマンチスムにふれ、つき動かされれば動かされるほど、私には弟の乾山の仕事が面白くない。趣味的な弱さ、低さ。時おりふれても眼をみはらせるほどのものではなかった。才人の職人芸だ、と無視していた。
近ごろ「佐野乾山」と称するやきものが大量に発見され、真贋問題で大へん騒いでいる。そういうニュースを見聞きしても、そんなことどうだっていいじゃないか、馬鹿々々しい沙汰だとしか思えなかった。従って今度の展覧会にも、「乾山」を確かめに出かけるほどの熱も興味もなかった。ところが編集子のいささか強引な案内もあり、たとえつまらぬものでも日本文化の一つの証拠として、やはり実見しておいてもよいぐらいの気分で行って見た。
(下線は引用者による:以下も同様)
ここから上に挙げた引用文につながります。岡本氏は佐野乾山を見て、乾山を見なおしたようです。
会場に入るなり、意外な思いだった。
二つ三つと見るにつれ、--なかなかイイジャナイカ。--色が鮮やかなハーモニーで浮かび上がっている。筆さばきも見事だ。見て行くほどに楽しい気分になった。
気どりやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものがない。のびやかに、なまなましい。若い。
(中略)
「乾山」を見なおした。やきものの効果を、小憎いほど心得ており、つぼやさわり、味いを存分に駆使しながら、やはり純粋に絵具の色、線の面白さを打ち出している。つまり絵として、楽しめる。
ここから佐野乾山の作品に関する記載ですが、ここに書かれている印象は、私の抱いた印象とまったく同じでした。
真剣とも遊びともつかない奔放なタッチ。いかなる技術的アクシデントもおそれていない。(中略)
サラサラと落書きのような気軽さで描き上げたものでも、何か形としてかたまり、そして完結している。松、梅、菊、朝顔、茄子、みんなそうだ。線が流れっぱなしになってしまわないで、必ず出発点に回帰して来る。もの、実在物の強靭なシルエットのまとまりを見せている。自然の趣ではない、別な実体を浮き彫りしている。そういう形態を生かす技術である。
ここから岡本氏は、当時話題になっていた「佐野乾山」の真贋論争に関する持論を展開します。学者や骨董商が重要視している「落款」や「故事来歴」、それを根拠にしたニセモノの芸術に関して徹底的に批判します。
さてこの展覧会は、真贋のうるさいセンギに決着をつける為に計画されたのだろうが、そんなことどうだっていい。たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーのもり上がりがあれば、本ものより更に本ものだ。まったく、骨董品として商売の種にしたり、美術史的に鑑定なんかする、にぶい御連中の、芸術感覚から浮いてしまった馬鹿々々しさには腹も立たない。
繰り返していうが、芸術にとっては実在するものの豊かさだけが本ものなのであって、落款とか故事来歴の信憑性などは、些末な問題だ。それにつけても、考えるのは、われわれの周囲にあまりにも「芸術」と称するニセモノが多いということ。極めてわずかな本ものしかない。たとえ高名であり、大へんなものだとされていても。そういうニセモノにならされて、むしろ「芸術」本来の感動を見失っているから、こういう騒ぎもおこるのだ。

今回、岡本氏の原文を読むことができ、かなり真剣に佐野乾山をホンモノだと感じていることが分かり、安心しました。そして、佐野乾山を見た岡本氏の印象が、私の感じた印象とまったく同じであることを知りうれしくなりました。
同じくホンモノ派であったバーナード・リーチ氏は、森川氏所有の佐野乾山を見て、「一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です。」とコメントしました。これはすごい発言です。なぜなら、リーチ氏はこれまで名品と言われていた鳴滝時代の光琳絵付けの乾山作品を含めて、佐野乾山の方がすばらしいと言っているからです。このコメントに関して、私はこれまで「それはちょっと言い過ぎでは?」と思っていましたが、今回の岡本氏の書かれた内容を読むと岡本氏もリーチ氏と同じ意見であることが分かりました。
やはり美術品は見る目がある人が見なければダメだ、そして佐野乾山を評価するには「絵が分かる人」でなければならない事を再認識しました。
最近の本を読むと、リーチ氏の佐野乾山に対する見解、発言はリーチ氏の芸術人生の中の汚点であり、晩節を汚したというような扱いをされているものが多いですが、私はそのような評価をする人たちの見識を疑います。

岡本氏は鳴滝時代の乾山の作品(光琳が絵付けをしたもの)をまったく評価していなかったようですが、「光琳は評価していたのでは?」と思って読み進むと、
陶器や団扇に描いたものなんか、つまらぬものが多い。やせていて、これが同じ光琳かと思うくらいだところでここに見られる乾山の方は楽に描きちらしていて、自由で豊かである。
と書かれています。光琳の「紅白梅流水図」「燕子花」などは傑作と評価していますが、乾山の陶器に対する絵付けに関しては、まったく評価していないようです。納得ですね。バーナード・リーチ氏もこの点を指摘していたのだと思います。
1960年代当時の乾山作と言われていた作品は、よく知られている光琳絵付けの作品以外は現在の眼で見ると「?」なものが多かった状況です。玉石混交の乾山作品の中で、玉である光琳絵付けの作品を評価できないのであれば岡本氏が乾山の作品を「才人の職人芸だ、と無視していた」ことも当然のこととして納得できます。私たちも「光琳の絵付け=傑作」という一般的な思考を見なおすべきかも知れません。

私は、この岡本太郎氏の一文に芸術品としての佐野乾山の素晴らしさのすべてが書かれていると感じました。現在、この重要な一文があまり重要視されていないことを不思議に感じました。

佐野乾山に関しては、このK's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm

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30年ぶりにキリストの墓を訪ねる [東北]

前回紹介した八幡平から東北道を北上し、青森県の十和田湖に来ました。ここは弘前の桜を見に行く前には毎年のように訪れた地で、久しぶりで懐かしかったです。
せっかく来たので、30年ぶりにこの辺りのミステリーゾーン巡りをしました。

発荷峠から見た十和田湖の青い湖面と遠くに白く見えるのは八甲田山の山々です。
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十和田湖に入る手前に秋田県の大湯という場所があり、ここに日本最大のストーンサークル(環状列石)があります。縄文時代後期の遺跡とのことです。
これは、野中堂遺跡です。
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ここは、まだ桜がきれいに咲いていました。柱状の石が立っていますね。
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こちらは万座遺跡の方で、直径46mあるそうです。周りに集落の建物が再現されています。
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以前来た時には無かった「大湯ストーンサークル館」が建てられていて関連した資料が展示されています。
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遺跡の日時計のレプリカが飾られています。
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十和田湖から三戸方面に山道を行き、新郷村へ向かいます。道の駅「R454 道の駅しんごう」です。ここのアイスクリームと飲むヨーグルトはとても美味しかったです。特に飲むヨーグルトは他の観光地でも良く飲みますが、ここのヨーグルトは濃厚で他では味わえない美味しさだったので、帰ってからすぐにネットで購入しました。(http://www.marumarushingo.com/?pid=46538442
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この道の駅にこのようなポスターが...。え! キリスト? そうなんです。今回の目的は、この新郷村にある「キリストの墓」と「大石神ピラミッド」なんです。このポスターを見ると、キリスト祭りは、50年以上前からやっているようですね。
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大石神ピラミッドの鳥居です。
日本にもピラミッドがあるというのは、昭和10年に日本のピラミッドの権威であった酒井勝軍が来て認定したそうです。日本のピラミッドは、もともとの地形を利用して巨石を配置して作られているとのことです。
新郷村のHPから引用します。「太陽信仰のピラミッドか?竹内古文書によると、エジプトのピラミッドよりも古い数万年前のピラミッドが、日本には7基あるとされています。昭和10年に画家の鳥谷幡山によって発見された十和利山のピラミットが4基目だとされています。山という自然の地形を利用して、頂上に巨石を配置したピラミットです。太陽礼拝所として古代から使われていたと考えられています。巨石群のマップをご覧ください。」(http://www.vill.shingo.aomori.jp/07sight/sight-pyra.html
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「方位石 正しく東西南北を示している石」と書かれています。
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これは「星座石 めぼしい星を記録しておいたと言われる石」と書かれています。
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確かに人為的に配置したような巨石群ですね。
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さて、いよいよキリストの墓に来ました。キリストが日本に来たということは、茨城県にある天津教が所有している「竹内文書」に書かれています。「竹内文書」は、いわゆる古史古伝と言われているもので、まあ一般には偽書と言われているものです。(笑)
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新郷村のHPから引用します。「「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡っていた」そんな突拍子もない仮説が、茨城県磯原町(現北茨城市)にある皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる竹内古文書から出てきたのが昭和10年のことです。竹内氏自らこの新郷村を訪れ、キリストの墓を発見しました。  1936年に考古学者の一団が「キリストの遺書」を発見したり、考古学・地質学者の山根キク氏の著書でとりあげられたりして、新郷村は神秘の村として人々の注目をあびるようになりました。」(http://www.vill.shingo.aomori.jp/07sight/sight-christ.html
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30年前に来た時は、土饅頭に十字架くらいしかありませんでしたが、ずい分と整備されていますね。
これは「十来塚」と書かれており、キリストの墓とのことです。十字架で磔にされて死んだのは、弟のイスキリでキリストは、日本に戻って106歳の天寿をまっとうしたそうです。
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これが「十代墓」と書かれており、キリストの弟のイスキリの墓だそうです。
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以前は無かった「キリストの里 伝承館」という施設ができていました。このキリストの墓に関する資料を展示しています。入館料は200円です。新郷村のHPから引用です。「キリストの墓と弟のイスキリの墓であるかは判断を預けるとしても、この新郷村にはいくつかのミステリーがあります。 戸来(へらい)はヘブライからくるという説。父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガということ。子供を初めて野外に出すとき額に墨で十字を書くこと。足がしびれたとき額に十字を書くこと。ダビデの星を代々家紋とする家があること。そして、「ナニヤドヤラー、ナニヤドナサレノ」という意味不明の節回しの祭唄が伝えられていること‥
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憩いの広場に見える十字架です。
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2004年(平成16年)6月6日の第41回キリスト祭にはイスラエル駐日大使が出席し、このエルサレム・ストーンと呼ばれる石灰岩を寄贈したとのことです。
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天津教の竹内文書は偽書であるが、『正統竹内文書』というものは存在すると主張されている第73世武内宿禰を名乗っている竹内睦泰氏もおり、興味深いです。竹内睦泰は、予備校講師としての方が有名ですよね。興味ある方は氏の著書を読まれることをお勧めします。

また、新郷村の周辺には、神代文字の書かれた石が見つかっている「ドコノ森」や「迷ヶ平」という意味深な地名もあり、なかなか興味深いです。私としては、キリストの墓は?ですが、関連の伝承や異民族の渡来の一部は正しいのではないかと思っています。

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八幡平で岩手山を楽しむ (2016年) [東北]

今年のGWは、弘前、角館の桜はすでに終わっていたので八幡平に泊りました。

泊ったのは、岩手山の麓にある八幡平ロイヤルホテルです。このホテルは、バブル期の80年代の終わりに泊った懐かしいホテルです。さすがにホテル古くなっていますが、バブル時代の広々としたフロアや部屋、お風呂などは気持ちが良かったです。

八幡平の街から岩手山が大きく見えます。
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弘前の桜は終わっていますが、ここは標高が高いので桜はこれからのようです。
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どこからでも見える岩手山がきれいです。
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ところどころに桜が咲いていてきれいでした。
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ホテルの駐車場から見えた岩手山です。
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6階の部屋から見える岩手山です。
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頂上付近をズームUpしてみました。
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ここの温泉は朝の5時から入れるので、5時に起きたら朝日に輝く岩手山が見えました。
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朝日で紅葉のように見えますね。
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以前来た時は、フレンチレストランだった12Fのフロアは展望台になっており、ここからの眺めがとてもきれいでした。
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岩手山の逆の方向を見ると、雲海がきれいに見えました。
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見ているうちに雲海がどんどん登って行きます。
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そして、部屋に戻った頃には雲海がホテルまで登ってきており、岩手山が見えなくなっていました。
本当に「早起きは三文の得」だと実感しました。

食事の後、東北道を150Km北上して十和田湖を目指したのですが、下界は濃霧でした。あのきれいな雲海にのみこまれた下界はこんなに濃霧になるんだ、ということを初めて知りました。勉強になりますね。

さて、さらに北を目指します。

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