So-net無料ブログ作成
検索選択
前の30件 | -

日本人は龍族の末裔だ! 「陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命」 ベリー西村著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


天皇奠都と日本純血統人の使命_京都鞍馬寺・五月満月祭と天皇家の秘密

ベリー西村氏については、『「マレーシア航空370便」 米中軍事ケシュ技術争奪戦の生贄 ベリー西村著を読む』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21)で紹介しましたように、「Ω様」と呼んでいる神様?から20年に渡って教えてを受けてきたそうです。その中から日本の起源と今後日本がなすべきことを書いたのがこの本です。


ベリー西村氏は、もともと予知夢の研究を行っていたそうで、2013年に出した著書で、「東京および数か所の都市が北朝鮮が同時に発射した30発の核ミサイルで破壊され、本人も死ぬ」という予知夢を見たと書いています。2013年当時はあまり現実味がありませんでしたが、最近の北朝鮮の動き(ミサイルの2発同時発射など)を見ているとだんだんとリアリティを感じています。これは絶対に実現して欲しくないです。

さて、この本のポイントを書くと、「日本人は16,000年前に金星経由で地球に来た龍族の血統を受け継いだ民族である」ということです。ですので、そのような話に興味が無い方は以下は読まない方が良いと思います。(^^)

私自身は、「広い宇宙の中で知能が高い生物が住んでいるのは地球だけであるはずがない」という考えです。ですので、当然その沢山ある地球のような星から地球を訪れた人たちが沢山いると思っています。そして、そのような地球に来ることができる高等な知識、技術、武器を持った人たちが、昔の人たちに神として崇められたことも十分可能性があると思います。例えば、旧約聖書の神は「我はねたむ神である」というような言葉が書かれており、苫米地先生が「けっこう煩悩あるじゃん!」と発言されている通り、それは決して全知全能の神ではないように思います。

さて、この本でベリー西村氏は日本人のルーツについて下記のように書いています。
現住海洋民族:もともと日本に住んでいた民族。秦(はた)一族の侵攻により北海道、沖縄に追いやられる。
物部一族:支那大陸の秦(しん)の始皇帝が日本に送った徐福一行の子孫でシュメール血統(龍族の血統を引き継いでいる)。
藤原一族:ユダヤ十支族の子孫で、源氏となる。
蘇我一族:ペルシャ系弓月一族の子孫で、平氏となる。

もともと日本には①の海洋民族が住んでいましたが、紀元前230年頃、②の物部氏が日本に上陸し住み着きました。紀元前210年から120年にかけて(③藤原一族+④蘇我一族)である秦(はた)族が、九州に上陸したと言われています。(秦とは「かき集められた民」という意味でユダヤ十支族の末裔、ペルシャ系末裔、シュメール末裔(混血)の総称)

それでは、この本に書かれている日本のルーツをまとめてみます。
①16,000年前、現在のアイヌ、沖縄人の祖先が海洋民族として青森文明を創った。(太平山元遺跡)当時の日本の人口は15万人、地球全体でも700万人であった。
②そこに龍族という金星経由でやって来た地球外人が飛来し、海洋民族と遺伝的な交配が行われ青森文明を興した。龍族の宇宙船の想念波動を増幅するためには金(Gold)とピラミッドが必要だった。日本では、皆神山(長野県)、位山(岐阜県)、尖山(富山県)笠置山(岐阜県)、沖縄の伊是名島海底などを造る。沖縄の伊是名島海底の3つのピラミッドをプロトタイプとしてエジプトのピラミッドを作った。(約10,000~13,000年前)
③その後、青森を地震、津波が襲い7,000年前頃に飛騨高山を主として日本列島に散らばった。
④青森海人は、その地からシュメールに移動してシュメール文明を造った。
⑤5,000年前に火星、月経由で飛来した別の地球外人(蛇族)がエジプトに飛来し、龍族と対立した。蛇族の宇宙船は真空重力エネルギー磁場を利用していたので、ピラミッドは不要であった。クリスタル、ヘマタイトを求めて地球に飛来した。その後、蛇族はエジプトから追い出されカナンに移動し、その後大部分が離散した。
⑥ペルシャ、インド、キルギス、弓月国を経由したシュメール人の末裔の一人が秦(しん)の始皇帝となった。
紀元前230年頃、始皇帝は、徐福に命じて秦一族から血統の正しい者たち3,500人を選ばせて、龍族の「純血」を守るために日本に85隻の船で移住させた。本隊は三重に上陸。一部は佐賀、鹿児島、宮崎、丹後、四国、和歌山、能登、駿河に上陸し、その地で文化、技術、信仰、医薬、天文、稲作、鋳造技術などを広めた。
⑦秦帝国崩壊により、漢民族に弾圧を受けた軍人の秦(はた)一族60万人が約90年かけて結集し北九州に渡った。秦とは「かき集めた人々」という意味で、純血ではなく中東、西アジア、東南アジア、シベリア大陸の混血した民族が含まれる。
・秦混成軍によって、大量の鉄剣や鎧が日本に持ち込まれた。(当時の日本の人口は約20万人)
・紀元前120年頃、平和に暮らしていた龍族の純血民は銅剣で対抗したが、鉄剣には抵抗できず九州全土を制圧された。
・紀元前110年頃、ペルシャ系軍団が中国地方、四国地方へ侵攻を開始。その後、190年かけて四国の徳島に本拠地を置く。徳島を選んだ理由は「邪馬台(ヤマトゥ)国」に最も近く攻撃からも安全な場所だったからである
「ヤマトゥ国」は徐福末裔(物部純血一族)たちが治めていた
・物部一族はシュメール哲学をベースに北斗七星、シリウス思想を神社を通して日本で広めていた。アフラ・マズダー(アマテラス)の天使は「巫女」であり太陽神に仕えていた。全国の巫女から6名を選んで大巫女とし、大巫女6名は特別に「日巫女」という職位で呼ばれていた。それを秦混成軍は卑弥呼と蔑称した
・紀元前80年から最大の激戦である出雲戦争が始まり、その後60年続いた。秦混成軍は戦闘では出雲を攻略できなかったため、水源と食料に毒を混ぜる戦略で出雲国王は死亡。兵士、住民の半数が死亡した。これに失意した龍族王、龍族は地球から離れた。
⑧秦混成軍は疲弊し、兵力は5万人を割り、ヤマトゥ国との戦闘できる力は無かった。しかし、ヤマトゥ国も出雲に大量の兵士、食料を供給していたので同様に疲弊していた。
⑨支那では魏が滅亡して司馬一族(ユダヤ十支族系末裔)の晋が興り、それにより同族である秦混成軍に鉄剣が大量にもたらされてヤマトゥ国との武力バランスが崩れる。秦混成軍はヤマトゥ国に降伏を要求し、ヤマトゥ国は降伏条件を出し受け入れた。(これが日本神話にある「国譲り」)
「国譲り」の条件は、「物部一族の存続」、「新朝廷への参加」、「出雲大社の再建」。
⑨秦混成軍はヤマトゥ国を征服し、大和朝廷を成立させた。古事記、日本書紀編纂後、漢字のみを使用すると定めた。しかし、制定後200年以上の間、地方では、これまで使っていた神代文字を使用していた。その後、藤原一族は日本に存在する神代文字の書物はすべて焼き払った

いかがでしょうか。 なかなか面白いと思いませんか?
興味ある方にはお勧めの本です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

2018年成就・イルミナティの悲願__英国誌「エコノミスト」予言の解読に成功!神との対話集夢研究者と神_神が語った睡眠・宇宙・時間の秘密洗脳―あなたが集団催眠から脱却する本です未来はすべて決定していた!_神様から教わった時間の秘密絶対入眠法_睡眠環境や精神状態に関係なく確実に眠ることができます神覚 _The Eighth Sense 〈第八感 〉_人に頼らず、ご自身で神様と対話してみませんかSTAP細胞は存在していた!_ 発覚!強奪されていた小保方晴子・世紀の大発見小保方晴子手記「あの日」への若山照彦の説明責任__日本人だけが知らないSTAP細胞、世界の現状

イスラエルの失われた10支族が日本に来ていた! 「この国の「深奥」の重大な歴史」 久保有政著 を読む [歴史の真実・陰謀論]

もう隠しようがない 日本人が知って検証していくべきこの国「深奥」の重大な歴史 ユダヤ人が唱えた《古代日本》ユダヤ人渡来説
今回は、日本人とユダヤ人との関係に関しての本です。

まず最初に断わっておきますが、さまざまな陰謀論で語られる「ユダヤ」は、いわゆる「フリーメンソン」のことで、これは人種的にも宗教的にもユダヤとは関係ありません。(詳しくは、「ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む」:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-05-29 をご覧ください。)
著者の久保氏は1955年兵庫県伊丹生れ、ユダヤ文化研家、古代史家で、日本とユダヤの関係の著書を多く書かれています。

日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人は同じ先祖を持つ)は、かなり昔から唱えられていますが、まあほとんどがトンデモ論の扱いだと思います。これが日本人=ユダヤ人という意味であればありえない話だと思いますが、この本で主張しているのは、
古代日本にイスラエル人(ユダヤ人)が渡来し、神道や天皇制、また日本人の特徴となる伝統文化などをもたらした」ということです。そして、その説が日本人だけでなく多くのユダヤ人からも唱えられています。この本は、そのユダヤ人たちの主張をまとめたものです。

この本でいう「ユダヤ人」は「古代イスラエル人」のことです。
かつて古代のイスラエル民族は、紀元前10世紀には12支族からなる統一王国をつくっていた。だが、そののち南北に分裂。「北王国イスラエル」には10支族がついたが、アッシリア帝国によって捕囚され[紀元前722年]、そののち世界に離散した。
一方、「南王国ユダ」の人々は、のちに「ユダヤ人」と呼ばれる人々であるが、バビロン帝国やローマ帝国によるエルサレム破壊などの憂き目を経験し、さらに約1900年間の世界への流浪を経験したのち、ついに1948年、祖国の地に「イスラエル共和国」を建国した。
彼ら南王国ユダの子孫=ユダヤ人は、同胞である「イスラエルの失われた10支族」を探し求めてきた。

この本では、5人のユダヤ人を紹介しています。
ラビ・マービン・トケイヤー(1936年~):東京広尾の日本ユダヤ教団のラビ(教師)
ヨセフ・アイデルバーグ(1916~1985年):イスラエル防衛軍士官。京都の護王神社の見習い神官となり日本の伝統を研究。7ヶ国語を話す。
ラビ・エリヤフ・アビハイル(1932~2015年):「イスラエルの失われた10支族」の調査、およびイスラエルへの帰還を支援する特務機関「アミシャーブ」の創設者。
アビグドール・シャハン(1933年~):教育者、文学者、歴史家。
エリ=エリヤフ・コーヘン(1949年~):ユダヤ教司祭の家に生まれる。元イスラエル大使。

⑤のエリヤフ・コーヘン氏は、このブログで紹介した「キリストの墓」にエルサレム・ストーン(石灰岩)を寄贈した方です。(「30年ぶりにキリストの墓を訪ねる」 http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15 参照)

これらの人たちは、日本に来て日本の神道や生活様式、考え方や神話の内容がユダヤ人のそれと驚くほどの類似性があると感じています。

●旧約聖書と古事記、日本書紀の内容の類似
●カタカナとヘブル語の表記の類似
●日本語と古代ヘブル語の類似(数多く提示されている)
●日本の神社とイスラエルの神殿の類似
・日本の御神輿(おみこし)とイスラエルの契約の箱が似ている。
・日本の神社は手水舎で禊をおこなうが、ユダヤ教でも死者や出血、汚れ、病気などを穢れたものとみなし、それらに触れた場合清めの行為が必要。
・日本の神社の神官の装束と古代イスラエルの祭司の服装が似ている。
・諏訪大社の御頭祭と聖書にあるモリヤにおいてアブラハムがイサクを神に捧げようとした話が酷似している。(諏訪大社の御神体は「守屋山(モリヤ山)」である)

ユダヤ人は、現在でも「イスラエルの失われた10支族」の調査を続けており、その多くはシルクロード沿い(アフガニスタン、パキスタン、中央アジア、北インド、ミヤンマー、中国)などで見つかっているそうです。そしてそのシルクロードの終着点である日本に到達したであろうことは間違いないと考えています。

その日本に来たユダヤ人は「弓月の民」=「秦氏」であろうと言われています。秦氏は京都の太秦に移住したと言われています。太秦には大辟神社(おおさけ神社、現在は大酒神社と書く)があり、大辟は、イスラエルの王ダビデの中国語表記と同じだそうです。

私は、30年以上前に恐らく(詳細は失念)ヨセフ・アイデルバーグ氏の本を読みましたが、「話としては面白いけど...。」という印象でした。しかし、今回の久保氏の本を読み、少なくとも古代において日本がユダヤ人の影響を受けていることは間違いないと思いました。

興味ある方にはお勧めの本です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

日本とユダヤ 聖徳太子の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)神道のルーツとユダヤ 日本の神道と伝統的風習の起源は古代イスラエル人!神道の中のユダヤ文化 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)仏教の中のユダヤ文化―聖書から見た釈迦の教えと聖徳太子伝説 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)

本物の塩は美味しい! 「すごい塩」 白澤卓二著 を読む [健康]


長生きできて、料理もおいしい! すごい塩すごい塩―――長生きできて、料理もおいしい!
← Kindle版です。

今回は、塩の話です。

著者の白澤卓二先生の略歴です。 1958年神奈川県生まれ。千葉大学医学部卒業後、老化ゲノムバイオマーカーの研究を行う。順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。医学博士。
このブログでは、(「砂糖」をやめれば10歳若返る! 白澤卓二著 を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-03-31)を紹介しました。この本で、先生は「砂糖はソフトドラッグだ!」と主張されています。また、最近ではココナッツオイルを使ったダイエット法でよくTVにも出ていますね。また、以前このブログで紹介したジョコビッチの本に解説文を書かれています。

今年のGWに八幡平に行った時に、たまたま三陸「宮古の塩」を買ってきました。この塩が荒塩で、そのまま食べても美味しかったので、すっかりはまってしまいました。とは言え、塩はあまり摂ると体に悪いと思っていたのですが、前述のジョコビッチの本や「自分を変える最強の食事」に海塩を積極的に摂取していることが書いてあり、興味を持ちました。
そんな時、たまたま見たTVで九州の天草の昔ながらの製塩法で作っている塩の紹介をやっていたので、早速Webで注文しました。(「通詞島の釜炊き塩」) また、8月に北海道に行った時には、網走で「オホーツクの塩」を買ってきて、現在はこれを使っています。(下の写真)

ohotsuku.JPG特に「自分を変える最強の食事」では、著者は朝の起きぬけに水に溶かした小さじ1/2~1杯の海塩を摂ることで夜までのエネルギーを高くキープできている、と書かれています。私もさっそく試してみましたが、とてもいい感じです。ただし、これは通常の食塩でやってはダメです!。かならず「海塩」を使って下さい。

さて、食塩と海塩の違いはなんでしょうか?
日本では1971年まで伝統的な製法で塩が作られていましたが、1971から1972年にかけて塩を作るための施設が日本政府の方針で閉鎖になりました。これ以降、塩専売公社のみが塩を作り販売して良いことになり、塩と言えば、専売公社の作ったのはまったくミネラル分のない「精製塩」(純度99.9%)となりました。このNaClは、食品というよりは工業製品です。

海塩は、伝統的な塩田で天日干ししたり、平釜で海水を蒸発させたりして作ったもので、海水に含まれるマグネシウム、カリウム、カルシウム、ナトリウム、塩素、セレン、銅、亜鉛など必須ミネラルが含まれています。ミネラルの摂取はバランスが重要で、精製塩(食塩)だけを摂るとナトリウムとカリウムのバランスが崩れて高血圧などの病気の原因になります。

この本で白澤先生は、おすすめの海塩として「わじまの海塩」、「ひんぎゃの塩」を挙げています。いずれもマグネシウム、カルシウムが豊富だそうです。
私が試した、「宮古の塩」、「オホーツクの塩」、「通詞島の釜炊き塩」と比較してみましょう。

マグネシウム カルシウム
わじまの海塩 295mg 527mg
ひんぎゃの塩 2,000mg
宮古の塩 220mg 71mg
オホーツクの塩 600mg 510mg
通詞島の釜炊き塩 625mg 124mg
(いずれも100g当り)

このようなミネラル分を含んでいるため、なめてみると食塩の単なるしょっぱさではなく、まろやかでこくがあり、少し甘味を感じます。

「敵に塩を送る」という言葉があるように、塩は本来私たちが摂らなければ死んでしまうもので、過剰摂取はないそうです。海塩はマグネシウムを多く含むので、摂取しすぎると「えぐみ」を感じてそれ以上は食べたくなくなるし、仮にたくさん摂取したとしても水分さえきちんと摂っていれば余計な塩分は排出されるそうです。

白澤先生は、この本で一般に言われているような高血圧の原因など「塩が体に悪い」ことを裏付けるデータは1つもない、と書かれています。逆に、極端な減塩は体のだるさ、筋力、気力の低下、立ちくらみの原因になります。また塩が不足すると脳卒中、心筋梗塞などの病気の原因にもなるそうです。

先日、たまたま麻布十番を歩いていたら「塩屋」という塩専門のお店があり驚きました。(http://www.shop-ma-suya.jp/)中を覗いたら、日本中どころか世界中の塩を売っていました。それぞれの塩の味を確かめることもできるようです。私の使っている「オホーツクの塩」、「通詞島の釜炊き塩」も売っていました。お店の中を見て回るだけでも楽しめます。塩をトッピングするアイスクリームもイートインできるようです。
本物の塩を求める人が多いということですね。

健康に興味や心配がある人はぜひ読んで欲しい本です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


能登わじまの海塩500g通詞島の釜炊き塩 400gオホーツクの塩 オホーツク海水100%青ヶ島の自然塩【ひんぎゃの塩】240g



「ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!」 福田一典著 を読む [健康]


ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!―今あるがんが消えていく『中鎖脂肪ケトン食』ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!← Kindle版です。


今回は、がんの治療に関する本です。

著者の福田一典氏は、1953年福岡県出身。熊本大学医学部を卒業後、米国バーモンド大学医学部生化学教室に留学し、がんの分子生物学的研究を行い、1992年から(株)ツムラ中央研究所研究部長(漢方薬理の研究)、1995年国立がんセンター研究所等を経て、2002年に銀座東京クリニックを開設し、がんの漢方治療と補完・代替医療を実践しています。

現在、1年間に70万人ががんと診断されていて、がんで死亡する人は35万人だそうです。つまりがんの治療率は5割を切っているそうです。一般にがんの治療の基本は小さい時に完全に切除することで、進行した状態ではがんの根治は困難と言われています。また、抗がん剤による治療は、正常細胞もダメージを受けるので健康な人でも耐えられないような副作用があることが問題となっています。

このブログでがんにはビタミンCが効くことを紹介しました。(「ビタミンCの大量摂取がカゼを防ぎ、がんに効く 生田哲著 を読む」http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03
この本は、そのビタミンCの効果をさらに上げる方法を紹介しています。

この本の主張は、「がん細胞はブドウ糖を絶てば死滅する」ということです。

がんの民間治療として絶食療法は昔から知られていたようです。これは食事を制限した時に、人間の体は生命維持のためのエネルギ―供給(脳や心臓など重要な臓器)を優先するため、がん細胞に栄養が行かなくなるというロジックのようです。このブログでも紹介した石原結實先生は、がんは長年の高脂肪食の食べ過ぎによる血液の汚れが原因と主張されていますので、この絶食による血液の浄化、がん治療の効果は確かにあるように感じます。

この本によると、がん細胞はエネルギーとしてブドウ糖しか利用できないそうで、ブドウ糖を制限するとがん細胞が死滅するということです。最近ダイエットでよく行われている「糖質制限」を行うことで、体内に代替エネルギーとして脂肪酸が分解してできる「ケトン体」が造られます。体内の正常細胞は「ケトン体」を利用できますが、がん細胞はケトン体をエネルギーとして使うことができないので、痩せ衰えて行くそうです

そして、がん細胞の唯一のエネルギー源であるブドウ糖と構造が似ているのが、ビタミンCです。糖質制限を行っている状況でビタミンCを大量(25~100g)を点滴する治療を行うことで、がん細胞がビタミンCをブドウ糖と間違えて取り込みビタミンCが発生する過酸化水素によって死滅することになり、ビタミンC療法の効果が上がると言われています。

【私が愛用している仙台勝山館のMCTオイルです】
仙台勝山館 MCTオイル 360g <ココナッツベース100%>
この糖質制限は、1920年代に米国メイヨークリニックで「ケトン食療法」が発案され、この時は、90%以上のカロリーを脂肪から摂取していたそうです。1960年代には、中鎖脂肪酸によってケトン体の再生効率が上がったため、脂肪摂取割合は50%に下がったそうです。中鎖脂肪酸は、以前紹介した(究極のダイエット - 脂肪を摂るとやせる!  シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-06-06)で書いたように、私もダイエットで利用しています。ココナッツオイルやMCTオイルを摂取することで、体内でケトン体を作ることができます。中鎖脂肪酸の良い所は、通常はブドウ糖が枯渇した時に生成されるケトン体がブドウ糖があっても生成されることです。(がん治療にはダメですが…。)
極端な糖質制限はいろいろな弊害もありますので、『シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」』では、必要な炭水化物も摂りつつ、ケトン体による脂肪燃焼効果を得るため、この中鎖脂肪酸を強力な武器としています。

しかし、このように昔から知られている有効で簡単ながん治療が、なぜ現在主流になっていないのでしょうか? やっぱり効果が無いんじゃない? とみなさん疑問に思うでしょうね。私もそう思いました。

いろいろな理由を考えてみましたが、やはり「医者や製薬会社が儲からないから」というのが大きな理由ではないでしょうか? 糖質制限、中鎖脂肪酸(ココナッツオイル、MCTオイル)、ビタミンCなどダイエットの延長でがんが治ってしまうと困る人たちが沢山いるのだと思います。(あくまでも私の意見ですので、ご自分で判断して下さい)

がんの多くは生活習慣病と言われています。健康的な食生活、日常生活を行うことで病気が治るというのは、至極当然ではないでしょうか?

この本の中には専門的な化学式が沢山出てきて読みにくい部分もありますが、健康に興味がある方にはお勧めの一冊です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

やせる! 若返る! ケトン体食事法がんに効く食事 がんを悪くする食事医療大麻の真実  マリファナは難病を治す特効薬だった!恐怖 有毒ミネラルにあなたは殺される!―ガン専門医が、業界の圧力に屈せず、「緊急告発」 (危険警告Books)決定版!抗がんサプリメントの正しい選び方、使い方


夏の北海道 女満別 - 知床 - トドワラ - 美幌峠 (2016年) [北海道]

さて、今年の夏も北海道に行ってきました。
今回は、天気が今一つで残念でした。釧路にも行ったのですが、その日は土砂降りの雨で釧路湿原の写真を撮ることができませんでした。(- -;

関東地方ではもう見られないアジサイがきれいに咲いていました。
DSCF4649.JPG
お決まりの女満別のメルヘンの丘です。曇っていて残念でした。
DSCF4666.JPG
網走にある「オホーツク海に一番近い駅」、北浜駅に行ってきました。
DSCF4683.JPG
壁一面に訪問した人たちの名刺や切符が貼られています。天井にはどうやって張ったのでしょうね。(笑)
DSCF4686.JPG
駅舎は喫茶店になっており、ランチを食べました。カレーが美味しそうでしたが、せっかく北海道に来たので大好きな「いも餅」にしました。普通のお餅に見えますが、箸で簡単に切れるほど柔らかくて美味しかったです。
DSCF4688.JPG
右に見えるオホーツク海に沿って線路が延びています。見えているのは網走方面です。
DSCF4696.JPG
世界遺産の知床のウトロの手前にあるオシンコシンの滝です。水量が多くて迫力がありました。
DSCF4740.JPG
この日の目的である、「純の番屋」です。北見の実家からおよそ150Kmの距離です。
DSCF4768.JPG
ウニ、いくら、カニの三色丼を頂きました。とても美味しかったですが、ウニをもう少し食べたかったのでウニ、いくら丼にすべきでしたね。(^^)
DSCF4764.JPG
カキとホタテも合わせて食べました。こちらもとっても美味でした。
DSCF4762.JPG
店内は、こんな感じです。この店、最初にカウンターの所に行って店員のおばさんに注文するのですが、このおばさんすごいです! 後から来たお客さんがシンガポールから来たことが分かるとメニューの説明がすぐに日本語から英語に切り替わりました。恐るべし! お客さんの半分くらいはアジア系の方でしたね。
DSCF4759.JPG
帰りは中標津の方を通って帰りました。せっかくなので「地球が丸く見える」開陽台に行ってきました。久しぶりにきましたが、本当に地平線が丸く見えます。
kaiyoudai.JPG
遠くには国後島も見えました。
DSCF4811.JPG
野付半島にも寄りました。カメラのバッテリーを充電し忘れて、この一枚しか撮れませんでした。せっかく来たのに痛恨のミスです。これは「トドワラ」ではなく「ナラワラ」です。
DSCF4809.JPG
途中でキタキツネに遭遇。それほど痩せてなくてきれいな狐でした。
fox.JPG
さて、私にとっては必須の「美幌峠」です。今回は、新たな武器「XF10-24㎜ F4」を持ってきたので、何とか頂上から屈斜路湖の全景を撮影することができました。美幌峠を全部撮影するには、35㎜換算で15㎜の画角が必要ということですね。雲が低く、湖面にきれいに映っていました。
DSCF4836.JPG
35㎜換算の35㎜で撮るとこの画角になります。
DSCF4852.JPG
DSCF4845.JPG
私は、このクマザサに覆われたなだらかな風景が大好きです。
DSCF4853.JPG
こちらは和琴半島から屈斜路の湖面を見たものです。雲の低さが分かると思います。
DSCF4822.JPG
女満別空港です。周辺は麦畑です。時間のない方は、女満別空港周辺を一周するだけでもこのような道東の風景を満喫することができますよ。
DSCF4874.JPG

冒頭にも書きましたが、今回は雨が多くて天気の良い日があまりなかったのが残念でした。
まあ、また行きますから次に期待しましょう。

北海道旅行に関しては、
・夏の北海道 - 1 (流氷館 - 能取岬 - 美幌峠)(2015年)
・夏の北海道 - 2(摩周湖 - ちゃちゃワールド)(2015年)
・今年の北海道の夏は暑かった!(1) 旭川(雪の美術館) - 美瑛(青い池) 富良野 (2014年)
・今年の北海道の夏は暑かった! (2) 北見- 能取岬- 阿寒湖 オンネトー (2014年)
・3年ぶりの道東の旅 美幌峠 摩周湖 神の子池(2010年) 

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


羽田から北海道へ (2016年) [関東]

今年も北海道に帰省してきました。羽田は天気が良くて暑かったです。

羽田空港第二ターミナルのレストランの席でモーニングを食べながら撮影できました。
DSCF4361.JPG
第二ターミナルなのでANA機が多いです。
DSCF4395.JPG
30分だけ展望デッキで離陸を撮影しました。
DSCF4490.JPG
haneda5.JPG
haneda2.JPG
haneda1.JPG
搭乗した飛行機から撮影しました。
DSCF4512.JPG
上空からみたディズニーランドです。右側がディズニーランドで、左側がディズニーシ―です。
dysney.JPG
東京の上空は厚い雲で覆われていました。
DSCF4542.JPG
北海道の女満別空港付近です。左側に見えるのが女満別湖(網走湖)です。
DSCF4921.JPG
女満別周辺の風景です。
DSCF4916.JPG
DSCF4912.JPG
DSCF4640.JPG
DSCF4638.JPG
女満別から羽田に帰る時の着陸寸前に撮影しました。離陸待ちをしている飛行機ですね。
1.JPG
東京はやはり暑いです。夏の雲がすごかったです。
2.JPG

今回は、行きも帰りも窓際に座れたので景色を楽しむことができました。

北海道旅行に関しては、
・夏の北海道 - 1 (流氷館 - 能取岬 - 美幌峠)(2015年)
・夏の北海道 - 2(摩周湖 - ちゃちゃワールド)(2015年)
・今年の北海道の夏は暑かった!(1) 旭川(雪の美術館) - 美瑛(青い池) 富良野 (2014年)
・今年の北海道の夏は暑かった! (2) 北見- 能取岬- 阿寒湖 オンネトー (2014年)
・3年ぶりの道東の旅 美幌峠 摩周湖 神の子池(2010年) 

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。

今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

力道山との確執
以前、このブログで梶原一騎先生の「男の星座」を紹介しました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04) 最近はKindle版で読めるようになりました。この作品で、梶原先生を取り巻く、太陽である力道山、月である大山倍達を軸に話が進んでいきます。
本篇は、昭和29年12月22日の東京蔵前国技館の力道山VS木村政彦の”プロレス巌流島の決闘”から始まります。ご存じのように力道山の裏切りによって木村が敗北した試合の後、力道山に喧嘩を売った大山倍達が登場します。この辺はおなじみのシーンですね。前半は、この力道山と大山倍達との交流を中心に描かれています。みなさんすでにご存じのように、この二人とも朝鮮半島から渡って来たという過去を持ちます。しかし、この「男の星座」では、力道山の過去は明らかにしていますが、大山倍達の過去に関しては描かれていません。この辺りは、まだ大山氏に対する遠慮があったのかも知れませんね。(上記ブログより)
いろいろな経緯があり喧嘩別れで極真会を離れた梶原先生も真樹先生も大山倍達が韓国出身だということに関しては一言も触れていません。これは、お二人の大山館長に対する最大限の配慮があったのだと思います。
一九五四年七月特別号の『オール讀物』(文藝春秋)において力道山と大山倍達の対談が行なわれた。「サムライ日本」というタイトル通りに、二人は終始日本人として振る舞い、最後まで朝鮮・韓国の話題に触れることはなかった。
この対談は、何かの特集で読んだ覚えがあります。この対談が後に二人が決定的に対立するきっかけになりました。この二人は、同じ半島出身ということで、以前から面識があったようです。二人とも半島出身であることを隠していたことは共通していますが、その徹底度合いがまったく違ったようです。力道山は、朝鮮訛りを徹底的に排除しましたが、大山倍達は五十年以上日本に住んでいたにもかかわらず韓国訛りの日本語を話していました。
しかし、力道山は大山とまったく正反対だった。彼は自らの出自の漏洩を避けることに神経を尖らせ続けた。その異常さゆえに、後年の力道山は精神的な病に冒されるほどだったと言われている。また、そんな彼の意識が自らの死期を早めた遠因であると語る関係者は少なくない。

その二人が冒頭に挙げた力道山と木村政彦との一戦の後に大山倍達が激怒し、力道山に挑戦状を叩きつけ、周囲の人たちに制止されると、その後力道山と一対一の勝負を付けるためにつけ狙ったことが大山倍達の本に書かれています。力道山対木村戦の時、大山倍達が力道山に挑戦したのは、力士出身の格闘技評論家である小島貞二氏の著書に書かれているので、本当だと思っていましたが、その後も力道山を付け狙ったというのは大山氏の本とそれをベースにした梶原先生の「空手バカ一代」に書かれているだけなので、正直言って疑っていました。しかし、本当の話だったようです。
その後も、大山は小島貞二や門茂男が言うように力道山を付け狙い続けた。一九五〇年代頃から大山と親交があり、町井久之のもとで活動していた秋元明は次のように証言する。「大山さんが力道山に挑戦状を突き付けて何度も試合を迫ったのは本当です。大山さんはマスコミの人たちに力道山と戦いたいと吹聴して回りました。それで、この話が大事になってしまったのです。
ただし、「空手バカ一代」を読むと兄と慕っていた木村政彦が力道山にやられたので、その仇打ちという意味付けで描かれていますが、実際の理由は異なるようです。前述の雑誌『オール讀物』での対談での腕相撲が原因とのことです。
すると大山さんの怒りはまだ収まっていないようで、『力道は絶対に許せん』と言い張るので驚きました。大山さんが言うには、ある雑誌の対談で力道山と会ったが、余興として最後に腕相撲をすることになったそうです。互いの立場を立てて引き分けにしようと申し合わせていたのに、記者が写真のシャッターを切る瞬間、突然力道山が猛烈な力を入れて大山さんは負けてしまいました。
つまり、兄と慕う木村政彦の仇打ちではなく、自分のメンツのために挑戦したというのが本当のようです。木村戦も大山倍達との腕相撲の話にしても、力道山があらかじめ決めていた約束を破って自分が勝つという汚いやり方をしたので、大山倍達が「力道山は許せん」となったということのようです。
それに対して周囲の人たちは、どう思っていたかと言うと、
正直、民団関係者のほとんどが実際に二人が戦えば確実に大山さんが勝つし、力道山はプロレスラーとして活動が出来なくなってしまうと信じていました。ただ、そうなると今度はプロレスを興行するヤクザ関係者まで巻き込んでしまいます。ヤクザと揉める方が問題だと小浪さんが言い出して、そこで小浪さんと町井先生と曺(寧柱)先生の間で相談し、何とかして二人を仲直りさせなければならないということになったのです(秋元明)
結局、大山倍達と力道山とのトラブルは、力道山の興行を仕切っている日本のヤクザと朝鮮の建青・民団などの抗争につながる可能性があったため、曺寧柱と町井久之が両者の間に入って必死に和解させたようです。力道山と木村政彦の世紀の一戦において力道山が裏切って勝利した時も木村の後援をしていた暴力団員が力道山をつけ狙ったそうですから、巨額のお金が動くプロの興行というのは複雑なものです。
ちなみに力道山は、ヤクザに対しては常に低姿勢だったそうです。
力道山はヤクザに対していつも低姿勢で媚びるようなところがありました。町井先生に対しても同様でした。
最強のステゴロと言われた花形敬の映画『疵』で「「力道山も恐れた男」として語り継がれる伝説の都会派ヤクザ」と宣伝されていましたが、力道山は花形に限らずヤクザに対しては低姿勢だったようですね。

②学歴詐称の件
大山倍達は、拓殖大学と早稲田大学に通ったことになっています。
大山が拓殖大学に入学したことを疑う人はほとんどいないが、早稲田大学への入学については大山特有の大言であると一笑に付す関係者は多い。
しかし実際には、拓大入学が嘘で早稲田大学への入学は事実だったそうです。普通に考えれば逆だろ? と思いますが、大山館長としては武道家としては早稲田大学よりも木村政彦の通っていた拓殖大学の方がふさわしいと考えていたのかも知れません。

③佐藤栄作元首相との関係
大山館長の初期の頃の本を読むと佐藤栄作元首相の写真が出ていたので、子ども心にどのようなつながりがあるのか不思議に思っていました。大山館長は、毛利松平氏の紹介で佐藤大臣のボディーガードをやっていたそうです。
一九六一年、池田勇人内閣で通産大臣を務めた佐藤は念願の首相の座に向けて積極的な活動を開始する。その際、大山は佐藤のボディガードを務めたと言われている。「毛利松平氏の紹介だったということですが、大山さんは一九六〇年代初期、佐藤栄作氏のボディガードをやっていました。それは間違いありません。それで、当時のお金で五百万円以上を極真会のビル建設資金としてもらったと聞いています」(鄭達鉉談)

④真樹先生の『大山倍達との日々』への対策に関して
このブログでも紹介した真樹先生の『大山倍達との日々』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-03-20) に対して、やはり大山館長は激怒していたようです。館長は、小島氏に真樹先生の本に対する反論の本を書かせようと考えていたようですが、小島氏は固辞しました。
「真樹の本に私自身が反論するのは大人気ない。だから、これは私以外の人間が書いた形にしなければならない。そこで小島にその本を書いて欲しいんだ」
私には大山の申し出を受ける気持ちは最初からなかった。私が著者となる書籍で、たとえ大山とはいえ他人の意向に則った幇間のようなものは書きたくなかったからだ。しばらく考えるふりをした後、私は婉曲に断った。大山の再三の要請にも私は首を縦に振らなかった。大山は怒りながらも最後には諦めた様子で、「私の命令を正面から断ったのは芦原(英幸)と小島だけだよ」とこぼし、「それじゃあ、他に誰か書き手はいないかね?」と訊いてきた。
この時、小島氏は郷田勇三氏を推薦したそうですが、結局は当時館長の秘書業務を行っていた北海道支部長の高木先生が書かされることになったようです。

大山倍達、極真会館に興味がある方には必読の書だと思います。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

芦原英幸正伝大山倍達の遺言極真空手 黒沢浩樹-最後の超人伝説芦原英幸伝 我が父、その魂芦原英幸正伝格闘家に告ぐ!実戦格闘技論
最強格闘技論(リアルバトロジー)

大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。


今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

私のように昭和30年代に生れた男たちは、梶原一騎先生原作の「空手バカ一代」に多大な影響を受けてきました。そして、私を含めて多くの人たちは大山倍達にあこがれて、極真会館に入門して空手を学んだと思います。私にとって大山倍達は神のような存在でした。現在では、内容の多くの部分が梶原先生の創作によるものだということが通説になっていますが、その当時は考えもしませんでした。

そして、中学生になると漫画だけではなく、大山倍達に関する本をかたっぱしから読んでさらに大山館長へのあこがれを強くしていきました。しかし大山館長の本を読んで行くうちに子ども心にもいくつかの疑問が湧いてきました。それは、「なぜ本によってこんなに文体が異なるんだろう?」ということです。これは、今考えると何人かのゴーストライターが書いているのだから当り前なのですが、その当時の中学生には理解できないことでした。(真樹日佐夫先生も何作か書いていました)

その他にも気になった(違和感を感じた)点がいくつかありました。
①大山館長は石原莞爾の主催する東亜連盟に加わっていると本に書いてあること。空手と関係があるのだろうか?
②「日本人たるものかくあるべし」とか「日本男児として云々」ということが必要以上に強調されていること。おそらく大山館長はそれほど日本を、日本人を愛しているのだろう...。

この2点に関しては、その後ずっと気になっていましたが、今回紹介する本を読んでようやく納得できました。大山館長の伝説はほとんど梶原先生が創作したような言われ方をしていますが、それがまったく間違いであることが分かります。
大山倍達の人生を辿った私たちの「旅」は、ある意味で巷間に知られる「大山倍達伝説」の反証の連続だった。「伝説」のなかで描かれる大山倍達の姿は、ほとんどが「虚像」だったのである。
 大山は一九五〇年代初頭から、メディアを利用することで「空手家・大山倍達」の偶像化を試み始めた。同時に、大山は自らの手によって、現在も語り継がれている「大山倍達伝説」を創作した

大山倍達は、日本統治時代の朝鮮(現韓国)で生れた「崔永宜」であり、厳格な親に反発して勘当されて日本に渡り「空手家・大山倍達」として大成します。大山館長が韓国人であることは、もうすでに周知の事実であると思いますが、その半生を朝鮮の民族運動にささげていたことはこの本で初めて明らかになりました。そしてその民族運動に関わったのは、大山氏の師匠である曺寧柱の影響でした。
大山倍達を語るとき、避けることの出来ない存在が曺寧柱であることはいまさら言うまでもない。だが、「大山倍達伝説」関連の視点で捉える曺の姿は、多分に「空手家」としてのイメージが強い。しかし、曺の真の姿は「空手家」としてより、むしろ「民族運動家」にこそある。

そして、曺寧柱は、「五族協栄」「民族協和」による民主的な国家運営をするという石原莞爾の思想に影響を受け、熱心な信奉者となります。石原は戦後地元の酒田で病気の療養をしていましたが、GHQにより呼び出されて酒田法廷で証言をします。この時に石原を乗せたリヤカーを引いていた若者の一人が大山倍達であったこと初めて知りました。
しかし、大山倍達には曺寧柱のような思想はありませんでした。
大山には決して民族主義者のような思想もなく、朝連と対決しなければならないイデオロギーもなかった。ただ戦うことに酔っていた。一度に何人を倒せるのか、どの技が敵を倒すために有効なのか……。それだけが大山を朝連との抗争に駆り立てた唯一の理由だった

その当時、在日朝鮮人の民族団体は、共産主義革命を主張し政治的色合いの濃い「在日朝鮮人連盟(朝連)」と民主主義の立場から朝鮮人自身の手で朝鮮建国を目指す「在日朝鮮建国促進青年同盟(建青)」および「在日本朝鮮居留民団(民団)」が対立していて激しい抗争を繰り返していました。
朝連と建青・民団はことあるごとに衝突した。それは「殲滅戦」と言ってもいいほど、徹底した暴力による抗争だった。双方数百人におよぶ激闘に発展することもしばしばで、棍棒や刃物などの携帯は当たり前、ときには拳銃やライフルなどの銃器さえ使われた。もちろん抗争による死傷者は続出し、それは現在、私たちが映画などで観る「暴力団同士の抗争」を遥かに凌ぐ過激さだった。そんな抗争劇が数年間続いたのである。

そのような状況の中、建青のメンバーとして、建青を守るという大義名分を得た大山氏は戦闘隊長としてボクシングや空手を使って自ら抗争に明け暮れ、朝連を相手に戦うこと自体に喜びを感じていました。
前日、MPの出動によって攻撃を阻止された朝連は、建青の完全な殲滅を画策し、百五十名にもおよぶ青年隊を送り込んだ。大山たち応援隊がきたとはいえ、対する建青は朝連の三分の一に満たない五十名程度で応戦することを余儀なくされた。(中略)
大山は意気揚々と朝連青年隊に対峙した。ボクシング、空手で鍛え上げた大山の強さを知らない青年隊は、一斉に大山に殴りかかってきた。なかには棍棒や鉄パイプを持った者たちもいた。ところが、大山は相手の攻撃をものともせず、次から次へと朝連青年隊を殴り倒していった。大山にはもはや武器も通じなかった。この乱闘事件で、大山は数十名の朝連の青年隊員に重傷を負わせることになる。

この時、大山氏は同じ在日朝鮮人である東声会の町井久之と一緒に戦い、その後も交流を持っていました。大山倍達伝説の一つの「戦後ヤクザの用心棒をしていた」という話がありますが、当時は朝鮮人と日本人ヤクザとは敵対していたため、日本のヤクザの用心棒をする可能性は低く、これは町井との関係のことを言っているようです。
朝連との抗争で、町井一派と大山さんが一緒に出ていくと、それだけで朝連は総崩れでした。戦う前に相手は怯んでしまうんです。朝連にとっては大山さんと町井さんの二人が目の上のタンコブだったんです。大山さんと町井さんが朝連の本部に乗り込んでいって、道場破りのように朝連の看板を持ち帰ってきたこともあったくらいです」(鄭達鉉談)

大東亜戦争中は、日本人に同化し、日本人として一緒に戦っていた朝鮮人ですが、終戦後は戦勝国でも敗戦国でもない第三国人として無法の限りを尽くしました。
終戦当時、集団で大手を振る朝鮮人と正面からわたり合えたのは日本人ヤクザや愚連隊だけだった。後に日本最大の広域暴力団・山口組三代目組長となる田岡一雄は、『山口組三代目 田岡一雄自伝〈電撃篇〉』(徳間書店)のなかで次のように記している。《現在ではとうてい考えられぬことであるが、当時はそれほど警察は三国人に対して無力だったのである。三国人の暴虐非道に対して身を挺して楯となり、防波堤となったのは全国のやくざであった。(中略)われわれが率先して治安を守らなければならぬ時代だったのだ》
大山が渡日してから死去するまでの五十数年間のうち、最も「朝鮮人」「韓国人」らしく生きていた時代だ。同時に、自らを日本人として描いた「大山倍達伝説」においては、何よりも隠蔽したい時代でもある。また、皮肉にもこの時代があったからこそ「大山倍達伝説」は生まれたとも言える。何故なら、大山にとっての民族運動は「空手修行」と直結していたからだ。

このような時代に、大山倍達は朝連との抗争という大義名分を得、生き生きと自らの強さを追求していたのです。

まだまだ書きたい内容がありますので次に書きます。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

芦原英幸正伝大山倍達の遺言極真空手 黒沢浩樹-最後の超人伝説芦原英幸伝 我が父、その魂芦原英幸正伝格闘家に告ぐ!実戦格闘技論
最強格闘技論(リアルバトロジー)

大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



前回の満洲事変から日本は、中国大陸での関東軍の軍事行動が続き、盧溝橋事件をきっかけとして支那事変の泥沼に引きずり込まれてしまいます。その原因ですが、今回は結論から書きましょう。
断言します。大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿とその側近たちです彼らが中華民国との泥沼の戦いに日本を引きずり込み、それだけでは飽き足らずに対米開戦を仕組んだのです。(下線は引用者、以下も同様)

それでは、近衛文麿の経歴と功績を書いてみましょう。
◆皇別摂家(近衛家・一条家・鷹司家)の出身。(つまり天皇家の血筋)
◆45歳で首相になり、治安維持法違反の共産党員や二・二六事件の逮捕・服役者を大赦しようと主張し、周囲を驚愕させた。
◆盧溝橋事件で、戦線の拡大を渋る参謀本部に圧力をかけて強硬路線を進め支那事変を拡大させた
◆「支那事変中は発動しない」と約束して国家総動員法を公布し、一ヶ月後に施行した。
日独伊三国同盟を締結して大政翼賛会を発足させた。
◆近衛の側近である尾崎秀実がゾルゲ事件(ソ連のスパイのゾルゲに情報を流していた)で捕り総辞職した。

これを見ると、私たちが教科書で戦前の昭和の歴史の中で習う重要フレーズは、ほとんど近衛文麿がやっていたことが分かります。そして、近衛は日米関係修復の選択肢がほとんどない状況で東條英機にバトンタッチします。そのため、大東亜戦争の戦争責任はイメージ的には東條英機がほとんど一人で引き受けている状況です。東條さんとしても、恨んでも恨みきれないでしょうね。
ハリウッド映画「終戦のエンペラー」(2013年)で、GHQの担当者が東條英機に対して天皇の戦争責任について「3名の証人が必要だ」という要求に対して、ただ一人近衛文麿の名前を示すシーンがあり、とても印象的でした。

話を盧溝橋事件に戻します。
1937年(昭和12年)7月7日、北平(北京の当時の名称)郊外の盧溝橋で夜間軍事演習中の日本軍が銃撃されました。ここに日本軍がいるのは、北清事変後に結ばれた北京議定書で駐屯する権利が認められたからです。在日米軍が日本にいるのと同じ条約上の権利です。
謎の多い事件でした。国民党軍の兵舎も銃撃され、お互いに相手が攻撃してきたと誤解し日中双方が小競り合いになりますが、何やらおかしい雰囲気を感じ取った両軍は11日は停戦で合意します。
盧溝橋事件の真相は今でもよくわからないのですが、確実に言えるのは日本陸軍には中国と戦う意思がまったくなかったということです。この時点で陸軍参謀総長は宮さまで儀礼的な存在、しかもたまたま参謀次長と現地駐屯軍司令官がそろって危篤です。(引用者注:つまりこの時点で、戦闘領域を広げた場合に責任を取れる人がいなかった)
参謀本部第一部長には満洲事変で名を馳せた石原莞爾がいましたが、石原は「満洲国養成に専念すべき」「ソ連への警戒に専念すべき」「大陸で戦うよりは居留民を引き上げて補償金を払ったほうが安上がり」「満洲を獲った以上は大陸本土に深入りする理由はなく、むしろ長期的には蒋介石政権と提携して大陸の安定を図ったほうが日本の国益になる」という理由で、国民党政府との戦いには絶対反対なのです。

しかし、中国には国民党政府の他に、中国共産党が存在し、日本と蒋介石を戦わせようとしていました。
廊坊事件、広安門事件と北京周辺で日本軍への襲撃事件は続き、7月29日には200人以上の日本人居留民が虐殺された通州事件が発生します。女性は輪姦されたうえ、四肢を切断されて殺され、しかも別の兵士に死姦されるという常軌を逸した虐殺です。こうした事実が報道されるや、日ごろからただでさえ中国に反感を抱いていた世論は止まらなくなり、「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」が合言葉となります。「今こそ凶暴なシナ人に制裁を加えろ」というわけです。石原莞爾のような冷静な意見は通らなくなります。

最近のシリア情勢やフランスでのテロをニュースを聞くと、この支那事変の時の日本人の被害を思い出します。現在の私たちは、海外居住の日本人が通州事件のような悲惨な仕打ちを受けた場合、冷静に判断できるでしょうか?
そこに近衛文麿首相が戦いを嫌がる参謀本部に対して「世論がこんなに怒っているのに、なぜ参謀本部は戦おうとしないのだ」と圧力をかけます。部長と首相では勝負になりません。総理大臣が本気で「やれ」と命令してきたことに対して逆らえる公務員などまずいないのです。しかも、近衛の背後には世論の圧倒的支持があります
日本が強硬に出ると、蒋介石も戦わないわけにはいきません。中国の場合は、「軟弱論即暗殺」の危険性だってあるのです。
こうして日本と蒋介石政権の双方で、和平を言いだす要素がなくなっていくのです。

これ以降、日本軍は8年間支那事変を戦い続けることになります。私たちは、その大きな原因は軍部の独走では無かったことを認識すべきです。
なぜこのような事になったしまったのでしょうか。
現在では、日本の近衛文麿とアメリカのF・ルーズベルトの両方の取り巻きには、ソ連の独裁者スターリンのスパイが大量に潜り込んでいたことが明らかになっています。
日本としては石原莞爾の主張するようにソ連の南下に備えて、日本との緩衝地帯である満洲を守っていれば良かったのです。しかし、スターリンとしては日本の脅威がソ連に向かないように、支那事変をしかけ、近衛を使って日本軍を南下させて、蒋介石と日本軍が共倒れになることを狙ったのです。
結果はその通りになりました。8年間におよぶ日本軍との戦いで疲弊した蒋介石は共産党の毛沢東に敗れ、日本はアメリカに敗れてしまいました。そして、アメリカはドイツと日本に勝利して世界は平和になると思っていましたが、気が付くとアジアは共産主義で真っ赤になっていました。そのため、朝鮮戦争でソ連・中国による共産主義の南下を防ぐために戦う事になります。

フランスでのテロ、トルコでのクーデターなどヨーロッパでは危ない雰囲気が漂っています。さらに中国は、自分の国の領土拡大の行動が今まで以上に露骨になっています。

過去の日本の歴史をきちんと正確に学び、日本の進むべき道を冷静に考えて対処することが、今まで以上に重要な時期だと思います。過去の戦争では、朝日新聞などの大手メディアが国民感情を煽り、国民を戦争の道へと引きずり込んだことが分かっています。そのようにメディアに乗せられたことに反省し、報道内容、ネット情報の真贋を冷静に判断することが最も重要な事だと思います。

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ





倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



以前、倉山先生の本については、『負けるはずがなかった!「大東亜戦争」倉山満著』で、
ソ連との片手間の中国との片手間のイギリスとの片手間に、アメリカの喧嘩を買った日本」というフレーズを紹介しましたが、その中国との闘いの発端となった満洲事変(“州”ではなく“洲”が正しい)について書きます。満洲事変に関しては、保守論者の中にも「満洲事変は言いわけのできない日本の自作自演の侵略」との評価がされることが多いですが、実際にはどうだったのでしょうか?

満洲事変は1931(昭和6)年に奉天郊外で起きた柳条湖事件に端を発します。通説では、戦前の昭和の時代は、「議会政治が弱体化して軍部が台頭し、テロが多発した暗い時代」となっており、私もそうイメージを持っていました。しかし、実際には大正末期から昭和7年まで明治憲法下で憲政会と政友党が交互に政権を担当する「憲政の常道」が機能しており最も政党政治が強力な時代で、軍縮傾向の状況で陸軍や海軍の立場は弱く、大蔵省から予算を取るために四苦八苦していました。しかも長引くデフレ不況、政治の腐敗が続き、無策な政府に対する国民の不満が溜まっていました。

当時の中国は、1912年に辛亥革命で満州族の清朝が滅亡しましたが、それに代わって国を統一できる政府がなく各地域の軍閥が跋扈する国として統制が取れていない状況でした。(倉山先生に言わせると「無法地帯」) 前回書いたように、清国は満州民族による征服王朝ですから、満洲は清の領域に入っていました。しかし、その前の漢民族の王朝である明国時代は、領土は万里の長城内だけであり、それより外は未開で野蛮な「化外の地」でした。ですので、(満洲 = 中国の領土)ではありません。基本的には満洲は満州族のものですが、日清、日露戦争を経て満洲の北はロシアが勢力を持ち、南は日本が満州鉄道を警備するための関東軍の駐留の権益を得ていました。

その当時、満洲地方は軍閥の張学良が支配していましたが、非常に治安が悪く、その地域に住んでいた日本人居留民(その多くは朝鮮人)が被害を受ける事が多く、その度に関東軍が出兵して救援していましたが、対中関係を重視している政府は根本的な対策を打たなかったため、現場の兵士の不満は溜まっていきました。そしてついに、石原莞爾中佐を中心とする関東軍の謀略により、満洲事変が起こされました。
関東軍の工作対は列車通過直前に線路を爆破し、しかもそのまま通過できるような爆破具合だったので、死傷者ゼロだったという、神業的な自作自演テロでした。
これが道徳的に問題だというなら、中国大陸では一瞬たりとも生きていけないでしょう。
しかし、他国に対する侵略は国際法違反ではないのか? という疑問がわきますが...。
「侵略」とは、国際法用語です。Aggressionの訳語なので正確には「侵略」ではなく、「侵攻」です。(中略)
では「侵攻」とはどういう意味でしょうか。「先に手を出すこと」でも「先制武力攻撃」を仕掛けることでもありません。「挑発もされないのに、先に攻撃を仕掛けること」です。大事なのは「挑発」の有無です。
本章を読んできた方で、中華民国(あるいは満洲の張学良)が日本に対して一切の挑発をしていないと証明できる方がいるでしょうか。
当時の国際法では、当時の満洲のように無法地帯(国際法用語では「無主の地」)を獲得しても侵略にはならず、合法であったとのことです。

そして、石原莞爾の天才的な軍事作戦によって、わずか1万6千名程度の出先機関でしかなかった関東軍で30万人以上いたと言われている張学良軍を制圧することができました。しかし、国際法にも違反せず、軍事的には完勝と言える状況にもかかわらず、日本は世界から侵略者として糾弾されることになりました。私たちは、その点を反省すべきだと思います。

さて、当時の状況を時系列でまとめてみましょう。
①第一次世界大戦後アジア太平洋における日本以外の大国は米英ソであるが、当時の日本は軍事強国であり、日本の安全を脅かす国は無かった。
②日本国内では、大正デモクラシーの潮流の中で政党政治が力を持ち陸海軍の地位は低下していた。政党の権力は頂点に達し、衆議院二大政党が内閣を組織する「憲政の常道」が確立し、陸海軍ともに高官たちは出世のために二大政党に取り入る風潮がはびこった。
③政友会の田中義一首相兼外相の時、中国国内は、張作霖と蒋介石の抗争で内乱状態(無法地帯)であり、日本人居留民保護のために出兵を繰り返した。
④満洲の駐屯軍である関東軍が張作霖を暗殺した。本来、軍隊の規律を保つために責任者を死刑にすべきだったが、田中首相は決断できず河本大作大佐を護衛失敗の理由で処分しただけで済ませ、それが原因で総辞職した。
⑤当時満洲を拠点としていた張学良軍は日本人居留民に対して非人道的行為を繰り返しており、その度に関東軍が戦闘行為を繰り返していた。
⑥それに対して日本政府は中国との関係を重視し、しかるべき抗議を行わなかった。
⑦関東軍の石原莞爾大佐が柳条湖事件を主導し、約1万人程度の関東軍で約50倍の張学良軍を撃破し、満洲を制圧した。これに対して国内世論が支持した
⑧政府は対外的に、不拡大方針を出し、参謀総長が関東軍に対して撤退命令を出した。これにより、国際連盟は、日本に対して満洲での「匪賊討伐権」を容認した
⑨しかし同日、日本で政変が起きて犬養毅内閣に代わり外相も代わり、関東軍と対立した。
⑩翌年、関東軍は溥儀を立てて満洲国を建国するが、犬養内閣はこれを承認しなかった。
⑪上海事変に対して陸海軍は共同して対処し、中国政府と和議にこぎつけるが、その10日後、5.15事件で犬養首相が暗殺される
⑫犬養内閣に代わって斉藤実海軍大将が総理になり、満洲国を承認する。国際連盟は満洲の実態を把握するためにリットン調査団が派遣される
⑬リントン調査団はリットン報告書をまとめ、満洲国は承認しないが、満洲における日本の権益は容認した。(イギリスが何とかひねり出した妥協案で、中国には花を持たせ、日本に実を取らせた)
⑭しかし朝日新聞を筆頭とする日本のマスコミはこの報告書を反日文書だと糾弾し、世論を煽った。ポピュリズムに流された政府は、リットンと国際連盟を敵視した
⑮1933年、政府はリットン報告書が採択された場合の国際連盟脱退を閣議決定した。溥儀など満洲人の要望により、関東軍が熱河に軍事作戦を展開して国際連盟との関係をさらに悪化させた
国際連盟はリットン報告書を採択し、日本は連盟を脱退した

以上の状況をさらに大ざっぱにまとめると以下のようになります。(もちろん異論はあるでしょうが...笑)
●日本は朝鮮人居留民保護のために満洲事変を起こした。
●民衆は朝日新聞などマスコミの煽りで親日文書であるリットン報告書、国際連盟を憎悪した。
●日本は満洲人の溥儀のために国際連盟と敵対し、脱退した。

何と、日本は朝鮮人と満洲人のために世界を敵に回して戦争を開始した事になります
(- -;

特に、リットン報告書に対する正確な理解ができていなかったことが致命的ですね。この辺りも現在の私たちが注意すべき事だと思います。今でも、政府の政策に対して「◎◎法案絶対反対」などとレッテル張りしたプロパガンダ報道が大きくされていますからね。自分でも内容をきちんと把握して判断すべきだと思います。

もう一つ満洲事変での反省点は中国のプロパガンダに対する対応です。
満洲事変期における中国のプロパガンダは世界史に残る傑作でしょう。何しろ、軍事的には全戦全敗でありながら、口先だけで状況をひっくり返したのですから。(中略)
満洲事変が起こるや、「古い封建的軍事主義の日本が、若い成長期の民主主義国家である中国を侵略している」といった類の宣伝がばら撒かれました。これを知っていながら外務省は一笑に付したので宣伝戦でやりたい放題やられました。現に当時のアメリカ世論は信じてしまったのですから、「こんなデタラメを信じるバカはいないはずだ」では通らないのです。明らかに国益を損ねました。
もし、ここで日本がまともに国策を統一し諸外国に真っ当な説明をしていれば、中国は世界の嫌われ者として放逐されていたでしょう。
ところが、時の外相である幣原喜重郎の宣伝に対するすさまじい発言が残っています。(中略)要するに、何も言わなくても日ごろの行いがいいのでみんながわかってくれるという態度です。
残念ながら国際社会はそんなに甘くないですし、中国人のプロパガンダ能力をナメすぎです
中国のやり方は今でも同じパターンの繰り返しですから日本はこれを反省し、現在の中国のプロパガンダに対しては、バカバカしいと思わず必ずきちんと世界に対して反論しなければなりません。(反論しないと認めたことになる)

中国は、満洲国を「偽満州国」と呼び、日本の傀儡政権であると非難しています。
満洲国は日本がでっち上げた傀儡国家だ、というのは決まり文句です。だったら、アメリカは21世紀になってもアフガニスタンやイラクで同じことをしています。ロシアもグルジアからアブハジア切り離し、独立国を名乗らせています。ベルギーだってもとはといえばイギリスの都合でできた国ですし、バングラディシュはインドがパキスタンから分離独立させて創った国です。満洲国だけを「傀儡」だのなんだのと批判するのはどういう了見なのでしょうか。

最後に、1930年代以降の日本は、ファシズム国家であったと言われていますが、倉山先生は「ファシズムにも軍国主義にもなれなかった。国家が一丸となって真面目に戦争しなかった」から負けたのだと書いています。
憲政の常道は失われましたが、帝国憲法も議会も敗戦まで健在でした。(中略)
最終的に全政党が解散しましたが、これにより「一国ゼロ党」になったのですから、原理的にファシズムにはなれません。
もう一つ、当時の日本を軍国主義と呼ぶのも褒めすぎです。軍国主義とは「国策の最優先事項に軍事を据えること」です。誰がそんなことをできたのでしょうか。政党政治の崩壊以後、誰も国策をまとめられなかったからこそ、満洲事変でも迷走したのです。むしろ元寇や日清・日露戦争のほうが正しい意味での軍国主義でしょう。昭和日本の悲劇は、軍国主義に走ったことではなく、軍国主義になれなかったことです
第二次世界大戦を戦った大国は1933年から45年まで一人の独裁者が政治を指導しています。ソ連のスターリンやドイツのヒトラーは言うに及ばず、民主国のはずのアメリカでもF・ルーズベルトが死ぬまで大統領でした。イギリスも第二次世界大戦が勃発した1939年からは政争を中止し、ウィンストン・チャーチルが首相として挙国一致内閣を率いています。
日本だけはこの十三年間に十三代の内閣で十一人の総理大臣が交代しています英米ですら独裁者に匹敵する指導者を選んで戦争を行おうとしている時代に、日本政治は不まじめすぎたというべきです

思い返せば、小泉首相以降、第1次安倍内閣から第2次安倍内閣までの間、民主党を含めて毎年のように総理が変わり、まともな政策を打ちだすことができませんでした。日本は同じような政治状況の中で、中国大陸での泥沼の戦争、大東亜戦争を戦っていたわけです。確かにあのような政治状況ではまともに戦えるわけがありません。

しかも最初に書いたように、満洲事変当時は、「長引くデフレ不況、政治の腐敗が続き、無策な政府に対する国民の不満が溜まっていた」という状況に加え、当時の幣原喜重郎外相は極端な親中で、満洲で居留民に被害が発生しても日中友好の観点から何も言わないという対応です。
まるで、反日デモで日本人の店舗が破壊され、略奪されても何の抗議もしなかった、少し前の民主党政権時代そのものではありませんか!
戦争というのは、このような状況の時に起こるんだというのが理解できますね。安倍首相が、まずはデフレ不況の脱却を第一に掲げたことは非常に重要なことだと思います。

満洲事変だけで長くなってしまいました。
それ以降に関しては、気力が続けばまた書きます。(^^)

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ





倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

キレとボケがすごいXF90mm で川越祭りを撮る [写真]

ミラーレス一眼カメラのX-E2を使いはじめてから3年目になります。それまでは普通のコンデジしか使ったことがなかったので、レンズによって撮れる画がまったく変わることを知り、恐ろしい交換レンズ沼に嵌っています。(^^)

現状は、ズームレンズ:10-24㎜、18-55㎜、55-200㎜、単焦点:35㎜ F1.4、56㎜ F1.2、60㎜ F2.4 Macro の6本を使っています。初心者の私でもいろいろなレンズが欲しくなるのですから、本当に恐ろしい世界ですね。(笑)

ただ、最近のXFレンズは高くて、10万円以上するのもが多くてなかなか手が出ません。単焦点では、XF56mm F1.2でキレの良さとボケの楽しさを知りました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-07-05

FUJIFILM 大口径短焦点フジノンレンズ XF90mmF2 R LM WRそのため、昨年発売になったXF90㎜ F2 Rの評判が良かったのでとても興味がありました。昨年10月、2日間だけ借りることができたので、川越祭りで試してみました。(ブログへのUpが遅れてるなぁ・・・)

結論から言うと、「非常に良い」です!(笑) 確かに開放からのキレは56㎜以上のように感じますし、焦点距離が長い分だけ大きくて、きれいなボケを楽しむことができます。
ただし、その分大きくて重いです。重量、長さとも55-200㎜のズームレンズとほぼ同じくらいです。これまで56mmは大きいなぁと思っていましたが、90㎜を使ってから56㎜に付け替えるととてもコンパクトに感じました。(^^)

遠景はくっきり、近くはきれいにボケてくれます。(F4.0)
DSCF5791.JPG
蔵の瓦の立体感がいいですね。(F4.0)
DSCF5857.JPG
山車の上おじさんと背景のコントラストが面白い。(F2.8)
DSCF5873.JPG
蔵の街の通りですが、近くの人たちは顔にボケを入れなくてもいい具合にボケでくれます。(F4.0)
DSCF5881.JPG
アンパンマンとバックのボケを見て下さい。(F2.0)
DSCF5842.JPG
七味唐辛子です。ピント範囲が狭いです。(F2.0)
DSCF5845.JPG
明るいので、切れが良く写ります。(F4.0)
DSCF5889.JPG
こちらは夜に撮りました。(F2.5/ISO2500)
DSCF5688.JPG
これも夜です。(F2.0/ISO400)
DSCF5713.JPG
これは昼間です。女性モデルがいないので、ポートレートのイメージです。(笑)(F2.0)
DSCF5805.JPG
これは八幡神社ですね。(F2.0)
DSCF5814.JPG
このレンズは、中望遠レンズにしては結構寄れる(60cm)のでマクロ的にも使うことができます。(F5.0)
DSCF5830.JPG

せっかくなので、近くにある道教のお宮の「聖天宮」に行きました。
入り口の門の屋根のある龍の飾りです。(F2.2)
DSCF5519.JPG
こちらは本殿の屋根の飾りです。鳳凰と龍です。(F2.2)
DSCF5520.JPG
龍と宝珠ですね。(F2.2)
DSCF5526.JPG
本殿の正面から撮ったものです。(F2.8)
DSCF5552.JPG
本殿の屋根です。立体感がいいですね。(F2.8)
DSCF5587.JPG
人形のUpです。ボケ具合がいいですね。(F2.0)
DSCF5581.JPG

ご覧頂いたように、とてもメリハリのある画が撮れます。AFはXFレンズの中でも速い方なので絞りで背景のボケを具合を調整することを楽しめます。絞りを開けるとボケを楽しめますし、絞ればとてもシャープな画が撮れます。

ただ、私の撮影する被写体を考えると90㎜という焦点距離がどうもしっくりこないため、買うまでには至りませんでした。(良かった... 笑) 90㎜付近の撮影が多い方にはお勧めのレンズですね。

XE-2で撮影した画像に関しては、以下もご覧ください。
・X-E2でXF 56mm F1.2を使う。 ボケ味が楽しいレンズです。
・X-E2で角館の桜を撮る! (2014年)
・X-E2で日本一の弘前の桜を撮る (2014年)
・飛行機からの風景を撮る
・川越でミラーレス一眼のボケ味を楽しむ! XF35mm F1.4 R 単焦点レンズをX-E2で試す
・天空から帝都を眺める その2 -- FUJI FILM X-E2 で見た東京

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



今回は、困ったお隣の国、中国の話です。

倉山先生は、最初に断言します。
まず、中国に「近代」などありません。あるのは、独裁の古代と殺戮の中世だけです。中国大陸では古代と中世が繰り返されてきただけで、中国はいまだに近代国家ではないのです。
そう言われると納得できる部分が多いです。(^^)
中国の歴史は、以下のパターンの繰り返しが続いているだけだとのことです。
①新王朝、成立

②功臣の粛清

③対外侵略戦争

④漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成

⑤閨閥、宦官、官僚など皇帝側近の跳梁

⑥秘密結社の乱立と農民反乱の全国化

⑦地方軍閥の中央侵入

⑧①へ戻る
このパターンは、20世紀の毛沢東以降も続いているとのことです。

この中で、日本人と一番違うのは、②功臣の粛清ではないでしょうか?
新しい王朝を打ち建てた皇帝がまっ先にすることは、功臣の粛清です。それまでの功労者を殺すのです。しかも一族皆殺しです。なぜならば、自分の地位を脅かす能力があるからです。
日本だと、自分が偉くなったら、自分に尽くしてくれた腹心の部下を重用して大事にしますが、中国ではまったく思想が違います。
「これまで一緒に苦労してきた仲ではないか」といった人情をあてにしたら、中国大陸では生き残れません。
恐ろしい世界ですね。日本人は、どうしても「同じ人間なのだからいつかは分かりあえる」と考えてしまいますが、中国人には(韓国人もか?)、まったくあてはまらないようですね。そのような自分勝手な理屈を考えの違う国民に期待してはいけないということでしょうね。

特に、毛沢東は究極の中華皇帝だということです。彼は、①中華人民共和国という帝国を起こすと、順調に②中国共産党、紅軍の歴戦の闘士を粛清し、③朝鮮戦争で対外侵略を行いました。そして、④漢字を簡体字に変更しました。改竄歴史書は今作っているようです。(^^) この流れを見て行くと今後中国がどうなるか興味深いですね。
1957年11月、恐怖政治をしている独裁者がモスクワに集まった共産主義国サミットで「核戦争を起こそう! 人類の三分の一か半分が死ぬことは世界にとっていいことなのだ!」などと嬉々として提案し、出席者全員を唖然とさせという世界最“恐”の独裁者が毛沢東です。ソ連のフルシチョフは「絶対に中国に核武装させてはならない」と決意しました。
彼の言った「自分は始皇帝より多くの人を殺しているから偉い」、「一億死んでもまだ十億」という名言は有名ですよね。

そして、よく言われる「中国五千年の歴史」に関してです。
一九四九年に成立したこの国は、たかだか建国六十年です。よく「中国何千年の歴史」などと言われますが、それは「支那(チャイナ)大陸」という土地に人が住んでいたという記録が何千年か残っている、くらいの意味でしかありません。
ある程度馴染みのある中国の王朝を書いてみます。この中で、青字+太字で示したのが、いわゆる漢民族の王朝です。それ以外の王朝は、北方民族などに征服された王朝や一つの王朝としてまとまっていない国です。

夏(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)

|(略)

前漢(西漢、紀元前206年 - 8年)
|(略)
後漢(東漢、25年 - 220年

|(略)

隋(581年 - 618年)
唐(618年 - 907年)
五代十国時代(907年 - 960年)
北宋(960年 - 1127年)
南宋(1127年 - 1279年)
元(1271年 - 1368年)
(1368年 - 1644年)
清(1616年 - 1912年)

つまり、明以前の漢民族による王朝は、1,000年以上前の後漢まで遡る必要があるわけです。これでは、漢民族の王朝である中国という国の連続性があるとは思えません。私は遣隋使や遣唐使で知られている随や唐は漢民族の王朝だと思っていましたが、北方の鮮卑族の王朝だそうです。いかに中国に関する知識が無かったかが分かりますね。まあ、学校ではそのよう事は教えてくれないのでしょうがありませんが...。
これを見るだけで「中国五千年の歴史の嘘」が分かりますね。

くれぐれも中国のプロパガンダに騙されないようにしましょう。

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ





倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

仙台 定義如来 西方寺を訪れる (2016年) [東北]

仙台に来ています。
仙台で一番高いビル、ウェスティンホテルが入っているトラストタワーです。東京駅にあるトラストタワーと同じような外観です。
DSCF3933.JPG
今回は、ウエスティンに泊っていないので、下からの眺めです。(^^)
DSCF3953.JPG
今回は、仙台から車で1時間北にある定義山 定義如来 西方寺に行ってきました。
入り口の山門です。ちなみに定義山は、仙台弁なので「じょうげ」と言うそうです。そのため、住所も「仙台市青葉区大倉字(あざ)上下」となっています。
DSCF3998.JPG
この地は平貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦い後に当地に隠れ住んだという平家落人伝説があり、一番奥に見えるのが貞能の墓所を祀った貞能堂です。以前来た時はここが本殿だと思い、ここだけしか見ませんでした。(--;
1.JPG
貞能堂の入り口の飾りが見事ですね。
DSCF4011.JPG
お手水の龍も迫力があって見事です。
DSCF4003.JPG
狛犬も迫力がありますね。
DSCF4007.JPG
ここが本堂です。右に立たれているのが子育て観音様です。
DSCF4068.JPG
本堂の作りが見事ですね。
DSCF4056.JPG
本堂の奥に五重塔があります。
DSCF4021.JPG
1986年に青森ヒバのみを使って建立されたそうです。
DSCF4037.JPG
定義山と言えば、このお店の「三角あぶらあげ」が有名です。単に大きな三角のあぶらあげを七味と醤油をかけて食べるだけなのですが、揚げたてなのでとても美味しいです。前回は、これを食べるためだけにここに来ました。今回は朝食を食べ過ぎたので、とても食べられず残念ながら写真がありませんので、Googelの画像でご覧下さい。(https://www.google.co.jp/search?q=%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E5%B1%B1+%E6%B2%B9%E6%8F%9A%E3%81%92&espv=2&biw=1680&bih=920&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiv_fa7y8XNAhVFGJQKHRRhBLkQ_AUIBigB#imgrc=_
ここはいつもお客さんで一杯でした。
DSCF4085.JPG
途中にある橋の上から見た渓谷と五重塔です。天気が良くて良かったです。
DSCF4094.JPG


























川の水もとてもきれいですね。
DSCF4097.JPG
仙台に戻って、私の大好きな回転寿司「うまい鮨勘」に行きました。北見の回転寿司「トリトン」が東京にも進出して有名ですが、仙台で美味しい回転寿司と言えば「うまい鮨勘」です。味も「トリトン」に負けていません。
活ほたてが大きいです。甘味があって美味しかったです。
DSCF3924.JPG
鮨勘と言えば「まぐろ三昧」です。赤味、中トロ、大トロの三貫です。(二人分)
DSCF3922.JPG
この時期は、ウニはカラ付きの「がぜウニ」がいいですね。これも美味でした。
DSCF3916.JPG

旅行の時は、食べるのが大きな楽しみですから「一日一食」は中断します。
旅行で体重が増えても、また減らせばい~んです。(笑)

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


200万アクセス、ありがとうございます!

気がついたら200万アクセスを超えていました! いつもいつも訪問頂きありがとうございます。
2009年7月から始めたブログですが、2013年11月に100万アクセスを超え、2016年6月に200万アクセスを超えることができました。

ブログ開始以来、週1回程度しか更新できていませんし、あまり宣伝も行っていないので本当にみなさんのおかげです。このブログは、検索エンジンから来訪される方(So-net以外の方)が多いので、アクセス数の割にNice!が少ないのが特徴ですね。(^^)

現状の当ブログのベスト20です。
相変わらず「あさま山荘」関連のアクセスが多いですね。また、今年の4月に熊本で大地震があったので、東日本大震災関連の記事もアクセス数が増えていました。
順位題名ジャンルアクセス数
1 あさま山荘に行ってきました! こんな狭い場所で銃撃戦をやっていたの? 社会75,144
2 大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む格闘技29,090
3 東日本大震災の地震はオカシイ? 地震波形を見る! 震災・原発24,845
4 真樹先生が高森真士のペンネームで書いた「血と骨」 柳川次郎との交流を読む 真樹日佐夫23,739
5 何かオカシイぞ! 東日本大震災前の建設関連株の動き 震災・原発21,559
6 極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本..格闘技20,152
7 笹川良一は本当に悪人だったのか? 悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子著 社会16,895
8 これはジョークではない! 金正日は日本人だった 佐藤守著を読む 社会16,656
9 間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む ダイエット15,567
10 ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2 格闘技14,119
11 合氣道の開祖 植芝盛平は弱かった? 中村天風と植芝盛平 氣の確立 藤平光一著を読む 格闘技13,226
12 「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著を読む 美術13,129
13 まっすぐに蹴る  佐竹雅昭著 を読む 格闘技11,906
14 「赤いサイロ」がK-1グランプリで優勝! テレビ朝日の「ミルミルミシル」 北海道11,195
15 東日本大震災の津波にも負けなかった! 日本三景の松島 東北10,459
16 「水分の摂りすぎ」は今すぐやめなさい 石原結實著 を読む 健康10,054
17 東日本大震災は人工地震か? 震災・原発9,901
18 世界を動かしているのはロックフェラーとロスチャイルドだ! 世界権力者人物図鑑 副島隆彦著 を読む 歴史の真実・陰謀論9,771
19 ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1 格闘技9,646
20 あさま山荘に行ってきました! 冬のあさま山荘はやっぱり寒かった... 社会9,494


今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


幸手の権現堂でアジサイを楽しむ (2016年) [関東]

4月に素晴らしい桜と菜の花を紹介した(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-04-06埼玉県の幸手の権現堂は6月には100種16,000株のアジサイが咲き誇ります。ここは、アジサイも素晴らしいですね!

駐車場の入り口の所にある白いアジサイです。アナベルでしょうか。
DSCF3642.JPG
色とりどりのアジサイが咲き誇っています。
DSCF3668.JPG
ここのエリアが一番密集していて見ごたえがありました。
DSCF3679.JPG
DSCF3682.JPG
DSCF3688.JPG
額アジサイの真ん中の花はまだつぼみですが、この時期が一番みずみずしいような気がします。
DSCF3695.JPG
カラフルなアジサイが見事でした。
DSCF3704.JPG
DSCF3781.JPG
DSCF3782.JPG
おっと! 珍客がいらっしゃいました。(笑)
DSCF3802.JPG
DSCF3763.JPG
DSCF3815.JPG
DSCF3864.JPG
DSCF3893.JPG
1.JPG
4.JPG
5.JPG

これまで見て来たアジサイの中では、ここが一番見ごたえがありました。
7月3日まで「あじさいまつり」が開催されているそうです。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


究極のダイエット - 脂肪を摂るとやせる!  シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」 を読む [ダイエット]

シリコンバレー式 自分を変える最強の食事シリコンバレー式 自分を変える最強の食事← Kindle本です。

今回紹介する本は、「完全無欠ダイエット」の本です。
この本は2015年9月に発売なのですが、私は本屋に平積みしているのを見て即購入しました。

しかし、読んでみるとコーヒーのカビ毒の話やコーヒーにバターやオイルを入れるという「完全無欠コーヒー」というイカガワシイ話が書かれてあり、コーヒー大好きでブラックしか飲まない私は想像しただけで「うっ・・・」となり、さらにグラスフェッドバター、MCTオイル、中鎖脂肪酸などなど聞きなれない言葉が沢山出てきて途中で読むのを止めて、部屋の隅に置きっぱなしになっていました。

しかし、このブログでも紹介した「ジョコビッチの生まれ変わる食事」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-04-03)を読んで食事の重要性を再認識し、この本の事を思い出して再読してみました。
読みなおしてみると興味深い内容ばかりです。前回は何を読んでいたんだ?という感じです。それ以来何度も読み返しています。

著者である、デイブ・アスプリーは1970年生まれ、シリコンバレーの億万長者です。彼は、「低カロリーで毎日運動する」というこれまでのダイエット法を実践しました。しかし摂取カロリーを1日1,500~1,800Kcal、週6日、毎日90分の運動を実施したにもかかわらず、痩せることができず体重が140Kgまで増加したそうです。

それをきっかけにして人体の仕組みに関して研究を行い、ハッキング=バイオハック(太るメカニズムの解明と自分の体を使った人体実験)を開始 し、それに30万ドル(約3,300万円)以上使ったそうです。そして、最終的にたどり着いたダイエット法(「完全無欠ダイエット」)によって1日0.5Kgずつ減量し、元気になり、腹筋が割れ、回復力、集中力がUPしてIQがUPしたそうです。

さて、そのダイエット法ですが、著者が一番勧めているのが、朝、一杯の「完全無欠コーヒー」を飲むことです。これは、熱いコーヒーにグラスフェッドの無塩バターとMCTオイルを大さじ1~2杯入れて飲むものです。これまでの低脂肪が重要というダイエットとは真逆の方法です。これによって、朝食抜きでも空腹感を感じることなく昼まで脂肪を燃焼させて活動することができると言います。

バターとMCTオイルを入れることで中鎖脂肪酸をたっぷり摂ることができ、身体の中を脂肪燃焼モード(ケトン体モード)にすることができるという理論です。そして、良質な脂肪をたっぷりと摂ることで、脂肪はクリーンに燃え、栄養たっぷり、満足感をもたらし体も脳も最大限に機能させることができるとのことです。著者は、一日4,000~4,500キロカロリーの「完全無欠な脂肪」の食事を続けた結果、頭が冴え、痩せだしたと書いています。

グラスフェッドバター」、「MCTオイル」って何だ? と思われているかも知れません。(私も全然知りませんでした) グラスフェッドとは、要は牧草(グラス)飼育という意味です。最近の牛はほとんどが穀物で飼育されているので、こういう牛はグレイン(穀物)フェッドと言われています。牛が本来食べるべき牧草をきちんと食べているグラスフェッドの牛は健康で当然その牛肉は、グレインフェッドの牛に比べて「栄養が豊富で毒素が少なく、他のどんな食品よりも多くの抗酸化物質、オメガ3脂肪酸、微量元素、ビタミンを供給してくれる」とのことです。そして当然、牛乳にしてもバターにしてもグラスフェッド牛のものが格段に健康に良いそうです。
牛にジャンクフードを与えれば、牛はジャンクフードになる。反芻動物は草を食べるようにできているのだ。
MCTオイルのMCTは、「Medium Chain Triglyceride」のことで中鎖脂肪酸のことです。中鎖脂肪酸はココナッツオイルやパーム油などに含まれています。MCTオイルはそれから中鎖脂肪酸だけを抽出したもので、より純度が高いものです。最近、ココナッツオイルダイエットの流行っているようですが、ココナッツオイルの特有の匂いが苦手な人は、無味無臭のMCTオイルを使う方が良いと思います。

仙台勝山館 MCTオイル 360g <ココナッツベース100%>私も早速、MCTオイル+グラスフェッドバターを入れた「完全無欠コーヒー」を試してみました。確かに、油を入れているので油っぽくなりますが、変な味も匂いもなく全然普通に飲めます。私は、前回書いたように2月から「1日1食」を実行していたので、ダイエット効果に関してはあまり効果を感じていませんが、朝一杯の「完全無欠コーヒー」を飲むことで、自分で自覚できるくらい元気が出て、集中力が増し、頭がスッキリします。

脳を含めた細胞は脂肪で構成されていることを改めて強く実感しました。そして、確かに朝食抜きの空腹感の低減にも効果があるようです。グラスフェッドバターまではちょっとと思っている方は、MCTオイルだけでも効果がはっきり分かると思います。私も最初は、グラスフェッドバターは入れずに、ここで紹介しているココナッツベース100%の仙台勝山館のものを使用しました。(少々高いのが難点ですが...。)
有機バイオバター グラスフェッドバター 無塩バター

さらに高いのが、このグラスフェッドバターです。日本の乳牛はほとんどがグレインフェッドなので、どうしても輸入品になってしまいます。私の住んでいる川越にある成城石井に売っていたので、試しに買ってみましたがやはり高いな~というのが正直な感想です。(250gで2,500円!)

アスプリー氏は、バイオハックの段階であらゆるダイエット法を自分で試したそうですが、どれも成功しなかったそうです。
食事の目的は頭と体に燃料と栄養を届けることである。
⇒ 脳は1日のカロリー消費の25%を占める
⇒ 運動を増やしてカロリーを減らしたら疲労してやる気も出なくなる
これはとても説得力があります。そうなんですよ! 低炭水化物ダイエットや一日一食を続けると、腸内の善玉菌のエサが減るので腸内環境が悪くなります。そして、低脂肪の食事を心がけていると体が乾いてきて頭がすっきりしなくなります。
それらの解決方法がこの本にはいろいろと書かれています。

また、脂肪を沢山食べろという以外にも、この本にはこれまでの常識をひっくり返すことが沢山書かれています。
自分的に、一番うれしかったのが、コーヒーはとても体に良いということです。
コーヒーはスーパーフードである
⇒ 集中力、記憶力、パフォーマンスを高め、脳卒中や糖尿病のリスクを下げる
⇒ 腸内の善玉菌(やせる腸内細菌)のえさとなるポリフェノールを大量に含む(赤ワイン、チョコより多い)
(氏は「太るか痩せるかは腸内細菌で決まる」、痩せる腸内細菌を増やすことが重要だと言っています)
これ以外にも興味深い情報が満載の一冊です。

ダイエット、健康に関して興味がある方には必読の書だと思います。

ダイエットに関してはこちらもどうぞ。
・私も実践! 「やってみました1日1食!! 」 船瀬俊介著 を読む
・小麦は食べるな! 「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 ノバク・ジョコビッチ著 を読む
・万病が治る! 20歳若返る! 『かんたん「1日1食」!! 』 船瀬俊介著 を読む
・男性は読まないように! 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井睦著 を読む
・間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む
・ダイエット本の決定版! 「やせる」 勝間和代著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

あなたを生かす油 ダメにする油 ココナッツオイルの使い方は8割が間違い体が生まれ変わる「ケトン体」食事法: 太らない、疲れない、老けない――体と頭を「糖化」させるな (単行本)やせたければ「いい油」オメガ3を摂りなさい 生活シリーズ1日スプーン2杯だけ ココナッツオイルでやせる!やせたければ脂肪をたくさんとりなさい ダイエットにまつわる20の落とし穴


秩父で1,500万本の天空のポピーを楽しむ (2016年) [関東]

埼玉県の秩父の皆野町にある「天空のポピー」を見に行ってきました。
ここは、標高500mの高原に1,500万本のシャーレ―ポピーが咲き誇ることで有名です。
Facebookなどで一面真っ赤な花の写真がUpされていたので行きたかったのですが、場所が秩父です。秩父への道は一本道なので渋滞するだろうな~。渋滞はやだな~と迷っていて行くのが1週間延びてしまいました。(笑)
そのため、満開は過ぎていたようですが、まだまだ見頃でした。

川越から皆野町までは50Km弱です。川越を7時に出発したところ、何とか渋滞もせず1時間10分で目的地に着きました。でも、驚いたことに駐車場はほとんど埋まっており、少し遅くきたら入れない所でした。みなさん何時から来ているのでしょうね。(^^)

さて、これが「天空のポピー」です。眺めが良いです。
DSCF2929.JPG
赤い花だけでなく、ピンクや白の花が混じっているので真っ赤ではありません。
DSCF2938.JPG
美瑛のように「◎◎の木」などの名前が付いているのか分かりませんが、アクセントになりますね。
DSCF2960.JPG
こちらの方が密度が濃いのですが、朝早いのでこの時間は逆光になります。
DSCF2973.JPG
花の名前はシャーレーポピー(別名:虞美人草)だそうです。知らなかったのですが、ケシ科の花だそうです。
DSCF3011.JPG
数は少ないですが、白い花もあります。
DSCF3014.JPG
ポピーの間の道を歩いて行きます。
DSCF3048.JPG

DSCF3049.JPG
きれいな青空に白い雲がきれいでした。
DSCF3056.JPG
こちらはやはり逆光です。
DSCF3058.JPG
DSCF3062.JPG
本当に天空のお花畑を歩いているという感じです。
DSCF3071.JPG
混んできたので、9時前に「天空のポピー」を後にしました。もうすでに駐車場に並ぶ車で長い渋滞ができていました。後でFacebookを見ると6Kmで3時間かかった人もいたようです。早く行って良かったです。

せっかくここまで来たので近くの長瀞の石畳を見てきました。
DSCF3087.JPG
東北の一関にある厳美渓のような奇岩がたくさんあります。
DSCF3091.JPG
川の水の色がきれいです。
DSCF3129.JPG
この船で川下りをします。一関で言うと厳美渓と猊鼻渓を合わせたような場所と言えますね。(^^)
DSCF3082.JPG
渓谷の中を船で進みます。絵になります。天気が良いので気持ちよさそうですね。
DSCF3095.JPG
その後、お土産屋を見ながら10時半頃にお蕎麦を食べてお昼としました。

長瀞と言えば、阿左美冷蔵の天然氷のかき氷が有名ですよね。20分くらい並んで、抹茶あずきのかき氷を食べました。何も付けていない状態です。食べきれるのか?と思うほど大きいです。左側にあるのがあずきで、右側にあるのが抹茶と黒蜜の容器です。
DSCF3140.JPG
もちろん見た目通りに美味しいですが、900円とかなり高いです...。さらにこの店の秘伝のみつを使ったものは、1,000円超えです。一番高い「秘伝みつスペシャル」なんて1,500円ですよ! まあ、美味しいんでしょうけどね。
DSCF3142.JPG
朝、7時に出て、いろいろと楽しんで12時半頃に家に帰ることができました。
渋滞もなく快適でした。やはり早起きは3文の得ですね。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


佐野乾山はホンモノだ! 岡本太郎の見た佐野乾山 美術手帖 1962年8月号 を読む [美術]

2 (3).JPGこれまで探していて入手できなかったこの本をようやく手に入れることができました。50年以上も前の本です。

美術手帖 1962年8月号の中に寄稿されている、
「生活者のイメージ 琳派と自然 佐野乾山展をみる」 岡本太郎

新発見の佐野乾山が話題になった1962年6月、芸術新潮が「佐野乾山」展を企画して新発見の作品と資料を東京と大阪で公開しました。これは、芸術新潮の編集部が、「実際にそれらの作品を見る機会を得た人は意外に少ない。そして、噂話にひとしいような真贋論議が実物に則した研究に先走ってしまった。」という問題意識を持って企画したそうです。(素晴らしい!)

今回、紹介する岡本太郎氏の手記は、この「佐野乾山」展の作品を見てその感想をまとめたものです。この手記に関しては、佐野乾山に関する資料には必ずと言っていいほど引用されています。
例えば、白崎秀雄著「真贋」には、以下のように引用されています。
(前略) 会場に入るなり、意外な思いだった。 二つ三つと見るにつれ--なかなかイイジャナイカ。--色が鮮やかなハーモニーで浮かび上がっている。筆さばきも見事だ。(中略) 気どりやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものがない。(中略)いきいきした線、タッチ、そのリズムが何となくモダ―ンな感じで、ふとピカソやマチスのデッサンを思いおこさせる奔放な表情があったりする。(中略)さてこの展覧会は、真贋のうるさいセンギに決着をつける為に計画されたのだろうが、そんなことどうだっていい。たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーのもり上がりがあれば、本ものより更に本ものだ。
これを読むと岡本氏がホンモノ派であることは明白ですが、どの程度乾山の真贋について考えているのかは良く分かりませんでした。

前置きが長くなってしまいました。それでは、岡本氏の記載を紹介します。

岡本氏は、佐野乾山を見るまで光琳は評価していましたが、乾山はまったく評価していなかったようです。この前提で読まないと前出の引用部分の意味合いが良く分からないと思います。
(略) 光琳の絢爛として厳粛な、一義的芸術、その激しい格調、ロマンチスムにふれ、つき動かされれば動かされるほど、私には弟の乾山の仕事が面白くない。趣味的な弱さ、低さ。時おりふれても眼をみはらせるほどのものではなかった。才人の職人芸だ、と無視していた。
近ごろ「佐野乾山」と称するやきものが大量に発見され、真贋問題で大へん騒いでいる。そういうニュースを見聞きしても、そんなことどうだっていいじゃないか、馬鹿々々しい沙汰だとしか思えなかった。従って今度の展覧会にも、「乾山」を確かめに出かけるほどの熱も興味もなかった。ところが編集子のいささか強引な案内もあり、たとえつまらぬものでも日本文化の一つの証拠として、やはり実見しておいてもよいぐらいの気分で行って見た。
(下線は引用者による:以下も同様)
ここから上に挙げた引用文につながります。岡本氏は佐野乾山を見て、乾山を見なおしたようです。
会場に入るなり、意外な思いだった。
二つ三つと見るにつれ、--なかなかイイジャナイカ。--色が鮮やかなハーモニーで浮かび上がっている。筆さばきも見事だ。見て行くほどに楽しい気分になった。
気どりやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものがない。のびやかに、なまなましい。若い。
(中略)
「乾山」を見なおした。やきものの効果を、小憎いほど心得ており、つぼやさわり、味いを存分に駆使しながら、やはり純粋に絵具の色、線の面白さを打ち出している。つまり絵として、楽しめる。
ここから佐野乾山の作品に関する記載ですが、ここに書かれている印象は、私の抱いた印象とまったく同じでした。
真剣とも遊びともつかない奔放なタッチ。いかなる技術的アクシデントもおそれていない。(中略)
サラサラと落書きのような気軽さで描き上げたものでも、何か形としてかたまり、そして完結している。松、梅、菊、朝顔、茄子、みんなそうだ。線が流れっぱなしになってしまわないで、必ず出発点に回帰して来る。もの、実在物の強靭なシルエットのまとまりを見せている。自然の趣ではない、別な実体を浮き彫りしている。そういう形態を生かす技術である。
ここから岡本氏は、当時話題になっていた「佐野乾山」の真贋論争に関する持論を展開します。学者や骨董商が重要視している「落款」や「故事来歴」、それを根拠にしたニセモノの芸術に関して徹底的に批判します。
さてこの展覧会は、真贋のうるさいセンギに決着をつける為に計画されたのだろうが、そんなことどうだっていい。たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーのもり上がりがあれば、本ものより更に本ものだ。まったく、骨董品として商売の種にしたり、美術史的に鑑定なんかする、にぶい御連中の、芸術感覚から浮いてしまった馬鹿々々しさには腹も立たない。
繰り返していうが、芸術にとっては実在するものの豊かさだけが本ものなのであって、落款とか故事来歴の信憑性などは、些末な問題だ。それにつけても、考えるのは、われわれの周囲にあまりにも「芸術」と称するニセモノが多いということ。極めてわずかな本ものしかない。たとえ高名であり、大へんなものだとされていても。そういうニセモノにならされて、むしろ「芸術」本来の感動を見失っているから、こういう騒ぎもおこるのだ。

今回、岡本氏の原文を読むことができ、かなり真剣に佐野乾山をホンモノだと感じていることが分かり、安心しました。そして、佐野乾山を見た岡本氏の印象が、私の感じた印象とまったく同じであることを知りうれしくなりました。
同じくホンモノ派であったバーナード・リーチ氏は、森川氏所有の佐野乾山を見て、「一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です。」とコメントしました。これはすごい発言です。なぜなら、リーチ氏はこれまで名品と言われていた鳴滝時代の光琳絵付けの乾山作品を含めて、佐野乾山の方がすばらしいと言っているからです。このコメントに関して、私はこれまで「それはちょっと言い過ぎでは?」と思っていましたが、今回の岡本氏の書かれた内容を読むと岡本氏もリーチ氏と同じ意見であることが分かりました。
やはり美術品は見る目がある人が見なければダメだ、そして佐野乾山を評価するには「絵が分かる人」でなければならない事を再認識しました。
最近の本を読むと、リーチ氏の佐野乾山に対する見解、発言はリーチ氏の芸術人生の中の汚点であり、晩節を汚したというような扱いをされているものが多いですが、私はそのような評価をする人たちの見識を疑います。

岡本氏は鳴滝時代の乾山の作品(光琳が絵付けをしたもの)をまったく評価していなかったようですが、「光琳は評価していたのでは?」と思って読み進むと、
陶器や団扇に描いたものなんか、つまらぬものが多い。やせていて、これが同じ光琳かと思うくらいだところでここに見られる乾山の方は楽に描きちらしていて、自由で豊かである。
と書かれています。光琳の「紅白梅流水図」「燕子花」などは傑作と評価していますが、乾山の陶器に対する絵付けに関しては、まったく評価していないようです。納得ですね。バーナード・リーチ氏もこの点を指摘していたのだと思います。
1960年代当時の乾山作と言われていた作品は、よく知られている光琳絵付けの作品以外は現在の眼で見ると「?」なものが多かった状況です。玉石混交の乾山作品の中で、玉である光琳絵付けの作品を評価できないのであれば岡本氏が乾山の作品を「才人の職人芸だ、と無視していた」ことも当然のこととして納得できます。私たちも「光琳の絵付け=傑作」という一般的な思考を見なおすべきかも知れません。

私は、この岡本太郎氏の一文に芸術品としての佐野乾山の素晴らしさのすべてが書かれていると感じました。現在、この重要な一文があまり重要視されていないことを不思議に感じました。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


30年ぶりにキリストの墓を訪ねる [東北]

前回紹介した八幡平から東北道を北上し、青森県の十和田湖に来ました。ここは弘前の桜を見に行く前には毎年のように訪れた地で、久しぶりで懐かしかったです。
せっかく来たので、30年ぶりにこの辺りのミステリーゾーン巡りをしました。

発荷峠から見た十和田湖の青い湖面と遠くに白く見えるのは八甲田山の山々です。
DSCF2494.JPG
十和田湖に入る手前に秋田県の大湯という場所があり、ここに日本最大のストーンサークル(環状列石)があります。縄文時代後期の遺跡とのことです。
これは、野中堂遺跡です。
1.JPG
ここは、まだ桜がきれいに咲いていました。柱状の石が立っていますね。
DSCF2442.JPG
こちらは万座遺跡の方で、直径46mあるそうです。周りに集落の建物が再現されています。
DSCF2465.JPG
以前来た時には無かった「大湯ストーンサークル館」が建てられていて関連した資料が展示されています。
DSCF2487.JPG
遺跡の日時計のレプリカが飾られています。
DSCF2488.JPG
十和田湖から三戸方面に山道を行き、新郷村へ向かいます。道の駅「R454 道の駅しんごう」です。ここのアイスクリームと飲むヨーグルトはとても美味しかったです。特に飲むヨーグルトは他の観光地でも良く飲みますが、ここのヨーグルトは濃厚で他では味わえない美味しさだったので、帰ってからすぐにネットで購入しました。(http://www.marumarushingo.com/?pid=46538442
DSCF2505.JPG
この道の駅にこのようなポスターが...。え! キリスト? そうなんです。今回の目的は、この新郷村にある「キリストの墓」と「大石神ピラミッド」なんです。このポスターを見ると、キリスト祭りは、50年以上前からやっているようですね。
DSCF2508.JPG
大石神ピラミッドの鳥居です。
日本にもピラミッドがあるというのは、昭和10年に日本のピラミッドの権威であった酒井勝軍が来て認定したそうです。日本のピラミッドは、もともとの地形を利用して巨石を配置して作られているとのことです。
新郷村のHPから引用します。「太陽信仰のピラミッドか?竹内古文書によると、エジプトのピラミッドよりも古い数万年前のピラミッドが、日本には7基あるとされています。昭和10年に画家の鳥谷幡山によって発見された十和利山のピラミットが4基目だとされています。山という自然の地形を利用して、頂上に巨石を配置したピラミットです。太陽礼拝所として古代から使われていたと考えられています。巨石群のマップをご覧ください。」(http://www.vill.shingo.aomori.jp/07sight/sight-pyra.html
DSCF2509.JPG
DSCF2511.JPG
「方位石 正しく東西南北を示している石」と書かれています。
DSCF2514.JPG
これは「星座石 めぼしい星を記録しておいたと言われる石」と書かれています。
DSCF2517.JPG
確かに人為的に配置したような巨石群ですね。
DSCF2522.JPG
さて、いよいよキリストの墓に来ました。キリストが日本に来たということは、茨城県にある天津教が所有している「竹内文書」に書かれています。「竹内文書」は、いわゆる古史古伝と言われているもので、まあ一般には偽書と言われているものです。(笑)
SCF2530.JPG
新郷村のHPから引用します。「「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡っていた」そんな突拍子もない仮説が、茨城県磯原町(現北茨城市)にある皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる竹内古文書から出てきたのが昭和10年のことです。竹内氏自らこの新郷村を訪れ、キリストの墓を発見しました。  1936年に考古学者の一団が「キリストの遺書」を発見したり、考古学・地質学者の山根キク氏の著書でとりあげられたりして、新郷村は神秘の村として人々の注目をあびるようになりました。」(http://www.vill.shingo.aomori.jp/07sight/sight-christ.html
SCF2544.JPG
30年前に来た時は、土饅頭に十字架くらいしかありませんでしたが、ずい分と整備されていますね。
これは「十来塚」と書かれており、キリストの墓とのことです。十字架で磔にされて死んだのは、弟のイスキリでキリストは、日本に戻って106歳の天寿をまっとうしたそうです。
DSCF2548.JPG
これが「十代墓」と書かれており、キリストの弟のイスキリの墓だそうです。
SCF2549.JPG
以前は無かった「キリストの里 伝承館」という施設ができていました。このキリストの墓に関する資料を展示しています。入館料は200円です。新郷村のHPから引用です。「キリストの墓と弟のイスキリの墓であるかは判断を預けるとしても、この新郷村にはいくつかのミステリーがあります。 戸来(へらい)はヘブライからくるという説。父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガということ。子供を初めて野外に出すとき額に墨で十字を書くこと。足がしびれたとき額に十字を書くこと。ダビデの星を代々家紋とする家があること。そして、「ナニヤドヤラー、ナニヤドナサレノ」という意味不明の節回しの祭唄が伝えられていること‥
1_2.JPG
憩いの広場に見える十字架です。
SCF2545.JPG
2004年(平成16年)6月6日の第41回キリスト祭にはイスラエル駐日大使が出席し、このエルサレム・ストーンと呼ばれる石灰岩を寄贈したとのことです。
SCF2547.JPG
天津教の竹内文書は偽書であるが、『正統竹内文書』というものは存在すると主張されている第73世武内宿禰を名乗っている竹内睦泰氏もおり、興味深いです。竹内睦泰は、予備校講師としての方が有名ですよね。興味ある方は氏の著書を読まれることをお勧めします。

また、新郷村の周辺には、神代文字の書かれた石が見つかっている「ドコノ森」や「迷ヶ平」という意味深な地名もあり、なかなか興味深いです。私としては、キリストの墓は?ですが、関連の伝承や異民族の渡来の一部は正しいのではないかと思っています。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ
飲むヨーグルト 900ml 3本飲むヨーグルト 900ml 5本〈基礎から動画で〉竹内の日本史書いて覚える戦略図解ボード正統「竹内文書」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)竹内家長老からの禁則を破って 正統竹内文書 口伝の『秘儀・伝承』をついに大公開! (超☆はらはら)竹内文書日本史「超」アンダーグラウンド1 古史古伝に込められた秘儀、秘伝、神々の話(超☆はらはら)超速!最新日本史の流れ―原始から大政奉還まで、2時間で流れをつかむ! (大学受験合格請負シリーズ―超速TACTICS)超速!最新日本近現代史の流れ―つかみにくい近現代を一気に攻略! (大学受験合格請負シリーズ―超速TACTICS)
超速!最新日本文化史の流れ―入試で差がつく文化史を、最短・完全攻略! (大学受験合格請負シリーズ―超速TACTICS)



八幡平で岩手山を楽しむ (2016年) [東北]

今年のGWは、弘前、角館の桜はすでに終わっていたので八幡平に泊りました。

泊ったのは、岩手山の麓にある八幡平ロイヤルホテルです。このホテルは、バブル期の80年代の終わりに泊った懐かしいホテルです。さすがにホテル古くなっていますが、バブル時代の広々としたフロアや部屋、お風呂などは気持ちが良かったです。

八幡平の街から岩手山が大きく見えます。
DSCF2278.JPG
弘前の桜は終わっていますが、ここは標高が高いので桜はこれからのようです。
DSCF2282.JPG
DSCF2286.JPG
どこからでも見える岩手山がきれいです。
DSCF2315.JPG
ところどころに桜が咲いていてきれいでした。
DSCF2317.JPG
ホテルの駐車場から見えた岩手山です。
1.JPG
6階の部屋から見える岩手山です。
DSCF2338.JPG
頂上付近をズームUpしてみました。
DSCF2344.JPG
ここの温泉は朝の5時から入れるので、5時に起きたら朝日に輝く岩手山が見えました。
DSCF2369.JPG
朝日で紅葉のように見えますね。
DSCF2380.JPG
以前来た時は、フレンチレストランだった12Fのフロアは展望台になっており、ここからの眺めがとてもきれいでした。
DSCF2407.JPG
岩手山の逆の方向を見ると、雲海がきれいに見えました。
DSCF2388.JPG
見ているうちに雲海がどんどん登って行きます。
DSCF2390.JPG
DSCF2392.JPG
そして、部屋に戻った頃には雲海がホテルまで登ってきており、岩手山が見えなくなっていました。
本当に「早起きは三文の得」だと実感しました。

食事の後、東北道を150Km北上して十和田湖を目指したのですが、下界は濃霧でした。あのきれいな雲海にのみこまれた下界はこんなに濃霧になるんだ、ということを初めて知りました。勉強になりますね。

さて、さらに北を目指します。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


今年もあしかがフラワーパークの藤を楽しむ (2016年) [関東]

ことしも藤の季節になりました。今年は、5月1日に見に行きました。
朝6時に川越を出発して、7時頃にフラワーパークの入り口近くまで行きましたが、そこですでに駐車場待ちの渋滞が始まっていました。みなさん無料駐車場が空くのを待っているのでなかなか進みません。私は昨年停めた西ゲート近くの500円の有料駐車場に決めているのですが、西口ゲートにも無料駐車場があるようで、一本道のため有料駐車場に停めるにも10分以上待たざるを得ませんでした。この辺りは何とかして欲しいですね。

今年は桜の開花が例年以上に早かったですが、藤の開花も同様に早かったようです。昨年は、藤もツツジも満開で大感激だったので、今年は少し残念でした。やはり花を見るには時期が重要ですね。

大長藤の棚です。
DSCF2063.JPG
DSCF2088.JPG
白藤は見ごろでした。
DSCF2077.JPG
ツツジもきれいでしたが、枯れている花もありました。
DSCF2079.JPG
「奇跡の大藤」です。すべて一本の木から花が咲いています。
DSCF2116.JPG
DSCF2146.JPG
DSCF2149.JPG
大藤の所で人形さんを撮影している方がいて、他のお客さんがそれを撮影していたので私も参加しました。(笑) ⇒ 問題あれば、連絡下さい。
DSCF2157.JPG
こちらは八重黒龍という藤で、ブドウのような花です。この藤はちょうど満開で、この棚の回りによい香りが漂っています。
DSCF2167.JPG
DSCF2169.JPG
DSCF2175.JPG
白藤のトンネルです。まだ少し花が短い感じでした。
DSCF2193.JPG
色とりどりの花がきれいでした。特に青い花が目を惹きます。
DSCF2211.JPG
白藤の滝です。
DSCF2217.JPG
こちらも白藤です。
DSCF2240.JPG
DSCF2247.JPG
きばな藤が咲き始めでした。これが咲き揃うときれいでしょうね。
DSCF2251.JPG



























桜の場合もそうなのですが、一度満開の素晴らしい花を見てしまうと、どうしてもその時の花と比較してしまいます。今年の藤も素晴らしかったのですが、もう少し早く行けば良かったと思いました。
来年もぜひ見に来たいと思います。

昨年の藤の状況は、こちらを見て下さい。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む [歴史の真実・陰謀論]

京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)
最近の落合先生の本は難解なので、読むのに時間がかかります...。
本書のまとめを行っている中、落合先生の最新刊が発売になってしまいました。先生の本は、内容を理解するのが大変なのでなかなか追いつけません。(笑)
今回紹介する「天皇とワンワールド」は、先生が2015年9月20日に東京の学士会館で講演を行った時に話された内容のベースとなっている本です。


先生の講演のDVDです。
活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)
私は先生の講演は、これまで発刊されていた、大塔宮計画、明治維新の裏などの話をされると思って行ったのですが、冒頭から「ウバイド文化」の話をされ、頭の中がパニックとなり「???」となりました。(笑)
しかも、先生はノー原稿で2時間休みなく講演をされ、そのパワフルさには本当に圧倒されました。興味ある方はDVDでその雰囲気を感じて欲しいと思います。


さて、この本の内容ですが、正直言って正確に理解できているとは言いかねますので、できるだけ私の言葉を挟まずに先生の言葉を紹介します。

●ワンワールドとは?
・国際秘密勢力で金融、宗教、軍事など基本的な分野に存在し、ワンワールド・バンカーはワンワールドの一部である。
これはいわゆる「ユダヤ」ではない。「ユダヤ人」という人種、民族はいない。ユダヤ教徒は存在するが、そのすべてがワンワールド・バンカーではない。ワンワールドは広義のフリーメーソンであり、その下に海外南朝衆、薩摩ワンワールド、観修寺衆など国體参謀、国體奉公衆がいる。

●京都皇統からの情報
・天皇しか見ることができない「ホンモノの皇統譜」が存在する。
・大塔宮護良親王の王子を北朝光厳上皇の籍に入れて崇光天皇とし、南北朝を秘密裏に統合した。
・欧州に渡った大塔宮の子孫がオランダ・ベルギーなどの王家となりその後の世界史の流れを決めた。
・大塔宮護良親王は、殺されたことにして極楽寺ネットワークを辿って奈良西大寺に入った。
⇒ 散所民社会の貨幣経済を掌握し、蓄積した西大寺の膨大な資産を使って欧州進出を行なった。
⇒ 極楽寺ネットワークは超宗教のマニ教思想で結ばれている。

●皇位継承権の要件 
・現在は、民間から皇室に皇后としてある程度自由に入っているように見えるが、現在でも大塔宮の血統の他に母系要件が必要。熊野別当の家系だけが皇后になれる(京都皇統代の舎人加勢の言)

●ウバイド文化
・太古メソポタミアで発生し、前3800年に終焉。ウバイド海民と騎馬民が東西に分かれる。
・東進した一派は日本列島に渡り、熊野、奄美大島に上陸。
⇒ 頭は、和田氏を称する「イシヤ」。紀ノ川「井口氏」、和泉「池田氏」、河内「和田氏」、「楠木氏」となる。
・西進した一派はケルト人国家を作った。
⇒14世紀に欧州に点在するウバイド・シュメル文明の遺民を結ぶネットワークを作るために大塔宮勢が欧州に入る。
「スメラ」は「シュメル」文明のアイデンティティを強調する合言葉
高松様は、よく口にされていた」(京都皇統代の舎人の言)
⇒ タクシス家が在欧大塔宮の血縁と推定。
・ウバイド人に入れ替わったのがシュメル人でウバイドを含めてシュメル文明と呼んでいる。ウバイド文化の本質は「思想と情報の文明」でワンワールド思想の根源となっている。ウバイド人は世界各地で「長者」と呼ばれ「イシヤ」を自称した

●欠史八代
記紀では神武即位を前660年としているが、神武東遷は前50年頃。記紀は神武の即位を600年遡らせている
⇒ 神武の即位を600年遡らせた理由は? 神武が釈迦より下るわけにはいかぬ(京都皇統の言) 記紀の天皇の不自然な長寿こそ、いかに不自然な長寿を用いても架空天皇を挿入しなかった証拠である
・欠史八代は実在した海人王朝(アマ王朝)であり、国體勢力の始祖。安曇海人族が北九州で起こした安曇王権の族長イハレ彦が東遷して神武天皇となる。
・北九州に残った安曇族の留守政権が欠史八代の九州分国となる。

●「国譲り神話」とは
・ 九州分国は、騎馬民王族を迎えて天皇とした。ミマキイリヒコ・イニエを開化の皇子として崇神天皇にする。その後、騎馬人男系と海人女系の対婚制とした。
⇒ 欠史八代から崇神への皇統変更(開化 ⇒ 崇神)が「国譲り」である。崇神はウバイド騎馬系と安曇海神系が混血した崇神天孫族であった。
①タケミカヅチは崇神天皇
②ヤヘコトシロヌシは在外国體
③タケミナカタは国體天皇
④大国主は孝元天皇

●三韓征伐
・仲哀天皇が半島から八幡系天孫(ホムダワケ)を迎え入れた。仲哀天皇は偽装崩御して満州に渡る。(仲哀は中継ぎ天皇)武内宿禰は崇神天皇朝の国體参謀総長。

●応神天皇
・紀元2世紀、羅津は崇神に王朝を譲った海人王朝の皇子フトオシが入り在外国體天皇となった国體天領。フトオシの子孫が八幡殿となり(八幡天孫族)その王子がホムダワケ(応神天皇)。満州の砂金を神功皇后に託し応神と凱旋(八幡ファンド)し、秦氏が宇佐に八幡宮を祀る。

●欽明朝はワンワールドへの開国
①國體外戚を春日小野氏からタチバナ氏に交替
②大陸史観の導入するため「フヒト=史家」を養成
③大乗密教の形をとったマニ教の輸入
 ⇒ 中心は聖徳太子。恵慈が伝えたワンワールド情報は「マニ教」。

落合秘史、古代史に興味ある方は、ぜひ読んでみて下さい。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ
天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)逆説の明治維新 (別冊宝島 2315)天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実



信州 小諸の懐古園の桜を楽しむ (2016年) [旅行]

信州、小諸の懐古園に行ってきました。
ここも桜の名所なのですが、前回上田城に行った時にはまだ桜が見頃では無かったためパスして、今回改めて行ってきました。川越を朝の6時半くらいに出て、関越道を通って小諸に行き、1時間半ほど桜を楽しんで11時頃に川越に戻ってきました。この時間帯であれば高速道路の渋滞はありません。

小諸城は、豊臣秀吉の時代小諸城主となった仙石秀久が作った城です。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」と言われる形式の城で全国でも珍しいそうです。
重要文化財の三の門です。
1.JPG
駐車場の所にあったしだれ桜の色がきれいでした。
DSCF1844.JPG
開園は8時半なのですが、その前に行くと入場料は取られません。
DSCF1855.JPG
本丸跡にある懐古神社です。
DSCF1859.JPG
鳥居の桜がきれいでした。
DSCF1860.JPG
拝殿の脇にある桜です。
DSCF1862.JPG
DSCF2004.JPG
DSCF2007.JPG
本丸跡から見下ろす場所にある馬場にたくさんの桜の木が植えられています。
DSCF1876.JPG
DSCF1880.JPG
桜と石垣はとてもマッチしますね。
DSCF1889.JPG
DSCF1891.JPG
馬場に降りて、下からも桜を楽しむことができます。ピンク色のしだれ桜は数が少ないのでとても目立ちます。「小諸八重紅枝垂」というそうです。
DSCF1917.JPG
DSCF1921.JPG
こちらの枝垂れは少し色が薄いですね。
DSCF1946.JPG
桜の花をアップします
DSCF1962.JPG
DSCF1992.JPG
やはりピンク色は目立ちます。(^^)
DSCF1973.JPG
駐車場の入り口にある桜が満開でした。
DSCF2040.JPG
馬場の桜はきれいでしたが、高遠城の満開の桜を見た後なので少し物足りなく感じます。(笑)
城跡の石垣はきれいなので、桜の季節以外でも楽しめそうですね。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


信州 上田城 - 小布施 - 松本城 を楽しむ (2016年) [旅行]

前回、高遠の桜を紹介しましたが、その前の日に上田城、小布施の北斎館、松本城を回って桜を楽しんできました。Webの情報では高遠の桜が遅れているようなので一日時間を稼ぎました。

NHKドラマ真田丸でもり上がっている上田城、小布施の北斎館、松本城でもらってきました。
3.JPG
上田城の南櫓(左側)と東虎口櫓門(右側)です。
DSCF1214.JPG
北櫓の桜がみごとでした。
DSCF1318.JPG
お堀の桜です。
DSCF1276.JPG
ここにだけピンクの桜がありました。
DSCF1268.JPG
お堀の桜と北櫓です。
DSCF1315.JPG
DSCF1278.JPG
城内にある 真田神社の拝殿です。御朱印をもらってきました。期間限定で見開きの御朱印を押してもらい500円でした。
2.JPG
真田丸の大河ドラマ館です。TV見ていないので、中には入りませんでしたが...。
DSCF1322.JPG
小布施と言えば北斎館です。80歳を越えた葛飾北斎が江戸から200Km以上離れた小布施を何度も訪れ、たくさんの肉筆画を残したと言われています。その肉筆画の保存の目的で建てられたのが北斎館です。小布施はこの北斎館を中心に竹風堂など栗菓子やお蕎麦のお店が集まっています。
DSCF1335.JPG
桜井甘精堂の北斎亭です。和食と栗菓子のお店です。
DSCF1336.JPG
栗菓子で有名な小布施堂です。
DSCF1339.JPG
高速道路の梓川SAから見える北アルプスです。(左:常念岳、右:横通岳)
DSCF1365.JPG
忽然と現れるピンク色の山は...。松本市にある弘法山古墳です。3世紀末に造られた東日本最古級の古墳だそうです。3世紀と言えば卑弥呼の時代ですよね。すごい! その古墳全体が桜の山となっています。2,000本の桜が植えられているそうです。頂上付近には人影が見えます。
DSCF1449.JPG
弘法山古墳の上から見るとこのように見えます。回りは白やピンクの桜の木々で埋まっており、その向うに松本市街が見え、その先には北アルプスの山々が見えます。
1.JPG
DSCF1403.JPG
ここの桜はすごいです。感動します。全然期待していなかったので、うれしい誤算です。
DSCF1411.JPG
この桜の濃密感がすごいですね。
DSCF1401.JPG
天気が良ければもっときれいだったでしょうね。
DSCF1420.JPG
ここは本当にお勧めの場所です。満開の時にずっと眺めていたいです。
DSCF1430.JPG
DSCF1437.JPG
さて、毎度の国宝、松本城です。お堀の回りに桜があればいいんですけどね。通路の外側に咲いているので、桜を楽しむにはいまいちですね。
DSCF1501.JPG
DSCF1515.JPG
松本城は、いつ来ても欧米の方々が多いように思います。
DSCF1519.JPG
お城の中の桜です。
DSCF1527.JPG
久しぶりに天守閣に登りました。松本城の中から見た景色です。
DSCF1547.JPG
夕暮れのダイヤモンド松本城です。(笑)
22.JPG
信州の桜、十分に堪能できました。
それにしても弘法山古墳の桜は驚きました。期待していなかったのですが、素晴らしかったです。
来年も満開の時期にぜひ来たいですね!

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


信州、高遠の桜はすごい! 天下第一の桜を楽しむ (2016年) [旅行]

信州の天下一の桜と言われている高遠城址の桜を見てきました。
高遠の桜と言えば、吉野の桜、弘前の桜とともに「日本三大桜」と言われています。私は弘前の桜が大好きで30年以上前から何度も通っています。満開の時の弘前の桜は本当に素晴らしいです...。

さて、高遠の桜です。高遠には4月9日に行ってきましたが、とにかく桜の迫力に圧倒されました。高遠城は山城なので山全体が桜の木で埋まっているように見えます。弘前城に比べて狭いので、桜の密度が全然違います。とにかく「どこに行っても桜の花」、「どこもかしこも桜のトンネル」という感じです。

遠くから見るとお城の部分が桜の花で覆われています。
DSCF1818.JPG
車を高遠高校の駐車場に停めて、10分くらい歩いて、高遠美術館の方から入りました。
DSCF1661.JPG
タカトオコヒガンザクラが満開でした。
DSCF1664.JPG
ソメイヨシノより小ぶりの花ですが、見た目はシャープな印象を受けます。
DSCF1673.JPG
遠くに中央アルプスの白い頂が見えます。
DSCF1677.JPG
とにかく満開できれいでした。
DSCF1678.JPG
桜の花の下はどこもかしこも花見のお客さんで一杯でした。
DSCF1686.JPG
DSCF1687.JPG
入場料は500円です。
DSCF1690.JPG
どこもかしこも桜のトンネル状態です。
DSCF1708.JPG
本丸の横にある太鼓櫓と桜です。
DSCF1710.JPG
天気が良かったので、桜のピンク色が見事でした。
DSCF1711.JPG
桜の花のカーテン越しに見える太陽です。
DSCF1720.JPG
本丸跡から桜の間に中央アルプスが見えます。
DSCF1723.JPG
橋も桜と人で溢れています。
DSCF1736.JPG
まさに桜のトンネルです。
DSCF1747.JPG
DSCF1768.JPG
その桜のトンネルの下は、やはり花見をしている人たちで一杯です。
DSCF1740.JPG
DSCF1769.JPG
DSCF1785.JPG
お城の外にある桜も見事でした。
DSCF1794.JPG
ダムによってできた高遠湖と奥に南アルプスが見えています。
DSCF1805.JPG
帰りに寄った諏訪SAから見た諏訪湖です。天気が良かったので湖面がきれいな色でした。
DSCF1822.JPG
高遠の桜、本当に見事でした。弘前の桜もすごいですが、桜の密度、桜に囲まれているという雰囲気は高遠の方が上ですね。来年もぜひ来てみたいです。
ただし、桜の名所なので伊那からの一本道が渋滞します。私は9時半くらいに渋滞にはまり、車を停めるのに30分くらいかかりました。来年は、もっともっと朝早く来ようと思います。

本当にここはお勧めです! みなさんもぜひご覧になって下さい。

桜に関しては、以下もご覧ください。
・X-E2で日本一の弘前の桜を撮る (2014年)
・X-E2で角館の桜を撮る! (2014年)
・満開の弘前の桜を見るのは難しい! 

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


幸手権現堂で桜と菜の花を楽しむ (2016年) [関東]

埼玉県の幸手(さって)にある権現堂桜堤の菜の花と桜を見てきました。
4/3に行ってきましたが、桜はまだ七分咲きという感じでした。でも菜の花が満開だったので、菜の花と桜のコントラスト楽しむことができました。

今回始めて来たのですが、菜の花の黄色が見事でした。菜の花畑の中を歩くことができる場所もありますので、黄色い菜の花を堪能することができます。今の時期は、菜の花が主役なので桜が満開でなくても菜の花で十分に楽しむことができました。

ここはお勧めですね!

DSCF0825.JPG
菜の花の間を散策することができます。
DSCF0855.JPG
しだれ桜が1本咲いていました。
DSCF0912.JPG
DSCF1003.JPG
菜の花のアップです。
DSCF0927.JPG
DSCF1056.JPG
DSCF1066.JPG
DSCF1072.JPG
DSCF1083.JPG
DSCF1086.JPG
DSCF1115.JPG
一応桜のアップも紹介します。(笑)
DSCF1118.JPG
DSCF0819.JPG
DSCF0820.JPG
桜の花のアップも一枚。
DSCF0974.JPG

今の時期、本当に菜の花と桜がきれいです。
お近くの方はぜひ行ってみてください! 駐車場に入る道が混むので9時前に行った方が良いですよ。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


小麦は食べるな! 「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 ノバク・ジョコビッチ著 を読む [ダイエット]

ジョコビッチの生まれ変わる食事
ご存じ、テニスの王者、ノバク・ジョコビッチの本です。

ジョコビッチは、長い間続いたフェデラーとナダルの2強時代を終わらせて、2011年から王者となった選手です。その王者になれた理由がこの本に書かれています。それは、小麦などに含まれるタンパク質「グルテン」を食事から排除することでした。

Webを見ると、ジョコビッチも実践した「グルテンフリーダイエット」というようなブログも散見されますが、ジョコビッチがこの本で主張しているのは「ダイエット」ではありません。そもそもジョコビッチはダイエットをしたからNO.1になれた訳ではありません。

ジョコビッチは「グルテン不耐症」(セリアック病)という病気だったのです。ですので、グルテン不耐症だからグルテンを食べることを止めることで成績が向上したのです。確かに、グルテンと乳製品を絶つことにより、体重が5Kg減少しましたが、それが目的では無かったのです。

ジョコビッチは、2007年頃からTop10入りして、すぐにTop3に入ります。しかし、2強であるフェデラーとナダルとの差があり過ぎて、自ら「第二集団でもがくだけの存在だったプレーヤー」だったと書いています。その理由は、試合で勝ち上がっても、大一番で原因不明の発作により棄権や敗北が続いていたからです。マスコミや他のTopプレヤー達は、調整不足、体調管理不足、アレルギーなどと指摘していたそうですが、その理由が「グルテン不耐症」だったのです。2010年に、たまたまTVでジョコビッチの試合を見ていたセルビア人の医師が、発作で倒れるジョコビッチを見て、「グルテン不耐症」ではないか、と判断したことがきっかけとなりました。

そして、原因が分かり食事からグルテンを排除したジョコビッチはすぐに5Kg痩せ、脳の中の霧が晴れボールに対する反応が速くなり、身体の柔軟性が増したことで2011年は、全豪・全英・全米オープンで優勝し、念願の世界ランキング1位になります。そして、それ以降2012年、2014年と世界1位を維持し、2016年現在も絶対的王者として君臨しています。

ジョコビッチは、1日5時間以上ハードなトレーニングを続けていたことで有名ですが、グルテンを排除する前は、あまり食事に気を使っていなかったようです。「これだけトレーニングをしているのだから...」とけっこう間食なども行っていたようです。しかし、その後食事からグルテンを排除することですぐに5Kg痩せたため、「運動だけで痩せようと思うのは考え直した方がよい」と書いています。

ジョコビッチは、すべての人に自分と同じような食事をするようにとすすめているのではありません。人はみんな違う身体を持っているのだから、自分にあった食事をすることが重要だと言っています。その一つの例として、「グルテンを14日間だけやめてみて、どういう気分になるか試してみてほしい。そして、15日目に、パンを少しだけ食べて様子をみてほしい。体が発する声に耳を傾けてほしい。」を提案しています。

その理由は、ジョコビッチと同じようにグルテン不耐症の人がいる可能性があること。そしてもう一つの理由は、現在グルテンはあらゆる加工食品に使用されており、そのほとんどが遺伝子組み換えされた穀物であり、これを食べることによって脳の中で炎症が起こると言われています。そのため、2週間そのような食物を排除することで、グルテンが自分の体に与えている影響や、自分の体の変化(体の訴え)をよく観察して欲しいということです。

ちなみに、ジョコビッチのお父さんはピザ屋をやっていたそうですが、診察の結果グルテンの他に、乳製品やトマトに対してもアレルギーがあることが分かり、診察した医師に思わず「ちょっと待って下さい。私の家はビザ屋なんですよ!」と叫んでしまったそうです。

さらにジョコビッチは、この本の中で遺伝子組み換え穀物がさまざまな加工食品に使用されていることを含めて食品業界が儲かり、それによって私達の健康が損なわれ、医療業界が儲かっていることを指摘しています。これはジョコビッチの立場を考えるとかなり勇気のある発言だと思います。

ジョコビッチはセルビア(旧ユーゴスラビア)の出身です。サッカーで言うと、オシム元全日本監督やピクシーことストイコビッチも同じ国の出身です。サッカー関連の記事で、ユーゴが内戦で大変だったことは知識としては知っていましたが、それ以上の詳しい事は知りませんでした。

この本には、ジョコビッチがテニスを始めた子供の頃、毎晩のようにNOTO軍の空爆を受け、防空壕に避難する日々だったことが書かれています。そのような状況でも次の日にはテニスの練習場所を探して、毎日練習したそうです。このような死と向かい合わせの体験がジョコビッチの精神力のベースにあることが分かりました。

正直言って私自身は、ジョコビッチはあまり好きなプレーヤーではありませんでした。(錦織ファンです) しかし、この本を読んで非常に感銘を受け、好きな選手の一人になりました。また、このように自分が飛躍できた秘密をあえて公開していることに驚きました。これはプロ選手として自分の強さに絶対の自信があるからできる事だと思います。何故なら、この本を読んだ無名の選手がグルテンフリーによってジョコビッチのように大飛躍を成し遂げて、No.1の座を脅かされるリスクだって十分にあるからです。

おそらくジョコビッチにとっては、その程度であれば受けてたつよ! という自信があるのでしょう。ただ、この本の中でメンタル面の安定方法に関しては、「僕はまだ現役のプレーヤーなので詳細は書かない」というような事を書いていますので、ジョコビッチにとっては食事よりもメンタルの安定の方が守るべき秘密のようです。

食事に関して興味がある方にはお勧めの一冊です。

ダイエットに関してはこちらもどうぞ。
・私も実践! 「やってみました1日1食!! 」 船瀬俊介著 を読む
・万病が治る! 20歳若返る! 『かんたん「1日1食」!! 』 船瀬俊介著 を読む
・男性は読まないように! 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井睦著 を読む
・間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む
・ダイエット本の決定版! 「やせる」 勝間和代著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


2週間で体が変わるグルテンフリー(小麦抜き)健康法 (青春新書インテリジェンス)いつもの小麦が不調の原因! グルテンフリー入門 (TJMOOK 知恵袋BOOKS)小麦は「毒」?: 小麦のグルテンがあなたの健康をむしばんでいる「いつものパン」があなたを殺す: 脳を一生、老化させない食事 (単行本)疲れやすい人の食事は何が足りないのか (青春新書プレイブックス)




歯周病は病気の原因になる! 「白米が健康寿命を縮める」 花田信弘著 を読む [健康]


白米が健康寿命を縮める 最新の医学研究でわかった口内細菌の恐怖 (光文社新書)白米が健康寿命を縮める~最新の医学研究でわかった口内細菌の恐怖~ (光文社新書) ← Kindle版です。

虫歯や歯周病が歯だけでなく、全身の病気の原因になるというコワい話です。

著者の花田 信弘氏は、1953年福岡県生まれ、福岡県立九州歯科大学歯学部卒業、同大学院修了。米国ノースウェスタン大学博士研究員、九州歯科大学講師、岩手医科大学助教授、国立感染症研究所部長、九州大学教授、国立保健医療科学院部長を経て現在、日本歯科大学、明海大学等の客員教授、非常勤講師等をされています。

この本の要旨をまとめて言うと、

口内細菌(虫歯菌や歯周病菌)が血液中に入り込み、がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病、慢性関節リュウマチ、脳脊髄膜炎、心内膜症 などの原因となる。

ということです。
血液の中に細菌が入りこんだ状態で、急激に菌が増えた場合は敗血症となりますが、菌が徐々に増える場合は、菌血症と言われます。そして、体の中で唯一、日常的に菌が簡単に血液の中に入り込める場所が「虫歯の穴」と「歯茎の間の炎症でできた隙間とその奥の血管」だそうです。

口内細菌は、歯の表面にバイオフィルムと言われる菌の保護膜を作り、これはうがいでは取ることができず、歯垢、歯石となり物理的に砕くしか除去することはできません。そのため、バイオフィルムの状態の時に歯磨きできちんと取る必要があります。食事をした後、歯磨きをしないで寝ると確実に口内細菌は増殖して血管内に入り込み血液と一緒に全身を巡ることになります。(バイオフィルム1mg内に約1億個の細菌が存在する)
このバイオフィルムという概念は、20年前には存在しなかったものだそうで、古い歯医者さんはあまり気にしていないかもしれませんね。

口内細菌には以下の2種類があります。
①歯周病菌Gr:菌自体が毒素を持つタイプで、耐熱性があり、ホルマリンで無毒化できない。
②虫歯菌Gr:体内に入って毒素を放出するタイプで、熱やホルマリンで無毒化される。

虫歯の場合は、歯医者に行って治療しますが、歯肉炎などの軽い歯周病の場合はそのまま放っておくことが多いと思います。しかし、歯肉炎は発症して炎症を起こし、潰瘍面から毒を持った細菌が血液中にどんどん入ることで、血管の劣化や老化の原因になるそうです。

そうは言っても、人間の体は外からの菌に対して防御機能がきちんとしているはずでは? と思いますよね。私もそう思っていました。でも口腔内細菌が増え始めたのは進化の過程ではつい最近のことであるため、人間の防御機能が対応できていないそうです。

さて、ここからが本題です。その最近とはいつかと言うと、稲作が始まった時だそうです。そして、米やイモなどの糖質を加熱した時に、βデンプンがαデンプンになる(糊化)ことが問題で、これが虫歯の原因となります。この糊化したものが、いったん冷えるとデンプンはβ化するので虫歯のリスクは減るそうです。つまり、ホッカホカのご飯よりも、冷やした冷や飯の方が虫歯のリスクが低いということです。

稲作を行う前の原始人の時代は虫歯、歯周病は無かったそうです。原始人の頃は山菜、木の実、魚介類、獣肉類などを食べていたようです。また、チンパンジーには虫歯や歯周病がないそうです。

つまり、米などの「糖質のみが虫歯の原因であり、歯周病菌のエサとなる」ということです。
食後の歯磨きは当然ですが、米などの糖質を減らすことも重要ですね。
糖質は美味しいですが、歯周病や肥満などの原因となりマイナス面も大きいですね。

私のとっては衝撃的な内容でした。
みなさんにもお勧めします。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

科学的根拠に基づく歯周病へのアプローチ歯周病で死ぬのはイヤだ!歯周病専門医が教える糖尿病がよくなるとっておきの方法歯と歯ぐきを守る新常識 歯みがきだけで虫歯や歯周病が防げない本当の理由 (サイエンス・アイ新書)歯は磨かないでください 歯周病を治すと、全身が健康になる (廣済堂健康人新書)




大宮の鉄道博物館を楽しむ (2016年) [関東]

大宮に鉄道博物館があります。以前、秋葉原にあった交通博物館が2007年に大宮に移転したそうです。
子どもたちが小さい時は、秋葉原の交通博物館に行ったことがありますが大宮には行ったことがありませんでした。鉄道好きの人たちにとっては、大宮と言えば鉄道博物館だそうです。

入り口は、入場用のカードを買う必要があります。大人1,000円、子ども500円です。
DSCF0441.JPG
時間がなかったので車両展示スペースだけ見てきました。
1.JPG
歴史的な車両も展示されています。
DSCF0355.JPG
広いスペースにたくさんの車両が展示されています。ただし、この展示スペースですが、外光がほとんど入らず、照明も暗いので写真を撮影する場合は注意が必要です。F4以上に絞ると感度がISO6400になることも多かったです。子どもを連れたお母さん達はコンデジできれいに撮れているのでしょうか?
大和ミュージアムのようにもっと外光を入れて明るくして欲しいですね。
DSCF0380.JPG
やはりSLは人気のようですね。
DSCF0381.JPG
新幹線も展示されています。
DSCF0414.JPG
C57です。人気なので、人が居なくなるタイミングが難しかったです。
DSCF0424.JPG
二階からいろいろな角度で見ることができます。
DSCF0442.JPG
DSCF0453.JPG
中央線の電車です。以前、三鷹の隣の駅が最寄り駅だったので懐かしいです。
DSCF0463.JPG
初代の新幹線は別の棟に展示されています。
DSCF0467.JPG
昔の怪獣映画に出てくる型式ですね。(^^)
DSCF0470.JPG
DSCF0484.JPG
鉄道と言えば、日本食堂ですね。
DSCF0440.JPG
外のスペースにも電車が展示されています。中にも入ることができました。
DSCF0477.JPG
今回は、車両展示スペースだけでしたが、他にもいろいろな展示がされています。
結構外国人の方が多く来ていましたし、駐車場のナンバーを見ると、ほとんどが県外からの車でした。
鉄道好きの人にはお勧めですね。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


関東三大梅林 水戸偕楽園の梅林を楽しむ (2016年) [関東]

水戸の偕楽園の梅林を見てきました。
水戸の偕楽園は、関東三大梅林の一つと言われています。その三つとは、
①水戸偕楽園(茨城県水戸市)、②越生梅林(埼玉県越生町)
の二つは、ほぼ確定しているようですが三つ目は、いろいろと説があるようです。
・秋間梅林(群馬県安中市)
・熱海梅園(神奈川県熱海市)
・曽我梅林(神奈川県小田原市)

今回、水戸の偕楽園は初めて訪れたのですが、素晴らしい梅林ですね! 地元埼玉の越生の梅林は何度も行っていますが、三大梅林の一つとは言いますが、残念ながら偕楽園との差は大きいように思います。もともと偕楽園は、岡山の後楽園、金沢の兼六園と並んで日本三名園の一つに数えられている名園です。その中にある梅林ですから、梅林だけでなく庭園そのものの素晴らしさも楽しむことができます。
梅の木の本数も、偕楽園:3,000本、越生:1,000本と規模も偕楽園の方が上ですね。

偕楽園の入り口にある紅白の梅です。
DSCF0003.JPG
レストハウスもあり、梅まつりなので出店がたくさん出ていました。
DSCF0013.JPG
梅林の間の小路を歩いていきます。
DSCF0018.JPG
この木は同じ枝に白とピンクの花が咲いていました。
DSCF0028.JPG
白梅がちょうど見ごろでした。
DSCF0044.JPG
紅梅もきれいですね。
DSCF0046.JPG
ここの梅は古木が多いので、梅の花よりも梅の木の枝ぶりを楽しみたくなります。
DSCF0067.JPG
歌川広重の浮世絵にありそうな梅林の雰囲気ですね。
DSCF0103.JPG
大きな花びらが目に着いたので...。
DSCF0119.JPG
この木は迫力がありました。
DSCF0138.JPG
これも趣がありますね。
DSCF0140.JPG
大きな紅梅の木を見上げてみました。
DSCF0150.JPG
見晴広場にある「左近の桜」です。巨木です。
DSCF0152.JPG
見晴広場から左上の千波湖方面を見ました。手前にも梅林が広がっています。
DSCF0158.JPG
DSCF0164.JPG
見晴広場には、素晴らしい木がたくさん植えられていて眼を楽しませてくれます。
DSCF0172.JPG
DSCF0192.JPG
偕楽園に隣接して水戸光圀公と徳川斉昭公(烈公)をお祀りした常磐神社があります。最初にお参りしたのですが、誰を祀っているのかを知らずにお参りしてしまいました。(^^) しかも御朱印帳も忘れてきました...。
DSCF0228.JPG
常盤稲荷神社(末社)です。
DSCF0210.JPG
偕楽園は始めてですが、とても素晴らしい梅林でした。高台にありますので、庭園からの眺めもよく梅の季節以外でも楽しめると思います。

桜の時期にも再訪したいと思いました。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


前の30件 | -
メッセージを送る