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現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]

南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)

落合秘史の中でも重要な「南北朝」問題に関する本です。

以前にもこのブログで書きましたが、私たち戦後教育を受けた世代は南北朝に関する知識がほとんどないと言っても良いと思います。学校の日本史では、後醍醐天皇の建武の新政や足利尊氏の室町幕府に関してざっと習うくらいですので、それで理解できるはずはありません。そして、なによりも戦国時代や明治維新のように小説の題材にならないことが大きいと思います。

現在の天皇の皇統は、一般には北朝であると言われています。しかし、幕末の長州、薩摩、水戸をはじめとした勤皇の志士たちは南朝が正当であるとして顕彰していました。特に後醍醐天皇の建武の新政の立役者である忠臣楠木正成は、「大楠公」として崇拝されていました。さらに驚くべきことに、現在の皇居外苑にその楠木正成の像が設置されています。これは、明治天皇が南朝を正統であると認めたからと言われていますが、なぜ北朝である明治天皇が自らの家系を否定するようなことしたのでしょうか?

このような納得できない事実が存在するため、「明治天皇は維新の時に南朝の大室寅之助に入れ替わった」、「明治維新は南朝革命である」という「明治天皇すり替え説」が消えないのだと思います。この説は、10年ほど前にネットなどでかなり話題になって広まったので、ご存じの方も多いと思います。

落合先生の「落合秘史」も、先生の名付けた「堀川政略」の一つとして南朝の大室天皇に入れ替わったことは認めています。しかし、先生の秘史の奥深さは明治天皇が大室天皇に変わったから現天皇家は南朝になったのではなく、「もともと現在の天皇家は南朝であった」(南北朝の別などない)ということです。

落合秘史は、このブログでも紹介しているように、「さる筋」(京都皇統代の舎人)が呟いた歴史に関するキーワードをジグソーパズルのピースとして、歴史の真実を洞察して構築したものです。これは太古の遺跡から発掘された遺品や文字から当時の状況と現在までの歴史を洞察するのと同じことです。

今回、皇統代から与えられた呟きは、
・香淳皇后は南朝の血筋
・久邇宮を北朝と視ては間違う

というものです。ここでいう香淳皇后とは昭和天皇の皇后で、今上天皇の御母のことですが、父方の伏見宮は北朝として知られていますので、最初は落合先生もどう考えればよいのか見当も付かなかったようです。

もう一つのヒントは、明治大学教授徳田武著の「朝彦親王伝」にありました。ここに、
我が実家は芳野の皇居(南朝)の血筋である故か、殊に盛んであり、当今は禁裏(天皇)も後醍醐帝の血筋であるし、近衛も鷹司も皆、我が実家の縁続きである。不思議な事よ。
と書かれていることに先生は注目します。朝彦親王とは、その侍従岩倉具視とともに「堀川政略」を立案した重要人物であると先生は考えています。朝彦親王は伏見宮家が実家であり、久邇宮は朝彦親王から始まりますので、伏見宮が「芳野の皇居(南朝)」とは聞き捨てできないことです
この内容は、ライターである浅見雅男の「伏見宮」にも同じ記載についての言及がありますが、両著とも歴史的事実と異なると判断しているそうです。

この辺が日本の学界のおかしな所で、天皇の家系の事は天皇及びその近親や重臣が一番知っているはず、と考えないのでしょうかね?(笑) 落合先生も、この両著が朝彦親王の発言を単なる誤りと解釈していることに不審を持ち、調査を進めます。そして、最終的には、「さる筋」(つまり皇統筋です)からの情報として以下の事を知ることになります。
崇光天皇は護良親王の王子
②護良は西大寺に入り、そこで死んだ
③西大寺の資産で吉野から鎌倉まで、宿場ごとに極楽寺を造り、護良親王を護るための情報ネットワークとした。
④極楽寺ごとに忍者を置き、全国の情報を集めた。
北朝の三人も納得した上で、崇光を入れた
⑥崇光の諱を、興良に合わせて益仁から興仁に改める。
⑦畿内から鎌倉にかけて湊のネットワークを作り、その湊々が室町時代の外国との通行の拠点となり、後の伏見宮海外ネットワークとなる。
⑧直仁は花園の子
⑨新北朝は畑を提供。橘が入って正成の鎮魂なる。
つまり、南朝である後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王の子が崇光天皇として北朝に入ることで、それ以降の皇統には南朝の血が入っているということです。

大塔宮は、後醍醐天皇の皇子ではありますが武勇に優れ、後醍醐天皇が鎌倉幕府に対して兵を挙げた時に楠木正成らともに挙兵します。そして、足利尊氏、義直兄弟、新田義貞などと戦い、鎌倉幕府を倒し建武の新政を実現させます。しかし、足利尊氏を征夷大将軍に任命すると新たな幕府を打ち立てることを懸念して、自らが征夷大将軍となり、尊氏は鎮守府将軍に押しとどめます。しかし、その後、讒言により後醍醐天皇によって鎌倉に幽閉されてしまい、結局足利尊氏の弟である義直に暗殺されたということになっています。(詳細は最後の年表をご覧ください)

その大塔宮が実は、鎌倉で死なずに義直の手引きで西大寺に入り、極楽寺の情報を使って活動をしていたと言うのが落合先生の説です。確かに、この説を前提に考えると、①大塔宮が殺された時に当時は必須であった「首実検」が行われていないこと ②後に尊氏と対立する義直が南朝に帰服したこと、などこれまで不審に感じていたことがすっきりとつながるように思います。

明治天皇になった長州の大室寅之助もこの大塔宮の系統であるとのことです。また、大塔宮が紀州の井口左近の館に逗留した時に左近の娘に産ませた子を家祖とするのが、落合先生の家系とつながる皇別の井口氏だということです。

南北朝問題に興味がある方にはぜひ読んで欲しい一冊です。

【南北朝時代の年表】興味のある方へ…
1317鎌倉幕府、皇位を大覚寺・寺明院両統の交互即位を定める。
1324後醍醐天皇の倒幕計画が発覚。(正中の変)
1327後醍醐天皇の皇子である護良親王(大塔宮)、天台座主となる。
13315月、後醍醐天皇の倒幕計画が発覚。(元弘の乱)
9月、楠木正成挙兵し、金剛山の赤坂城に籠る。
9月末、笠置陥落し、後醍醐天皇、捕えられる。
10月、赤坂城、陥落。楠木正成は戦死を装う
13323月、後醍醐天皇、隠岐に配流される。
4月、光厳天皇(北朝初代)即位
11月、大塔宮護良親王、吉野で挙兵。楠木正成赤坂城を奪還して千早城を拠点する
13331月、赤松円心、播磨で挙兵。楠木正成、天王寺で幕府軍を破る。
2月、吉野陥落。大塔宮は高野方面に逃れる。
幕府の大軍、赤坂城を落とし、千早城を包囲。楠木正成は知略でこれを防ぐ。
後醍醐天皇、隠岐を脱出。名和長年、天皇を奉じて船上山で挙兵。
5月、足利尊氏、幕府に叛き六波羅を落とす。新田義貞、鎌倉を落とし、北条氏が滅亡。
6月、後醍醐天皇、京都に還幸。大塔宮を征夷代将軍、尊氏を鎮守府将軍に任ずる。
13341月、建武の新政始まる。武士たち不平不満がつのる。
11月、大塔宮、足利との確執で捕えられて鎌倉に幽閉される
13357月、北条の遺児時行挙兵。足利直義軍を破り鎌倉を奪還。(中先代の乱)
直義、大塔宮を暗殺
8月、北条時行軍を破り鎌倉を奪還そのまま鎌倉に留まり朝廷の叛く。
12月、新田義貞、勅令を受けて尊氏と戦い敗れる。
13361月、後醍醐天皇、叡山に避難。尊氏、入京。奥羽鎮守府将軍、北畠顕家が駆けつけ、正成らとともに足利軍を破る。
4月、尊氏、九州で勢いを盛り返し、東上。
5月、足利軍が楠木軍と湊川で激突。正成、壮絶な最期をとげる
8月、尊氏のおす光明天皇が即位し、北朝が再建。
10月、後醍醐天皇、尊氏の講和案を受け入れ下山。
11月、後醍醐天皇、三種の神器(偽物)を光明天皇に渡す。
12月、後醍醐天皇、吉野に遷幸し南北朝時代始まる。
13373月、高師泰、新田義貞の籠る越前金ヶ崎城を落とす。
13385月、北畠顕家、堺石津川で戦死
7月、新田義貞、越前藤島で戦死
8月、足利尊氏、征夷大将軍となる。
13398月、後醍醐天皇薨去、後村上天皇即位
13481月、楠木正成の子正行、高師直と戦い戦死。
13508月、足利尊氏、義直の対立が激化。
12月、直義、南朝に帰服し、足利尊氏討伐の綸旨を得る
13522月、足利尊氏、義直を毒殺
13584月、足利尊氏、死去

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
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このブログの目次です。
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