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「佐野乾山事件とバーナード・リーチ」 豊口真衣子著 を読む [尾形乾山]

今回紹介する本は、普通の本ではありません。東京大学比較文学・文化研究会から1998年に出された論文です。私は、東大から小冊子を購入しましたが、最近では、WebにPDFがUpされています。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/48878/1/CLC_15_004.pdf

前回紹介したような産経新聞の記事が出される前、佐野乾山について語られることがほとんどない状況で、この論文が出されたことに関してはある程度の意味があったと思います。佐野乾山事件に関する経緯が簡潔にまとめられていますので佐野乾山に関して何も知らない人が読む入門書としては、当時の状況が把握できて良いと思います。

ただし、論文の結論・内容に関しては...残念です。
私は常々佐野乾山に関する記載で、「国会での言論統制」に関して記載のない物は評価するに値しない、と考えています。その意味でこの論文は、わたし的にはここで「終了!」です。

この論文の結論は以下の通りです。
・リーチの名はメディアに頻繁に登場する。
・佐野乾山事件が紹介されるときは必ずリーチが言及される。事件を大きくしたのも複雑にしたのもリーチだ。
・リーチが本物説を唱えたことは本物説論者にとって大きな安心感を与えた。
・リーチは新佐野乾山、日本の動向に関して限られた情報しか与えられなかった。本物説論者によって利用されていた面がある。
・結局、リーチは本物説、偽物説の両方から利用された

豊口さんは古美術業界に詳しくないようですが、それにしても佐野事件に対するとらえ方があまりにも表面的すぎます。論文のテーマの取っ掛かりとして、リーチの役割に目を付けるのは良いでしょう。もしかすると、事件の登場人物で唯一知っている名前だったのかも知れません。

事件の発端となった発見者の森川氏の家族にまでインタビューするなど、過去の経緯を綿密に調査しているにもかかわらず、なぜこの真贋事件の核心である国会文教委員会での議論に到達しなかったのでしょうか? 通常は、白か黒か結論が明確になるはずの真贋事件で「日本最大の真贋事件」と言われた佐野乾山事件だけが、なぜグレーと判断されてそのまま30年以上(論文執筆当時)も放置されているのかと不思議に思わなかったのでしょうか?

その国会の文教委員会で行われたことは、東京国立博物館の林屋晴三氏、京都国立博物館の藤岡了一氏、東京大学の山根有三氏などの真作派に対する言論の弾圧でした。これによって佐野乾山に関する学問的な研究の道が閉ざされてしまいました。このことこそ豊口さんが大学の論文で取り上げるべき重要なテーマであったと思います。

事件当時から佐野乾山を調査してきた渡辺達也氏の「尾形乾山の見極め」には、地元高校の教諭であった渡辺氏にも圧力がかかっていたこが記載されています。
おそらくこれは篠崎源三氏の差し金だろうが、著者は昭和三十八年(1963)年十月五日、六日の二日間にわたって壬生町の常楽寺境内の具慶尼庵址及び乾山作陶窯址の発掘を壬生高等学校美術家生徒の教育の一環として実施した。その後、県教育委員会から佐藤金作学校長を通じて、「佐野乾山問題から手を引くように」との圧力があり、日本美術史上に関わる専門のことであるからと、拒否したことがあった。(同書 P118)
昭和39年1月に宇都宮市の東武デパートで「乾山展」が行われました。この時、栃木新聞社が新聞紙上で展示品の佐野乾山を紹介しました。その作品解説は、地元の研究家である石塚青我氏が担当しました。
しかし、石塚氏は、私に「実は解説文は全部林屋晴三君が書いたんだよ。ただ名前を出せないので僕の名前にした」と言っていた。文部省の干渉が影響したといえる。(住友慎一、渡辺達也「尾形乾山手控集成」P404)

ちなみに当時のマスコミも、「国会で議論された」と書いていましたが、何を議論したのかに関しては何も報道しませんでした。私は当時のマスコミがこの問題を報道しなかったことが、佐野乾山をグレーにした元凶だと考えています。産経新聞も、今回のように今まで知られていた陶磁製方の寄贈の話を大々的に報道するのではなく、このような真贋事件の本質に関してきちんと報道すべきだと思います。

その他、豊口氏の記載に関して一言、二言...。
①リーチは真作派であったが、常に贋作である可能性を挙げて逃げ道を用意していた。
はっきり言って、300年以上前の美術品に関して絶対確実な真作の根拠などありません。ですので真面目に考えている人ほどその発言は慎重になるはずです。リーチの、
(これほど美しいのに)本物でないなら、過去に乾山と同じように偉大な芸術家がいて、絵具も釉薬も手法もそっくり乾山流に作ったか、或いは、信じられないような人物が今日存在しているか」だ」
という発言は、「可能性としてはあるがそんな人は存在しない」という意味で捕えるべき発言でしょう。リーチは、森川氏の佐野乾山を見て、「一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です。」とコメントしたのです。リーチは長年乾山を研究してきて、七代乾山となった人です。そのリーチが、それまで知られている乾山の傑作よりも森川氏の佐野乾山の方が素晴らしいと評価したのです。つまり誰もが名品として認めるであろう光琳・乾山の合作よりも素晴らしい贋作を作ることができるような陶芸家が存在するとは考えられない、という当たり前のことです。

逆に、贋作派の代表である加瀬藤圃の、
真乾山とは似ても似つかない下手物であることは明瞭である。
森川氏は、まづ第一の明き盲で、これを絶賞して已まなかつた美術史家の数氏は、尚一段の半鑒耳食の徒である。その愚劣低見論ずるに足らぬヘボ学者である。二世紀以前の作品と今窯から出たばかりの下劣醜陋なるものとを辨別が出来ぬとあつては、今までなにを勉強されていたのかといいたい。
という断定的で自信満々のコメントほど、眉毛が濡れるほど唾をつけて疑ってかかるべきものだと思います。

②リーチは陶芸家としては唯一真作派であった。これは、日本では佐野乾山に対する反対意見が大勢を占めているという正しい情報を与えられなかったからだ。
贋作派の中心は日本陶磁協会でした。陶磁協会は、陶芸家や骨董屋、文部技官などが会員となっている大きな団体で、事件当時、陶磁業界で大きな力を持っていたと言われています。佐野乾山に関してその陶磁協会のTopが贋作であると判断したのですから、陶磁協会の会員はその判断に従わざるを得ません。つまり陶芸家たちは自分たちの作品が業界内で売れなくなるリスクを考えると自由に意見を言える状況では無かったのです。その中で、日本の陶磁業界とは関係のないリーチは、陶芸家としては唯一自分の感じた、信じた事を自由に発言できる立場にいたのです。その点を理解できなければ話になりません。
前出の渡辺達也氏の「尾形乾山の見極め」には、以下の記載があります。
私は直接リーチ氏に「富本さんは乾山についてどういっておられますか?」と聞いてみたところ、リーチ氏は「富本は絵もわからないしなにもいわない。いえないのだ。悲しい。」と、親友の富本氏がなにも発言できない立場を知っていて、それこそ悲しそうであった。とどのつまりは富本憲吉氏でさえ、勿論浜田庄司氏でも同じであったろう、日本陶磁協会の傘下にある陶芸家の泣きどころを、リーチ氏はよく知っていて、日本の美術界の狭隘な姿を悲しんでいたのである。(渡辺達也氏「尾形乾山の見極め」P97)

最後に「永仁の壷事件」と「佐野乾山事件」に関して書きます。
佐野乾山に関して論じる時に、「永仁の壷事件」の時に陶磁協会が何をしていたかを一緒に考えなければ状況をきちんと理解できません。
「永仁の壷事件」とは、陶工の加藤唐九郎が作った壺を文部技官であった小山冨士夫が鎌倉時代の古陶として重要文化財に認定しましたが、さまざまな疑惑の声が上がり最終的には唐九郎が「自分が作った」と認めて重要文化財は取り消されました。一般には、小山富士夫は唐九郎に騙されたと言われていますが、実際には、小山も唐九郎も陶磁協会の仲間でした。

佐野乾山事件と言えば、「国会でも議論された」という枕詞が付きますが、実は前の年におこった永仁の壷事件に関しても同様に国会で議論されています。(http://kaysan.net/sano/einin.htm
要は、永仁の壷事件という明確な贋作に関するメンバーどうしの馴れ合いに関しては何の糾弾も謝罪も反省もしなかった日本陶磁協会が、佐野乾山に関しては執拗に贋作だ、贋作だという主張を繰り返していたのです。
このことを知ると「佐野乾山に関してそれだけ言うのであれば、なぜ永仁の壺の時にきちんと贋作だと糾弾しなかったのか!」と言いたくなります。それこそ、前出の加瀬藤圃が指摘した「二世紀以前の作品と今窯から出たばかりの下劣醜陋なるものとを辨別が出来ぬとあつては、今までなにを勉強されていたのかといいたい。」という言葉をそのままお返ししたいですね。(^^)

【追記】
国会文教委員会での議論に関しては、基本書とも言える白崎秀雄氏の「真贋」「新発見・佐野乾山」(昭和40年)に記載がありますし、詳しい内容については国会のHPで議事録を読むことができます。

さて、産経新聞の佐野乾山報道ですが、きちんと本質までたどり着くか見守りたいと思います。

乾山に関しては、こちらもご覧下さい。
・乾山と言えば色絵陶器です! 「国際写真情報 」 を見る
・佐野乾山の真実! 尾形光琳二代目 乾山 細野耕三著 を読む
・佐野乾山は美しい! 骨董のある風景 青柳瑞穂著 青柳 いずみこ 編 を読む
・藤田玲司と三田村館長が認めた「佐野乾山」、ギャラリーフェイク 006 「タブーの佐野乾山」 細野不二彦著 を読む
・「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著 を読む
落合先生の佐野乾山関連の情報も
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む

【佐野乾山に関しては、K's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm)】

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佐野乾山の新聞報道に関して(2015年) [尾形乾山]

2015年11月26日の産経新聞に何十年か振りに佐野乾山に関する記事が掲載されました。

世紀の真贋論争「佐野乾山」解明へ 栃木の旧家で自筆伝書と陶器発見

お! 佐野乾山の新資料が見つかったのか! とビックリしました。
しかし、記事を読んでみると乾山の書いた伝書「陶磁製方(佐野伝書)」が所有者から佐野市に寄託されたという内容です。な~んだ。佐野伝書は、新発見でも何でもなく昔から乾山の伝書として真筆として認められているもので、50年前の真贋論争とはまったく関係がありません。
KenzankaigaS1.JPG











KenzankaigaS2.JPG
写真のように1982年に五島美術館で開催された「乾山の絵画」という美術展で展示され、図録にも掲載されています。




新聞記事にも佐野伝書が確認されたのは33年ぶりと書かれていますが、これまで知られていた資料が佐野市に寄託されただけなのに、なぜ
半世紀前の真贋(しんがん)論争事件で美術界最大のタブーとされた「佐野乾山」に、再びスポットライトが当たることになる。」(記事の記載)
につながるのか全く分かりません。
また、佐野伝書とともに素焼きの皿3枚が発見されたそうですが写真を見る限り、私には佐野乾山とは思えません。この記事は、産経新聞にしか掲載されていませんので、「産経新聞もよっぽどネタがないんだな~」と思ってしまいました。(笑)

ところがその後、産経新聞は
●11月26日具体的な記述、由来明確 ゆかりの佐野市が寄託受け入れ 真贋論争の「佐野乾山」史料、栃木で発見
●11月27日尾形乾山「元文2年9月」に佐野へ 有力者の招きで来訪か
●11月28日「佐野乾山」は数点程度か 栃木県内旧家で盗難、所在不明陶器も
●12月2日「佐野乾山」裏付ける貴重な史料 「陶磁製方」の写本も発見
●12月5日真贋論争巻き起こした佐野乾山のもう一つのミステリー 盗難で所在不明の作品は何処へ…

というように、佐野乾山キャンペーンのような記事を連続して書いています。
う~む! 産経新聞は何を意図しているのでしょうか?
記事の記載回数の割に内容は陶磁製方の所有者から取材した内容に留まっており、そこまで引っ張る必要もない内容です。

当初は、50年前の佐野乾山事件にはまったく関係ないと考えていましたが、これだけ新聞ネタになることで、一般の人にも「佐野乾山」の名前が浸透する良い機会かもしれないと思うようになりました。私は50年前の「佐野乾山事件」が風化してしまうことを懸念して地道な活動をしていましたが、今回の記事で少しは人々の記憶に残るかもれしれませんね。

もしかすると産経新聞はまだ何か大きなネタを持っているのかも知れませんね
これからも注目したいと思います。

【2015.12.08:追記】
2015.11.26夕方の記事の内容の間違いを勝手に添削します。(^^)
「所蔵が確認された「色絵夏山水画菓子皿」
 栃木県佐野市で、自筆伝書「陶磁製方(佐野伝書)」や陶器など6点が見つかった尾形乾山は日本画家、尾形光琳の弟で、日本三大陶工の一人としても知られる。だが、晩年に現在の同市で作陶された「佐野乾山」は大量の贋(がん)作(さく)が流通し、研究者や好事家の間では「乾山を見たら偽物と思え」とまで言われる幻の作品群となっている。佐野市は寄託を受けることを決定。美術界最大の謎の一つ「佐野乾山」の全容解明に期待がかかる。」(元の記事)

①尾形乾山は日本画家、尾形光琳の弟で、日本三大陶工の一人としても知られる。
尾形乾山は、日本画家尾形光琳の弟で、日本三大陶工の一人としても知られる。
(元の文だと尾形乾山が日本画家のように読めてしまいます)
②晩年に現在の同市で作陶された「佐野乾山」は大量の贋(がん)作(さく)が流通し、研究者や好事家の間では「乾山を見たら偽物と思え」とまで言われる幻の作品群となっている。
晩年に現在の同市で作陶された「佐野乾山」は昭和30年代に大量の新発見の作品が発表された。当時の乾山研究者や好事家の間では「乾山を見たら偽物と思え」と言われていた中での新発見で大きな話題となった。
(当時発見された佐野乾山は、「贋作」とは結論付けられていません。あくまでも「グレー」です。また、大量に流通したとも言えません。一部の骨董屋、好事家が購入していただけです。「乾山を見たら偽物と思え」というのは、佐野乾山に関して言われたことではなく、当時の乾山(鳴滝・二条丁子屋)などに関して言われたものです。当り前ですが、佐野乾山などに比べて鳴滝乾山などの贋作の方が桁違いに数が多いです。)

新聞報道は、事実誤認が多いものです。みなさんも注意して読みましょう。

乾山に関しては、こちらもご覧下さい。
・乾山と言えば色絵陶器です! 「国際写真情報 」 を見る
・佐野乾山の真実! 尾形光琳二代目 乾山 細野耕三著 を読む
・佐野乾山は美しい! 骨董のある風景 青柳瑞穂著 青柳 いずみこ 編 を読む
・藤田玲司と三田村館長が認めた「佐野乾山」、ギャラリーフェイク 006 「タブーの佐野乾山」 細野不二彦著 を読む
・「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著 を読む
落合先生の佐野乾山関連の情報も
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む

【佐野乾山に関しては、K's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm)】

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