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夏の北海道 女満別 - 知床 - トドワラ - 美幌峠 (2016年) [北海道]

さて、今年の夏も北海道に行ってきました。
今回は、天気が今一つで残念でした。釧路にも行ったのですが、その日は土砂降りの雨で釧路湿原の写真を撮ることができませんでした。(- -;

関東地方ではもう見られないアジサイがきれいに咲いていました。
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お決まりの女満別のメルヘンの丘です。曇っていて残念でした。
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網走にある「オホーツク海に一番近い駅」、北浜駅に行ってきました。
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壁一面に訪問した人たちの名刺や切符が貼られています。天井にはどうやって張ったのでしょうね。(笑)
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駅舎は喫茶店になっており、ランチを食べました。カレーが美味しそうでしたが、せっかく北海道に来たので大好きな「いも餅」にしました。普通のお餅に見えますが、箸で簡単に切れるほど柔らかくて美味しかったです。
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右に見えるオホーツク海に沿って線路が延びています。見えているのは網走方面です。
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世界遺産の知床のウトロの手前にあるオシンコシンの滝です。水量が多くて迫力がありました。
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この日の目的である、「純の番屋」です。北見の実家からおよそ150Kmの距離です。
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ウニ、いくら、カニの三色丼を頂きました。とても美味しかったですが、ウニをもう少し食べたかったのでウニ、いくら丼にすべきでしたね。(^^)
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カキとホタテも合わせて食べました。こちらもとっても美味でした。
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店内は、こんな感じです。この店、最初にカウンターの所に行って店員のおばさんに注文するのですが、このおばさんすごいです! 後から来たお客さんがシンガポールから来たことが分かるとメニューの説明がすぐに日本語から英語に切り替わりました。恐るべし! お客さんの半分くらいはアジア系の方でしたね。
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帰りは中標津の方を通って帰りました。せっかくなので「地球が丸く見える」開陽台に行ってきました。久しぶりにきましたが、本当に地平線が丸く見えます。
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遠くには国後島も見えました。
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野付半島にも寄りました。カメラのバッテリーを充電し忘れて、この一枚しか撮れませんでした。せっかく来たのに痛恨のミスです。これは「トドワラ」ではなく「ナラワラ」です。
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途中でキタキツネに遭遇。それほど痩せてなくてきれいな狐でした。
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さて、私にとっては必須の「美幌峠」です。今回は、新たな武器「XF10-24㎜ F4」を持ってきたので、何とか頂上から屈斜路湖の全景を撮影することができました。美幌峠を全部撮影するには、35㎜換算で15㎜の画角が必要ということですね。雲が低く、湖面にきれいに映っていました。
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35㎜換算の35㎜で撮るとこの画角になります。
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私は、このクマザサに覆われたなだらかな風景が大好きです。
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こちらは和琴半島から屈斜路の湖面を見たものです。雲の低さが分かると思います。
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女満別空港です。周辺は麦畑です。時間のない方は、女満別空港周辺を一周するだけでもこのような道東の風景を満喫することができますよ。
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冒頭にも書きましたが、今回は雨が多くて天気の良い日があまりなかったのが残念でした。
まあ、また行きますから次に期待しましょう。

北海道旅行に関しては、
・夏の北海道 - 1 (流氷館 - 能取岬 - 美幌峠)(2015年)
・夏の北海道 - 2(摩周湖 - ちゃちゃワールド)(2015年)
・今年の北海道の夏は暑かった!(1) 旭川(雪の美術館) - 美瑛(青い池) 富良野 (2014年)
・今年の北海道の夏は暑かった! (2) 北見- 能取岬- 阿寒湖 オンネトー (2014年)
・3年ぶりの道東の旅 美幌峠 摩周湖 神の子池(2010年) 

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羽田から北海道へ (2016年) [関東]

今年も北海道に帰省してきました。羽田は天気が良くて暑かったです。

羽田空港第二ターミナルのレストランの席でモーニングを食べながら撮影できました。
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第二ターミナルなのでANA機が多いです。
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30分だけ展望デッキで離陸を撮影しました。
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搭乗した飛行機から撮影しました。
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上空からみたディズニーランドです。右側がディズニーランドで、左側がディズニーシ―です。
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東京の上空は厚い雲で覆われていました。
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北海道の女満別空港付近です。左側に見えるのが女満別湖(網走湖)です。
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女満別周辺の風景です。
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女満別から羽田に帰る時の着陸寸前に撮影しました。離陸待ちをしている飛行機ですね。
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東京はやはり暑いです。夏の雲がすごかったです。
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今回は、行きも帰りも窓際に座れたので景色を楽しむことができました。

北海道旅行に関しては、
・夏の北海道 - 1 (流氷館 - 能取岬 - 美幌峠)(2015年)
・夏の北海道 - 2(摩周湖 - ちゃちゃワールド)(2015年)
・今年の北海道の夏は暑かった!(1) 旭川(雪の美術館) - 美瑛(青い池) 富良野 (2014年)
・今年の北海道の夏は暑かった! (2) 北見- 能取岬- 阿寒湖 オンネトー (2014年)
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大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。

今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

①力道山との確執
以前、このブログで梶原一騎先生の「男の星座」を紹介しました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04) 最近はKindle版で読めるようになりました。この作品で、梶原先生を取り巻く、太陽である力道山、月である大山倍達を軸に話が進んでいきます。
本篇は、昭和29年12月22日の東京蔵前国技館の力道山VS木村政彦の”プロレス巌流島の決闘”から始まります。ご存じのように力道山の裏切りによって木村が敗北した試合の後、力道山に喧嘩を売った大山倍達が登場します。この辺はおなじみのシーンですね。前半は、この力道山と大山倍達との交流を中心に描かれています。みなさんすでにご存じのように、この二人とも朝鮮半島から渡って来たという過去を持ちます。しかし、この「男の星座」では、力道山の過去は明らかにしていますが、大山倍達の過去に関しては描かれていません。この辺りは、まだ大山氏に対する遠慮があったのかも知れませんね。(上記ブログより)
いろいろな経緯があり喧嘩別れで極真会を離れた梶原先生も真樹先生も大山倍達が韓国出身だということに関しては一言も触れていません。これは、お二人の大山館長に対する最大限の配慮があったのだと思います。
一九五四年七月特別号の『オール讀物』(文藝春秋)において力道山と大山倍達の対談が行なわれた。「サムライ日本」というタイトル通りに、二人は終始日本人として振る舞い、最後まで朝鮮・韓国の話題に触れることはなかった。
この対談は、何かの特集で読んだ覚えがあります。この対談が後に二人が決定的に対立するきっかけになりました。この二人は、同じ半島出身ということで、以前から面識があったようです。二人とも半島出身であることを隠していたことは共通していますが、その徹底度合いがまったく違ったようです。力道山は、朝鮮訛りを徹底的に排除しましたが、大山倍達は五十年以上日本に住んでいたにもかかわらず韓国訛りの日本語を話していました。
しかし、力道山は大山とまったく正反対だった。彼は自らの出自の漏洩を避けることに神経を尖らせ続けた。その異常さゆえに、後年の力道山は精神的な病に冒されるほどだったと言われている。また、そんな彼の意識が自らの死期を早めた遠因であると語る関係者は少なくない。

その二人が冒頭に挙げた力道山と木村政彦との一戦の後に大山倍達が激怒し、力道山に挑戦状を叩きつけ、周囲の人たちに制止されると、その後力道山と一対一の勝負を付けるためにつけ狙ったことが大山倍達の本に書かれています。力道山対木村戦の時、大山倍達が力道山に挑戦したのは、力士出身の格闘技評論家である小島貞二氏の著書に書かれているので、本当だと思っていましたが、その後も力道山を付け狙ったというのは大山氏の本とそれをベースにした梶原先生の「空手バカ一代」に書かれているだけなので、正直言って疑っていました。しかし、本当の話だったようです。
その後も、大山は小島貞二や門茂男が言うように力道山を付け狙い続けた。一九五〇年代頃から大山と親交があり、町井久之のもとで活動していた秋元明は次のように証言する。「大山さんが力道山に挑戦状を突き付けて何度も試合を迫ったのは本当です。大山さんはマスコミの人たちに力道山と戦いたいと吹聴して回りました。それで、この話が大事になってしまったのです。
ただし、「空手バカ一代」を読むと兄と慕っていた木村政彦が力道山にやられたので、その仇打ちという意味付けで描かれていますが、実際の理由は異なるようです。前述の雑誌『オール讀物』での対談での腕相撲が原因とのことです。
すると大山さんの怒りはまだ収まっていないようで、『力道は絶対に許せん』と言い張るので驚きました。大山さんが言うには、ある雑誌の対談で力道山と会ったが、余興として最後に腕相撲をすることになったそうです。互いの立場を立てて引き分けにしようと申し合わせていたのに、記者が写真のシャッターを切る瞬間、突然力道山が猛烈な力を入れて大山さんは負けてしまいました。
つまり、兄と慕う木村政彦の仇打ちではなく、自分のメンツのために挑戦したというのが本当のようです。木村戦も大山倍達との腕相撲の話にしても、力道山があらかじめ決めていた約束を破って自分が勝つという汚いやり方をしたので、大山倍達が「力道山は許せん」となったということのようです。
それに対して周囲の人たちは、どう思っていたかと言うと、
正直、民団関係者のほとんどが実際に二人が戦えば確実に大山さんが勝つし、力道山はプロレスラーとして活動が出来なくなってしまうと信じていました。ただ、そうなると今度はプロレスを興行するヤクザ関係者まで巻き込んでしまいます。ヤクザと揉める方が問題だと小浪さんが言い出して、そこで小浪さんと町井先生と曺(寧柱)先生の間で相談し、何とかして二人を仲直りさせなければならないということになったのです(秋元明)
結局、大山倍達と力道山とのトラブルは、力道山の興行を仕切っている日本のヤクザと朝鮮の建青・民団などの抗争につながる可能性があったため、曺寧柱と町井久之が両者の間に入って必死に和解させたようです。力道山と木村政彦の世紀の一戦において力道山が裏切って勝利した時も木村の後援をしていた暴力団員が力道山をつけ狙ったそうですから、巨額のお金が動くプロの興行というのは複雑なものです。
ちなみに力道山は、ヤクザに対しては常に低姿勢だったそうです。
力道山はヤクザに対していつも低姿勢で媚びるようなところがありました。町井先生に対しても同様でした。
最強のステゴロと言われた花形敬の映画『疵』で「「力道山も恐れた男」として語り継がれる伝説の都会派ヤクザ」と宣伝されていましたが、力道山は花形に限らずヤクザに対しては低姿勢だったようですね。

②学歴詐称の件
大山倍達は、拓殖大学と早稲田大学に通ったことになっています。
大山が拓殖大学に入学したことを疑う人はほとんどいないが、早稲田大学への入学については大山特有の大言であると一笑に付す関係者は多い。
しかし実際には、拓大入学が嘘で早稲田大学への入学は事実だったそうです。普通に考えれば逆だろ? と思いますが、大山館長は武道家としては早稲田大学よりも木村政彦の通っていた拓殖大学の方がふさわしいと考えていたのかも知れません。

③佐藤栄作元首相との関係
大山館長の初期の頃の本を読むと佐藤栄作元首相の写真が出ていたので、子ども心にどのようなつながりがあるのか不思議に思っていました。大山館長は、毛利松平氏の紹介で佐藤大臣のボディーガードをやっていたそうです。
一九六一年、池田勇人内閣で通産大臣を務めた佐藤は念願の首相の座に向けて積極的な活動を開始する。その際、大山は佐藤のボディガードを務めたと言われている。「毛利松平氏の紹介だったということですが、大山さんは一九六〇年代初期、佐藤栄作氏のボディガードをやっていました。それは間違いありません。それで、当時のお金で五百万円以上を極真会のビル建設資金としてもらったと聞いています」(鄭達鉉談)

④真樹先生の『大山倍達との日々』への対策に関して
このブログでも紹介した真樹先生の『大山倍達との日々』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-03-20) に対して、やはり大山館長は激怒していたようです。館長は、小島氏に真樹先生の本に対する反論の本を書かせようと考えていたようですが、小島氏は固辞しました。
「真樹の本に私自身が反論するのは大人気ない。だから、これは私以外の人間が書いた形にしなければならない。そこで小島にその本を書いて欲しいんだ」
私には大山の申し出を受ける気持ちは最初からなかった。私が著者となる書籍で、たとえ大山とはいえ他人の意向に則った幇間のようなものは書きたくなかったからだ。しばらく考えるふりをした後、私は婉曲に断った。大山の再三の要請にも私は首を縦に振らなかった。大山は怒りながらも最後には諦めた様子で、「私の命令を正面から断ったのは芦原(英幸)と小島だけだよ」とこぼし、「それじゃあ、他に誰か書き手はいないかね?」と訊いてきた。
この時、小島氏は郷田勇三氏を推薦したそうですが、結局は当時館長の秘書業務を行っていた北海道支部長の高木先生が書かされることになったようです。

大山倍達、極真会館に興味がある方には必読の書だと思います。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

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芦原英幸正伝大山倍達の遺言極真空手 黒沢浩樹-最後の超人伝説芦原英幸伝 我が父、その魂芦原英幸正伝格闘家に告ぐ!実戦格闘技論
最強格闘技論(リアルバトロジー)

大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。


今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

私のように昭和30年代に生れた男たちは、梶原一騎先生原作の「空手バカ一代」に多大な影響を受けてきました。そして、私を含めて多くの人たちは大山倍達にあこがれて、極真会館に入門して空手を学んだと思います。私にとって大山倍達は神のような存在でした。現在では、内容の多くの部分が梶原先生の創作によるものだということが通説になっていますが、その当時は考えもしませんでした。

そして、中学生になると漫画だけではなく、大山倍達に関する本をかたっぱしから読んでさらに大山館長へのあこがれを強くしていきました。しかし大山館長の本を読んで行くうちに子ども心にもいくつかの疑問が湧いてきました。それは、「なぜ本によってこんなに文体が異なるんだろう?」ということです。これは、今考えると何人かのゴーストライターが書いているのだから当り前なのですが、その当時の中学生には理解できないことでした。(真樹日佐夫先生も何作か書いていました)

その他にも気になった(違和感を感じた)点がいくつかありました。
①大山館長は石原莞爾の主催する東亜連盟に加わっていると本に書いてあること。空手と関係があるのだろうか?
②「日本人たるものかくあるべし」とか「日本男児として云々」ということが必要以上に強調されていること。おそらく大山館長はそれほど日本を、日本人を愛しているのだろう...。

この2点に関しては、その後ずっと気になっていましたが、今回紹介する本を読んでようやく納得できました。大山館長の伝説はほとんど梶原先生が創作したような言われ方をしていますが、それがまったく間違いであることが分かります。
大山倍達の人生を辿った私たちの「旅」は、ある意味で巷間に知られる「大山倍達伝説」の反証の連続だった。「伝説」のなかで描かれる大山倍達の姿は、ほとんどが「虚像」だったのである。
 大山は一九五〇年代初頭から、メディアを利用することで「空手家・大山倍達」の偶像化を試み始めた。同時に、大山は自らの手によって、現在も語り継がれている「大山倍達伝説」を創作した

大山倍達は、日本統治時代の朝鮮(現韓国)で生れた「崔永宜」であり、厳格な親に反発して勘当されて日本に渡り「空手家・大山倍達」として大成します。大山館長が韓国人であることは、もうすでに周知の事実であると思いますが、その半生を朝鮮の民族運動にささげていたことはこの本で初めて明らかになりました。そしてその民族運動に関わったのは、大山氏の師匠である曺寧柱の影響でした。
大山倍達を語るとき、避けることの出来ない存在が曺寧柱であることはいまさら言うまでもない。だが、「大山倍達伝説」関連の視点で捉える曺の姿は、多分に「空手家」としてのイメージが強い。しかし、曺の真の姿は「空手家」としてより、むしろ「民族運動家」にこそある。

そして、曺寧柱は、「五族協栄」「民族協和」による民主的な国家運営をするという石原莞爾の思想に影響を受け、熱心な信奉者となります。石原は戦後地元の酒田で病気の療養をしていましたが、GHQにより呼び出されて酒田法廷で証言をします。この時に石原を乗せたリヤカーを引いていた若者の一人が大山倍達であったこと初めて知りました。
しかし、大山倍達には曺寧柱のような思想はありませんでした。
大山には決して民族主義者のような思想もなく、朝連と対決しなければならないイデオロギーもなかった。ただ戦うことに酔っていた。一度に何人を倒せるのか、どの技が敵を倒すために有効なのか……。それだけが大山を朝連との抗争に駆り立てた唯一の理由だった

その当時、在日朝鮮人の民族団体は、共産主義革命を主張し政治的色合いの濃い「在日朝鮮人連盟(朝連)」と民主主義の立場から朝鮮人自身の手で朝鮮建国を目指す「在日朝鮮建国促進青年同盟(建青)」および「在日本朝鮮居留民団(民団)」が対立していて激しい抗争を繰り返していました。
朝連と建青・民団はことあるごとに衝突した。それは「殲滅戦」と言ってもいいほど、徹底した暴力による抗争だった。双方数百人におよぶ激闘に発展することもしばしばで、棍棒や刃物などの携帯は当たり前、ときには拳銃やライフルなどの銃器さえ使われた。もちろん抗争による死傷者は続出し、それは現在、私たちが映画などで観る「暴力団同士の抗争」を遥かに凌ぐ過激さだった。そんな抗争劇が数年間続いたのである。

そのような状況の中、建青のメンバーとして、建青を守るという大義名分を得た大山氏は戦闘隊長としてボクシングや空手を使って自ら抗争に明け暮れ、朝連を相手に戦うこと自体に喜びを感じていました。
前日、MPの出動によって攻撃を阻止された朝連は、建青の完全な殲滅を画策し、百五十名にもおよぶ青年隊を送り込んだ。大山たち応援隊がきたとはいえ、対する建青は朝連の三分の一に満たない五十名程度で応戦することを余儀なくされた。(中略)
大山は意気揚々と朝連青年隊に対峙した。ボクシング、空手で鍛え上げた大山の強さを知らない青年隊は、一斉に大山に殴りかかってきた。なかには棍棒や鉄パイプを持った者たちもいた。ところが、大山は相手の攻撃をものともせず、次から次へと朝連青年隊を殴り倒していった。大山にはもはや武器も通じなかった。この乱闘事件で、大山は数十名の朝連の青年隊員に重傷を負わせることになる。

この時、大山氏は同じ在日朝鮮人である東声会の町井久之と一緒に戦い、その後も交流を持っていました。大山倍達伝説の一つの「戦後ヤクザの用心棒をしていた」という話がありますが、当時は朝鮮人と日本人ヤクザとは敵対していたため、日本のヤクザの用心棒をする可能性は低く、これは町井との関係のことを言っているようです。
朝連との抗争で、町井一派と大山さんが一緒に出ていくと、それだけで朝連は総崩れでした。戦う前に相手は怯んでしまうんです。朝連にとっては大山さんと町井さんの二人が目の上のタンコブだったんです。大山さんと町井さんが朝連の本部に乗り込んでいって、道場破りのように朝連の看板を持ち帰ってきたこともあったくらいです」(鄭達鉉談)

大東亜戦争中は、日本人に同化し、日本人として一緒に戦っていた朝鮮人ですが、終戦後は戦勝国でも敗戦国でもない第三国人として無法の限りを尽くしました。
終戦当時、集団で大手を振る朝鮮人と正面からわたり合えたのは日本人ヤクザや愚連隊だけだった。後に日本最大の広域暴力団・山口組三代目組長となる田岡一雄は、『山口組三代目 田岡一雄自伝〈電撃篇〉』(徳間書店)のなかで次のように記している。《現在ではとうてい考えられぬことであるが、当時はそれほど警察は三国人に対して無力だったのである。三国人の暴虐非道に対して身を挺して楯となり、防波堤となったのは全国のやくざであった。(中略)われわれが率先して治安を守らなければならぬ時代だったのだ》
大山が渡日してから死去するまでの五十数年間のうち、最も「朝鮮人」「韓国人」らしく生きていた時代だ。同時に、自らを日本人として描いた「大山倍達伝説」においては、何よりも隠蔽したい時代でもある。また、皮肉にもこの時代があったからこそ「大山倍達伝説」は生まれたとも言える。何故なら、大山にとっての民族運動は「空手修行」と直結していたからだ。

このような時代に、大山倍達は朝連との抗争という大義名分を得、生き生きと自らの強さを追求していたのです。

まだまだ書きたい内容がありますので次に書きます。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

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