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なぜサムスンは強いのか? サムスン式 仕事の流儀 5年で一流社員になる ムン・ヒョンジ著を読む [ビジネス]

2012年3月期の決算で、パナソニック 7,721億円の赤字、ソニー 4,566億円の赤字、シャープ3,760億円の赤字と日本のトップ企業の業績の悪化には驚きました。
一方、韓国のサムスンは、2012年1~3月の4半期だけで、4,200億円の営業利益を稼ぎだし、スマートフォンもアップルを抜いてトップシェアとなりました。どの分野においてもトップシェアを目指し、それを実現できるサムスンの秘密はなんなのでしょうか?
それに対する回答がこの本にあるように思いました。
著者のムン・ヒョンジン氏は、30歳そこそこで2006年前後にサムスンSDIのグループ長として働いていたとのことです。
サムスンSDIは、グループ全体の系列社中でもで仕事の過酷さにおいては1,2を争い、殺気立っていた。チーム社員40人のうち、20人が入れ替わってしまうことまであった。理由はただ一つ。サムスンSDIの仕事のやり方に耐えられないからだ。
しかし、この本にそれほど目新しいことが書かれている訳ではありません。
その内容は以下のようなもので、日本のTop企業で働いている優秀な社員であればみんなやっていることが書かれています。しかし、それをすべての社員に要求しているということがポイントなのだと思いました。
例えば、「出張報告書」は帰りの飛行機の中で書き終えろ、というのは日本企業でも優秀で意欲のある社員であればみんなやっていると思いますが、それを社内の常識としている日本企業は少ないように思います。また、残業に関しては、最近の日本企業は「効率よく仕事をして残業を減らしましょう」という「ゆとり教育」のような風潮が多いと思いますが、サムスンでは残業が多いのは当たり前、いやなら転職しろという徹底ぶりです。
考えてみれば分かることですが、同じ能力の社員がいた場合、定時で帰る社員と遅くまで残業している社員ではどちらが多くの仕事を「早く」こなすことができるでしょうか?
多くの残業をすると仕事の効率は落ちるかも知れませんが、その分だけ時間をかけてそれ以上の成果を出すことができるのは当然だと思います。知的で、クリエイティブな仕事には労働時間は関係ないと主張する方もいると思いますが、そのようなクリエイティブな仕事が自分の仕事の中でどの程度の割合を占めているでしょうか? その割合が非常に多ければ、この論理は成り立ちませんが、ほとんどの人はその割合はそれほど高くないはずです。
そして、家に帰っても常に仕事のことを考えていれば、それだけ問題に対する思考も深まるはずです。日本は労働時間が長いと批判している欧米でも本当のエリート社員は、自宅でも仕事をするようなハードワーカーが多いと聞いています。
最近の日本企業の凋落はこの辺りに原因があるという考え方は穿った見方でしょうか?
その意味で、バブル期までの昭和時代の日本のモーレツ社員が揃っているのがサムスンなのでは? と思いました。
まず、サムスンが一番重視している「仕事のスピードアップ」に関してです。
●時間を制する者が、成果と利益を制する
現在サムスンが見せている「最高の成果」には、他者よりもスピーディーに仕事を進めてきたという背景がある。
・時間を制する者が成果を利益を制し、時間を先取りする会社がビジネスの勘所を押さえ、市場をリードすることができるのだ。サムスンでは仕事のスピードアップのために、退社前にその日の報告事項を整理して上司にメールで送る。夜、役員がメールを開き、考え判断する時間ができることで、業務は「進行中」の状態となる。
・サムスンの報告のルールでもっとも重要な1つが、「即座に」というものだ。リアルタイムの報告には、状況を掌握する力がある。決裁を行う上司もやはり速いスピードで動く必要がある。
・「出張報告書」は帰りの飛行機で書き終えろ!飛行機から降りたら報告書が読めるようにしておく。これがサムスンの常識だ。
●報告書は、自分の顔であり人格である
・優れた報告書に必要な三つの視点「過去―現在―未来」の視点のフレームを用いること。
・「解決策」のない報告をしてはならない。報告は、解決策のあるアクションでなければならない。
● サムスンは会議は多い
・会議は「仕事の設計図」である。
・議事録が作成されたら、必ず出席者にもう一度「公開」されるべき。会議終了と同時に議事録がメールで送信されるのがベストな方法。
●サムスンは残業が多い
「残業」に対する立場と行動を決定せよ
・ 残業が多いのは会社がダイナミックに動いている証拠であもあり、あるいは停滞期を抜け出そうと全力を尽くしているときでもある。どうしても残業に耐えられないというのであれば、思いきって転職することも必要だ。
●デスクの整理整頓を徹底する
・デスクの状態は、頭の中の状態と同じである。
先日、たまたまサムスンの人たちと仕事をして 飲む機会があったので、この本を紹介しました。「出張報告書」は帰りの飛行機で書き終えろというのは本当か?と確認したところ、「本当だ」と言っていました。今回の出張報告も帰りの飛行機で書いたのでしょうね。
ちょっと面白いと思ったのが、以下の内容です。
●ワイシャツの一番上のボタンを外してはならない
・個人イメージが企業イメージを左右する ⇒ かなり厳格なドレスコードを設けている
・基本的にランニングは必ず着用。女性がブラウスの下にブラジャーを着けないのと変わらない。女性の場合もタイトすぎる服やミニスカート、派手なアクセサリーは避ける。
●血も涙もないきつい上司がいたとしても、これは”ハード・トレーニング”なのだと受け止めよう
・上司への対応の鉄則 ⇒ こちらの望みどおりにしてくれる上司は、どこにもいない。
次も興味深い内容です。現在の日本の大企業で、そこまで社員に言う企業ははないと思います。
●社長のように忠誠を尽くして仕事をせよ
・社長のように仕事をするということは、「最高の仕事力」を身につけること。
・社長の気持ちになって仕事をすると仕事への態度そのものが明確に変わってくる。
・サムスンですら、社員を判断するときもっとも高く買っているのが「忠誠心」なのだ。
● 「いつでも辞表をだせばいい」と考える人を、会社が幹部に昇進させるわけがない
・仕事に対して責任感があるからそこ「率先垂範」を示すことができ、会社に対する責任感も証明してくれる。
ある知財関連の講習会で日本のTop企業の方が韓国企業の強さは、「徴兵制があるから」だと言っていましたが、一理あるかも知れません。Topが方針を立てて、Topが右と言えば文句を言わずに右に行くような風土は軍隊での訓練が一番だと思います。
いずれにしてもサムスンには、昭和の時代に日本企業が持っていたダイナミズムを感じるのは確かです。
大前研一氏は、日本企業は、欧米企業からは学ぶ姿勢はあるが、感情的な面から中国・韓国などのアジアの企業からは学ぼうとしないと書いています。現在、これだけサムスンに差を付けられた日本のメーカーには、学ぶべきところは学ぶという姿勢で奮起を期待したいところです。
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伊達政宗、片倉小十郎の仙台城、白石城を見る。 [東北]
仙台と言えば、まず青葉城が頭に浮かびますよね。
青葉城は正式には仙台城といい関ヶ原の戦いの後の1601年に築城されたそうで、江戸城に次ぐ大きさを誇っていたそうですが、もともと家康に気を使って天守閣は作らなかったと言われています。戦前まで、大手門、脇櫓(隅櫓)(当時国宝)、二の丸表舞台楽屋が残っていましたが、1945年の米軍による仙台空襲により全て消失してしまいました。
現在、本丸のあった場所は青葉城址なっており、みなさんご存じの伊達政宗像があります。そして二の丸跡は、東北大学のキャンパスになっています。また、三の丸のあった場所には現在、仙台市博物館が建っています。
私が仙台に住むようになり街中を車で走って驚いたのが、街のいたるところに東北大学のキャンパスや病院、関連施設があることです。さすが、旧帝大は規模が違うな、と感心しました。そして、車で青葉城址に行くと途中の山の上にも広大な東北大学のキャンパスがあり(二の丸跡)、これにもビックリです。東北大学の学生は本当に良い環境で勉強できるのだな、と羨ましく思いました。
これを見ると、東北大の施設の多ささが分かると思います。
⇒ http://www.tohoku.ac.jp/japanese/profile/about/10/about1001/
伊達政宗ファンの人たちは、ぜひとも東北大学に入学すべきですね。毎日仙台城跡で勉強できるのですから。(^^)
さて、みなさんおなじみの青葉城址です。青葉山の絶壁の上に建っていましたので、伊達政宗像の向こうに仙台の街並みが一望できます。

この角度からの伊達政宗像が有名ですね。

普段とは違った角度からの伊達政宗像です。

青葉城址から仙台駅方面を見たものです。木に隠れていますが、手前に広瀬川が流れています。

三の丸方面に行く道と石垣です。石垣の向こうに見える高い建物が、ウエスティンホテルが入っているトラストタワーです。(参考:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-11-27-1)

青葉城からもちゃんと見える「仙台大観音」です。
「仙台大観音」に関してはこちらをご覧ください。 ⇒ http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-1

さて、青葉城を後にして伊達政宗の名参謀と言われていた片倉小十郎の城である白石城に向かいます。白石城は仙台から高速で30分くらい南に走り白石で降ります。
駐車場から白石城への道にあった看板です。「城来路(シロクロード)」は、他の城でも使えますね。

白石城の入り口にありました。「俺が行かずば誰が行く」片倉小十郎。

桜並木なので、本当は桜が見たかったところですが、この日は新緑が本当にきれいでした。

白石城の天守です。

白石城の本丸跡から見た天守です。

青葉城と違って、こちらは天守が残っているので、絵になりますね。

白石城の大手門です。

戦国時代を舞台にしたアクションゲーム『戦国BASARA』の影響で、伊達政宗、片倉小十郎の人気が急上昇だそうですね。(私はやったことがありませんが...) 仙台や松島にはまだまだ伊達政宗の縁のある場所がたくさんありますよ。
食べ物も美味しいし、見どころもいっぱいあります。
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青葉城は正式には仙台城といい関ヶ原の戦いの後の1601年に築城されたそうで、江戸城に次ぐ大きさを誇っていたそうですが、もともと家康に気を使って天守閣は作らなかったと言われています。戦前まで、大手門、脇櫓(隅櫓)(当時国宝)、二の丸表舞台楽屋が残っていましたが、1945年の米軍による仙台空襲により全て消失してしまいました。
現在、本丸のあった場所は青葉城址なっており、みなさんご存じの伊達政宗像があります。そして二の丸跡は、東北大学のキャンパスになっています。また、三の丸のあった場所には現在、仙台市博物館が建っています。
私が仙台に住むようになり街中を車で走って驚いたのが、街のいたるところに東北大学のキャンパスや病院、関連施設があることです。さすが、旧帝大は規模が違うな、と感心しました。そして、車で青葉城址に行くと途中の山の上にも広大な東北大学のキャンパスがあり(二の丸跡)、これにもビックリです。東北大学の学生は本当に良い環境で勉強できるのだな、と羨ましく思いました。
これを見ると、東北大の施設の多ささが分かると思います。
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伊達政宗ファンの人たちは、ぜひとも東北大学に入学すべきですね。毎日仙台城跡で勉強できるのですから。(^^)
さて、みなさんおなじみの青葉城址です。青葉山の絶壁の上に建っていましたので、伊達政宗像の向こうに仙台の街並みが一望できます。
この角度からの伊達政宗像が有名ですね。
普段とは違った角度からの伊達政宗像です。
青葉城址から仙台駅方面を見たものです。木に隠れていますが、手前に広瀬川が流れています。
三の丸方面に行く道と石垣です。石垣の向こうに見える高い建物が、ウエスティンホテルが入っているトラストタワーです。(参考:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-11-27-1)
青葉城からもちゃんと見える「仙台大観音」です。
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さて、青葉城を後にして伊達政宗の名参謀と言われていた片倉小十郎の城である白石城に向かいます。白石城は仙台から高速で30分くらい南に走り白石で降ります。
駐車場から白石城への道にあった看板です。「城来路(シロクロード)」は、他の城でも使えますね。
白石城の入り口にありました。「俺が行かずば誰が行く」片倉小十郎。
桜並木なので、本当は桜が見たかったところですが、この日は新緑が本当にきれいでした。
白石城の天守です。
白石城の本丸跡から見た天守です。
青葉城と違って、こちらは天守が残っているので、絵になりますね。
白石城の大手門です。
戦国時代を舞台にしたアクションゲーム『戦国BASARA』の影響で、伊達政宗、片倉小十郎の人気が急上昇だそうですね。(私はやったことがありませんが...) 仙台や松島にはまだまだ伊達政宗の縁のある場所がたくさんありますよ。
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地震予知などできない! 日本人は知らない「地震予知」の正体 ロバート・ゲラー著 を読む [震災・原発]

現在、年間100億円規模の予算を使って地震予知の研究を行っていますが、それがまったくのムダであると主張している本です。
みなさんもTVなどで東大のゲラー氏をごらんになったことがあると思いますが、プロフィールを紹介します。
1952年アメリカ・ニューヨーク州生まれ。77年カリフォルニア工科大学地球惑星科学研究科博士課程修了。理学博士。同研究科特別研究員、スタンフォード大学地球物理学科助教授を経て、84年より東京大学理学部(当時)助教授。99年より同大学大学院理学系研究科・理学部教授。東京大学で初めての任期なし外国人教員。主要研究テーマは、地震波動論及び数値シミュレーション、地球の3次元内部構造、地震予知の可能性の有無。ゲラー氏は日本に28年住んでおり、日本人の女性と結婚されているようで日本語も堪能です。
ゲラー氏の専攻は地球物理学で、人工地震を使って油田などの地下構造を探る物理探査の世界的権威であるC・ヒューイット・ディックス教授の勧めでこの分野に入ったとのことです。人工地震というと何やらイカガワしいと感じる人が多いのではないかと思いますが、例えば油田の開発には人工地震を使った探査が使用されることがよく知られています。ゲラー氏は、その地震の波動の数値シミュレーションを専門にしているそうです。
この人工地震の研究はこのブログの別の記事でも引用しましたが、戦前から研究がされており、1990年代までは普通に新聞記事として載っていました。しかし、それ以降新聞、メディアからは「人工地震」の文字が消えさり、それによって現在では「人工地震なんてあるはずないじゃない!」という人が大部分を占めるようになっています。(1990年代以降、「人工地震」の文字が大手メディアから消えたのは、何らかの意図があったのでしょうね)人工地震に関しての新聞記事はこちらの“だいだいこんさん”のブログを参照下さい。
http://daidaikonn.blog27.fc2.com/blog-entry-405.html
http://daidaikonn.blog27.fc2.com/blog-entry-416.html
ゲラー博士の主張は、明確です。
現在の科学技術では、地震予知はできない。そのような地震予知に年間100億円規模の莫大な予算を使うのであれば、防災対策などにその予算を使うべきである。
・地震は予知できない
⇒ 前兆現象はない、ハザードマップに根拠はない、どこでも常にリスクはある
・地震は周期的に繰り返さない
⇒ 地震周期説には何の根拠もない
地震予知ができそうにないことに関しては関係する 研究者自身も自覚しているようで、ゲラー氏曰く、飲み会では「地震予知はできない」というが、カメラとマイクがあればそうは言わない、とのことです。つまり、地震予知はできそうにないが、地震予知ができないと言うと国から予算がもらえないので予知できると言っているということのようです。
ゲラー氏はアメリカの著名な地震学者、チャールズ・リヒター氏の言葉を引用して以下のように言います。
(リヒター氏は)「地震を予知できるのは、愚か者とウソつきとイカサマ師だけである」という痛快な言葉を残した。日本の地震学会では、「愚か者とウソつきとイカサマ師」がやけに大勢活躍しているようだ。
そして、私たちがよく新聞や雑誌、TVなどでよく見かける「地震は周期的に発生する」という説に関しての記載です。私はこの「地震の周期発生説」は学界では合意されているものと考えていましたが、まったく根拠がないようです。
92年9月1日の「防災の日」に先立ち、「東京周辺に起きる大きな地震には、69年の周期がある。今年は危険な年だ」と新聞が報道し、ちょっとした騒動になったことがある。(中略)かなり痛烈な皮肉ですね。(^^) でも、新聞、雑誌が売り上げを伸ばすためにこのようなセンセーショナルな記事を書くことは今回の大震災、原発事故の報道でみなさんも学んだと思います。
幸いにして92年に大地震は起こらなかった。すると新聞は、今度は「70年周期説」なるものを打ち立てた。新聞の売上を増やすために、地震の不安を煽る記事は大いに効果があるようだ。
予測がハズれるごとに、毎年「80年周期説」「81年周期説」と新たな仮設を打ち立てていくがいい。地震の予知はできないが、新聞や雑誌が次に何を書くのかという「予知」はできる。
ゲラー氏は、研究者になってから自分の研究に関する論文など、常に新しい文献を読み続けることを行ってきたそうですが、日本においてはそれだけでは足りないことに気づきます。
大学の図書館にこもっているだけでは、情報の網の目が漏れてしまうのではないか、あるときそう気づいた。地震予知の最新の”成果”は学術誌ではなく、むしろ一般大衆を対象とする週刊誌で発表されているからだ。 だから毎日の私の仕事は、学会誌の目次ではなく、新聞で週刊誌の広告を見ることから始まっている。地震予知の研究が、年を経るごとにミーハー化していることは間違いない。ヌードやセックス特集が掲載されている週刊誌に、地震予知の研究成果を発表するのがトレンドになっていることは事実だ。
科学者がまず第一になすべき仕事は、研究成果を論文にまとめることだ。論文が学会誌などの学術誌に掲載されて初めて、科学者の業績として認められる。 学術誌に論文が掲載されるのは、決して容易ではない。複数の専門家で構成されたレフリーによって、厳しい査読が行われるからだ。(中略)
学会の審査をすっ飛ばし、直接マスコミに研究成果を発表する。それは科学者にとって、重大な「掟」違反と断じなければならない。
そして、菅首相が浜岡原発を停止させたように、「東海地震」だけは発生確率が高いと特別視されていますが、ゲラー氏はそれもまったく根拠がないと書きます。
東日本大震災が起きてからも、一部のマスコミは相変わらず「東海地震が起きる」「東南海・南海地震が起きる」「首都圏を直下型の大地震が襲う」といった無責任な記事を掲載している。もちろん、首都圏に地震が起きる可能性はゼロではない。だが、現時点の学問のレベルでは「××地方は特に危ない」と指摘できるほどの根拠はないのだ。
地震予知ができることを前提に年間100億円以上の研究費を得て、地震予知ができることを否定できない地震学界の中で、そのシガラミからはずれて純粋に科学的な結論である「地震予知はできない」という主張を長い間唱えてきたゲラー氏は素晴らしいと思います。これからも客観的な真実をわれわれに伝えて欲しいと思います。
【蛇足】
株の世界でも、絶対に儲かる投資方法などないと言われていますし、実際にそうなのでしょう。プロの投資家でも勝ち続けている人はほとんどいないと言われています。もし、勝ち続けている人がいるとすれば、それは自分で株価を操作している人か、株価が変動する情報を知っている人たちだけでしょう。
同じように、地震を予知できる人がいるとすれば、それは自分たちで地震を起こしている人たちあるいは、その情報を得た人だけでしょう。そして、それは自然科学的な前兆など関係のない話なのでこの地震も予知ができないことになります。(その場合、政府あるいは情報機関が情報を持っている可能性はあります)
地震と建設関連株のおかしな動き ⇒ http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-05-07
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梶原先生の名著、「空手バカ一代」を読みなおす [格闘技]

梶原一騎先生の名著である、「空手バカ一代」を文庫版を購入して30年ぶりに読み直してみました。
この作品は、私が小学生から中学生にかけて少年マガジンに連載されていたもので、当時は夢中になって読んでいたものです。
いや~、やっぱりこれは名著ですね。冒頭から引き込まれていきます。
作品の冒頭がこの一文で始まります。
事実を事実のまま小学生だった私は、これを読んで「このマンガに書かれていることは真実なんだ」と頭から信じることになります。
完全に再現することは
いかに
おもしろおかしい 架空の
物語を生みだすよりも
はるかに困難である ---
(アーネスト・ヘミングウェイ)
梶原先生は、さらに畳みこんで書きます。
これは事実談であり・・・
この男は実在する!?
この男の一代記を 読者につたえたい一念やみがたいので
アメリカのノーベル賞作家ヘミングウェイのいう「困難」に
あえて挑戦するしかない・・・
わたしたちは 真剣かつ冷静に この男をみつめ ・・・ そして その
価値を 読者に問いたい ・・・ !!
国際空手道連盟・極真会館空手三段 梶原一騎
同 総本部役員・極真会館門下生 つのだじろう
この文に続いて、主人公の大山倍達が米国スパニッシュハーレム街でナイフとピストルを持った5人のギャングを一瞬のうちに倒す話、シカゴの野天競技場で闘牛と戦って牛の角を手刀で折る話が書かれており、その後に梶原先生お得意のコメントが入ります。
ニューヨーク・ギャングとの対決はアメリカで発行されている空手、柔道などの東洋武術の専門雑誌「ブラックベルト」に ・・・
猛牛殺しの記事は、同じく「ブラック・ベルト」および世界的に有名な権威をもつ「ライフ」誌にそれぞれ報じられていた ・・・
この当時は、パソコンもWebもありませんので、「Googleで検索したのですが、見つかりません」などということなく、「大山倍達は本当にすごいんだ!」と純粋に信じていました。(^^)
それまで空手界では相手に当たる直前に突きや蹴りを止める「寸止め」が主流でしたが、この「空手バカ一代」の大ヒットによって、それまで異端とされていた直接打撃制(フルコンタクト)が注目されるようになりました。そして、池袋のちょっと大きな町道場であった極真会館を世界の極真会館に押し上げる原動力となりました。
この「空手バカ一代」から40年を経て現在の空手界を見ると、主流は「寸止め」ではなく、「フルコンタクト空手」に変わっているように思えます。(少なくともメディアレベルでは)
現在も格闘技ブームと言われていますが、この「空手バカ一代」が始まってからすぐ後にブルース・リーの「燃えよドラゴン」が大ヒットし、空手、カンフーが大ブームとなりました。同世代である宮台真司氏も中学、高校と空手をやっていたそうですが、この時のブームは単に空手を見るだけでなく、「自分で空手をやる」というところが違っていたと思います。
さて、この梶原先生の「空手バカ一代」ですが、初期(1~7巻:つのだじろう作画)の頃は、ノンフィクション路線を踏襲していましたが、作画が影丸譲也に変わった後期からは故芦原英幸氏にスポットが当たり、フィクション度が強まってきます。この頃、大山館長は梶原氏に対して「主人公は誰なのか」と不満を漏らしたことがあるそうですが、結果的にこの件も梶原先生と大山館長との関係にヒビを入れる一因になったようです。
「空手バカ一代」を語る時、この梶原先生の創作したフィクションの部分が多いということで、話題になることがありますが、私はまったく問題ないと思います。私自身もそうですが、この「空手バカ一代」がなければ空手の道に入ることもなかったですし、ある意味人生を変えた本とも言えると思います。たとえその内容が事実と違っていることが分かっても、それも含めて梶原先生に「楽しく、納得して騙されていた」と私は考えます。(笑)
極真会館二代目館長である松井章圭氏もこの「空手バカ一代」をTVで見て、極真会館に入門したと自伝で書いています。「華麗なる組手」、「牛若丸」、「天才児」という数々の形容詞を付けられていた松井館長も、この本が無ければ普通の勤め人で終わっていたかもしれません。
最近はあまりマンガを読んでいないので分かりませんが、この「空手バカ一代」のように多くの人の人生に影響を与えた作品ってあるのでしょうか?
梶原ワールドを楽しみたい人には必読の書と言えるでしょう。
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冷温停止は偽りか? 福島原発の真実 最高幹部の独白 今西憲之著を読む [震災・原発]

ジャーナリストの今西憲之氏が、福島第一原発(フクイチ)の最高幹部から聞き出した現場の真実の声、今西氏が自らフクイチに乗り込み、自分の目で見た本当の現場の状況が書かれています。
マスコミを通じた政府や東電からの発表内容とはまったく異なる状況が書かれています。
まずは、1号機、3号機の爆発当時の生々しい描写から紹介します。
●1号機の爆発(3月12日)
|
「また、地震か」と声が上がった。だが、どうも様子が違う。六つの原子炉のうち最も免震重要棟に近いのが1号機だ。 「煙、白い煙だ」どこからか声が上がる。白煙で視界があまり利かない。 「爆発、爆発じゃないのか」「爆発したぞ」 フクイチ対策本部内は、戦場と化した。誰もが大声で叫んでいた。 現場に出ていた作業員たちが、全速力で走って免震重要棟に戻ってきた。恐怖で、みんなの顔が真っ青だ。そして叫んだ。 「原子炉に爆弾が投下されたんじゃないか」「瓦礫の雨だった」 免震重要棟内はもうパニック状態で、「帰らせてくれ」と言う作業員、社員も出てきた。会議室に200人、いや300人はいただろうか。作業員を集めて指示を出していく。 |
●3号機の爆発(3月14日)
| フクイチにかかわった全員が、3号機に万が一のことがあれば、「もう終わり。ダメだ」ということは感覚的に理解していた。先ほども触れたように、3号機の燃料に含まれているプルトニウムは毒性が強い。半減期も2万4千年と飛び抜けて長い。周囲に飛び散れば、自分たちはもちろん、周囲への被害もひときわ深刻になる。(中略) 表現しようのない轟音だった。 しゃがみ込む人、机の下に思わず潜り込もうとする人、いすから転げ落ちそうになる人。地震とは違う。すさまじい揺れだ。前々日12日(午後3時36分)の1号機のときとも、まったく違った。その瞬間、今回こそは爆発だ、それも3号機だと確信した。3号機はMOX燃料で威力が大きい。プルトニウムが使われている。もうダメだと思った。 明確に「死」を覚悟した。(中略) 最低でも50キロ圏内は避難させているだろう。できれば、もっと広い範囲で対応したほうがいいのだが――1号機爆発の際にも言及したが、正直、そう思った。だが、このとき実際に避難指示が出ていたのはフクイチ20キロ圏内だったと後に聞いて、愕然とした。 現場の状況が、本店や官邸にはまったく伝わっていなかったのだと悟った。 |
そして、政府、東電が発表した「冷温停止状態」宣言に関しての記述です。政府や東電は事故が収束して安全な状態になったことを強調していますが、現場の目から見るとまったくそのような状況ではないことが分かります。
また、メディアに対しても現場の被害のひどい部分は見せないようにして真実を隠しているというのです。
| フクイチは、”小康状態”に見える。 政府は2011年12月、原発の「冷温停止状態」を宣言し、「事故の収束」を強調した。しかし、いまも決して手放しで「安心」できる状態でないことは、最高幹部の証言を読めばわかるだろう。そして私たちは、彼の証言から、このフクイチ事故が、政府・官庁、東京電力を中心とした「原子力ムラ」の住人たちがタッグを組んで、国民の目から”真実”を隠し続けてきたことによる「人災」であることを知っている。(中略) 東京電力と政府がフクイチの現場取材を認めたのは、この原稿を執筆している時点では、2011年11月と2012年2月のたった2回である。特定の場所をバスでぐるりと回る内容で、まるで「団体ツアー」のようなものだ。その取材で公開された写真や映像を見て、がっかりした。私がフクイチに何度も行き、このポイントだと思った「絵になる場所」からの写真がない。うまく外している印象を持った。いまもって、生の本当の姿を見せたくないのか、事故を小さく見せたいのか。さすが、狡猾な東京電力だ。 私を”世界一危ない場所”に招いてくれたフクイチの最高幹部をはじめ、何人かのスタッフは、「生の本当の原発事故の姿を、見て、撮って、書いてください」と、私の希望の極力応じてくれた。 |
東日本大震災の翌日12日に菅首相がフクイチの現場を視察し、怒鳴りまくって作業の邪魔をして帰っていったことに関しても書かれています。現場の認識としては、ベント作業を遂行中の緊急時に菅首相が来たことで、その対応に手が取られて現場の作業が停止したことが分かります。
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会議室の扉が閉まった瞬間、”騒動”は勃発した。 「どうなっているんだ」 と菅首相の大きな声。 すごい剣幕で怒鳴り散らしている。作業をしていたメンバーが、みんなフリーズした。ベントが開始できないことに怒っているのが、首相の声からわかった。(中略) この間、フクイチの状況は悪化していた。メモには、こうある。 <カン 帰る とまる> 「とまる」とは、菅首相がフクイチに来ている間、フクイチの幹部が現場の指揮をとれなかったため、作業の一部がストップしてしまったという意味だ。 その後、さまざまな検証があり、「作業はストップしていなかった」という声もある。しかし、現場にいた私は、普段はテレビでしか見る機会がない「一国の首相」の怒鳴り声にドキッとし、何度も手を止めた。多くのスタッフがそうだったはずだ。程度の差こそあれ、「作業が止まった」のは事実だ。 |
さらに、首相・東電本店から出された海水注水の中止指令に関する現場での対応に関する記載です。現場の状況を知らない上層部からの指令に対して現場は、怒りに震えながら、自らの判断で注水を続行したことが分かります。(55分後に海水注水再開の指示がでます)
この時注水を停止していたら更に状況は悪化していたと思われますので、命をかけて作業を続行した吉田所長以下、現場の判断には感謝するしかありません。
専門家に任せるべきことに対して余計な口出しをして邪魔をし、自分がやるべき瓦礫の処理、放射能の除染、避難民への対応などに対してはほとんど何もしなかった菅首相の罪は本当に大きいと思います。
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本店からの指令を受け、フクイチ対策本部の室内は、怒りが頂点に達した。メモには、こうある。 <おこる、こぶし> 吉田所長の拳が震えていたのだ。 「オレたちは命かけてやっているんだよ。なにが総理の判断だ」 「いまやらなきゃ、とんでもないことになるんだよ。わかっちゃいない」 「そんなことばかり、上ばかり見ているから、だから本店はダメなんだ」 という幹部たちの怒声が、対策本部の部屋に響いた。(中略) 無理もない。そもそも、注水を中断するなどという選択肢はなかった。いま1号機は、海水でもいい。もう手段を選ばずに冷やすしかない。できなければメルトダウンも避けられない。放射性物質どころが、核物質そのものが外部に放出されることもあり得る。(中略) 現場の意思は一つだった。 「『総理が了承していない』なんて言っている場合じゃない。こっちは生きるか死ぬかだ。なりふり構っていられない」現場は官邸ではない。フクイチなのだ。だが、「政府からの指令だ」と本店から言われれば、完全に無視するわけにはいかなかった。 (中略) その後、吉田所長は怒りをぶつけるように、 「最後に責任をとるのは、総理じゃない。所長のオレなんだ、オレだ」と怒鳴った。 |
3.11以降も福島原発付近では、震度4、5の大きな地震が続いていたので心配していましたが、やはり被害のあった建屋は、現在でもかなり危ない状況のようです。最近、また地震が増えていますので、心配ですね。
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本店は、「容器や建屋の耐震、耐久性に問題はない」と言っているが、たとえば、出入りのゼネコン業者に聞いても、 「問題がないというのは、いますぐ倒壊することはないという程度の話だ」と答えが帰ってくる。 いま震度5~6級の地震が来れば、揺れ方によっては倒壊の危険性がないとはいえない。加えて日々、建屋・容器の痛みは着実に進行している。せめて、建屋上部にある使用済み燃料棒の燃料プールだけでも、早く移動させたい。 |
さて、いよいよ今西氏が実際にフクイチに入って、東電が隠している被害状況に関して記載した内容です。3号機、4号機ともに一般に公開されている状況以上に破壊がひどい状況だということです。
●4号機の状況
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迫るように視界に入ってきたのは、4号機だった。地震・津波と爆発で、建屋のコンクリート壁はゴツゴツとした岩の塊のように様変わりして散乱し、鉄骨がむしり取られたように飛び出している。巨大なコンクリート片が鉄筋に引っかかったまま、壁面にぶら下がっていた。 鉄骨のフレームが大きく陥没しているところがあった。その下には、薄い緑色で組まれた大きなフレームが見える。あの付近に燃料プールがあるという話ではなかったか。すぐに崩れてしまいそうに見えた。これまで見てきた新聞の写真やテレビの映像とは、これはまったく違う。圧倒的な迫力。震えが止まらず、体が固まってしまった。 「東京電力や政府の公表してきた写真や動画はなんだったのか。だまされた。」ただ、呆然とするばかりだった。(中略) 原子炉建屋のコンクリート壁の厚さは2メートルはあるだろうか。それが、ボロボロになっていた。「飛行機が突っ込んでも大丈夫というほど頑丈に造ったのですが...。いまも風雨や余震で、汚染されたコンクリート片がポロポロと落ちてくるのです」 |
●3号機の状況
3号機、4号機の原子炉建屋の状況に関しては、このブログでも紹介しましたように、5月13日の参議院予算委員会で、独立総合研究所の青山繁晴氏が参考人として証言しています。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-06-07)
(証言の動画はこちらです)http://www.youtube.com/watch?v=_HGcSIdt6_8&feature=related
この時、青山氏も以下のように証言しています。
「津波の直撃を受けた海側の施設、これはタービン建屋を含めて、それはすさまじい破壊でありまして、私は多少軍事のことも触っておりますけれど通常兵器ではこのような破壊はおきないんじゃないか、場合によっては小型戦術核のような攻撃でなければここまでの破壊はないんじゃないか、というようなありさまでありました。」
今西氏が、瓦礫の山と表現し、青山氏が小型戦術核を使ったのではないかと証言した3号機の実情は、政府や東電からは発表されていません。しかし、GoogleやYoutubeを見るとその悲惨な状況を知ることができます。例えば、これを見て下さい。
数年前に子供のサッカーの応援で見に行ったJビレッジが、原発事故対応の前線基地になっているのは悲しいことです。
政府や東電が「冷温停止した」と宣言している福島原発は、現場の認識ではまだまだ危ない状況のようです。現場で命がけで必死で働いている方々には感謝するしかありません。
最近、また地震が増えていますので福島原発から目が離せない状況だと思います。
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「不敬」は死語か? 江戸城内を散策する [旅行]
ちょっと仕事が忙しくてブログの更新をサボっていました。
私の住んでいる川越は「小江戸」と言われていますが、「大江戸」と言えば東京です。そして江戸と言えば江戸城ですが、現在は皇居として使用されています。
さて、その江戸城跡ですが、あまり知られていませんが自由に散策することができます。正式には宮内庁が管理している皇居東御苑という名称です。大手門、平川門、北桔橋門の三か所から出入りができます。入った門で入場札をもらい、出る門に返却することになっています。
宮内庁のHPに皇居東御苑の略図があります。
http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/gyoen-map.html
最近はほとんど行っていませんが、子供が小さかったころは子供連れでよく行ったものです。紹介する写真は2000年に撮影したのものです。
この時は、大手門から入って平川門から出ました。

門内から大手町方面をみたものです。

大手門です。

江戸城の中には、大きな石垣がたくさん残っています。

江戸城本丸跡です。一面芝生となっているので寝転がって昼寝することも可能です。遠くに天守台跡が見えます。
この本丸跡には本丸休憩所があり、お休み処もあります。お休み処には、天皇ご一家の写真付きのカレンダーが売られています。(^^)

芝生に入って天守台跡を目指します。

天守台跡です。大きな天守閣を再建すれば、東京の新名所になるのにな~と思っています。

天守台跡から本丸跡をみたものです。みなさん芝生でくつろいでいますね。(笑)

天守台跡の石垣を後ろから見たものです。かなり大きいです。

本丸跡を後にして、平川門を目指します。

城内はいろいろな木々が植えられており、散策すると最高に気分が良いです。

あまり知られていないので、人が少ないのも良いですね。

ここで、平川門を目指します。

汐見坂です。名前からすると、ここからは江戸湾が見えたのでしょうね。

平川門が見えてきました。

平川門です。風情がありますね。

江戸城内からは、周辺のビル群が見ることができます。

この頃は、まだ高い建物が少ないですが、現在ではかなり増えています。

これは3日前に撮影したものです。(iphoneで撮影したので画質はご容赦)
新丸ビルの高層階から本丸跡の芝生を見たものです。

同じく、新丸ビルから見た皇居です。
以前は、皇居の周りには高い建物を建てないように自主規制がかけられていたと思いますが、現在は新丸ビルを含めてかなり多くの高層ビルが立ち並んでいます。
7,8年前に東京駅の隣の高層ビルから皇居方面を見て、「こんなに皇居が丸見えになって良いのか?」と驚きましたが、現在は更にたくさんのビルが建ち並んでいます。少し前であれば、「上から皇居を見下ろすなんて、不敬である!」と右翼の方々が騒ぎそうなものですが、問題になっていないのでしょうか?
ビル群の中に見える皇居の緑がとても絵になりますが、私の世代だと、やはり「不敬」では? と思ってしまいます。
「不敬」という言葉はもう死語なのでしょうか?

「不敬」の件はともかく、江戸城跡は一度は行ってみる価値があると思います。
特に歴史が好きな方にはお勧めです。
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私の住んでいる川越は「小江戸」と言われていますが、「大江戸」と言えば東京です。そして江戸と言えば江戸城ですが、現在は皇居として使用されています。
さて、その江戸城跡ですが、あまり知られていませんが自由に散策することができます。正式には宮内庁が管理している皇居東御苑という名称です。大手門、平川門、北桔橋門の三か所から出入りができます。入った門で入場札をもらい、出る門に返却することになっています。
宮内庁のHPに皇居東御苑の略図があります。
http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/gyoen-map.html
最近はほとんど行っていませんが、子供が小さかったころは子供連れでよく行ったものです。紹介する写真は2000年に撮影したのものです。
この時は、大手門から入って平川門から出ました。
門内から大手町方面をみたものです。
大手門です。
江戸城の中には、大きな石垣がたくさん残っています。
江戸城本丸跡です。一面芝生となっているので寝転がって昼寝することも可能です。遠くに天守台跡が見えます。
この本丸跡には本丸休憩所があり、お休み処もあります。お休み処には、天皇ご一家の写真付きのカレンダーが売られています。(^^)
芝生に入って天守台跡を目指します。
天守台跡です。大きな天守閣を再建すれば、東京の新名所になるのにな~と思っています。
天守台跡から本丸跡をみたものです。みなさん芝生でくつろいでいますね。(笑)
天守台跡の石垣を後ろから見たものです。かなり大きいです。
本丸跡を後にして、平川門を目指します。
城内はいろいろな木々が植えられており、散策すると最高に気分が良いです。
あまり知られていないので、人が少ないのも良いですね。
ここで、平川門を目指します。
汐見坂です。名前からすると、ここからは江戸湾が見えたのでしょうね。
平川門が見えてきました。
平川門です。風情がありますね。
江戸城内からは、周辺のビル群が見ることができます。
この頃は、まだ高い建物が少ないですが、現在ではかなり増えています。
これは3日前に撮影したものです。(iphoneで撮影したので画質はご容赦)
新丸ビルの高層階から本丸跡の芝生を見たものです。
同じく、新丸ビルから見た皇居です。
以前は、皇居の周りには高い建物を建てないように自主規制がかけられていたと思いますが、現在は新丸ビルを含めてかなり多くの高層ビルが立ち並んでいます。
7,8年前に東京駅の隣の高層ビルから皇居方面を見て、「こんなに皇居が丸見えになって良いのか?」と驚きましたが、現在は更にたくさんのビルが建ち並んでいます。少し前であれば、「上から皇居を見下ろすなんて、不敬である!」と右翼の方々が騒ぎそうなものですが、問題になっていないのでしょうか?
ビル群の中に見える皇居の緑がとても絵になりますが、私の世代だと、やはり「不敬」では? と思ってしまいます。
「不敬」という言葉はもう死語なのでしょうか?
「不敬」の件はともかく、江戸城跡は一度は行ってみる価値があると思います。
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なぜ裁判官は和解をすすめるのか? 狂った裁判官 井上薫著 [裁判に関して]

私は、約6年前に仕事で日本の民事裁判を経験して、
「日本の裁判って、結論ありきでは?」
と疑問を持ちました。結局、その裁判は裁判官のすすめで和解したのですが、裁判官の心証(裁判に対する判断を当事者に伝えること)を聞く限り、私たちの主張を書いた膨大な書類(準備書面)をきちんと読んでいるようには思えませんでした。
一緒に戦った同僚たちは、「裁判でそんなことはないだろう!」と言っていましたが、納得のいかなかった私は、それを裏付けるような本が無いかどうか調べてみました。その時に、①裁判官 ②弁護士 ③一般人 のそれぞれの目から見た裁判に関した本で調べました。それが以下の本です。
①狂った裁判官 井上薫著 (今回紹介する本です)
②反対尋問の手法に学ぶ嘘を見破る質問力 荘司雅彦
③弁護士なしの素人が専門家に勝った 裁判裏日記 ヨシダトシミ著
これらの本を読んで、「やっぱり日本の裁判は結論ありき」なんだと改めて感じた次第です。
さて、この本の著者である井上薫氏の経歴です。
1954年東京生まれ。東京大学理学部化学科卒、同修士課程終了。民間の研究所に就職後、独学で司法試験に挑戦して合格。86年判事補、96年判事任官。日本の司法システムの問題点を鋭くえぐる発言を続けた結果、2006年、横浜地裁判事を最後に退官を余儀なくされる。
さて、この本は最初からショッキングな話で始まります。
朝の満員電車で、近くの女性から「この人、痴漢です!」とにらみつけられる。「私はしていない。つり革につかまっていたんだ」と反論しても聞いてもらえない。いきさつをきちんと説明すれば疑いは晴れるだろうと思ってその女性と一緒に警察に行ったら、そのまま逮捕されてしまう。そして、取り調べでもやっていないと繰り返し述べても聞き入れられず、起訴(検察官の要求で裁判にかけられること)されてしまいました。
さて、刑事裁判で起訴されたこの男性が有罪になる確率はどれくらいだと思いますか?
これは、映画「それでもボクはやっていない」でも有名になりましたので、ご存じの方も多いと思いますが、「99.9 %有罪になる」が正解です。つまり、1,000回起訴されたら、999人は有罪となり、わずかに1人だけ無罪を勝ち取ることができるということです。 (この本では、99%と書いてありますが、井上薫氏の他の本には、「もし起訴されたら99.9%有罪になる」という本があり、実際には99%ではなく、99.9%のようです)
つまり、日本の場合、起訴されたら最後、有罪というレッテルをはがすのはほぼ不可能なのです。全く身に覚えのない痴漢行為であっても、被害者を名乗る女性が主張すれば、弁解は許されない。有罪に身を任せるしかない。男性ならば誰の身にふりかかってもおかしくない悲劇です。
私も初めて知った時は信じられませんでしたが、日本の司法制度ではそうなるというのが現状のようです。井上氏は、刑事訴訟の第一回法廷が開かれる前、裁判官の手元に起訴状しかない状況で、有罪の判決書をあらかじめ書いていた裁判官を見たことがあるそうです。つまり、99.9%は有罪なので、結論ありきで効率よく仕事をしようということなのでしょう。かなり恐ろしい話ですね。
弁護士たちはその事を熟知しているので、満員電車に乗る時は必ず両手を上にあげるようにしていると聞いたこともあります。
被告人は有罪が確定するまで無罪と推定される」という原則があります。これは、刑事裁判のイロハといってよいくらいの基本原則です。ところが、この原則がいつの間にか逆転し、実質的には「被告人の有罪推定の原則」が常識化しているといってよいほどの状況なのです。
そして、その現状を前提として、それをはずれるような場合には、検察官、裁判官ともに大きなプレシャーと人事的な不利益を被るような仕組みとなっており、それが現状を変えさせない要因ともなっているようです。
さらにこうした極度に高度の有罪率を鑑みると、検察官の立場からすれば、有罪判決を受けて当たり前といえます。万一、無罪判決を受けると、それはめったにないドジとみなされます。当然、人事上の不利益(たとえば左遷)は避けられません。無罪判決を三回受けると、検察官をやめる(自主的にやめるか、ひどい左遷を受ける)という話を耳にしたことがあるくらいです。(中略) つまり、こういう高い有罪率を前にすると、裁判官も無罪を出すことには、強い緊張感を抱くことになりがちなのです。なぜなら99%が「有罪」なのですから。残りの1%の判断を自分自身が下す際、その判断が果たして本当に正しいのか、自問しながら進むことになります。同様に、裁判官も自分の下した判断に間違いがあれば、人事上の不利益をこうむることになるとのことです。そうなると裁判官も冒険はせずに無難な判断をする傾向になってしまいます。
これに反し、一審で出した無罪判決が検察官に控訴されたとしましょう。控訴審(二審)で最終的に無罪に判断が覆された場合には、一審の無罪判決は間違いだったということになり、無罪判決を出した一審の裁判官は、人事評価上、不利益にカウントされることを覚悟しなければなりません。(読者も、ご自分の職場で、自分のした仕事が上司に否定された場面を連想してみてください。むろん、人事資料は非公開ですから、資料で裏付けることは無理ですが、ここまでの推測は読者の社会常識に照らし一応の納得が得られるのではないかと思い、これを前提にさらに話を進めます)
自分の判決が控訴審で支持されたか取り消されたかで一喜一憂するのが、一審裁判官の現実です。
一方、民事裁判は約半分が和解で解決するとのことです。それは、裁判官が和解をさせたいからだと井上氏は主張します。その一つの理由は、裁判官が楽をしたいからだそうです。
日ごろ仕事に追われている裁判官としては、この事件で判決を書いたら丸三日かかる、そうすると次の土日はつぶさなければならなくなるから、今日の和解期日で何とか和解を成立させることはできないかと和解の道を探るというのは、勤労者としてごく普通の心理でしょう。要するに、楽をしたいわけです。そして、もう一つの理由は、和解すると上訴できないため、上級審で自分の下した判断が否定されて人事評価に影響を受けることがないからだそうです。
現状の裁判官一人あたりの仕事量を鑑みると、民事訴訟の半分は和解で終えないと、判決起案の山となり、処理しきれなくなる可能性が高い。だから、裁判官も、和解に必死となるのです。内容にかかわらず、どんな事件でも、どんな段階でも、何度でもしつこく和解を勧める。しかも、強く勧める裁判官が多いのは、「和解のほうが楽」という理由があってこそなのです。
次に裁判官が和解を勧める動機は、和解が成立すると上訴できないということが挙げられます。(中略)
上訴されると、その裁判官にとって、人事上のマイナスとなる点を忘れてはいけません。というのは、判決に対し上訴が提起されるということは、当事者がその判決に満足していないことを意味します。だから、その裁判官の仕事ぶりに疑問符が付くというわけです。もし、上訴審判決でもとの判決内容がひっくり返されたら、もとの判決を書いた裁判官は、最低の人事評価を覚悟しなければなりません。
そのため、裁判官はあらゆる手段を使って原告、被告に対して和解を勧めます。そのテクニックの一つが、以下のものです。
裁判官の脅しのテクニック
①理論的に説得する:法理論的にあなたの主張は無理ですよ、証拠が少ないからあきらめるようにと説得する。
②感情的に説得する:たとえば、男女間のもつれの場合には、楽しかったつきあいの様子を聞き出し、「思い出を大切にしてこの件はこの額で一件落着しましょう。」と説得する。
③脅しで説得する:もし和解に応じないとこんな不利益を被りますよ、といって説得する。「判決したらあなたの負けですよ」などと言われると慣れていない人たちは裁判を続けることに不安を感じます。しかし、これが高じると、とんでもないことになります。
双方の当事者に「判決ならあなたの負けですよ」と言ってしまったために、和解が成立できずに、判決を出す段になって書けなくて困っている裁判官がいたこともあります。
逆に和解成立のために、低姿勢に徹する裁判官もいます。これは、聞いた話ですが、「和解してくれるなら、土下座してもいい」と当事者の前で言った裁判官もいるということです。
裁判員制度が始まりましたので、これまでのように「裁判なんて自分には関係ない」とは言っていられない状況になりました。裁判について面白く学ぶにはとても良い本だと思います。
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石原慎太郎はアシスト王だ! 三島由紀夫の日蝕 石原慎太郎著 を読む [社会]

石原慎太郎氏が三島由紀夫について書いた本です。
最近、新党結成などでニュースによく登場する石原慎太郎氏ですが、若い人たちは4期連続して当選した東京都知事としての顔しか知らないかも知れませんね。でも石原氏は、一橋大学在学中の1956年に「太陽の季節」で文壇に衝撃的なデビューをはたし、第34回芥川賞を受賞しています。
この受賞作品は大胆な風俗描写や赤裸々な表現で、文壇だけでなく一般社会に対しても「太陽族」のような社会現象を生むようなインパクトを与えました。
一方の三島由紀夫は16歳のころから「花ざかりの森」で文壇に知られており、長らく文壇の若手の旗手として活躍していました。そして、ひ弱な肉体にコンプレックスを感じていた三島は1955年頃からボディビル、空手、剣道、居合道などに取り組むようになります。
そのような時期に文壇にすい星のごとくデビューした、サッカー、ヨット、テニスなどを趣味とする根っからのスポーツマンである石原氏に対して、三島はかなり対抗意識を燃やしていたようです。
そのような三島と石原氏との関わりの中で見たことを書いたのがこの本です。
氏との出会いから今までをふり返ってみれば、私はいつも氏のそばで氏の痛々しい分裂を目にし、その証人として立っていたような気がする。それ故にも、むしろ氏とじかに会わずにすめた方が私にとって良かったような気さえする。私に日本語で書かれた現代の文学の魅惑について教えたのは氏の作品だったし、私自身が物書きとなってから私の無意識の構造について正確に解析してくれたのも氏だった。
姥捨山をテーマにした『楢山節考』を三島に激賞されて世に出た深沢七郎氏の三島に対するコメントも興味深いですね。
三島氏が亡くなってからしばらくして、氏によって認められ世に出たともいえる深沢七郎氏と久し振りに対談したことがあるが、その時あの世俗に徹して生きたともいえる深沢氏が三島氏のことを、ほとんどにべもなく、
「いくら頭が良くても、あんな無理して生きていればそりゃあ若死にしますよね」
といったのが印象的だった。
三島由紀夫が若くて長身でスポーツマンである石原氏に対してかなりの対抗意識を燃やしていることがうかがえるエピソードです。
三島氏は写真一つにも何か掛け替えのないものを賭けているようなところがあった。
氏は頼みもせぬのに私に文壇における所作その他についていろいろ忠告してくれたものだが、その一つに雑誌のグラビア写真は必ず自分で選べというのがあった。(中略)
私とて決して写真を気にせぬ訳ではないし、他人が撮って選んだ写真が気にそまぬことは多々ある。ということで、以前ある出版社からの選集に、面倒なのでその前に出演した映画の宣伝用に撮ったブロマイドの中から、あまりブロマイドくさくなく写っている一枚を選んで渡したことがある。
本が出たか出ぬかの間合いで突然三島氏から電話がかかってきた。
「君、今度の選集の扉の写真、あれはブロマイドだろう」
「どうして」
「どうしてって、わかりますよ。驚いたね、ひどいもんだ、ああ、君にはあきれはてた。アプレゲールというものもここまで恥知らずとはねえ」
「なぜですか」
「だって君、ブロマイドでしょ、あれは」
「だってあれしかなかったんですよ、いい写真が」
「いい写真といったって、あれは君ブロマイドだぜ」
「なんだって同じですよ」
「ああ、驚いた、まったく世も末だね」
三島氏がそんなことで驚きかつ面白がり、かつまた少し羨ましがっているのがよくわかった。
さて、いよいよサッカーの話です。石原氏は、スポーツマンとして知られていますが、サッカーはかなりのレベルで取り組んでいたようです。今では前線に顔を出して自らゴールを量産している(^^)石原氏ですが、当時はエースのアシストに徹していたようですね。
私事だが、あれは三十二、三の年の頃だった。私は当時仲間と作った湘南サーフライダースというエレキバンドみたいな名前の全くの手製のサッカーチームでボールを蹴ってい、大学を出たてで早稲田では一年の時からレギュラーだった久保田という素晴らしいセンターフォワードを得て、彼とのコンビで二年続いて、今でいうアシスト王だった。私たちのチームが所属していたのは今の関東リーグの前身のリーグで、その中には後に日本リーグに進んだ日本鋼管もいた。ある年など上の日本リーグとの入れ替え戦にまで出て日本鋼管と引き分けたこともある。(中略)
レフトウィングの私はもう昔みたいにボールを持って走り切れぬようになってはいたが、持ち前のロングキックを生かし、一人抜いた後なお走ると見せかけて中へ切れ込み、サインに合わせて走っている久保田に長いパスをオフサイドぎりぎりに送り彼がそれを決めて勝つことがよくあった。
スポーツマンであり、真剣にスポーツと対峙していた石原氏から見れば、三島氏の剣道、居合に対する取り組みがまったくの付け刃にしか見えなかったようです。
そして私はとうとうある所で三島氏の真剣を振り回しての居合に立ち合わされる羽目になる。(中略) 居合の腕はどれほどかと聞いたらすでに三段ということで、私は信じられずに、
「なら今までにずいぶんと指を切ったでしょう」
いったら氏は憤然として、 「失礼なことをいうな、どこにその跡がある」(中略)
一つ一つ何々の型と注釈をつけ、ある型では畳を強く踏みつけながら、
「これが道場の板の間だといい音がすんだがな」といった。
二度か三度刀を鞘にしまいはしたが、その動作は指を切る暇がないほど(?)スローヴィデオのようにゆっくりとしたものだった。土台、居合や踊りの名手のように腰が割れておらずへっぴり腰で、当人はいい気なものだが見ていて気の毒だった。
私が笑いをこらえて眺めている気配を察したのか、最後に突然大声で型の名を唱えると大上段に振りかざした刀を裂帛の気合で、敷居の手前に座った私の頭上に向かってふり下ろした。氏としては私の頭上寸前で止めて脅すつもりだったのだろう。しかし間尺を誤った刀は私の頭上の鴨居に音をたてて切りつけ刃が食い込んだ。
「あっ」、と小さく叫んで、真っすぐに引けばよかったが焦って捻ったために、ぱりんと音を立てて刀の刃が大きく割れてこぼれた。(中略) 「この部屋は居合には狭かったな」
私は可笑しくなって、
「それは変だな、居合というのはもともと狭い部屋でやるものでしょうが。これは本当の勝負だったら、あなたが鴨居を切っている間に僕はあなたの腹をかっ割いていましたよ」
いったら顔色が変わり、
「君はまたよそへいってこのことを喋るんだろう」(中略)
三島は、1970年に自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れて、東部方面総監を監禁し、自衛隊員にクーデターを促し、その後割腹自殺を遂げましたが、それについても石原氏はきびしい見方をしています。
第一、三島氏が現代の武士ならば、なぜ同じ武士たちの長たる東部方面総監をその部屋でだまし捕えて縛り上げ、縄目の屈辱をあたえたりするのか。総監はあれから三年後癌をわずらって死ぬが、あの事件の屈辱を忘れずその汚名の灌ぎ方の知れぬままろくな療養もしようとせずほとんど憤死したという。そして残された武士たち、自衛隊の幹部はそれを忘れていない。ある者は、三島はむしろあの時総監を切り殺してくれたほうが良かったとさえいっていた。
三島は文壇での仲間と思っていた石原氏が政治家になってしまったことが、かなりのショックだったようです。
三島氏が私と同じ選挙に出るつもりがあったが私がその先を越した形になったのでひと頃たいそう機嫌が悪く、誰に当る訳にもいかず母親の倭文重さんに駄々をこね手こずらせたと、当の倭文重さんから打ち明けられたと聞かされた。(中略)
「ご当人は本気だったみたいですよ。でも、私がそのことを言ったら栄作は首を傾げ、それはただの思いつきだけなのじゃないかといっていたけど、一時は本気だったことは確か。とにかく亡くなる前お母さんに、つまらないつまらないこれなら死んだほうがましだってよくいっていたそうよ。どうしてそんなにつまらないのって質したら、ノーベル賞は川端さんにいちゃうし、石原は政治家になっちゃうしって子供みたいに駄々をこねていたそうですよ。あんな死に方をするなんて思わなかったから、もう少し本気で息子のいうことを聞いてやっていればよかったって、お母さんは後悔していたわ」(佐藤栄作夫人)
作家としての石原慎太郎の鋭い観察力を通して見た三島由紀夫の姿が見えてくる本です。
三島ファン、石原ファンにはお勧めの一冊です。
少し、三島氏の名誉回復を。(笑) 見事な英語です。さすがディズニーランド大好きな三島さんです。
三島氏が学生運動の全盛期に東大全共闘に一人で乗り込んだ時の映像です。私が大学時代は音声テープしかなかったのですが、映像で見られることに感激しました。
三島氏が聴衆を魅了していることが分かります。昭和の時代を感じますね。
石原都知事と猪瀬副知事ともに三島由紀夫の本を書いているのが面白いですね。
消される前に見ておきましょう。
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摩周湖と阿寒湖に三つ星が! 外国人が選ぶ日本の名所 Michelin Green Guide Japan 2012 を読む [旅行]
前回、Michelin Green Guide Japan の2009年版を紹介しました。http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-01-15
この時は、北海道の私の地元の評価が低くて残念でした。
私の好きな屈斜路湖や摩周湖などの阿寒国立公園は記載もありません。この道東の風景はどちらかと言えばヨーロッパ的ですので、フランス人としては見慣れたものなのかも知れませんね。そして、2012年1月に2012年版が発売になりました。早速、買って2009年版と読み比べてみました。
次の改訂の時にはぜひ星をつけてもらいたいです。
2009年版と2012年版の北海道の★の比較です。ほとんど変わっていませんが、世界遺産の知床国立公園が二つ星から三つ星に星が増えています。
| 2009年版 | 2012年版 | |
| 札幌 | ★ | ★ |
| 雪まつり | ★★★ | ★★★ |
| 北大植物園 | ★ | ★ |
| 北海道立近代美術館 | ★ | ★ |
| 北海道開拓の村 | ★ | ★ |
| 北海道開拓記念館 | ★ | ★ |
| 札幌コンサートホール大ホール | ★★ | ★★ |
| モエレ沼公園 | ★ | ★ |
| 支笏湖 | ★ | ★ |
| 登別温泉 | ★ | ★ |
| 第一滝本館 | ★ | ★ |
| アイヌ民族博物館 | ★ | ★ |
| 洞爺湖 | ★ | ★ |
| 洞爺湖火山科学館 | ★ | ★ |
| 大雪山国立公園 | ★★ | ★★ |
| 層雲峡 | ★★ | ★★ |
| 黒岳 | ★ | ★ |
| 黒岳(パノラマビュー) | ★★ | ★★ |
| 流星の滝、銀河の滝 | ★★ | ★★ |
| 旭岳 | ★★ | ★★ |
| 博物館網走監獄 | ★ | ★ |
| オホーツク流氷館 | ★ | ★ |
| 知床国立公園 | ★★ | ★★★ |
| 知床五湖 | ★★ | ★★ |
| カムイワッカの滝 | ★★ | ★★ |
| フレぺの滝 | ★ | ★ |
| オシンコシンの滝 | ★ | ★ |
北海道に関して今回の改訂で大きな変更点は、阿寒国立公園が追加されたことです。しかもいきなり摩周湖、阿寒湖が三つ星を獲得です。
【阿寒湖】阿寒湖畔からの眺めです。阿寒湖と雄阿寒岳が絵になります。
【摩周湖】第三展望台からの眺めです。まさに紺碧の湖ですね。
そして他のエリアとしては函館が追加されており、函館山からのパノラマビューも三つ星を獲得しました。
函館山からの夜景は香港、ナポリとともに「世界三大夜景」とも言われています。また、「100万ドルの夜景」とも言われています。100万ドルは1$=¥100円で1億円ですが、円高が進み8,000万円くらいに目減りしましたね。(笑)
| 2009年版 | 2012年版 | |
| 阿寒国立公園 | ― | ★★ |
| 屈斜路湖 | ― | ★★ |
| 川湯温泉 | ― | ★ |
| 和琴半島 | ― | ★★ |
| 硫黄山 | ― | ★ |
| 摩周湖 | ― | ★★★ |
| 第一、第三展望台 | ― | ★★ |
| 阿寒湖 | ― | ★★★ |
| 阿寒湖畔 | ― | ★★ |
| 遊覧船(マリモ観賞) | ★★ | |
| 双湖台 | ― | ★ |
| アイヌコタン | ― | ★ |
| オンネトー | ― | ★★ |
| 雌阿寒岳 | ― | ★★ |
| 函館 | ― | ★ |
| 五稜郭跡 | ― | ★ |
| ベイエリア | ― | ★ |
| 元町坂 | ― | ★★ |
| 高龍寺 | ― | ★ |
| 基坂 | ― | ★ |
| 旧函館区立公会堂 | ― | ★ |
| 八幡坂 | ― | ★ |
| 函館山パノラマビュー | ― | ★★★ |
| 大三坂周辺の協会 | ― | ★ |
阿寒湖、摩周湖の三つ星獲得は地元民からすれば当然の結果だと思いますが、じゃあ前回の記載無しは何だったの? と考えてしまいますね。レストランと違って、観光地の景色が大きく変わるとは思えませんので、これは、単純に調査員が見に行かなかっただけ、と判断するしかありません。(^^)
そういう意味で、今回の評価にも不満があります。私の大好きな美幌峠(下の写真)の記載がないのです。摩周湖、阿寒湖が三つ星なら美幌峠だって三つ星がついてもおかしくありません。
上の表で星を獲得しているポイントを見れば地元の人やこの辺の地理に詳しい人なら「ハハ~ン」と察しがつくと思います。そうです。調査員は、おそらく網走方面から来て、摩周湖周辺、屈斜路湖周辺を砂湯~和琴半島とまわってから阿寒湖に向かったので、美幌峠には行っていないのだと考えられます。(あるいは阿寒湖から逆コースだったのかも知れません)
私は断言します!
次回の改訂版では美幌峠は最低二つ星、場合によっては三つ星を獲得する。
今回、北海道の他にも熊野古道が三つ星を獲得していますが、その視点でこの本を見直すと、調査員達は北海道に限らず、まだまだ行っていない良い所がたくさんあると思います。
例えば、下関の角島(下の写真)です。ここも美幌峠同様に最低二つ星以上は確実だと思いますが、下関を含めて記載がありません。

まあ、いろいろと不満な点はありますが、フランス人から見たお勧めの観光スポットを英語で読めるので、なかなか楽しめる一冊です。
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フルフォードはCIAに拉致されたのか? 勃発! サイバーハルマゲドン ベンジャミン・フルフォード著 を読む [社会]

ひさしぶりのフルフォード氏の本です。
最初から衝撃的です。
「ベンジャミン・フルフォードがCIAに拉致されたらしい」私はフルフォード氏のメールマガジンを購読していましたが、ビンラディン殺害の茶番劇(後述)に関する内容を書いた回以降、メールマガジンが中断してしまったため、何か圧力がかかったのではないかと心配していましたが、そのような噂があったとは知りませんでした。
「いや、もう殺されたようだ」
年の瀬も迫った2011年12月13日、そんな情報がいっせいにネットを駆け巡った。この情報はツイッターによるリツイートを繰り返しながら、かなり広範囲に拡散した。本書を手にした読者なら、知っている人もいることだろう。
結局この噂は、「いい気になっていると本当にそうなるぞ」という闇の支配者からの脅しだろうとフルフォード氏は解釈しています。
フルフォード氏は、この一年で起きた、ネットワークを使ったイスラム世界での革命に関して、疑問を持っています。
ネットワークによって生み出された戦争。そのシンボリックな事件が実は「アラブの春」なのである。 まずはアラブの春を生みだすきっかけとなった2010年12月の「ジャスミン革命」を見ていきたい。なぜならジャスミン革命は、翌2011年1月のムバラク大統領を追放したエジプト動乱、アメリカ特殊部隊によるウサマ・ビンラディン殺害、NATO(北大西洋条約機構)によるリビア進撃と「カダフィ大佐殺害」など、緊迫化した中東情勢を生みだした土台となっているからである。そして、「ジャスミン革命」以降の動きに関して以下のように書きます。
・「アラブの春」という呼称は、人々に誤った認識を与える。
・これは「アラブのネット動乱」というべきものである。安定していたイスラム諸国で、スマートフォンとソーシャルメディアによって、手軽に、安価に、少数の人間が扇動するだけで、突如、市民動乱が勃発、国家体制を崩壊させたというべきである。
・アラブ民族の部族社会には西洋的な民主主義はそぐわないものである。
・遊牧民の国家は、強力なリーダー(権力者)による独裁と、独裁者から国民を守るイスラム指導者という「二極対立構造」で成り立っており、それのおかげで安定した国家となっている。
・そのため、アラブ諸国で民主化が進むと間違いなく社会は大混乱となる。独裁者によって大人しくしていた諸部族はいっせいに権力争いをはじめ、国は内乱状態となる。
そして、先に述べたビンラディンの殺害に関する裏情報に関してです。
2011年5月1日「アメリカ特殊部隊 ウサマ・ビンラディンを殺害」
・これは世紀の茶番劇である。
・何故ならビンラディンは、2001年12月に腎臓病で死亡したとパキスタンのオブザーバー紙がトップニュースで報じている。
・ビンラディンは透析器で治療しなければならないほど重度の糖尿病患者であるとアメリカが報じていた。
・そもそもビンラディンはCIAのエージェントである。ビンラディンが率いていたイスラム過激派テロ組織「アルカイーダ」は存在しない。
ビンラディンは丸腰で武装していなかった。特殊部隊のメンバーなら殺害せずとも無傷で確保できたはず、というか、できないはずはあるまい。今回同様の茶番劇によって「スケープゴート」にされたイラクのフセイン大統領は、隠れ家にいたところに乗り込んで逮捕し、DNA鑑定をして本人と特定したうえで、処刑にした。ビンラディンも裁判にかけて死刑にすればよかったのだ。 それをせず、突入直後、問答無用で眉間にダムダム弾をぶち込んだ。明らかに顔面を完全に破壊するのが目的ですよ。「水葬」にしたのは偽物なのでDNA鑑定できないからですよ、そう開き直っているとしか思えなくなるのだ。私もこれはかなり不審に思いました。もし本当にビンラディンが生きていたのであればなぜ生け捕りにしなかったのでしょうか? なぜフセインのように映像で世界中に公開しなかったのでしょうか?
事件はビンラディン殺害の茶番劇から2カ月後、2011年8月6日に起こった。折しもロンドン暴動の日である。結果的に、この事件を扱ったニュースは小さくなった(果たして偶然だろうか?それ以上に広島に原爆を投下した日なのも意味深である)。この件は、政府が何を言おうとかなり疑問が多い事件です。
「ヘリ墜落、米兵ら38人死亡アフガン、タリバン攻撃か」
AP通信によると、アフガニスタンに展開する国際治安支援部隊(ISAF)のヘリコプターが6日、中部ワルダク州で墜落し、米軍特殊部隊員31日人とアフガン兵7人の計38人が死亡した。反政府武装勢力タリバンがヘリを撃ち落としたと主張しているという。(共同通信2011年8月7日)(中略)
「死亡した米兵のなかには、海軍エリート部隊「ネイビー・シールズ」のメンバー22人が含まれている。軍当局者によると、シールズはウサマ・ビンラディン容疑者の殺害作戦を実行した特殊部隊だった」(中略)
その後、アメリカ政府、アメリカ軍は「死亡したのは強襲したメンバーではない」と否定し続けた。否定するのは、誰もが「口封じに殺されたのでは」と疑っているからであり、政府としても疑われて当然と思っているからであろう。
・シールズ「TEAM6」はアメリカ軍の特殊部隊のなかでも、対テロ部隊に特化した精鋭中の精鋭部隊で要人暗殺を専門としているはずである。その部隊がなぜアフガニスタンで救援任務についたのか理由が分からない。
・ヘリはタリバン側の携帯用小型ロケット(RPG)で撃ち落とされたが、「実際に戦闘でアメリカの高性能ヘリがRPGで撃墜される可能性はゼロ」と断言している。
まあ、いずれにしてもこの「ビンラディン殺害」を口実として世界各国でそれを名目としたテロが起きても全然不思議でない状況となったことは確かです。私は日本でも各地の原子力発電所で爆弾テロが起きるのでは? とかなり真剣に心配しました。
そして、ロシアのプーチン首相は「闇の支配者」と戦っていると書いています。プーチン首相はカダフィ大佐とは盟友関係にあったそうです。
「ロシア首相、カダフィ殺害に米国が関与と批判」CNN 2011年12月15日
ロシアのプーチン首相は15日、国営テレビに出演し、米軍機がリビアのカダフィ大佐殺害に関与したと非難した。番組内でプーチン首相は、マケイン米上院議員が「首相はカダフィ大佐と同じ運命をたどるだろう」と述べたとされる件について質問され、こう答えた。「これが民主主義だろうか。米軍機を含む無人爆撃機がカダフィ大佐の車列を攻撃し、その場にいるはずのない特殊部隊が、いわゆる反政府勢力や民兵を無線で呼び寄せた。そして捜査も裁判もなしにカダフィ大佐は殺された」
・「リビア内戦」と「カダフィ大佐の死」は闇の支配者が仕組んだ陰謀である。そして、プーチン首相はロシア・トゥデイで「アラブの春」を演出したFacebookなどのソーシャルメディアやGoogle、Yahoo! などの情報検索サイトなどの現状に関して、ウキリークスのジュリアン・アサンジのインタビューを公開しました。
・カダフィは石油取引をドル建てではなく金取引にしようとしたので殺された。(フセインは石油の決済をドルからユーロに切り替えようとしてアメリカの逆鱗に触れた)
・リビア内戦は、NATO(英、仏、伊、加)+CIAによる軍事制圧である。闇の支配者によるイスラム諸国への軍事侵攻である。
・この内戦によって闇の支配者は、石油の資産価値100兆円、13兆円以上のリビアの在外総資産を資産凍結の名目で差し押さえ、復興資金の名目で横取りする手はずである。
ジュリアン・アサンジのインタビュー(ロシア・トゥデイ)
FacebookやTwitterのようなソーシャルネットワーキングサイトが中東の革命でどんな役割を果たしたと思いますか?
「Facebookは、人がかつて発明したなかで最もおぞましいスパイマシンだよ。人とその人間関係、名前、住所、所在、お互いのコミュニケーション、親類に関する世界で最も詳細なデータベースが全部、アメリカの手中にあって、全部アメリカの情報機関からアクセスできるんだからね。
いいかい、Facebook、Google、Yahoo!こうしたアメリカのデカいIT企業って、アメリカの情報機関専用のインターフェイスを実装しているんだ。令状とって、情報にアクセスさせる犯罪捜査とかの話じゃなくて、アメリカの情報機関が好き放題、使えるよう、最初からインターフェイスを備えているんだ。(中略)
企業としても、いちいち記録、ログを提出していたのではコスト的に大変だろう。だから、誰かの個人情報にアクセスしたいというなら、こういうインターフェイスを実装しとくんで、勝手に見てよ、というだけ。だからさFacebookで、友だちをがんがん追加してさ、ウォールに自分のプロフィールやら写真やら故人情報を載せているのって、アメリカの情報機関のために、わざわざデータベースを作ってあげているっていうか、CIAのためにタダ働きしているんだってぐらいの認識はもっておくべきだね。
私はFacebookはほとんど使用していませんが、いかにもありそうな話ですね。
日本でもFacebookなどのソーシャルメディアはかなり普及していますので、アサンジ氏のコメントが本当だとすると恐ろしい話です。Googleに関しては苫米地先生の本にもCIAに関係しているような示唆があったように思います。
その他にも、「3.11の東日本大震災」に関していろいろと書かれており、興味深い本です。
「陰謀論」が嫌いな方にも一読をお勧めしたい本です。
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完全放置すればがんは痛まない! 大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ 中村仁一著 を読む [健康]

いや~! ビックリしました。本の題名通りの非常に衝撃的な本です。
著者の中村仁一氏の経歴は、京都大学医学部卒業、財団法人高雄病院院長、理事長を経て現在は社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長です。
中村先生の主張をまとめると
「大きな病気になると医者にかかり、最後は延命処置をするので、とても苦しんで死ぬことになる。無駄な手術や医療処置をせずに「自然死」すると楽に死ぬことができる。」
ということになると思います。
いわゆる「自然死」というものは、通常はありえないことを改めて認識しました。
その老人ホーム勤務も12年目に入り、最後まで点滴注射も、酸素吸入もいっさいしな「自然死」を数百例もみせてもらえるという、得がたい体験をしました。 病院では、最後まで何とか処置をします。いや、しなければならないところですから、「自然死」はありえません。(中略) また、医者の方も、何もしないことには耐えられないでしょう。しかし、それは、穏やかに死ぬのを邪魔する行為なのです。 ですから、ほとんどの医者は、「自然死」を知りません。人間が自然に死んでいく姿を、見たことがありません。だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、言いだすのです。
中村先生からの質問です。みなさんは、どうでしょうか?
私も半分くらいは○が付きました。○がゼロが正解だそうです。
治療に関する思い込み度テスト(信頼度テスト)
①ちょっと具合が悪くなると、すぐに医者にかかる
②薬をのまないことには病気はよくならない
③病名がつかないと不安
④医者にかかった以上、薬をもらわないことには気がすまない
⑤医者は病気のことなら何でもわかる
⑥病気は注射を打った方が早くよくなる
⑦よく検査するのは熱心ないい医者だ
⑧医者にあれこれ質問するのは失礼だ
⑨医者はプロだから、自分に一番いい治療法を教えてくれるはず
⑩大病院ほど信頼できる医者がたくさんいる
⑪入院するなら大病院、大学病院の方が安心できる
⑫外科の教授は手術がうまい
⑬マスコミに登場する医者は名医だ
⑭医学博士は腕がいい
⑮リハビリはすればするほど効果が出る。
これは、最近は他の本でもよく見かける主張です。このことを再認識する必要がありますね。
本人に治せないものを、他人である医者に治せるはずがない 病気やケガを治す力の中心をなすものは、本人の「自然治癒力」です。だから、少々のケガや病気は、医者にかかららなくても薬を飲まずに放っておいても治ります。
「自然死」というものは、本人は苦しまないで死ねるようにできており、手を尽くして医療処置や延命処置をすることで、本人を苦しめているという警鐘を鳴らしています。
「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」
「飢餓」では、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、いい気持ちになって、幸せムードに満たされるといいます。また「脱水」は、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぼんやりとした状態になります。(中略)酸欠状態では、前述のように脳内モルヒネ様物質が分泌されるといわれています。(中略)一方、炭酸ガスには麻酔作用があり、これも死の苦しみを防いでくれています。
このように死というのは自然の営みですから、そんなに苛酷ではないのです。
最後にがんについてです。他の本にも、がんは日頃の不摂生を補うための修復細胞である、というような主張があり、私も納得していました。しかし、そうは言っても「がんは痛みがひどい」という話をよく聞きますので、それに関しては疑問に思っていましたが、中村先生の主張で納得しました。
がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいます。以前から「死ぬのはがんに限る」と思っていましたが、年寄りのがんの自然死、60~70例を経験した今は、確信に変わりました。 繁殖を終えた年寄りには、「がん死」が一番のお勧めです。ただし、「手遅れの幸せ」を満喫するためには、「がん検診」や「人間ドック」など受けてはいけません。
がんは完全放置すれば痛まない
死ぬのはがんに限る
私は、20年以上も前から「死ぬのはがんがいい」「がんに限る」とあちこちで口走ったり、本に書いたりしてきました。(中略) 私も以前から、がんで痛みが出るのは、放射線を浴びたり、”猛毒”の抗がん剤で中途半端に傷めつけたりするせいではないか。完全に根絶やしにできるのならともかく、残党が存在する以上、身内を殺された恨みで、復讐に出てもあたり前と思っていました。
今はそれが、確信に変わっています。
中村先生の主張は明確ですが、実際には自然死を実行することは難しいようです。
死にそうになった患者を見ると、医者としては精一杯の治療をすべきだと考えますし、家族も見殺しにはできないと思って医者に同意する。(それが本人にとっては苦痛意外の何ものでもないにもかかわらず)
みなさんもこの本を読んで、自分が看取る立場になった場合や看取られる立場になったことを考えてみてはいかがでしょうか?
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大東亜戦争の一番の戦犯はペルリだ! マンガ 最終戦争論 石原莞爾と宮沢賢治 江川達也著 を読む [社会]

「東京大学物語」、「日露戦争物語」などで人気の江川達也氏の本です。
石原莞爾は、山形県出身の陸軍軍人で最終階級は中将です。関東軍の作戦参謀として関東軍による満蒙領有計画を立案し、満州事変の仕掛け人として有名です。そして元中国皇帝である溥儀をかついで満州国を建国し、「王道楽土」、「五族協和」を掲げて最終的には日本、中国からも独立させようと考えていたようです。
石原莞爾は、関東軍は対ソ連との戦いに備えて満州の軍備を強化し、中国本土への戦線拡大には反対していました。1937年の支那事変の時は参謀本部でしたが、強硬派を抑えることができませんでした。そして、当時の関東軍参謀長であった東條英機と対立して最終的には左遷されて予備役に追いやられています。
石原は、東條を「東條上等兵」、「憲兵隊しか使えない女々しいやつ」などとこき下ろし、大東亜戦争に関しては「油が欲しいからとて戦争を始める奴があるか」と開戦には反対していました。そして、東條との確執に対しては「私には些細ながら思想がある。東條という人間には思想はまったくない。だから対立のしようがない」と証言しています。
石原莞爾は熱心な日蓮宗の信者であり、『世界最終戦論』を唱えて東亜連盟構想を提案し、戦後の右翼思想に影響を与えました。ちなみに極真会館の大山倍達館長も東亜連盟で石原莞爾を師事していました。
この本の最初に、戦争犯罪者の候補としてリストに入っていた石原を検察団が訊問するところから始まります。
石原:あなた達は実に運がいい。私が日本軍を指導していたらあなた達が負けていたでしょうね。
検察団:はははははは
石原:ふふ・・・
検察団:戦争犯罪人の中で誰の罪が一番重いと考えますか?
石原:トルーマン
検察団:トルーマン? それは我がアメリカ合衆国の現在の大統領であるトルーマンのことを指して言っているのですか?
石原:そうです。トルーマンが大統領に就任した時・・・ アメリカ軍から日本中にこのビラが撒かれましたね。トルーマン大統領の名前で・・・
検察団:Yes.
石原:ビラの内容を知っていますか?
検察団:Yes.
石原:もし日本国民が戦争に協力するなら老人 子供 女 といえどもすべて爆殺する。ですね。
検察団:Yes.
石原:国際法で非戦闘員すなわち将兵以外の民間人は・・・ 爆撃してはならないと規定されています。
検察団:脅しただけです。
石原:いや。ビラに書いてあるとおり実際に行ったでスナ。B29は軍需工場だけでなく一般の人々を爆撃し・・・ 広島 長崎に原爆を落としたでスナ。一国の大統領がビラを撒き野蛮な行為をして反省無しのようでスナ。日本はそんな大統領の国のアメリカと戦争したのが恥ずかしいです。
検察団:あなたは満州事変を指揮しましたね。
石原:満州事変もこの裁判で裁きたいですか?
検察団:Yes.
石原:日本の罪をどこまで遡って裁きたいのですか?
検察団:日清戦争 日露戦争まで遡りたいです。
石原:なぜ?
検察団:満州事変の原因は日本の大陸侵略すなわち日清 日露の戦争にあります。
石原: わかった この戦争の一番の戦争犯罪人はペルリだ。
検察団:我々はこの戦争の元凶は満州事変における日本の大陸侵略にあってその侵略の元凶である日清・日露戦争まで遡って裁きたいと言ったのです。なぜ突然それがペルリ艦隊司令長官がこの戦争の一番の犯罪者として裁かれなくてはいけないという話になるのですか?
石原:我々は徳川幕府の頃鎖国していました。満州だって朝鮮半島だって台湾だって必要ではありませんでした。であったのにアメリカからペルリが黒い船に乗ってやって来て大砲で脅かして門戸解放を迫り、日本を世界の荒波に押し出しペルリ自身が侵略のお手本を示しました。こうなると日本としてもなんとか人として生きて行こうといろいろ考えてアメリカを大先生として日本も泥棒の侵略を覚えたのです。ペルリは日本の侵略の大先生です。
ペルリをあの世から呼んで 戦争犯罪人として裁いたらよいでスナ。
東京裁判では、戦犯の要件として「平和に対する罪・人道に対する罪」という新しい法律が追加され、パール判事はこれは事後法であり、全員無罪を主張したのは有名ですね。
まあ、これは戦勝国の「見せしめ裁判」であることは明白なので、日本人がそれを受けて「A級戦犯」だからと言って犯罪者扱いするのはおかしな話です。東京裁判を裁いた連合国、特に米国は戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン紛争、イラク戦争など次々と戦争をして「平和に対する罪・人道に対する罪」を犯しています。
もし本当に東京裁判が公平な裁判なら、石原莞爾が指摘するように、なぜトルーマンなどの罪を犯した戦争当時のアメリカ大統領はA級戦犯にならないのでしょうね。
これほど「平和に対する罪・人道に対する罪」を犯す国に戦犯として裁かれたというのは情けない話です。
この本は、江川達也氏の歴史観と石原莞爾、宮沢賢治に対する思いが描かれています。氏の歴史観を受け入れられない人にはいろいろと言いたくなる本かも知れません。私も読んでいて、これはちょっと...と思う歴史解釈もいくつか描かれています。でも、私は江川氏のファンなので大きな問題ではありません。
石原莞爾について知りたい人、石原莞爾を軸として大東亜戦争を見たい人、そして江川達也氏のファンにはとてもよい本だと思います。
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AKBをプロデュース? 技術で勝る日本がなぜ事業で負けるのか 妹尾堅一郎著を読む [ビジネス]

少し前に出された妹尾先生の技術経営に関する有名な本です。
妹尾先生のプロフィールです。
慶応大学経済学部卒業 ⇒ 富士写真フイルム入社 ⇒ 産能大経営情報学部助教授 ⇒ 英国国立ランカスタ- 大学経営大学院博士課程満期退学(^^) ⇒ 慶應義塾大学助教授・知的資産センター副所長を経て、東京大学特任教授(知的資産経営総括寄付講座、東大イノベーションマネジメントスクール実施責任者)、一橋大学大学院MBAなどの客員教授を歴任されています。
私は10年ほど前に六本木ヒルズで行われた短期セミナーで教えを受け、それ以来、先生の活動には注目して見ていました。先生には「アキバをプロデュース」という本があったため、ちょっと前まで「AKB48」は妹尾先生がプロデュースしているのだと信じていました。(笑) いいえ、今でも秋元康氏を裏で操っているのは妹尾先生では? と疑っています。
それくらいやりそうだな、と思えるほど斬新な発想と行動力そして、業界人の雰囲気を持っています。(^^)
妹尾先生がこの本で言っていることを簡単にまとめてみましょう。
・日本の産業競争力は崩壊間近ではないか? ⇒ DRAM、LCD,DVDプレーヤーカーナビなど、当初日本がシェアの大部分を占めていた産業で、グローバル市場で大量普及が始まると日本のシェアは急激に落ちている。そして、そんな一人負けの日本企業を置き去りにして業績を上げているのが、欧米の企業です。
・日本は科学技術大国だが、科学技術立国になっていない
①技術で勝っても事業で負ける。
②技術で勝って、知財権をとっても事業で負ける。
③技術で勝って、国際標準をとっても事業で負ける。
・生産性の向上だけで競争力を評価してはいけない。
①インプルーブだけでなくイノベーションが重要。
②従来モデルの磨きあげか、新規モデルへの移行か?
・日本企業は発展(Development)ではなく、成長(Growth)を目指している。
⇒ インプルーブはできるが、イノベーションは生まれない。
⇒ 海外メーカーにビジネスモデルを変えられて負け続けている。
妹尾先生は、その中でインテルに注目しています。
・なぜインテルだけ一人勝ちか?ではどうしてインテルは一人勝ちできているのでしょうか?
⇒ インテルは2009年1~3月期で640億円の黒字。
①ルネサス、NECエレが2010年4月に合併するが、1,500億円の赤字。
②東芝は2009年3月で2,800億円の赤字。
③エルピーダも1,800億円の赤字。
④特許の数ではNEC、東芝それぞれ2,000件所有しているが、インテルは320件しか取っていない。
・インテルは、PCを完成品主導から基幹部品(MPU)主導に変えることで主導権を握った。 (「インテルインサイド」モデル)90年の前半、日本ではNECのPC98が圧倒的なシェア(ほとんど独占)を獲得していました。
①MPUとOSが主役となりPCは脇役となった
・急所技術の開発による基幹部品化
⇒ 外部機能とつなぐPCIバスのブラックボックス化、 外部とのI/Fはプロトコルを国際規格化
⇒ 周辺、関連部品メーカーは標準規格による製品開発を実施
・基幹部品を組み込んだ「中間システム」の生産(基幹部品を中間部材を形成するレシピ付きで販売する)
⇒ マザーボードのノウハウを台湾メーカーに提供することで 安価な台湾メーカー製マザーボードが大量に出回る
・国際イノベーション協働によるディフュージョンの分業化
⇒ 部品から完成品までを自社だけで垂直統合していた企業が勝つのではなく、そのプロセスを分担した連合軍が勝つ構造
⇒ ディフュージョンプロセスは台湾メーカーなどに任せるが、ビジネスの要所は欧米諸国が押さえる
②インテグラル型製品だったPCをMPUを起点としてモジュラー型製品に変えた
⇒ 従来のインテグラル型の製品を最初から最後まで自前で開発する日本企業を打ち負かす「勝利の方程式」
⇒ 知らない間にビジネスモデルを変えられていた。
でも、秋葉原のショップではより高性能な台湾製のIBMコンパチのPCが安く売られていました。Windows3.0の登場で日本語処理の問題もなくなったため、PC98である必要がなくなりNECのシェアはどんどん落ちていきました。
当時の私は、なぜ最新のテクノロジーであるPCが台湾製なのかわからなかったのですが、インテルの戦略通りだったのですね。このインテルの戦略のおかげで最新のCPUやハードディスク、メモリなどがモジュール化されたため、言葉は悪いですが「女子供でも」PCを簡単に自作できるようになりました。
ここには日本が得意な職人技の擦り合わせ技術が全く不要になったのです。
そして先生は「技術がビジネスで勝つための必要かつ十分条件ではなくなった」例として、完成品主導型である「アップルアウトサイド」モデルを提唱しています。
確かに、アップルのipodを見ると、日本製の部品をたくさん使っていますし、使用している技術も既存の技術にすぎないと思えますよね。
でも、アップルは他のメーカーにはできないような「モノとサービスの連携、部品をつなぐインターフェースの技術には徹底的に知恵を絞る」ということをやったのです。
そして先生の主張するポイントです。
研究開発戦略、知財戦略、事業戦略の三位一体の経営戦略国際標準に関しては、確かに欧米の企業は主力メンバーをアサインしていますが、日本の企業は一部を除いて、どちらかと言えば、手の空いている人がアサインされていることが多い(多かった)と思います。
⇒ 製品のアーキテクチャーの工夫と急所技術の見極め
⇒ どの技術を権利化してどこを秘匿するか、どこを標準化して仲間作りを行うか
⇒ 市場拡大と収益確保を同時に達成するためのビジネスモデルの構築
「技術が秀でているのなら、それを活かす知恵を絞りなさい。技術が劣っているのなら、それをカバーする知恵を絞りなさい」
・知財マネジメント=特許を取ることではない
⇒ あえて権利化しないでノウハウを秘匿することも重要
・特許出願=技術開示 ⇒ 中国、台湾、韓国などに技術が漏出
・国際標準の重要性を認識していない日本の経営者が多い
先生が良く出される言葉です。
「三流の企業は製品を作り、二流の企業は技術を開発し、一流の企業は標準を作る」
標準は、スポーツで言うと一番重要なルールです。サッカーで「手を使っても良い」というルールに変更すれば、全く違うスポーツになってしまいますよね。
これは欧米の人達は、昔から得意な分野です。F1でホンダが勝ち続ければ、自分たちが有利になるようにレギュレーションを変える。スキーのジャンプのV字で日本人が勝ち続けると自分たちが有利になるようにルールを変える。複合で荻原健司が勝ち続けると同じようにルールを変える。
ビジネスの世界でも80年代~90年代にかけて日本企業に負けていた欧米のメーカーたちは、日本の「ものづくり」技術には敵わないため、必死に戦略を練って自分たちが勝てるような国際標準を作り、ビジネスモデルを変えていったのです。
私たちは、そのようなことを昔からやり続けてきた人達とビジネスで戦っているのです。
私たちも真剣に長期的な視野で戦略的に戦うことが必須ですね。
そのためには、必読の書だと思います。
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マスコミの報道を疑え! 国家の恥 一億総洗脳化の真実 上杉隆著 読む [震災・原発]

東日本大震災から1年が過ぎました。
1年前を思い出すと、計画停電のために電池やローソクを探して走りまわったり、通勤で苦労したり、ガソリンの供給がなくなりガソリンを売っているスタンドを探して車で走りまわったりと、今考えると懐かしいような気がしますが、二度と味わいたくない思いもしました。
最近、また地震が増えていますが、あの当時は、それこそ毎日のように震度3、4くらいの地震が起きていましたよね。
そして何よりも私たちが不安だったのが、福島の原発事故です。震災、津波による被害もさることながら、私たちが体験したことのない、原発事故による被害に関する恐怖におびえていました。
「福島の住民たちは大丈夫なのか?」、「東京に住んでいた外国人は日本から脱出しているのに、私たちは本当に大丈夫なのか?」、「原発事故はどうなるのか?」などなど、日々不安になりました。
今回ほど、政府、TV・新聞などの大手マスコミがあてにならないことを実感したことはありませんでした。明らかに政府やマスコミは真実を隠している、ということを実感したのでWebで情報をかき集める毎日が続きました。そんな時に私の心の支えになったのが、大前研一氏、武田邦彦教授、上杉隆氏、苫米地先生などのHPやブログの情報でした。
特に、上杉氏は記者クラブに入っていないフリーランス記者として、私たちに新聞やTVでは得られない情報を与えてくれました。
震災の起きた次の週から実施された計画停電に関してです。
●2011年3月17日:被災地への支援を止めないために、計画停電よりも「節電」で対応を!
・なぜ「計画停電」を実施しなければならないのか。なぜ政府と東京電力による愚かなプロパガンダに易々と騙されているのか。 電力会社をスポンサーとし、批判精神を失った大手マスコミに何かを期待するのが馬鹿らしい。
だが、日本では、思考停止に陥って久しい彼らこそが影響力を持って、愚かな政策を国民に呼びかけているのが現実だ。
・街のネオン看板は消され、営業時間を短縮する店舗がほとんどだ。だれもが節電に協力している。にもかかわらず、政府と東電は「計画停電」を強行している。果たして本当に電力不足なのか。「計画停電」の必要性を煽っている民放テレビ局は同じような映像を24時間放送し続けている。 電力消費量の多い民放テレビ局は、同じような映像を繰り返し流しながらも、誰一人「計画停電」を批判しようとしない。
政府が出した安全だ、安全だと繰り返した避難区域に関してです。
●2011年3月24日:海外諸国と日本政府 避難範囲50キロメートルの差 - 枝野官房長官に「安全デマ」を問い質す
・官邸、東電、経産省、記者クラブ、御用学者による「安全デマ」が、日本を滅ぼそうとしている。「安心だ」「安全です」「ただちに影響を及ぼすことはありません」という根拠の薄い楽観論に拠って、国民を絶望の淵に連れて行こうとしている。
・震災発生以来、最悪の事態を想定して、各国政府の示す統計や海外メディアの論調をソースを明示しながら、その可能性に触れてきた筆者への評価は、「デマを飛ばすインチキ記者」という匿名の中傷に集約される。 とくに、福島第一原子力発電所の事故について、「水素爆発」「人的被害」「80キロメートル圏外へ退避勧告」「農作物被害」「首都への放射線汚染」「メルトダウン」などの可能性に触れた途端、それは頂点に達した。 内閣官房を筆頭に、政府からも批判され、大手メディアからは白眼視されている。だが、結果はどうか。いつか必ず明らかになるだろう。だが、それまでは何も言うことはない。
そして、「低濃度汚染水」と名付けられた「高濃度汚染水」の海洋投棄に関してです。この愚挙に関するスピーディーな政府の判断は、米国による指示だったことが後で分かりました。
●2011年4月7日:日本が「海洋汚染テロ国家」になる日 - 放射能汚染水の海洋投棄に向けられる厳しい視線
・自由報道協会はきょう(4月6日)、元佐賀大学学長の上原春男氏の共同インタビューを主催した。上原氏は福島第一原子力発電所3号炉(もしくは5号炉)の設計にかかわり、外部循環式冷却装置の開発者でもある。
・その上原氏は、放射能汚染水を海洋に流し続けるという決定を下したばかりの政府に対して、繰り返し嘆いた。「なんで、あんなことをしたのか。海洋に放射能汚染水を流すなんて信じられませんよ。誰がそんなバカなことを決めたのか。これで日本は世界中を敵に回した。恥ずかしい。せっかくの信頼のある国だったのに、本当になんてことをしてくれたんだ」いまや政府と東京電力による愚かな決定に数々は、日本を「海洋汚染テロ国家」に仕立て上げようとしている。
・毎時8トン以上の冷却水を注水しているのだから、貯蔵タンクもすぐに満杯になることは分かっていた。だが、その状況を再三質問してきたフリーランスジャーナリストたちの声を掻き消すかのように新聞・テレビは「低濃度の汚染水」の海洋投棄の安全性を強調し続けている。 そもそも、テレビ・新聞が使っている「低濃度」という言葉は東京電力の造語だ。通常の環境基準の100倍以上、つまり普通に考えれば高濃度なのである。この点を東京電力に問うと「相対的なものであり、高濃度と比べて低濃度であるということです」という木で鼻をくくったような回答が返ってきた。
これは、このブログでも何度か主張していることです。なぜ、東電幹部は逮捕されないのか?ということに関してです。
●2011年7月1日:なぜ東京地検特捜部は東京電力本店を家宅捜査しないのか
きのう、東京電力の株主総会が開かれた。約6時間に及ぶロングラン総会は荒れ模様となったものの、社長の交代、原子力発電の続行など、結局、当初の方針通りに終了した。結果として、東京電力は株主総会を乗り切ったのである。東京電力は、国家を滅ぼすような大事故を起こした企業である。そのうえで情報隠蔽を繰り返し、国民の健康や生命に危害を及ぼそうとしている。にもかかわらず、お咎めはない。いったいどういうことなのか。
・そうこうしているうちに、株主総会は終わり、社長は交替した。東電幹部は、実質、誰一人責任を取らずに給料をもらい、普通の生活を送っている。一方で、ユッケを売った社長は、徹底的に糾弾され、人生のケリを付けさせられようとしている。 思えば堀江貴文氏に対してもそうだった。検察は、堀江貴文氏を、なんの前触れもなく逮捕し、家宅捜査を繰り返し、結果、会社をつぶし、実刑有罪判決を食らわせ、刑務所にぶち込んだ。マスコミは彼らを極悪人に仕立て上げ、社会から抹殺した。 だが、彼は、本当にそんなに悪いことをしたのだろうか。 この国では、あまりに「巨大な悪」は免責されるのだ。国家が加担し、マスコミが黙認した犯罪は、見逃されるのだ。そして、5年後、10年後、国際賠償などの信じがたい不幸がこの国を襲い、多くの国民が被爆による健康被害と戦い始めた頃、東電幹部たちは、引退し、何食わぬ顔で生活していることだろう。
初めてこのニュースを知ったときは、単純に「民主党も人材がいないんだな~」と思いましたが、それがメディアによる虚報であったという話です。この国のマスメディアはどうなっているのか、と思いますね。
●2011年10月13日:鉢呂前経産の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!
火曜日、筆者が司会を務める「ニュースの真層」(朝日ニュースター)に鉢呂吉雄前経済産業大臣が生出演した。
冒頭、筆者は鉢呂氏が発したという「放射能つけちゃうぞ」発言の真意について聞いた。「放射能と言った記憶がないのです。確かに相槌を打ったような気もしますが、それもはっきりせず、自分で言ったような記憶はない。私も長年政治家をやっていますから、自分で言った言葉については大抵覚えております。でも、放射能という言葉自体、あまり使ったことがありませんし、放射性物質などということはありましたが、なにしろ記憶にないのです。でも、優秀な記者さんたちがみんなそう報じるので、どうしてなのかなと思っておりました。」結論からいえば、鉢呂氏は「放射能」も「つけちゃうぞ」も発言していない。発言のあったとされる当日、東京電力福島第一原発所の視察から戻った鉢呂大臣(当時)が、赤坂宿舎に集まった4、5人の記者たちと懇談したのは事実だ。だが、防護服を着用したままの鉢呂氏に「放射能」という言葉を使って、水を向けたのは記者たちのほうであり、それに対して、鉢呂氏は何気なく相槌を打っただけというのが真相なのだ。 つまり、マスコミが勝手に自ら言葉を発して、何も語っていない政治家の話した言葉として勝手に報じて、勝手に責任を追及し、デマによって世論を煽り、ついには大臣を辞めさせてしまったというだけの話なのだ。 なんとばかげたことだろう。とても民主主義国家のメディアの仕業とは思えない。根拠のないデマによる集団リンチであり、ジャーナリストの自殺行為だ。
今回の一連の大震災の大手メディアの報道を見て、みなさんもその信頼性のなさを痛感したと思います。これからも上杉氏をはじめとしたフリーランス記者たちの活躍を期待します。
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スティーブ・ジョブズは本当に神か? 成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈 成毛眞著 を読む [ビジネス]
2011年にApple社の創業者であるスティーブ・ジョブズが亡くなりました。彼の亡くなった後、ジョブズに関する多く本が出され、彼のカリスマ性を讃えました。特に2011年10月24日に発売されたジョブズの伝記「スティーブ・ジョブズ」は、Ⅰ、Ⅱ巻合わせて100万部を突破したと報道されています。
「日本からスティーブ・ジョブズは現れるか?」、「ジョブズを見習え!」というような主張が多い中で、ジョブズが倒すべき相手と名指ししていたマイクロソフトの日本法人の社長であった成毛眞氏が当事者からみたジョブズを書いています。
ジョブズは、本当に多くのメディアが謳ったような”神”なのか。事実、伝記には全編にわたって、読む人が全く理解不能な、不規則な動きで暴れまわる子どものようなジョブズの記録が描き出されているだけである。彼は本当に現代が求める神の姿なのであろうか?
そもそも、優秀な大人が多い日本人が、ジョブズのような子どもをもてはやすのが私には信じられない。日本は世界に誇れる、素晴らしい大人たちの国である。勤勉で、真面目で、和を重んじ、親切だ。そしてそれが、国民全体に美徳として共用されている。この素晴らしさが世界からどんな評価を得ているかは、ちょっと旅行してもらえば分かることだ。なぜこんな大人の国が、ジョブズという一人の子どもに夢中になったのか。
成毛氏は、ジョブズの本質を次の一文で的確に表現しています。
ジョブズが生涯を通して言ってきたことはたった一つ「ほら、こんな面白いものを作ったよ! みんな見て! いっしょに遊ぼうよ!」である。
成毛氏は、「ジョブズの伝説はフィクションである」と断言します。そして、創造的な人間になろうとしてジョブズの生き方を真似ようとしている人たちは、自ら創造性を放棄していることになると言います。
ジョブズの伝記を読む
⇒ 100万人の同じ考えの人たちの仲間に入る
⇒ 自分の競合を100万人増やしているだけ
①ジョブズはアイドルである。フィクションとしての自分を演じている。
②ジョブズのサクセスストーリーは、アップル製品を買わせるためのブランディング戦略である。
⇒ ジョブズは「優れたセールスマン」である。
③ジョブズはビル・ゲイツ=マイクロソフトを敵だと喧伝したが、マイクロソフトは相手にもしていなかった。
⇒ アップルは単なる業界の最下層のヒエラルキーに属するハードウエアメーカーである。
④ジョブズは天才ではない。
⇒ 天才とは発想に飛躍があること。ジョブズは半歩先の未来を作っただけ。
②について説明すると、業界構造の中ヒエラルキーは以下のようなものだそうです。
(いちばん偉い)
1.ソフトウエアのOSを作っている製作者(マイクロソフトなど技術者やカンパニー)
2.OSを作るための言語などのツールの製作者
3.データベースやサーバープロダクト、ネットワークプロダクト製作者
4.一般ユーザーが使うアプリケーションを作っている製作者
5.ハードウエアメーカー(アップルなど)
(一番偉くない)
アップルの属するハードウエアメーカーには、DellやHPなどたくさんのメーカーがしのぎを削っており、アップルの代わりになるメーカーはたくさんありますが、OSを作っているマイクロソフトの代わりになるメーカーはいないということがそのヒエラルキーを決めていると言って良いと思います
そして、そのヒエラルキーの最下層であるアップルのジョブズが、最上層であるマイクロソフトのビル・ゲイツに噛みつき、敵対関係をユーザーに対してアピールしていたということになります。
このヒエラルキーは業界の客観的通念なので、格下のハードウエアベンダーである若かりし頃のジョブズがマイクロソフトを敵視してギャーギャー言ったところで、OSを作っている最上位に位置する最大手ソフトウエアメーカーのマイクロソフトからすれば「一対何を言っているんだろう?」という感じになって当然である。(中略)
「アップルはOSも作っているじゃないか」という話がでてくるが、そもそも自分たちの製品のためにしか作っていない時点でソフトウエアとして格が下がるし、今でこそきちんと動いているが、アップルⅡだのMachintosh SE/30 だのが出てきた70~80年代当時のMac OSはバグだらけでとてもビジネスでは使えない代物だった。
「使い用のないものを作って大声で騒ぎ立てて、何が楽しいんだろうね」といった具合で、それがさらに業界内でのシカト感を加速させていた。
そして、みなさんご存じのWindowsはMacのパクりである! というジョブズの主張に関してです。
しかし、知っている人は知っていますが、Macにしてもゼロックスのパロアルト研究所でアラン・ケイが中心となって1973年に開発したAltoというマシンのGUIをパクってマッキントッシュができたのです。今、私たちがPCを使う時にマウスを使ってアイコンをクリックすることですべての操作ができるのも、このアラン・ケイのおかげなのです。MS DOSをいじっていたような人は実感として分かると思いますが、GUIがない時代は直接コマンドをキーボードで入力してマシンを動かすことしかできませんでした。
さらにジョブズは「WindowsはMacのパクりである」として訴訟を起こしました。ビル・ゲイツを始めとしてマイクロソフトの社員は緊張して対戦モードに入ったかと思いきや、
ビルから平社員まで全社一致で「正気か!?」と思い、さらに「本気でバカなんじゃないのか?」と噴き出していたのだ。ところが、この訴訟は、証言にたったアラン・ケイの一言で一瞬にして終わったそうです。(笑)
もとネタが同じOSを作っている会社同士が戦うのである。どう考えても時間のムダだ。一応「マジっすか?」という旨はアップル側に伝えたというが、反応なし。やる気満々である
「バカ言ってんじゃない。お前らが作る10年も前に私はGUIを作って出している。だけど私はこれを未来のために公開情報にしているわけだから、どんどん使って進歩させてくれればいい。こんなバカげた裁判起こすんじゃない。」
完封負けである。ジョブズは起訴を取り下げ、マイクロソフト社内は爆笑に包まれた。本当にこちらが恥ずかしくなるような裁判であった。
確かにジョブズ関連の本を読むと、契約があるにもかかわらず一方的にその変更を迫ったり、必要な経費の支払いを拒否して罵声を浴びせかける、など通常のビジネスでは考えられないことがたくさん書かれています。結果的にAppleが大成功を成し遂げたのでポジティブに受け取られるかも知れませんが、失敗していたら「とんでもないヤツ!」という評価になっていたように思います。
この本はマイクロソフトにいた成毛氏だからこそ書けた内容が満載です。
ジョブズにあやかってたくさんの本が出され、ジョブズ礼讃の記事が踊っている今こそ読んで欲しい一冊です。
ジョブズ信者、Mac信者およびそれらに洗脳されている人たちには必読の書と言えます。
【蛇足】
私は1997年ころアップル社と共同でとある製品を開発していました。アップル本社に出張の直前に、アップルのCEOがギル・アメリオからスティーブ・ジョブズに変わったという報道がされました。この仕事はどうなるのか?と思いつつサンノゼに旅立ちました。
当時一緒に仕事をしていたアップルのメンバーは、中国系、韓国系の人が多かったですが、彼らから「ジョブズは気に入らないとすぐにfire 解雇 する」、「気に入らないビジネスはすぐに中止する」などの話を聞いていましたが、懸念の通り私たちのビジネスは中止となってしまいました。
発売されていれば、少なからず業界にインパクトを与えられたと思いますので、今でも本当に残念です。「ジョブズめ、覚えていろ!」 と思いました。本当に。(^^)
サンタクララかクパティーノだったか忘れましたが、本社にも行きましたが、これが会社?と本当にビックリしました。米国のTVドラマによく出てくる大学キャンパスのように解放的で本当に素晴らしい環境でした。こんな環境で仕事をしたいものだと切に思ったものでした。
アップルストアでApple Tシャツやロゴ入りボールペンなど会社へのお土産を沢山買い物できたのが、この出張の一番の収穫でした。(笑)
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脳は平気で嘘をつく -「嘘」と「誤解」の心理学入門 植木理恵著を読む [脳に関して]
さんまの「ほんまでっか!?TV」でおなじみの気鋭の「美人」心理学者植木理恵先生の本です。 人間は絶対に正しくものを見ることができない、という本です。
人には”主観”というものがあり、その”主観”によって情報は取捨選択され、もとの形とは大分異なる歪んだ情報がインプットされてしまう。これは苫米地先生の本によく出ている、RAS(網様体賦活系)という脳のフィルターによって、自分の見たいものしか見えないということです。よく言われるように、BMWが欲しいと思ったら何となく街にBMWが増えたように感じます。これは本当にBMWの台数が増えたわけではなく、BMWが欲しいと思うとRASがBMWを自分の脳に入るように制御するということです。そして、自分の興味がない部分はRASが通さないので心理的な盲点(スコトーマ)になるのです。
過去の研究でも、人は主観なくして他人を見られないことが分かっている。「相手の印象」というものをインプットする時、客観的なデータというのはほとんど加味されないのである。」
人はこのように「相手のあるがまま」を公平に拾い上げることができない。主観というものによって「自分が見たいもの」だけを見ようとしてしまうのだ。 しかも、多くの人が自分の観察能力を過大評価する傾向にあることも分かっている。 「私は他の人より、”人を見抜く力”がある」と思い込んでしまっている。 人が人を見る上で、”見誤り”が一向になくならないのは、誰もが持っている自分自身への過大評価も多分に絡んでいるのである。

(植木先生のHPより:http://jp.match.com/landing/CPLanding.aspx?cpp=jpn/cnt/consulting/index.html&avo=1&MTS=1)
そして、この本には「ハロー効果」という現象によって、美人が得をすることが書かれています。植木先生もルックスがいいのでいろいろと得しているのでしょうね。(笑)
フランスで行われた実験では、美人の顔写真の人物は、「性格がいい」、「信頼できる」などの高い評価を得たそうです。そして、逆に不美人の場合は「賢そうだが性格は悪そう」、「ヒステリーを起こしそう」などネガティブな評価が多かったそうです。何とも、美人じゃない人には頭にくる実験結果が出たものですね。
これは、アメリカの陪審員裁判でも、「ルックスのいい人」の刑が軽くなり、「ルックスの悪い人」の刑が重くなる傾向があるという同じような結果が報告されているそうです。この評価は、男女に関係ないそうです。日本も裁判員制度が採用されましたので、何とも恐ろしい話です。
次に”一番人気の「やや美人」は婚期を逃がす”という話を紹介します。
不美人から美人までを5段階(1 不美人、2 やや不美人、3 普通、4 やや美人、5 美人)に分けてどのレベルの人が一番早く結婚するかを調べた研究があるそうです。(美人のランク付けをどうやったか興味がありますね。)
その結果、結婚が早かったのは、やはり5の美人だった。この結果は予想されたものであったのだが、驚くべきごとにランキング下位が予想された1の不美人も5の美人と同じくらい結婚が早かったのである。これに対する解釈は、口説く男の立場としては美人はハードルが高いため「やや美人」にアタックする男が多くなる。そして、「やや美人」の女性たちは次々とアタックしてくる男がいるので「自分にはもっとふさわしい男性がいるのではないか」と高望みをしてしまう。そして年を重ね経験を積むうちにさらに男性の希望レベルが高くなる。しかし、皮肉なことに自分の女性的な魅力は年とともに減少していくため、だんだんと口説いて来る男たちが減っていく。そして当然男たちの質も下がってくる...。ということなのでしょうね。
不美人であったとしても、「お前は器量がよくないんだから」と言われて育てられた女性は男性に対して自分なりのストラテジー(戦略)を持っている。愛嬌があったり、やさしかったり、家庭的だったり、料理がうまかったりと、自分は何をウリにして生きていけばいいかがよく分かっているので相手もすぐに見つかるのだ。
次に結婚の早かったのは2と3だった。そして意外なことに、婚期が最も遅れるのが「やや美人」の4。なぜこのような結果になったのだろうか。
これは、知り合いの人たちを思い出してみると、確かになるほどと思いますね。
最後にクレーマーの処理に関してです。
私は大学で心理学の講師をしているが、とある学生のレポートがあまりに不出来だったため、やむを得ず単位を落とした時、その学生からすごいけんまくでクレームをつけられたことがある。どう考えても、クレームをつけた学生はおバカで子どもじみていますが、あの植木先生から「バーカ」と言われた学生の心情を考えると可哀そうになりますね。(^^)
「大学は学位授与機構じゃないですか? その大学が単位を出さないとなると、学位授与機構の体を成していないし、それでは何のために高い授業料を払っているのか分からない」
そう言われて、私はその学生に対して思わず「バーカ」と言ってしまった。(中略)その学生はそれ以上理屈で噛みつくことなく、苦笑いをしながら、少し恥ずかしそうな顔で帰っていった。
あの時、私が理屈で返していたら、きっといつまでも埒の明かない理屈合戦が展開していたことだろう。
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「へうげもの」の世界、「茶の湯」を知るにはこの本! 図説「茶の湯」入門 [美術]
「茶の湯」の入門書のムックです。お茶を飲むという行為は世界じゅうで行われています。しかしそこに美を見出し、芸術までに高めたのは日本人だけです。この点から、「茶の湯」を知ることは日本人を知ることだとも言われます。本書はそのための第一歩を手助けするための入門書です。茶の湯が大きく発展した安土桃山時代を中心に、理解に必要な項目を厳選して構成しました。利休、織部から茶事のマナーまで、本書で茶の湯のキホンを学んでいきましょう!
この本の構成は以下の通りです。
Part1 茶の湯の歴史を知る
徹底比較 織部と利休 ”二人の革命児”の美意識とは!?
「茶の湯」人物伝
Part2 茶碗を知る
茶碗の歴史と見どころを知る
茶碗の観賞ポイントを知ろう
Part3 茶室を知る
茶室と露地
茶室の変遷をたどる
Part4 茶道具を知る
名品! 逸品! 茶道具ガイド
Part5 茶事と茶会を知る
茶事と茶会の基礎知識
茶の湯の飲み方
懐石

この本で面白いのが、Part1の”「茶の湯」人物伝”でコミック「へうげもの」の名シーンを使用していることです。「へうげもの」ファンにはたまらないですね。(^^)
松永久秀、荒木村重、明智光秀、蒲生氏郷、津田宗久、今井宗久、山上宗二、ノ貫、高山右近 が紹介されています。
私は乾山の大ファンなので、乾山の茶碗を紹介されるのはうれしいことですが、茶の湯の名品として最初に紹介されるのことに関してはかなり違和感があります。
茶の湯の世界で、長次郎作の楽茶碗よりも先に紹介されるのであれば、残念ながら乾山の茶碗ではなく、光悦の茶碗ではないか?というのが正直な感想です。光悦には「時雨」など黒楽茶椀の名品がありますので。
茶の湯の茶碗に関する本は、何冊か持っていますが乾山の黒楽茶碗が紹介されているのを見たことがありませんし、乾山の本や展覧会の図録を見てもこの黒楽茶碗を見たことがありません。乾山研究者の中には、リチャード・ウィルソン氏のように、「乾山は黒楽茶碗を作らなかった。黒楽茶碗は二代目の作である。」という極端なことを主張している人もいます。(私はそうは思いませんが)
いずれにしても、乾山の代表作とも言えない黒楽茶碗が、茶の湯の茶碗の一番最初に紹介されていることに関しては、編集者の意図がまったく理解できません。
とは言えその点をのぞけば、この本は茶の湯の入門書としてはとても読みやすい、良い本だと思います。
茶の湯に興味のある方にはお勧めです。
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世界遺産、日本三景の一つ、平家ゆかりの厳島神社 [中国地方]
日本三景の一つであり、1996年に世界遺産に登録された厳島神社です。
厳島神社は広島県の厳島(宮島)にあり、「安芸の宮島」とも呼ばれています。ミシュランガイドJapanでは、宮島、厳島神社ともに三つ星★★★ が付いています。
NHKの大河ドラマで「平清盛」が放映されており、注目度が上がっていますね。(画像は2007年に撮影したものです。 クリックすると大きくなります。)
宮島へは対岸の宮島口からフェリーで行きます。(10分くらい) 厳島神社の大鳥居と五重塔が見えますね。

厳島神社のシンボルでもある大鳥居です。高さは奈良の大仏とほぼ同じで16メートルもあり「日本三大鳥居」の一つとされ重要文化財にも指定されているそうです。引き潮の時は、鳥居まで歩いて行けるそうです。

神社の建物は切妻両流造りというそうです。この時は水が少なかったですが、もっと多いと水の上に浮かんでいるように見えるんでしょうね。

ここもほとんど水がありませんでした。残念です。

廻廊です。床板の間に目透しという隙間があり、海水が多い時などに対応しているそうです。

木々の中にそびえる五重塔です。絵になりますね。

国宝の高舞台から対岸を見ます。「平清盛公が厳島神社に伝えた優雅な舞楽がこの舞台で舞われます」という説明が書いてあります。

国内でも唯一海に浮かぶ能舞台だそうです。また、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つとのことです。通常は能舞台の床下に共鳴用の甕(かめ)が置かれるそうですが、海の上にあるため置いておらず、足拍子の響きをよくするため舞台の床が一枚の板のようになっているそうです。

反橋(そりばし)というそうです。重要な祭事の時に勅使がこの橋を渡って本社に入ったことから勅使橋とも呼ばれたそうです。水があるともっと風情があるのでしょうね。

高台にある平松茶屋から見た大鳥居と五重塔です。天気が良かったので歩くだけで汗だくになりました。

五重塔を下から見たものです。朱色が鮮やかで流麗な造りです。

この時は海水が本殿まで来ていませんでしたので、海に浮かんでいる厳島神社も見てみたいです。
また、逆にもっと水が引いた時に来て、鳥居まで歩いて行ってみたいですね。
見どころがたくさんあるので何度でも行きたいと思う場所の一つです。
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厳島神社は広島県の厳島(宮島)にあり、「安芸の宮島」とも呼ばれています。ミシュランガイドJapanでは、宮島、厳島神社ともに三つ星★★★ が付いています。
NHKの大河ドラマで「平清盛」が放映されており、注目度が上がっていますね。(画像は2007年に撮影したものです。 クリックすると大きくなります。)
宮島へは対岸の宮島口からフェリーで行きます。(10分くらい) 厳島神社の大鳥居と五重塔が見えますね。
厳島神社のシンボルでもある大鳥居です。高さは奈良の大仏とほぼ同じで16メートルもあり「日本三大鳥居」の一つとされ重要文化財にも指定されているそうです。引き潮の時は、鳥居まで歩いて行けるそうです。
神社の建物は切妻両流造りというそうです。この時は水が少なかったですが、もっと多いと水の上に浮かんでいるように見えるんでしょうね。
ここもほとんど水がありませんでした。残念です。
廻廊です。床板の間に目透しという隙間があり、海水が多い時などに対応しているそうです。
木々の中にそびえる五重塔です。絵になりますね。
国宝の高舞台から対岸を見ます。「平清盛公が厳島神社に伝えた優雅な舞楽がこの舞台で舞われます」という説明が書いてあります。
国内でも唯一海に浮かぶ能舞台だそうです。また、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つとのことです。通常は能舞台の床下に共鳴用の甕(かめ)が置かれるそうですが、海の上にあるため置いておらず、足拍子の響きをよくするため舞台の床が一枚の板のようになっているそうです。
反橋(そりばし)というそうです。重要な祭事の時に勅使がこの橋を渡って本社に入ったことから勅使橋とも呼ばれたそうです。水があるともっと風情があるのでしょうね。
高台にある平松茶屋から見た大鳥居と五重塔です。天気が良かったので歩くだけで汗だくになりました。
五重塔を下から見たものです。朱色が鮮やかで流麗な造りです。
この時は海水が本殿まで来ていませんでしたので、海に浮かんでいる厳島神社も見てみたいです。
また、逆にもっと水が引いた時に来て、鳥居まで歩いて行ってみたいですね。
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安宅コレクションを堪能する 東洋陶磁の美 サントリー美術館 を見る [美術]
これは、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵の国宝2点、重要文化財12点を含む「安宅コレクション」名品140点を厳選した展覧会です。
中国陶磁器が大好きな私はすでに2回見に行きました。中国陶磁器の逸品がそろっています。
東京ミッドタウンのふき抜けのところに展覧会の垂れ幕が掛っています。
下の写真は今回の展覧会の目玉の一つである、国宝「飛青磁 花生」です。
国宝に指定されている中国陶磁はわずかに8点しかありませんが、そのうちの一つです。鴻池家伝来の名品です。
流麗かつふくよかな形と釉薬の色が絶妙です。そして青磁釉の中に描かれた鉄釉の斑点が何とも言えないアクセントとなっています。 会場を一回りした後に何度も見に戻って目に焼き付けてきました。
これ、欲しいです。(笑)
(展覧会のHP:http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol07/index.html より)
今回展示されているもう一つの国宝です。油滴天目はいくつか有名な品がありますが、若狭・酒井家伝来のこの油滴天目がもっとも油滴の現れ方が豪華で華やぎがあると言われています。この天目茶碗は、写真では良く見ているのでおなじみなのですが、実物は意外と小ぶりだったので驚きました。「名品であるほど実物は小さく見える」と言いますので、やはり名品なのでしょうね。
さて、この「安宅コレクション」ですが、安宅産業の創業者の息子で会長だった安宅栄一郎氏が、社費を使って購入したものです。その国宝2点、重要文化財12点を含む約1,000点にも及ぶコレクションは、中国陶磁と韓国陶磁が中心となっている貴重なものです。このコレクションは総額約152億円にも及ぶ住友グループからの寄付金で大阪市に寄贈され、それをもとに東洋陶磁美術館が作られました。安宅氏は創業者一族ではありますが、2%程度の株しか保有していないにもかかわらず社内で大きな権限を持っていました。それを利用して会社のお金で購入したのが、この「安宅コレクション」なのです。公私混同もはなはだしく、今だったらコンプライアンス違反で大きな問題となるでしょうね。(^^)
今回の展覧会を見るとコレクターとしての安宅氏の目が素晴らしかったことがよくわかります。
上にあげた本の著者である伊藤郁太郎氏(東洋陶磁美術館初代館長)は、安宅氏の秘書のような立場でした。氏の本から安宅氏のコメントを紹介します。氏のコレクターとしてのポリシーが見えますね。
「三顧の礼をもって、ものは迎えなければなりません」さて、国宝の「飛青磁 花生」を購入した時の話を紹介します。
「人にお辞儀しているわけではなく、その後ろにものが見えるのですよ。ものに向かっては、いくらお辞儀しても、し過ぎることはありません。」
「人でも、ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です」
筆者(伊藤郁太郎氏)は役員会に呼び出された。全役員の前に座らされた筆者は、いきなり当時の猪崎久太郎社長から大変な叱責を受けた。筆者としてはどう答えてよいか判らぬまま、「会長のご命令で、動いているだけです。私の行為が問題になるようでしたら、会長にお伺い下さい」と答えるだけ。こう開き直られると、社長も挙げた手を振り下ろすのに困ったのか、手で追い払う素振りを見せ、筆者はようやく無罪放免となった。
安宅産業は、1975年に経営破たんすることになりますが、最終的には伊藤忠商事に吸収合併されました。その破たんの原因の一つに会長の安宅氏を筆頭とした安宅ファミリーの影響があげられています。安宅ファミリーは公私混同が激しく、氏の陶磁器コレクションの他に専務であった氏の息子も子会社の「安宅興産」を通して40数台にもおよぶクラッシックカーを購入していたそうです。当時の社員だった方々にはお気の毒としか言いようがありません。
そういう意味で、「安宅コレクション」は安宅産業という企業の財力を使ったからこそ、あれだけの逸品を蒐集することができたと言えます。
陶磁器に興味がある方には必見の展示会ですね。
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ソニースピリットはどこに行った? さよなら! 僕のソニー 立石泰則 著 を読む [ビジネス]
今では平気で製品の安売りをして、他社と同じような製品を出しているソニーですが、私たちの世代は、少なからず「ソニー神話」、「ソニー信仰」の影響を受けています。ちょっと高くて値下げしないけど、性能やデザインがいいソニー製品、秋葉原でも買えないソニー製品をあこがれを持って見ていました。
しかし、今のソニーにはそのようなブランド力はないようです。なぜそうなってしまったのか、ということを著者の視線から書いたのが、この本です。
ソニーに関しては、これ以前にも本社の経営企画部からの視点で書かれた、竹内 慎司氏の「ソニー本社六階」やVAIOの開発現場の視点で書かれた宮崎琢磨氏の「技術空洞」などが書かれていますが、今回紹介する立石氏の本はあくまでも外からみたソニーが書かれています。

私たちはソニーの製品を見て「ソニースピリット」を感じていましたが、その「ソニースピリット」に関して元副社長だった大曾根氏は、次のように語ります。
あえて言うなら、私は『ソニースピリットは、井深さんの無理難題の産物だ』と言いたい。だって、井深さんに無理難題を強いられながら、必死になってやっと完成させて発売したら、お客さんは『まさにソニースピリットを体現したような商品だ』なんて言うでしょう。創業者の井深氏、盛田氏がいなくなった現在、そのソニースピリットはあるのでしょうか?

Apple社の故スティーブ・ジョブズは、ipodやiphoneの製品開発に深くかかわり、とても無理と思えるような短い開発期間で開発をさせ、「電源SWはいらない」、「ユーザーに3回以上ボタンを押させるな」など設計者に対して細かい要求を出していました。そして、どうしてもできないという設計者に対しては、
「状況は分かった、でも僕のためにもう一度トライしてくれないか」と言って、実現させてきたと言われています。このようにAppleの製品には細部にこだわるジョブズの精神が込められていると言ってよいでしょう。これはソニー信者でもあったジョブズがすでにソニーにはなくなってしまった「ソニースピリット」を継承していたように思えます。
さて、ソニーと言えば「ウォークマン」ですが、その開発にも物語があります。
創業者の盛田昭夫氏が役員会でウォークマンの商品化を発表したとき、ほとんどの役員が「テープレコーダー(録音機)は売れても、テーププレーヤー(再生専用機)は売れません」と言って猛反対している。(中略)現在のソニーにはこのような考えが継承されているのでしょうか?
ウォークマンのアイデアは、もともと井深大氏が海外出張のさい、飛行機の中でステレオ音楽を聴きたいとソニーの技術陣に求めたことから生まれたものだ。(中略)
案の定、ウォークマンの広告宣伝を担当する社員は二人しかおらず、広告宣伝費も与えられなかった。(中略)その河野氏は、当時を振り返り、盛田氏が問わず語りに話した言葉がいまも忘れられないという。
「河野君、マーケット・クリエーション(市場を作ること)というのは、マーケット・エデュケーション(市場を教育すること)のことなんだ」
私は約25年前、まだまだ「ソニースピリット」のある製品を出していたソニーの某工場に3カ月ほどかよったことがあります。(ソニー社員ではありません)「ソニー信仰」を持っていた私ですが、技術者の目で見ると当時でさえ、最先端の技術開発をやっていた訳ではないと感じていました。例えば、当時の技術トレンドとして映像信号処理技術がアナログからデジタルに切り替わる時期でしたが、その技術に対して積極的に取り組んでいたのは、ソニーではなく松下電器(パナソニック)の方で、先を越されていた印象がありました。
しかし、デザイン、小型化技術や製品としての完成度や魅力はソニーの製品の方が圧倒的にありました。私は、ソニーの工場に行ってその理由が分かったような気がします。とにかく、工場にいる技術者のレベルが高いのです。回路の設計などは本社や工場の設計者が行っていますが、工場ではその技術者たちが設計図を書き直したり、回路基板を書きなおして生産効率があがるような工夫を行っていました。当時のソニー製品の完成度の高さは、このような強い「現場力」にあったのだと痛感しました。
しかし、このように強かったソニーの工場の現場力は、大賀時代の後に続く、出井時代、ストリンガー時代となり、どんどん無くなっていったように思います。自社の独自技術の開発や製造を軽視し、ネットやコンテンツを重視してきたソニーに復活の道はあるのでしょうか?
2月2日に次期社長兼CEOへの就任が発表された平井氏は、テレビ事業の立て直しを表明していますが、今の状況を打開できるのでしょうか?
この本を読むと、ソニーがなぜ今のようになってしまったのかが見えてきます。この本に書かれていることがすべて正しいとは言えないと思いますが、少なくともソニーに関して興味ある人には必ず読んで欲しいと思う本です。また、上にあげた「ソニー本社6F」、「技術空洞」もお勧めの本です。
ソニーは、井深大氏と盛田昭夫氏が昭和21年に創業した東京通信工業が母体です。そのさいに井深氏が書きあげた会社設立趣意書は有名です。
会社設立の目的とにかく、ソニーには井深氏のこの「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」の精神を忘れずに、私たちをワクワクさせるような製品を出して欲しいと思います。
一、真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設(以下略)
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成功法則はトンデモか? 「成功法則は科学的に証明できるのか?」奥健夫著 を読む [脳に関して]

成功法則を科学する本です。
このような本を読む時は、作者のプロフィールが重要ですよね。(^^)
奥先生の経歴です。
滋賀県立大学工学部研究科材料科学専攻・教授。
東北大学大学院原子核工学専攻修了(工学博士)後、京都大学大学院材料工学専攻・助手、スウェーデン・ルンド大学国立高分解能電子顕微鏡センター・博士研究員、大阪大学産業科学研究所・助教授、英国ケンブリッジ大学キャンベルディッシュ研究所・客員研究員などを経て現在に至る。
現在も新しい物質の原子配列を電子顕微鏡で観察する仕事を行っているそうです。
このブログでも成功法則に関する本をいくつか紹介していますが、私も基本的には成功法則は正しいと思っています。
でも、そんな成功法則なんてあるわけない、と思っている方も多いと思います。
なぜ、なかなか信じられないのでしょうか。
多くの人は、現代科学を信じやすいと思います。学校で教わったことは、その通りだと思っているのですね。
そしてそれ以外のことは、あまり信じようとしません。
でも、現代科学は完全ではありません。わかっていることはごく一部なのです。
そうなんです。みんな学校で習ったことはすべて正しいと思っているかも知れませんが、新しい理論が出てきて否定されていることも多いのです。そして、現代の科学でもわからないことはたくさんあります。
例えば、この本でも書かれていますが、宇宙の全エネルギーのうち私たちが知っているのは、わずか4.6%であるということです。つまり残りの95%以上は私たちの知らない未知のエネルギーなのです。(そのうち23%は「ダークマター」と呼ばれる未知の粒子、72%が「ダークエネルギー」と呼ばれるまったく未知のエネルギー)
そして、奥先生は生命の発生と心の誕生に関して疑問を提起します。
人間のDNAの中の原子配列も、すべて明らかになりました。もうそこまで生命科学は進んできているのです。 しかし、ここまできて、はたと立ち止まってしまいます。原子が集まって、生命ができるということ。 さらにもっと原子が集まって、心が生れるということ。物理学から見ると、あまりにも不思議すぎるのですね。 なぜ、原子が自然に集まって、生命や心が生れるのでしょう。物理学から見たら、「奇跡的」な出来事です。確かに人間は原子の集まりなのでしょうが、原子を集めれば人間ができるわけではないことは確かです。そして生命が生まれれば「心」が生まれるというのも確かに飛躍があります。
わかりやすく言うと、地面の土が勝手に動き出して、100階建てのビルがひとりでに出来上がるようなものなのです。信じられないことですね・・・・。
そして、現代科学の最先端を行っているはずのノーベル賞受賞者の多くは最終的に「心と宇宙」の問題に行きつく人が多いとのことです。
最近私は、ケンブリッジ大学キャンベルディッシュ研究所で研究する機会を与えられました。このキャンベルディッシュ研究所は、3階建ての本当に小さな研究所なのですが、今までに29人のノーベル賞を出しています。(中略) そこで机を並べて、毎日私を指導してくれたのは、ブライアン・ジョセフソン教授です。 彼は超電導の量子論研究により、33歳の若さでノーベル物理学賞を受賞しました。そして量子論を深く研究し、生命・心との関係にまで踏み込むようになりました。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、エネルギーと光と物質の関係に関する現代科学での解釈は以下の通りです。
・エネルギーや光は物質に変換できる ( E=mc2乗 「相対性理論」)
・宇宙で一番強い光はガンマ線バースト
・大きなエネルギーを持つ光は、光のままでいることはできずに物質化する
(10の25乗J/mm3乗の高いエネルギー密度があればエネルギーが物質化する)
これより、「心のエネルギー」と物理学のエネルギーが同じものであれば、「心のエネルギー」密度を高めると物質化できる可能性を示唆します。この本では、このように「成功法則」に関して物理学的な解釈を行っています。
また、現代科学では、科学では心は解明されておらず、ブラックボックスとして取り扱われているそうです。
心に関しては、現状以下のようなアプローチがあります。
1.心理学的アプローチ:心と行動を科学的に調べる
2.認知科学のアプローチ:心を情報処理の観点から研究する
3.神経科学的なアプローチ:分子レベルで脳細胞の変化を見る
4.量子脳理論のアプローチ:脳細胞の原子に量子力学をあてはめて心を調べる
最後の量子脳理論では、脳細胞の中で水分子がコヒーレントになり特殊な光が出ており、このコヒーレントな光の集合体が「心の正体」か? という議論もされているようです。
また、この量子論には「観測問題」と呼ばれるブラックボックスがあり、物理学の世界に「意識や心」が入ってきたと言われています。
観測問題とは、「誰かが観測を行わなければ、私たちの世界のようなはっきりとした物質世界は現れない」というものです。つまり、誰かが見なければぼんやりとした量子状態のままであり、観測して初めて物質世界となる、というものです。
たとえば、太陽を世界中の誰も見ていなければ、ぼんやりとした塊であり、誰かが見た瞬間に私たちが知っている太陽の形になる、ということなのでちょっと信じられないような話ですが、これが最先端の科学の結論なのです。
いよいよ成功法則に関する内容です。
1.イメージの法則
・すべては心の中のイメージからはじまる
・心の中に描くイメージが重要 ⇒ エネルギーが密度が高ければ物質化しやすくなる
・あなたのいる環境は生れてから今までのあなたのイメージの総決算
⇒ あなたの心のエネルギーが物質化、現実化したもの
2.焦点の法則
・心が一点に集中すると現実化する
・一点集中がエネルギーの密度を高める
3.必然の法則 ⇒ 因果律、原因と結果の法則
・自分が起こした心の波は正確に自分に返ってくる
⇒ 自分が忘れていても、時間がかかっても必ず返ってくる
・現代物理学でも因果律は基本法則 ⇒ あることを行えば必ずそれに対応した結果が生じる
( 海に石を投げると海は無限の広さではないのでその波紋は必ず波の反射として返ってくる)
4.共鳴の法則
・同じ心の波は集まりやすくさらに強く共鳴する
・自分の心の中のイメージと同じようなものが引き寄せられてくる
5.宇宙一致の法則
・宇宙はもともと一つですべてつながっている
この本は第1章で、現代科学の説明を行い、第2章で、「物理学から成功法則を読み解く」、第3章で「効果的な夢実現の実戦方法」 を解説しています。 しかし、第2章で成功法則に関する筆者の解釈が断定的に書かれているので、ちょっと違和感があります。この法則は、現代の物理学ではこのように解釈できます、という書き方であれば違和感なく読めたと思いますので、その点が残念です。
また、原子や量子の基本法則を現代社会での成功法則にそのまま当てはめている部分もあり、そこに飛躍を感じる人もいるかと思います。
とは言え、成功法則に関してこのような科学的な視点からの解釈は他にはあまり見かけないので、興味ある方にはお勧めの一冊です。
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「犬の道」に入りこむな! イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」 安宅和人著 を読む [ビジネス]

知的生産に関する本です。
著者は大前研一氏や勝間和代氏で有名なマッキンゼー出身の安宅和人氏です。
安宅氏は、以下のように変わった経歴の持ち主です。
大学院で脳神経の研究 ⇒ マッキンゼーで4年半年働く(マーケティングが専門)
⇒イェール大学で博士号を取得 ⇒ 9.11を機にマッキンゼーに復帰
⇒ヤフーに転職
大先輩である大前研一氏も日立製作所の原子炉の設計者からマッキンゼーに入っていますので、マッキンゼーという会社はそれまでのキャリアではなく、人間そのものを見るのかもしれませんね。
安宅氏は圧倒的に生産性の高い人は、ひとつのことをやるスピードが10倍、20倍速いわけではない、ということに気がつき、彼らは他の人と何が違うのか?
知的生産の本質って何だろう?
という問題意識持ち、考えて続け、「本当に優れた知的生産には共通の手法がある」という結論に達しました。
安宅氏は問います。「バリューのある仕事とは何か?」
これは本質的で難しい問題ですね。
そしてバリューの高い仕事をするためのステップを考えます。
通常は「イシュー度」も「解の質」も低い左下から始まりますが、絶対やってはいけないのが、一心不乱に大量の仕事をして右上に行こうとする、左回りから右上に行こうとすることだそうです。
安宅氏はこれを「犬の道」と呼んでいます。そして、この「犬の道」に入り込むと永遠に「バリューのある仕事」は生み出されないし、変化もおこすことができず、徒労感だけが残ります。
なぜ「けもの道」ではなく「犬の道」というのか分かりませんが、とにかく「イシュー度」の高い、本当の課題を見つけて、解の質を圧倒的に上げることが「バリューのある仕事」を行う正しい道だということです。
限られたリソース、マンパワーで結果を出すためには、きちんとした課題を選ぶのは必要なことです。考えると当たり前のことですが、実際にはなかなかそのようにできないのが実情です。
①イシュー度:「問題かもしれない」と言われていることで本当に解決すべき問題は、2~3%しかない。その2~3%の問題をきちんと選択することが重要。
②解の質 :当初の段階ではこれも2%くらいしか成果に結びつかない。
したがって、①と②がレベルの高い成果はこのかけ算で0.04~0.06%しか生まれない。
安宅氏は一般常識を捨てろ、と主張します。
・「問題を解く」より「問題を見極める」
・「解の質を上げる」より「イシューの質を上げる」
・「知れば知るほど知恵が湧く」より「知り過ぎるとバカになる」
・「1つのことを速くやる」より「やることを削る」
・「数字の桁数にこだわる」より「答えが出せるかにこだわる」
つまり「速読」や「仕事の効率化」などで仕事の処理スピードを上げるのではなく、まず「何をやるか」を最初に十分に考えて課題を明確にして、余計な仕事を止めることで時間を確保するということです。
確かにいくら仕事の処理スピードを上げても余計な仕事をしていたのではアウトプットに繋がらないことは明らかですね。
もう一つ重要なのが、「悩まない」、「悩む暇があれば考える」ということです。
悩む=答えが出ない、考える=答えが出る、であり答えの出ないことに時間を使わないということが重要です。
そして、良いイシューの3条件は、
①本質的な選択肢である
②深い仮説がある
③答えを出せる ⇒ 良いイシューは答えを出せなければならない
世の中に①と②を満たす課題はたくさんありますが、③のように答えを出せなければ良いイシューとは言えません。何か新しい手法が見つからなければ何十年取り組んでも解決できない課題は良いイシューとは言えない、ということです。
知的生産にかかわる方にはぜひ読んで欲しい一冊です。
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日本人は英語ができないのか? 「英語達人列伝」 斎藤兆史著 を読む [英語]

日本人は英語ができない。これは厳然たる事実のようです。下に示すアジア各国のTOEFLスコアを見てもそれは一目瞭然です。
書店に行って、英語関連の本を探すと山のように本が積まれていますし、ipodやiphoneなどの再生機を使って耳から学習できる教材も巷にあふれています。でも、どうして日本人の英語力は上がらないのでしょうか?
やっぱり日本人は英語が苦手なのかな? と思ってしまいます。
TOEFL「スコアデータサマリー2010年度」より
そんな疑問に対する反論が著者である斎藤兆史氏から聞こえてきます。2000年の発売なので一昔前の本ですが、その存在価値はますます高くなっているように思いますので紹介します。
教育上の関心から日本英学の歴史などを調べているとき、かつて日本には僕など足元にも及ばぬ英語の使い手がいたことを知った。彼らは基本的に日本にいながらにして英米人も舌を巻くほどの英語力を身につけ、けっして西洋かぶれになることなく、日本と外国との橋渡し的な役割を演じた。彼らの活躍ぶりを見るかぎり、日本人は本質的に英語が苦手だという通念などまったく信じるに足らぬものだと思う。
現在とは比べ物にならないくらいに英語教材が不足していた明治~昭和初期までの時期に現在のレベルでも驚くような英語の達人がいたことは事実です。その達人たちとは、以下の10人です。
1. 新渡戸稲造 (1862-1933)
2. 岡倉天心 (1862-1913)
3. 斉藤秀三郎 (1866-1929)
4. 鈴木大拙 (1870-1966)
5. 幣原喜重郎 (1872-1951)
6. 野口英世 (1876-1928)
7. 斎藤博 (1886-1939)
8. 岩崎民平 (1892-1971)
9. 西脇順三郎 (1894-1982)
10.白州次郎 (1902-1983)
この中から特に岡倉天心と白州次郎に関して紹介します。
【岡倉天心】
岡倉天心は、東洋美術史家であるフェノロサの助手として法隆寺の夢殿の秘仏である救世観音開扉させたことで有名ですよね。彼は6、7歳から宣教師に英語を習っており、9歳の頃すでに英米人に引けを取らぬ会話力を身につけていたということです。
東京大学開校翌年の1878(明治11)年にお雇い外国人教師として来日して哲学、政治学、理財学を講じ、天心とともに日本美術の海外への紹介者となったのが、天心の伝記にかならず登場するアーネスト・フェノロサである。やがてフェノロサは、審美学の授業も担当し、講義を通じて天心の美術論に多大な影響を与えた。そんな天心の英語力を知ることができるエピソードを一つ紹介します。
天心が弟子の横山大観らとボストンの街を歩いていたとき、一人の若者に声をかけられた。本当に機転の利いた返答です。とっさにこのような返答ができるなんてすばらしいですね。単に英語の実力だけでなく、日本人としての誇り、気概をもっていたからこそできた返答だと思います。
”What sort of 'nese are you people? Chinese, or Japanese, or Javanese?”
(おまえたちは何ニーズだ? チャイニーズか、ジャパニーズか、それともジャヴァニーズ<ジャワ人>か。)
さあ、これに対してどう答えるか。もちろん、答えないのも一法である。
ヒント。これは東洋に対する偏見に満ちた侮蔑的な台詞である。ひとつうまい切り返しでギャフンと言わせてやりたい。(中略)
実際にこの質問を受けたとき、天心はどうしたか。くるりと質問者のほうを向いて、次のように答えたのである。
”We are Japanese gentleman. But what kind of 'key are you? Are you Yankee, or a donkey, or a monkey?”
(我々は日本人紳士だよ。ところで、あんたこそ何キーなんだい?
ヤンキーか、ドンキー<ろば、馬鹿者>か、それともモンキーか。)
まさに返し技で一本取った感じだ。
このやり取りの一部始終を見ていた大観は、よほど胸のすく思いをしたのだろう、後にこの逸話を好んで語ったという。
ところでその時同行していた弟子の横山大観は、その英語のやり取りを理解できていたのでしょうか? 気になるところです。
【白州次郎】
終戦後、GHQと対等に渡りあったことで「従順ならざる唯一の日本人」と言われた白州ですが、生まれた時からエリートだったようです。
白州次郎は、1902(明治35)年2月17日、兵庫県の芦屋に生まれた。(中略)
のちに次郎の夫人になった白州正子によれば、「次郎の父親は建築道楽で、金持ちであった頃は家に宮大工を住まわせ、家を一軒建てるとまた新しい家が欲しくなるたちで、阪神間には『白州屋敷』と称するものが何軒も残って」おり、とくに最後に建てた伊丹の家などは、樺山資紀伯爵の孫娘、華族令嬢の正子ですら住んだことがないような豪邸で、四万坪もある敷地に美術館や牡丹畑まであったという(『白州正子自伝』)。(中略)
1919(大正8)年、パリ講和会議の年、白州はケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学する。キングズ・カレッジのような壮麗さはないが、ケム河に面した落ち着いたカレッジである。
終戦直後、天皇の上に君臨していたマッカーサーに対しても卑屈になることなく、自分の主張を貫き通す白州はカッコいいですね。
白州が天皇からのクリスマス・プレゼントをマッカーサーに届けたときのこと、すでに多くの贈り物を持て余していたマッカーサーは、その辺に置いといてくれとじゅうたんを指さした。白州は顔色を変え、天皇の贈り物をその辺に置けとは何事か、と憤然と席を立った。あわてたマッカーサーは、急いで新しいテーブルを用意させたという。
さらに圧巻は、GHQのホイットニーとの対決です。英国では社会階級によって発音や言葉つかいが違います。白州はケンブリッジ大学時代に貴族の血を引く友人から学んだキングス・イングリッシュを武器にしていました。
白州がとくに兜の緒を引き締めて臨んだ相手は、おそらくGHQ民生局長コートニー・ホイットニー准将だと思われる。(中略)白州次郎、凄いです! 男があこがれる男ですね。
軍人の勘が働いたのか、白州だけは叩いておかなければならないと感じたのだろう。白州も、この男だけは気合負けするまいと思ったに違いない。そんな気概が、英語をめぐるホイットニーとのやり取りによく現れている。
あるとき、ホイットニーは白州に対し、「あなたの英語は大変立派な英語ですね。」と言った。
これは明らかに心理的に優位に立とうとする戦略である。すでに何度も書いたとおり、母語話者に英語をほめられるのは英語習得の初歩の段階であり、白州ほどの達人がほめられることはまずあり得ない。(中略)
英語をほめられた白州はカチンと来た。おまえなんかの英語と一緒にするなという思いもあったろう。そして、とびきりのキングズ・イングリッシュで、「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」とやり返した。
この本を読むと、「日本人は英語ができない」なんてことはあり得ないと感じます。
今の若者たちには、明治、大正、昭和の達人たちが持っていた、危機意識や向上心が不足しているだけ、英語は重要だと思っているけれど、それに見合った勉強をしていないだけなんだと思います。
と自戒を込めて書きます。(私も若者ですから...(笑))
英語学習者には必読の一冊です。
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東日本大震災の津波にも負けなかった! 日本三景の松島 [東北]
今回は、いまさらという感じがしますが、日本三景の一つである宮城県の松島を紹介します。
この松島は、以前住んでいた仙台市の泉中央から車で30~40分くらいの距離でしたので、ちょくちょく通っていました。仕方なく休日出勤した日なども夕方早目に帰って、帰りに松島に寄って美しい風景を眺めることで癒されていました。
松島は、松島湾にある大小260余りの島々で作られた景観が見どころで、以前紹介したミシュラン・グリーンガイドJapanでも★★★が付いています。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-01-15)
全体のイメージは、下の地図を見てもらった方が分かると思います。中央左にあるマリンピア松島水族館の文字がある辺りがフェリー乗り場や五大堂、お土産屋さんなどがある松島の中心部です。

「奥の細道」で有名な松尾芭蕉が
松島や ああ松島や 松島や
と詠んだと言われていますが、これは後世の作り話だそうです。実際には、「いずれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ」といって句を読まなかったそうです。
松島城から眺めた松島です。手前に五大堂の屋根が見えます。
(下の画像はクリックすると大きな画像で見られます)

高台にあるホテル大観荘の7Fのレストランから見た松島です。中央の赤い橋がかかっている大きな島が福浦島です。

同じく大観荘のレストランから見たフェリー乗り場と五大堂です。

松島四大観のうち「偉観」と呼ばれている七ヶ浜町の多門山からの眺めです。上の地図の左下です。

これも同じ多門山からの眺めです。

フェリー乗り場や五大堂の近くにある福浦島に渡る福浦橋です。200円で渡ることができます。

こちらは福浦島からの松島の方を見た眺めです。

豊臣秀吉の桃山城にあった茶室を伊達政宗がもらい受けて移築したと言われている観瀾亭から見た眺めです。

松島四大観のうち「壮観」と呼ばれている東松島にある大高森からの眺めです。山道を15分くらい登る必要があります。上の地図の右下になります。

こちらは同じく大高森からみた東松島の野蒜海岸です。太平洋に面しているため、東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。(画像は2010年に撮影したものです)

東日本大震災の津波で、フェリー乗り場や五大堂、瑞巌寺などがある松島町は、他の地区に比べると被害が小さく、犠牲者も1人だけだったそうです。これは、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波のパワーを相殺して減衰させたことが理由のようです。
それに対して、上に画像をのせた、松島町からほんのわずかの距離にある東松島町は太平洋に面しているため1,000人以上の被害が出たそうです。昨年見てきましたが、住宅地の家がほとんど流されており、津波の恐ろしさを実感しました。
今回の津波で岩手県の釜石湾にある世界最深(ギネス記録)の防波堤や田老町の世界一(高さ10m、幅3m、長さ2.4km)の防波堤も破壊されてしまいました。やはり津波のパワーを真正面に受けて防ぐことは非常に難しいことのように思えます。素人考えですが、松島のように津波の波の方向を変えたり、相殺したりするような仕組みは作れないものなのでしょうか?
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この松島は、以前住んでいた仙台市の泉中央から車で30~40分くらいの距離でしたので、ちょくちょく通っていました。仕方なく休日出勤した日なども夕方早目に帰って、帰りに松島に寄って美しい風景を眺めることで癒されていました。
松島は、松島湾にある大小260余りの島々で作られた景観が見どころで、以前紹介したミシュラン・グリーンガイドJapanでも★★★が付いています。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-01-15)
全体のイメージは、下の地図を見てもらった方が分かると思います。中央左にあるマリンピア松島水族館の文字がある辺りがフェリー乗り場や五大堂、お土産屋さんなどがある松島の中心部です。
「奥の細道」で有名な松尾芭蕉が
松島や ああ松島や 松島や
と詠んだと言われていますが、これは後世の作り話だそうです。実際には、「いずれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ」といって句を読まなかったそうです。
松島城から眺めた松島です。手前に五大堂の屋根が見えます。
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同じく大観荘のレストランから見たフェリー乗り場と五大堂です。
松島四大観のうち「偉観」と呼ばれている七ヶ浜町の多門山からの眺めです。上の地図の左下です。
これも同じ多門山からの眺めです。
フェリー乗り場や五大堂の近くにある福浦島に渡る福浦橋です。200円で渡ることができます。
こちらは福浦島からの松島の方を見た眺めです。
豊臣秀吉の桃山城にあった茶室を伊達政宗がもらい受けて移築したと言われている観瀾亭から見た眺めです。
松島四大観のうち「壮観」と呼ばれている東松島にある大高森からの眺めです。山道を15分くらい登る必要があります。上の地図の右下になります。
こちらは同じく大高森からみた東松島の野蒜海岸です。太平洋に面しているため、東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。(画像は2010年に撮影したものです)
東日本大震災の津波で、フェリー乗り場や五大堂、瑞巌寺などがある松島町は、他の地区に比べると被害が小さく、犠牲者も1人だけだったそうです。これは、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波のパワーを相殺して減衰させたことが理由のようです。
それに対して、上に画像をのせた、松島町からほんのわずかの距離にある東松島町は太平洋に面しているため1,000人以上の被害が出たそうです。昨年見てきましたが、住宅地の家がほとんど流されており、津波の恐ろしさを実感しました。
今回の津波で岩手県の釜石湾にある世界最深(ギネス記録)の防波堤や田老町の世界一(高さ10m、幅3m、長さ2.4km)の防波堤も破壊されてしまいました。やはり津波のパワーを真正面に受けて防ぐことは非常に難しいことのように思えます。素人考えですが、松島のように津波の波の方向を変えたり、相殺したりするような仕組みは作れないものなのでしょうか?
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真樹先生を偲んで 史上最強の69 東邦出版編 真樹日佐夫黙認 を読む [真樹日佐夫]

【謝罪】大変な間違いをしてしまいました。
この本、「真樹日佐夫著」と書いてしまいましたが、
東邦出版編 「真樹日佐夫黙認」
が正しい表記でした。(^^) お詫びして訂正いたします。
2010年の4月に真樹先生69歳の記念に出された本です。
高田馬場の駅前にある芳林堂書店で「真樹日佐夫追悼」と紙が貼ってあり、真樹先生関連の本が並べられていましたので、思わず2冊買ってきました。そのうちの一冊を紹介します。
これは真樹先生の知人が真樹先生について語っている本で、真樹先生を直接知らない私たちにとって貴重な一冊だと思います。
Amazonに出ている内容紹介から
内容紹介
日本一ヤバい不良、その名は真樹日佐夫。
“最強”にして“最兇”の69歳の男を、各界の著名人が語る!!
映画監督、俳優、女優、空手団体館長、格闘技団体代表、格闘家、プロレスラー、ミュージシャン、歌手、落語家、 クラブママ、作家、劇画家、出版社社長、編集者など総勢40人が証言する、真樹日佐夫の正体とは--。
吉田豪による真樹日佐夫インタビューも掲載。他、門下生、船のクルー、SM嬢へのインタビューなど。
【寄稿】
哀川翔、飯塚則子、伊藤隆、猪瀬直樹、内田裕也、大槻ケンヂ、大津ひろ子、小笠原和彦、小沢仁志、影丸譲也、ガッツ石松、桂歌蔵、叶麗子、牛次郎、清田民子、倉田保昭、栗原早記、崔洋一、桜庭あつこ、佐藤勝昭、佐山サトル、シーザー武志、添野義二、高須基仁、永倉大輔、浜井識安、藤原敏男、藤原喜明、松井章圭、松方弘樹、三池崇史、緑健児、村上和彦、村上竜司、本宮泰風、保川敏克、山田英司、由井恵美、力也、廬山初雄 内容(「BOOK」データベースより)
日本一ヤバい不良、その名は真樹日佐夫―彼について、多くの友人が綴った文をまとめた一冊。
【現代カラテマガジン Vol159 昭和61年6月号】より
多くの人が69歳の真樹先生を語っていますが、そこから浮かび上がってくる先生の顔は...。
①外見は非常にコワイ (^^)
②69歳になっても毎日空手の稽古を続けている
③酒を飲む量がハンバではない
④女性にとてもモテル
⑤意外にも、とても優しく、照れ屋である
特に、①と⑤の大きなギャップによって、みんな真樹ワールドにはまっているようです。
この中から、いくつか興味深いものを紹介します。
まずは、コワイ真樹先生についてです。
●桜庭あつこ (女優)おなじみの山田編集長のコメントも最高です。この光景を見たかったですね。
私は社長から、ご飯を食べに行くということだけを伝えられ、社長と共に向かった (中略)
そこにはダークスーツを着た無表情の男たち。そして。とても緊張した様子の社長の顔。私はこんな表情をした社長を初めて見た。私は血の気が引くような思いを精一杯隠し、しっかりと前を見据えた。そこへ真樹師匠が現れた。
私は「ウ ・ ラ ・ レ ・ ル」と。そう思った・・・。
真樹師匠にお酒を勧められても、私は敢えてソフトドリンクを飲み、ただただ「どうやってこの場から逃げようか」と、そればかりを思っていた。
●山田英司 (BUDO-RA BOOKS編集長)
そんな真樹先生が、世間ではなぜか恐がられている。一度、真樹先生と取材で蒲田の駅前を歩いていると、前からサングラスをかけた二人組が。真樹先生と正面衝突するかと思いきや、寸前、二人組は手前の店に入り、我々をやり過ごした。ちなみにその店はキティちゃんグッズでうまったファンシーショップ。
ヤクザ風の二人はキティちゃん人形を手にしながら、しきりにこちらを気にしていた。
真樹先生、恐るべし。
「ワル」の原作者であり、主人公そのものだと思っていた真樹先生ですが、お母さんをとても大切にしていたようです。
●佐藤勝昭 (佐藤塾塾長)大山館長に誘われて極真会館に入門したものの、最初は相当可愛がられたようですね。それを乗り越えた先生はやはりすごいです。
真樹先生はお母さんに対する思いが強い。梶原先生はお父さんのことをよく話したけど、真樹先生はお母さんのことをよく話す。一日4~5箱吸ってたあのヘビースモーカーが、お母さんに「身体に悪いからやめなさい」と言われたときからぱっとやめちゃった。
ある日、「先生、タバコは?」って訊いたら、おふくろにこう言われたんだ、って。それ以来吸っていない。大山館長の前でも吸っていたのに、真樹先生のようなワルでも、お母さんの言葉っていうのはすごいんだね。
●添野義二 (士道館創始者)次は真樹先生の恋愛観についてです。さすが先生です。
昔、大山総裁が「真樹をしごけ」って言って、みんなの目の仇みたいにされて、それでも真樹先生は潰れなかった。
正直言って、あれだけしごかれたら辞めてしまうと思ったけど、続いたのはすごいと思う。(中略)
でも真樹先生は誰にも媚を売らない人で、大山総裁にもけっこう逆らっていた。自分のスタイルを貫いてたんだね。人の命令はきかないし。だから空手も続けたんじゃないかな。
●三池崇史 (映画監督)
「本物の愛とは、奪うものなんじゃ」
「う、奪う ・・・」
「そうじゃ。欲しいものは力ずくでも手に入れる。クスリ漬けにしようがなんだっていいんだよ」
「は? クスリ ・・・。 あの、相手の気持ちとかは ・・・」
「相手に気がなければ諦めるのか? キミは諦められるのか?」
「いや、まぁ仕方ないかなと ・・・」
「フン。それは愛じゃないよ、三池君。キミは本気で人を愛したことがないね。愛とは反社会的な衝動なんじゃ。だから美しく尊い」
最後に先生の健康に関してです。今読み返すとなるほどと思います。
●松方弘樹 (俳優)
先生に言いたいのは、「とにかく酒をやめて!」かな。先生は飲み過ぎです! (中略)
鍛えることも大事ですが、労わることも大事です。お酒をやめてください。先生、お願いします! 2歳年下の松方弘樹より。
「釘師サブやん」の原作者としてで真樹先生と同時期にマガジンで活躍した牛次郎氏の言葉には重みを感じます。
●牛次郎 (作家)
私が脳血栓で自坊で、昏倒して、救急車で、地元伊東市の病院に搬送されたのは、約二年前のことで、思えば、真樹さんと、熱海のハーバーで、彼の愛艇、豪華クルーザーの船上に招かれて、美味酒を酌み交わして、麻布の寿司屋で、再開を約したあと、一週間程後のことであったと記憶している。(中略)
真樹さん。倒れた後で言うのも変だけど、病魔はいつ牙を剥くか判らない。充分に、御尊体労ってください。
吉田豪氏による真樹先生へのインタビューの中で、ちょっと気になったのは...
稽古しないで酒を飲んでもそんなに美味しくないからな。大山先生もある時期から弟子たちと稽古しなくなったけど、あれは太り過ぎちゃったせいで医者に止められてたんだよ。メキシコで牛と戦ったとき、膝を壊したせいでさ。70歳で亡くなっただろ?俺ももうそろそろ亡くなったときの大山先生と同じ年になるんだよ。
酒、空手、女性、ケンカ、作家活動、プロモーター活動などすべての分野において人の何倍もの人生を歩んだ真樹先生を知るには最高の一冊だと思います。
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放射線医が語る「被ばくと発がんの真実」 中川恵一著 を読む [震災・原発]

前回、副島氏の本を紹介しましたが、今回の本も現在の福島は安全であるという主張の本です。
私は、東京大学医学部附属病院の放射線科で、27年にわたって放射線医としてがん患者の治療に携わってきました。放射線についての不安とは、つまり発がんリスクがどれくらい上がるか、ということでしょう。私は、放射線医としての長年の経験を通して、放射線被ばくと発がんの関係について、できるだけわかりやすく、具体的にご説明したいと思います。
前回の副島氏の本でも問題になった100ミリシーベルトの閾値に関して、中川氏は書きます。
人の場合、100ミリシーベルト以上の被ばくになると、発がんリスクは上昇します。つまり、この領域は明らかに「黒」です。よく100ミリシーベルトが境目と思われますが、100ミリシーベルトの被ばくで発がんの危険性は0.5%上昇しますから「立派な」黒です。よく「100ミリシーベルトの被ばくでも危険性は0.5%しか上昇しない」というような主張をする人がいますが、0.5%はそんなに低い数値ではないと思います。例えば、300世帯くらいのマンションだと住民は1,000人を超えると思いますが、このうち5人ががんになるということです。同じマンションに住む人で放射線による発がん患者が5人も出れば十分に多いと言えないでしょうか?
では、90ミリシーベルトや80ミリシーベルトになれば影響はないかというと、それはわかりません。100ミリシーベルトより低い被ばくの領域も「純白」とは言い切れないのです。
私は100ミリシーベルトより低い領域のどこかに、白か黒かの境目(閾値)があるのではないか、と思います。人体に有害な科学物質は、ある量を越えて体内に取り込むと健康への影響が出てくるわけです。これは、塩分にせよ、アルコールにせよ、同じです。放射線も例外でなく閾値があるのではないかと内心思っています。
また、大企業だと社員が1万人を超える会社も多いと思いますが、この場合は社内で50人が発がんするということになります。
しかし、中川氏は100ミリシーベルト以下の放射線を過度に怖がるデメリットとして、以下のように書いています。
私が申しあげたいのは、100ミリシーベルト以下という、科学的なデータによる裏付けもない領域についても、「危険」と強調しつづけ、ストレスを抱えて生活習慣が悪化すると、かえって発がんのリスクを高めかねないということです。また、恐ろしいのは外部被爆よりも内部被爆だ、という主張を良く目にしますが...。
小さなお子さんのいる親御さんの心配はよくわかります。たとえわずかな放射線であっても、できるだけ子どもを遠ざけたい。もちろんそれが簡単に叶うならば、それに越したことはありません。しかし、運動不足は、100ミリシーベルト以上にがんのリスクを高めます。
内部被ばくの危険性内部被爆でも一番気になるのが、食べ物による内部被爆だと思いますが、以下のように書かれています。
内部被ばくを怖がる感情はわかりますが、1ミリシーベルトの内部被ばくが1ミリシーベルトの外部被ばくより危険ということはありません。影響はまったく一緒です。そもそもシーベルトという単位は、身体に与える影響を示すもので、一般住民の場合には、発がんを増やす指標ともいえるものだからです。(中略)
放射性物質を内部に取り込んだ場合、すべてが体内に残るわけではありません。時間が経つにつれ代謝や排せつで外部に出て行きますし、半減期によって放射線も弱まります。
食べ物に含まれる放射性物質
私たちが日常口にする食べ物の中にも、放射性物質が含まれています。 ホウレンソウなど野菜に含まれるカリウム40という放射性物質があります。生命の維持に欠かせない物質で、人は野菜などの摂取を通じて、日ごろからカリウム40を取り込んでいます。(中略)
カリウム40によって、年間0.2ミリシーベルト程度の内部被ばくが起こります。100年生きると、20ミリシーベルトにも達します。野菜を食べるほど、内部被ばくが増えるわけですが、野菜はがんのリスクを大きく減らすことが知られています。このことからも、カリウム40による内部被ばくを心配する必要がないことがわかります。
前回の副島氏の本にあった、広島・長崎の原爆の影響に関しても書かれています。
原爆投下の翌日に広島市や長崎市に入った人たちも被ばくしました。原爆投下後、2週間以内に爆心地から2Km圏内に立ち入った「入市被爆者」です。(中略)中川氏は、その理由を被爆手帳(被曝者健康手帳)によって無料で医療を受けられたことだとしています。 しかし、一方チェルノブイリでは逆に平均寿命が著しく下がっているのも事実です。
ところが、非常に驚くべきことに、入市被ばく者の平均寿命を調べると、日本の平均より長いのです。また、広島市の女性の平均寿命をみると、日本一長いことがわかります。日本は世界一の長寿国ですから、つまり広島の女性は世界一長生きということになります。そればかりか、出生率の高さでは第2位、死産率の低さでは第1位です。
ロシアでは事故が起きた1986年ごろ、平均寿命は65歳だったのですが、これが1994年ごろには58歳と、7年も短くなりました。この原因は、原発事故による避難により生きがいや誇りを失い、経済的にも追い込まれ自暴自棄となってアルコール依存になった人、うつ状態になった人、自殺した人などが増えたからと考えています。
チェルノブイリでは年間被ばく量が5ミリシーベルト以上(福島は年間20ミリシーベルト以上)の地域の人を避難させました。しかし、その避難による精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限などの影響の方が放射線被ばくより遥かに大きな被害をもらたしたとロシア政府の報告書で反省しているとのことです。
広島や長崎では、放射能のことは知識が無かったので住民は避難しませんでしたが、チェルノブイリでは過剰なほどの避難を行ない、それが健康に大きな影響を与えたとのことです。
中川氏は今回の福島原発事故でもチェルノブイリの教訓を生かすべきとしています。(特に心のケア)そして、現状の福島での被ばく量は健康に問題ないと判断しています。
しかし、中川氏は副島氏とは異なり、そうは言っても不要な被ばくは避けるべきとの立ち場を取り、従来の年間1ミリシーベルトを目指して除染活動を行うべきであるとも書いています。
前回紹介した副島氏の本を読むと福島原発程度の低放射線量は健康に影響がないどころか、健康に良いように読めます。もしそうなら福島原発周辺を健康に良いリゾート地として再開発して人を呼べばいいのでは?とも思いましたが、この本を読むと低くても被ばくのリスクは避けるべきとのことが書かれています。
武田先生と副島氏の主張は両極端にあり、中川氏はその中間の立場のように思います。
みなさんにも一読をお勧めします。
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年間100mS以下は安全か? 「放射能のタブー」 副島隆彦編著 を読む [震災・原発]

この本は、副島隆彦氏と氏の主催するSNSI(Soejima National Strategy Institute:副島国家戦略研究所)のメンバーの論文を集めたものです。
今回は、福島原発による放射能に関する内容を記載しています。
前回、武田教授との対談を紹介しました。(年間1ミリシーベルト以上は危険か? 副島隆彦、武田邦彦の「原発事故、放射能、ケンカ対談」 を読む (http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-07-09))
で武田教授をはじめとした放射能の危険性を主張する人たちを攻撃していましたが、この本はさらに過激な主張となっています。
両者の論点は、「年間100mS以下の低放射線が人体に影響があるか」です。副島氏は、武田氏などの年間1mS以上は危険であると主張する人たちを徹底的に攻撃していますが、私には矛先を向ける所が違うのではないか、と感じられます。少なくとも現在の福島原発の近くの地域の放射線量は法律で決められた数値を超えているのですから、もし本当に安全なのであれば法律を変える方向に力を入れるべきだと思います。
(武田先生は放射線量は年間1mS以下に法律で決められている、国際的なコンセンサスである、ということを主張していますので)
私たちSNSIは、遠くからの傍観者の集団ではない。福島の原発のそばまで行きました。現地に行きもせず、遠く遠くのほうから知ったかぶりをして「放射能はコワイコワイ」「危険だ」「子供たちが危ない」と騒いだ人々がたくさんいる。(中略)
遠くのほうから知ったかぶりで放射能の恐怖や危険を盛んに書いて煽り立てた人々がいる。それらすべてと、この本は闘う。
本文中の各所で低線量の放射能の恐怖をさんざん煽った者たちの名前を明記する。ここで断言しておくが、それらの代表は武田邦彦、小出裕章、広瀬隆、児玉龍彦の悪質な四人組である。この四人が”放射能恐怖煽動の四人組”である。いずれ大きな責任を取ってもらおうと思う。本書では名前を挙げて筆誅とする。彼らは放射線の人体・健康への被害の本当の専門家ではまったくない。放射線(あるいは放射性物質)について、学者として何十年もの長い経験と思考を重ねてきたのは、放射性医学者たちである。長崎大学医学部教授の山下俊一、広島大学医学部教授の神谷研二、東京大学医学部准教授の中川恵一たちである。(中略)
彼らの今回の大事故の直後からの誠実な活動と責任ある発言を、私たち国民は褒め称えなければならない。彼ら医学者たちの主張に深く耳を傾け、彼らの意図と指導に日本国民は冷静沈着に従って行動すべきである。そしてこの国の大災害からの復興を、指導者層と国民が団結して推し進めなければならない。
これがこの本の結論である。
長々と引用してしまいましたが、要は放射線量に対する2つの考え方
①閾値あり説:100mS/年以下であればまったく放射能は健康に影響がない
②閾値なし説:100mS/年以下も直線的にリスクが生じる
の主張の違いです。
国連科学委員会や国際放射線防護委員会(ICRP)は、「発がんの危険率には”安全量”(その線量以下なら危険率がゼロ)はない」という考えを基本哲学としており、日本もそれに従って2011年まで1mS/年が基準値となっていました。これは、1時間当りの放射線量で考えると0.11μS/hとなり、福島原発の周辺の放射線量はこれをはるかに超える値であるため、武田先生などが注意すべきと警鐘を鳴らしています。
それに対して日本の医学者たち、特に福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一長崎大学教授が主張しているのは、『100ミリシーベルト(年間)までは、妊婦も含めて安全』とういう主張で、副島氏はこれを論拠として武田氏などを「コワイコワイ派」として揶揄し、徹底的に批判しています。
ロシアの原子力安全・保安院の副院長の立場にいるアルチュニアン,ラファエリ・ヴァルナゾヴィッチ氏と副島氏との対談では、チェルノブイリの原発事故に関して事故の状況を聞き出しています。
●チェルノブイリ発電所の事故当時の所員数はは134人で多量(1~8S)の放射能を浴び、急性放射線症を患った。
●事故から3カ月のあいだに28人が死亡し、残り20人が事故後25年のあいだに死亡した。(計48人)
●周辺の一般市民で記録が取られている50万人(うち17万6000人が原発事故の処理従事者)のうち80人がチェルノブイリの被曝によって白血病を発症した。(0.016%)
●一般市民に影響を与えたのは、唯一甲状腺がんだけが発症した。これは事故後に農作物の禁止令が出なかったため、牧草を食べた牛の牛乳が原因である。740人の子供に発症した甲状腺がんのうち300人が被曝によるものと確認されており、治療によってすべて治癒している。
●年間100mSに閾値があり、これ以下であれば科学的にもまったく影響がないと結論づけることができる。
その他にも衝撃的な記載がいくつかあります。
放射線の規制値に科学的根拠はない (大川治美)
1945年8月、米国は広島と長崎に原子爆弾を投下し、広島では約14万人、長崎では約7万4000人が亡くなった。人類史上最大の悲劇である。
●本当は被曝したほうが長生きしたという、誰も語らない真実
広島大学原爆放射能医学研究所は、爆心地から500メートル以内にいた78名の生存者を対象に、1972年から調査研究を実施した。これらの生存者は、コンクリートの建物内、地下、満員の路面電車の中にいた人々である。建物の壁などによって放射線が遮られたために、被曝量が少なかったと考えられている。これら生存者の死亡時の平均年齢は74.4歳であり、特に短命ではなかった。(中略)
一方、長崎で原爆に被曝した人と被曝しなかった人の年間死亡率を比較した調査によると、50歳までは両者に違いは見られず、60歳を超すと、被曝した人の方が長生きしたという。被曝した人というのは、原爆投下時に長崎市に住んでいて被曝者手帳をもっていた人である。被曝者の子供や孫にも、統計的に有意な健康や遺伝のリスクは見つかっていない。
広島、長崎におけるこれらの研究結果は、放射線医学の専門家の間では周知の事実であるようだ。しかし、なぜか一般の人々はこのことを知らない。
これを読むと、直接大量の放射線を浴びた人は亡くなったが、コンクリートなどで放射線を遮られた人たちは長生きしていることになります。例えていうと、たき火の炎に直接さわると大やけどしますが、少し離れて手をかざせば温まることができるのと同じということなのでしょうか?
●放射線障害が出なかった第五福竜丸の船員たち(足助友子)この「第五福竜丸事件」は、日本の原水禁運動のために仕組まれて作られたものであるというのが副島氏の主張です。
水爆の実験は1952年11月1日にエニウェトク環礁で初めて実施されたマーシャル諸島のビキニ環礁での実験で、日本の第五福竜丸が被曝したことで有名なキャスル作戦は、1954年3月1日に行われた実験である。この時、日本の遠洋マグロ漁船の第五福竜丸が死の灰を浴び、船員23名が全員被曝するという事件が起きた。このうち久保山愛吉という、当時40歳の無線長だけが半年後に死んでいる。(中略)
平成20年に2名が大腸ガン及び大動脈瘤破裂で死亡し、これまでに死亡したのは被災船員23名のうち、14名となった。その内訳は、肝ガン6名、肝硬変2名、肝線維症1名、大腸ガン2名、心不全1名、大動脈瘤破裂1名、交通事故1名である。2011年現在、被災船員は9名が生存し、その平均年齢は80歳を超えている。
驚くことに、久保山愛吉の死因は水爆放射能の被曝ではなく、医師たちが行った大量の輸血による肝炎が原因だという説がある。
私はまだ結論が出せていませんが、年間1mS以上の放射能は危険であるという意見を持っている人も一読されることをお勧めします。
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あさま山荘に行ってきました! 冬のあさま山荘はやっぱり寒かった... [社会]
以前、「あさま山荘事件」の舞台となった「あさま山荘」に行ってきたことを書きました。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-08-06-2
前回は、夏だったため木が生い茂っており、下の道から「あさま山荘」を見ることができませんでした。そのため、実際の事件が起きた冬にはどのように見えるのかを確認してきました。
3連休の初日ですが関越道はそれほど混んでおらず、鶴ヶ島ICから1時間半で軽井沢に到着しました。浅間山は真っ白に雪化粧していましたが、高速や一般道はほとんど雪がなく普通の夏タイヤで全然問題ありません。
あさま山荘のあるレイクニュータウンの入り口です。

レイクニュータウンの中の道は、日が当たらない部分はかなり雪が残っており、「あさま山荘」へ行く山道は夏タイヤではかなり厳しかったです。私は北海道出身で雪が降ると後輪をすべらせて遊ぶのが好きでしたが、さすがに夏タイヤで雪の山道を登るのは危なかったです。
雪の積もった山道を登る時は、止まると絶対に登れないのである程度スピードをのせて、とにかく止まらないように注意して走りました。しかし、「あさま山荘」への最後の道がこのようにずっと雪道でした。スピードを乗せて走ったのですが、途中でタイヤが空回りして止まってしまいました。
仕方なくゆっくりとバックで下がりましたが、ブレーキを強くかけるとそのまま滑ってしまうため、かなり緊張しました。(‐‐;
途中の道に車を置いてあとは歩いて行ってきました。

鉄球作戦のクレーン車を置いた場所ですが、日陰なので雪が残っています。

「あさま山荘」の入り口です。ここも雪が残っています。

横からの見るとこのような感じです。夏と違って木々の葉がないので、下の方までよく見えます。

下の道にも雪が残ってます。木の葉がほとんどないので、下からも「あさま山荘」がよく見えます。これは当時の映像に近い眺めですね。

夏と違って山荘全体がよく見えますね。これでは山荘からもこちらが丸見えだと思います。ライフルや散弾銃で狙われている状況では、とても近寄れないと思います。

山荘の下から見上げるとこんな感じです。ここを登るのもかなり大変だと思います。

さて、「あさま山荘」を後にして、こちらは中軽井沢の町から見た「浅間山」です。

旧軽井沢銀座にも行ってきましたが、閉まっているお店が多くて観光客もあまりいませんでした。

今回、冬の「あさま山荘」に行ってきましたが、やっぱり寒いです。(笑)
実際に「あさま山荘事件」があったのは2月ですのでもっと寒かったと思います。
それにしても、三連休だというのに、関越道も旧軽井沢も人の少ないのには驚きました。アウトレットモールはそれなりに混んではいましたが...。
【あさま山荘関連記事】
軽井沢に来ると思いだす『連合赤軍 「あさま山荘」事件』 佐々淳行著
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-07-23
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前回は、夏だったため木が生い茂っており、下の道から「あさま山荘」を見ることができませんでした。そのため、実際の事件が起きた冬にはどのように見えるのかを確認してきました。
3連休の初日ですが関越道はそれほど混んでおらず、鶴ヶ島ICから1時間半で軽井沢に到着しました。浅間山は真っ白に雪化粧していましたが、高速や一般道はほとんど雪がなく普通の夏タイヤで全然問題ありません。
あさま山荘のあるレイクニュータウンの入り口です。
レイクニュータウンの中の道は、日が当たらない部分はかなり雪が残っており、「あさま山荘」へ行く山道は夏タイヤではかなり厳しかったです。私は北海道出身で雪が降ると後輪をすべらせて遊ぶのが好きでしたが、さすがに夏タイヤで雪の山道を登るのは危なかったです。
雪の積もった山道を登る時は、止まると絶対に登れないのである程度スピードをのせて、とにかく止まらないように注意して走りました。しかし、「あさま山荘」への最後の道がこのようにずっと雪道でした。スピードを乗せて走ったのですが、途中でタイヤが空回りして止まってしまいました。
仕方なくゆっくりとバックで下がりましたが、ブレーキを強くかけるとそのまま滑ってしまうため、かなり緊張しました。(‐‐;
途中の道に車を置いてあとは歩いて行ってきました。
鉄球作戦のクレーン車を置いた場所ですが、日陰なので雪が残っています。
「あさま山荘」の入り口です。ここも雪が残っています。
横からの見るとこのような感じです。夏と違って木々の葉がないので、下の方までよく見えます。
下の道にも雪が残ってます。木の葉がほとんどないので、下からも「あさま山荘」がよく見えます。これは当時の映像に近い眺めですね。
夏と違って山荘全体がよく見えますね。これでは山荘からもこちらが丸見えだと思います。ライフルや散弾銃で狙われている状況では、とても近寄れないと思います。
山荘の下から見上げるとこんな感じです。ここを登るのもかなり大変だと思います。
さて、「あさま山荘」を後にして、こちらは中軽井沢の町から見た「浅間山」です。
旧軽井沢銀座にも行ってきましたが、閉まっているお店が多くて観光客もあまりいませんでした。
今回、冬の「あさま山荘」に行ってきましたが、やっぱり寒いです。(笑)
実際に「あさま山荘事件」があったのは2月ですのでもっと寒かったと思います。
それにしても、三連休だというのに、関越道も旧軽井沢も人の少ないのには驚きました。アウトレットモールはそれなりに混んではいましたが...。
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真樹先生を悼む 実録・地上最強のカラテ 真樹日佐夫著を読む [真樹日佐夫]
真樹先生の訃報を聞きました。まだ71歳です。
TVで見ていてもまだまだお元気のようでしたので突然の訃報にはとても驚きました。大山先生が亡くなった時も突然だったので驚きましたが、大山先生が亡くなられたのも70歳と9カ月でした。何かの因縁を感じずにはいられません。

真樹先生は、稀代の「ケンカ師」という顔と、極真会館の師範代までつとめた空手家としての顔があります。真樹先生の著書である「実録・地上最強のカラテ」から極真カラテとの関わりを中心に書いてみます。
昭和54年、大山館長から真樹先生、梶原先生は築地のスエヒロでアントニオ猪木に関して相談を受けました。
これにより、「このままじゃ日本は勝てん。アメリカ勢に優勝を攫われる・・・・」と大山館長が呻くように言い、結局、ウイリ―に片八百長をさせることにして、日本の王座を守ることになります。
さらに大山館長は、昭和55年2月、ウイリー対アントニオ猪木戦の直前に、ウイリーの師匠である大山茂を無期禁足、ウイリーを破門処分とすることを発表しました。
「当方から挑戦状を叩きつけての他流試合が禁止されているにもかかわらず対アントニオ猪木戦を強行すること」が理由であるとの大山館長のコメントが出されました。当時の私は極真会館の支部道場生だったので、ウイリーの片八百長から破門処分までの一連の動きをリアルタイムで知っていましたので、それまで抱いていた大山館長への思いはどんどん醒めて行ったことを憶えています。
そして、大山館長、梶原先生の関係はさらに拗れていきます。
「ウイリー対猪木戦でもしウイリーが猪木に敗れた場合、会場の混乱に紛れて猪木を襲い、序に梶原、黒崎両名も袋叩きにせよ、という秘密指令が極真会館上層部より同館幹部の何人かに出されている」
という情報を真樹先生はある筋からもたらされます。
そして、極真本部委員会の決定事項として、添野、芦原の除名と「この両名と私的交際を続けたものは、同様の処分を受ける」との通達が出されたそうです。それに対して真樹先生は、「この伝でいうならば、例えば身内の者が刑事責任を問われなどした場合、兄弟の関係にあったとしても二度と近づいてはならぬということになるではないか」と反発して、大山館長に対しても電話で話をしたそうです。しかし、
このように真樹先生の本部師範代就任からウイリー対猪木戦、添野・芦原除名事件などを時系列で振り返ってみると、私の大山館長や極真会館への熱い思いが一気に醒めていく過程がフラッシュバックしてきます。
今夜は真樹先生を偲んで手元にある先生の本を読みかえそうと思います。
押忍!
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TVで見ていてもまだまだお元気のようでしたので突然の訃報にはとても驚きました。大山先生が亡くなった時も突然だったので驚きましたが、大山先生が亡くなられたのも70歳と9カ月でした。何かの因縁を感じずにはいられません。
真樹先生は、稀代の「ケンカ師」という顔と、極真会館の師範代までつとめた空手家としての顔があります。真樹先生の著書である「実録・地上最強のカラテ」から極真カラテとの関わりを中心に書いてみます。「カラテ大戦争」が封切られたのは昭和53年春であり、その年の秋に私は極真会館総本部師範代を拝命。このように、真樹先生、梶原一騎先生、大山館長は、義兄弟として蜜月の時代が続きましたが、ご存じのようにその関係もだんだんとギクシャクし始めてきました。
館長室で大山より言いだされ、手に余るとの思いがあって、
「大変光栄ではありますが、いま、支部から手を引くというのはちょっと・・・・・」
手塩にかけてきた道場生たちのことを理由に辞退せんとした。ところが、
「支部長と掛け持ちすりゃいいさ。言っとくが、これは柳川の後押しもあってのことなんでね」
「柳川相談役の?」
極真会館相談役の一人として名を列ねる柳川次郎(のちの魏志と改名)は、かつて山口組傘下で、”殺しの軍団”の異名をとる柳川組を率いて世間を震撼せしめ、この柳川と大山がやはり義兄弟の間柄で、そうしたことから梶原と柳川の間にも俗にいう”回り兄弟”の関係が生じていた。
(実録・地上最強のカラテ下巻 P162)
昭和54年、大山館長から真樹先生、梶原先生は築地のスエヒロでアントニオ猪木に関して相談を受けました。
異種格闘技路線というか、挑戦者はどの分野からでもよしってことで、そしてプロの空手家たちも何人か倒しはしたが、しかしそれだけで空手界にはもはや敵なしなどとされてしまっては----(中略) ひとつこの辺で極真としてはいつでも彼の前に立ちはだかることができるんだということは言って置きたく、それでこうしてこれを受けて梶原先生はウィリー・ウィリアムスとの対戦を進めることになります。もと極真会館の師範代で、”鬼の黒崎”の異名をとる黒崎健時にウイリ―を預けて鍛え上げることになります。ところが、黒崎の特訓のおかげで強くなりすぎたウイリ―は、第二回世界大会を破竹の勢いで勝ち上がります。
これにより、「このままじゃ日本は勝てん。アメリカ勢に優勝を攫われる・・・・」と大山館長が呻くように言い、結局、ウイリ―に片八百長をさせることにして、日本の王座を守ることになります。
ウイリーに片八百長の反則負けを強いてまでも、大山としては王座の海外流出を防ぎ語ったのか。表彰式を終えて武道館を後にする私のの身も心も鉛のように重く感じられたが、帰途、梶原と立ち寄った銀座の酒場で彼の口から、それだけであるはずがなかろうと聞かされるに至って、内なる思いは千々に乱れたことであった。
「王座の海外流出を防ぐ、それは勿論だが、まあ半分だろうな」
「半分?というと、あとの半分は」(中略)
「極真の世界チャンピオンとなれば確かに集客力は増そうが、さりとてもしウイリーが猪木のブロレスに敗れてでもしてみい。言いだしっぺの大山は、それこそピエロになり下がる。違うか?」
「三位なら名誉もまあ損なわれずにすむわけか」
好物のバーボン・ソーダが常になくほろ苦く感じられた。(前出 P180 ~181)
「当方から挑戦状を叩きつけての他流試合が禁止されているにもかかわらず対アントニオ猪木戦を強行すること」が理由であるとの大山館長のコメントが出されました。当時の私は極真会館の支部道場生だったので、ウイリーの片八百長から破門処分までの一連の動きをリアルタイムで知っていましたので、それまで抱いていた大山館長への思いはどんどん醒めて行ったことを憶えています。
そして、大山館長、梶原先生の関係はさらに拗れていきます。
「ウイリー対猪木戦でもしウイリーが猪木に敗れた場合、会場の混乱に紛れて猪木を襲い、序に梶原、黒崎両名も袋叩きにせよ、という秘密指令が極真会館上層部より同館幹部の何人かに出されている」
という情報を真樹先生はある筋からもたらされます。
――大した波乱もなくてすんだが、この興行が大山と梶原、私を含めて義兄弟関係を裂く引き金となったことは動かせない。
それに拍車をかけたのが、少し後に生じた「添野・芦原事件」。
添野の事件を報じる記事が新聞に載ったのと前後して、芦原と大山の不和が決定的になった、ということが極真会館内部で囁かれだした。
そして、極真本部委員会の決定事項として、添野、芦原の除名と「この両名と私的交際を続けたものは、同様の処分を受ける」との通達が出されたそうです。それに対して真樹先生は、「この伝でいうならば、例えば身内の者が刑事責任を問われなどした場合、兄弟の関係にあったとしても二度と近づいてはならぬということになるではないか」と反発して、大山館長に対しても電話で話をしたそうです。しかし、
「それはまあ、真樹さんの言い分もわからないではないが、なんせ委員会での決定事項だから・・・」というような反応だったそうです。そして、この委員会の決定を無視し続けたことに対して、腹を立てた門下の若手過激分子たちが、刺してやると息巻き、十人ばかりで特攻隊を編成したという物騒な情報が入ることになります。それに対して、真樹先生は腹を立てて、
はねっ返るのもいい加減にしろ。おまえたち若手が拠って在る極真会館を今日あらしめたのは、近いところでは添野であり、芦原である。彼らの骨惜しみない献身があればこそ極真会館はここまで規模をひろげることができた、このことは動かせない。そうした事実も忘れ、交遊を絶やさないというだけの理由で、こともあろうに特攻隊とは・・・(中略)当時、私はこの記事を真樹先生発行の「現代カラテマガジン」で読みましたが、何がどうなっているのかさっぱり分かりませんでしたが、この本を読むとこの若手(内弟子と思われる)は、大山館長の意向で動かされていることが分かります。
このように真樹先生の本部師範代就任からウイリー対猪木戦、添野・芦原除名事件などを時系列で振り返ってみると、私の大山館長や極真会館への熱い思いが一気に醒めていく過程がフラッシュバックしてきます。
今夜は真樹先生を偲んで手元にある先生の本を読みかえそうと思います。
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義経は平泉で死んだ? 義経はここにいる 井沢元彦著 を読む [東北]
2012年です。 明けましておめでとうございます。
昨年中は、多くの方に訪問頂き本当にありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。


さて、2012年の最初の紹介は、井沢元彦氏の
「義経はここにいる」です。
井沢氏の小説は昔からよく読んでいましたが、この本は歴史ミステリー小説からのちの「逆説の日本史」のような歴史本に移行する過渡期の作品と言えます。
内容は、義経に関係した殺人事件とそれと並行して中尊寺金色堂の秘密を解明するというストーリーです。殺人事件に関してはネタばれになるので書きませんが、金色堂に関しては昨年、平泉が世界遺産に認定されたこともありますし、以前NHKのTVでも井沢氏が話していたので書いちゃいます。
私は中尊寺の金色堂に関してはいろいろと本を読みましたが、井沢氏の説が一番説得力があると思っています。
義経は、平家を滅ぼした後、兄の頼朝から追われて奥州の藤原秀衡を頼って平泉に戻ります。秀衡は、義経を擁して頼朝に対抗しようとしますが、秀衡の死後に後継者となった泰衡は頼朝の命に従って義経を攻め殺し、その首を頼朝に差し出しました。
しかし、それにもかかわらず頼朝は10万の兵を率いて平泉を攻め滅ぼし、恭順した泰衡も殺されてしまいます。ここに源頼義、義家以来の源氏の悲願であった奥州制覇を頼朝によって成し遂げることができました。
みなさんもご存じのように、井沢史観の根幹には「怨霊に対する鎮魂」という考えがあります。これは無実の罪で殺されたものは怨霊となって祟るため、その鎮魂が必要であるとの考えです。例えば京の藤原氏は菅原道真を死においやったことに対する祟りを恐れて、道真を太政大臣の位に追贈し、天満宮を建てて神として祀ることまで行いました。
この考えからいうと、上に書いた源義経、藤原泰衡ともに頼朝に無実の罪で殺された(と本人は考えている)わけですから、頼朝としてはその祟りを防ぐために鎮魂が必要ですが、平泉にはそのような鎮魂の形跡が見られません。
平家によって伊豆に流された流刑人から征夷大将軍まで登りつめたれ頼朝は、「秀吉以上の幸運」に恵まれていたと考えられます。頼朝はそれは父である源義朝の怨霊の力であると考えていただろうと井沢氏は推測します。それほど怨霊を信じている頼朝が義経、泰衡の鎮魂を行わないはずはないというのが基本的な考えです。
特に義経は、平家滅亡の立役者であり、その働きにもかかわらず頼朝に攻め殺されたのですから、かなりのパワーで祟りそうですが、平泉には義経の鎮魂の施設が見当たらないため義経は平泉では死なずに蝦夷(北海道)に逃げのびた、あるいはさらに大陸に渡ってチンギス・ハーンになったという「義経北行説」という説が出てきます。
さて、中尊寺金色堂に対する一般的な捉え方を書いてみましょう。
①奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントである。
②金色堂には、初代清衡、二代基衡、三代秀衡のミイラと四代泰衡の首が納められている。
③金色堂を風雪から守るために「覆堂(さやどう)」で覆われている。
④中尊寺には、「一字金輪仏」という日本でここにしかない秘仏があり、三代秀衡の護持仏といわれている。
<秘仏 一字金輪仏>
この4点に関して井沢説を元に考えてみると、、
①金色堂は奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントではない。金色堂には藤原三代の遺体しか納められないため、あたかも藤原氏が三代で滅びることを暗示しているようで「不吉」である。
確かにその通りです。これは②とも関連しますが、当時栄華を誇った清衡、基衡、秀衡達がなぜ狭い金色堂に一緒に納められているのでしょうか?どうして一人一人の霊廟を建てなかったのでしょうか? 後に奥州王となった初代伊達政宗、二代忠宗、三代綱宗たちは、霊廟としてそれぞれ、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を別々に建てています。これは権力者としては当然の発想だと思います。
http://www.zuihoden.com/gaiyo/index.html
しかも鎌倉幕府にとっては罪人である泰衡の首が金色堂にあるのも大きな謎です。
③せっかく堂の外側まで金箔を張った黄金の金色堂をどうして覆堂で覆ってしまうのか?
外から見えなければ黄金で飾る必要がないように思えます。金色堂と同様に有名な京都の金閣寺を覆堂で覆うという発想はあるでしょうか? そう考えると覆堂には別の意味がありそうです。さらに覆堂の「覆」を「さや」と読ませていることも重要です。
④一字金輪仏は、秀衡の護持仏と言われているが、なぜ一字金輪仏を選んだのか不思議である。
天台宗では金剛界・胎蔵界大日如来に並ぶ尊格となるそうです。そのように格の高い仏なので、仏画として書かれることは多いけれど仏像になっているのは中尊寺だけのようです。
井沢説の結論を書きます。
●金色堂は奥州藤原氏の栄華のモニュメントであったが、頼朝が藤原氏を滅ぼしたことにより、頼朝によって藤原氏の鎮魂のための御堂となった。特に泰衡の鎮魂が重要であるため、泰衡の首も一緒に納めた。
●覆堂は、金色堂を風雪から守るためのものではなく、頼朝に対する藤原氏の怨霊が入っている金色堂を封じ込めるためのものである。刀は抜き身のままにしておくとケガをして危険なので「サヤ」に入れておくのと同様に金色堂も藤原氏の怨霊で危険なため、覆堂を「サヤ堂」と呼び怨霊を封じ込めた。
●秘仏である一字金輪仏は像高が76cmと小さいにも関わらず9個の部材を上下に積み重ねた特殊な構造をしており、これは義経(九郎=遮那王)の鎮魂(墓標)のための仏像である。この一字金輪仏を安置していた金輪閣は大日金輪が太陽を象徴しているため、金色堂に隣接して西向きに建てられていた。金色堂は西方浄土を表しているため堂は東向きに建てられていたため、金輪閣の一字金輪仏と金色堂の本尊は向かい合う形で配置されていた。そのため、参拝者は、どちらかの仏像を拝むともう一方に仏像にお尻を向けることになるため非常におかしな配置である。
これは頼朝が藤原氏の怨霊を封じ込めるため金色堂を覆堂で封印し、なおかつ最高の力を持つと言われている一字金輪仏(義経の墓標)を相対させることで見張り役のような形とした。
以上、結論だけを書くと何だか荒唐無稽に見えるかもしれませんが、この本を読むと十分に説得力を持っており納得させられます。金色堂に興味のある方は、ぜひ読まれることをお勧めします。
秘仏である一字金輪仏は、秘仏ですので通常は公開されていません。何年ごとに開扉すると決まっていないようですが、私は2000年の開扉の時に見ることができました。小さくて背面がなく壁にかけるような形の仏様ですが、「これが日本最高のパワーを持つ仏さまか・・・」とありがたく拝んできました。
下の子が5歳の時だったのですが、間近で見てお寺のお坊さんに梵語で「ボロン」というんだよと教えられたにもかかわらず、まったく覚えていないとのこと。そんなものなのでしょうが、ちょっと寂しいですね。(笑)
この一字金輪仏ですが、震災復興を祈願して今年の7月から御開帳されるそうです。
このチャンスを逃すと、あと10年は見られないと思いますよ!
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「義経はここにいる」です。
井沢氏の小説は昔からよく読んでいましたが、この本は歴史ミステリー小説からのちの「逆説の日本史」のような歴史本に移行する過渡期の作品と言えます。
内容は、義経に関係した殺人事件とそれと並行して中尊寺金色堂の秘密を解明するというストーリーです。殺人事件に関してはネタばれになるので書きませんが、金色堂に関しては昨年、平泉が世界遺産に認定されたこともありますし、以前NHKのTVでも井沢氏が話していたので書いちゃいます。
私は中尊寺の金色堂に関してはいろいろと本を読みましたが、井沢氏の説が一番説得力があると思っています。
義経は、平家を滅ぼした後、兄の頼朝から追われて奥州の藤原秀衡を頼って平泉に戻ります。秀衡は、義経を擁して頼朝に対抗しようとしますが、秀衡の死後に後継者となった泰衡は頼朝の命に従って義経を攻め殺し、その首を頼朝に差し出しました。
しかし、それにもかかわらず頼朝は10万の兵を率いて平泉を攻め滅ぼし、恭順した泰衡も殺されてしまいます。ここに源頼義、義家以来の源氏の悲願であった奥州制覇を頼朝によって成し遂げることができました。
みなさんもご存じのように、井沢史観の根幹には「怨霊に対する鎮魂」という考えがあります。これは無実の罪で殺されたものは怨霊となって祟るため、その鎮魂が必要であるとの考えです。例えば京の藤原氏は菅原道真を死においやったことに対する祟りを恐れて、道真を太政大臣の位に追贈し、天満宮を建てて神として祀ることまで行いました。
平家によって伊豆に流された流刑人から征夷大将軍まで登りつめたれ頼朝は、「秀吉以上の幸運」に恵まれていたと考えられます。頼朝はそれは父である源義朝の怨霊の力であると考えていただろうと井沢氏は推測します。それほど怨霊を信じている頼朝が義経、泰衡の鎮魂を行わないはずはないというのが基本的な考えです。
特に義経は、平家滅亡の立役者であり、その働きにもかかわらず頼朝に攻め殺されたのですから、かなりのパワーで祟りそうですが、平泉には義経の鎮魂の施設が見当たらないため義経は平泉では死なずに蝦夷(北海道)に逃げのびた、あるいはさらに大陸に渡ってチンギス・ハーンになったという「義経北行説」という説が出てきます。
さて、中尊寺金色堂に対する一般的な捉え方を書いてみましょう。
①奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントである。
②金色堂には、初代清衡、二代基衡、三代秀衡のミイラと四代泰衡の首が納められている。
③金色堂を風雪から守るために「覆堂(さやどう)」で覆われている。
④中尊寺には、「一字金輪仏」という日本でここにしかない秘仏があり、三代秀衡の護持仏といわれている。
<秘仏 一字金輪仏>
①金色堂は奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントではない。金色堂には藤原三代の遺体しか納められないため、あたかも藤原氏が三代で滅びることを暗示しているようで「不吉」である。
確かにその通りです。これは②とも関連しますが、当時栄華を誇った清衡、基衡、秀衡達がなぜ狭い金色堂に一緒に納められているのでしょうか?どうして一人一人の霊廟を建てなかったのでしょうか? 後に奥州王となった初代伊達政宗、二代忠宗、三代綱宗たちは、霊廟としてそれぞれ、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を別々に建てています。これは権力者としては当然の発想だと思います。
http://www.zuihoden.com/gaiyo/index.html
しかも鎌倉幕府にとっては罪人である泰衡の首が金色堂にあるのも大きな謎です。
③せっかく堂の外側まで金箔を張った黄金の金色堂をどうして覆堂で覆ってしまうのか?
外から見えなければ黄金で飾る必要がないように思えます。金色堂と同様に有名な京都の金閣寺を覆堂で覆うという発想はあるでしょうか? そう考えると覆堂には別の意味がありそうです。さらに覆堂の「覆」を「さや」と読ませていることも重要です。
④一字金輪仏は、秀衡の護持仏と言われているが、なぜ一字金輪仏を選んだのか不思議である。
天台宗では金剛界・胎蔵界大日如来に並ぶ尊格となるそうです。そのように格の高い仏なので、仏画として書かれることは多いけれど仏像になっているのは中尊寺だけのようです。
井沢説の結論を書きます。
●金色堂は奥州藤原氏の栄華のモニュメントであったが、頼朝が藤原氏を滅ぼしたことにより、頼朝によって藤原氏の鎮魂のための御堂となった。特に泰衡の鎮魂が重要であるため、泰衡の首も一緒に納めた。
●覆堂は、金色堂を風雪から守るためのものではなく、頼朝に対する藤原氏の怨霊が入っている金色堂を封じ込めるためのものである。刀は抜き身のままにしておくとケガをして危険なので「サヤ」に入れておくのと同様に金色堂も藤原氏の怨霊で危険なため、覆堂を「サヤ堂」と呼び怨霊を封じ込めた。
●秘仏である一字金輪仏は像高が76cmと小さいにも関わらず9個の部材を上下に積み重ねた特殊な構造をしており、これは義経(九郎=遮那王)の鎮魂(墓標)のための仏像である。この一字金輪仏を安置していた金輪閣は大日金輪が太陽を象徴しているため、金色堂に隣接して西向きに建てられていた。金色堂は西方浄土を表しているため堂は東向きに建てられていたため、金輪閣の一字金輪仏と金色堂の本尊は向かい合う形で配置されていた。そのため、参拝者は、どちらかの仏像を拝むともう一方に仏像にお尻を向けることになるため非常におかしな配置である。
これは頼朝が藤原氏の怨霊を封じ込めるため金色堂を覆堂で封印し、なおかつ最高の力を持つと言われている一字金輪仏(義経の墓標)を相対させることで見張り役のような形とした。
秘仏である一字金輪仏は、秘仏ですので通常は公開されていません。何年ごとに開扉すると決まっていないようですが、私は2000年の開扉の時に見ることができました。小さくて背面がなく壁にかけるような形の仏様ですが、「これが日本最高のパワーを持つ仏さまか・・・」とありがたく拝んできました。
下の子が5歳の時だったのですが、間近で見てお寺のお坊さんに梵語で「ボロン」というんだよと教えられたにもかかわらず、まったく覚えていないとのこと。そんなものなのでしょうが、ちょっと寂しいですね。(笑)
この一字金輪仏ですが、震災復興を祈願して今年の7月から御開帳されるそうです。
このチャンスを逃すと、あと10年は見られないと思いますよ!
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