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広島での不思議な体験 (2017年) [旅行]

今回は、広島で経験した不思議な話を紹介します。
最初のおことわりしておきますが、今回の旅行で泊ったホテルはとても快適で、以下に書くような不思議な体験はありましたが、ホテルや部屋で恐怖体験やいやな体験はしていません。
今後、もし広島に行く機会があればまた同じ部屋に泊りたいと思っているくらい快適でした。

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今回の旅行の写真の整理やブログが書いている時に、「ホテルに何時に着いたか」、「何時に食事に行ったか」を調べるために、iPhoneに入れてあるトリップアドバイザーのソフトにあるタイムラインを使っています。

例えば、左に示すような感じで表示されます。
スマホを持って移動すれば、内蔵されているGPSのデータと地図データを使って、目的地への到着時間と出発時間が記載されています。

表示したのは、11月27日(月)の旅行の出発した日のタイムラインです。

それぞれのポイント、例えば「本川越駅」をクリックすると、「6:09~6:22」と表示されて滞在時間が分かりますので、後で確認する時にはとても便利です。

ただし、ご存じのように現状のGPSの精度はあまり高くありませんので、左の例で言うと「出雲大社前駅」の所に、
「こちらを訪れましたか?」と出ていますが、このように確認してきます。
「× いいえ」を押すと、付近のお店やスポットが出て来るので選択して正しい場所を入れる事ができます。

IMG_3299.PNGさて、ここからが本題です。

左のタイムラインを見て下さい。
これは、広島のホテルに泊まった次の日のタイムラインです。
この下にもまだ続いています。

「あれ? 原爆ドームは行っていないけどな~」と思って時間を見てみると、「0時30分~1時03分」となっています!
これには驚きました。というのは、この日スマホに充電器につないで0時30分に寝ていたからです。
つまり、タイムラインに出ているのは私が寝ている間の行動と言う事になります。

他の場所と時間をまとめたのが、下の表です。
広島に行った事がない方は、土地勘が無いと思いますので、Google Mapに地図に場所を黄色いラベルを貼っておきました。
ご覧のように結構広い範囲で移動している事が分かると思います。
(見にくい場合は、クリックして拡大して下さい)
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表の滞在地を見ると「原爆ドーム」が多いですね。

最初は、私が寝ている間に徘徊オヤジになったのか? と思いました。(笑) しかし、11月下旬の寒い時期に、ホテルの部屋着で出かける事も考えにくいし、着替えを行った形跡もありません。また、最近は普段でもスマホを持っていくのを忘れる事が多いのに、徘徊する時にきちんとスマホを持って行ったとはどう考えてもあり得ないです。(^^)

それでは、誰かがスマホを持ちだして私が起きる前に戻しておいたのでしょうか? 私が途中で起きる可能性もありますので、それも考えにくいです。

一番考えられるのは、この場所がGPSの衛星の電波が切り替わりやすい場所で、その切り替わりの誤差が移動した事になって表示された、という仮説でしょうか。
ただし、少し前に、原爆ドーム付近で夜中にポケモンGOをやっている事が話題になった事がありますが、GPSの誤差の件はあまり話題になっていないので、その仮説もよく分かりません。

とにかく不思議な体験ですね。
近いうちに、また同じホテルに泊まって再現実験をしてみたいものです。
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下関 角島 - 長府 を楽しむ。(2017年) [旅行]

<お知らせ>
このブログの旅行関係等のコンテンツは、近日中に「http://shisui-shinsei.blog.so-net.ne.jp/」移行しますので、御承知おき下さい。


11月27日から3日間、山陽、山陰を回ってきました。
主目的は出雲大社に参拝することです。羽田空港から米子鬼太郎空港に飛んで、レンターカーを使って最終的には下関まで行って宇部山口空港から帰る予定です。

三日目は、門司港から下関に入って、一路角島を目指します。
ホテルは、プレミアホテル門司港に泊りました。10年前に来た時は、門司港ホテルでしたが、名前が変わっていました。
ホテルの部屋から関門海峡を眺めます。この日は朝から雨で、霧がかかっていました。右側に関門橋が見えます。
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写真家のケント白石さんのFacebookで福徳稲荷神社の写真が載っていたので、行ってきました。この神社は角島に行く途中にあります。朱塗りの本殿が美しいです。足利の織姫神社に良く似ています。
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丘の上にあるので、ここから見える海がきれいなのですが、この日は雨でだめでした。
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1,000本鳥居です。実際には1,000本以上あるそうです。先まで歩いて降りると海がきれいに見えるそうです。この日は雨なので行きませんでした。
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この日のメインの目的だった角島です。
しかし、雨が降っていてきれいな色が見られませんでした。残念です...。(-_-;)
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10年前に撮影した角島です。この色をもう一度見たかったのですが...。
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もう一つの目的の元隅乃稲荷神社に行ってきました。ここの1,000本鳥居と青い海の風景が有名です。この日は海の色はダメですが、きれいな鳥居は見ることができました。
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この風景は、CNNが選んだ「日本の美しい風景31選」に入っているそうです。この鳥居は、実際には123本しかないそうですが。(^。^)
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下関に戻ってきました。雨が上がっていたので幕末維新にゆかりの深い長府の街を散策しました。
最初は忌宮神社です。この神社は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇が祭神として祀られています。
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境内には、鳩だけでなく鶏がたくさんいました。
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仲哀天皇が討った新羅国の塵輪の首を埋めて覆った石だそうです。
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忌宮神社に隣接して乃木神社があります。乃木神社の参道に続く道は、「乃木さん通り」と言うのですね。乃木大将がみんなに親しまれている証ですね。
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乃木神社の鳥居です。紅葉がきれいでした。
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乃木神社の本殿です。
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毛利邸に続く古江小路の石垣と紅葉がきれいでした。長府のこの景色を見たかったんですよね~。
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高杉晋作が決起した功山寺に来ました。近くには晋作もちを売っているお店がありました。
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功山寺の入口です。
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境内の中は紅葉がきれいでした。
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本堂です。
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天気が良ければもっときれいだったでしょうね~。
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功山寺の向かいに、下関市歴史博物館ができていました。
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長府の毛利邸です。
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門をくぐると初代長府藩主毛利秀元公の像があります。
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時間が無くて中に入れなかったので、外から紅葉を撮りました。
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自動販売機に「下関 幕末維新村物語」と書いてあります。
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あいにくの雨で角島は残念でしたが、長府の散策は紅葉がきれいで楽しむ事ができました。
今回の旅は、とても充実していて楽しかったですね。レンタカーは、3日間で1,000Kmをオーバーしました。(^^)
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しまなみ海道 - 厳島神社 を楽しむ。(2017年) [旅行]

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11月27日から3日間、山陽、山陰を回ってきました。
主目的は出雲大社に参拝することです。羽田空港から米子鬼太郎空港に飛んで、レンターカーを使って最終的には下関まで行って宇部山口空港から帰る予定です。

一日目は、出雲大社から高速を使って広島に泊りました。
広島城のそばにあるリーガロイヤルホテル広島に泊りました。部屋からの眺めです。中央部にある円形の広い空間は何んだろうと不思議に思いました。もしかして原爆の爆心地の跡? と思って調べたら、旧広島市民球場の跡だそうです。この跡地から150mくらい南に原爆ドームがあって、その100mくらい東側が爆心地のようです。
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電波塔と建物の間に原爆ドームが見えます。
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さらにズームアップしました。原爆の威力を考えると、このホテルも爆心地のすぐ近くにあると言えますね。
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私の立てた計画では、広島から呉の大和ミュージアムに行く予定でしたが、奥さんに却下されて、急遽しまなみ海道を通って今治に行く事になりました。広島-今治は約150Kmあります。午後は、厳島神社に行く予定ですので、同じ道を往復する事になり、午前中に300Km走る事になります。(-_-;)
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でもまあ、天気も良くなったので、行って良かったです。少し霞みがかかっていましたが、きれいに見えました。しまなみ海道にかかる橋は5本とも違う形式の橋なので見ていてあきませんね。
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今治に渡る最後の来島海峡大橋です。世界初の3連吊り橋で全長は4,105mもあります。走っていても、結構アップダウンがあって、「この橋はどこまで続くんだ?」と思うほどの長さです。
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さて、その後広島に戻り、宮島の厳島神社に行ってきました。宮島口からフェリーに乗って約10分で到着です。
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宮島のフェリー乗り場の近くにある芝生で鹿がお出迎えです。ここの鹿は大人しいですね~。
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朝から食べずに走ってきたので、まずはお昼です。宮島に来たら牡蠣ですね。「牡蠣屋」で生牡蠣を頂きました。
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これは牡蠣屋定食です。これにさらに焼牡蠣が付きます。
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いよいよ厳島神社です。入口の石鳥居です。
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神社内も鹿が沢山います。目線をくれました。(^ 。^)
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厳島神社のシンボルである大鳥居です。
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途中の回廊から見た大鳥居です。
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朱塗りの廊下が見事ですね。
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客(まろうど)神社の祓殿、拝殿と五重塔です。
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境内の一番突端にある平舞台から見た大鳥居です。ここは撮影スポットで混んでいました。
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祓殿から見た大鳥居です。
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境内を出た、帰り道の反橋、五重塔と紅葉です。
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朱塗りの五重塔です。
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帰りのフェリーから見た夕日です。
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さて、この日は九州の門司に泊る予定です。山陽、中国自動車道を使って約180Kmです。
門司港は、レトロ感をアピールした「門司港レトロ」を売りにしています。
林芙美子記念室、アインシュタインメモリアルルームの看板がありました。
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上の看板は、三井俱楽部のもので、アインシュタインが泊ったそうです。
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旧大阪商船のビルです。レトロ感があります。
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この日は、広島 ⇒ しまなみ海道 ⇒ 今治(四国) ⇒ しまなみ海道 ⇒ 厳島神社 ⇒ 門司港(九州) と走ったので、結局500Kmを走りました。結構疲れました。一日で本州、四国、九州を走破したことになります。(笑)

しまなみ海道に行くのであれば、尾道辺りで泊っていればもっと楽でしたね。
関東の方はイメージが湧かないと思います。例えて言うと、、
「川越から諏訪大社に行って川越に戻って、それから那須高原に行く」、ことを考えるとその無駄さ加減が理解頂けると思います。 (^。^)
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足立美術館 - 出雲大社 を楽しむ。(2017年) [旅行]

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11月27日から3日間、山陽、山陰を回ってきました。
主目的は出雲大社に参拝することです。羽田空港から米子鬼太郎空港に飛んで、レンターカーを使って最終的には下関まで行って宇部山口空港から帰る予定です。

羽田を離陸した時は天気が良かったです。
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普段は飛行機を乗るのは北海道ばかりですので、米子空港はとても近く感じました。
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米子線は、所沢上空を通るので、私の住んでいる川越の上を通ります。左下に見える滑走路は、先日航空祭で行った入間基地です。その右上には、安部首相とトランプ大統領がゴルフを行った霞が関カンツリー俱楽部が見えます。
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米子空港から庭園で有名な足立美術館へ行きました。この美術館の庭園は、米国の雑誌『数寄屋リビング/ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』で14年連続で日本一になっていて、ミシュラングリーンガイドでも三つ星を獲得しています。入場料は、一人2,300円とかなり高いです。
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ちょうど紅葉が見ごろでした。
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これが有名な庭園です。確かに素晴らしい庭園です。もう少し赤や黄色があれば最高でしたね。平日のお昼頃でしたが、中国の方々のツアー客が来ていてなかなか窓際のポジションが取れません。(^^)
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途中に庭園を眺められるカフェ「喫茶室 翆」があります。窓際の席が空いていたので入りました。このカフェは庭園の景色を邪魔されずに眺めることができます。ただし、その分だけ高いです。(笑) コーヒー、オレンジジュースなどすべて1,000円です。白玉クリームあんみつを食べましたが、コーヒーを付けると一人2,000円、二人で4,000円になるので、我慢しました。味は普通に美味しいです。この景色と高価な調度品の値段が加味されているのでしょう。
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こちらは反対側の景色で池があります。
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この美術館には、横山大観、竹内栖鳳、魯山人などの良いコレクションが揃っているので、それを見るだけでも良いですね。入場料2,300円の半分は、美術品、半分は景色の値段と考えると納得感はあります。
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足立美術館から高速を使って1時間くらいで、出雲大社に着きました。本当は、お昼に出雲蕎麦を食べてから行く予定でしたが、遅くなりそうなのでお昼抜きで行きました。勢溜(せいだまり)の大鳥居です。風格があります。
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参道は、鳥居をくぐってからかなり下ります。
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途中にある中の鳥居です。参道は、鳥居の両側の外を通るように通路があります。
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銅鳥居です。
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拝殿です。
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出雲大社は、平安時代には48mの高さがあって奈良の東大寺よりも大きいと言われていました。従来、これはあり得ないと言われていましたが、近年このように1mくらいの太い柱が3本束ねられた遺構が発見されて、実際に高層建築であった可能性が出てきました。
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旧暦の神無月は、全国の神様が出雲に集まります。逆に出雲には神様が集まっているので神在月と言われています。
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本殿です。
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本殿を真裏から撮影したものです。小さなウサギの像が見えます。
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大国主の像です。
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境内の中にはいたる所にウサギの像があります。隠れミッキーを探すようにウサギさんを探すのも楽しいです。
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帰る頃には日が落ちていました。
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すでに15時を回っていたので、出雲蕎麦のお店はほとんどお休みでした。参道にある「ぜんざい学界」の焼き餅の入ったぜんざいです。カリカリに焼いた表面と、柔らかいお餅のコントラストが素晴らしいです。これは絶品ですね。
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一日目は、出雲から広島まで高速を使って走って泊りました。
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周蔵手記第三弾! 「日本皇統が創めたハプスブルク大公家」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


日本皇統が創めたハプスブルク大公家  國體ネットワークから血液型分類を授かった陸軍特務 (落合・吉薗秘史3)

落合先生の周蔵手記の第三弾です。

いよいよ吉薗周蔵氏の草としての初めての仕事である渡欧の詳細と佐伯祐三との関わりが書かれています。
そして、第Ⅱ部では日本皇統とハプスブルク家の驚きの関係が明かされています。

●周蔵手記の概要
*第一時大戦中の大正5年(1916年)23歳の周蔵氏は血液型分離法取得のため、同じ上原勇作配下の石光真清と共に渡欧して敵国のウィーンに行きました。
・シンガポール経由でシドニーに入り、石光真清を待つ。偽名は久原鉱業技師武田蔵之丞。
・石光とシドニーから船に乗ってアメリカ大陸東岸を北上してロンドンに着く。道中、同行の石光から草としての心構えと諜報技術を学ぶ。ロンドンから欧州に入り、同じ上原配下の明石元二郎が欧州に張っていたネットワークを使ってウィーンに行く。
・ウィーン大学医学部のカール・ラントシュタイナー教室に潜入して血液学の研究成果を取得する。
・シュタイナーの助手のシーレーを5,000円+1,000円(エゴンシ―レの絵の代金)で買収する。(現在の貨幣価値で約5,000万円)
・その後、ドイツに入って呉教授の紹介状を持ってケルン大学のクレペリン教授を訪ねるが会えなかった。その後、行きと同じ経路を使って帰国する。
・帰国後、呉秀三博士や額田兄弟、式場などの医師に報告する。
・若松安太郎の紹介で、後藤新平の草である藤根大庭を紹介してもらう。
・17歳の薩摩治朗八が敵国である欧州に行って来た周蔵に興味を持ち、付きまとわれる。
・父の林次郎とケシの栽培を継続しているが、表看板を作るために中野に精神カウンセラーを行う「救命院」を開く。
・上原勇作から本願寺に行くように指示を受け、本願寺の草である佐伯祐三が美術学校へ入学できる道を作る事を頼まれる。佐伯の任務は社会主義者の調査。
・美術学校は海軍の縄張りなので、若松安太郎を通して山本権兵衛に頼み了承を得る。
・佐伯、周蔵両方のアリバイ作りのために救命院の診察日誌を書くことにする。
・薩摩から徳田球一を紹介される。その後、救命院に佐伯、薩摩、徳田の三人が入り浸ることになる。

●石光真清の教え
絶対に1人の人物に傾倒することをしないように
・誰でも人間である以上、自分を第一にするから、いかなる人物も確実ということはない。だから一人の人格を絶対視してはならない。これは至言ですね! 誰に対しても有用な教えだと思います。

●明石元二郎の功績
・明石は、日露戦争の前にロシア公使館付武官として赴任し、開戦後はスェーデンのストックホルムでロシアの後方撹乱を行い、日露戦争を勝利に導いたと言われています。
・明石は、陸軍の100万円(約80億円)の予算を使ったと言われていますが、この本によると実はその10倍の1,000円(約800億円)の資金を本願寺の大谷光瑞から得ていたという事です。この厖大な資金によってレーニンなどを動かしてロシア国内の厭戦感を煽って日本を勝利に導いたのですが、明石は周蔵氏に、以下のように言ったそうです。
し、ロシアが講和に踏み切らなかったら、戦争は長引き、おそらく日本は悲惨な状態で負けたであろうと云われた
そして、今度の戦争(大東亜戦争)は「長引いて」しまったという事のようです。
ロシアは、日本海海戦でバルチック艦隊を失ったとは言え、国内に攻め込まれたわけではありませんので、負けを認めずに戦いを続けていた可能性は十分にあります。
明石の後方撹乱による国民の厭戦感情の高まりは効果があったと思いますが、やはり講和させるという大きな力が働いたのでしょうね。

●佐伯祐三
「ニューリーダー」連載時は、落合先生が佐伯関連の記載をピックアップして書いていましたが、実際には国事に奔走していた周蔵氏が佐伯に関わっていたのはほんの一部だと思います。
・諜報活動を行う「草」には表看板が必要です。藤田嗣治のように画家という大きな看板を持っている人は楽ですが、当時の佐伯にはそのようなものが無いため、本願寺がその看板を作るために協力して欲しいと周蔵氏に依頼してきました。
・周蔵氏には、ケシの栽培という大きな裏の仕事がありますが、表看板がないため苦労します。それが無いと、まず近所の人や親戚など接触のある人たちに怪しまれます。周蔵氏の師匠である石光真清は、世田谷に特定郵便局を開いたそうですが、局長が留守にするとかえって目立つため失敗だったと周蔵氏に教えています。そのため、周蔵氏は、救命院という精神カウンセラーの診療所を開く事にしました。そして、佐伯祐三をそこの患者として診療日誌を書くことで、佐伯と周蔵氏両方のアリバイ作りを行いました。
・佐伯は、本願寺系の光徳寺の次男としての立場を強く意識していました。寺は兄が継ぐので、次男の自分は画家になって金を儲けて有名になる事で兄に対抗しようとしていたようです。
「わいは 結核やねん。よって、そう長くは生きられへんねん」という。
「画家になろうと思うが、なにより それで金をもうける事や。画家でのうてもとにかく 武者小路さんみたいになるのが エエと思う」と云う。
現実、兄が寺の後取りであり、「自分は しょうもない立場やねん」という。
・佐伯祐三が本願寺の諜報活動を行っていたというと唐突な感じを受けると思いますが以下のような事情のようです。
室町時代から戦国諸侯の中で教線を広げてきた本願寺は、それ自体が封建諸侯のようなものだから、忍者を使っていた。(中略) 父の祐哲は、浄土真宗の僧侶でありながら、山村をめぐって加持祈祷と職業斡旋の事業をしていたし、兄の祐正は西本願寺法主の大谷光瑞の側近であった。ようするに、祐三の父兄がある種の本願寺忍者であったことは間違いないのだが、詳細はここでは略する。
・また、佐伯はしばしば10円(現在の8万円くらい)の借金を要求したそうです。
当時の十円は今なら八万円ほどの大金であるから、当時これほどの金額を持ち歩いている人は少ない。
現在でも、知り合ったばかりの人に8万円貸してくれと言われてすぐに貸せる人は居ないと思います。(笑) これ以降、周蔵氏は佐伯からしばしば借金を依頼されますが、返したという記載はありません。


さて、第Ⅱ部は、「欧州に渡った北朝皇統」となっています。
落合先生が書く歴史は、「國體ワンワールド史観」に基づいています。「國體ワンワールド」とは、ウバイド人の末裔が構成する国際的な秘密勢力の事です。

この本で落合先生は、欧州に渡った皇統は、3系統あると書いています。
(1)欧州大塔宮:護良親王の王子・王孫が入欧。ベルギー皇家、オランダ王家がこれに当たる。
(2)欧州後南朝:欧州大塔宮の渡欧に随従した後南朝の王統及び南朝武士の一統。一部はヴェネツィアでワンワールドの「黒い貴族」に加わり、ローマ・カトリック勢力に潜入した。
(3)欧州北朝:新持明統の光明の孫(栄仁親王の王子治仁王)が1400年前後に渡欧してハプスブルク家に入り、その子フリードリッヒⅢ世が神聖ローマ帝国皇帝になる。

先生のこれまでの著書で、欧州大塔宮は馴染みがありますが、今回、新たに(3)の「欧州北朝」が加わりました。
これに関しては、先生じしんも以下のように書いています。
数か月も前のわたしなら、考察の対象とするのをしばらく躊躇したと思われるものである。 ところがここ数カ月、(中略) ワンワールド史に関する理解が飛躍的に進み、「ハプスブルク=欧州北朝」説にさしたる心理的抵抗を感じなくなった。
と書いてあるくらいの内容です。したがって、そこまで理解が進んでいない私としては、コメントができません。(^^)

しかし、周蔵氏が大戦時に敵国のウィーンに潜入して血液型分離法を無事に獲得して帰ってくる事は、普通に考えるとあり得ないと思います。先生が書くようによほど強力な国際的な組織の力がなければ不可能であった事は事実だと思います。

みなさんもぜひご一読を!

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・周蔵手記第二弾! 「國體アヘンの正体」 落合莞爾著 を読む
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項 解読! 陸軍特務が遺した超一級史料 (落合・吉薗秘史I)活字に出来ない《落合秘史3》 南朝天皇・北朝天皇の機密~明治天皇すり替えの極秘計画 <DVD> (DVD 活字に出来ない落合秘史)天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本ワンワールドと明治日本 (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)活字に出来ない落合秘史2 金融ワンワールド~天皇と黄金ファンドの秘密 (<DVD>)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)
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周蔵手記第二弾! 「國體アヘンの正体」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


國體アヘンの正体  大日本帝国を陰から支えた「天与のクスリ」 (落合・吉薗秘史 2)

この本は、落合先生の周蔵手記の第二弾です。
2017年8月4日発売ですが、私は神保町の書泉グランデの先行発売の時に買ったので、7月28日に入手して早速読みました。

その割に紹介が遅れてしまいました...。

<吉薗周蔵氏について> 前回の記載より・・・
この吉薗周蔵氏は、大正元年18歳の時に当時の陸軍中将(最終的には、元帥陸軍大将となる)上原勇作の特務となります。諜報というと陸軍中野学校を連想しますが、中野学校の創設は昭和12年ですので、それよりも25年以上前の話になります。また、周蔵氏は陸軍に所属していた訳ではなく、民間人として上原勇作付き特務となって上原勇作からの指示で動いていました。

上原勇作は、一般には陸軍大臣の時の「二個師団増師」問題で大正政変につながった事ぐらいしか知られていませんが、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官と言われている重職をすべて経験している実力者です。これは、上原勇作の他には杉山元しかいません。周蔵手記によって、大正から昭和の時代、この上原勇作が陸軍を裏から動かしていたことが分かりました。

その吉薗周蔵氏ですが、明治27年に宮崎県西諸縣群小林村に生まれます。周蔵の父林次郎は、公家の名家正三位である堤哲長(つつみあきなが)とギンヅルの間に生まれた子ですので周蔵氏はその公家の血を引いています。

さて、この本で落合先生が強調しているのが、人類にとって重要なものが「金(Gold)」と「罌粟(ケシ)」であるという事です。
罌粟はほんらい人間にとって至宝であるにもかかわらず、その効用ではなく恐ろしい中毒性のみを強調されてきました。
たしかに清朝末期の中華社会におけるアヘン耽溺は見るに忍びないものがあるが、万物すべて、大いなる効用の半面に同規模の副作用をともなうのが自然の理で、百利あるものに必ず五十を超す害があることは、かの原子力の平和利用を見ただけでも容易に理解せねばならぬ。
先生があげている原子力に限らず、私たちが病気になった時に飲む薬にしても、必ず効用の他に副作用があります。薬品メーカーに勤めている知り合いは、「薬はみんな毒だから飲むな!」とまで言っていました。
いずれにしても、罌粟(ケシ):アヘンに関しては、その効用(鎮痛、延命、多幸感など)を述べることなく副作用の悲惨さだけを主張しているのが、現在の状況です。そして、その悲惨な副作用にしても、すでに対応処置については分かっているようです。

この本を読み始めて驚くのが、これまで「ニューリーダー」で読んでいた周蔵手記での知識をはるかに越えてアヘンに関する記載が多い事です。これは、「ニューリーダー」では落合先生が読者の事を考慮して多くの部分を削っていたからだそうです。
これを読むと、周蔵氏は上原勇作の特務になってから最初の頃は、罌粟の栽培に没頭していた事がわかります。

この本に書かれている周蔵氏の動きを見てみます。

・上原勇作から罌粟(ケシ)の栽培を命じられる。
・東亜鉄道学校に籍を置き、熊本医専の薬学部麻薬掛に勤務する。
・親友の加藤邑(むら)と同居する。加藤は呉秀三の直弟子でハンセン病に罹患していた。
・加藤邑からアヘンに関する知識を得る。
・上原勇作、二個師団新設の要求が拒否され、単独辞任して西園寺内閣を総辞職に追い込む。
・上原、肺壊疽で入院したが、周蔵氏が持参したケシ粉で回復する。
・周蔵氏は父の林次郎(堤哲長の子)と罌粟の栽培に従事する。
・罌粟栽培のため、北海道(函館)を訪れる。若松安太郎、池田庄太郎と懇意になる。
・若松安太郎から北海道で罌粟の栽培を提案される。
・加藤から血液型分離法の知識を得てその研究を上原に具申する。
・加藤邑死去。
・貴志彌次郎中佐と初対面。
・大本教の渡辺ウメノからケシに関する書物と延命用の黒罌粟の種子をもらう。
・武者小路実篤の「新しき村」の土地探しを頼まれる。
・北海道の稚内、青森、山形で罌粟の栽培を行う。
・上原勇作から「軍に属する気はあるか?」と問われて断わり、上原の「草」として生きる事を決意する。
・血液型分離法取得のための渡欧に備えて、呉秀三の元で医学訓練を行う。


その他、個人的に気になった記載は、以下の部分です。( )内は私の注釈
池田庄太郎(周蔵氏の岳父)とギンヅル(周蔵氏の祖母)は家系で繋がっていたので、その家系関係を池田チヤ(周蔵氏の義妹)が教えてくれたが、驚いたことに、わたし自身もそれに出てきた。つまり、わたしと吉薗周蔵は赤の他人ではないのである。
周蔵氏が記載した「草の心得」です。
信用はできても全てを話してはいけない。六割で止めること。
金で済むことは金で片づける。
云おうと思ったら まず口の中で云ってできるだけ収めること。
然し、聞くときは残らず聞くこと。
基本的に実行は一人ですること。
商人を信用しないこと。
落合先生はこれを読んで、自分はその正反対をやってきたことを覚って衝撃を受けたそうです。
以上がⅠ部の内容です。

Ⅱ部は「アヘン概論」として、アヘンの歴史や関連情報が書かれています。落合先生の本は、実はこの後半部分にその後の重要テーマになるような内容が書かれている事が多いので注意が必要です。その中で私が気になったのが、以下の記載です。
「周蔵手記」の「別紙記載」には、
①後藤新平は上原勇作と組み、頭山満を通じて使晙した玄洋社員に、原敬を暗殺せしめた。
②後藤は正力松太郎によって暗殺された。
とある。これは周蔵の知見であって真相は分からない。

この本は、まだまだ周蔵手記のさわりの部分です。次刊では、いよいよ周蔵氏が血液型分離法取得のため渡欧する内容になります。

みなさんもぜひご一読を!

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項 解読! 陸軍特務が遺した超一級史料 (落合・吉薗秘史I)活字に出来ない《落合秘史3》 南朝天皇・北朝天皇の機密~明治天皇すり替えの極秘計画 <DVD> (DVD 活字に出来ない落合秘史)天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本ワンワールドと明治日本 (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)活字に出来ない落合秘史2 金融ワンワールド~天皇と黄金ファンドの秘密 (<DVD>)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)

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北朝鮮のミサイル攻撃! 『 そのとき 』 首都・東京が被爆する朝 ベリー西村著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


『 そのとき 』_首都・東京が被爆する朝

この本は、ベリー西村氏が1992年に見た夢を元に書いているものです。
以前は「未然の書」というタイトルでしたが、2017年10月5日に左のようなタイトルに変わっています。(内容も大幅にシュリンクしています)

その夢というのは、
北朝鮮からの核ミサイルが東京を攻撃し、その核爆発で西村氏自身も死ぬ
という恐ろしいものです。
本書の執筆は2014年4月ですので、その時点で現実化されていないため、未来予言の「未然の書」として書いています。
少し長いですが、核心部分なので引用します。幸いにも2016年のミサイル攻撃はありませんでしたが、最近の動向を見ていると以下の内容にリアリティーがあるので紹介しておきます。
2016年6月11日午前11時11分。
テレビニュースの画面が急に緊張した声とテロップが流れ出した。
「北朝鮮、ミサイル発射か」
それに続き女性アナウンサーが緊張しながらもゆっくりと語った。
「二分以内に東京に到着する模様」
「えええっ、二分後?、イージス艦のSM3迎撃ミサイルは無力だったの!」
急いで側道に停車し車外に出た。ちょうど横浜の高台で、遠くに川崎、東京タワーを見渡すことが出来る場所にいた。
その瞬間、品川上空で閃光が見えた。
「しまった、女房を倉敷に帰すのが間に合わなかった」
そう思った瞬間、頭が真っ白になった。明らかに核爆発による閃光だ。直後、強烈な爆風を感じた瞬間、暗闇となり一瞬だがクラクラと軽い目眩を感じたこと迄は記憶している。客観的に考えて、この瞬間に私は即死、身体は蒸発したのだろう。

イージス艦によるSIM3シーザーミサイル、パトリオットミサイルは発射されたのだろうか。
それだけが気がかりである。
2016年以降、本書を読んでいる貴方には解っているだろう。
しかし2014年の時空にいる私には何も知らないままである。私に理解出来ることは、東京が北朝鮮の核ミサイルにより攻撃された事実のみだ。
その後、西村氏は予知夢研究会を立ち上げて2,000人以上の会員が集まったそうですが、そのほとんどがオカルト系の人たちだったそうです。しかし、その中で5人のメンバーが西村氏と同じ夢をみていたそうです。その人たちからの聞き取り調査によって、予想した内容が書かれています。

・北朝鮮への攻撃のXディの一週間前にミサイルが発射された。
・日本には10発の通常ノドンミサイル、12発の核弾頭テポドンミサイルが発射された。
・福岡2発、大阪4発、京都1発、名古屋3発の通常弾道ミサイルの内、着弾したのは福岡1発、大阪1発の合計2発のみ。
・東京に向けられた11発の核弾頭ミサイルのうち8発は撃墜したが、3発は防御網を突破した。
⇒ 8発の核ミサイルの迎撃によって東京多摩地区、八王子地区、埼玉草加、浦和、川口地区に大量の放射性物質が降り注ぎ東京周辺は壊滅状態となった。
・1発は東京湾至近上空、または東京湾海面到達後に爆発したものと見られ、2メガトンの破壊力は巨大な津波を引き起こした。
⇒ 千葉、横須賀、横浜、川崎、アクアラインを崩壊させ、品川、羽田空港、晴海にも押し寄せ、東京駅周辺に大型貨物船が打ち上げられた。


日本には同時に20発以上のミサイルが同時に飛んで来るという予想ですが、最近の北朝鮮の動向を見ているとリアリティーがありますね。

この本によると、北朝鮮の日本へのミサイル攻撃の前にイスラエルによるイランの核施設攻撃が行われるとの事ですので、そちらも注視すべきだと思います。
新しい本では、北朝鮮のミサイル発射は2018年5月~10月だろうと書いています。つまり、長くてあと1年という事です。

決して皆さんの不安を煽るつもりはありません。
このような内容の本が2014年4月に出されていた事を記録しておきたいだけです。
そしてこの予知が外れる事を願っています。

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2018年成就・イルミナティの悲願__英国誌「エコノミスト」予言の解読に成功!神との対話集夢研究者と神_神が語った睡眠・宇宙・時間の秘密洗脳―あなたが集団催眠から脱却する本です未来はすべて決定していた!_神様から教わった時間の秘密絶対入眠法_睡眠環境や精神状態に関係なく確実に眠ることができます神覚 _The Eighth Sense 〈第八感 〉_人に頼らず、ご自身で神様と対話してみませんかSTAP細胞は存在していた!_ 発覚!強奪されていた小保方晴子・世紀の大発見小保方晴子手記「あの日」への若山照彦の説明責任__日本人だけが知らないSTAP細胞、世界の現状

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琳派 尾形乾山の書を考える その2 乾山の字母について [尾形乾山]

さて、今回は乾山の文字の字母について考えてみます。

前回紹介した、1982年に五島美術館で開催された「乾山の絵画」の図録に、当時五島美術館の工芸課長であった竹内順一先生の「尾形乾山に関する主要論文概要」という論考が掲載されています。その中に驚いた事に佐野乾山に関する記載がありました。
(新発見佐野乾山の紹介とその反論の中で)一つだけとりあげたい論文がある。それは乾山の書(筆跡)を扱ったもので、過去の研究ではまったく行われなかった方法論にもとづくものであるからだ(正確にいえば書道史ではごくあたり前の方法論だが、それが乾山作品に応用されたことに意義がある)。加瀬藤圃「乾山字母表に就いて」(『陶説』113、114号 昭和37年)がそれで、乾山の使用した字母(くずし字の母体の字)を系統的にあつめて、乾山の書の特質(この場合は新発見佐野乾山の書体と、乾山晩年の画賛のそれとの比較対照)を論じたもの。書の遺品は、乾山の場合25歳から晩年まで残されており、字母表作成に限定しなくとも、筆跡の年代を系統づけることは、乾山研究に重要な成果をもたらすだろう。(『乾山の絵画』1982年 五島美術館 P207)

この加瀬藤圃氏の論文は、『陶説』という日本陶磁協会の機関誌に掲載されました。佐野乾山が論争になっていた頃、この加瀬氏の佐野乾山の陶器と手控えに対する否定論は陶磁協会の有力な論拠となっていたように思えます。
加瀬氏の論考は、他の陶磁協会のメンバーのように、「絵が悪い」、「器が悪い」、「絵が騒々しい」などのように、どの作品を見て言っているのか分からないような批判と違って、当該の作品や手控え等を特定して批判を加えているので、きちんと議論できる内容です。その点では評価に値する論考だと思います。

この論考については、K's HomePage においてすでに反論がなされています。(http://kaysan.net/sano/kasetouho2.htm
そのため詳細は割愛しますが、結論を簡単に言うと、「文字の比較対象が間違っているので結論も間違っている」ということです。
乾山が絵画や陶器に書いている賛は作品の一部であり、絵や空間など全体のバランスを見て字母や字体を選択しています。「ここは通常の平仮名では弱いのでこの字母を使おう」、「ここにはこの字体を使おう」というような作者の意志が働いています。一方、手控帖は言わばメモのようなものですから、思いついた事をそのまま、字の種類を選ぶ事なく書いていますので字母の数が少なくなり、字体が異なるのは当然です。

まあ、加瀬氏の論考に関してはこれで「終了!」なのですが、それだけだと加瀬氏の論考そのものは正しいと思われかねないので、明らかな間違いを何点か指摘しておきましょう。

陶説1S.JPG①「あ」に関して

このめづらしいあの字(阿)が無数にある。それは真物と思えるものには一字もかかれていない。佐野新乾山「阿」にあって、乾山真蹟に一字も見当たらないものなのである」(113号P42)
と加瀬氏は自信満々に書いています。

しかし、左の図の赤線で示した部分に、その「阿」が使われています。この図はどこから持ってきたかと言うと、なんとこの加瀬氏の論文が掲載されている『陶説』113号の白黒の口絵の1番最初に「乾山作 桜絵画賛四方皿」として掲載されているものです。(^^)
これは、愛陶家大屋敦氏の所蔵品のようで、陶磁協会理事長である梅沢彦太郎氏、久志卓真氏がインタービューをしているようですので、当然陶磁協会公認の乾山ということになります。

加瀬氏の論考を読むと、乾山の絵画は良く見ているようですが陶器の方はあまり見ていない印象を持ちましたが、やっぱりと言う感じです。まあ、加瀬氏は『陶説』のこの号にこの乾山が掲載される事は知らなかったのだと思いますが、残念でしたという感じです。

雪竹図文字 1.JPG②「し」に関して

シについていえば、乾山晩年はシをことごとく「|」にかいて単独体が多い。たとえば八ツ橋の画賛は「|」が4ヶあって一つも連綿がない。七十九才筆の雪竹画賛は、一首の和歌に3ヶの「|」があるがみな単独体である。(中略) 新乾山は連綿体をおもに用いている。(中略)そして無理に右から中心に運ぶ運筆は、軽々しくて御話にならない。真乾山の堂々たる直線をひいたのと比較すれば、何人も全然別手なることをうなづけることであろう。」(114号P29-30)

加瀬氏の取りあげている雪竹図の当該部分を左に示します。赤枠の部分が「し」の単独体です。確かに、特徴的な「し」であり、「乾山ならでは」と言いたくなるのも分かります。
しかし、いくつかの作品に使っていないからといって「一つも連綿がない」というのは、あまりにも強引です。


しの連綿体.JPG上のように加瀬氏は滔々と述べていますが、乾山晩年の八十一歳の十二カ月和歌花鳥図の十月の中に左に示したような「まし」という単独体ではなく連綿体で書かれているものがあります。(「乾山の絵画」P18 )
この作品は、加瀬氏が調査した作品に入っていますのでこの部分は見落としたのだと思います。これは考えてみれば当然で、乾山の使った「|」は特殊な書体ですので、作品によって使い分けるものだと思います。
いずれにしても、「晩年には単独体しか使わなかった」というのはどう考えても言い過ぎです。


紫式部ss.JPG③「て」に関して

次はテであるが、真乾山は普通の「て」をかく。新乾山は「亭」このテをかく。(中略)真乾山は絶対この「亭」はつかわなかったと思う。」(114号 P32)

確かに、佐野乾山で良く使われている「亭」の字に関しては、私もこれまでの乾山の文字では見た事がありませんでしたので、「これは加瀬氏の言う通りかもしれない」と思っていました。
しかし、いろいろな本を調べてみると、1987年に五島美術館で開催された「乾山の陶芸」の図録P44に、左に示すような赤枠で囲った「亭」を使用した例がありました。

紫式部

巡りあひて」 ⇒ 「免倶李逢

この展覧会の作品選定には、大御所である林屋晴三、山根有三両氏が関わっていたそうですから、作品の真贋に関しては懸念はなさそうですし、私が見ても乾山作品に間違いないと思います。
これも加瀬氏が乾山の陶器をよく見ていない証左だと思います。

以上、簡単に述べましたが、これまであまり批判のされた事のない加瀬氏の論考ですが、探せばまだまだ反論できそうな所があると思います。加瀬氏が主張する「乾山は絶対に◎◎は使わなかった」などと言う事は、乾山本人にしか知りえない話で、限られたサンプル調査では言えるはずがありません。せいぜい言えるのは「私の知っている範囲では◎◎は使わなかった」というくらいでしょう。

また、加瀬氏は、佐野乾山の手控帖は、現代人が書いたものであると言いたいがため、「そして圧倒的に平仮名の普通のソを新乾山はかく。ここにも現代人らしい感覚が伺えるのである。」(114号 P31) というような表現を多く用いています。これを読むと、江戸時代以前には私たちが使っている平仮名を使わなかったかのような印象を受けますが、実際には昔から平仮名も当然使われていました。これも印象操作の一例ですね。

さらに言うと加瀬氏の発言の問題は、これまで書いたようにいろいろと突っ込み所がある内容にもかかわらず、
猶問題になっても真物とみせようとした、森川氏は、まづ第一の明き盲で、これを絶賞して已まなかった美術史家の数氏は、尚一段の半鑒耳食の徒である。その愚劣低見論ずるに足らぬヘボ学者である。二世紀以前の作品と今窯からでたばかりの下劣醜陋なるものとを辨別出来ぬとあっては、今までなにを勉強されていたかといいたい。(114号 P52)」

というような超上から目線で断言することです。古美術の世界では、絶対に正しいと言える証拠など無いのですから真剣に考えている人ほど、多くの可能性を想定します。そのため、どうしても「~と思われる」、「~という可能性が高い」などのように弱い表現が多くなります。そのため、加瀬氏のように強い表現で断言されると、普通の人は信用して正しいと思ってしまう事になります。
それにしても、加瀬氏の発言は他者に対するリスペクトのかけらも無いですね~。

私も少し加瀬氏を見習って書いてみましょう。
加瀬氏の論考は、上に書いたように手法はともかく比較対象がまったくダメで御話にならない。当然結論も間違っている。また、検討内容についても上に例として3点挙げたように基本的な間違いが多くてまったく杜撰な内容である。陶工である乾山の器を研究していないにもかかわらず乾山の全てを分かった気になって書いているのは笑止千万だ。何年も乾山の書と字母を研究されてきたそうであるが、これまで何を勉強されてきたのかといいたい。
どうでしょうか? 加瀬氏に比べるとまだまだ目線が低くて表現が弱いですかね? (^^)

議論をすることは重要で必要ですが、相手に対するリスペクトを忘れないようにしましょう。
以上のように加瀬氏の論考は、不正確な点が多く、再検討が必要な内容だと思います。

乾山の書に関しては、こちらもどうぞ。
・琳派 尾形乾山の書を考える その1

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乾山 KENZAN―琳派からモダンまで尾形光琳二代目 乾山淡交別冊 仁清・乾山 2011年 08月号 [雑誌]
乾山焼入門

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織田信長はスティーブ・ジョブズだ! 「大間違いの織田信長」 倉山満著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


大間違いの織田信長大間違いの織田信長 (ワニの本)
← Kindle本です。

倉山先生が書いた織田信長の本です。

最初に近代史家である倉山さんが、なぜ織田信長を書いたかについて記しています。
現代日本は「実にグダグダな時代」であると喝破します。
戦争に負けて、負けっぱなし。殴り返す気力すら、失っている。アメリカの持ち物にされたばかりか、ロシアや中国までが、「それを俺に寄越せ」と小突き回しに来る。あまつさえ、韓国や北朝鮮にまでなめられている。

織田信長の時代も足利将軍に実力がなくてグダグダな時代であったそうです。そして、信長は思い立って立ちあがります。
だったら、自分がこのグダグダを立て直してやろう
自分がやらなきゃ誰がやる?
誰もやらないなら自分がやる!
いつやるの? 今でしょ?」 ← これは私の付けたし(笑)

織田信長というと、司馬遼太郎の小説などで作られた、「天才的」で「洞察力が鋭い」、「癇癪持ち」で「残虐」な怖い人というイメージがあります。しかし、これは戦後に作られた誤った信長像だそうです。

私がこの本を読んで思ったのは、「織田信長は、スティーブ・ジョブスである!」でした。(笑)
スティーブ・ジョブスは、これまでにない技術でipodやiPhoneなどを世に送り出して世界を変えたように言われていますが、いずれもそれ以前にあった技術を使って使い勝手や製品としての完成度を上げたものです。(それはそれで超の付く拘りと技術力は必要)
しかし、実際にジョブスは世界を変えました。永遠に続くと思われたゲイツのWindowとIntelの世界に引導を渡しました。織田信長も同様だと思いました。

①信長は権威をないがしろにしたか?
⇒ むしろ権威を利用して自分の敵をつぶしてのし上がっていった。
②信長は革新的な人物だったのか?
⇒ 基本的には常識人。 確かに革新的な事をやったが、信長のオリジナルではない。良いと思った事は躊躇なく取り入れるこだわりの無さがあった。
③信長は戦争の天才だったか?
⇒ 部下の軍隊の強さにバラツキが大きい。生涯で130勝30敗で、非常に負けが多い。「むしろ、泣きたくなるくら戦に弱くて下手」
④信長のノルマはキツイ?
⇒ ノルマは緩いが、業績を上げた者は抜擢してどんどん昇進させる。(本当の成果主義)
⑤信長はものすごい働き者の経営者である
⇒ 信長は部下には強制しないが、自分は寝ないで働く。カリスマではなくてチームのキャプテン。
⑥信長は日本史最高の土下座名人だった
⇒ 武田信玄や上杉謙信など自分のよりも強い相手に対しては、天皇の権威にすがり、ひたすら土下座して戦わないようにした。

そんな、努力家で働き者の信長ですが、倉山先生によると、絶対勝てない超強敵である上杉謙信の死去から本能寺の変までの3年3カ月は、慢心して「調子こきまくっていた」とのことです。私たちが抱いている信長像もこの時代にはあてはまるそうです。

本当の信長を知りたい人には必読の書だと思います。是非読んでみてください。

倉山先生の「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

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悲しいサヨクにご用心!国際法で読み解く戦後史の真実 文明の近代、野蛮な現代 (PHP新書)日本一やさしい天皇の講座 (扶桑社新書)倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々倉山満が読み解く 足利の時代─力と陰謀がすべての室町の人々嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)右も左も誤解だらけの立憲主義大間違いの太平洋戦争検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む (光文社新書)常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 上 「アカ」でさえない「バカ」なカリスマ教科書 (Knock‐the‐knowing)真・戦争論 世界大戦と危険な半島

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琳派 尾形乾山の書を考える その1 [尾形乾山]

さて、今回は陶工尾形乾山の仮名文字について考えてみます。

尾形乾山は陶工ですが、鳴滝時代や二条丁子屋時代などは、乾山窯の窯主やプロデューサー、デザイナーとしての仕事がメインであり、実際の作陶や絵付け、焼成などは弟子や絵師にやらせていたと言われています。作品に対する乾山の仕事としては、大事な作品に画賛を入れたり、「乾山」銘を書き入れたりすることだと考えられます。つまり、乾山焼における乾山の仕事の見どころは、作品に書かれた文字であると言えます。

しかし、それにもかかわらず乾山関連の書籍、図録等を眺めて見ても乾山の書いた文字に関する考察はあまり見た事がありません。

KenzankaigaSs.JPGそのような状況で、私が参考にさせてもらっているのが1982年に五島美術館で開催された「乾山の絵画」展の図録です。これは大変な労作で、私のような初心者にはとても参考になる本です。

この展覧会は、陶工尾形乾山の陶器の展示を代表作の数点にとどめて、「可能なかぎりの乾山の絵を集めて資料を提供することを第一の目的としました。」(唐澤勲館長)という乾山の作品展としては画期的な展覧会でした。

乾山は、たくさんの絵画を残していますが、そのほとんどは京都から江戸に移った以降のものです。そして、その絵画の多くに自賛が添えられていて、乾山の文字を見る参考になります。乾山の陶工としての作品は、乾山自身の絵付けの作品が特定できていないため自画自賛の作品を特定できませんが、絵画の場合はほとんどが自画自賛です。

乾山作品だけでなく、古美術に書かれている仮名文字は、変体仮名という文字で書かれており、さらにその字をくずして書いていますので普通の人はほとんど読めないと思います。その仮名の元になった漢字の事を字母と言います。
例えば、「あ」の字母は、「安」、「阿」、「亜」、「愛」、「悪」など沢山あります。一つの平仮名に対して字母が一つであればまだ分かりやすのですが、残念ながら沢山あります。

乾山作品に良く出てくる「紅葉(もみじ)」と書く場合、手元にある百人一首の本の中では、次のように書かれています。
・「毛美知」⇒ No.5:猿丸大夫、No.24:管家、No.32:春道列樹
・「裳見知」⇒ No.26:貞信公
・「毛三知」⇒ No.69:能因法師
というようにいくつかの字母の中から自分の好きな文字を選んでいます。この字母の選び方にその人の教養と個性が現れると言われています

前掲の図録のP84-P85に福岡市美術館所蔵の「茄子図」という乾山作品があります。
左側の絵の中に書いてある文字の字母を拾って右側に書いておきました。
nasuzu001.JPG
読み方は、「なれ茄子 なれなれ茄子ひ なれなすひ ならすは棚の 押し絵ともなれ」 と読みます。

単に歌の意味を伝えるだけであれば全部ひら仮名を使えば良いのですが、この絵で乾山は、「」の字については、「」、「」、「」、「」の3種類の字母(4種類の字体)を使い分けています。同じように、「」の字については、「」、「」、「」の2種類の字母(3種類の字体)を使い分けています。
この字母、字体の使い分けがこの絵の見どころの一つになっていると思います。

さて、もう一つの例を紹介します。前掲の図録のP45に掲載されている4種類の「拾得図」です。これは帚を持った拾得が後ろ向きで立っている細長い絵で、賛が添えられています。
どれも書いてある文章は、「をのつから はらはぬ帚もつ人の こころのそらに塵はなきもの」という同じ内容です。それぞれの拾得図の字母拾って表にまとめてみました。3つ以上の絵で共通の字母のところはグレーバックにしています。(図録の写真が小さいので、細かい部分で読み間違いがあるかも知れません。ご指摘頂ければ幸いです。)
拾得図字母.JPG
それぞれの絵の字母の番号と図録の番号は、①K-193 ②K-191 ③K-192 ④K-194 です。③は畠山記念館蔵と書いてありますが、それ以外は個人蔵のようです。
上の表を見ると絵によって字母や字体がかなり違っています。これを見ると同じ人が書いても字母が異なることが分かります。
また、上記④は帚の描写と「乾山」の銘を見る限り乾山の作ではないと思います。しかし、④の字母が他の絵と全く異なるかというとそんな事はありません。これを見ると「人によって使う字母が違う」と本当に言えるのか? と考えてしまいますね。
写しや贋作を制作する時には当然オリジナル(あるいはその写真)を見て書くでしょうから、字母も字体も似せて書くことになり、同じ字母になるのは当然のように思います。そう考えると、④の絵のオリジナルがどこかに存在していた可能性がありますね。

さて、同じ作者が同じ画題で文章を書いてもこのように字母が異なっている理由は何なのでしょうか? その理由を考えてみました。

①その時の気分によって使用する字母は変わる。(「に」、「の」、「は」など)
②一度に同じ絵を何枚も書いたため字母を変えたくなった。

というのはどうでしょうか? ①の理由だと字母によって書き手と特徴の比較はあまり意味がない事になってしまいますね。個人的には、②が理由ではないかと思っています。乾山は職人ではなく芸術家なので、お客さんに依頼されたとしても同じ絵を同じ文字で何枚も書く事には耐えられなかったのではないでしょうか。

まあ、素人の戯言ですから、どなたか御存じの方がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。
いずれにしても、同じ人が同じ文章を書いても字母が大きく異なる事があるという良い例だと思います。

*もし乾山の文字、字母に関連した読むべき書籍、論文等があればご教授頂けると幸いです。

乾山の書に関しては、こちらもどうぞ。
・琳派 尾形乾山の書を考える その2 乾山の字母について

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乾山 KENZAN―琳派からモダンまで尾形光琳二代目 乾山淡交別冊 仁清・乾山 2011年 08月号 [雑誌]
乾山焼入門

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Kindle本で古典を楽しむ

最近は、Kindleで本を読むことが多くなっています。
Kindleの良い所は、著作権の切れた古典などを安価で読むことができることです。
特に、万葉集や古事記などの古文書そのものを見る事ができるのは画期的だと思います。これまでであれば、どこかの図書館にわざわざ行って見る必要があったものを手元で見る事ができます。
これらの本は、国立国会図書館などに所蔵されている本をコピーしたもののようです。

1.万葉集
万葉集は、漢字を表音文字として使っているので、とても読みにくいですね。
有名な雄略天皇の歌が最初に書かれています。
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)(やまと)
(「万葉集入門」よりhttp://manyou.plabot.michikusa.jp/komoyo.html
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一番最初に書いてあるのが、学校でも習う有名な額田王(ぬかたのおほきみ)の歌です。
熟田津尓 船乗世武登月待者 潮毛可奈比沼 今者許芸乞菜
熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな (同上)
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2.百人一首
次は、おなじみの百人一首です。菱川師宣と書かれていますので、絵は師宣の作と思われます。
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天智天皇
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
原文は、「秋乃田乃 可利本乃庵能 苫越安良三 和可古呂毛手波 露尓奴礼川々」と漢字で書かれています。

その漢字をくずして書いているので、とても分かり難いですね。しかも同じ「の」の音を表すのに、「の」、「乃」、「能」の三つの字を使い分けています。これも慣れるとそうでもないですが、知らないと混乱しますよね。このように仮名の元の漢字を字母と言います。上の例でいうと「の」と「乃」の字母は同じ「乃」です。

持統天皇
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
春過天 夏幾尓介良之 白妙乃 古呂毛保春天不 安末乃加久山

この字母の選び方は、人によって変わります。最初の「春すぎて」は、別の本では、「春春幾天」と書いてあります。まあ、はっきり言って分かればどうでもよいようです。(^^)

暴走族がよく 「よろしく」を「夜露死苦」なんて書いたりしていますが、よく古文の勉強をされていると思います。(笑) まあ、くずし字的には、「与呂之久」か「夜路志具」のそれぞれの字の組み合わせが多いでしょうが...。
100nin_1.JPG

3.先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)

先代旧事本紀
以前紹介した本です。推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著したと言われていたため、江戸時代以前は古事記、日本書紀よりも尊重されることもあったそうです。しかし、江戸時代に本居宣長らによって偽書とされました。この本にしか書かれていない物部氏関連の記述が多く、物部氏伝承を元に書かれたのではないかと言われています。
sendaikujihonki.JPG

いかがですか、Kindle本の面白さがおわかり頂けたでしょうか?
ただ、画像を見て頂くとお分かりのように原本には沢山の朱記が追加されています。これは誰が書いたのか、あるいは何を書いているのかなどの解説があると更に分かりやすい本になると思います。

紹介した以外にも、枕草紙や三十六歌仙などもKindleで読む事ができます。興味ある方はぜひ試してみてください。(Amazonのプライム会員の方は、ほとんどタダで読むことができます。会員で無い方も、先代旧事本紀は540円と高いですが、それ以外はほとんど108円とお安いです。)

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万葉集:https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86-1-%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%B5%9C%E8%87%A3-ebook/dp/B014PMPZCG/ref=sr_1_11?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1504511051&sr=1-11&keywords=%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86+kindle%E7%89%88
小倉百人一首:https://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%80%89%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96-%E8%8F%B1%E5%B7%9D%E5%B8%AB%E5%AE%A3-ebook/dp/B00NGEU4BC/ref=sr_1_5?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1504524344&sr=1-5&keywords=%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96+kindle%E7%89%88
枕草紙:https://www.amazon.co.jp/%E6%9E%95%E8%8D%89%E7%B4%99-%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98-%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89-%E6%B8%85%E5%B0%91%E7%B4%8D%E8%A8%80-ebook/dp/B00ZRZCBJ6/ref=sr_1_2?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1504524499&sr=1-2&keywords=%E6%9E%95%E8%8D%89%E7%B4%99
三十六歌仙:https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%AD%8C%E4%BB%99-%E5%85%89%E6%82%A6-ebook/dp/B01N2I3KTM/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1504525216&sr=1-1&keywords=%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%AD%8C%E4%BB%99
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陶工 尾形乾山は本当に素人か? 『「琳派」最速入門』を読む [尾形乾山]

「琳派」最速入門: 永遠に新しい、日本のデザイン (和樂ムック)


今回は、ムック本です。
「琳派」に関する入門書です。


この本は、「琳派」の入門書ですが、困った事に一番重要な「琳派」の定義が書かれていません。
「琳派」は当時最新流行の、洒落たインテリアやモードだったのです。
光悦宗達から100年後。同じく京の尾形光琳乾山の兄弟がこの美の様式を受け継ぎます。さらに100年後の19世紀、江戸の酒井抱一や鈴木其一といった絵師たちが「琳派」を継承していきます。
当たり前ですが、光悦や宗達、光琳や乾山が自分達の芸術が「琳派」だと思っていた訳はありません。あくまでも後世の誰かが説明しやすいように名付けてそう呼んでいるだけです。
そのため、研究者の中には宗達を琳派と呼んで良いのか? と疑問を持っている方もいます。
「宗達は本当に琳派か? 俵屋宗達 琳派の祖の真実 古田亮著 を読む」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-06-23

さて、この本の内容ですが、なかなか面白くまとまってはいますが、尾形乾山に関してはクレームを付けたいと思います。この本の62ページに乾山の記載があります。その題名が、

偉大なる素人 尾形乾山

というものなんです。これってひどい表現だと思いませんか?
乾山本人が聞いたら絶対に怒ると思います。

では、この作風はどこからきたのでしょうか。実は、乾山が陶芸の素人だということが、大きな要因になっています。
日本のやきものはいつも素人が大変革を起こしてきました。乾山はそのさきがけで、明治以降では川喜多半泥子や北大路魯山人などもまた、偉大なる素人でした。彼らにはプロにない大胆でとらわれない発想ができます。ゆえに新しい風を起こすことができたのです。

確かに乾山は37歳という高齢で陶工になりました。しかし、どんな陶工でも最初は素人です。
乾山の章を書いた人は、乾山は一生「素人」だったと言いたいのでしょうか。乾山は81歳で亡くなっていますので、鳴滝で作陶を初めてから44年間を陶工人生を歩みました。44年間作陶して作品を作り続けた人を「素人」と呼ぶのでしょうか?

乾山がそれまでの焼物の世界に大変革を起こした事は確かだと思います。しかし、それは決して乾山が「素人」だったからではないと思います。乾山がそれまでの陶工とは違う新しい発想とセンスを持っていたからではないでしょうか?

半泥子や魯山人は、陶工として生計を立てたわけではありませんので「素人」と呼んで良いと思います。しかし、乾山は鳴滝以来、助手や協力者を含めた乾山窯を経営して生活を維持し、死ぬまで陶工として生きました。そのようなプロ中のプロである乾山をどうして「素人」と呼べるのでしょうか?

筆者は、鳴滝時代、二条丁子屋時代、入谷時代のどこまでが「素人」で、どこの時点を「初心者」、「熟達者」、「達人」などと定義するのでしょうね。(笑)
鳴滝時代は13年あります。普通は一つの道に職業として10年以上専念した人を「素人」とは言わないでしょうから、筆者は鳴滝時代の初期の作品を「素人」の作品と言いたいのでしょうか? その乾山が素人の時に作った作品を特定できるのであれば是非教えて欲しいものです。(^^)

もし、陶工である乾山を「素人」というのであれば、本阿弥光悦こそ本当の「素人」ではありませんか? 彼はある意味で乾山よりも素晴らしい作品を残していますが、陶工ではありません。彼の陶芸作品は、色々な分野ですばらしい才能を発揮した彼が、手慰みで造ったものです。
また、単に陶工として窯を築いた時期が37歳と遅かったから「素人」なのだというのであれば、40歳の時に絵師となった兄の光琳も「素人」ではありませんか?
しかし、光悦や光琳が「素人」だという説は聞いた事がありません。

この、「乾山、半泥子、魯山人の三人の素人が日本のやきものに変革を起こした」という主旨の事は中島誠之助さんも良く話をしますが、私はいつも疑問に思っていました。

乾山本人が聞いたら怒るような事を言うのはもう止めませんか?

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乾山 KENZAN―琳派からモダンまで尾形光琳二代目 乾山淡交別冊 仁清・乾山 2011年 08月号 [雑誌]
乾山焼入門

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フリーソロ クライミング 死を恐れないアレックスオノルドは侍だ! [クライミング]

ALONE ON THE WALL アローン・オン・ザ・ウォール 単独登攀者、アレックス・オノルドの軌跡

以前、フリーソロで紹介した、アレックス・オノルド(Alex Honold)の本です。

「フリーソロ」というのは、通常のクライミングで使用する安全確保用のロープを使用しないクライミングです。クライミングシューズを履いて、チョークバックを腰に付けただけで登るシンプルなクライミングです。

ただし、手や足が滑ったり、腕がパンプしたりしてミスすると落ちます。オノルドが行っているクライミングは、数百mの高さでのクライミングですので、

落ちる = 死

を意味します。
実際に過去にフリーソロを行っていた人たちの多くの人たちが亡くなっています。

技術的な話だけでなく、足が攣ったり、眩暈がしただけでもアウトだと思います。私は、通常は4mくらいの高さのボルダリングしかしていません。(これでも一番上まで登ると結構怖いです 笑)
しかも、下には厚いスポンジのクッションがありますので、普通に落ちる分には、全然大丈夫です。自分が登れるグレードよりも2段階くらい低いグレードの課題であれば、落ちることはまず考えませんし、実際落ちません。しかし、その下のクッションが無くて、その下が100mの崖であったとしたらどうでしょうか? おそらく、怖くて手も足も動かなくなると思います。

つまり、通常では鼻歌を歌いながら難なく登れるグレードの課題でも「失敗したら死ぬ」という状況では、まったく違うレベルの課題に変わるという事です。実際に、クライミングの難易度ではオノルドよりも難しい課題を登るクライマーはたくさんいると思いますが、その人達がオノルドと同じようなフリーソロを出来るかと言うと別問題です。

この本で、私が一番知りたかったのは、「オノルドは死ぬのが怖くないのか?」ということです。
彼自身は、「恐怖心が無いわけではない」、「人と同じように恐怖心はある」と書いていますが、私が読んだ感じでは、やはり少し普通の人とレベルが違うようです。
ハーフドーム北西壁レギュラールートの高さ300m地点で、ぼくはまたもや袋小路に入っていた。(中略) 不安はまだ真の恐怖にまでは達していなかったが、ともすれば、そちらに気持ちをもっていかれそうになった。ぼくは意識を集中し、深く息を吸い込んで、取るべき道を整理した。
高さ300mのクライミング中に、登っているルートが分からなくなったら、通常はパニックに陥るはずですが、冷静に状況を判断しています。これが彼独自の能力だと思います。

私はオノルドの本を読んで、宮本武蔵の逸話を思い出しました。武蔵が剣の修行で重要な事は何かと問われた時に、普段であれば普通に歩く事ができる畳の縁を城の屋根くらいの高さであっても同様に歩けることだ、と言ったそうです。常に平常心を持つことが重要である、ということですね。
剣道の全国大会で優勝するような達人でも、真剣を持った相手と戦う時に同じような心理状態で戦えるかというと普通はできないと思います。(違っていたらすいません)
新撰組の近藤勇は道場ではそれほど強く無かったけれど、真剣を持った切り合いでは強かったと言われています。この辺りが胆力の違いという事でしょうか。

その意味で、オノルドは侍のマインドを持っているということになりますね。(^^)

2017年6月5日、そのオノルドが、とうとうエルキャピタンをフリーソロで登ることに成功したというニュースが流れてきました。東京タワー3本分よりも高い1,000mのエルキャピタンを4時間弱でフリーソロで登ったというのですから、これは驚くしかありません。

東京タワーに長~い梯子を垂直に立てて、その梯子を安全確保なしで、登る事を想像してみて下さい。かなりゾクゾクっとしますよね?(笑) オノルドが登ったのは、その3倍の高さですよ! しかも梯子のようにきちんと足を掛けたり、握れるようなものはほとんど無いのです。
アレックス・オノルド、エルキャピタン・Freeriderをフリーソロ

いつかはやるであろうと思われていた、アレックスオノルドによるエル・キャピタンのフリーソロがついに成された。ルートは誰もが予想した通りFreerider(5.12d)。サラテのヘッドウォール(5.13c)を迂回するラインだ。オノルドは6月3日 の 5時32分に取り付き、 3時間 56分後の 9時28分に完登している。 最難ピッチが、グレード的にはすでにソロで登っているCosmic Debris(5.13b)より低いとはいえ、1,000m強、37ピッチのフリーソロは驚愕以外のなにものでもない。もちろん世界初の快挙となる。
トミー・コールドウェルは「フリーソロにおける、月面着陸」と評価している。(後略)
CLIMIBING-net 2017年6月5日より

オノルドの凄さが一番分かるのは、以前紹介したこの動画ですね。これは、メキシコのエル・センドロ(5.12d)で約500mですから、エルキャピタンの半分くらいの高さです。

この動画の(045/1:35)から見て下さい。
まずは、左手を見て下さい。壁の割れ目に親指と人差し指を入れています。右手を見ると壁を押しているだけですから、オノルドを支えているのは、左手の二本の指だけです。しかも、右手で岩を掴んで左手を離す時の映像を見る限り簡単に外れているので、単に支えているだけのように見えます。足でしっかり支えているということなのでしょうが、見て分かるように足を支えるような明確な突起はありません。5.12というのはこれくらい難易度の高い課題であるということをご理解下さい。しかし、この高さで手や足をクロスさせるというのは、私の想像を超えたスゴイ事です。

さて、最後に本の中で面白いと思った内容の紹介です。

①なぜ、オノルドはフリーソロを始めたのか?
⇒ 通常のクライミングは、ロープを使って安全確保を行うペアと一緒に行いますが、オノルドにはそのペアがいなかった。ペアがいない場合、通常はその岩場にい来ている人にペアになってもらうように頼みますが、オノルドはシャイなので他の人に話しかけられなかったから一人で登るようになったそうです。(^^)

②ヨセミテなどのビッグウォールを登った後は、裸足で歩いて帰る
⇒ 壁を登る時は、クライミングシューズを使って登ります。しかし、クライミングシューズは足の裏との一体感を重視するため足の指を折り曲げて履くため非常にキツイサイズのものを使用します。そのため、通常はクライミングをしない時に脱がないと足が痛くなります。3、4時間履きっぱなしでビッグウォールを登った後、さらにクライミングシューズを履いて降りる事はできないという事でしょう。
それにしても、人のできない快挙を成し遂げた後に、裸足で山をテクテク降りるというのは、少し笑えますね。
「世界の果てまでイッテQ!」などのTV番組であれば、山頂まで登れば後はヘリコプターで下山です。しかし、実際の登山では登頂後に「下山する」という重用で地道な作業が必要なのです。

クライミングに興味がある方にはお勧めの一冊です。

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佐野プレミアムアウトレットの近くのおしゃれなスポット! (2017年) [関東]

佐野と言えば、最近は「佐野プレミアムアウトレット」が有名ですよね。
私も奥さんに連れられてよく来ています。(笑) そのアウトレットモールの近くに最近、オシャレなスポットができています。 アウトレットモールから車で5分くらいの南に行った所にある馬門(まかど)957というスポットです。レストランや雑貨のショップが集まっています。
Map1.JPG(Google My Map より) 赤字の解説文字を追加

馬門957の付近は、今は川幅が狭くなっていますが秋山川が流れていて、江戸時代には江戸への水運の拠点になっていました。この辺りは、馬門河岸と越名河岸に分かれていて、最盛期はこの河岸に200隻以上の高瀬船が停泊し、夜通し荷物の積み下ろしを行っていたそうです。それによってその当時、この河岸には旅館、料理屋、菓子屋、雑貨屋など立ち並び人の往来も盛んだったそうです。

mapS2.JPG(Google My Map より) 赤字の解説文字を追加

秋山川です。今は川幅が狭くなっていますので、この河岸に200隻以上の船が並んでいたとはまったく想像できません。
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アウトレットモールの前の道が付き当る交差点に「馬門957」の看板が出ています。
2.JPG
馬門957にある駐車場の案内です。ここには、5軒のお店が並んでいますが、これからも増えそうな雰囲気ですね。
・海to大地(カフェ・レストラン)
・花鳥風月(蕎麦屋)、コノハナサクヤ (創作料理)
・ファブリックマジック (カーテン、雑貨、小物)
・エススリー (デザインルーム)
・里の司 (全国各地の商品を扱うギフトショップ)
DSCF2550.JPG
お蕎麦屋さんの花鳥風月です。
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ファブリックマジックとエススリーのお店です。
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手前左側が里の司です。
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レストランの「海to大地」の入口です。
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お蕎麦屋さん「花鳥風月」の「富士山」です。2.5人前の細切り蕎麦に大根の細切りがトッピングされています。佐野は蕎麦に大根をトッピングする大根蕎麦が名物のようです。
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これは十割そばです。
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ご主人お勧めの特別ブレンドの「極み蕎麦」です。
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天ぷらは、野菜が大きくて美味しいです。かき揚げも大きいです。(笑)
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豆乳蕎麦プリンです。きなこと黒蜜が美味しい私のお気に入りのデザートです。
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お蕎麦屋さんの隣にあるカフェレストラン「海to大地」から見た馬門の風景です。乾山も眺めたであろうのどかな風景です。
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ディナーメニューのベーシックコース、1,800円です。メモしてないので、出されたものははうろ覚えです。
冷製のコーンスープです。
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地元の野菜と使った色鮮やかな前菜です。
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パスタは2種類から選べます。オリーブオイルを使った何とかです。(^^)
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アイスだと思いましたが、ドルチェ?
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コーヒーの付け合わせの焼菓子です。あと、パンも付きますので、これだけで結構お腹一杯になりますね。プラス1,000円でメインディッシュにお肉、お魚を追加できます。
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馬門957の看板です。
IMG_2246.JPG

























佐野には良く行きますし、10年以上前から越名河岸の周辺には通っていました。しかし、そのすぐ近くにこのようなスポットができていたとは全然知りませんでした。周辺は普通の郊外の住宅地なのがまた面白いです。

アウトレットモールに行かれた時に、ちょっと寄ってみてはいかがでしょうか。

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【追記】「あさま山荘事件」はいまだに関心が高いようです... [社会]

いつもいつも更新が遅れているこのブログですが、時々突然アクセス数が増加する事があります。

今週もそのような事がありました。普段は訪問者400~500人/日で1,000アクセス数/日くらいで、「本」のジャンルで400位前後です。
ところが下のグラフにあるように、6/11(日)は訪問者数2,500人で、3,500アクセスあって、ランキングが51位まで上がりました。
ranking.JPG
おそらくTVの番組の影響だろうと思います。
私はあまりTVは見ないので、何だろうと思ってWebで検索してみたら、フジテレビの「フルタチさん」で【百恵・裕次郎・あさま山荘事件…カメラが捉えた歴史的瞬間のウラ側】をいう内容を放送していたようです。アクセスが急増した時間帯と合致しますので、これが原因のようですね。
何だかんだ言ってもTVの影響力というのはやはり大きいですね。

ちなみにアクセス数が増えた記事は以下のものです。
あさま山荘に行ってきました! こんな狭い場所で銃撃戦をやっていたの?
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-08-06-2
あさま山荘に行ってきました! 冬のあさま山荘はやっぱり寒かった...
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-01-08-1
軽井沢に来ると思いだす『連合赤軍 「あさま山荘」事件』 佐々淳行著
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-07-23

今、あさま山荘に関するマンガ「レッド」を読んでいます。
読み終わったらここでも紹介しますね。

このブログは、私がサボっていて更新が少ないので常連さんは少ないですが(笑)、極真空手関連、3.11関連、あさま山荘関連、ダイエット関連などの過去の記事へのアクセスが多いという特徴があります。

できるだけ更新しますので、今後ともよろしくお願いします。 m( _ _ )m

【2017年8月29日追記】
27日(日)にまた同じようなアクセス数の異常な増加がありました。
あさま.JPG
今回は、訪問者数2,760人で、3,907アクセスあって、ランキングが35位まで上がりました。
今回も同様にTV番組が原因のようです。
真相!昭和の事件史 ~「あさま山荘事件までの壮絶800日」「金大中拉致事件」 ~
2017年8月27日(日) 18:57 ~ 21:54

1972年、真冬の軽井沢の別荘に過激派組織・連合赤軍のメンバー5名が立てこもった歴史に残る大事件「あさま山荘事件」。この事件はなぜ、どのようにして起きたのか?番組では連合赤軍の元メンバーを含む事件関係者2人に直接取材を行い、あさま山荘事件が発生するまでの800日を克明に再現!そこには「総括」という名の殺戮、そして有名大学に籍を置く大学生たちが警察に追われ悲惨な逃亡生活を続けるという恐るべき真実があった!
というような番組だったようです。なかなか面白そうな内容ですね。
TVをきっかけにしていろいろな事を調べるようになることは良いことだと思います。

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出産も腸内細菌が重要! 「あなたの体は9割が細菌」 アランナ・コリン著 を読む その2 [健康]

あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめたあなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた← Kindle版です。



前回に引き続き、腸内細菌の話です。

今回は出産に関するお話です。
私は以前から、どうして神様は赤ん坊が出てくる産道を肛門のすぐ近くに配置したのか不思議に思っていました。出産の時に、妊婦はウンチが出てしまうことも聞いていたのでなおさらそのように感じていました。ところが、それは神様の計画通りで、すべて赤ちゃんのためだったというのです。
つまり人類が繁栄して生き延びるために都合のよかった形で進化して現在にいたっているということです。

著者は女性なので、出産に関して男性だと書きにくいこともかなり直接的に書いています。

・赤ん坊は子宮内部の羊水内では微生物から守られているが、破水と同時に微生物の入植が始まる
⇒ 産道を通る時に微生物のシャワーを浴びる。産道から顔を出す時、出産時の排便による微生物を受けとる。赤ん坊は母親のお尻の側に顔を向けて頭から出てくる。 肛門が産道のそばにあるのはこのためである。


また、新生児の腸内細菌は、母親の膣内の細菌の菌種に近いそうです。
女性の膣の内部には乳酸菌がいてバイ菌から膣を守っているという話を聞きますが、この本によると、これは膣を守っているのではなくて生まれてくる子供の腸内細菌のために存在しているということです。なるほど、という感じです。

ところが、最近は産道を通った通常出産ではなくて帝王切開が増加しているそうです。現在、ブラジル、中国では半数近くが帝王切開で出産しているとのことです。
著者は、帝王切開での出産することによって、

・感染症になりやすい。
・アレルギーを発症しやすい。
・自閉症になりやすい。


というような問題が生じている可能性を指摘しています。
帝王切開での出産の場合の赤ん坊の腸内の細菌を調査すると母親の膣由来の微生物コロニ―が形成されないそうです。これは出産の時に、赤ん坊が母親の膣内の乳酸菌や肛門付近にいる腸内細菌に触れる前に 父や母、医療スタッフの皮膚に存在する常在菌に触れる事になるため、その細菌が基礎となって赤ん坊の腸内細菌が形成されることになるからだと書いています。

これに対する一つの解決策として、母親の膣内にガーゼを入れておいて、帝王切開で出産した赤ん坊にそのガーゼを取り出してで赤ん坊の口や体を拭いてやることで、母親の細菌を植え付けるする方法が書かれています。

次に抗生物質に関する話です。
1940年米国でニワトリに抗生物質を与えると成長が50%促進されることを発見されて以来 ウシ、ブタ、ヒツジ、七面鳥のエサに抗生物質を与えられています。そして、その抗生物質が人間の肥満の原因になっている可能性があるというのです。家畜を太らせる薬ですから、それを食べた人間が太るということは十分に考えられますね。

また、現在の医療では、必要以上に抗生物質が処方されているため、MRSAのような耐性菌に感染するリスクが増えていることを指摘します。また、問題なのは抗生物質の投与によって有害な菌を除菌するとともに腸内の細菌も一緒に除菌してしまうことです。

私も最近、社内の健康診断の面談でピロリ菌の除菌を勧められましたが、Webで調べると抗生物質を大量投与するとのことです。せっかく調子の良い腸の状態をそんな事で壊したくないので断わりました。会社の産業医は、がんの専門家でもないのに気軽にピロリ菌の除菌を提案するというのはどうなのでしょうね。(ピロリ菌は50歳を過ぎたら常在菌だという説もあります。)

また、有機栽培で家畜の糞を利用する場合、家畜に使われた抗生物質が糞の中に含まれていて、それが野菜に吸収されることになるそうです。有機栽培だからイコール「健康的だ」というのは成り立たないようですね。

とても興味深い本です。多くの人に読んで欲しいです。
前回の「その1」も合わせて読んで頂けると幸いです。

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あなたは腸内細菌が原因で太っている! 「あなたの体は9割が細菌」 アランナ・コリン著 を読む その1 [健康]

あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめたあなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた← Kindle版です。

何ともショッキングなタイトルだと思います。
この本は2016年8月の発売ですぐに購入したのですが、理解が難しくて紹介するのが遅れました。

このタイトルの意味するところは、人間の体の構成は、サイズや重量が大きいのは人間の細胞ですが、その数は共生微生物の細胞の方が10倍多いということです。さらに細胞の遺伝子の数で比べると「あなたのヒトの部分は0.5%でしかない」とのことです。

その共生微生物の中でも腸内細菌が非常に重要で、これについては最近TVなどでも「腸内フローラ」という言葉がよく聞かれるようになっていますね。
私たちの腸内には1.5Kgもの細菌が住んでいて、その寿命は数日~数週間とのことです。毎日私たちが排出する便の中身はほとんど(75%)が腸内細菌だそうです。残りが食物の残骸などだそうです。

腸内細菌の主な働きは、

・必須ビタミンを合成する。
・体内では分解できない頑丈な植物繊維を分解する。

などで、これらの働きは私たちの肉体の進化を待っていては、何万年かかるか分からない作業を腸内細菌にやらせているのです。これは、例えば言えば、会社の中に技術がないことをやろうとした場合、その作業を外部の業者にアウトソーシングすることと同じです。社内(体内)に出来る技術やリソースがなければ、外部から持ってきて社内(腸内)で作業をさせるというわけです。

そして、その腸内細菌ですが、当然私たちが食べるものを食べているわけですので細菌の組成比は人によって違うことになります。そして、みなさん一番関心があるであろうダイエットに関して言うと、体を太らせたり、やせさせたりするのも腸内細菌の影響が大きいとのことです。つまり、 同じものを食べても自分の体内に住んでいる腸内細菌によって作りだす栄養やエネルギー量が異なるため、太ったり痩せたりするとのことです。

・太った人:フィルミクテス門の細菌が多い
・痩せた人:バクテロイデーテス門の細菌が多い

パンダのようにもともと肉食動物だった動物も腸内細菌によって竹だけを食べていてもセルロースを分解してタンパク質が合成されるようになるそうです。それを考えると腸内細菌に言及しないで「栄養が偏っている」とか「タンパク質が不足している」というような話は意味が無いように思えますね。

しかも、フィルミクテス門の腸内細菌が多い人は、太りやすい物を食べるように人間を動かしている可能性も示唆しています。甘いケーキを食べることを我慢している時に、衝動的に食べたくなるのは腸内細菌のせいかも知れません。(笑)
細菌が人間をコントロールする訳ないだろ! という声が聞こえてきそうですが、狂犬病の菌は感染した犬を他の動物に噛みつかせる事で他の宿主に菌が移動して繁殖するように犬を動かしているそうです。また、コレラに感染して強烈な下痢になるのは、死にそうな宿主から脱出して他の宿主に感染するためのコレラ菌の制御だそうです。

ですので、甘いものが好きな「デブ菌(フィルミクテス門の細菌)」が私たちケーキを食べさせて自分たちも食べているということなんでしょうね。(^^)

まだまだ紹介したい内容がたくさんありますが、長くなるので次に書きます。

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「乾山 見参! 着想のマエストロ」 を読む [尾形乾山]

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2015年5月27日~7 月20日まで東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で開催された「乾山 見参! 着想のマエストロ」の図録をようやく入手しました。
この展覧会は、「乾山 見参!」というオヤジギャグはいまいちですが、充実した作品が揃った良い展覧会だったと思います。
しかし、実施の時期が乾山の生誕352年目という中途半端な時期です。生誕350年を狙って2013年に行っても良いレベルの展示会だと思いますが、なぜずらしてのでしょうね?

この展覧会は初日に見に行ったのですが、図録は「まあ、次に来た時に買えばいいか...。」と思ってその時は買いませんでした。ところが、その次の展覧会の時にサントリー美術館のショップに行って確認すると、図録はすでに売り切れたとのこと。しまった! という感じです。しょうがないので、ヤフオクで探してようやく入手することができたいう次第です。

この図録の巻頭に、乾山研究の第一人者である竹内順一先生が、「乾山焼の技法と意匠を考える」という一文を寄せています。これがなかなか興味深い内容なので紹介したいと思います。

竹内先生の考える乾山焼の代表作に関して書いています。
乾山焼技法と意匠の粋を尽くした作品を、言い換えれば、乾山焼の代表作を挙げよと言われれば、躊躇なく「色絵龍田川文透彫反鉢」(出光美術館蔵)など、透彫の反鉢の一群を挙げる。

これは意外です。私のイメージでは乾山と言えば、光琳絵付けの角皿の一群を思い浮かべますが...。
京焼の歴史をたどれば、やきものの内側にも文様を施すのは、乾山焼以前にはなかった。 (中略)この反鉢は、龍田川文がどこから見ても、川の流れとして表現されている。これが立体であり、これを表現できる人物を、「立体アーティスト」と呼んでも良い。

たしかにそうですね。乾山作品には、作品に裏側にも絵付けされているものが多くてどうやって絵付けしたのだろう? と思うような作品も多いですね。そして、作陶に関する乾山自身の関与に関しても書きます。
尾形乾山が作陶のすべてを担当したのか、あるいは作陶のある一工程を担当したのか。実際のところ、これほど有名な“陶芸家”でありながら、また、これほど多数の乾山焼が伝存していながら、さらにいえば、技法と意匠に触れながら、この疑問に対する解答はいまだにはっきりしないというのが筆者の率直な述懐である。

そして、いつも私が先生の言葉として引用させて頂いている言葉です。
乾山自身が「作陶」に直接関与し、製作過程に乾山の「手の痕跡」のようなものがある作品はない。例えば、乾山が挽き上げた轆轤成形の製品と推定できるものはない。

次の言葉は、竹内先生の魂の叫びのように感じました。
乾山が描いた「絵」のある作品に出合えないだろうか。

そして先生は、「これは、乾山焼きの魅力を知った人々が等しくいだく望みである。」と続けますが...。

これはどうなのでしょうか?
少なくとも私たち乾山焼の魅力に魅了された一般の人たちは、乾山がすべて自分で作画、作陶したものと考えていると思います。今回の展覧会の図録を見ても、竹内先生のこの一文以外に、「乾山は絵付けをしていない」、「乾山の作陶ではない」という「明確な」記載も示唆もありません。(もしかすると、どこかには書いてあるのかも知れませんが、少なくとも普通に読めば分かりません。)
乾山作品の所有者や専門家たちにしても、実際には乾山が作画、作陶していないことを知っていたとしても、それを明確にすることによって乾山作品の価値が下がることを懸念してあまり言えないのではないのかと推察します。(研究者ではリチャード・ウィルソン氏が米国の美術館の所蔵品について乾山自身の作品、工房作品、弟子の作品等の鑑定を行っています。日本では無理でしょう。)

例えば、ガラス工芸のガレの作品を考えてみると、ガレ自身の作品とガレ工房の作品では作品の価値(値段)が全く違います。乾山の所有者達が、乾山作品と乾山工房の作品を明確にしたくない気持ちは分かる気がします。

最後に先生は、先生が乾山の作画であろうと考える作品について書いています。
底部に「正徳年製」の銘がある「銹絵柳文重香合」(大和文華館蔵)の「柳の絵」は、あるいは、乾山の筆になるかも知れない。

そして、最後の最後にすごい事を書いています。
なぜなら、香合全体を立方体という「塊」として把握できず、柳を一面一面に描き、「平面の絵」の連続と見る、つまり、「平面アーティスト」の描く柳文であるからだ。乾山は、「立体アーティスト」ではなかった。

以上を簡単にまとめると、
①現在、乾山作品と言われているもので明確に乾山が作画、作陶した考えられる作品は特定できない。
②乾山焼の代表作は、色絵龍田川文透彫反鉢など、透彫の反鉢の一群である。
③反鉢の作画は、「立体アーティスト」にしか書けない。
④乾山は「立体アーティスト」ではない。
⑤乾山焼の代表作である反鉢は、乾山の作画ではない。

ということをになります。

なんとも大胆な発言だと思いますが、さすが乾山研究の第一人者ですね。
今後のご活躍を期待します。

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乾山 KENZAN―琳派からモダンまで尾形光琳二代目 乾山淡交別冊 仁清・乾山 2011年 08月号 [雑誌]
乾山焼入門


「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項 解読! 陸軍特務が遺した超一級史料 (落合・吉薗秘史I)
この本は、落合先生の最新刊で2017年5月1日発売です。
2017年5月20日現在、Amazonの「明治・大正時代」カテゴリーでベストセラー1位になっています。

私はこの本を20年来待ち続けていました。というのは、以前紹介した落合先生の『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』(以後「佐伯本」と記す)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2017-04-15)のあとがきに、
吉薗周蔵手記については、雑誌『ニューリーダー』に今後とも連載を続ける予定ですし、連載内容に大幅に加筆した単行本(仮題『陸軍特務吉薗周蔵の手記』)の刊行も予定しております。
と書かれてあったからです。その後、ニューリーダを購読するようになりましたが、早く単行本を読みたいと待ち続けていました。その夢がようやく叶いました。

この吉薗周蔵氏は、大正元年18歳の時に当時の陸軍中将(最終的には、元帥陸軍大将となる)上原勇作の特務となります。諜報というと陸軍中野学校を連想しますが、中野学校の創設は昭和12年ですので、それよりも25年以上前の話になります。また、周蔵氏は陸軍に所属していた訳ではなく、民間人として上原勇作付き特務となって上原勇作からの指示で動いていました。

上原勇作は、一般には陸軍大臣の時の「二個師団増師」問題で大正政変につながった事ぐらいしか知られていませんが、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官と言われている重職をすべて経験している実力者です。これは、上原勇作の他には杉山元しかいません。周蔵手記によって、大正から昭和の時代、この上原勇作が陸軍を裏から動かしていたことが分かりました。

その吉薗周蔵氏ですが、明治27年に宮崎県西諸縣群小林村に生まれます。周蔵の父林次郎は、公家の名家正三位である堤哲長(つつみあきなが)とギンヅルの間に生まれた子ですので周蔵氏はその公家の血を引いています。

正三位(しょうさんみ)と言われても、みなさんピンと来ないと思います。私も良く知りせんでした。調べてみると律令制における官位だそうです。明治以前は、御所への昇殿が認められる条件として五位以上というものがあったようです。昇殿を許された者は「殿上人」、許されない人は「地下(ぢげ)」と呼ばれました。
ウィキペディアによると、
従三位が中納言や近衛大将、大宰帥などと官位相当であるのに対し、正三位は大納言相当とされた。勲等との対比では勲一等に比する。
と書かれており、かなりの高位の官位であることが分かります。

前著「佐伯本」で落合先生は、堤哲長は正三位の名家とは言え、当時は生計の糧もなく貧乏公家であったのだろうと考えていました。ところが、その後の先生の調査で、堤哲長は先帝である孝明天皇の実質侍従長であり、維新時の堀川政略に重要な役割を果たしていた事が分かりました。そして、明治維新後は新政府のNo.2であった岩倉具視と実質対等な地位を得たと考えています。

落合先生は、周蔵手記を元に陸軍の薩摩閥の軍人を調べていくうちに、上原勇作が単に日本のために活動しているのではない事を感じます。そして、その中で陸軍薩摩閥の中で、
吉井友実高島鞆之助上原勇作
のラインがあることを見つけます。
地政学的海洋勢力の中核たる「在英ワンワールド」の日本支部となった薩摩下士連合(薩摩ワンワールド)の歴代総長が右の三人であったことを確信したのである。
また、上原勇作が玄洋社を部下として使っていることに気付いて調査します。
「さる筋」からのコメントは、
玄洋社とは、広く云えば、薩摩の一部と土佐・会津・紀州を含めたものです。
堀川辰吉郎の護衛は、玄洋社と大本教でした。
周蔵さんは、上原の草というより、辰吉郎の草だったのです。
これによって上原勇作の主筋は堀川御所の京都皇統の堀川辰吉郎であることが分かりました。

さらにもう一つ驚きなのが、周蔵氏の祖母であるギンヅルが、影の実力者であった事です。
これまでは、陸軍中将という地位にあった上原勇作の縁戚であったので、頼みこんで周蔵氏を上原の草にすることができたと考えていましたが、実際には祖母のギンヅルが、薩摩ワンワールドの力を使って親戚である上原勇作を陸軍の中で出世させて薩摩ワンワールドの総長に育てたということです。つまり、周蔵氏を草にしたのもギンヅルの意向であったということです。

ギンヅルは15歳の時から薩摩藩京屋敷に奉公していて後に明治政府の高官となる若い薩摩藩士の世話をして育て、その後も関係を保っていたということです。
具体的な名前は、野津鎮雄(陸軍中将)、野津道貫(元帥・侯爵)、高島鞆之助(陸軍中将・陸軍大臣・子爵)、大山巌(元帥・陸軍大臣・侯爵)、川上操六(陸軍大将・子爵)、西郷従道(参議・陸軍中将・海軍大将・侯爵)、山本権兵衛(海軍大将・首相・伯爵)などの面々です。

この本は、まだまだ周蔵手記のさわりの部分です。これからの続刊が待たれますね。
みなさんもぜひご一読を!

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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会津若松 - 裏磐梯 - 蔵王 - 松島 を楽しむ (2017年) [東北]

GWの旅行のUpが遅れていました。
今年は、前半に 福島の会津若松 ⇒ 裏磐梯 ⇒ 猪苗代 ⇒ 蔵王 ⇒ 仙台 ⇒ 松島 に行ってきました。

会津若松の鶴が城は、20年以上来ていませんでしたが、やはり良い所ですね。
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とてもきれいなお城です。戊辰戦争の時にこのお城に籠城しました。
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階段を使って天守閣に登ることができます。天守閣からの眺めは素晴らしいです。城内は桜の木が一杯です。ほとんど散っていたので、次回は満開の時に来たいですね。左上に見える山は磐梯山です。会津若松は、四方を山に囲まれていて雪を残した山々がきれいでした。
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城内にある茶室です。
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抹茶とお菓子を頂きました。
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桜とお城です。いいですね。
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茶室の周りだけ桜が満開でした。
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会津若松を後にして、お昼にお蕎麦を食べに磐梯に行きました。磐梯は、標高が高いので丁度桜が満開でした。猪苗代湖周辺の桜はこれからだそうです。
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磐梯山と桜です。
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磐梯山を回り込んで、裏磐梯へ。五色沼の毘沙門沼です。天気がいまいちでしたが、きれいでした。
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昔は五色沼を全部歩いて回りましたが、今回はここだけ。
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これだけ見ると、ヨーロッパ?のように見えますが、五色沼のすぐ近くにある、「ダリ美術館」(諸橋近代美術館)です。スポーツ用品のお店ゼビオの創設者諸橋延蔵氏の蒐集品を飾っています。
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この建物と庭園だけでも一見の価値はあります。館内は残念ながら撮影禁止ですが、ダリのコレクションの他に印象派やシュルレアリズムなどの絵画が充実しています。地方にある美術館は、ガラガラのものが多いですが、ここは結構混んでいましたよ。
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ホテルの部屋から見えた磐梯山です。
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ホテルの近くで撮影したものです。天気が良かったです。
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その後、天気良かったので蔵王のお釜を見てきましたが、残念ながらお釜の水が凍っていたきれいな色は見る事ができませんでした。
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これは、仙台から近い松島の瑞巌寺の参道です。津波の塩害でうっそうとした杉の大木がほとんど枯れてしまったようです。700本を伐採したそうです。3.11の時に、瑞巌寺を含めた松島町はほとんど犠牲者が出ませんでしたが、その代わりに杉並木が犠牲になっと言う事ですね...。
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これは、震災以前の写真です。このような景観に戻るには百年以上はかかるでしょうね。
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本当に久しぶりに会津若松、裏磐梯に行ってきましたが、やはり良い所ですね。
また行ってみたいと思いました。

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甲府盆地で桃の花を楽しむ (2017年) [旅行]

松本から高遠城址の桜を見て帰る予定でしたが、今年は開花が遅くて17日(月)は七分咲きとの事。昨年、満開の高遠桜を見ているため、七分咲きでは行かない方が良いと判断しました。(高遠までの一本道は大渋滞となりますので...)

中央高速を東京方面に走ります。諏訪湖を左に見て更に走って甲府盆地に入ると、ピンク色の花がいたる所に咲いていますのが見えます。何かと思ったら桃の花だそうです。「釈迦堂PA」に入って周りの桃の花を見てみますが、上り方面からはあまりきれいに見えません。(‐‐;

反対側には、きれいな桃の花が咲いています。何とかあちらに行けないのかな~と思って、PAの人に聞くと、歩いて行けるとの事です。PAから外に出て、5分ほど歩いて高速道路を渡って縄文時代の土偶、土器などを展示している釈迦堂遺跡博物館の周辺にきれいな桃の花が広がっています。(下りのPAからはそのまま行けるようです)
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本当に桃色の桃の花が広がっています。
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博物館の駐車場の向う側に売店があり、そのお店の周りのに色々な色の桃の花が咲いています。これは白い花のアップです。
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紅白と言えば梅の花ですが、桃の花の方が大きくて色もメリハリがあって迫力がありますね。
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赤、白、桃色などの桃の花を楽しむことができます。
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これで天気が良ければ最高だったのですけどね。
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やはり桃の花は桃色が良いですね。
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ここから甲府盆地を眺めると、桃色の花が斑状に点在しています。本来は観光目的でないのでしょうからしょうがないと思いますが、ある程度まとまって咲いているともっとすごいだろうなと思いました。
高遠の桜は残念でしたが、きれいな桃の花を楽しむことができました。

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真田丸の上田城で桜を楽しむ (2017年) [旅行]

NHKの大河ドラマで一躍有名になった真田丸の上田城に花見に行ってきました。

今年は昨年よりも一週間桜が遅れていたため、4月16日に行ってきました。昨年よりもソメイヨシノの花がきれいでした。川越を6時半頃出て、関越道を走って8時半頃に上田城に着きましたが、駐車場が満車で15分くらい並びました。やはり日曜日は混んでいますね。

お堀の桜がきれいでした。
南櫓(左側)と北櫓(右側)です。
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東虎口櫓門です。
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北櫓のしだれ桜です。
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お堀の桜も満開でした。
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南櫓前の桜です。
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憩いの広場のお花と桜です。
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憩いの広場のピンクの桜です。
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桜のアップも撮ってみました。
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上田から小布施に行きました。北斎館に隣接した栗庵 風味堂でお茶をしました。
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コーヒーと栗のパフェが美味しかったです。
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その後、今年も松本市内にある弘法山古墳の桜を楽しみました。まだ満開とは言えませんが、やはりきれいです。古墳の上に登るとこのようにきれいな桜を楽しむことができます。
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古墳の頂上に登る道は結構きついですが、絶対に登るべきです。
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この日は土屋太鳳さんも来ていたそうです。すれ違いだったようです。見たかったな~!(笑)
(太鳳さんのインスタです⇒ https://www.insgy.net/media/1494887440531160162_4922392476
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白とピンクの桜が本当にきれいでした。
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桜と松本市街と北アルプスを楽しむことができます。
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今年も信州の桜を楽しむ事ができました。

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落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]

天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実
落合先生の代表作の紹介です。
本来であれば落合先生の本としてまっ先に紹介すべき本でしたが、諸般の事情で遅れてしまいました。

この本は、1997年に発刊ですので、もう20年前になります。落合先生が、佐伯祐三のパトロンであった吉薗周蔵氏の遺児である明子氏の代理人となったことで、佐伯祐三の真贋事件に関わることになる経緯と顛末を書いたものです。

佐伯祐三真贋事件とは、吉薗周蔵氏が残した佐伯祐三の未公開作品を周蔵氏の遺児である明子氏が、1994年に福井県の武生市(現在の越前市)に寄贈することになった事から話が始まります。この佐伯作品は、当時美術界のドンと言われていた河北倫明氏が座長となって選定委員会を設置して調査した結果、佐伯祐三の真作であるとのお墨付きを与えました。この時の委員のメンバーが凄いです。
座長:河北倫明(美術館連絡協議会理事長)
富山秀男(京都国立近代美術館館長)
陰里鉄郎(横浜市立美術館長)
西川新次(慶応大学名誉教授)
三輪英夫(東京国立文化財研究所美術部第二研究所長)
という、美術館の館長クラスのメンバーが揃っていました。
これに対して佐伯絵画の鑑定を行っている東京美術倶楽部という業者の団体が猛烈な反論を行ったことで真贋事件に発展し、結局武生市への寄贈話が頓挫することになります。ちなみに、東京美術倶楽部には鑑定師の中島誠之助氏も加盟していたそうです。古美術商の中では東京美術倶楽部に入る事がステータスになっているそうです。

この真贋事件は、真作派の「専門家」と贋作派の「業者」との対立という構図です。
このブログで何度も紹介している「佐野乾山事件」も同様に「専門家」VS「業者」という構図でした。私は、佐野乾山事件を調べていて、東京国立博物館や京都国立博物館の技官や東大の教授など美術界の中心にいる人たちが真作派だったのに、なぜ黒(グレー)にさせられてしまったのか不思議に思っていましたが、佐伯祐三の真贋事件はさらにスケールがワンランク上です。

何せ、真作派はすべて美術館の館長クラスの権威ある人たちであり、それを取りまとめていたのが河北倫明という美術行政のトップであり、美術界のドンだった人です。しかも、河北氏は対立する東京美術倶楽部の顧問でもあるという捻じれ構造も内在していました。これだけ凄い役者がそろっていても真作派が負けて贋作にされてしまうのですから、金銭が絡んだ時の業界勢力の力というのは恐ろしいものだと思います。

例えば、佐野乾山事件の時には乾山の真作が300点くらいと言われていた時に、一度に200点以上の佐野乾山が発見されました。もしこれらの作品が真作と認められた場合、これまで希少性も含めて形成されていた乾山作品の市場価格(価値)が暴落するのは自明の事です。
同様な事情が佐伯祐三作品にもありました。佐伯作品は日本人の洋画としては非常に高価で、1点でも数千万円から億の価格が付くものもありますが、この時発見された大量の吉薗佐伯が真作と認められた場合、これまで美術館や個人に売却されていた作品の価格が暴落することになります。

さらに佐伯作品の場合、妻である米子の加筆疑惑があったためさらに事情が複雑です。佐伯祐三の妻である米子も画家でした。第二次渡仏の時に佐伯祐三が客死した後、日本に帰国した米子は佐伯の遺作や佐伯の友人の絵に自ら加筆して「佐伯作品」として売って生活費を稼いでいたと言われています。この米子加筆に関しては、関係した業者の間ではかなり有名な話だと聞いています。

1991年に「パリを描いた画家たち展」という展覧会が開催されました。これは、昭和2年にパリに居た佐伯祐三を慕って横手貞美、大橋了介、荻須高徳、山口長男の4人が渡仏して佐伯と一緒に絵を描いていましたが、その時の作品を集めた展覧会です。
私はこの展覧会の図録を見て驚きました。モランの寺やパリの街角など佐伯作品の重要なモチーフに関して、その4人の後輩たちも佐伯と見紛うような絵を描いていたのです。私には、その絵のいくつかは佐伯作品だと言われても見分けがつかないように思いました...。

restaurant1.JPG吉薗周蔵氏が残した佐伯作品は、これまで知られている佐伯作品とは雰囲気が異なるものでした。この吉薗佐伯作品に対する真作派のコメントを紹介します。
河北倫明座長:一目見て佐伯祐三の本当の姿が響いてきた。美術的価値はこれまでのものと匹敵し、今までのものに見られない荒削りで習作的なおもしろさがある。デッサンや手記に関しては、走り書きもあり、バラバラにせず総合的な調査をしたい。山発コレクションと比較すると、山発はいいものを抜いていったもので、今回の作品は山発コレクションの素材が残ったものといえ、(佐伯作品の)背景や土台を見るには面白い。

富山秀男:出所からしても佐伯作品と思う。これまでの作品との関連性も強く感じる。佐伯に対する既成概念より幅が広がったと考えている。今までの作品はよそゆきで今回出てきたのはふだん着の作品。研究し直す必要がでてきた。

陰里鉄郎:これまでの佐伯像よりビビッドなものを感じる。

このビビッドな佐伯作品を所有していた人こそ、落合先生が20年以上に渡って研究してきた吉薗周蔵氏です。遺児の明子氏から調査を依頼された落合先生が、持ち前の洞察力と豊富な知識を駆使して明子氏も知らなかった周蔵氏の実像を明らかにしていく過程は、この本の白眉と言えます。

russia1.JPG落合先生の調査によって、吉薗周蔵氏は公家の名家で正三位の堤哲長の孫であることが分かりました。周蔵氏は大正元年、18歳の時に縁戚であった上原勇作陸軍中将の特務(いわゆるスパイ)となります。そして、上原の指示で軍のためにケシの栽培を行って、純粋アヘンの製造を行いました。これによって、周蔵氏はかなりの収入を得ることになります。
そして、大正6年23歳の時に上原勇作から佐伯祐三の援助を行うように依頼されます。それ以来、周蔵氏は佐伯のパトロンとなり、金銭的な援助を行いました。

しかし、上原勇作の特務という裏の仕事であったため、それを裏付ける証拠が出るはずもなく、「佐伯と周蔵氏の接点がない」、「周蔵氏に佐伯を援助できるほどの収入があったとは思えない」、「佐伯は実家が裕福だったので周蔵氏からの援助など必要なかった」などの理由で周蔵氏と佐伯祐三との関係も否定されました。
これに関しては、(「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著」:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-08-25)にも詳しく書いていますので、興味がある方はご覧下さい。

事件が起きた時期もよくありませんでした。小泉首相の北朝鮮訪問前ですので、北朝鮮による日本人の拉致問題は、第二党であった社会党の党首でさえ「そのような事はありえない」というようなコメントを出していた時代です。この頃は、北朝鮮の工作員などの話をすると、「映画の見すぎじゃない?」などと馬鹿にされたものです。バブル崩壊直後で日本人が平和ボケしていた時代ですから、「上原勇作の特務」と言っても誰も信じない時代でした。
ちなみに、日露戦争時にレーニンに多額の資金援助行ってロシアの後方撹乱を行った陸軍の明石元二郎も上原勇作の配下でした。その関係で、周蔵氏が任務で渡欧した時は明石の残した諜報網を利用したと言われています。

この本は、一部が佐伯祐三の真贋事件の経緯と顛末が書かれており、ニ部には吉薗周蔵に関連した薩摩治郎八や奉天古陶磁に関して書かれています。ニ部の内容も非常に貴重な情報が満載で、佐伯に興味が無い方でも楽しめると思います。

落合先生は、この真贋事件の後も吉薗周蔵氏の残した吉薗手記の調査、解析を継続して行い、現在の「落合秘史」につながっています。

ぜひみなさんに読んで欲しいと思います。
(ただし、絶版なので中古品でも5,000円以上しますが...)

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む
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桜と菜の花のコラボレーション! (2017年) [関東]

今年も菜の花と桜のコラボレーションが素晴らしい、埼玉県の幸手の権現堂公園に行ってきました。

今年の桜は昨年に比べて約1週間遅れでしたので、4月8日の朝7時30分頃に行きました。
7時から駐車場が開いているので、すでに駐車場はかなり埋まっていました。

昨年も雨模様でしたが、今年も同様でした。(涙) 土日と桜の満開と晴れは合わせて欲しいですね。(^^)
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菜の花も満開とは言えませんが、何とか遅れた桜の開花にシンクロしました。
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まだ花が咲いていない部分が緑色に見えます。
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このように、まだ咲いていない花が多かったです。
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しとしとと雨が降っていましたので、水滴がよいアクセントになりました。
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これは、桜の堤側から見た菜の花です。
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桜の花のアップです。
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混むのが嫌なので朝早く来ていますが、そのためほとんどの出店はまだ開いていません。(笑)
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今年も桜と菜の花のコラボレーションがきれいでした。
来年は快晴の下で撮影したいですね!

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再度、オホーツク海の流氷を見る! (2017年) [北海道]

今回は法事のため、週末北海道に行ってきました。
何とか再度流氷を見る事ができました。

羽田空港第二ターミナルの5Fのレストランから「STAR WARS」の飛行機が見えました。
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これは展望デッキから撮影しました。
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これは、搭乗した飛行機から撮影したものです。
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仙台港付近を撮影できました。雲が少し邪魔ですが、三井アウトレットは、雲の影になっている部分です。
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これは、松島の上空で撮影しました。中央部分の少し右の辺りがフェリー乗り場です。
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私の生れた北海道の北見市には、「ピアソン記念館」というものがあります。これは大正二年に来北したアメリカ人宣教師のピアソン夫妻が伝道活動の拠点とした自宅を記念として残しているものです。当時は、北海道の開拓のために屯田兵が入植していた時期で、開拓者たちへの伝道を行っていたそうです。
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記念館に入ってすぐの所に夫妻の写真が飾られています。
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二階の展示室です。正面の壁の右側に注目です。
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え? どうして坂本龍馬の写真が飾られているの?と思いますよね。
当時、未開の原野であったこの地に「北光社開拓団」を結成して高知県の農民を入植させたのが、坂本龍馬の甥(長姉千鶴の次男)である坂本直寛だったのです。直寛はキリスト教の牧師としても活動して、ピアソン夫妻と協力して伝道活動を行ったそうです。
坂本龍馬自身も北海道開拓の志を抱き三度移住を企てたとのことです。
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ピアソン夫妻ゆかりの人たちを紹介しています。新渡戸稲造、内村鑑三の名前も見えます。
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法事目的だったので、観光の時間は最終日の4時間くらいしかありませんでした。この日は晴れていて、斜里岳や知床半島の山が白く輝いていました。
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網走の天都山から見た網走近くに残っている流氷です。
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前回と逆で、能取岬には流氷が全くありませんでした。
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真っ白な知床連山がきれいに見えました。
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能取岬と言えば、この白黒の灯台です。
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今回も短時間でしたが、何とか流氷と天都山からの絶景を見る事ができました。

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水戸の偕楽園で梅を見る (2017年) [関東]

水戸の偕楽園の梅を見てきました。
2017年の2月の末に圏央道がようやく繋がりましたので、鶴ヶ島から水戸まで圏央道で行きました。ところが、現状では途中に対面通行の区間が多いので、80Km走行を強いられることになり結局2時間くらいかかります。現状では、距離は短くなりますが、時間的には北関東道や外環道を使った場合とあまり変わらない状況ですね。ストレスが溜まる分良くないかも。(笑)

開化率は90%を越えていると聞きましたが、それほどでもないような...。
園内には百種、三千本の梅が植えられているそうです。
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まだつぼみの木も多かったです。
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今回は好文亭の中も観覧してきました。徳川斉昭自らが設計したそうです。文人墨客と景観を楽しんだそうです。
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なかなか画になる建物です。
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庭園にも紅梅が植えられています。
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好文亭から園内を見るとこんな感じです。
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眼下に広がる千波湖を望む景観は素晴らしいですね。
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紅梅はやはりきれいですね。
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黄門さんと記念写真を撮ることができます。撮影するために長い行列ができていました。良く見ると若い黄門様です。(笑)
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まだ咲いてない木もあるし、花が枯れている木もある。梅の木の本数が多いのでいつ頃来ればいいのか時期が難しいですね。(^^)

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天孫皇統になりすましたユダヤ十支族 「天皇渡来人説」を全面否定する 落合莞爾著 その2 [落合莞爾]

	天孫皇統になりすましたユダヤ十支族  「天皇渡来人説」を全面否定する

落合先生の秘史シリーズです。
この本は、発売直後にAmazonの古代日本史分野でベストセラー1位になっていました。(2017年3月現在は、古代日本史分野:4位、天皇制分野:2位です) やはり、天皇家とユダヤ人との関係、日ユ同祖論についてはみなさん関心が高いようですね。


この本で「欠史八代」の実在を説く落合先生ですが、その先生にしても2年ほど前まではこの古代史の通説を鵜呑みにしていたそうです。
その後の「天皇とワンワールド」の執筆の際に調査、洞察して初めて「欠史八代」の実在を実感したそうです。
「欠史八代」が実在しなかったなら、崇神以前の日本には確固たる王朝が存在しなかったことになりますから、これに乗じて「帰化人」とは日本に王朝が存在したことを前提とした不適切な用語だから使用をやめて、代わりに「渡来人」を用いろ、と主張する不逞の輩が現れました。それも反日韓人だけでなく、日本人にもいたのです。 京都大学教授上田正昭氏こそその人で、上田説に煽られて広がったのが、「朝鮮半島の進んだ文化を携えて日本列島に渡来してやった」とする「半島優越史観」です。

物部氏(ユダヤ十支族)が天孫族に背乗りしたと書くと、いかにも物部氏がこっそりやったような印象を持ちますが、これは天皇家も公認していたとのことです。それは、物部氏が天皇家に多大な貢献をしてきたことに対する見返りだとのことです。落合先生は、以下のように物部氏の貢献を挙げています。
①家祖ニギハヤヒが縁戚ナガスネ彦を裏切り神武天皇(縄文族)の東征に協力した。
②物部神道(オリエント多神教)で朝廷祭儀を司り日本神道の骨格形成を行った。
③イカガシコヲが孝元の宮廷ユダヤ人となり任那天孫の育成と崇神王朝の実現に寄与した。
④尾張オキツヨソの妹世襲足媛が5代考昭の皇后となり、アマタラシ彦と孝安をもうけた。
⑤尾張宮簀媛がヤマトタケルの妃となり応神の招来に重要な役割を果たした。
⑥尾張目子媛が継体の皇后となって安閑、宣化を生み、継体王朝の実現に尽力したこと。
(上の尾張氏は、物部氏の分流です。)
ただし、尾張氏はカバネが連(むらじ)です。本来、天孫のニニギの兄であるホアカリの直系子孫の尾張氏はカバネが臣(おみ)あるはずですが、疑似天孫であることが後で分かるように手がかりを残しているようです。

【秦氏】(はたし)
飛鳥昭雄氏は、秦氏こそ古代イスラエルの十支族で天皇家のルーツであるとしています。落合先生も秦氏に関しては、飛鳥氏と同様に考えていたようですが、この本でそれを否定しています。
・秦氏=呂氏(りょし)秦君が率いる呂氏一族+北方騎馬民族系ソグド人
・当然、秦氏の中にも十支族ユダヤが潜入していたことはありうる。

【先代旧事本紀】(せんだいくじほんぎ)
この書に関しては、みなさんご存じないと思います。私もよく知りませんでした。
天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されていて、序文に聖徳太子が蘇我馬子に編纂させたと書かれていたため、平安中期から江戸中期までは古事記や日本書紀よりも尊重されていたそうです。しかし、江戸時代に偽書であるという説が主張され、現在もそのようにみなされています。
しかし、900年以前に成立したと考えられるため、この書にしかない物部氏の伝承など資料的価値があると評価されています。
このブログでも紹介したベリー西村氏の 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」には、
日本書紀:ユダヤ十支族系
古事記:ペルシャ系
先代旧事本紀:物部系
が編纂したと書かれています。興味深いですね。

先代旧事本紀

← この本は、私もKindleで購入しました。先代旧事本紀の解説書かと思ったのですが、原文でした。(笑)
興味ある方はぜひ。

とにかく落合先生の本は、ぜひみなさんに読んで欲しいと思います。



【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
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天孫皇統になりすましたユダヤ十支族 「天皇渡来人説」を全面否定する 落合莞爾著 その1 [落合莞爾]

天孫皇統になりすましたユダヤ十支族  「天皇渡来人説」を全面否定する
落合先生の秘史シリーズです。
この本は、発売直後にAmazonの古代日本史分野でベストセラー1位になっていました。(2017年3月現在は、古代日本史分野:4位、天皇制分野:2位です) やはり、天皇家とユダヤ人との関係、日ユ同祖論についてはみなさん関心が高いようですね。

このブログでも、古代日本とユダヤ人との関係についてはいくつかの本を紹介しています。それらの本でも、以前紹介した飛鳥昭雄氏のように古代イスラエル人が天皇となったという説もあります。

落合先生は、この本の中で天皇家のルーツが半島からやってきたという「半島文化優越史観」を徹底的に批判し、「天皇家のルーツは縄文人(天孫族)である」であると主張しています。

この本のポイントは、以下の5点です。
①天皇家はアマテラスの直系子孫(天孫族)の皇統である。
⇒ それ以外は「天神」(天津神)である。
②古代日本に中東の古代イスラエル人(いわゆるユダヤ人)が渡来して、海部直(丹後)、物部氏(河内)、宇佐氏になった。
③物部氏は、「先代旧事本紀」、「海部氏系図」を利用して天孫族に入り込み、天孫族になりすました。
⇒ 「先代旧事本紀」は江戸時代に偽書とされたが、「海部氏系図」は戦後に十分な調査がされずに国宝に指定された。
④戦後の日本史学界は、綏靖~開化までの天皇を「欠史八代」として徹底的に否定することで「半島文化優越史観」を打ち出した。
⑤物部氏を天孫の持ちあげようとした黒幕は、日本の古代史界のドンであった故上田正明氏である。

このユダヤ人の渡来に関する落合先生の情報源は、20年間研究してきた「吉薗手記」です。これは、孝明天皇の実質的な侍従長であった正三位堤哲長の孫であった吉薗周蔵(陸軍大将となる上原勇作の特務として活動)が残した文書です。
周蔵は、同じく孫である医師の渡辺政夫から上田家の家伝を聞きました。
辺さん云はるに、自分は京都のアヤタチの一族であるが、アヤタチといふは後に付けたる姓であり、元は海部(あまべ)といふ姓であった由。この海部は日本に流れ着いたるユダヤの人種である由。
この上田アヤタチ一族は、その血統を守るために同族婚を繰り返していた事も記載されていたそうです。その上田家からは、上田鬼三郎(出口王仁三郎)も出ているとのこと。さらに古代史の最高権威である故上田正昭氏が分家から入り家を継いだそうです。

その上田正昭氏が神官を務めていた小幡神社の祭神は開化天皇とその皇子だそうですが、その神官が開化天皇を含めた欠史八代の不存在を主張していたとのことです。そして、上田氏は、ニギハヤヒとホアカリを同体として天孫と記した「先代旧事本記」を持ちあげて上田家と同族の物部氏を天孫族であるとし、さらに戦後、疑惑の多い物部氏の「海部氏系図」を国宝に指定することによって物部氏の天孫族(天皇家)への潜入を肯定したと落合先生は指摘しています。
また、落合先生は、その上田正昭のバックはオリエント学界の三笠宮殿下であったことも指摘しています。

つまり、渡来ユダヤ人の末裔である上田アヤタチ家の当主である上田正昭氏は、日本史学界のドンとして、自分の出自とともに古代日本におけるユダヤ人の渡来を封印したのです。そして、欠史八代を不在とすることで、天孫の末裔の「臣」と連立系家系の子孫の「連」を区別できなくしました。これによって、その子孫である武内宿禰、その末裔の蘇我氏、葛城氏、平群氏などの有力豪族の出自が不明となり、半島からの渡来人の末裔とされました。これが、古代日本は朝鮮半島からの渡来人によって作られたとする「半島文化優越史観」が幅をきかせることの原因になっているのです。

日本の古代史に興味がある方には、必読の書だと思います。

【興味がある方へ】
落合先生が、京都皇統から伝えられて伝聞の一部を紹介します。
京都皇統代のメモ
皇別
①一期:第一期:神武から孝元までの皇裔諸氏。それ以降は「臣姓」を賜っている。
⇒ 多臣、春日、吉備、阿部、波多臣、巨勢、蘇我、平群、紀臣、葛城、江沼
⇒ 第一期の皇族、「臣姓皇別」
②第二期:開化から天武に至る間。「真人」を賜る。
⇒ 丹波、毛野、和気、安保、小槻、春日山、三尾、三河伴、牟義(むげ)、津部、御使(みつかい)、讃岐、土形、息長、三国、多治公、橘、当麻公、晴海、淡海、清原
③第三期:光仁・桓武以降、諸帝の後裔諸氏。「朝臣」
⇒ 純然たる臣下クラス。また源氏・平氏。主として同一の氏が繰り返し賜っている。
⇒ 16流の源氏、4流の平氏、在原、久我、長岡、良岑、広根
⇒ 「朝臣の皇別」
④神別:天孫とは、天祖からウガヤフキアヘズ尊、神武までの五代皇祖の後裔諸氏。
⇒ 神武即位以前は神代として特別に扱うため、神別の内に入れても差し支え無い。ただし、中央勢力と地方豪族の差異あること言うまでもなし。
⇒ 有名筋は出雲臣。これ天穂日命の末裔。河内臣これ天彦根命。尾張臣、これ天火明命 ← 天孫(落合先生も保留)

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オホーツク海の流氷を見る! (2017年) [北海道]

とんぼ返りですが、また北海道に行ってきました。

飛行機から見た北海道です。
右側に見える入江のようなものは、厚岸湾ですね。
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釧路の町と港です。
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屈斜路湖です。年末年始に来た時には凍結していないで真っ青でしたが、今回は8割くらい凍結していました。
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手前に見えるのは津別スキー場です。スキー場から見る屈斜路湖もきれいですよ。
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屈斜路湖の向う側には斜里岳が見えます。
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女満別空港が近くなってきました。
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お約束の網走郊外にある能取岬です。
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網走の町の周辺には流氷が見えませんでしたが、能取岬周辺は流氷で埋まっています。
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網走の天都山から見たオホーツク海です。こちら側も流氷でいっぱいです。
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今回は時間が無くて近くで流氷を見ることができませんでした。
次回は砕氷船に乗って流氷を見てみたいものです。

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飛鳥昭雄のエクストリームサイエンス「古代ユダヤと天皇家」 [歴史の真実・陰謀論]

http://enbanya.jp/dvd/detail.php?pid=56545400
飛鳥昭雄氏のDVDの内容を紹介します。エッセンスを書きだしてみました。
ポイントだけを書くと荒唐無稽に感じることも多いと思いますが、個人的にはなかなか興味深い内容だと思っています。
一部はYouTubeでも公開されていますので、興味ある方はぜひ見て欲しいと思います。

●「日ユ同祖論」は日本人が言い出したものではない。
⇒ 開国時に日本に来た商人たちが、日本の風習と聖書に書かれている内容との類似性に驚いて言い出した。

●日本人、天皇家のルーツ
①現住日本人(アイヌ、琉球人)
②物部氏:紀元前に秦の始皇帝が送った徐福(ヨセフ:古代イスラエル人)の一行が日本に来て住み着いた。始皇帝も徐福と同族であった。
⇒ この集団がアイヌ、琉球人を北と南に追い出した。
⇒ 物部氏となる。(旧約聖書の民)邪馬台国を統治していた。
③秦氏:紀元後に秦氏が朝鮮半島を経由して大挙して移住してきた。12支族が集まるのを待って渡ってきた。
新約聖書の民
東征して物部氏から国譲りを受けて神武天皇となる

●物部神道と血の儀式
・出雲神社、諏訪大社など古神道(物部神道)の神社は旧約聖書の「血の儀式」をやっていた。諏訪大社の「御頭祭(おんとうさい)」を見るとその名残が良く分かる。(鹿などのの首を切って神に奉げる)
・秦氏は、新約聖書の民であり「血の儀式」をやらない。秦氏が物部神道に入り込んだ。
⇒ 物部氏が「血の儀式」をやらないように監視するために、秦氏の下賀茂神社が物部神道の神社に禰宜を送った。(カモネギのルーツ)

●漢字の音読はヘブライ語への変換する鍵
・日本語の漢字の音読は、ヘブライ語に変換するための鍵。
⇒ 始皇帝の父親は、呂不韋。音読で読むと「ロフイ」⇒ ヘブライ語で「癒し手」日本語以外ではヘブライ語にならない。
⇒ 漢字の重要な部分は、聖書の内容を織り込んで日本人が作った。

・茶道はキリストの聖餐会
⇒ 千利休(セイント・ルカ)が洗礼を受けて、バテレン禁止令の中で茶道を通してキリストの聖餐会を秀吉を利用して全国に広めた。
⇒ 千利休の弟子たちはキリシタン大名が多かった。

天皇家のルーツは、イスラエルの12支族+レビ族の子孫
⇒ 当初は、12支族のうちのガド族が「戦う天皇」であったが子孫が絶えた。
⇒ 帝「ミカド」は、ミ(from)+ガド=ミガド(ガド族の出身)。代々の天皇はマナの壺を継承している。(前方後円墳は、マナの壷の形を表したもの。円が下で四角が上)
⇒ ガド族の子孫が途絶えて、後継者争いになったため、レビ族が後継者になった。
「戦う天皇」から「神事を行う天皇」に変わった

日本の歴史に興味がある方にはぜひ見て欲しいと思います。

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