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十限無(じゅげむ) 川越に美味しいお蕎麦のお店ができた! (2018年) [蕎麦を楽しむ]

昨年末に川越にできた「十限無」というお店です。
川越の周辺、日高、坂戸、毛呂山などには美味しいお蕎麦屋さんが多いです。しかし、川越の町の中にはここだ、というお店が無いな~というのが個人的な感想です。(あくまでも私の好みの話です)

このお店があった場所には、以前「鎌倉」というお蕎麦屋さんがあって、定期的に通っていました。抹茶切りやゆず切りなどの変わり蕎麦、和スィーツが充実していて魅力的な店でした。
「鎌倉」が閉店になった後にお蕎麦屋さんが出来た事を小耳にはさんだので、一応覗いてみようかという気持ちでやってきました。
ちなみに、私は週に5日はお蕎麦を食べるくらいお蕎麦が大好きです。東京、埼玉周辺の美味しそうなお店にはできるだけ行っていますが、なかなか好みの蕎麦に出会えていません。(-_-;)

お店は、川越の喜多院の北、成田山別院の通り沿いにあります。向かいに川越銘菓の「くらづくり本舗」がありますので、分かりやすいと思います。
看板は変わっていますが、お店の外観は変わっていません。お店の中に入ると開店祝いのお花が飾ってあります。以前、私の定席だった(笑)カウンター席が無くなっていて、そこは厨房になっています。代わりに以前厨房だった部分がテーブル席になっています。
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テーブル席に座ってメニューを眺めると、蕎麦にコダワリを感じます。
蕎麦へのコダワリを見るには、やはり「そばがき」です。「そばがき」と「十割そば切り」を頼みました。
大きめのそばがきの上に玄蕎麦がのっています。美味しそうです。
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柔らかくて美味しいそばがきです。蕎麦の風味も十分にあるしっかりとしたそばがきです。最近、私も家でそばがきを作っていますが、なかなかこのように美味しいそばがきは作れません。(^^)
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そばがきの薬味です。山葵がたっぷりと盛られています。
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先に蕎麦の薬味が用意されます。山葵は生山葵を自分で摺り下ろすタイプです。
つけ汁が絶品です! 出汁の香りが良く、返しとのバランスが良い重厚な味の汁です。
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蕎麦は大きなおしゃれな洋皿に盛られています。普通盛りですが、結構な盛りの良さです。
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かなりの細切りです。十割蕎麦でこの細切りには驚きました。そして、十割そばなのにきちんと繋がっていて切れていません。御主人の腕の良さを感じます。
蕎麦を食べると、風味と香りが口の中に広がります。本当に美味しい蕎麦です!
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これは野菜天ぷらです。丁寧に揚げられていて美味しいです。パキスタンの岩塩と藻塩が付きます。
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きざみ鴨きのこそばです。
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刻んだ鴨肉ときのこ、葱がたくさん入っています。鴨のもも肉を使っているとの事です。香りが良くて美味しそうな油が浮いています。
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辛味大根を使った「地獄そば」です。ぶっかけタイプで、つけ汁をかけて食べます。
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そばのアップです。たっぷりの辛味大根と甘めの油揚が良いアクセントになっています。
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たっぷりのつけ汁と梅干しが付きます。
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写真を見て分かるように、何度も通っています。(笑)
ちなみにご主人は、恵比寿の人気店「初代」をプロデュースした方だそうです。お店や料理の端々にそのセンスの良さが現れていますね。
川越の町中にも私の好みの蕎麦屋が見つかりました。お蕎麦好きの人には絶対お薦めのお店です。

十限無:川越市久保町6-6 Tel:049-277-5752


蕎麦の名店案内 首都圏版 (ぴあMOOK)蕎麦春秋(44) 2018年 02 月号 [雑誌]: 月刊リベラルタイム 増刊食べログBOOKS 蕎麦 (saita mook 食べログBOOKS)新版 おいしい蕎麦の店 首都圏版東京 五つ星の蕎麦

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Kindle本で古典を楽しむ その2

最近は、Kindleで本を読むことが多くなっています。
Kindleの良い所は、著作権の切れた古典などを安価で読むことができることです。
特に、万葉集や古事記などの古文書そのものを見る事ができるのは画期的だと思います。これまでであれば、どこかの図書館にわざわざ行って見る必要があったものを手元で見る事ができます。
これらの本は、国立国会図書館などに所蔵されている本をコピーしたもののようです。
(その1は ⇒ http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2017-09-04

①古事記
まずは「古事記」です。太安万侶編となっています。(216円) クリックするとAmazonに飛びます。
古事記








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②古事記伝
教科書でしか見た事がない「古事記伝」です。(プライム会員0円)
古事記伝(1)








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③続日本紀
日本書紀の後の日本を書いた続日本紀です。40巻まであるのですが、Kindleでは後半の部分が無いようです。(プライム会員0円)
続日本紀 40巻 [1]








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④延喜式
当時の神社に関して記載した「延喜式」です。(324円)
延喜式








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⑤神皇正統記
南北朝時代に書かれた北畠親房の神皇正統記です。(270円)
神皇正統記








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以上、教科書でしか聞いた事のない本を並べてみました。
私も安いので買いましたが全然読んでいません。(笑)
眺めて雰囲気を見るだけで十分です。まあ、これもKindleの楽しみ方と言う事で。
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「真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任」 倉山満著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任
倉山先生の近衛文麿に関する本です。


近衛文麿に関しては、以前「大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-07-16)を紹介しましたので、こちらも読んで欲しいのですが、その内容を簡単にいうと、

近衛文麿とその側近が、日本を支那事変の泥沼に引きずり込み、さらに対米開戦へと導いた

という事です。
ただし、近衛がソ連のスパイであったか否かは、状況証拠しかないので倉山先生は断言していません。

この本は倉山先生の本のいつものスタイルで、単に近衛文麿の言動を書いているだけではなく、時系列で日本及び各国との関係、日本国内の状況に関しても分かりやすく書かれています。これによって、どのような国内情勢、対外情勢の時に、近衛文麿が何を言っていたか、何を行ったかを理解することができます。

ちなみに、倉山先生は、「ファシズム」とは一国一党の事で、近衛文麿の進めた大政翼賛会は、一国ゼロ党なのでファシズムではない、と書いています。現在の中国こそ共産党の一党独裁で典型的なファシズム国家ですね。後は旧ソ連。しかし、日本の歴史学会では、「大人の事情」でこの定義は使えないそうです。(-_-;

●対米戦争について
なぜ戦前の日本はアメリカを相手に、負けるに決まっている戦いをしてしまったのか。
戦後に生れて強い軍事大国アメリカしか知らない私たちは、普通にそう思います。倉山先生もそうだったようです。しかし、米国が軍事大国になったのは日米の戦争が始まってからです。開戦当時は、国力の差はありましたがアジアの戦力で見れば日本の方が強かったのではないかと思います。
また、戦争は国力だけで決まるものではありません。日本から見ても小国であるベトナムはアメリカに勝っています。その理由を倉山先生は、以下の2つだと書いています。

①米国と対抗していた大国ソ連の後ろ盾があった。
②インテリジェンスの勝利。プロパガンダによって、世界中に「残虐なアメリカ」を印象付けて、アメリカへの非難声を上げて国内の厭戦感を高めた。


①に関して、大東亜戦争で日本はアジアでは単独で大国である米国、英国、ソ連の3国すべてを敵にまわしました。
②に関しても、ソ連のスパイの暗躍を許し、中国にはプロパガンダされまくっていました。このソ連のスパイによって近衛の側近も米国のルーズベルトの側近も真っ赤っかになっていたようです。
日本も日露戦争の時には、インテリジェンスの分野で陸軍の明石元二郎が活躍して勝利に導いた過去があるのにどうなってしまったのでしょうね。
そして、現在も韓国、中国に「南京大虐殺」だの「従軍慰安婦」だのプロパガンダされまくっています。インテリジェンス戦も戦争です。戦前のように「分かる人は言わなくても分かってくれる」などという日本的な考えは世界には通用しません。きちんと大規模な予算付けて、全世界に向けて正しい情報を継続的に発信しなければダメです。安倍さんよろしくお願いします!

ソ連の活動に関して言うと、その赤化の波は陸軍や官僚にも押し寄せていたようです。陸軍の中では、石原莞爾、武藤章、梅津美次郎や統制派のメンバーが統制経済を唱えていて、証拠は無いものの疑惑を持たれていたそうです。この当時、表面上は天皇陛下バンザイを叫んでいるけれど赤化していた軍人が多くいたようです。

*悪いのはルーズベルト
これまで、日米開戦は日本が一方的に悪かったと言われていますが、本当の悪者は米国大統領のルーズベルトでした。
開戦前のアメリカは、フィリピンに植民地を持ってはいましたが、中国に関してはまったく無関係です。米国としては、海の向こうの日本に対して戦争を行う理由はないはずです。その当時、米国は日本には石油を売り、中国には武器を売る死の商人をやっていました。それにもかかわらずルーズベルトは、日本の中国での戦いにちょっかいを出してきました。

さて、日本を日中戦争の泥沼に引きずり込んだ近衛文麿ですが、なぜか最後の最後になって、日米開戦の回避に動きだしました。
昭和16年の日米交渉の流れです。
・第三次近衛内閣で近衛文麿は突然、日米開戦回避に動き外相の松岡洋右が必死に奔走する。
・ルーズベルトは、「松岡が外相である内は交渉できない」と松岡の罷免を要求。
・7月16日:それを受け、近衛は松岡外相を罷免する。
・7月25日:それにもかかわらず米国は在米日本人資産を凍結する。さらに戦争当時者でもないのに日本の南部仏印進駐を止めるように要求。(日本としては、日支事変の解決を阻んでいる蒋介石の外国からの援助ルートを絶ち切る事が重要だった)
・7月28日:南部仏印に進駐。(交渉の駆け引き上やむを得ない)
・8月1日:米国は石油を禁輸する。
・8月7日:近衛首相がルーズベルトと直接交渉を行いたい旨をハル国務長官に伝える。ハルの反応は肯定的。
・9月3日:米国から日本軍が中国大陸から引き揚げたら会うとの回答。
・9月6日:御前会議開催。10月で交渉を打ち切って対米開戦の結論。
・10月2日:グル―駐日大使が日米会談拒否を通告。
・10月14日:ソルゲ事件が発覚して内閣総辞職。東條英機が後継となる。
支那事変勃発当初から隔離演説で日本を病原体呼ばわりし、数々の挑発的言辞と経済制裁。そして最終局面での不真面目な態度。以上から判断できることは、ルーズベルトは日本と戦争をやりたがっていました。その理由は、ルーズベルトが狂人だったからです。ルーズベルトがソ連のスパイだと断定できない以上、狂人だったからと断ずるほかありません。
もちろん、狂人とは医学的な意味ではありません。政治的な狂人です。
米国の主張する「日本は中国から出て行け」という主張は米国に対して「ハワイをカメハメハ王朝に返せ」あるいは、「奪った土地をインデアンに返せ」というくらい承服できない要求です。日本としては飲む事はできません。

日本は、アメリカから石油を止められたから戦争を行ったと言われています。しかし、アメリカ領のフィリピンには石油はありません。あるのは、オランダ領のインドネシアとイギリス領ブルネイです。後知恵で考えれば、英、蘭とだけ戦争をして米国を無視していれば良かったのです。
実際の大東亜戦争で日本はオランダを九週間で負かしていますし、イギリスにしても、たったの二ヶ月で片付けてしまいました。アメリカさえ相手にしなければ、アジア、イギリス、オランダなど大日本帝国の前には、ものの数ではなかったのです。
日本には米国と戦争する理由はありませんが、893のような米国が執拗に因縁を付けてきます。彼らの常套手段で、いろいろと挑発して最初に殴らせるという方法です。米国の国民は、第一次大戦で懲りているので、戦争には反対ですし、ルーズベルトは若者を戦地に送らないという公約で当選しているので、日本が米国本土であるハワイを爆撃でもしなければ自らは参戦できない状況です。(植民地のフィリピン攻撃では無理でしょう)

それでは、何故日本はアメリカとの開戦に踏み込んだのでしょうか?
倉山先生は、当時の日本政府、官僚がみんなポジショントークしていたからだと書いています。

陸軍:支那事変を解決したいが、英国が蒋介石を援助しているので長引いている。英国との戦いは不可避だ。
海軍:米英は一体なので、イギリスを敵に回したらアメリカが出てくる。
陸軍:だったら、アメリカと戦うまでだ!
実際には、米英は全然一体ではないのですが、その正論が通らなくなっています。
たまには良識派がいて、宇垣一成はアメリカなど無視してイギリスと話をつければいいのだと頑張ったのですが、そういう正しいことを言う人は葬り去られます。
陸軍と海軍はそれぞれ陸軍省、海軍省という省の官僚です。大蔵省から予算を付けてもらえなければ装備も補充できません。ですので、お互いに予算を取り合う敵なのです。
中国(北支)、ソ連は陸軍の縄張りです。しかし、蒋介石を支援している英・米は海軍の縄張りです。陸軍が蒋介石への支援を切るために英・米と戦う事になれば、海軍としては陸軍に予算を取られてしまいます。海軍としては、長年米国を仮想敵国として予算を取ってきましたので、いまさら米国とは戦えないとは言えません。
しかし、海軍としては、ここで戦えないことを理由に対米開戦不可を押しきれば、嘘つき且つ無能者の烙印を押されます。今後、予算を削られるのは必定です。だったら、アメリカと戦って勝つことに活路を見出す。こうした組織防衛の論理で、対米開戦に踏み切ったのです。
何と、日米開戦は、海軍省というお役所のメンツのために行われたという事になります。しかも、フィリピンで艦隊決戦というこれまでの海軍の方針を変えて、米国の望み通りに米国の領土であるハワイの真珠湾を奇襲します。
山本五十六はスパイだろ! と思いますが、倉山先生は学者なので決定的な証拠がないので保留という立場をとっています。
東京裁判で、陸軍だけ悪者で海軍の戦犯が少ない事の説明ができてしまいますね。

何故、倉山先生はこの本を書いたのだろうと考えました。
近衛文麿と安倍首相を重ね合わせて見ているのか、あるいはトランプとルーズベルトをオーバーラップさせているのか、大日本帝国と北朝鮮を重ねているのか...。
みなさんも是非読んでみて下さい。

倉山先生の本に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2
・日本は朝鮮人のために世界を敵に回した! 「嘘だらけの日韓近現代史」 倉山満著 を読む
・織田信長はスティーブ・ジョブズだ! 「大間違いの織田信長」 倉山満著 を読む

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倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

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日本は朝鮮人のために世界を敵に回した! 「嘘だらけの日韓近現代史」 倉山満著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)



倉山先生の「嘘だらけの~」シリーズの日韓の近現代史に関する本です。
韓国に関して論じる時には必読の書だと思います。

この本の「はじめに」の冒頭に、
一昔前に〝日韓〟などと銘打った本を書けば、「韓国のイヌ、手先」「右翼」「軍国主義者」「ファシスト」「アジアのヒトラー」「人類の敵」などと石を投げられ、(後略)
と書いてあり、そう言えば韓国は1987年まで独裁政権であった事を思い出しました。その当時、韓国と言えば「クーデター」、「戒厳令」というような言葉が連想された時代です。韓国は、平成が始まる頃までそのような政治状況だった事は押さえておかなければなりませんね。

さて、倉山先生は朝鮮半島史に関する文献を渉猟することで韓国人の思考回路を調べて以下の法則を見出しました。
1.頭の中がファンタジー
2.軍国主義でないと正気を保てない
3.反日を言っていないと親日になってしまう
この3つを押さえておきましょう。詳しくは本書を読んでみて下さい。

2010年、当時の仙谷官房長官が韓国に謝罪しようとした時に、倉山先生は以下のような倉山談話をブログで発表しました。
満洲事変で、私達日本人は拉致された朝鮮人の人権を守るために、世界中を敵に回し、最後は国を焦土としても戦い抜きました。両国友情の証に褒めてください。 支那事変では、韓国人の皆様は本当によく協力してくれましたね。あなたたちがそこまで中華帝国を大嫌いだとは知りませんでした。忘れないよう、感謝いたします。
大東亜戦争中は、日本人の名前を名乗らせないのは差別だとか、兵役の義務を与えないのは差別だとか、同じ帝国臣民としての権利を認めないのは差別だとの声に、こたえるのが遅すぎたようです。しかも改革の速度が遅すぎました。心より謝罪いたします。(後略)
この本の中で、この談話の内容を詳しく説明しています。

朝鮮は、白村江の戦の時代から(それ以前からか?)現在まで基本的に中国の属国で、反日国家でした。その中で唯一、日本統治時代だけ親日になっていました。統治時代は、日本人として大東亜戦争を一緒に戦いました。しかし、日本が敗戦になった途端、第三国人として傍若無人の振る舞いを始め、日本人の土地を奪い取り、強奪、強姦の限りを尽くしたのでした。
(これに関しては、http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-08-03)も参考にして下さい。

戦時中まで日本人として同化していた韓国人は、敗戦後に独立国として立ち上がるためには、反日を国是とするしかなかったという事です。しかし、戦時中は日本人と戦争を戦い、戦勝を一緒に喜んでいた人たちです。朝鮮人で実際に、反日活動を行っていたのは、北朝鮮の金日成です。韓国人が反日を叫ぶほど北朝鮮の金日成を称え、持ちあげる事になります。倉山先生は、それで良いんですか? と問うています。

●満洲事変について
満洲は清朝の父祖の地ですが、中国にとっては化外の地で清国滅亡後は、現地の匪賊が暴れ回る無法地帯でした。その地で日本人居留民(その多くが朝鮮人)が生命の危機にされされていました。その度に現地の関東軍が出動して対処していましたが、親中派の日本政府は何の根本対策も打ちません。その打開策として石原莞爾が中心となって、満洲事変を起こして満洲の治安の維持を図り対ロシアの緩衝地帯としました。

●安重根の伊藤博文暗殺
伊藤博文は親韓派で政府内の即時併合派を押さえていましたが、安重根に暗殺されました。
伊藤は自分を撃ったのが朝鮮人だと知り、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟いたそうです。これが引き金となって大韓帝国は日本に併合されました。
安重根の高潔な人柄を褒めたたえる人が多いですが、
後先を考えない善意は、何の意味もないどころか、しょせん愚行にすぎません。
という事になります。
朝鮮半島に莫大な投資を行い、インフラ整備を行い、学校(帝国大学まで作った)を作ってハングルを普及させて教育を行いました。しかし、その結果が感謝もされず1,000年先まで恨まれるとは、一体何をやっていたのか?と問わざるを得ない事です。
台湾のようにやった事を感謝されるような民族にだけ誠意を持った対応を行うべきでした。

●明成皇后の虐殺
李朝の明成皇后は王宮で日本人浪人に暗殺されました。倉山先生は、
「お褒めいただきありがとう、礼には及ばん」と言ってあげるのが正しい返答です。(中略) 韓国人民を弾圧し続け、搾取の限りで私利私欲を貪り、事あるごとに国を売るようなことばかりしていたのですから。明成皇后こと閔妃こそ、日韓人民共通の敵です。「人を殺すのは良くない!」というような、当時の李氏朝鮮にはまったく存在しない価値観でも持ち出さなければ、閔妃殺害を指弾することは不可能でしょう。韓国人の立場に立てば、閔妃はドイツ人におけるヒトラーのようなものです。
と書かれています。この時宮殿を襲撃したのは、日本軍守備隊、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使で、日本人単独ではありません。本当に誰が殺したかは分かっていないようです。

●ハングルについて
李氏朝鮮の第四代世宗大王がハングルを制定しました。
我が国の語音は中国とは異なり、漢字と嚙み合っていないので、愚かな民たちは言いたいことがあっても書き表せずに終わることが多い。予はそれを哀れに思い、新たに二十八文字を制定した。
というのが始まりで、日本統治時代に普及させるまでは、女、子供が使う文字として卑下されていて普及しませんでした。

●秀吉の朝鮮出兵
戦国時代を統一した秀吉は、ポルトガル、スペインからの情報で世界もまた戦国時代であると理解しました。秀吉は、対明征伐のために朝鮮を通ろうとしただけで「朝鮮出兵」という意識がありませんでした。戦国時代を勝ち抜いた秀吉時代の日本の軍事力は、当時としては世界でもトップクラスであったと言われています。下手をすると本当に明を滅亡させた可能性もありましたが、前線の大名達が戦の目的を理解できずにやる気が無かったので、うまく行かなくて良かったです。たとえ明を滅ぼしたとしてもその後の混乱の治安維持の方が大変でしょうから。
ついでに書くと、徳川時代に日本が鎖国をできたのは、日本が軍事大国だったからです。軍事力がなければ自分達が鎖国しようとしても、軍艦がやってきて侵略されて終わりです。回りの国が「良い人達」で無い以上、鎖国も非武装中立もあり得ません。
ちなみに、「中立」とは両方の味方ではなくて、両方の敵になる事です。従って、非武装で中立はできません。

●創氏改名について
日本は創氏改名を強制していません。朝鮮名のまま国会議員や陸軍中将にまでなれるのに「創氏改名の強制」があったというのは何なのでしょう。現在、「創氏改名の強制」などしていないのに、なぜ在日の人たちはは通名を使用するのでしょうか?

最後に一つだけ。過去の歴史を見ると、韓国は常に強い国にすり寄っています。清が強い時には清、ロシアが強い時にはロシア、日本が強い時には日本です。そして今は中国の力が強いから中国にすり寄っています。

書きだすときりが無いので、ぜひ倉山先生の本を読んで下さい。

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

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広島での不思議な体験 (2017年) [旅行]

今回は、広島で経験した不思議な話を紹介します。
最初のおことわりしておきますが、今回の旅行で泊ったホテルはとても快適で、以下に書くような不思議な体験はありましたが、ホテルや部屋で恐怖体験やいやな体験はしていません。
今後、もし広島に行く機会があればまた同じ部屋に泊りたいと思っているくらい快適でした。

IMG_3334.PNG
今回の旅行の写真の整理やブログが書いている時に、「ホテルに何時に着いたか」、「何時に食事に行ったか」を調べるために、iPhoneに入れてあるトリップアドバイザーのソフトにあるタイムラインを使っています。

例えば、左に示すような感じで表示されます。
スマホを持って移動すれば、内蔵されているGPSのデータと地図データを使って、目的地への到着時間と出発時間が記載されています。

表示したのは、11月27日(月)の旅行の出発した日のタイムラインです。

それぞれのポイント、例えば「本川越駅」をクリックすると、「6:09~6:22」と表示されて滞在時間が分かりますので、後で確認する時にはとても便利です。

ただし、ご存じのように現状のGPSの精度はあまり高くありませんので、左の例で言うと「出雲大社前駅」の所に、
「こちらを訪れましたか?」と出ていますが、このように確認してきます。
「× いいえ」を押すと、付近のお店やスポットが出て来るので選択して正しい場所を入れる事ができます。

IMG_3299.PNGさて、ここからが本題です。

左のタイムラインを見て下さい。
これは、広島のホテルに泊まった次の日のタイムラインです。
この下にもまだ続いています。

「あれ? 原爆ドームは行っていないけどな~」と思って時間を見てみると、「0時30分~1時03分」となっています!
これには驚きました。というのは、この日スマホに充電器につないで0時30分に寝ていたからです。
つまり、タイムラインに出ているのは私が寝ている間の行動と言う事になります。

他の場所と時間をまとめたのが、下の表です。
広島に行った事がない方は、土地勘が無いと思いますので、Google Mapに地図に場所を黄色いラベルを貼っておきました。
ご覧のように結構広い範囲で移動している事が分かると思います。
(見にくい場合は、クリックして拡大して下さい)
gazou.JPG





表の滞在地を見ると「原爆ドーム」が多いですね。

最初は、私が寝ている間に徘徊オヤジになったのか? と思いました。(笑) しかし、11月下旬の寒い時期に、ホテルの部屋着で出かける事も考えにくいし、着替えを行った形跡もありません。また、最近は普段でもスマホを持っていくのを忘れる事が多いのに、徘徊する時にきちんとスマホを持って行ったとはどう考えてもあり得ないです。(^^)

それでは、誰かがスマホを持ちだして私が起きる前に戻しておいたのでしょうか? 私が途中で起きる可能性もありますので、それも考えにくいです。

一番考えられるのは、この場所がGPSの衛星の電波が切り替わりやすい場所で、その切り替わりの誤差が移動した事になって表示された、という仮説でしょうか。
ただし、少し前に、原爆ドーム付近で夜中にポケモンGOをやっている事が話題になった事がありますが、GPSの誤差の件はあまり話題になっていないので、その仮説もよく分かりません。

とにかく不思議な体験ですね。
近いうちに、また同じホテルに泊まって再現実験をしてみたいものです。
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周蔵手記第三弾! 「日本皇統が創めたハプスブルク大公家」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


日本皇統が創めたハプスブルク大公家  國體ネットワークから血液型分類を授かった陸軍特務 (落合・吉薗秘史3)

落合先生の周蔵手記の第三弾です。

いよいよ吉薗周蔵氏の草としての初めての仕事である渡欧の詳細と佐伯祐三との関わりが書かれています。
そして、第Ⅱ部では日本皇統とハプスブルク家の驚きの関係が明かされています。

●周蔵手記の概要
*第一時大戦中の大正5年(1916年)23歳の周蔵氏は血液型分離法取得のため、同じ上原勇作配下の石光真清と共に渡欧して敵国のウィーンに行きました。
・シンガポール経由でシドニーに入り、石光真清を待つ。偽名は久原鉱業技師武田蔵之丞。
・石光とシドニーから船に乗ってアメリカ大陸東岸を北上してロンドンに着く。道中、同行の石光から草としての心構えと諜報技術を学ぶ。ロンドンから欧州に入り、同じ上原配下の明石元二郎が欧州に張っていたネットワークを使ってウィーンに行く。
・ウィーン大学医学部のカール・ラントシュタイナー教室に潜入して血液学の研究成果を取得する。
・シュタイナーの助手のシーレーを5,000円+1,000円(エゴンシ―レの絵の代金)で買収する。(現在の貨幣価値で約5,000万円)
・その後、ドイツに入って呉教授の紹介状を持ってケルン大学のクレペリン教授を訪ねるが会えなかった。その後、行きと同じ経路を使って帰国する。
・帰国後、呉秀三博士や額田兄弟、式場などの医師に報告する。
・若松安太郎の紹介で、後藤新平の草である藤根大庭を紹介してもらう。
・17歳の薩摩治朗八が敵国である欧州に行って来た周蔵に興味を持ち、付きまとわれる。
・父の林次郎とケシの栽培を継続しているが、表看板を作るために中野に精神カウンセラーを行う「救命院」を開く。
・上原勇作から本願寺に行くように指示を受け、本願寺の草である佐伯祐三が美術学校へ入学できる道を作る事を頼まれる。佐伯の任務は社会主義者の調査。
・美術学校は海軍の縄張りなので、若松安太郎を通して山本権兵衛に頼み了承を得る。
・佐伯、周蔵両方のアリバイ作りのために救命院の診察日誌を書くことにする。
・薩摩から徳田球一を紹介される。その後、救命院に佐伯、薩摩、徳田の三人が入り浸ることになる。

●石光真清の教え
絶対に1人の人物に傾倒することをしないように
・誰でも人間である以上、自分を第一にするから、いかなる人物も確実ということはない。だから一人の人格を絶対視してはならない。これは至言ですね! 誰に対しても有用な教えだと思います。

●明石元二郎の功績
・明石は、日露戦争の前にロシア公使館付武官として赴任し、開戦後はスェーデンのストックホルムでロシアの後方撹乱を行い、日露戦争を勝利に導いたと言われています。
・明石は、陸軍の100万円(約80億円)の予算を使ったと言われていますが、この本によると実はその10倍の1,000円(約800億円)の資金を本願寺の大谷光瑞から得ていたという事です。この厖大な資金によってレーニンなどを動かしてロシア国内の厭戦感を煽って日本を勝利に導いたのですが、明石は周蔵氏に、以下のように言ったそうです。
し、ロシアが講和に踏み切らなかったら、戦争は長引き、おそらく日本は悲惨な状態で負けたであろうと云われた
そして、今度の戦争(大東亜戦争)は「長引いて」しまったという事のようです。
ロシアは、日本海海戦でバルチック艦隊を失ったとは言え、国内に攻め込まれたわけではありませんので、負けを認めずに戦いを続けていた可能性は十分にあります。
明石の後方撹乱による国民の厭戦感情の高まりは効果があったと思いますが、やはり講和させるという大きな力が働いたのでしょうね。

●佐伯祐三
「ニューリーダー」連載時は、落合先生が佐伯関連の記載をピックアップして書いていましたが、実際には国事に奔走していた周蔵氏が佐伯に関わっていたのはほんの一部だと思います。
・諜報活動を行う「草」には表看板が必要です。藤田嗣治のように画家という大きな看板を持っている人は楽ですが、当時の佐伯にはそのようなものが無いため、本願寺がその看板を作るために協力して欲しいと周蔵氏に依頼してきました。
・周蔵氏には、ケシの栽培という大きな裏の仕事がありますが、表看板がないため苦労します。それが無いと、まず近所の人や親戚など接触のある人たちに怪しまれます。周蔵氏の師匠である石光真清は、世田谷に特定郵便局を開いたそうですが、局長が留守にするとかえって目立つため失敗だったと周蔵氏に教えています。そのため、周蔵氏は、救命院という精神カウンセラーの診療所を開く事にしました。そして、佐伯祐三をそこの患者として診療日誌を書くことで、佐伯と周蔵氏両方のアリバイ作りを行いました。
・佐伯は、本願寺系の光徳寺の次男としての立場を強く意識していました。寺は兄が継ぐので、次男の自分は画家になって金を儲けて有名になる事で兄に対抗しようとしていたようです。
「わいは 結核やねん。よって、そう長くは生きられへんねん」という。
「画家になろうと思うが、なにより それで金をもうける事や。画家でのうてもとにかく 武者小路さんみたいになるのが エエと思う」と云う。
現実、兄が寺の後取りであり、「自分は しょうもない立場やねん」という。
・佐伯祐三が本願寺の諜報活動を行っていたというと唐突な感じを受けると思いますが以下のような事情のようです。
室町時代から戦国諸侯の中で教線を広げてきた本願寺は、それ自体が封建諸侯のようなものだから、忍者を使っていた。(中略) 父の祐哲は、浄土真宗の僧侶でありながら、山村をめぐって加持祈祷と職業斡旋の事業をしていたし、兄の祐正は西本願寺法主の大谷光瑞の側近であった。ようするに、祐三の父兄がある種の本願寺忍者であったことは間違いないのだが、詳細はここでは略する。
・また、佐伯はしばしば10円(現在の8万円くらい)の借金を要求したそうです。
当時の十円は今なら八万円ほどの大金であるから、当時これほどの金額を持ち歩いている人は少ない。
現在でも、知り合ったばかりの人に8万円貸してくれと言われてすぐに貸せる人は居ないと思います。(笑) これ以降、周蔵氏は佐伯からしばしば借金を依頼されますが、返したという記載はありません。


さて、第Ⅱ部は、「欧州に渡った北朝皇統」となっています。
落合先生が書く歴史は、「國體ワンワールド史観」に基づいています。「國體ワンワールド」とは、ウバイド人の末裔が構成する国際的な秘密勢力の事です。

この本で落合先生は、欧州に渡った皇統は、3系統あると書いています。
(1)欧州大塔宮:護良親王の王子・王孫が入欧。ベルギー皇家、オランダ王家がこれに当たる。
(2)欧州後南朝:欧州大塔宮の渡欧に随従した後南朝の王統及び南朝武士の一統。一部はヴェネツィアでワンワールドの「黒い貴族」に加わり、ローマ・カトリック勢力に潜入した。
(3)欧州北朝:新持明統の光明の孫(栄仁親王の王子治仁王)が1400年前後に渡欧してハプスブルク家に入り、その子フリードリッヒⅢ世が神聖ローマ帝国皇帝になる。

先生のこれまでの著書で、欧州大塔宮は馴染みがありますが、今回、新たに(3)の「欧州北朝」が加わりました。
これに関しては、先生じしんも以下のように書いています。
数か月も前のわたしなら、考察の対象とするのをしばらく躊躇したと思われるものである。 ところがここ数カ月、(中略) ワンワールド史に関する理解が飛躍的に進み、「ハプスブルク=欧州北朝」説にさしたる心理的抵抗を感じなくなった。
と書いてあるくらいの内容です。したがって、そこまで理解が進んでいない私としては、コメントができません。(^^)

しかし、周蔵氏が大戦時に敵国のウィーンに潜入して血液型分離法を無事に獲得して帰ってくる事は、普通に考えるとあり得ないと思います。先生が書くようによほど強力な国際的な組織の力がなければ不可能であった事は事実だと思います。

みなさんもぜひご一読を!

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・周蔵手記第二弾! 「國體アヘンの正体」 落合莞爾著 を読む
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項 解読! 陸軍特務が遺した超一級史料 (落合・吉薗秘史I)活字に出来ない《落合秘史3》 南朝天皇・北朝天皇の機密~明治天皇すり替えの極秘計画 <DVD> (DVD 活字に出来ない落合秘史)天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本ワンワールドと明治日本 (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)活字に出来ない落合秘史2 金融ワンワールド~天皇と黄金ファンドの秘密 (<DVD>)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)
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周蔵手記第二弾! 「國體アヘンの正体」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


國體アヘンの正体  大日本帝国を陰から支えた「天与のクスリ」 (落合・吉薗秘史 2)

この本は、落合先生の周蔵手記の第二弾です。
2017年8月4日発売ですが、私は神保町の書泉グランデの先行発売の時に買ったので、7月28日に入手して早速読みました。

その割に紹介が遅れてしまいました...。

<吉薗周蔵氏について> 前回の記載より・・・
この吉薗周蔵氏は、大正元年18歳の時に当時の陸軍中将(最終的には、元帥陸軍大将となる)上原勇作の特務となります。諜報というと陸軍中野学校を連想しますが、中野学校の創設は昭和12年ですので、それよりも25年以上前の話になります。また、周蔵氏は陸軍に所属していた訳ではなく、民間人として上原勇作付き特務となって上原勇作からの指示で動いていました。

上原勇作は、一般には陸軍大臣の時の「二個師団増師」問題で大正政変につながった事ぐらいしか知られていませんが、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官と言われている重職をすべて経験している実力者です。これは、上原勇作の他には杉山元しかいません。周蔵手記によって、大正から昭和の時代、この上原勇作が陸軍を裏から動かしていたことが分かりました。

その吉薗周蔵氏ですが、明治27年に宮崎県西諸縣群小林村に生まれます。周蔵の父林次郎は、公家の名家正三位である堤哲長(つつみあきなが)とギンヅルの間に生まれた子ですので周蔵氏はその公家の血を引いています。

さて、この本で落合先生が強調しているのが、人類にとって重要なものが「金(Gold)」と「罌粟(ケシ)」であるという事です。
罌粟はほんらい人間にとって至宝であるにもかかわらず、その効用ではなく恐ろしい中毒性のみを強調されてきました。
たしかに清朝末期の中華社会におけるアヘン耽溺は見るに忍びないものがあるが、万物すべて、大いなる効用の半面に同規模の副作用をともなうのが自然の理で、百利あるものに必ず五十を超す害があることは、かの原子力の平和利用を見ただけでも容易に理解せねばならぬ。
先生があげている原子力に限らず、私たちが病気になった時に飲む薬にしても、必ず効用の他に副作用があります。薬品メーカーに勤めている知り合いは、「薬はみんな毒だから飲むな!」とまで言っていました。
いずれにしても、罌粟(ケシ):アヘンに関しては、その効用(鎮痛、延命、多幸感など)を述べることなく副作用の悲惨さだけを主張しているのが、現在の状況です。そして、その悲惨な副作用にしても、すでに対応処置については分かっているようです。

この本を読み始めて驚くのが、これまで「ニューリーダー」で読んでいた周蔵手記での知識をはるかに越えてアヘンに関する記載が多い事です。これは、「ニューリーダー」では落合先生が読者の事を考慮して多くの部分を削っていたからだそうです。
これを読むと、周蔵氏は上原勇作の特務になってから最初の頃は、罌粟の栽培に没頭していた事がわかります。

この本に書かれている周蔵氏の動きを見てみます。

・上原勇作から罌粟(ケシ)の栽培を命じられる。
・東亜鉄道学校に籍を置き、熊本医専の薬学部麻薬掛に勤務する。
・親友の加藤邑(むら)と同居する。加藤は呉秀三の直弟子でハンセン病に罹患していた。
・加藤邑からアヘンに関する知識を得る。
・上原勇作、二個師団新設の要求が拒否され、単独辞任して西園寺内閣を総辞職に追い込む。
・上原、肺壊疽で入院したが、周蔵氏が持参したケシ粉で回復する。
・周蔵氏は父の林次郎(堤哲長の子)と罌粟の栽培に従事する。
・罌粟栽培のため、北海道(函館)を訪れる。若松安太郎、池田庄太郎と懇意になる。
・若松安太郎から北海道で罌粟の栽培を提案される。
・加藤から血液型分離法の知識を得てその研究を上原に具申する。
・加藤邑死去。
・貴志彌次郎中佐と初対面。
・大本教の渡辺ウメノからケシに関する書物と延命用の黒罌粟の種子をもらう。
・武者小路実篤の「新しき村」の土地探しを頼まれる。
・北海道の稚内、青森、山形で罌粟の栽培を行う。
・上原勇作から「軍に属する気はあるか?」と問われて断わり、上原の「草」として生きる事を決意する。
・血液型分離法取得のための渡欧に備えて、呉秀三の元で医学訓練を行う。


その他、個人的に気になった記載は、以下の部分です。( )内は私の注釈
池田庄太郎(周蔵氏の岳父)とギンヅル(周蔵氏の祖母)は家系で繋がっていたので、その家系関係を池田チヤ(周蔵氏の義妹)が教えてくれたが、驚いたことに、わたし自身もそれに出てきた。つまり、わたしと吉薗周蔵は赤の他人ではないのである。
周蔵氏が記載した「草の心得」です。
信用はできても全てを話してはいけない。六割で止めること。
金で済むことは金で片づける。
云おうと思ったら まず口の中で云ってできるだけ収めること。
然し、聞くときは残らず聞くこと。
基本的に実行は一人ですること。
商人を信用しないこと。
落合先生はこれを読んで、自分はその正反対をやってきたことを覚って衝撃を受けたそうです。
以上がⅠ部の内容です。

Ⅱ部は「アヘン概論」として、アヘンの歴史や関連情報が書かれています。落合先生の本は、実はこの後半部分にその後の重要テーマになるような内容が書かれている事が多いので注意が必要です。その中で私が気になったのが、以下の記載です。
「周蔵手記」の「別紙記載」には、
①後藤新平は上原勇作と組み、頭山満を通じて使晙した玄洋社員に、原敬を暗殺せしめた。
②後藤は正力松太郎によって暗殺された。
とある。これは周蔵の知見であって真相は分からない。

この本は、まだまだ周蔵手記のさわりの部分です。次刊では、いよいよ周蔵氏が血液型分離法取得のため渡欧する内容になります。

みなさんもぜひご一読を!

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北朝鮮のミサイル攻撃! 『 そのとき 』 首都・東京が被爆する朝 ベリー西村著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


『 そのとき 』_首都・東京が被爆する朝

この本は、ベリー西村氏が1992年に見た夢を元に書いているものです。
以前は「未然の書」というタイトルでしたが、2017年10月5日に左のようなタイトルに変わっています。(内容も大幅にシュリンクしています)

その夢というのは、
北朝鮮からの核ミサイルが東京を攻撃し、その核爆発で西村氏自身も死ぬ
という恐ろしいものです。
本書の執筆は2014年4月ですので、その時点で現実化されていないため、未来予言の「未然の書」として書いています。
少し長いですが、核心部分なので引用します。幸いにも2016年のミサイル攻撃はありませんでしたが、最近の動向を見ていると以下の内容にリアリティーがあるので紹介しておきます。
2016年6月11日午前11時11分。
テレビニュースの画面が急に緊張した声とテロップが流れ出した。
「北朝鮮、ミサイル発射か」
それに続き女性アナウンサーが緊張しながらもゆっくりと語った。
「二分以内に東京に到着する模様」
「えええっ、二分後?、イージス艦のSM3迎撃ミサイルは無力だったの!」
急いで側道に停車し車外に出た。ちょうど横浜の高台で、遠くに川崎、東京タワーを見渡すことが出来る場所にいた。
その瞬間、品川上空で閃光が見えた。
「しまった、女房を倉敷に帰すのが間に合わなかった」
そう思った瞬間、頭が真っ白になった。明らかに核爆発による閃光だ。直後、強烈な爆風を感じた瞬間、暗闇となり一瞬だがクラクラと軽い目眩を感じたこと迄は記憶している。客観的に考えて、この瞬間に私は即死、身体は蒸発したのだろう。

イージス艦によるSIM3シーザーミサイル、パトリオットミサイルは発射されたのだろうか。
それだけが気がかりである。
2016年以降、本書を読んでいる貴方には解っているだろう。
しかし2014年の時空にいる私には何も知らないままである。私に理解出来ることは、東京が北朝鮮の核ミサイルにより攻撃された事実のみだ。
その後、西村氏は予知夢研究会を立ち上げて2,000人以上の会員が集まったそうですが、そのほとんどがオカルト系の人たちだったそうです。しかし、その中で5人のメンバーが西村氏と同じ夢をみていたそうです。その人たちからの聞き取り調査によって、予想した内容が書かれています。

・北朝鮮への攻撃のXディの一週間前にミサイルが発射された。
・日本には10発の通常ノドンミサイル、12発の核弾頭テポドンミサイルが発射された。
・福岡2発、大阪4発、京都1発、名古屋3発の通常弾道ミサイルの内、着弾したのは福岡1発、大阪1発の合計2発のみ。
・東京に向けられた11発の核弾頭ミサイルのうち8発は撃墜したが、3発は防御網を突破した。
⇒ 8発の核ミサイルの迎撃によって東京多摩地区、八王子地区、埼玉草加、浦和、川口地区に大量の放射性物質が降り注ぎ東京周辺は壊滅状態となった。
・1発は東京湾至近上空、または東京湾海面到達後に爆発したものと見られ、2メガトンの破壊力は巨大な津波を引き起こした。
⇒ 千葉、横須賀、横浜、川崎、アクアラインを崩壊させ、品川、羽田空港、晴海にも押し寄せ、東京駅周辺に大型貨物船が打ち上げられた。


日本には同時に20発以上のミサイルが同時に飛んで来るという予想ですが、最近の北朝鮮の動向を見ているとリアリティーがありますね。

この本によると、北朝鮮の日本へのミサイル攻撃の前にイスラエルによるイランの核施設攻撃が行われるとの事ですので、そちらも注視すべきだと思います。
新しい本では、北朝鮮のミサイル発射は2018年5月~10月だろうと書いています。つまり、長くてあと1年という事です。

決して皆さんの不安を煽るつもりはありません。
このような内容の本が2014年4月に出されていた事を記録しておきたいだけです。
そしてこの予知が外れる事を願っています。

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2018年成就・イルミナティの悲願__英国誌「エコノミスト」予言の解読に成功!神との対話集夢研究者と神_神が語った睡眠・宇宙・時間の秘密洗脳―あなたが集団催眠から脱却する本です未来はすべて決定していた!_神様から教わった時間の秘密絶対入眠法_睡眠環境や精神状態に関係なく確実に眠ることができます神覚 _The Eighth Sense 〈第八感 〉_人に頼らず、ご自身で神様と対話してみませんかSTAP細胞は存在していた!_ 発覚!強奪されていた小保方晴子・世紀の大発見小保方晴子手記「あの日」への若山照彦の説明責任__日本人だけが知らないSTAP細胞、世界の現状

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琳派 尾形乾山の書を考える その2 乾山の字母について [尾形乾山]

さて、今回は乾山の文字の字母について考えてみます。

前回紹介した、1982年に五島美術館で開催された「乾山の絵画」の図録に、当時五島美術館の工芸課長であった竹内順一先生の「尾形乾山に関する主要論文概要」という論考が掲載されています。その中に驚いた事に佐野乾山に関する記載がありました。
(新発見佐野乾山の紹介とその反論の中で)一つだけとりあげたい論文がある。それは乾山の書(筆跡)を扱ったもので、過去の研究ではまったく行われなかった方法論にもとづくものであるからだ(正確にいえば書道史ではごくあたり前の方法論だが、それが乾山作品に応用されたことに意義がある)。加瀬藤圃「乾山字母表に就いて」(『陶説』113、114号 昭和37年)がそれで、乾山の使用した字母(くずし字の母体の字)を系統的にあつめて、乾山の書の特質(この場合は新発見佐野乾山の書体と、乾山晩年の画賛のそれとの比較対照)を論じたもの。書の遺品は、乾山の場合25歳から晩年まで残されており、字母表作成に限定しなくとも、筆跡の年代を系統づけることは、乾山研究に重要な成果をもたらすだろう。(『乾山の絵画』1982年 五島美術館 P207)

この加瀬藤圃氏の論文は、『陶説』という日本陶磁協会の機関誌に掲載されました。佐野乾山が論争になっていた頃、この加瀬氏の佐野乾山の陶器と手控えに対する否定論は陶磁協会の有力な論拠となっていたように思えます。
加瀬氏の論考は、他の陶磁協会のメンバーのように、「絵が悪い」、「器が悪い」、「絵が騒々しい」などのように、どの作品を見て言っているのか分からないような批判と違って、当該の作品や手控え等を特定して批判を加えているので、きちんと議論できる内容です。その点では評価に値する論考だと思います。

この論考については、K's HomePage においてすでに反論がなされています。(http://kaysan.net/sano/kasetouho2.htm
そのため詳細は割愛しますが、結論を簡単に言うと、「文字の比較対象が間違っているので結論も間違っている」ということです。
乾山が絵画や陶器に書いている賛は作品の一部であり、絵や空間など全体のバランスを見て字母や字体を選択しています。「ここは通常の平仮名では弱いのでこの字母を使おう」、「ここにはこの字体を使おう」というような作者の意志が働いています。一方、手控帖は言わばメモのようなものですから、思いついた事をそのまま、字の種類を選ぶ事なく書いていますので字母の数が少なくなり、字体が異なるのは当然です。

まあ、加瀬氏の論考に関してはこれで「終了!」なのですが、それだけだと加瀬氏の論考内容は正しいと思われかねないので、明らかな間違いを何点か指摘しておきましょう。

陶説1S.JPG①「あ」に関して

このめづらしいあの字(阿)が無数にある。それは真物と思えるものには一字もかかれていない。佐野新乾山「阿」にあって、乾山真蹟に一字も見当たらないものなのである」(113号P42)
と加瀬氏は自信満々に書いています。

しかし、左の図の赤線で示した部分に、その「阿」が使われています。この図はどこから持ってきたかと言うと、なんとこの加瀬氏の論文が掲載されている『陶説』113号の白黒の口絵の1番最初に「乾山作 桜絵画賛四方皿」として掲載されているものです。(^^)
これは、愛陶家大屋敦氏の所蔵品のようで、陶磁協会理事長である梅沢彦太郎氏、久志卓真氏がインタービューをしているようですので、当然陶磁協会公認の乾山ということになります。

加瀬氏の論考を読むと、乾山の絵画は良く見ているようですが陶器の方はあまり見ていない印象を持ちましたが、やっぱりと言う感じです。まあ、加瀬氏は『陶説』のこの号にこの乾山が掲載される事は知らなかったのだと思いますが、残念でしたという感じです。

雪竹図文字 1.JPG②「し」に関して

シについていえば、乾山晩年はシをことごとく「|」にかいて単独体が多い。たとえば八ツ橋の画賛は「|」が4ヶあって一つも連綿がない。七十九才筆の雪竹画賛は、一首の和歌に3ヶの「|」があるがみな単独体である。(中略) 新乾山は連綿体をおもに用いている。(中略)そして無理に右から中心に運ぶ運筆は、軽々しくて御話にならない。真乾山の堂々たる直線をひいたのと比較すれば、何人も全然別手なることをうなづけることであろう。」(114号P29-30)

加瀬氏の取りあげている雪竹図の当該部分を左に示します。赤枠の部分が「し」の単独体です。確かに、特徴的な「し」であり、「乾山ならでは」と言いたくなるのも分かります。
しかし、いくつかの作品に使っていないからといって「一つも連綿がない」というのは、あまりにも強引です。
しの連綿体.JPG上のように加瀬氏は滔々と述べていますが、乾山晩年の八十一歳の十二カ月和歌花鳥図の十月の中に左に示したような「まし」という単独体ではなく連綿体で書かれているものがあります。(「乾山の絵画」P18 )
この作品は、加瀬氏が調査した作品に入っていますのでこの部分は見落としたのだと思います。これは考えてみれば当然で、乾山の使った「|」は特殊な書体ですので、作品によって使い分けるものだと思います。
いずれにしても、「晩年には単独体しか使わなかった」というのはどう考えても言い過ぎです。

紫式部ss.JPG③「て」に関して

次はテであるが、真乾山は普通の「て」をかく。新乾山は「亭」このテをかく。(中略)真乾山は絶対この「亭」はつかわなかったと思う。」(114号 P32)

確かに、佐野乾山で良く使われている「亭」の字に関しては、私もこれまでの乾山の文字では見た事がありませんでしたので、「これは加瀬氏の言う通りかもしれない」と思っていました。
しかし、いろいろな本を調べてみると、1987年に五島美術館で開催された「乾山の陶芸」の図録P44に、左に示すような赤枠で囲った「亭」を使用した例がありました。

紫式部

巡りあひて」 ⇒ 「免倶李逢

この展覧会の作品選定には、大御所である林屋晴三、山根有三両氏が関わっていたそうですから、作品の真贋に関しては懸念はなさそうですし、私が見ても乾山作品に間違いないと思います。
これも加瀬氏が乾山の陶器をよく見ていない証左だと思います。

以上、簡単に述べましたが、これまであまり批判のされた事のない加瀬氏の論考ですが、探せばまだまだ反論できそうな所があると思います。加瀬氏が主張する「乾山は絶対に◎◎は使わなかった」などと言う事は、乾山本人にしか知りえない話で、限られたサンプル調査では言えるはずがありません。せいぜい言えるのは「私の知っている範囲では◎◎は使わなかった」というくらいでしょう。

また、加瀬氏は、佐野乾山の手控帖は、現代人が書いたものであると言いたいがため、「そして圧倒的に平仮名の普通のソを新乾山はかく。ここにも現代人らしい感覚が伺えるのである。」(114号 P31) というような表現を多く用いています。これを読むと、江戸時代以前には私たちが使っている平仮名を使わなかったかのような印象を受けますが、実際には昔から平仮名も当然使われていました。これも印象操作の一例ですね。

さらに言うと加瀬氏の発言の問題は、これまで書いたようにいろいろと突っ込み所がある内容にもかかわらず、
猶問題になっても真物とみせようとした、森川氏は、まづ第一の明き盲で、これを絶賞して已まなかった美術史家の数氏は、尚一段の半鑒耳食の徒である。その愚劣低見論ずるに足らぬヘボ学者である。二世紀以前の作品と今窯からでたばかりの下劣醜陋なるものとを辨別出来ぬとあっては、今までなにを勉強されていたかといいたい。(114号 P52)」

というような超上から目線で断言することです。古美術の世界では、絶対に正しいと言える証拠など無いのですから真剣に考えている人ほど、多くの可能性を想定します。そのため、どうしても「~と思われる」、「~という可能性が高い」などのように弱い表現が多くなります。そのため、加瀬氏のように強い表現で断言されると、普通の人は信用して正しいと思ってしまう事になります。
それにしても、加瀬氏の発言は他者に対するリスペクトのかけらも無いですね~。

私も少し加瀬氏を見習って書いてみましょう。
加瀬氏の論考は、上に書いたように手法はともかく比較対象がまったくダメで御話にならない。当然結論も間違っている。また、検討内容についても上に例として3点挙げたように基本的な間違いが多くてまったく杜撰な内容である。陶工である乾山の器を研究していないにもかかわらず乾山の全てを分かった気になって書いているのは笑止千万だ。何年も乾山の書と字母を研究されてきたそうであるが、これまで何を勉強されてきたのかといいたい。
どうでしょうか? 加瀬氏に比べるとまだまだ目線が低くて表現が弱いですかね? (^^)

議論をすることは重要で必要ですが、相手に対するリスペクトを忘れないようにしましょう。
以上のように加瀬氏の論考は、不正確な点が多く、再検討が必要な内容だと思います。

乾山の書に関しては、こちらもどうぞ。
・琳派 尾形乾山の書を考える その1

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乾山 KENZAN―琳派からモダンまで尾形光琳二代目 乾山淡交別冊 仁清・乾山 2011年 08月号 [雑誌]
乾山焼入門

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織田信長はスティーブ・ジョブズだ! 「大間違いの織田信長」 倉山満著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


大間違いの織田信長大間違いの織田信長 (ワニの本)
← Kindle本です。

倉山先生が書いた織田信長の本です。

最初に近代史家である倉山さんが、なぜ織田信長を書いたかについて記しています。
現代日本は「実にグダグダな時代」であると喝破します。
戦争に負けて、負けっぱなし。殴り返す気力すら、失っている。アメリカの持ち物にされたばかりか、ロシアや中国までが、「それを俺に寄越せ」と小突き回しに来る。あまつさえ、韓国や北朝鮮にまでなめられている。

織田信長の時代も足利将軍に実力がなくてグダグダな時代であったそうです。そして、信長は思い立って立ちあがります。
だったら、自分がこのグダグダを立て直してやろう
自分がやらなきゃ誰がやる?
誰もやらないなら自分がやる!
いつやるの? 今でしょ?」 ← これは私の付けたし(笑)

織田信長というと、司馬遼太郎の小説などで作られた、「天才的」で「洞察力が鋭い」、「癇癪持ち」で「残虐」な怖い人というイメージがあります。しかし、これは戦後に作られた誤った信長像だそうです。

私がこの本を読んで思ったのは、「織田信長は、スティーブ・ジョブスである!」でした。(笑)
スティーブ・ジョブスは、これまでにない技術でipodやiPhoneなどを世に送り出して世界を変えたように言われていますが、いずれもそれ以前にあった技術を使って使い勝手や製品としての完成度を上げたものです。(それはそれで超の付く拘りと技術力は必要)
しかし、実際にジョブスは世界を変えました。永遠に続くと思われたゲイツのWindowとIntelの世界に引導を渡しました。織田信長も同様だと思いました。

①信長は権威をないがしろにしたか?
⇒ むしろ権威を利用して自分の敵をつぶしてのし上がっていった。
②信長は革新的な人物だったのか?
⇒ 基本的には常識人。 確かに革新的な事をやったが、信長のオリジナルではない。良いと思った事は躊躇なく取り入れるこだわりの無さがあった。
③信長は戦争の天才だったか?
⇒ 部下の軍隊の強さにバラツキが大きい。生涯で130勝30敗で、非常に負けが多い。「むしろ、泣きたくなるくら戦に弱くて下手」
④信長のノルマはキツイ?
⇒ ノルマは緩いが、業績を上げた者は抜擢してどんどん昇進させる。(本当の成果主義)
⑤信長はものすごい働き者の経営者である
⇒ 信長は部下には強制しないが、自分は寝ないで働く。カリスマではなくてチームのキャプテン。
⑥信長は日本史最高の土下座名人だった
⇒ 武田信玄や上杉謙信など自分のよりも強い相手に対しては、天皇の権威にすがり、ひたすら土下座して戦わないようにした。

そんな、努力家で働き者の信長ですが、倉山先生によると、絶対勝てない超強敵である上杉謙信の死去から本能寺の変までの3年3カ月は、慢心して「調子こきまくっていた」とのことです。私たちが抱いている信長像もこの時代にはあてはまるそうです。

本当の信長を知りたい人には必読の書だと思います。是非読んでみてください。

倉山先生の「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

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琳派 尾形乾山の書を考える その1 [尾形乾山]

さて、今回は陶工尾形乾山の仮名文字について考えてみます。

尾形乾山は陶工ですが、鳴滝時代や二条丁子屋時代などは、乾山窯の窯主やプロデューサー、デザイナーとしての仕事がメインであり、実際の作陶や絵付け、焼成などは弟子や絵師にやらせていたと言われています。作品に対する乾山の仕事としては、大事な作品に画賛を入れたり、「乾山」銘を書き入れたりすることだと考えられます。つまり、乾山焼における乾山の仕事の見どころは、作品に書かれた文字であると言えます。

しかし、それにもかかわらず乾山関連の書籍、図録等を眺めて見ても乾山の書いた文字に関する考察はあまり見た事がありません。

KenzankaigaSs.JPGそのような状況で、私が参考にさせてもらっているのが1982年に五島美術館で開催された「乾山の絵画」展の図録です。これは大変な労作で、私のような初心者にはとても参考になる本です。

この展覧会は、陶工尾形乾山の陶器の展示を代表作の数点にとどめて、「可能なかぎりの乾山の絵を集めて資料を提供することを第一の目的としました。」(唐澤勲館長)という乾山の作品展としては画期的な展覧会でした。

乾山は、たくさんの絵画を残していますが、そのほとんどは京都から江戸に移った以降のものです。そして、その絵画の多くに自賛が添えられていて、乾山の文字を見る参考になります。乾山の陶工としての作品は、乾山自身の絵付けの作品が特定できていないため自画自賛の作品を特定できませんが、絵画の場合はほとんどが自画自賛です。

乾山作品だけでなく、古美術に書かれている仮名文字は、変体仮名という文字で書かれており、さらにその字をくずして書いていますので普通の人はほとんど読めないと思います。その仮名の元になった漢字の事を字母と言います。
例えば、「あ」の字母は、「安」、「阿」、「亜」、「愛」、「悪」など沢山あります。一つの平仮名に対して字母が一つであればまだ分かりやすのですが、残念ながら沢山あります。

乾山作品に良く出てくる「紅葉(もみじ)」と書く場合、手元にある百人一首の本の中では、次のように書かれています。
・「毛美知」⇒ No.5:猿丸大夫、No.24:管家、No.32:春道列樹
・「裳見知」⇒ No.26:貞信公
・「毛三知」⇒ No.69:能因法師
というようにいくつかの字母の中から自分の好きな文字を選んでいます。この字母の選び方にその人の教養と個性が現れると言われています

前掲の図録のP84-P85に福岡市美術館所蔵の「茄子図」という乾山作品があります。
左側の絵の中に書いてある文字の字母を拾って右側に書いておきました。
nasuzu001.JPG
読み方は、「なれ茄子 なれなれ茄子ひ なれなすひ ならすは棚の 押し絵ともなれ」 と読みます。

単に歌の意味を伝えるだけであれば全部ひら仮名を使えば良いのですが、この絵で乾山は、「」の字については、「」、「」、「」、「」の3種類の字母(4種類の字体)を使い分けています。同じように、「」の字については、「」、「」、「」の2種類の字母(3種類の字体)を使い分けています。
この字母、字体の使い分けがこの絵の見どころの一つになっていると思います。

さて、もう一つの例を紹介します。前掲の図録のP45に掲載されている4種類の「拾得図」です。これは帚を持った拾得が後ろ向きで立っている細長い絵で、賛が添えられています。
どれも書いてある文章は、「をのつから はらはぬ帚もつ人の こころのそらに塵はなきもの」という同じ内容です。それぞれの拾得図の字母拾って表にまとめてみました。3つ以上の絵で共通の字母のところはグレーバックにしています。(図録の写真が小さいので、細かい部分で読み間違いがあるかも知れません。ご指摘頂ければ幸いです。)
拾得図字母.JPG
それぞれの絵の字母の番号と図録の番号は、①K-193 ②K-191 ③K-192 ④K-194 です。③は畠山記念館蔵と書いてありますが、それ以外は個人蔵のようです。
上の表を見ると絵によって字母や字体がかなり違っています。これを見ると同じ人が書いても字母が異なることが分かります。
また、上記④は帚の描写と「乾山」の銘を見る限り乾山の作ではないと思います。しかし、④の字母が他の絵と全く異なるかというとそんな事はありません。これを見ると「人によって使う字母が違う」と本当に言えるのか? と考えてしまいますね。
写しや贋作を制作する時には当然オリジナル(あるいはその写真)を見て書くでしょうから、字母も字体も似せて書くことになり、同じ字母になるのは当然のように思います。そう考えると、④の絵のオリジナルがどこかに存在していた可能性がありますね。

さて、同じ作者が同じ画題で文章を書いてもこのように字母が異なっている理由は何なのでしょうか? その理由を考えてみました。

①その時の気分によって使用する字母は変わる。(「に」、「の」、「は」など)
②一度に同じ絵を何枚も書いたため字母を変えたくなった。

というのはどうでしょうか? ①の理由だと字母によって書き手と特徴の比較はあまり意味がない事になってしまいますね。個人的には、②が理由ではないかと思っています。乾山は職人ではなく芸術家なので、お客さんに依頼されたとしても同じ絵を同じ文字で何枚も書く事には耐えられなかったのではないでしょうか。

まあ、素人の戯言ですから、どなたか御存じの方がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。
いずれにしても、同じ人が同じ文章を書いても字母が大きく異なる事があるという良い例だと思います。

*もし乾山の文字、字母に関連した読むべき書籍、論文等があればご教授頂けると幸いです。

乾山の書に関しては、こちらもどうぞ。
・琳派 尾形乾山の書を考える その2 乾山の字母について

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Kindle本で古典を楽しむ

最近は、Kindleで本を読むことが多くなっています。
Kindleの良い所は、著作権の切れた古典などを安価で読むことができることです。
特に、万葉集や古事記などの古文書そのものを見る事ができるのは画期的だと思います。これまでであれば、どこかの図書館にわざわざ行って見る必要があったものを手元で見る事ができます。
これらの本は、国立国会図書館などに所蔵されている本をコピーしたもののようです。
(その2 もあります ⇒ http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2018-01-14

1.万葉集
万葉集は、漢字を表音文字として使っているので、とても読みにくいですね。
有名な雄略天皇の歌が最初に書かれています。
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)(やまと)
(「万葉集入門」よりhttp://manyou.plabot.michikusa.jp/komoyo.html
manyousyu1.JPG

一番最初に書いてあるのが、学校でも習う有名な額田王(ぬかたのおほきみ)の歌です。
熟田津尓 船乗世武登月待者 潮毛可奈比沼 今者許芸乞菜
熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな (同上)
manyousyu2.JPG


2.百人一首
次は、おなじみの百人一首です。菱川師宣と書かれていますので、絵は師宣の作と思われます。
100nin.JPG

天智天皇
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
原文は、「秋乃田乃 可利本乃庵能 苫越安良三 和可古呂毛手波 露尓奴礼川々」と漢字で書かれています。

その漢字をくずして書いているので、とても分かり難いですね。しかも同じ「の」の音を表すのに、「の」、「乃」、「能」の三つの字を使い分けています。これも慣れるとそうでもないですが、知らないと混乱しますよね。このように仮名の元の漢字を字母と言います。上の例でいうと「の」と「乃」の字母は同じ「乃」です。

持統天皇
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
春過天 夏幾尓介良之 白妙乃 古呂毛保春天不 安末乃加久山

この字母の選び方は、人によって変わります。最初の「春すぎて」は、別の本では、「春春幾天」と書いてあります。まあ、はっきり言って分かればどうでもよいようです。(^^)

暴走族がよく 「よろしく」を「夜露死苦」なんて書いたりしていますが、よく古文の勉強をされていると思います。(笑) まあ、くずし字的には、「与呂之久」か「夜路志具」のそれぞれの字の組み合わせが多いでしょうが...。
100nin_1.JPG

3.先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)

先代旧事本紀
以前紹介した本です。推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著したと言われていたため、江戸時代以前は古事記、日本書紀よりも尊重されることもあったそうです。しかし、江戸時代に本居宣長らによって偽書とされました。この本にしか書かれていない物部氏関連の記述が多く、物部氏伝承を元に書かれたのではないかと言われています。
sendaikujihonki.JPG

いかがですか、Kindle本の面白さがおわかり頂けたでしょうか?
ただ、画像を見て頂くとお分かりのように原本には沢山の朱記が追加されています。これは誰が書いたのか、あるいは何を書いているのかなどの解説があると更に分かりやすい本になると思います。

紹介した以外にも、枕草紙や三十六歌仙などもKindleで読む事ができます。興味ある方はぜひ試してみてください。(Amazonのプライム会員の方は、ほとんどタダで読むことができます。会員で無い方も、先代旧事本紀は540円と高いですが、それ以外はほとんど108円とお安いです。)

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万葉集:https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86-1-%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%B5%9C%E8%87%A3-ebook/dp/B014PMPZCG/ref=sr_1_11?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1504511051&sr=1-11&keywords=%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86+kindle%E7%89%88
小倉百人一首:https://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%80%89%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96-%E8%8F%B1%E5%B7%9D%E5%B8%AB%E5%AE%A3-ebook/dp/B00NGEU4BC/ref=sr_1_5?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1504524344&sr=1-5&keywords=%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96+kindle%E7%89%88
枕草紙:https://www.amazon.co.jp/%E6%9E%95%E8%8D%89%E7%B4%99-%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98-%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89-%E6%B8%85%E5%B0%91%E7%B4%8D%E8%A8%80-ebook/dp/B00ZRZCBJ6/ref=sr_1_2?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1504524499&sr=1-2&keywords=%E6%9E%95%E8%8D%89%E7%B4%99
三十六歌仙:https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%AD%8C%E4%BB%99-%E5%85%89%E6%82%A6-ebook/dp/B01N2I3KTM/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1504525216&sr=1-1&keywords=%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%AD%8C%E4%BB%99
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陶工 尾形乾山は本当に素人か? 『「琳派」最速入門』を読む [尾形乾山]

「琳派」最速入門: 永遠に新しい、日本のデザイン (和樂ムック)


今回は、ムック本です。
「琳派」に関する入門書です。


この本は、「琳派」の入門書ですが、困った事に一番重要な「琳派」の定義が書かれていません。
「琳派」は当時最新流行の、洒落たインテリアやモードだったのです。
光悦宗達から100年後。同じく京の尾形光琳乾山の兄弟がこの美の様式を受け継ぎます。さらに100年後の19世紀、江戸の酒井抱一や鈴木其一といった絵師たちが「琳派」を継承していきます。
当たり前ですが、光悦や宗達、光琳や乾山が自分達の芸術が「琳派」だと思っていた訳はありません。あくまでも後世の誰かが説明しやすいように名付けてそう呼んでいるだけです。
そのため、研究者の中には宗達を琳派と呼んで良いのか? と疑問を持っている方もいます。
「宗達は本当に琳派か? 俵屋宗達 琳派の祖の真実 古田亮著 を読む」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-06-23

さて、この本の内容ですが、なかなか面白くまとまってはいますが、尾形乾山に関してはクレームを付けたいと思います。この本の62ページに乾山の記載があります。その題名が、

偉大なる素人 尾形乾山

というものなんです。これってひどい表現だと思いませんか?
乾山本人が聞いたら絶対に怒ると思います。

では、この作風はどこからきたのでしょうか。実は、乾山が陶芸の素人だということが、大きな要因になっています。
日本のやきものはいつも素人が大変革を起こしてきました。乾山はそのさきがけで、明治以降では川喜多半泥子や北大路魯山人などもまた、偉大なる素人でした。彼らにはプロにない大胆でとらわれない発想ができます。ゆえに新しい風を起こすことができたのです。

確かに乾山は37歳という高齢で陶工になりました。しかし、どんな陶工でも最初は素人です。
乾山の章を書いた人は、乾山は一生「素人」だったと言いたいのでしょうか。乾山は81歳で亡くなっていますので、鳴滝で作陶を初めてから44年間を陶工人生を歩みました。44年間作陶して作品を作り続けた人を「素人」と呼ぶのでしょうか?

乾山がそれまでの焼物の世界に大変革を起こした事は確かだと思います。しかし、それは決して乾山が「素人」だったからではないと思います。乾山がそれまでの陶工とは違う新しい発想とセンスを持っていたからではないでしょうか?

半泥子や魯山人は、陶工として生計を立てたわけではありませんので「素人」と呼んで良いと思います。しかし、乾山は鳴滝以来、助手や協力者を含めた乾山窯を経営して生活を維持し、死ぬまで陶工として生きました。そのようなプロ中のプロである乾山をどうして「素人」と呼べるのでしょうか?

筆者は、鳴滝時代、二条丁子屋時代、入谷時代のどこまでが「素人」で、どこの時点を「初心者」、「熟達者」、「達人」などと定義するのでしょうね。(笑)
鳴滝時代は13年あります。普通は一つの道に職業として10年以上専念した人を「素人」とは言わないでしょうから、筆者は鳴滝時代の初期の作品を「素人」の作品と言いたいのでしょうか? その乾山が素人の時に作った作品を特定できるのであれば是非教えて欲しいものです。(^^)

もし、陶工である乾山を「素人」というのであれば、本阿弥光悦こそ本当の「素人」ではありませんか? 彼はある意味で乾山よりも素晴らしい作品を残していますが、陶工ではありません。彼の陶芸作品は、色々な分野ですばらしい才能を発揮した彼が、手慰みで造ったものです。
また、単に陶工として窯を築いた時期が37歳と遅かったから「素人」なのだというのであれば、40歳の時に絵師となった兄の光琳も「素人」ではありませんか?
しかし、光悦や光琳が「素人」だという説は聞いた事がありません。

この、「乾山、半泥子、魯山人の三人の素人が日本のやきものに変革を起こした」という主旨の事は中島誠之助さんも良く話をしますが、私はいつも疑問に思っていました。

乾山本人が聞いたら怒るような事を言うのはもう止めませんか?

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フリーソロ クライミング 死を恐れないアレックスオノルドは侍だ! [クライミング]

ALONE ON THE WALL アローン・オン・ザ・ウォール 単独登攀者、アレックス・オノルドの軌跡

以前、フリーソロで紹介した、アレックス・オノルド(Alex Honold)の本です。

「フリーソロ」というのは、通常のクライミングで使用する安全確保用のロープを使用しないクライミングです。クライミングシューズを履いて、チョークバックを腰に付けただけで登るシンプルなクライミングです。

ただし、手や足が滑ったり、腕がパンプしたりしてミスすると落ちます。オノルドが行っているクライミングは、数百mの高さでのクライミングですので、

落ちる = 死

を意味します。
実際に過去にフリーソロを行っていた人たちの多くの人たちが亡くなっています。

技術的な話だけでなく、足が攣ったり、眩暈がしただけでもアウトだと思います。私は、通常は4mくらいの高さのボルダリングしかしていません。(これでも一番上まで登ると結構怖いです 笑)
しかも、下には厚いスポンジのクッションがありますので、普通に落ちる分には、全然大丈夫です。自分が登れるグレードよりも2段階くらい低いグレードの課題であれば、落ちることはまず考えませんし、実際落ちません。しかし、その下のクッションが無くて、その下が100mの崖であったとしたらどうでしょうか? おそらく、怖くて手も足も動かなくなると思います。

つまり、通常では鼻歌を歌いながら難なく登れるグレードの課題でも「失敗したら死ぬ」という状況では、まったく違うレベルの課題に変わるという事です。実際に、クライミングの難易度ではオノルドよりも難しい課題を登るクライマーはたくさんいると思いますが、その人達がオノルドと同じようなフリーソロを出来るかと言うと別問題です。

この本で、私が一番知りたかったのは、「オノルドは死ぬのが怖くないのか?」ということです。
彼自身は、「恐怖心が無いわけではない」、「人と同じように恐怖心はある」と書いていますが、私が読んだ感じでは、やはり少し普通の人とレベルが違うようです。
ハーフドーム北西壁レギュラールートの高さ300m地点で、ぼくはまたもや袋小路に入っていた。(中略) 不安はまだ真の恐怖にまでは達していなかったが、ともすれば、そちらに気持ちをもっていかれそうになった。ぼくは意識を集中し、深く息を吸い込んで、取るべき道を整理した。
高さ300mのクライミング中に、登っているルートが分からなくなったら、通常はパニックに陥るはずですが、冷静に状況を判断しています。これが彼独自の能力だと思います。

私はオノルドの本を読んで、宮本武蔵の逸話を思い出しました。武蔵が剣の修行で重要な事は何かと問われた時に、普段であれば普通に歩く事ができる畳の縁を城の屋根くらいの高さであっても同様に歩けることだ、と言ったそうです。常に平常心を持つことが重要である、ということですね。
剣道の全国大会で優勝するような達人でも、真剣を持った相手と戦う時に同じような心理状態で戦えるかというと普通はできないと思います。(違っていたらすいません)
新撰組の近藤勇は道場ではそれほど強く無かったけれど、真剣を持った切り合いでは強かったと言われています。この辺りが胆力の違いという事でしょうか。

その意味で、オノルドは侍のマインドを持っているということになりますね。(^^)

2017年6月5日、そのオノルドが、とうとうエルキャピタンをフリーソロで登ることに成功したというニュースが流れてきました。東京タワー3本分よりも高い1,000mのエルキャピタンを4時間弱でフリーソロで登ったというのですから、これは驚くしかありません。

東京タワーに長~い梯子を垂直に立てて、その梯子を安全確保なしで、登る事を想像してみて下さい。かなりゾクゾクっとしますよね?(笑) オノルドが登ったのは、その3倍の高さですよ! しかも梯子のようにきちんと足を掛けたり、握れるようなものはほとんど無いのです。
アレックス・オノルド、エルキャピタン・Freeriderをフリーソロ

いつかはやるであろうと思われていた、アレックスオノルドによるエル・キャピタンのフリーソロがついに成された。ルートは誰もが予想した通りFreerider(5.12d)。サラテのヘッドウォール(5.13c)を迂回するラインだ。オノルドは6月3日 の 5時32分に取り付き、 3時間 56分後の 9時28分に完登している。 最難ピッチが、グレード的にはすでにソロで登っているCosmic Debris(5.13b)より低いとはいえ、1,000m強、37ピッチのフリーソロは驚愕以外のなにものでもない。もちろん世界初の快挙となる。
トミー・コールドウェルは「フリーソロにおける、月面着陸」と評価している。(後略)
CLIMIBING-net 2017年6月5日より

オノルドの凄さが一番分かるのは、以前紹介したこの動画ですね。これは、メキシコのエル・センドロ(5.12d)で約500mですから、エルキャピタンの半分くらいの高さです。

この動画の(045/1:35)から見て下さい。
まずは、左手を見て下さい。壁の割れ目に親指と人差し指を入れています。右手を見ると壁を押しているだけですから、オノルドを支えているのは、左手の二本の指だけです。しかも、右手で岩を掴んで左手を離す時の映像を見る限り簡単に外れているので、単に支えているだけのように見えます。足でしっかり支えているということなのでしょうが、見て分かるように足を支えるような明確な突起はありません。5.12というのはこれくらい難易度の高い課題であるということをご理解下さい。しかし、この高さで手や足をクロスさせるというのは、私の想像を超えたスゴイ事です。

さて、最後に本の中で面白いと思った内容の紹介です。

①なぜ、オノルドはフリーソロを始めたのか?
⇒ 通常のクライミングは、ロープを使って安全確保を行うペアと一緒に行いますが、オノルドにはそのペアがいなかった。ペアがいない場合、通常はその岩場にい来ている人にペアになってもらうように頼みますが、オノルドはシャイなので他の人に話しかけられなかったから一人で登るようになったそうです。(^^)

②ヨセミテなどのビッグウォールを登った後は、裸足で歩いて帰る
⇒ 壁を登る時は、クライミングシューズを使って登ります。しかし、クライミングシューズは足の裏との一体感を重視するため足の指を折り曲げて履くため非常にキツイサイズのものを使用します。そのため、通常はクライミングをしない時に脱がないと足が痛くなります。3、4時間履きっぱなしでビッグウォールを登った後、さらにクライミングシューズを履いて降りる事はできないという事でしょう。
それにしても、人のできない快挙を成し遂げた後に、裸足で山をテクテク降りるというのは、少し笑えますね。
「世界の果てまでイッテQ!」などのTV番組であれば、山頂まで登れば後はヘリコプターで下山です。しかし、実際の登山では登頂後に「下山する」という重用で地道な作業が必要なのです。

クライミングに興味がある方にはお勧めの一冊です。

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佐野プレミアムアウトレットの近くのおしゃれなスポット! (2017年) [関東]

佐野と言えば、最近は「佐野プレミアムアウトレット」が有名ですよね。
私も奥さんに連れられてよく来ています。(笑) そのアウトレットモールの近くに最近、オシャレなスポットができています。 アウトレットモールから車で5分くらいの南に行った所にある馬門(まかど)957というスポットです。レストランや雑貨のショップが集まっています。
Map1.JPG(Google My Map より) 赤字の解説文字を追加

馬門957の付近は、今は川幅が狭くなっていますが秋山川が流れていて、江戸時代には江戸への水運の拠点になっていました。この辺りは、馬門河岸と越名河岸に分かれていて、最盛期はこの河岸に200隻以上の高瀬船が停泊し、夜通し荷物の積み下ろしを行っていたそうです。それによってその当時、この河岸には旅館、料理屋、菓子屋、雑貨屋など立ち並び人の往来も盛んだったそうです。

mapS2.JPG(Google My Map より) 赤字の解説文字を追加

秋山川です。今は川幅が狭くなっていますので、この河岸に200隻以上の船が並んでいたとはまったく想像できません。
DSCF2557.JPG
アウトレットモールの前の道が付き当る交差点に「馬門957」の看板が出ています。
2.JPG
馬門957にある駐車場の案内です。ここには、5軒のお店が並んでいますが、これからも増えそうな雰囲気ですね。
・海to大地(カフェ・レストラン)
・花鳥風月(蕎麦屋)、コノハナサクヤ (創作料理)
・ファブリックマジック (カーテン、雑貨、小物)
・エススリー (デザインルーム)
・里の司 (全国各地の商品を扱うギフトショップ)
DSCF2550.JPG
お蕎麦屋さんの花鳥風月です。
IMG_2247.JPG
ファブリックマジックとエススリーのお店です。
DSCF2548.JPG
手前左側が里の司です。
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レストランの「海to大地」の入口です。
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お蕎麦屋さん「花鳥風月」の「富士山」です。2.5人前の細切り蕎麦に大根の細切りがトッピングされています。佐野は蕎麦に大根をトッピングする大根蕎麦が名物のようです。
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これは十割そばです。
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ご主人お勧めの特別ブレンドの「極み蕎麦」です。
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天ぷらは、野菜が大きくて美味しいです。かき揚げも大きいです。(笑)
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豆乳蕎麦プリンです。きなこと黒蜜が美味しい私のお気に入りのデザートです。
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お蕎麦屋さんの隣にあるカフェレストラン「海to大地」から見た馬門の風景です。乾山も眺めたであろうのどかな風景です。
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ディナーメニューのベーシックコース、1,800円です。メモしてないので、出されたものははうろ覚えです。
冷製のコーンスープです。
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地元の野菜と使った色鮮やかな前菜です。
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パスタは2種類から選べます。オリーブオイルを使った何とかです。(^^)
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アイスだと思いましたが、ドルチェ?
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コーヒーの付け合わせの焼菓子です。あと、パンも付きますので、これだけで結構お腹一杯になりますね。プラス1,000円でメインディッシュにお肉、お魚を追加できます。
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馬門957の看板です。
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佐野には良く行きますし、10年以上前から越名河岸の周辺には通っていました。しかし、そのすぐ近くにこのようなスポットができていたとは全然知りませんでした。周辺は普通の郊外の住宅地なのがまた面白いです。

アウトレットモールに行かれた時に、ちょっと寄ってみてはいかがでしょうか。

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【追記】「あさま山荘事件」はいまだに関心が高いようです... [社会]

いつもいつも更新が遅れているこのブログですが、時々突然アクセス数が増加する事があります。

今週もそのような事がありました。普段は訪問者400~500人/日で1,000アクセス数/日くらいで、「本」のジャンルで400位前後です。
ところが下のグラフにあるように、6/11(日)は訪問者数2,500人で、3,500アクセスあって、ランキングが51位まで上がりました。
ranking.JPG
おそらくTVの番組の影響だろうと思います。
私はあまりTVは見ないので、何だろうと思ってWebで検索してみたら、フジテレビの「フルタチさん」で【百恵・裕次郎・あさま山荘事件…カメラが捉えた歴史的瞬間のウラ側】をいう内容を放送していたようです。アクセスが急増した時間帯と合致しますので、これが原因のようですね。
何だかんだ言ってもTVの影響力というのはやはり大きいですね。

ちなみにアクセス数が増えた記事は以下のものです。
あさま山荘に行ってきました! こんな狭い場所で銃撃戦をやっていたの?
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-08-06-2
あさま山荘に行ってきました! 冬のあさま山荘はやっぱり寒かった...
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-01-08-1
軽井沢に来ると思いだす『連合赤軍 「あさま山荘」事件』 佐々淳行著
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-07-23

今、あさま山荘に関するマンガ「レッド」を読んでいます。
読み終わったらここでも紹介しますね。

このブログは、私がサボっていて更新が少ないので常連さんは少ないですが(笑)、極真空手関連、3.11関連、あさま山荘関連、ダイエット関連などの過去の記事へのアクセスが多いという特徴があります。

できるだけ更新しますので、今後ともよろしくお願いします。 m( _ _ )m

【2017年8月29日追記】
27日(日)にまた同じようなアクセス数の異常な増加がありました。
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今回は、訪問者数2,760人で、3,907アクセスあって、ランキングが35位まで上がりました。
今回も同様にTV番組が原因のようです。
真相!昭和の事件史 ~「あさま山荘事件までの壮絶800日」「金大中拉致事件」 ~
2017年8月27日(日) 18:57 ~ 21:54

1972年、真冬の軽井沢の別荘に過激派組織・連合赤軍のメンバー5名が立てこもった歴史に残る大事件「あさま山荘事件」。この事件はなぜ、どのようにして起きたのか?番組では連合赤軍の元メンバーを含む事件関係者2人に直接取材を行い、あさま山荘事件が発生するまでの800日を克明に再現!そこには「総括」という名の殺戮、そして有名大学に籍を置く大学生たちが警察に追われ悲惨な逃亡生活を続けるという恐るべき真実があった!
というような番組だったようです。なかなか面白そうな内容ですね。
TVをきっかけにしていろいろな事を調べるようになることは良いことだと思います。

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出産も腸内細菌が重要! 「あなたの体は9割が細菌」 アランナ・コリン著 を読む その2 [健康]

あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめたあなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた← Kindle版です。



前回に引き続き、腸内細菌の話です。

今回は出産に関するお話です。
私は以前から、どうして神様は赤ん坊が出てくる産道を肛門のすぐ近くに配置したのか不思議に思っていました。出産の時に、妊婦はウンチが出てしまうことも聞いていたのでなおさらそのように感じていました。ところが、それは神様の計画通りで、すべて赤ちゃんのためだったというのです。
つまり人類が繁栄して生き延びるために都合のよかった形で進化して現在にいたっているということです。

著者は女性なので、出産に関して男性だと書きにくいこともかなり直接的に書いています。

・赤ん坊は子宮内部の羊水内では微生物から守られているが、破水と同時に微生物の入植が始まる
⇒ 産道を通る時に微生物のシャワーを浴びる。産道から顔を出す時、出産時の排便による微生物を受けとる。赤ん坊は母親のお尻の側に顔を向けて頭から出てくる。 肛門が産道のそばにあるのはこのためである。


また、新生児の腸内細菌は、母親の膣内の細菌の菌種に近いそうです。
女性の膣の内部には乳酸菌がいてバイ菌から膣を守っているという話を聞きますが、この本によると、これは膣を守っているのではなくて生まれてくる子供の腸内細菌のために存在しているということです。なるほど、という感じです。

ところが、最近は産道を通った通常出産ではなくて帝王切開が増加しているそうです。現在、ブラジル、中国では半数近くが帝王切開で出産しているとのことです。
著者は、帝王切開での出産することによって、

・感染症になりやすい。
・アレルギーを発症しやすい。
・自閉症になりやすい。


というような問題が生じている可能性を指摘しています。
帝王切開での出産の場合の赤ん坊の腸内の細菌を調査すると母親の膣由来の微生物コロニ―が形成されないそうです。これは出産の時に、赤ん坊が母親の膣内の乳酸菌や肛門付近にいる腸内細菌に触れる前に 父や母、医療スタッフの皮膚に存在する常在菌に触れる事になるため、その細菌が基礎となって赤ん坊の腸内細菌が形成されることになるからだと書いています。

これに対する一つの解決策として、母親の膣内にガーゼを入れておいて、帝王切開で出産した赤ん坊にそのガーゼを取り出してで赤ん坊の口や体を拭いてやることで、母親の細菌を植え付けるする方法が書かれています。

次に抗生物質に関する話です。
1940年米国でニワトリに抗生物質を与えると成長が50%促進されることを発見されて以来 ウシ、ブタ、ヒツジ、七面鳥のエサに抗生物質を与えられています。そして、その抗生物質が人間の肥満の原因になっている可能性があるというのです。家畜を太らせる薬ですから、それを食べた人間が太るということは十分に考えられますね。

また、現在の医療では、必要以上に抗生物質が処方されているため、MRSAのような耐性菌に感染するリスクが増えていることを指摘します。また、問題なのは抗生物質の投与によって有害な菌を除菌するとともに腸内の細菌も一緒に除菌してしまうことです。

私も最近、社内の健康診断の面談でピロリ菌の除菌を勧められましたが、Webで調べると抗生物質を大量投与するとのことです。せっかく調子の良い腸の状態をそんな事で壊したくないので断わりました。会社の産業医は、がんの専門家でもないのに気軽にピロリ菌の除菌を提案するというのはどうなのでしょうね。(ピロリ菌は50歳を過ぎたら常在菌だという説もあります。)

また、有機栽培で家畜の糞を利用する場合、家畜に使われた抗生物質が糞の中に含まれていて、それが野菜に吸収されることになるそうです。有機栽培だからイコール「健康的だ」というのは成り立たないようですね。

とても興味深い本です。多くの人に読んで欲しいです。
前回の「その1」も合わせて読んで頂けると幸いです。

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あなたは腸内細菌が原因で太っている! 「あなたの体は9割が細菌」 アランナ・コリン著 を読む その1 [健康]

あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめたあなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた← Kindle版です。

何ともショッキングなタイトルだと思います。
この本は2016年8月の発売ですぐに購入したのですが、理解が難しくて紹介するのが遅れました。

このタイトルの意味するところは、人間の体の構成は、サイズや重量が大きいのは人間の細胞ですが、その数は共生微生物の細胞の方が10倍多いということです。さらに細胞の遺伝子の数で比べると「あなたのヒトの部分は0.5%でしかない」とのことです。

その共生微生物の中でも腸内細菌が非常に重要で、これについては最近TVなどでも「腸内フローラ」という言葉がよく聞かれるようになっていますね。
私たちの腸内には1.5Kgもの細菌が住んでいて、その寿命は数日~数週間とのことです。毎日私たちが排出する便の中身はほとんど(75%)が腸内細菌だそうです。残りが食物の残骸などだそうです。

腸内細菌の主な働きは、

・必須ビタミンを合成する。
・体内では分解できない頑丈な植物繊維を分解する。

などで、これらの働きは私たちの肉体の進化を待っていては、何万年かかるか分からない作業を腸内細菌にやらせているのです。これは、例えば言えば、会社の中に技術がないことをやろうとした場合、その作業を外部の業者にアウトソーシングすることと同じです。社内(体内)に出来る技術やリソースがなければ、外部から持ってきて社内(腸内)で作業をさせるというわけです。

そして、その腸内細菌ですが、当然私たちが食べるものを食べているわけですので細菌の組成比は人によって違うことになります。そして、みなさん一番関心があるであろうダイエットに関して言うと、体を太らせたり、やせさせたりするのも腸内細菌の影響が大きいとのことです。つまり、 同じものを食べても自分の体内に住んでいる腸内細菌によって作りだす栄養やエネルギー量が異なるため、太ったり痩せたりするとのことです。

・太った人:フィルミクテス門の細菌が多い
・痩せた人:バクテロイデーテス門の細菌が多い

パンダのようにもともと肉食動物だった動物も腸内細菌によって竹だけを食べていてもセルロースを分解してタンパク質が合成されるようになるそうです。それを考えると腸内細菌に言及しないで「栄養が偏っている」とか「タンパク質が不足している」というような話は意味が無いように思えますね。

しかも、フィルミクテス門の腸内細菌が多い人は、太りやすい物を食べるように人間を動かしている可能性も示唆しています。甘いケーキを食べることを我慢している時に、衝動的に食べたくなるのは腸内細菌のせいかも知れません。(笑)
細菌が人間をコントロールする訳ないだろ! という声が聞こえてきそうですが、狂犬病の菌は感染した犬を他の動物に噛みつかせる事で他の宿主に菌が移動して繁殖するように犬を動かしているそうです。また、コレラに感染して強烈な下痢になるのは、死にそうな宿主から脱出して他の宿主に感染するためのコレラ菌の制御だそうです。

ですので、甘いものが好きな「デブ菌(フィルミクテス門の細菌)」が私たちケーキを食べさせて自分たちも食べているということなんでしょうね。(^^)

まだまだ紹介したい内容がたくさんありますが、長くなるので次に書きます。

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「乾山 見参! 着想のマエストロ」 を読む [尾形乾山]

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2015年5月27日~7 月20日まで東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で開催された「乾山 見参! 着想のマエストロ」の図録をようやく入手しました。
この展覧会は、「乾山 見参!」というオヤジギャグはいまいちですが、充実した作品が揃った良い展覧会だったと思います。
しかし、実施の時期が乾山の生誕352年目という中途半端な時期です。生誕350年を狙って2013年に行っても良いレベルの展示会だと思いますが、なぜずらしてのでしょうね?

この展覧会は初日に見に行ったのですが、図録は「まあ、次に来た時に買えばいいか...。」と思ってその時は買いませんでした。ところが、その次の展覧会の時にサントリー美術館のショップに行って確認すると、図録はすでに売り切れたとのこと。しまった! という感じです。しょうがないので、ヤフオクで探してようやく入手することができたいう次第です。

この図録の巻頭に、乾山研究の第一人者である竹内順一先生が、「乾山焼の技法と意匠を考える」という一文を寄せています。これがなかなか興味深い内容なので紹介したいと思います。

竹内先生の考える乾山焼の代表作に関して書いています。
乾山焼技法と意匠の粋を尽くした作品を、言い換えれば、乾山焼の代表作を挙げよと言われれば、躊躇なく「色絵龍田川文透彫反鉢」(出光美術館蔵)など、透彫の反鉢の一群を挙げる。

これは意外です。私のイメージでは乾山と言えば、光琳絵付けの角皿の一群を思い浮かべますが...。
京焼の歴史をたどれば、やきものの内側にも文様を施すのは、乾山焼以前にはなかった。 (中略)この反鉢は、龍田川文がどこから見ても、川の流れとして表現されている。これが立体であり、これを表現できる人物を、「立体アーティスト」と呼んでも良い。

たしかにそうですね。乾山作品には、作品に裏側にも絵付けされているものが多くてどうやって絵付けしたのだろう? と思うような作品も多いですね。そして、作陶に関する乾山自身の関与に関しても書きます。
尾形乾山が作陶のすべてを担当したのか、あるいは作陶のある一工程を担当したのか。実際のところ、これほど有名な“陶芸家”でありながら、また、これほど多数の乾山焼が伝存していながら、さらにいえば、技法と意匠に触れながら、この疑問に対する解答はいまだにはっきりしないというのが筆者の率直な述懐である。

そして、いつも私が先生の言葉として引用させて頂いている言葉です。
乾山自身が「作陶」に直接関与し、製作過程に乾山の「手の痕跡」のようなものがある作品はない。例えば、乾山が挽き上げた轆轤成形の製品と推定できるものはない。

次の言葉は、竹内先生の魂の叫びのように感じました。
乾山が描いた「絵」のある作品に出合えないだろうか。

そして先生は、「これは、乾山焼きの魅力を知った人々が等しくいだく望みである。」と続けますが...。

これはどうなのでしょうか?
少なくとも私たち乾山焼の魅力に魅了された一般の人たちは、乾山がすべて自分で作画、作陶したものと考えていると思います。今回の展覧会の図録を見ても、竹内先生のこの一文以外に、「乾山は絵付けをしていない」、「乾山の作陶ではない」という「明確な」記載も示唆もありません。(もしかすると、どこかには書いてあるのかも知れませんが、少なくとも普通に読めば分かりません。)
乾山作品の所有者や専門家たちにしても、実際には乾山が作画、作陶していないことを知っていたとしても、それを明確にすることによって乾山作品の価値が下がることを懸念してあまり言えないのではないのかと推察します。(研究者ではリチャード・ウィルソン氏が米国の美術館の所蔵品について乾山自身の作品、工房作品、弟子の作品等の鑑定を行っています。日本では無理でしょう。)

例えば、ガラス工芸のガレの作品を考えてみると、ガレ自身の作品とガレ工房の作品では作品の価値(値段)が全く違います。乾山の所有者達が、乾山作品と乾山工房の作品を明確にしたくない気持ちは分かる気がします。

最後に先生は、先生が乾山の作画であろうと考える作品について書いています。
底部に「正徳年製」の銘がある「銹絵柳文重香合」(大和文華館蔵)の「柳の絵」は、あるいは、乾山の筆になるかも知れない。

そして、最後の最後にすごい事を書いています。
なぜなら、香合全体を立方体という「塊」として把握できず、柳を一面一面に描き、「平面の絵」の連続と見る、つまり、「平面アーティスト」の描く柳文であるからだ。乾山は、「立体アーティスト」ではなかった。

以上を簡単にまとめると、
①現在、乾山作品と言われているもので明確に乾山が作画、作陶した考えられる作品は特定できない。
②乾山焼の代表作は、色絵龍田川文透彫反鉢など、透彫の反鉢の一群である。
③反鉢の作画は、「立体アーティスト」にしか書けない。
④乾山は「立体アーティスト」ではない。
⑤乾山焼の代表作である反鉢は、乾山の作画ではない。

ということをになります。

なんとも大胆な発言だと思いますが、さすが乾山研究の第一人者ですね。
今後のご活躍を期待します。

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乾山 KENZAN―琳派からモダンまで尾形光琳二代目 乾山淡交別冊 仁清・乾山 2011年 08月号 [雑誌]
乾山焼入門


「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項 解読! 陸軍特務が遺した超一級史料 (落合・吉薗秘史I)
この本は、落合先生の最新刊で2017年5月1日発売です。
2017年5月20日現在、Amazonの「明治・大正時代」カテゴリーでベストセラー1位になっています。

私はこの本を20年来待ち続けていました。というのは、以前紹介した落合先生の『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』(以後「佐伯本」と記す)(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2017-04-15)のあとがきに、
吉薗周蔵手記については、雑誌『ニューリーダー』に今後とも連載を続ける予定ですし、連載内容に大幅に加筆した単行本(仮題『陸軍特務吉薗周蔵の手記』)の刊行も予定しております。
と書かれてあったからです。その後、ニューリーダを購読するようになりましたが、早く単行本を読みたいと待ち続けていました。その夢がようやく叶いました。

この吉薗周蔵氏は、大正元年18歳の時に当時の陸軍中将(最終的には、元帥陸軍大将となる)上原勇作の特務となります。諜報というと陸軍中野学校を連想しますが、中野学校の創設は昭和12年ですので、それよりも25年以上前の話になります。また、周蔵氏は陸軍に所属していた訳ではなく、民間人として上原勇作付き特務となって上原勇作からの指示で動いていました。

上原勇作は、一般には陸軍大臣の時の「二個師団増師」問題で大正政変につながった事ぐらいしか知られていませんが、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官と言われている重職をすべて経験している実力者です。これは、上原勇作の他には杉山元しかいません。周蔵手記によって、大正から昭和の時代、この上原勇作が陸軍を裏から動かしていたことが分かりました。

その吉薗周蔵氏ですが、明治27年に宮崎県西諸縣群小林村に生まれます。周蔵の父林次郎は、公家の名家正三位である堤哲長(つつみあきなが)とギンヅルの間に生まれた子ですので周蔵氏はその公家の血を引いています。

正三位(しょうさんみ)と言われても、みなさんピンと来ないと思います。私も良く知りせんでした。調べてみると律令制における官位だそうです。明治以前は、御所への昇殿が認められる条件として五位以上というものがあったようです。昇殿を許された者は「殿上人」、許されない人は「地下(ぢげ)」と呼ばれました。
ウィキペディアによると、
従三位が中納言や近衛大将、大宰帥などと官位相当であるのに対し、正三位は大納言相当とされた。勲等との対比では勲一等に比する。
と書かれており、かなりの高位の官位であることが分かります。

前著「佐伯本」で落合先生は、堤哲長は正三位の名家とは言え、当時は生計の糧もなく貧乏公家であったのだろうと考えていました。ところが、その後の先生の調査で、堤哲長は先帝である孝明天皇の実質侍従長であり、維新時の堀川政略に重要な役割を果たしていた事が分かりました。そして、明治維新後は新政府のNo.2であった岩倉具視と実質対等な地位を得たと考えています。

落合先生は、周蔵手記を元に陸軍の薩摩閥の軍人を調べていくうちに、上原勇作が単に日本のために活動しているのではない事を感じます。そして、その中で陸軍薩摩閥の中で、
吉井友実高島鞆之助上原勇作
のラインがあることを見つけます。
地政学的海洋勢力の中核たる「在英ワンワールド」の日本支部となった薩摩下士連合(薩摩ワンワールド)の歴代総長が右の三人であったことを確信したのである。
また、上原勇作が玄洋社を部下として使っていることに気付いて調査します。
「さる筋」からのコメントは、
玄洋社とは、広く云えば、薩摩の一部と土佐・会津・紀州を含めたものです。
堀川辰吉郎の護衛は、玄洋社と大本教でした。
周蔵さんは、上原の草というより、辰吉郎の草だったのです。
これによって上原勇作の主筋は堀川御所の京都皇統の堀川辰吉郎であることが分かりました。

さらにもう一つ驚きなのが、周蔵氏の祖母であるギンヅルが、影の実力者であった事です。
これまでは、陸軍中将という地位にあった上原勇作の縁戚であったので、頼みこんで周蔵氏を上原の草にすることができたと考えていましたが、実際には祖母のギンヅルが、薩摩ワンワールドの力を使って親戚である上原勇作を陸軍の中で出世させて薩摩ワンワールドの総長に育てたということです。つまり、周蔵氏を草にしたのもギンヅルの意向であったということです。

ギンヅルは15歳の時から薩摩藩京屋敷に奉公していて後に明治政府の高官となる若い薩摩藩士の世話をして育て、その後も関係を保っていたということです。
具体的な名前は、野津鎮雄(陸軍中将)、野津道貫(元帥・侯爵)、高島鞆之助(陸軍中将・陸軍大臣・子爵)、大山巌(元帥・陸軍大臣・侯爵)、川上操六(陸軍大将・子爵)、西郷従道(参議・陸軍中将・海軍大将・侯爵)、山本権兵衛(海軍大将・首相・伯爵)などの面々です。

この本は、まだまだ周蔵手記のさわりの部分です。これからの続刊が待たれますね。
みなさんもぜひご一読を!

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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活字に出来ない《落合秘史3》 南朝天皇・北朝天皇の機密~明治天皇すり替えの極秘計画 <DVD> (DVD 活字に出来ない落合秘史)天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本ワンワールドと明治日本 (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)活字に出来ない落合秘史2 金融ワンワールド~天皇と黄金ファンドの秘密 (<DVD>)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)

落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]

天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実
落合先生の代表作の紹介です。
本来であれば落合先生の本としてまっ先に紹介すべき本でしたが、諸般の事情で遅れてしまいました。

この本は、1997年に発刊ですので、もう20年前になります。落合先生が、佐伯祐三のパトロンであった吉薗周蔵氏の遺児である明子氏の代理人となったことで、佐伯祐三の真贋事件に関わることになる経緯と顛末を書いたものです。

佐伯祐三真贋事件とは、吉薗周蔵氏が残した佐伯祐三の未公開作品を周蔵氏の遺児である明子氏が、1994年に福井県の武生市(現在の越前市)に寄贈することになった事から話が始まります。この佐伯作品は、当時美術界のドンと言われていた河北倫明氏が座長となって選定委員会を設置して調査した結果、佐伯祐三の真作であるとのお墨付きを与えました。この時の委員のメンバーが凄いです。
座長:河北倫明(美術館連絡協議会理事長)
富山秀男(京都国立近代美術館館長)
陰里鉄郎(横浜市立美術館長)
西川新次(慶応大学名誉教授)
三輪英夫(東京国立文化財研究所美術部第二研究所長)
という、美術館の館長クラスのメンバーが揃っていました。
これに対して佐伯絵画の鑑定を行っている東京美術倶楽部という業者の団体が猛烈な反論を行ったことで真贋事件に発展し、結局武生市への寄贈話が頓挫することになります。ちなみに、東京美術倶楽部には鑑定師の中島誠之助氏も加盟していたそうです。古美術商の中では東京美術倶楽部に入る事がステータスになっているそうです。

この真贋事件は、真作派の「専門家」と贋作派の「業者」との対立という構図です。
このブログで何度も紹介している「佐野乾山事件」も同様に「専門家」VS「業者」という構図でした。私は、佐野乾山事件を調べていて、東京国立博物館や京都国立博物館の技官や東大の教授など美術界の中心にいる人たちが真作派だったのに、なぜ黒(グレー)にさせられてしまったのか不思議に思っていましたが、佐伯祐三の真贋事件はさらにスケールがワンランク上です。

何せ、真作派はすべて美術館の館長クラスの権威ある人たちであり、それを取りまとめていたのが河北倫明という美術行政のトップであり、美術界のドンだった人です。しかも、河北氏は対立する東京美術倶楽部の顧問でもあるという捻じれ構造も内在していました。これだけ凄い役者がそろっていても真作派が負けて贋作にされてしまうのですから、金銭が絡んだ時の業界勢力の力というのは恐ろしいものだと思います。

例えば、佐野乾山事件の時には乾山の真作が300点くらいと言われていた時に、一度に200点以上の佐野乾山が発見されました。もしこれらの作品が真作と認められた場合、これまで希少性も含めて形成されていた乾山作品の市場価格(価値)が暴落するのは自明の事です。
同様な事情が佐伯祐三作品にもありました。佐伯作品は日本人の洋画としては非常に高価で、1点でも数千万円から億の価格が付くものもありますが、この時発見された大量の吉薗佐伯が真作と認められた場合、これまで美術館や個人に売却されていた作品の価格が暴落することになります。

さらに佐伯作品の場合、妻である米子の加筆疑惑があったためさらに事情が複雑です。佐伯祐三の妻である米子も画家でした。第二次渡仏の時に佐伯祐三が客死した後、日本に帰国した米子は佐伯の遺作や佐伯の友人の絵に自ら加筆して「佐伯作品」として売って生活費を稼いでいたと言われています。この米子加筆に関しては、関係した業者の間ではかなり有名な話だと聞いています。

1991年に「パリを描いた画家たち展」という展覧会が開催されました。これは、昭和2年にパリに居た佐伯祐三を慕って横手貞美、大橋了介、荻須高徳、山口長男の4人が渡仏して佐伯と一緒に絵を描いていましたが、その時の作品を集めた展覧会です。
私はこの展覧会の図録を見て驚きました。モランの寺やパリの街角など佐伯作品の重要なモチーフに関して、その4人の後輩たちも佐伯と見紛うような絵を描いていたのです。私には、その絵のいくつかは佐伯作品だと言われても見分けがつかないように思いました...。

restaurant1.JPG吉薗周蔵氏が残した佐伯作品は、これまで知られている佐伯作品とは雰囲気が異なるものでした。この吉薗佐伯作品に対する真作派のコメントを紹介します。
河北倫明座長:一目見て佐伯祐三の本当の姿が響いてきた。美術的価値はこれまでのものと匹敵し、今までのものに見られない荒削りで習作的なおもしろさがある。デッサンや手記に関しては、走り書きもあり、バラバラにせず総合的な調査をしたい。山発コレクションと比較すると、山発はいいものを抜いていったもので、今回の作品は山発コレクションの素材が残ったものといえ、(佐伯作品の)背景や土台を見るには面白い。

富山秀男:出所からしても佐伯作品と思う。これまでの作品との関連性も強く感じる。佐伯に対する既成概念より幅が広がったと考えている。今までの作品はよそゆきで今回出てきたのはふだん着の作品。研究し直す必要がでてきた。

陰里鉄郎:これまでの佐伯像よりビビッドなものを感じる。

このビビッドな佐伯作品を所有していた人こそ、落合先生が20年以上に渡って研究してきた吉薗周蔵氏です。遺児の明子氏から調査を依頼された落合先生が、持ち前の洞察力と豊富な知識を駆使して明子氏も知らなかった周蔵氏の実像を明らかにしていく過程は、この本の白眉と言えます。

russia1.JPG落合先生の調査によって、吉薗周蔵氏は公家の名家で正三位の堤哲長の孫であることが分かりました。周蔵氏は大正元年、18歳の時に縁戚であった上原勇作陸軍中将の特務(いわゆるスパイ)となります。そして、上原の指示で軍のためにケシの栽培を行って、純粋アヘンの製造を行いました。これによって、周蔵氏はかなりの収入を得ることになります。
そして、大正6年23歳の時に上原勇作から佐伯祐三の援助を行うように依頼されます。それ以来、周蔵氏は佐伯のパトロンとなり、金銭的な援助を行いました。

しかし、上原勇作の特務という裏の仕事であったため、それを裏付ける証拠が出るはずもなく、「佐伯と周蔵氏の接点がない」、「周蔵氏に佐伯を援助できるほどの収入があったとは思えない」、「佐伯は実家が裕福だったので周蔵氏からの援助など必要なかった」などの理由で周蔵氏と佐伯祐三との関係も否定されました。
これに関しては、(「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著」:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-08-25)にも詳しく書いていますので、興味がある方はご覧下さい。

事件が起きた時期もよくありませんでした。小泉首相の北朝鮮訪問前ですので、北朝鮮による日本人の拉致問題は、第二党であった社会党の党首でさえ「そのような事はありえない」というようなコメントを出していた時代です。この頃は、北朝鮮の工作員などの話をすると、「映画の見すぎじゃない?」などと馬鹿にされたものです。バブル崩壊直後で日本人が平和ボケしていた時代ですから、「上原勇作の特務」と言っても誰も信じない時代でした。
ちなみに、日露戦争時にレーニンに多額の資金援助行ってロシアの後方撹乱を行った陸軍の明石元二郎も上原勇作の配下でした。その関係で、周蔵氏が任務で渡欧した時は明石の残した諜報網を利用したと言われています。

この本は、一部が佐伯祐三の真贋事件の経緯と顛末が書かれており、ニ部には吉薗周蔵に関連した薩摩治郎八や奉天古陶磁に関して書かれています。ニ部の内容も非常に貴重な情報が満載で、佐伯に興味が無い方でも楽しめると思います。

落合先生は、この真贋事件の後も吉薗周蔵氏の残した吉薗手記の調査、解析を継続して行い、現在の「落合秘史」につながっています。

ぜひみなさんに読んで欲しいと思います。
(ただし、絶版なので中古品でも5,000円以上しますが...)

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
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・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む
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天孫皇統になりすましたユダヤ十支族 「天皇渡来人説」を全面否定する 落合莞爾著 その2 [落合莞爾]

	天孫皇統になりすましたユダヤ十支族  「天皇渡来人説」を全面否定する

落合先生の秘史シリーズです。
この本は、発売直後にAmazonの古代日本史分野でベストセラー1位になっていました。(2017年3月現在は、古代日本史分野:4位、天皇制分野:2位です) やはり、天皇家とユダヤ人との関係、日ユ同祖論についてはみなさん関心が高いようですね。


この本で「欠史八代」の実在を説く落合先生ですが、その先生にしても2年ほど前まではこの古代史の通説を鵜呑みにしていたそうです。
その後の「天皇とワンワールド」の執筆の際に調査、洞察して初めて「欠史八代」の実在を実感したそうです。
「欠史八代」が実在しなかったなら、崇神以前の日本には確固たる王朝が存在しなかったことになりますから、これに乗じて「帰化人」とは日本に王朝が存在したことを前提とした不適切な用語だから使用をやめて、代わりに「渡来人」を用いろ、と主張する不逞の輩が現れました。それも反日韓人だけでなく、日本人にもいたのです。 京都大学教授上田正昭氏こそその人で、上田説に煽られて広がったのが、「朝鮮半島の進んだ文化を携えて日本列島に渡来してやった」とする「半島優越史観」です。

物部氏(ユダヤ十支族)が天孫族に背乗りしたと書くと、いかにも物部氏がこっそりやったような印象を持ちますが、これは天皇家も公認していたとのことです。それは、物部氏が天皇家に多大な貢献をしてきたことに対する見返りだとのことです。落合先生は、以下のように物部氏の貢献を挙げています。
①家祖ニギハヤヒが縁戚ナガスネ彦を裏切り神武天皇(縄文族)の東征に協力した。
②物部神道(オリエント多神教)で朝廷祭儀を司り日本神道の骨格形成を行った。
③イカガシコヲが孝元の宮廷ユダヤ人となり任那天孫の育成と崇神王朝の実現に寄与した。
④尾張オキツヨソの妹世襲足媛が5代考昭の皇后となり、アマタラシ彦と孝安をもうけた。
⑤尾張宮簀媛がヤマトタケルの妃となり応神の招来に重要な役割を果たした。
⑥尾張目子媛が継体の皇后となって安閑、宣化を生み、継体王朝の実現に尽力したこと。
(上の尾張氏は、物部氏の分流です。)
ただし、尾張氏はカバネが連(むらじ)です。本来、天孫のニニギの兄であるホアカリの直系子孫の尾張氏はカバネが臣(おみ)あるはずですが、疑似天孫であることが後で分かるように手がかりを残しているようです。

【秦氏】(はたし)
飛鳥昭雄氏は、秦氏こそ古代イスラエルの十支族で天皇家のルーツであるとしています。落合先生も秦氏に関しては、飛鳥氏と同様に考えていたようですが、この本でそれを否定しています。
・秦氏=呂氏(りょし)秦君が率いる呂氏一族+北方騎馬民族系ソグド人
・当然、秦氏の中にも十支族ユダヤが潜入していたことはありうる。

【先代旧事本紀】(せんだいくじほんぎ)
この書に関しては、みなさんご存じないと思います。私もよく知りませんでした。
天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されていて、序文に聖徳太子が蘇我馬子に編纂させたと書かれていたため、平安中期から江戸中期までは古事記や日本書紀よりも尊重されていたそうです。しかし、江戸時代に偽書であるという説が主張され、現在もそのようにみなされています。
しかし、900年以前に成立したと考えられるため、この書にしかない物部氏の伝承など資料的価値があると評価されています。
このブログでも紹介したベリー西村氏の 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」には、
日本書紀:ユダヤ十支族系
古事記:ペルシャ系
先代旧事本紀:物部系
が編纂したと書かれています。興味深いですね。

先代旧事本紀

← この本は、私もKindleで購入しました。先代旧事本紀の解説書かと思ったのですが、原文でした。(笑)
興味ある方はぜひ。

とにかく落合先生の本は、ぜひみなさんに読んで欲しいと思います。



【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
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・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
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天孫皇統になりすましたユダヤ十支族 「天皇渡来人説」を全面否定する 落合莞爾著 その1 [落合莞爾]

天孫皇統になりすましたユダヤ十支族  「天皇渡来人説」を全面否定する
落合先生の秘史シリーズです。
この本は、発売直後にAmazonの古代日本史分野でベストセラー1位になっていました。(2017年3月現在は、古代日本史分野:4位、天皇制分野:2位です) やはり、天皇家とユダヤ人との関係、日ユ同祖論についてはみなさん関心が高いようですね。

このブログでも、古代日本とユダヤ人との関係についてはいくつかの本を紹介しています。それらの本でも、以前紹介した飛鳥昭雄氏のように古代イスラエル人が天皇となったという説もあります。

落合先生は、この本の中で天皇家のルーツが半島からやってきたという「半島文化優越史観」を徹底的に批判し、「天皇家のルーツは縄文人(天孫族)である」であると主張しています。

この本のポイントは、以下の5点です。
①天皇家はアマテラスの直系子孫(天孫族)の皇統である。
⇒ それ以外は「天神」(天津神)である。
②古代日本に中東の古代イスラエル人(いわゆるユダヤ人)が渡来して、海部直(丹後)、物部氏(河内)、宇佐氏になった。
③物部氏は、「先代旧事本紀」、「海部氏系図」を利用して天孫族に入り込み、天孫族になりすました。
⇒ 「先代旧事本紀」は江戸時代に偽書とされたが、「海部氏系図」は戦後に十分な調査がされずに国宝に指定された。
④戦後の日本史学界は、綏靖~開化までの天皇を「欠史八代」として徹底的に否定することで「半島文化優越史観」を打ち出した。
⑤物部氏を天孫の持ちあげようとした黒幕は、日本の古代史界のドンであった故上田正明氏である。

このユダヤ人の渡来に関する落合先生の情報源は、20年間研究してきた「吉薗手記」です。これは、孝明天皇の実質的な侍従長であった正三位堤哲長の孫であった吉薗周蔵(陸軍大将となる上原勇作の特務として活動)が残した文書です。
周蔵は、同じく孫である医師の渡辺政夫から上田家の家伝を聞きました。
辺さん云はるに、自分は京都のアヤタチの一族であるが、アヤタチといふは後に付けたる姓であり、元は海部(あまべ)といふ姓であった由。この海部は日本に流れ着いたるユダヤの人種である由。
この上田アヤタチ一族は、その血統を守るために同族婚を繰り返していた事も記載されていたそうです。その上田家からは、上田鬼三郎(出口王仁三郎)も出ているとのこと。さらに古代史の最高権威である故上田正昭氏が分家から入り家を継いだそうです。

その上田正昭氏が神官を務めていた小幡神社の祭神は開化天皇とその皇子だそうですが、その神官が開化天皇を含めた欠史八代の不存在を主張していたとのことです。そして、上田氏は、ニギハヤヒとホアカリを同体として天孫と記した「先代旧事本記」を持ちあげて上田家と同族の物部氏を天孫族であるとし、さらに戦後、疑惑の多い物部氏の「海部氏系図」を国宝に指定することによって物部氏の天孫族(天皇家)への潜入を肯定したと落合先生は指摘しています。
また、落合先生は、その上田正昭のバックはオリエント学界の三笠宮殿下であったことも指摘しています。

つまり、渡来ユダヤ人の末裔である上田アヤタチ家の当主である上田正昭氏は、日本史学界のドンとして、自分の出自とともに古代日本におけるユダヤ人の渡来を封印したのです。そして、欠史八代を不在とすることで、天孫の末裔の「臣」と連立系家系の子孫の「連」を区別できなくしました。これによって、その子孫である武内宿禰、その末裔の蘇我氏、葛城氏、平群氏などの有力豪族の出自が不明となり、半島からの渡来人の末裔とされました。これが、古代日本は朝鮮半島からの渡来人によって作られたとする「半島文化優越史観」が幅をきかせることの原因になっているのです。

日本の古代史に興味がある方には、必読の書だと思います。

【興味がある方へ】
落合先生が、京都皇統から伝えられて伝聞の一部を紹介します。
京都皇統代のメモ
皇別
①一期:第一期:神武から孝元までの皇裔諸氏。それ以降は「臣姓」を賜っている。
⇒ 多臣、春日、吉備、阿部、波多臣、巨勢、蘇我、平群、紀臣、葛城、江沼
⇒ 第一期の皇族、「臣姓皇別」
②第二期:開化から天武に至る間。「真人」を賜る。
⇒ 丹波、毛野、和気、安保、小槻、春日山、三尾、三河伴、牟義(むげ)、津部、御使(みつかい)、讃岐、土形、息長、三国、多治公、橘、当麻公、晴海、淡海、清原
③第三期:光仁・桓武以降、諸帝の後裔諸氏。「朝臣」
⇒ 純然たる臣下クラス。また源氏・平氏。主として同一の氏が繰り返し賜っている。
⇒ 16流の源氏、4流の平氏、在原、久我、長岡、良岑、広根
⇒ 「朝臣の皇別」
④神別:天孫とは、天祖からウガヤフキアヘズ尊、神武までの五代皇祖の後裔諸氏。
⇒ 神武即位以前は神代として特別に扱うため、神別の内に入れても差し支え無い。ただし、中央勢力と地方豪族の差異あること言うまでもなし。
⇒ 有名筋は出雲臣。これ天穂日命の末裔。河内臣これ天彦根命。尾張臣、これ天火明命 ← 天孫(落合先生も保留)

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
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飛鳥昭雄のエクストリームサイエンス「古代ユダヤと天皇家」 [歴史の真実・陰謀論]

http://enbanya.jp/dvd/detail.php?pid=56545400
飛鳥昭雄氏のDVDの内容を紹介します。エッセンスを書きだしてみました。
ポイントだけを書くと荒唐無稽に感じることも多いと思いますが、個人的にはなかなか興味深い内容だと思っています。
一部はYouTubeでも公開されていますので、興味ある方はぜひ見て欲しいと思います。

●「日ユ同祖論」は日本人が言い出したものではない。
⇒ 開国時に日本に来た商人たちが、日本の風習と聖書に書かれている内容との類似性に驚いて言い出した。

●日本人、天皇家のルーツ
①現住日本人(アイヌ、琉球人)
②物部氏:紀元前に秦の始皇帝が送った徐福(ヨセフ:古代イスラエル人)の一行が日本に来て住み着いた。始皇帝も徐福と同族であった。
⇒ この集団がアイヌ、琉球人を北と南に追い出した。
⇒ 物部氏となる。(旧約聖書の民)邪馬台国を統治していた。
③秦氏:紀元後に秦氏が朝鮮半島を経由して大挙して移住してきた。12支族が集まるのを待って渡ってきた。
新約聖書の民
東征して物部氏から国譲りを受けて神武天皇となる

●物部神道と血の儀式
・出雲神社、諏訪大社など古神道(物部神道)の神社は旧約聖書の「血の儀式」をやっていた。諏訪大社の「御頭祭(おんとうさい)」を見るとその名残が良く分かる。(鹿などのの首を切って神に奉げる)
・秦氏は、新約聖書の民であり「血の儀式」をやらない。秦氏が物部神道に入り込んだ。
⇒ 物部氏が「血の儀式」をやらないように監視するために、秦氏の下賀茂神社が物部神道の神社に禰宜を送った。(カモネギのルーツ)

●漢字の音読はヘブライ語への変換する鍵
・日本語の漢字の音読は、ヘブライ語に変換するための鍵。
⇒ 始皇帝の父親は、呂不韋。音読で読むと「ロフイ」⇒ ヘブライ語で「癒し手」日本語以外ではヘブライ語にならない。
⇒ 漢字の重要な部分は、聖書の内容を織り込んで日本人が作った。

・茶道はキリストの聖餐会
⇒ 千利休(セイント・ルカ)が洗礼を受けて、バテレン禁止令の中で茶道を通してキリストの聖餐会を秀吉を利用して全国に広めた。
⇒ 千利休の弟子たちはキリシタン大名が多かった。

天皇家のルーツは、イスラエルの12支族+レビ族の子孫
⇒ 当初は、12支族のうちのガド族が「戦う天皇」であったが子孫が絶えた。
⇒ 帝「ミカド」は、ミ(from)+ガド=ミガド(ガド族の出身)。代々の天皇はマナの壺を継承している。(前方後円墳は、マナの壷の形を表したもの。円が下で四角が上)
⇒ ガド族の子孫が途絶えて、後継者争いになったため、レビ族が後継者になった。
「戦う天皇」から「神事を行う天皇」に変わった

日本の歴史に興味がある方にはぜひ見て欲しいと思います。

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日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)失われた日本ユダヤ王国「大邪馬台国」の謎 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)失われたイエスの12使徒「八咫烏」の謎失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)公安情報から読み解くユダヤと天皇家の極秘情報失われた天照大神の大預言「カゴメ唄」の謎タブーに挑む! テレビで話せなかった激ヤバ情報暴露します3 台風人間・八咫烏のヤバすぎる正体から最新宇宙人情報まで

「あの素晴らしい愛をもう一度」の真実 [音楽]

以前このブログでも書きましたが、私は中学生時代はフォークソングにはまっていました。
当時は、北山修作詞、あるいは加藤和彦作曲の70年代フォークがお茶の間を席巻していた時代です。その中でも、北山修と加藤和彦が歌っていた「あの素晴らしい愛をもう一度」が一番好きで、毎日のように聞いていました。この曲は、今では学校の教科書にも載っていると聞きましたが、時代の流れを感じますね。(笑)


この曲は日本のフォーク史に残る名曲だと思います。特にイントロのフォークギターのサウンドには今でも魅了されます。ところが、このイントロなんですが、今聞いてもどうやっているのかよく分かりません。
後にフォーク・クルセダーズを再結成した坂崎さんも当時コピーしても分からなかったようです。この動画の対談で加藤さんに聞いてようやく納得したそうです。

石川鷹彦さんが普通のスリーフィンガーを弾いて、加藤さんが12弦ギターで高音のマンドリンのようなサウンドを弾き続けていたそうです。(11:30 くらいからです)


それをレコーディング当時と同じような構成で弾いたのがこの動画です。


次の動画は、北山修の25歳の誕生日に行った「北山修/ばあすでい・こんさあと」に収録されているものです。このアルバムも中学生の頃、レコードが擦り切れるほど聞いていました。
このテイクでは加藤さんが一人でギターを弾いているので、通常のスリーフィンガーで弾いています。


この曲で重要なのは、北山さんが歌っている2番の歌い方です。
通常は、「あか~トンボのう~たを うた~った~そらは~~ ・・・」ですよね。石川さんの動画でもそう歌っています。ところが、北山さんは、「あか~トンボのう~たを うた~った~そらは! ・・・」と歌っています。これは、北山さんがふざけて歌っているんだとずっと思っていました。会場のお客さんも笑っていますので、同様に思ったのだと思います。
しかし、実際にオリジナルの歌(最初の動画です)を良く聞いてみると、北山さんは同じように、「うた~った~そらは!」と歌っていました。(ーー;

興味ない方にはどうでも良い話ですが、個人的に45年経ってようやく本当のことが分かったという話です。

ばあすでぃ・こんさあと+35歳バースデー・コンサート【興味ある方へ】北山修のバースディー・コンサートのライブ盤です。ディスク1、2があり、ディスク1には25歳の時のバーディーコンサートのライブが収録されています。これは貴重な音源だと思います。
これに収録されている「あの素晴らしい愛をもう一度」を高音質で聴いて下さい。
また、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」のテイクは最高です! ウッドベースのベースラインがたまりません。
興味ある方は、ぜひ購入して聞いて下さい。


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「日本はキリスト教国家だった! 封印された日本史」 著 を読む2 [宗教について]

封印された日本史~日本はキリスト教国家だった!今回は、日本とキリスト教に関する本です。

この本の主張は、「日本にはザビエルが来るずっと前からキリスト教が伝わっていた」ということです。

著者のケン・ジョセフ氏は1957年東京生まれ。18歳まで日本で育つ。米カリフォルニア州バイオラ大学卒。先祖はアッシリアとのこと。日本の古代史研究家、秦氏研究家、景教研究家で千葉大学准教授です。

ジョセフ氏のお父さんは宣教師で大東亜戦争終戦後、マッカーサー元帥が米国民に日本の復興を助けるため1万人がボランティアで日本に来て欲しいという呼び掛けに応じて来日したそうです。
ジョセフ氏の先祖の地である中東のアッシリアという国は現在はありませんが、現在のイラクやイラン辺りの地域にあったと言われています。エデンの園、バベルの塔、ノアの箱舟が漂着したアララト山もアッシリアにあったと言われています。

ジョセフ氏は、古代アッシリアの時代から中国とは交易を行っており、漢の武帝の時代に大月氏の国(現在のアフガニスタン)に使者を送ったという記録があるそうです。つまり、古代から中近東と中国は、シルクロードを通してかなりの交流があり、中国にもキリスト教(景教)が伝わっていたということです。そして、そのシルクロードの終着点が私たちの住んでいる日本ですので、当然日本にも伝わっていたというのがその主張です。

現在の通説では、16世紀にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが初めて日本にキリスト教を伝えたことになっています。しかし、ザビエルは日本に行く前にマラッカで日本人弥次郎に会い、日本の宗教、風習についてヒアリングしていたそうです。その時に、日本の仏教は基督教に似ており、混合していると気づいたそうです。そして、「福音はすでに日本において語られていると思われます。しかしその光は、今は彼らの罪と、異なる教えとによって、薄暗いものとなってしまっています。」とヨーロッパに手紙で伝えたそうです。

確かに、日本史をひも解いてみると、聖徳太子(厩戸皇子)が厩の前で生れたとか光明皇后の1,000人の垢すりの逸話も明らかにキリスト教(聖書)の影響があると思います。

ジョセフ氏は、景教以前に秦氏の渡来によって、古代キリスト教が日本にもたらされたと考えています。秦氏は応神天王14年(283年)に中央アジア弓月国の王が、約2万人という大集団を率いて渡来したと言われています。当時の日本の人口を考えると2万人は、かなりインパクトのある数だと思います。
秦氏は兵庫県赤穂市坂越に上陸したと言われています。秦氏は、京都の太秦を本拠地にして広隆寺を建立しましたが、これも仏教の寺ではなく古代キリスト教の教会だったと言います。江戸時代においても、儒学者太田錦城の「寺と名はついているが、仏教の寺ではない」という記述が残っているそうです。
また、後に造られた平安京は秦氏が造ったと主張しています。現在考えると、集団で渡来してきた秦氏が、どうして日本の中心である京都に土地をもらえたんだろうと疑問に思いますが、これは逆で秦氏が渡来した当時の日本の中心は河内周辺です。ですので、9世紀に秦氏が自分達の住んでいた土地に平安京を作ったということのようです。飛鳥時代以降は、奈良や京都は渡来人の新興住宅地だったそうで、当時の奈良の南部の住民の80%、京都の70~80%が渡来人、帰化人であったと言われているそうです。

ジョセフ氏は強く主張します。
・中近東、中央アジア、東アジアから多くの人がシルクロードを通って日本にやって来ている。
・奈良、京都はシルクロードの終着点である。
・シルクロードから日本にやって来た時、古代キリスト教や景教も一緒に伝来してきたはずで、その時に古代キリスト教や景教だけ中国や朝鮮半島に置いてきたはずがない。

その他、興味深い点をいくつか紹介します。
●茶道について
・茶道は、キリスト教の聖餐会である。
・キリシタン迫害時代に、茶室で「聖餐式」を行っていた。
⇒千利休の弟子たち「利休七哲」は高山右近などのキリシタン大名が多かった。
これに関しては、ジョセフ氏が、京都の裏千家の本部で確認したそうです。その時のコメントは、「 裏千家としては、そうは思っておりません。でも、家元がそう思っていらっしゃることは、事実です」とのことです。
もしこれが本当だとすると、秀吉は茶道の奨励を通してキリスト教を各地に広めたことになりますね。

●聖徳太子について
・聖徳太子が建立した四天王寺に「四箇院」(敬田院、施薬院、療病院、悲田院)という福祉施設が付随していた。このようなものは、他の仏教施設にはないものである。
⇒ これはキリスト教の思想によるものである。

●キリストの墓について
・このブログで紹介した青森県新郷村(旧戸来村)の「キリストの墓」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15)に関して、ジョセフ氏は、何日か滞在して調査したそうです。そして、キリストの墓の土地の持ち主にしつこく聞いて、以下の事実を聞き出したそうです。
昔その地方には渡来人の墓があったとのことでした。7つあったといいます。それらにさわると、バチがあたると言い伝えられていました。しかし戦前に、おばあさんがその墓を開けたそうです。そして中にある物を持ち出した。そのあと、いろいろあったみたいですけれども、やがて憲兵が来て、それらの墓を全部、大阪に持っていってしまったというのです。墓は、どうも基督教系の渡来人のものだったようです
現在、日本人は神道や仏教を信仰しているにもかかわらず、クリスマスを祝い、教会で結婚式を行い、バレンタインにチョコを送り、ハロウィンの仮装に興じています。普通に考えると節操がないとなりますが、この本に書いてあるように太古の昔から古代キリスト教に慣れ親しんできたからだと考えると何となく納得できますね。(^^)

日本の歴史に興味がある方にはぜひ読んで欲しいお勧めの一冊です。

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2017年 北海道美幌峠から初日の出を見る! [北海道]

2017年になりました。 相変わらず、ブログの更新が滞っていますが今年もよろしくお願いします。

さて、年末から北海道に帰省していました。今年は、念願の美幌峠で初日の出を見ることができました。
美幌峠は、ご存じない方もいるかと思いますが、道東の屈斜路湖の大パノラマを堪能できる北海道でも有数のビュースポットです。映画「君の名は」でロケされたことでも有名です。(最近大ヒットしたやつではありません。 昭和28年頃の映画です。(笑)) 夏に見るとこんな感じで湖を楽しむことができます。
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さて、1月1日の6時半頃にようやく展望台に到着です。美幌から峠までの一本道は、通常はあまり混んでいませんが、この日は大変な人で、車の列が並んでいて2つある駐車場に入れない状況でした。
すでに沢山の人たちが良い場所に陣取っていました。
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「美幌峠は一番上の展望台で見なければダメ」という私のポリシーに従って (笑) 上の展望台まで上がり ました。ここも良い場所はすでに取られていてぎりぎり一番端の場所を確保できました。
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この日は雲海で湖がまったく見えませんでしたが、これはこれで迫力があって良かったです。日が登る前、空が赤く染まってきました。
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この日は、とても寒くて恐らく-15 ℃以下にはなっていたと思います。完全防備の状態でも20分くらい待っていると手も足も冷たくなってきました。美幌峠は、屈斜路湖から強風が吹き上げてくることが多いのですが、この日は風が無くて幸いでした。もし強風が吹いていたら、5分も持たなかったと思います。
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知床方面の斜里岳に雲がかかっていますね。
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いよいよ太陽が頭を出してきました。
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顔を出し始めると出てくるのが早いですね。
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太陽が完全で出てきました。
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今年は天気が良くて良かったです! だんだん雲海が赤く染まってきます。
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これくらい太陽が登った時点で、撮影目的の人以外の方々はどんどん帰っていきます。もったいないと思いますが、撮影という目的がないと耐えられない寒さです。私の好きなスポットが空いたので、そこからのショットです。
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30年以上前に、ここで初日の出を見に来た時には、私たちの他には数組の車しかいませんでしたが、最近は例年1,000人くらい集まるそうです。当然、そんなに駐車場があるはずもなく、ご覧のように峠道に路上駐車することになります。
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上の展望台に登る途中からのショットです。
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下の展望台も写真撮影の人たち以外は帰ってしまいました。もったいないですが、とにかく寒いです。私もレンズを交換してもっともっと撮影する予定でしたが、手と足が凍えてその気力が湧きませんでした。(^^)
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ここのショットも良いですね。
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これは駐車場にむかう道の途中から撮影したものです。右側の高い所が、一番上の展望台です。
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今年は元旦から好天で、きれいな初日の出を見る事ができました。
今年は良い年になりそうです!

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麻布十番で更科総本家の蕎麦を食する [関東]

最近、お蕎麦がマイブームで週に3日、4日くらいはお蕎麦を食べに行くようになっています。そんな訳で、今回はお蕎麦の話です。

都営地下鉄の駅ができた頃から仕事の関係で麻布十番によく行くようになりました。この麻布十番は、いわゆる高いお店が多いエリアですが、更科蕎麦の本店が3軒もあることでも有名です。

①総本家 更科堀井 本店
②麻布永坂 更科本店
③永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店


なぜ、この狭いエリア(一番遠い店の間でも徒歩5分程度の距離)で3店舗が本店を名乗って競っているかについてはさておき、(興味がある方はググってみて下さい)問題はお店の蕎麦の味です。食べ物のお店を調べるには、やはり「食べログ」が便利なので、その評価を見て見ますと評価の高い順に 、

①更級堀井:3.60
②更級本店:3.57
③布屋太兵衛:3.08


となっています。
参考までに長年麻布十番に住んでいた知人に聞いてみたのですが、やはり①の堀井が一番美味しいとのことでした。ちなみに、私は10年くらい前にその知人に連れられて更科堀井に連れて行ってもらった記憶はあるのですが、何を食べたのかも味も全く覚えていません。(笑)

更級蕎麦とは、蕎麦の実の中心部分だけを使った蕎麦で、真っ白な高級感のある蕎麦で御前蕎麦とも言われます。一般的には更級蕎麦は蕎麦の香りよりものど越しのなめらかさを楽しむものと言われています。麻布十番にあるお店はその更級蕎麦の総本家と言われています。

最近、仕事で連続して麻布十番の近くに行く用事があったので、三軒のお店のせいろ蕎麦を食べ比べてみました。更級蕎麦で有名なお店の味を語るのに普通のせいろの味で評価するのはおかしいではないかとのご指摘もあるかと思います。しかし蕎麦屋の基本はせいろだと思いますし、何よりも私自身は、蕎麦の甘皮を一緒に挽いた普通の蕎麦や田舎蕎麦の方が好きなので更級蕎麦があまり得意ではないことも大きな理由です。「だったら、更科以外の蕎麦屋にしろよ!」という突っ込みは無しでお願いします。(笑)

①総本家 更科堀井 本店
まずは、堀井のお蕎麦です。ここは、更科本店で一番評価が高いお店ですので、普通のせいろと更科蕎麦をそれぞれ1枚ずつ頂きました。せいろは「から汁」で頂きます。ここのお蕎麦は、私がこれまで食べた事のないような食感の蕎麦で、蕎麦の切り口の角をまったく感じない不思議なものでした。美味しいとは思いましたが正直に言うと高評価の理由が分かりませんでした。
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本家の更科蕎麦を食べてみれば自分の更科蕎麦に対する認識が変わるのでは、との期待もあり食べてみましたが、結論は変わりませんでした。確かに、のど越しは良いですが...。(^^) 更科蕎麦は青いとっくりの「あま汁」で頂きます。最初はその甘さに驚きますが、慣れてくると病み付きになります。
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②麻布永坂 更科本店
このお店は、地下鉄の麻布十番駅から大きな通りを挟んだ向かいにあり、他の店のあるブロックとは少し離れています。
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ここではせいろの大盛りを頂きましたが、ここのお蕎麦も切り口の角を感じない普通に美味しいお蕎麦という感じでした。確かに美味しいけど...。
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③永坂更科 布屋太兵衛 麻布総本店
最後は布屋太兵衛の総本店です。このお店は大宮のそごうに支店が入っているので、そこでは何度か食べていました。その感想は有名な更科のお店ではありますが、「まあ、こんなものか」と思って食べていました。
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このお店は普通のせいろでも「あま汁」と「から汁」の2種類が付くのが特徴です。
さて、この麻布十番の総本店のお蕎麦ですが、最初に口に入れた瞬間に大宮店の蕎麦とは風味がまったく違うことが明確に分かりました。「う~ん、これはうまい蕎麦だ。さすが総本店だ!」と一人事を言いながら満足して食べました。あま汁、から汁の味は大宮店と大差ないように感じました。
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さて、最終的な3店の私のお好みランキングは次の通りになりました。

③布屋太兵衛
②更級本店
①更級堀井


つまり、食べログの評価と全く逆の結果となりました。
まあ、これはあくまでも私のランキングですので他の人には参考にならないと思いますが...。
食べ物の好みは人それぞれ違いますからね!(^^)

食べログの蕎麦屋の口コミを見ると、料理を食べながら日本酒を飲み、最後の〆に蕎麦を食べるというような人が多いので、単に蕎麦の味だけで評価されているのではないようです。今回の麻布十番の3店も、場所がらもありそのようなお店の一つでしょうから、他の料理、お店の雰囲気、麻布十番という場所を含めた全体の評価なのだと思います。

今回、3つの更科のお店を食べてみて、仮にこのお店が自宅の近くにあったとして食べに行くかと考えると、一度は行くにしてもあまりリピートはないだろうなという感じです。だって、私の住んでいる埼玉県には、もっと私の好みに合うお美味しい蕎麦屋さんが沢山あるんですもの。(笑)

最近はどのお店も新そばを出す季節になりましたので、蕎麦を食べに行くのが楽しみです。

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フジのX-Pro2が1位に! 「日本カメラ9月号」全機!大撮りくらべ大会 [写真]


日本カメラ 2016年 09 月号


UPするのが遅くなってしまいましたが、「日本カメラ9月号」の記事です。

現行レンズ交換式カメラ全機種実写比較 全機!大撮りくらべ大会」という大企画です。
キヤノン、ニコン、ペンタックス、ソニー、富士フイルム、シグマ、オリンパス、パナソニック、コダックの現在販売されている合計60機種を一度に評価するという大変な企画です。60台もあると、同時撮影を駆使しても1カット撮影するだけでも2時間以上かかったそうです。機材総重量30kg、総額1,000万円超えと書いてあります。(^^)

評価内容は以下のような項目です。
01:仕上がりの色・ホワイトバランス・AE(撮って出しのJPEG画像をみる)
02:高感度画質(ISO6400の描写を比較)
03:暗所でのAF(薄暗いシーンでAF性能を比べる)
04:連写時の動体追従AF(選抜 動きモノ撮影対決)
05:解像感(高画素機・最新技術の頂上決戦)
そして評価結果ですが、ちょっとビックリです。私の使っている3年前に買った富士フイルムのX-E2が5位に入っているのには椅子からズリ落ちそうになりました。(笑)
まあ、画質の評価は「撮って出し」ですので、レタッチ前提のニコン、キヤノンの一眼レフ機種は納得いかないと思いますが、レタッチは人によって画質が変わり一律の評価ができないのでしょうがないですね。
【結果】
1位:富士フイルム X-Pro2
2位:ニコンD750
3位:富士フイルム X-T1
4位:ニコン D5
5位:富士フイルム X-E2
6位:キヤノン EOS-1DX MarkⅡ
7位:キヤノン EOS 5Ds
8位:ニコン D810
9位:キヤノン EOS 5Ds R
10位:キヤノン EOS 6D
<評価者>(敬称略)
カメラマン:伊藤亮介、宇佐美健、落合憲弘、曽根原昇
編集部:大谷、志村、佐々木
評価項目毎に、風景撮影では、EOS Mシリーズが上位に来たり、高感度画質はキヤノンのフルサイズ機が上位を独占、連写時のAF追従ではニコン機種が上位独占とそれぞれの得意項目があるようです。富士の機種はそれぞれの項目でまんべんなく高い得点を得たようです。

個人的には、富士のカメラが上位に来るのは違和感がありませんが、ソニーのカメラが一台もベスト10に入っていないのには驚きました。画作りの方向がカメラマン達の好みと合わなかったのかも知れませんね。

詳細に興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

カメラ雑誌に関しては、以下もご覧下さい。
「編集権の独立って? 最近のカメラ雑誌を見て感じたこと」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-04-13
「これからはミラーレス一眼の時代か? 家電批評 「一眼カメラの選び方がわかる本」 を読む」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-05-06-1

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日本カメラ 2016年 10 月号 [雑誌]日本カメラ 2016年 11 月号 [雑誌]アサヒカメラ 2016年 11 月号 [雑誌]カメラマン 2016年11月号 [雑誌]


明治天皇はスサノオの末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む2 [歴史の真実・陰謀論]


天皇奠都と日本純血統人の使命_京都鞍馬寺・五月満月祭と天皇家の秘密

ベリー西村氏については、『「マレーシア航空370便」 米中軍事ケシュ技術争奪戦の生贄 ベリー西村著を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21)で紹介しましたように、「Ω様」と呼んでいる神様?から20年に渡って教えてを受けてきたそうです。その中から日本の起源と今後日本がなすべきことを書いたのがこの本です。

ベリー西村氏は、もともと予知夢の研究を行っていたそうで、2013年に出した著書で、「東京および数か所の都市が北朝鮮が同時に発射した30発の核ミサイルで破壊され、本人も死ぬ」という予知夢を見たと書いています。2013年当時はあまり現実味がありませんでしたが、最近の北朝鮮の動き(ミサイルの2発同時発射など)を見ているとだんだんとリアリティを感じています。これは絶対に実現して欲しくない話です。

前回書いた内容の日本人の起源のポイントを読んでいない人のためにもう一度書きます。
くわしくは、(『日本人は龍族の末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む1』: http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-09-22)をお読みください。

★16,000年前、金星経由で地球にやって来た龍族が、青森に住んでいた海洋民族と遺伝的な交配を行いました。その龍族の血を引いた人たちは、その後シュメールに移動してシュメール文明を興しました。そのシュメール文明が他の文明の起源となりました。

当時の日本人のルーツは、以下の通りです。
現住海洋民族:もともと日本に住んでいた民族で秦(はた)一族の侵攻により北海道、沖縄に追いやられた。
物部一族:支那大陸の秦(しん)の始皇帝が日本に送った徐福一行の子孫でシュメール血統(龍族の血統を引き継いでいる)。
藤原一族:ユダヤ十支族の子孫で、源氏となる。
蘇我一族:ペルシャ系弓月一族の子孫で、平氏となる。
その後、物部一族が統治していた近畿地方にあったヤマトゥ国(邪馬台国)を九州から侵攻してきた秦(はた)一族(藤原一族+蘇我一族)が攻め、出雲戦争の結果秦一族に国譲りを行い、大和朝廷となりました。国譲りの条件として物部一族も朝廷に参加することになり、出雲大社を再建させました。

●天皇の皇統に関して
・秦(はた)一族は、藤原一族(ユダヤ十支族系)が宇佐八幡宮を建立したことで、蘇我一族(ペルシャ系)と対立することになりました。飛鳥時代は藤原十支族系、蘇我ペルシャ系、物部純血統の三つ巴の乱世となります。

*592年:蘇我馬子(ペルシャ系)が崇峻天皇(十支族系)を殺害。
*645年:中大兄皇子(天智天皇:十支族系)が蘇我入鹿(ペルシャ系)を殺害。
*671年:大海人皇子(天武天皇:物部純血統)が天智天皇(十支族系)を暗殺。
*686年:持統天皇(十支族系)が大津皇子(物部純血統)を殺害。

天智天皇の血を引く持統天皇が無理やり自分の孫に皇位を譲って天智天皇の皇統を守ったのは、物部純血統に行ってしまった皇位を藤原十支族系に戻すためだったのです。
天武天皇の死後、権力を握った藤原一族は、720年に日本書紀、728年に古事記を編纂し、焚書を行い貴重な過去の資料をすべて焼き払いました。

その後は、源平の争いとなりますが、
平家:ペルシャ系。
源氏:藤原十支族系で、平氏を滅ぼした後は、足利家まで続く。
織田信長:平家、ペルシャ系
豊臣秀吉:?(記載なし)
徳川家康:藤原十支族系で、江戸時代は天皇も藤原十支族系
明治維新:天皇は、物部純血統に戻ったが、偽ユダヤであるイルミナティが日本に侵入し、現在まで日本全土を支配している。イルミナティに囲まれた東京の皇居(江戸城)に物部純血統末裔が住んでいるのが今の状況。封印された魔法陣に囚われているようなもの。
この状況を打破するには、天皇が京都へ戻られること(「奠都」(てんと))が重要。それがトリガーとなってスサノオ(龍族王)が地球に再臨することになる、とのことです。

以上の説明で明治天皇が東京に遷都された時に埼玉県大宮にある氷川神社を重視して、武蔵国の鎮守勅祭の社として定めて何度も行幸された理由がわかりました。明治帝は物部純血統でスサノオの血を引いていたので、スサノオを祭神としている氷川神社の総本社である大宮氷川神社を最重視されたということだと思います。(スサノオは龍族の王)

●伊勢神宮について
伊勢神宮は、日本の最高神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られている神社です。日本に「○○神宮」と呼ばれる神社はいくつかありますが、単に神宮と言えばこの伊勢神宮のことを言います。

さて、その日本の祖先神を祀った伊勢神宮ですが、その子孫であるはずの天皇は、神武天皇以来だれも参拝しておらず、明治天皇になってようやく参拝されました。これはあまり知られていないことですが、大きな謎だと思います。
また、称徳天皇が弓削道鏡に皇位を譲ろうとした時に起きた「宇佐八幡宮神託事件」で天皇は、勅使(和気清麻呂)を近くにある伊勢神宮ではなく、遠い九州にある宇佐八幡宮まで送っています。これまでの通説では皇位の継承に関する重要な事柄に関して、なぜ祖先神を祀る伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮に行ったのか理由が全く説明できていません

この本でΩ様は以下のように述べ明治天皇が参拝した理由を明確にしています。
伊勢神宮は、大和朝廷の神を祭った神社ではなく、大和朝廷が滅ぼした大国主命、龍族、スサノオの祟りを鎮めるために建立されたものであるため、十支族末裔の天皇は参拝することができなかった
明治天皇は大国主、龍族、スサノオの血を引いた物部純血末裔なので参拝することができた。(明治維新で血統が変わった)
・アマテラス=アフラ・マズダーは本来男神であったが、記紀を編纂した時代が持統天皇の時代だったので女神に改ざんした。

●諏訪大社について
以前、『イスラエルの失われた10支族が日本に来ていた! 「この国の「深奥」の重大な歴史」 久保有政著 を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-09-18)で諏訪大社の御頭祭と旧約聖書の記述との類似について書きましたが、その理由も書かれています。
・約7,000年前、青森文明が地震と津波で破壊され、龍族が飛騨高山を中心とした拠点を作りました。彼らは諏訪の地にシュメール思想(旧約聖のもとになった思想)通りの世界を造り、その噂がユダヤ系民族に伝わり諏訪の地の人口が増えていきました。
この情報は現在の中国、韓国にも伝わり、龍族エイリアンの血統、DNAを持つ人々、すべてが日本に渡ってきた。これが中国、韓国にYAP(-) 遺伝子を持つ民族が一人もいなくなった理由じゃ。龍族に選ばれた民が、すべて日本に集まっている、それが日本なのじゃぞ。

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諏訪大社の上社前宮にある十間楼(写真)は、ソロモン宮殿の幕屋(礼拝堂)と同じ様式、大きさ、方位で建築されているそうです。また、有名な「御柱祭」もソロモン神殿に使用する柱をレバノンからエルサレムに運んだ行事がもとになったそうです。



【2016.10.17追記】
●青森県にある「キリストの墓」について
このブログで紹介した青森県新郷村の「キリストの墓」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15)ですが、Ω様はバッサリと切り捨てています。(^^)
戸来村の六芒星は1935年、竹内巨麿が「竹内文書」を持って戸来村を訪れ、村や近隣の人達に一大センセーションを巻き起こした。その後村人は「村興し」の一つとしてキリストの墓という表示支柱に六芒星を追加したのじゃ。村人は無調査、または理解不足だったのか、キリストとキリストを殺した偽ユダヤのマークを一緒に表示してしまったのじゃ
言われてみれば...。(笑) 確かに、キリストを殺したユダヤのマークである六芒星がキリストの墓にあるはずがないですね。村人が後になって付けたというのが実情なのでしょう。

日本の歴史に興味がある方にはぜひ読んで欲しいお勧めの一冊です。

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