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東京白金台の松岡美術館を楽しむ (2016年) [美術]

東京港区の白金台にある松岡美術館に行ってきました。

松岡美術館は山手線の目黒駅から歩いて15分くらいでしょうか。庭園美術館を左に見ながら、てくてくと歩いて行き外苑西通りから少し入った所にあります。
この美術館は、不動産業で成功した松岡清次郎氏が一代で集めた蒐集品を展示しています。特に中国陶磁器、洋画、ガンダーラ美術などのコレクションが有名です。
松岡氏が他の数寄者たちと違うのは、馴染みの骨董商から買うのではなく、ロンドンやニューヨークのオークションに参加して気に入った作品を手に入れたことです。そのため、松岡氏は1億円の品を10億円で買ったというような陰口を叩かれているようです。しかしまあ、これは巨額の購入費を日本の骨董業界ではなく海外で支払ったことに対する恨みも半分くらい入っているのでは? と私は思っています。(^^)
美術館は、松岡氏の自宅の跡に建てられているそうです。
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この美術館も撮影はOKです。(ただし、スマホのような音のうるさいカメラは不可)
ロビーに飾ってあるオブジェです。
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二階に行く階段の踊り場に置いてある作品です。
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私の好きな中国陶磁器を見に来ました。
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明洪武帝時代の釉裏紅花卉文大壺です。形が良いですが、赤の発色は良くありません。釉裏紅は銅を高温の還元炎で赤く発色させるものですが、この時代は温度管理が難しいため赤く発色していない失敗作も多いようです。
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これも釉裏紅です。これはきれいに赤く発色しています。
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明永楽時代の青花龍唐草文天球瓶です。官窯の作品は龍の足の爪が五本描かれます。(五爪竜) この作品は爪が三本なので中近東などへの輸出品だったのかも知れません。
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清朝の陶磁器は、精緻な技巧と絵付けが特徴です。
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松岡美術館と言えばこの青花胭脂紅双鳳文扁壺が有名です。この絵付けは珍しいです。
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これは私の所有品ですが、このタイプの作品は日本ではこれと松岡美術館にあるものだけですね。(もちろん冗談です ^_^)
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ここからは前期の展覧会(宋~元時代)の出品作品です。
青花双鳳草虫図 八角瓶 です。松岡美術館を作るきっかけになった作品とのことです。
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紅釉の鳳凰文です。
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青花の扁壺ですね。
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これは青花の大盤です。
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磁州窯 掻落です。
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この美術館は洋画も良い画が揃っています。
藤田嗣治の作品です。
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佐伯祐三が最初に渡仏した時の師匠であるブラマンクの絵です。
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これは佐伯祐三が傾倒したユトリロの絵です。これらの絵を見ると、佐伯祐三の初期の作品はブラマンクとユトリロの模倣に近いように感じますね。
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1階にはガンダーラ美術が常設展示されています。
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みなさんも白金の街を散策しながら、美術館を楽しんではいかがでしょうか。

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金曜日の夜に上野で美を味わう ・・・ 国立西洋美術館 (2014年) [美術]

金曜日の夜は、上野にある博物館、美術館は20時まで開館していることが多くなりました。美術好きにはうれしいことです。

さて、第二弾は国立西洋美術館です。
国立西洋美術館は、フランス政府が没収していた松方コレクションの西洋画の受け皿として作られた美術館です。(松方コレクションの浮世絵約1万点は、東京国立博物館に収められました)
松方コレクションとは、川崎造船所の初代社長である松方幸次郎が1920年代にヨーロッパで収集した美術品群です。(この時代は、いわゆるバブル時代で、日本にも多くの大富豪(成金)が生れました。)

イギリスで約300点(火災で焼失)、フランスで400点以上の作品を購入したそうです。第二次対戦後、フランスから引き渡された作品が西洋美術館に収蔵されています。
非常に残念なことは、この時にヴァン・ゴッホの「寝室」などの傑作はフランス政府に押収されてしまったことです。

松方氏は、絵画を買う時は、画商に行って壁に並ぶ絵をステッキで指して「ここからここまでの絵をくれ」というように、かなり豪快に「大人買い」をしたようです。
例えば土田麦僊にパリで会うと、麦僊がゴーガンを非常に褒めるので、松方さんは画商にゴーガンが見たい、と注文する。すると、その次にその画商を訪れると、ゴーガンの画がずらりと並べて見せられて、こっちが吃驚した。驚く可きことは、それから数日して、他の画商へ行っても、いつの間に伝わったものか、またゴーガンを見せられる。かくてそれから僅かな時日の間に、私達はパリ中のゴーガンを皆んな見てしまう結果になったのみならず、やがてロンドンからもベルリンからも目新しいゴーガンが到着する、という有様であって、松方さんの注文の威力も偉いが、また有力画商の各都市間の連絡も敏活であるのに、私は驚かされた。
(矢代幸雄「芸術のパトロン」より)
松方氏は、ロダンやモネの作品は、直接本人に会って購入したようです。

今回は、西洋美術館の常設展だけを見てきましたが、やはりかなりレベルの高い画が揃っていました。

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美術館の入口の所にあるロダンの「地獄の門」です。
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美術館の入り口です。ここも常設展は写真撮影はOKです。
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これもロダンの作品のようですね。
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お客さんが少ないので、ゆっくりと見ることができます。
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見たことのある画がたくさんあります。
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この絵は、とても緻密に書かれていて驚きました。
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この画も惹きつけられますね。可愛いです。
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印象派と言えばモネですね。
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これは、ルノアールの「バラをつけた女」です。
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世界の藤田嗣治の作品です。この作品は初めて見ました。
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金曜日の夜に上野で美を味わう ・・・ 東京国立博物館 (2014年) [美術]

金曜日の夜は、上野にある博物館、美術館は20時まで開館していることが多くなりました。美術好きにはうれしいことです。私の場合、仕事を早めに片付けて、仕事場の大宮を18時頃に出れば、上野公園には19時前には着きますので1時間は見て回ることができます。

土日に行くのも良いですが、空いている金曜日の夜に美術館に行くのもお勧めですよ!
上野では、やはり東京国立博物館が一番のお勧めになります。常設展は空いていて写真撮影もOKです。(企画展、特別展などは撮影禁止です) 今回、「東アジアの華陶器名品展」に通常は常設展示されている乾山の「銹絵観鴎図角皿」が展示されていたので、撮影ができませんでした。(‐‐;

東京国立博物館は、「2013年3月31日時点で、国宝87件重要文化財631件を含む収蔵品の総数は114,362件で、これとは別に、国宝49件重要文化財253件を含む総数2,563件の寄託品を収蔵している。」(ウィキベティアより)という、日本最大の博物館です。「Michelin Green Guide Japan」でも三つ星がついており、外国人のお客さんも目立ちます。

東京国立博物館は、本館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館などの建物があり、1時間で全部見るのは不可能なので、ターゲットを絞って行きましょう。私の場合、本館で、乾山などの日本の陶磁器を見た後、東洋館の中国陶磁器を見るパターンが多いです。人が少ないので気に入った作品をじっくりと気のすむまで見ることができます。

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夜の博物館も雰囲気が良いですね。
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今回は、東アジアの陶磁器展をやっていました。(撮影禁止)
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以下は、常設展の作品です。
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色絵飛鳳文隅切膳、奥田頴川の作品です。
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東洋館の入り口にある石仏です。
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ガンダーラの仏像はイケメンが多いですね。
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ここからは、中国陶磁器です。
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唐三彩ですね。
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中国陶磁器の黒釉銹花蓮華文瓶 河南天目です。(金~元時代)
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宋時代、定窯の白磁蓮花文皿です。蓮花文の彫りが見事ですね。
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重要文化財の南宋官窯です。全面に入った貫入が見どころです。
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平成館で「国宝再現-田中親美と模写の世界」をやっていました。田中親美と言えば、模写と古筆の第一人者です。宗達の世界を見事に再現していますね。(ここからはiPhone5で撮影)
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俵屋宗達の風神雷神図のフィギュアです。
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作者は忘れましたが、雀の描写が見事で驚きました。
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写楽は欄間彫りの「庄六」だ! 「歌川家の伝承が明かす『写楽の実像』を六代・豊国が検証した」 六代歌川豊国著を読む [美術]

syaraku.JPGこの本は、25年以上前に出された本ですが、ぜひ紹介したいと思っていました。

東洲斎写楽は、一年弱という短期間で約145点余の錦絵作品を出版した後、忽然として消えてしまったため、謎の絵師と言われています。その画風は、インパクトのある大首絵が特徴で、ドイツのクルトがその著書でレンブラントやベラスケスと並ぶ肖像画家と称賛したことで、日本でも注目を浴びることになりました。

その画力と黒雲母刷りというお金をかけた作品と短期間で消えてしまった事から、少し前までは、有名絵師などが名前を隠して写楽名で出版したのではないか、という「写楽別人説」が多くの人から出されていました。北斎、歌麿、豊国、艶鏡、司馬江漢、谷文晁、円山応挙、山東京伝など、有名人であれば誰でも写楽という状況でした。(笑) 最近では、『増補浮世絵類考』で記載されていた阿波の能役者である斎藤十郎兵衛説が有力視されています。

今回紹介する本は、江戸時代に浮世絵の最大派閥(最盛期256名)を形成していた歌川豊国の「歌川派」の六代を継承した六代歌川豊国氏が歌川家に伝承していた写楽の実像を語ったものです。六代豊国氏の祖父からの系譜は、以下の通りです。
祖父:初代国鶴 文化元年(1804年)生まれ
実父:二代国鶴 嘉永5年(1852年)生まれ
本人:六代豊国 明治36年(1903年)生まれ

この本は、1988年に出版されましたので、この当時豊国氏は85歳でした。つまり、祖父の代まで遡ると約200年前を語ることができるということです。歌川家の写楽に関する伝承は、北斎がその情報ソースとのことです。
伝承:北斎初代国鶴国政(梅堂)・国鶴(二代)・豊国(五代) ⇒ 六代豊国(大正末期)

私の持論は、「真実は、知っている人に聞くのが一番」というものです。いくら詳細に調査して論理構築しても、真実を知っている人の一言には敵わないと思うからです。ですので、写楽別人説が跋扈していた25年以上前にこの本を読んで、「これが真実に近いのでは?」と写楽別人説に対する熱意が一気に醒めたました。(^^)
(ただし、この六代豊国氏の家系に関して、疑惑を持たれていることもあるようです。)

初代豊国の後は養子であった豊重が二代目を継ぎますが、娘の「きん」が反対して初代の弟子である国貞を立て、一時期二代豊国を名乗りました。その後、国貞は三代豊国を名乗り豊重の甥の初代国鶴に四代豊国の襲名を約束しました。しかし、国貞の死後、二代国貞が無断で四代豊国を名乗り問題となります。
その後、三代国貞の弟子である梅堂国政が「四代豊国」を預かりとして、使用しなかったようです。その後、国鶴の長男官之介が二代国鶴、次男国松が五代豊国を継ぎ、六代豊国氏に繋がっています。

豊国氏は、浮世絵師の視点から写楽の謎に関するコメントを出しています。
・浮世絵師は芸術家ではなく職人。写楽だけでなく、他の絵師も謎だらけである。有名な喜多川歌麿にしても生年も出身も不詳。
・多くの絵師は枕絵、秘画などを描いて糊口をしのいでいた。そのため、写楽に秘画がないのは、プロの絵師でない可能性がある。
・下絵修行もなく、挿絵も描かず、上下関係もなく、いきなり「大本番」の黒雲母版大首絵の出版は、それ自体異常すぎる
・名人の極意は「北斎の捨て定規、写楽の輪」という歌川の伝承がある。
⇒ 写楽の輪は平面的な円ではなく立体的な円、つまり球形をしている、ということ。
⇒ 写楽が絵師ではなく、立体を相手にした彫り師であったから。

さて、いよいよ歌川に伝承した写楽の実像です。
・写楽は、本名を庄六(=写楽)という欄間の彫り師で、豊国、北斎と囲碁仲間だった。
・出身は摂津佃村。叔母が義太夫の三味線弾きで、庄六も竹本座に通い十返捨一九と知り合う。
・事情があり、江戸に下る。寛政9年7月7日に江戸佃島で没した。
・庄六の江戸行きは、26歳頃。佃島に済んだ庄六は欄間や水屋の彫刻で糊口をしのぐ。
・江戸で義父の下駄屋の甚助と出会い、下駄屋を手伝う。下駄屋では金融業や貸本も行う。
・庄六は神田錦町の店が与えられ、東国屋と名付け、歌舞伎の楽屋にも出入りする
・下駄屋甚兵衛は版元になることを考え、蔦屋を通じて馬琴、北斎、京伝を知った。
・一九は、庄六のスケッチを見て驚く。蔦屋が役者絵を出したいと一九に相談し、庄六を紹介する。
・蔦屋は庄六の絵を見て驚くが、これは売れないと言い、売れなかった分を引き取る条件を出し庄六も承諾する。(いわば自費出版のようなもの)
・庄六=写楽、佃島=東洲
・作業は、一九と蔦屋が共同で行い、最初は28枚を黒雲母版で出す。これを見て北斎が驚く。北斎はショックを受け、「あれは誰だ」と執拗に蔦屋を問い詰めた。同様に歌麿もショックを受ける
・さらにショックを受けたのが、豊国で、初代豊国の作画は、写楽の模倣に近い
・第一期は有名無名をとりそろえたもので、当然のことながら売れなかった。
・第二期は当時の流行役者のみを描く。(蔦屋の注文だろう)
・写楽の絵は売れなかった。役者絵というのは第一に役者が買う。ヒイキ先に配るからである。この役者がクレームを付けたのであるから始末が悪い。
・庄六は蔦屋との約束通り、売れ残りの絵を引き取り、自分の下駄屋でその絵をくじ引きで販売し、結構売れた。しかし、町奉行から「富籤の無許可販売」の罪で神田錦町の店「東国屋」は閉鎖となる
・寛政9年6月蔦屋が死亡。同年7月7日、庄六は物干しから落ちて死亡する。
・庄六のスケッチは、豊国が預かり熱心にその手法を学んだ。

さらに、庄六に関する驚きの情報があります。
写楽は足の指が六本あった。指六 ⇒ 庄六と名を付けられた。
⇒ 歌麿が写楽を意識して「不具のうつし絵」、「五体の不具」という言葉を使っている。
⇒ 広重の「東海道五十三次」の絵の登場人物の半数近くが六本指で描かれている。広重は、庄六のスケッチを参考にしていたのかも知れない。

如何でしょうか?
歌川家に、これだけ詳細な伝承があるのであれば、もう少し重視すべきだと思いますが、現状ではほとんど無視されているような状況です。私はそこにも真実の光が見えます。(笑)

写楽に関しては、以下もご覧ください。
・写楽は北斎か? 「写楽」問題は終わっていない 田中英道著を読む
・江戸美術考現学 浮世絵の―光と影  仁科又亮著 を読む
・美術評論家の瀬木慎一を悼む

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日本美術の七不思議ベスト1 「風神雷神図」に見る 宗達のすべて「芸術新潮2014年4月号」 [美術]


芸術新潮 2014年 04月号 [雑誌]



現在、発売中の芸術新潮の2014年4月号の特集は、『日本美術の七不思議ベスト1「風神雷神図」に見る宗達のすべて』です。俵屋宗達と言えば、一般には「琳派の創始者」というイメージですが、それに関する疑問を投げかけた特集です。

俵屋宗達に関しては、このブログで2回ほど紹介しています。
・宗達は本当に琳派か? 俵屋宗達 琳派の祖の真実 古田亮著 を読む
・宗達 光琳 乾山が揃い踏み 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派― に行く

今回の特集の筆者は、安村敏信氏で、2013年3月まで、板橋区立美術館館長をされていた方です。日本美術全集では、第13巻『宗達・光琳と桂離宮』を監修されました。

特集の目次は、以下の通りです。
≪風神雷神図屏風≫ 9のキーワード
1.「琳派への疑問」
2.俵屋
3.モティーフ
4.ルーツ
5.技法
6.形式と構図
7.色彩と背景
8.後継者たち
9.制作年代の謎

まずは、「風神雷神図屏風」の謎について。安村氏は日本美術史七不思議のベスト1と主張します。
①落款・印章が全くないのに宗達筆を否定する論文を見たことがない。
②明治17年のフェノロサの調査では「伝宗達」とされていた。(宗達筆と伝わっているという意味)
③江戸時代の記録のどこにもこの作品が出てこない。
④それにもかかわらず、明治30年代から宗達真筆とされており、現在国宝に指定されている。

そもそも「琳派」とは、この宗達の作と言われている「風神雷神図」を尾形光琳が模写し、その光琳の画を酒井抱一を模写し・・・と「私淑によって継承された」流れを一派と考えたものです。しかし、この本で、「光琳は宗達をそれほど重視しておらず、抱一はオリジナルが宗達であることを知らなかった」と書かれています。だとすると、「琳派」の意味とは何なの?

その他にも「琳派」の代名詞ともいえる「たらし込み」の真の意味を琳派の絵師たちは誰一人理解していなかった、とさえ書いています。読んでいて「へ~!」の連続です。(^^)

琳派ファンには必読の書と言えます。

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江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす (日本文化 私の最新講義)浮世絵美人解体新書美術館商売―美術なんて…と思う前に (智慧の海叢書)宗達と琳派の源流 琳派美術館 (1) (琳派美術館)河鍋暁斎―奇想の天才絵師 (別冊太陽)狩野探幽 (新潮日本美術文庫)広重と歩こう東海道五十三次 (アートセレクション)もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派 (アート・ビギナーズ・コレクション)工芸と琳派感覚の展開 琳派美術館 (4) (琳派美術館)抱一と江戸琳派 琳派美術館 (3) (琳派美術館)

宗達は本当に琳派か? 俵屋宗達 琳派の祖の真実 古田亮著 を読む [美術]


俵屋宗達 琳派の祖の真実 (平凡社新書)

琳派の人気はすごいものがあります。最近でいうと2008年に『尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展-継承と変奏-」』という展覧会が東京国立博物館で開催されて20万人以上の方が見に行ったそうです。
この展覧会は、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の描いた4つの「風神雷神図」を一度に見られるということで評判になりました。私も行きましたが、宗達や光琳の風神雷神図には圧倒されました。

さて、この本の著者の古田亮氏は、1964年東京生まれ、1993年に東京国立博物館研究員、1998年東京国立近代美術館の主任研究官を経て、2006年から東京藝術大学大学美術館の助教授に就き、現在准教授だそうです。琳派に関していうと、2004年に国立近代美術館で開催した『「琳派 RIMPA」展』の企画展を担当したそうです。
その企画展を担当して、宗達に関して疑問をもったそうです。

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宗達は別格である
それはまさに、宗達の再発見というにふさわしい体験であった。まっさきに浮かんだことは、宗達は琳派なのかということだ。もちろん、そこには琳派とはいったい何を基準に考えればよいのかという根本的な問いもある。
琳派というのは、狩野派などの流派のように家系や師弟関係で流派の伝統技術を継承したものではなく、私淑という形でその芸術的な技法を受け継いできたことに特徴があります。Wikipediaには「琳派(りんぱ)とは、桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一が江戸に定着させた。」との記載があります。
具体的には、俵屋宗達の風神雷神図を尾形光琳が模写しました。この時は実際の絵に紙を当てて同じ寸法で模写したそうです。その尾形光琳の風神雷神図を酒井抱一が模写し、鈴木其一がそれを引き継ぎます。これが琳派としてひとくくりに考えている根拠なのですが、酒井抱一は、光琳の風神雷神図は実際に見て、自分の絵を描きましたが、宗達の風神雷神図を見てはいないようです。

実際に宗達とともに多くの作品を目の当たりにして感じたことは、琳派というひとつのくくりで企画された展覧会であるはずなのに、宗達だけが別格な存在に映ったということだ。光琳以降の、私淑というかたちで継承された琳派のスタイルを知っている私たちは、つい宗達を琳派の祖として考えてしまいがちである。たしかにそれはひとつの考え方ではあるが、戦後の美術史観がつくり上げた琳派という幻想に過ぎないのではないか。
さて、その琳派の祖と言われる宗達ですが、生れた年も亡くなった年も分かっていないそうです。
いつどこで生れ、どういう環境で育ち、なぜ絵師になったのか。どういう人柄でどういう芸術観を持っていたのか。私たちが知りたいことは山ほどあるのに、それに応えてくれる文献資料がない。
謎の絵師と言えば東洲斎写楽が有名です。写楽には別人説があり、北斎などの30人以上の有名画家の名前があげられていますが、美術史家である水尾比呂志氏は、50年ほど前に「宗達=光悦説」を出したことがあります。本阿弥光悦は、芸術家・書家として知られており、宗達の描いた絵の上に光悦が書を描いたという作品が多く残されていますが、この絵も書も両方とも光悦が書いたというのが水尾氏の説でした。(後に氏はその説を撤回しています)そう考えた方が考えやすいくらいに、史料がない状況のようです。

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さて、宗達を模写した光琳の風神雷神図ですが、古田先生に言わせるとまったくダメということになります。(この本では、「あくまでも宗達からみた場合」と断っていますが...)
これは、画題の選定、構図、画法など弟子が勝手に解釈することが許されずに、そのまま伝承することで「派」を保っている他の流派と琳派の大きな違いであると古田先生は書きます。
・・・琳派の場合、光琳は宗達の、抱一は光琳の作品から「何を」学ぶかは、学ぶ側の自由なのである。それは自発的なものであるから、逆をいえば、深く熱い継承意欲がなければできない面もあるだろう。ただし、その受容の内容は、当の先人が伝えたいものだったとは限らない。

大ざっぱにいうと、宗達が風神と雷神に動きや躍動感を与えるために工夫した両者の配置や画角に対するフレーミングを光琳は全く無視して、模写をしてしまったということです。宗達が、雷神の連鼓をフレームからはみ出させることで、絵に躍動感を与えていたものを、光琳はすべてフレームの中に納めてしまったことで、制止した絵となってしまったのです。
ただし、これは古田先生が書くように、宗達側から見たもので、光琳からしてみると、「これこそが俺の風神雷神図だ!」ということになるのかも知れません。光琳の絵は、絵の躍動感というよりは、より平面的、デザイン的な絵を目指していたのかも知れません。

琳派に興味がある方にはお勧めの一冊です。

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もっと知りたい俵屋宗達―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)俵屋宗達 (新潮日本美術文庫)
俵屋宗達: 金銀の〈かざり〉の系譜聚美(しゅうび)7教科書に出てくる日本の画家〈1〉近世の画家―雪舟、葛飾北斎、俵屋宗達ほか週刊 アーティスト・ジャパン 15 俵屋宗達 (分冊百科シリーズ日本絵画の巨匠たち)
絵は語る (9) 松島図屏風-俵屋宗達筆 座敷からつづく海-琳派をめぐる三つの旅―宗達・光琳・抱一 (おはなし名画シリーズ)美術手帖 2008年 10月号 [雑誌]もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)宗達伊勢物語図色紙

天下の茶道具、鑑定士・中島の眼 中島誠之助著 を読む [美術]


天下の茶道具、鑑定士・中島の眼: 『へうげもの名品名席』実見記
この本は、副題を『「へうげもの名品名席」実見記』と付けられている通り、人気コミックの「へうげもの」に出てくる大名物の逸品を鑑定士の中島誠之助氏が実見するという内容です。マンガ大賞を受賞した「へうげもの」をNHKでアニメ化した時に番組の後に「へうげもの名品名席」という紹介番組を中島氏が担当したそうです。(私は見ていません笑)

この番組は一年間毎週のように収録のロケがあるので当初は中島氏も引き受けるべきか迷ったそうです。
「乱暴な仕事をしたくないというのが私の信条である。その前に私自身が、「へうげもの」というマンガを読んだことも目にしたこともないのだ。(中略)
織部のことなら桑田忠親著『古田織部』(徳間書店、1968年)に、織部本人の消息(手紙などのこと)に基づく詳細な研究が記述されていると述べれば、じつは「へうげもの」は桑田本の漫画化でもあるのですという。驚いた私はその場で娘の森由美に電話して尋ねたところ、「へうげもの」全巻を持っているという。早速それを貸してもらって目通しすることにした。

私たちは中島誠之助氏のように著名な鑑定士であれば、いつも名品の数々を見ていると考えてしまいますが、実際には違うようですね。
利休の流れを汲む織部の事跡となれば、現在に知られている桃山時代の茶器のほとんどを網羅していることになる。それらの名器を三十数点も拝見出来るなどということは、茶会にしばしば出入りしている現役の茶道具商であっても不可能に近い。まして私のように、鑑定士の役柄でテレビ出演に忙しい人間にとっては見果てぬ夢である。

さて、この中島氏の大名物との邂逅は36話まで続きますので、最初の一つだけ紹介します。

第一話 天下人が手にした、天下一の茶入 唐物肩衝茶入「初花」
徳川十八代宗家を訪ねたのは、冷気の張りつめた一月初旬の朝であった。天下第一の名器と称された「初花肩衝」を拝見するのに、実に相応しい日柄である。早朝に自宅の近くにある代田八幡宮にお参りして身を清めてから、代々木の徳川邸に向かったのだ。今のご時勢になんと大げさなといわれればそれまでだが、信長が持ち、秀吉が愛玩し、家康が所持した名器を拝見するならば、そのくらいの覚悟と緊張感があってよいのではないだろうか。

考えて見ると、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三人の天下人が確実に手に触れたものなど、これ以外無いのではないでしょうか。そう考えると茶道具というものは本当に恐ろしくも素晴らしいものだと思います。これこそ、戦国時代から続く日本の茶道の伝統のなせるわざだと思います。
その天下の一品に対しては中島氏もかなり緊張したようで、収録後、突然耳が聞こえなくなったそうです。
第一回「初花」の収録では緊張のあまり徳川宗家を辞してから、車の中で突発性難聴症になり十五時間も無音の世界にいた。「初花」はそれほどの名器であった。

さて、その「初花」に対する中島氏の記述を少し長いですが、最後に紹介します。
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袋から取り出された初花肩衝は神々しいくらいの気品に満ちている。南宋時代の作と考えられるが、昨日窯から出たばかりのように艶がよく輝いている。全体がふっくらとした趣で、仏顔を思わせる胴のまろやかさが、畳付の底部に向かってすっとしぼむ。口縁は鋭く外に返して、頸部には二本の浮き線がある。肩衝といえども柔らかい。胴に一本の横線があり胴長を引き締める。高台は板起しで、底部は土が皺を見せる。(中略)
手取りは余りにも軽やかで、一見した量感と対照的である。このことはきわめて薄い轆轤引きによるものであろう。手に取れば風の如く、置けば盤石の感が湧く。象牙の蓋は白に近く一筋の縞が入っている。すべてが清潔感に溢れているのだ。

この本では、36品の茶道具が紹介されていますが、すべて上に書いたような中島氏の実見の感想が述べられています。
これは、茶道具や古美術について興味がある方にはたまらない本だと思います。

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ニセモノ師たち (講談社文庫)ニセモノはなぜ、人を騙すのか? (角川oneテーマ21 C 135)やきもの百科―鑑定の入り口中島誠之助 やきもの鑑定五十年 (新人物往来社文庫)骨董の真贋―この「約束事」が本物を見分ける (サラ・ブックス)

陶磁器の入門書に最適! 一個人 やきもの入門 を読む [美術]


やきもの入門
仙台に遊びに行った時、青葉城の近くにあるセブンイレブンで売っていたので買ってしまった本です。
コンビニで、マンガ以外の本が置いてあると思わず買ってしまいますよね? お店の戦略にまんまと乗ってしまう私です。(^^)

内容は、以下の通りです。一般に陶磁器関連の本は高いので、これで500円(ソフトカバー)なら買いでしょう!

●やきものの基本の「き」
陶器と磁器の違い、釉や文様の違いが丸分かり!
●天下人を夢中にさせた「名物」物語
名物茶碗は天下の証なり信長、秀吉、家康 ・・・ 伝説の茶器めぐり
●やきものの歴史と代表的作家を辿る
縄文土器から茶陶文化全盛時代、現代アートまで
●作陶入門
土練り、成形から焼成まで やきものができるまでを誌上体験
●全国のやきものの里を歩く
歴史ある名陶を訪ねて、見て触れる産地別やきものの見方・愉しみ方
●全国やきもの産地マップ
備前焼 有田焼 唐津焼 九谷焼 瀬戸焼 美濃焼 萩焼 京焼 信楽焼
●現代の陶芸の人間国宝 珠玉の銘品
日本が誇る陶芸家たちの匠の技に触れる

この中で、やはり面白いのが「天下人を夢中にさせた「名物」物語」ですね。コミックの「へうげもの」で一躍有名になりましたが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など天下人の名物茶道具の蒐集物語は興味深いです。
特に織田信長は、「名物狩り」と呼ばれる、強制的に有名な名物茶道具の蒐集を行いました。ここでいう「名物」とは、古来より名高く、著名な「名物記」にも記された名物茶器を言います。名物と認められた茶器は、一つの茶碗や茶入れだけで今のお金で何億円もの値段がついていました。

当時は、千利休による茶の湯が戦国武士たちの間でブームになっていましたので、荒木村重や松永弾正のように家臣や住民の命を犠牲にしてまで自分の所有している名物茶器を守る人たちもいました。それほど当時の戦国武士たちにとって茶道具の魅力は大きかったと言えます。

hatsuhana.JPG

この本では、「曜変天目」、「上杉瓢箪」、「付藻茄子」、「初花」、「松花」の五大「名物」の伝来の系譜が説明されています。室町、安土桃山、江戸と時代が移る中、足利義政、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と「名物」茶器の所有者が転々としたことが分かります。特にこの中で信長、秀吉、家康の3人の天下人に伝来した「初花」は有名です。



そして、コミック「へうげもの」で一躍有名になった古田織部に関しては、
・茶陶文化を盛り上げたカリスマコーディネーター
・謎多き大名・織部の比肩なきカリスマぶり
と書かれています。ここで興味深いのは、以下の記述です。
織部は、美濃の織部焼という斬新な茶陶を生み出した茶人という連想が弾むが、これは江戸中期の新造語だった織部焼という言葉に惑わされた概念のようである。
もろもろの資料からは美濃焼に指示を与えるデザイナーという姿は見えず、むしろ、渋い茶陶である新興の唐津焼を好んで用いる織部が茶会記には強調される。

陶磁器や茶陶に興味のある方にはお勧めです。

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「へうげもの」の世界、「茶の湯」を知るにはこの本! 図説「茶の湯」入門 [美術]


まるごとわかる!図説「茶の湯」入門: 人気コミック「へうげもの」が友情出演! (学研ムック)「茶の湯」の入門書のムックです。
お茶を飲むという行為は世界じゅうで行われています。しかしそこに美を見出し、芸術までに高めたのは日本人だけです。この点から、「茶の湯」を知ることは日本人を知ることだとも言われます。本書はそのための第一歩を手助けするための入門書です。茶の湯が大きく発展した安土桃山時代を中心に、理解に必要な項目を厳選して構成しました。利休、織部から茶事のマナーまで、本書で茶の湯のキホンを学んでいきましょう!

この本の構成は以下の通りです。

Part1 茶の湯の歴史を知る
徹底比較 織部と利休 ”二人の革命児”の美意識とは!?
「茶の湯」人物伝
Part2 茶碗を知る
茶碗の歴史と見どころを知る
茶碗の観賞ポイントを知ろう
Part3 茶室を知る
茶室と露地
茶室の変遷をたどる
Part4 茶道具を知る
名品! 逸品! 茶道具ガイド
Part5 茶事と茶会を知る
茶事と茶会の基礎知識
茶の湯の飲み方
懐石

へうげもの(1) (モーニングKC (1487))

この本で面白いのが、Part1の”「茶の湯」人物伝”でコミック「へうげもの」の名シーンを使用していることです。「へうげもの」ファンにはたまらないですね。(^^)
松永久秀、荒木村重、明智光秀、蒲生氏郷、津田宗久、今井宗久、山上宗二、ノ貫、高山右近 が紹介されています。


kenzankuroraku.JPGちょっと違和感があったのが、Part2の”茶碗を知る”の一番最初に大きく1項を使って写真で紹介されているのが、乾山の黒楽茶碗であることです。(左図)
私は乾山の大ファンなので、乾山の茶碗を紹介されるのはうれしいことですが、茶の湯の名品として最初に紹介されるのことに関してはかなり違和感があります。
茶の湯の世界で、長次郎作の楽茶碗よりも先に紹介されるのであれば、残念ながら乾山の茶碗ではなく、光悦の茶碗ではないか?というのが正直な感想です。光悦には「時雨」など黒楽茶椀の名品がありますので。
茶の湯の茶碗に関する本は、何冊か持っていますが乾山の黒楽茶碗が紹介されているのを見たことがありませんし、乾山の本や展覧会の図録を見てもこの黒楽茶碗を見たことがありません。乾山研究者の中には、リチャード・ウィルソン氏のように、「乾山は黒楽茶碗を作らなかった。黒楽茶碗は二代目の作である。」という極端なことを主張している人もいます。(私はそうは思いませんが)

いずれにしても、乾山の代表作とも言えない黒楽茶碗が、茶の湯の茶碗の一番最初に紹介されていることに関しては、編集者の意図がまったく理解できません。

とは言えその点をのぞけば、この本は茶の湯の入門書としてはとても読みやすい、良い本だと思います。
茶の湯に興味のある方にはお勧めです。

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DVDで覚える茶の湯―お茶のお稽古入門書サライの「茶の湯」大全 (サライ ムック)決定版 はじめての茶の湯―点前の基本から茶事まで 表千家家元の指導による最新版の茶の湯入門書 (主婦の友新実用BOOKS Hobby)もしも利休があなたを招いたら  茶の湯に学ぶ”逆説”のもてなし (角川oneテーマ21)「茶の湯」入門―美しい作法が身につく「茶の湯」入門

安宅コレクションを堪能する 東洋陶磁の美 サントリー美術館 を見る [美術]

TMT1.JPG東京六本木の東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で「東洋陶磁の美」展が開催されています。
これは、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵の国宝2点、重要文化財12点を含む「安宅コレクション」名品140点を厳選した展覧会です。

中国陶磁器が大好きな私はすでに2回見に行きました。中国陶磁器の逸品がそろっています。

東京ミッドタウンのふき抜けのところに展覧会の垂れ幕が掛っています。






下の写真は今回の展覧会の目玉の一つである、国宝「飛青磁 花生」です。
国宝に指定されている中国陶磁はわずかに8点しかありませんが、そのうちの一つです。鴻池家伝来の名品です。
流麗かつふくよかな形と釉薬の色が絶妙です。そして青磁釉の中に描かれた鉄釉の斑点が何とも言えないアクセントとなっています。 会場を一回りした後に何度も見に戻って目に焼き付けてきました。
これ、欲しいです。(笑)
(展覧会のHP:http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol07/index.html より)
tobiseiji.JPG


















img10.jpg今回展示されているもう一つの国宝です。
油滴天目はいくつか有名な品がありますが、若狭・酒井家伝来のこの油滴天目がもっとも油滴の現れ方が豪華で華やぎがあると言われています。この天目茶碗は、写真では良く見ているのでおなじみなのですが、実物は意外と小ぶりだったので驚きました。「名品であるほど実物は小さく見える」と言いますので、やはり名品なのでしょうね。


美の猟犬―安宅コレクション余聞さて、この「安宅コレクション」ですが、安宅産業の創業者の息子で会長だった安宅栄一郎氏が、社費を使って購入したものです。その国宝2点、重要文化財12点を含む約1,000点にも及ぶコレクションは、中国陶磁と韓国陶磁が中心となっている貴重なものです。このコレクションは総額約152億円にも及ぶ住友グループからの寄付金で大阪市に寄贈され、それをもとに東洋陶磁美術館が作られました。

安宅氏は創業者一族ではありますが、2%程度の株しか保有していないにもかかわらず社内で大きな権限を持っていました。それを利用して会社のお金で購入したのが、この「安宅コレクション」なのです。公私混同もはなはだしく、今だったらコンプライアンス違反で大きな問題となるでしょうね。(^^)

今回の展覧会を見るとコレクターとしての安宅氏の目が素晴らしかったことがよくわかります。
上にあげた本の著者である伊藤郁太郎氏(東洋陶磁美術館初代館長)は、安宅氏の秘書のような立場でした。氏の本から安宅氏のコメントを紹介します。氏のコレクターとしてのポリシーが見えますね。
「三顧の礼をもって、ものは迎えなければなりません」
「人にお辞儀しているわけではなく、その後ろにものが見えるのですよ。ものに向かっては、いくらお辞儀しても、し過ぎることはありません。」
「人でも、ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です」
さて、国宝の「飛青磁 花生」を購入した時の話を紹介します。
筆者(伊藤郁太郎氏)は役員会に呼び出された。全役員の前に座らされた筆者は、いきなり当時の猪崎久太郎社長から大変な叱責を受けた。筆者としてはどう答えてよいか判らぬまま、「会長のご命令で、動いているだけです。私の行為が問題になるようでしたら、会長にお伺い下さい」と答えるだけ。こう開き直られると、社長も挙げた手を振り下ろすのに困ったのか、手で追い払う素振りを見せ、筆者はようやく無罪放免となった。

安宅産業は、1975年に経営破たんすることになりますが、最終的には伊藤忠商事に吸収合併されました。その破たんの原因の一つに会長の安宅氏を筆頭とした安宅ファミリーの影響があげられています。安宅ファミリーは公私混同が激しく、氏の陶磁器コレクションの他に専務であった氏の息子も子会社の「安宅興産」を通して40数台にもおよぶクラッシックカーを購入していたそうです。当時の社員だった方々にはお気の毒としか言いようがありません。

そういう意味で、「安宅コレクション」は安宅産業という企業の財力を使ったからこそ、あれだけの逸品を蒐集することができたと言えます。

陶磁器に興味がある方には必見の展示会ですね。

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中国の陶磁―平凡社版 (11)中国陶磁の八千年―乱世の峻厳美・泰平の優美元・明の青花 (中国の陶磁)明の五彩 (中国の陶磁)三彩 (中国の陶磁)青磁 (中国の陶磁)中国の陶磁 (やきもの名鑑)


写楽は北斎か? 「写楽」問題は終わっていない 田中英道著を読む [美術]


「写楽」問題は終わっていない(祥伝社新書260)

写楽、別人説に関しての本です。
著者は浮世絵の専門家ではなく、西洋美術史が専門の田中英道氏です。田中氏は「写楽は北斎である」との主張をされていますが、美術界の通例通り門外漢の主張に対して徹底的に無視されているようです。



syaraku.JPG写楽は寛政6年から7年にかけての約1年弱の期間に約150点あまりの作品を残して忽然と消えたため、謎の絵師と言われています。写楽と言えば、この絵のように背景に雲母摺という高価な手法を使い、役者の顔をデフォルメした大首絵で有名です。
しかし、当時は「あまりに真を画かんとして、あらぬさまにかきしかば、長く世に行なわれず、一両年にして止む」と言われたように、人気がなく1年余りで制作を止めたと言われています。
歌舞伎役者を題材とした浮世絵は、もともと役者のブロマイドのようなものですので、見たままを描くのではなく実物以上に良く描くのが一般的でした。しかし写楽は顔に皺やたるみのあるものはそのまま描いたりしていますので、歌舞伎ファンはもとより役者本人も買いたくないような作品だったのだと思います。ですので、当時の絵師やマニアの間では有名だったでしょうが、一般的には不人気な絵師というのが写楽の評価だったと思われます。
ところが、明治43年にドイツの美術研究家であるユリウス・クルトが著書の『SHARAKU』の中で写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家であると激賞したことから、日本国内でも写楽ブームが起こることになります。
つまり、クルトが注目する明治43年以前は写楽は不人気な絵師だったため贋作がない、というのが一般的な見方です。(不人気な画家、作家の贋作を作っても売れないので作る意味がない)

このように実力のある絵師が突然現れて、1年で姿を消したことから「写楽は有名絵師が名を変えて出した」という写楽別人説が出され、候補としては、歌川豊国、歌舞妓堂艶鏡、葛飾北斎、喜多川歌麿、司馬江漢、谷文晁、円山応挙、山東京伝、中村此蔵、土井有隣、十返舎一九、谷素外など多くの名前があげられました。
ところが近年、「写楽」の謎はもはや存在しない、「写楽」問題は終わった、とする説が学界のみならず一般にも有力になってきました。江戸時代の「増補浮世絵類考」で写楽の正体として記された阿波の能役者・斉藤十郎兵衛の実在が確認されたこともありますが、2007年、ギリシャのコルフ島で発見された「東洲斎写楽画」との署名が入った肉筆の扇画面が、専門家によって真蹟と鑑定されたことで、その動きは一気に強まりました。
この扇面画には写楽が消えたはずの寛政七年という年記があり、この絵が本物であれば、写楽は浮世絵の活動をやめた後も絵を描いていたことになります。その結果、多くの写楽別人説は成り立たなくなり、私の「写楽=北斎」説も、寛政六年の一年が北斎の活動の空白期にあたることが根拠の一つでしたから、消えてしまいます。
田中氏は、ギリシアで発見された写楽の肉筆画(下図)は、写楽の筆ではないと主張します。
sharaku1.JPG












この肉筆画に関しては、以前このブログでも紹介しました。
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前回のグログでははっきりと書きませんでしたが、私もこの肉筆画が写楽の筆によるものであるとは考えていません。これは私の印象論ですが、写楽の画としての力強さも迫力を何も感じないというのが理由です。また、同じ絵師による作品でも浮世絵と肉筆画では、微妙に描写や印象が違うのが普通ですが、この扇図は、写楽の浮世絵をそのまま写したような絵にしか見えません。
この写楽の肉筆画に関して、田中氏は、以下のように書いています。
一見して、これはとうてい写楽作ではないと感じざるをえませんでした。それは何かというと、これはわれわれ研究者の画を見るときの原則なのですが、ディテール、筆の描き方、筆のさばきです。それが写楽とは別に絵師の手になると思われるものでした。
加えて、肉筆で扇面画を描くことは、結局余技として描くわけで、こうしたものを写楽が手掛けるはずがないと、私は直感的に思ったのですが、小林忠氏、浅野秀剛史、辻惟雄氏ら近世絵画の専門家たちは、みな異口同音に写楽と認めているので、そういう考え方に対して私は非常に疑問を感じたのです。(中略)
ところがこの肉筆画が出てきて、その絵が思いのほか稚拙であったことで、斉藤十郎兵衛説が逆に肯定される根拠とされているのは驚きを通りこして、あきれるしかありません。つまり写楽は実は絵が下手だった、写楽画が優れているのは、彫り師の腕によるもので、斉藤十郎兵衛はもともとが素人で、つまり能役者だった者が描いたのだから、それも無理はないのだと、むしろ肯定する論になっていくのです。

田中氏は、この肉筆画の作者は「高島おひさ」の団扇図に写楽画を描いたことで知られる栄松斎長喜であると書いています。
筆遣いも同じ、団扇図自体のたどたどしく、スピード感のない筆致も共通しており、同じ作家の手であると判断されます。今回の肉筆扇面画にも団扇図にも共通する、精彩のない線描から推測されることです。これは模写画を描く絵師の通幣といえます。

そして、田中氏は「写楽は北斎である」と主張します。その理由は、
①北斎は、当時役者絵を多く描いていた勝川派に属して勝川春朗と名乗っており、写楽が登場した寛政6年から7年まで消息を絶っている。
②「風山本 浮世絵類考」に二代目北斎=写楽との記載があり「墨田川両岸一覧」の作者と書かれているが、「墨田川両岸一覧」を描いたのは北斎である。
③写楽と勝川春朗の浮世絵の筆致、質感、発想に共通点が多い。

北斎の名前は「アホくさい」から取ったとも言われてますので写楽斎の「しゃらくさい」との関連性も感じますね。田中氏の論にはかなりの説得力を感じますが、浮世絵の世界では西洋美術の専門家の主張ということで、無視されているようです。

私としては別の理由で「写楽=北斎説」には同意できませんが、それについては別に書きます。

写楽に関してはこちらもどうぞ。
・写楽は欄間彫りの「庄六」だ! 「歌川家の伝承が明かす『写楽の実像』を六代・豊国が検証した」 六代歌川豊国著を読む
・江戸美術考現学 浮世絵の―光と影  仁科又亮著 を読む
・美術評論家の瀬木慎一を悼む

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 芸術と生涯 (講談社学術文庫)日本美術 傑作の見方・感じ方 (PHP新書)実証 写楽は北斎である―西洋美術史の手法が解き明かした真実
聖徳太子虚構説を排す ミケランジェロ (講談社学術文庫)
画家と自画像―描かれた西洋の精神 (講談社学術文庫)

歌川広重の「東海道五拾三次」と司馬江漢の元画? 広重「東海道五十三次」の秘密 対中如雲著 を読む [美術]

東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で「殿様も犬も旅した 広重 東海道五拾三次」を見てきました。
広重の代表作である「東海道五十三次」ををメインにした展覧会です。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol06/index.html

この企画展では、同じ場所を広重の画(保永堂版と隷書版)を比較したり、「初摺」と「後摺」を比較したり、変わり図と比べたり、いろいろな試みがされていますが30分くらいで見終わる感じで、私にはちょっと物足りない感じがしました。

広重「東海道五十三次」の秘密―新発見、その元絵は司馬江漢だった (ノン・ブック)
さて、広重といえば私には思い出深い本があります。これは当時の伊豆高原美術館館長の対中如雲氏の書いた本です。これは15,6年前に出された本なのですが、私が美術の真贋事件に興味を持つきっかけとなった大事な本です。(この本の内容が正しいという意味ではありません)

内容は、有名な広重の「東海道五十三次」と酷似した肉筆画の画帖が発見され、対中氏が調査した結果、それは司馬江漢の真筆であるというものです。そして、広重と江漢が生きた時代を考えると、広重は江漢のこの画帖を元絵として「東海道五十三次」を描いたという衝撃的なものです。

hasushige.jpg司馬江漢は、有名な浮世絵師である鈴木春信に師事して、春重の名前で作品を残しており、春信の代筆もしていたとも言われています。残された画を見ると確かに人物の描写などは師匠である春信とソックリですが、背景に極端な遠近法を使用することが多いのが特徴です。そして、その後は洋画の世界に入り銅版画のエッチングを日本で初めて制作したり、油彩画で日本の風景を描くなど、日本の洋画家の開拓者と言われています。

その司馬江漢がこの肉筆画の画帖の作者だという対中氏の主張は、TVや新聞などで何度か取り上げられていますので、みなさんもご存じかも知れません。
また、当時館長だった伊豆高原美術館に大々的に展示されていましたし、何冊か関連の書物も出されました。この本を読んだ当時、私は対中氏の主張に感銘を受けて、急病で会社を休んで(ナイショ(笑))わざわざ伊豆高原まで出かけて行って画帖を見にいきました。(当時は仕事が忙しくて、土日も出勤が多くて病気にでもならなければ休めない状況でした...(‐‐; )

その当時はネット回線が狭かったのでインターネットよりもパソコン通信 (うっ、懐かしい響き) のNiftyサーブのフォーラムでこれらの議論がなされました。この本のおかげで、広重の勉強もしましたし、江漢に関してもいろいろと調べ、江漢の展覧会の講演会に行って研究者に質問したりして自分なりの考えをまとめました。

この江漢の画帖に関しては、その当時、「芸術倶楽部」(その後、「Bien」と名前が変わりりました)という美術雑誌が積極的に取り上げており、何度か関連した記事を載せていましたので、毎回購入していました。また、Niftyのフォーラムで「芸術倶楽部」の関係者と知り合いとなったため、この件に関して「●●さんのコメントをもらっては?」というリクエストをして実現したこともありました。

さて、私の意見ですが、残念ながらどう考えても、以下の結論となります。
①この画帖は、司馬江漢の筆による絵ではない。
②この画帖が広重の元画となった可能性は低い。
⇒ 広重の「東海道五十三次」を元に画帖を作られた可能性が高い。

もちろんこれは私の意見ですので、まったく権威も信頼性も無いものです。(^^)

これが江漢作と言われている画帖にある「日本橋」です。下の広重の浮世絵と比較して見て下さい。
koukan.JPG

























nihonbashi.JPG












しかし、この本は私に美術界の裏を見る視点を与えてくれた点で重要な本です。
対中氏は書きます。
そう、広重は、江漢の作品を見て、真似をしたのである。(中略)
だが、この事実を認めることは、研究者、美術愛好家の別を問わず、私を含めた広重を愛する人たちにとって、きわめて辛いことである。できればこの江漢本を贋作と決めつけておきたい。あるいは、江漢本の存在などしらないことにしておきたい。なかったことにしておきたい。こう考えるのは人情である。(中略)
しかし、事実は事実として明らかにされねばならない。とくに研究者にとって「臭いものには蓋」的な姿勢は、厳に慎まなければならない
どう考えても下線を引いた部分の対中氏の主張は正しいです。(その前の記載には疑問がありますが...)

さらに、最後に対中氏は日本の美術会に3つの提言をしています。
1.美術・芸術作品の国家的鑑定機関の設置
2.美術・芸術作品の保存・補修・管理と、技術者の養成機関の必要性
3.若き芸術家たちへの援助・協力機関の必要性
まったくその通りだと思います。本当に。
若かった当時の私は、これらの対中氏の主張を読んで、「対中氏はすばらしい! この人の言っていることは正しい。対中氏の方が広重に関しても江漢に関しても深く研究しているし、鑑定眼もあるはずだ...」と信じていました。
まったく甘いですね。(笑)
「一般論として素晴らしいことうをいう人ほど疑ってかかれ」というのが最近の私のポリシーです。
美術の世界はいろいろな意味で奥が深いです。

この本は、広重や江漢、浮世絵に関してもいろいろと書かれているので、興味がある方にはお勧めです。

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川越の骨董市に行ってきました [美術]

川越にある成田山新勝寺の別院で毎月28日に骨董市(蚤の市)が開かれています。過去に何度か行ったことはありますが土日に関係なく28日の開催なので、なかなか行くタイミングが難しいため、最近は行っていませんでした。
今日は朝から天気が良かったので、久しぶりにお出かけしてきました。

川越大師喜多院から歩いて行くと、こちらから入ることになります。天気が良かったので、多くの人が来ていました。
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お寺の境内の上から眺めると沢山のテントが並んでいるのが分かります。
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これはお寺の方を見たものです。いろいろな種類の骨董が所狭しと並べられています。
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洋画なんかも売られています。誰の絵か分かりませんが。
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私は焼き物を中心に見て歩きました。沢山のお店で扱っています。
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沢山出品されていますが、なかなか気に行ったものはありません。
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唯一、気になったのがこの中国陶磁器の天球瓶です。明らかに新しいものなんですが、結構、絵がきちんと書かれているので、楽しむには良いかと思いました。値段を聞くと1万円とのこと。思わず買おうかと思いましたが、こんなデカイものを家のどこに置くのか? と自問自答して却下となりました。(笑)
tenkyubin.JPG



















【参考】ちなみに天球瓶の代表例と言えるのが、これだと思います。紀州文化振興会所管(岸和田事件の展覧会の表紙になりました)の逸品。
この器は、造形は端整で雄渾、宏大な気迫がこもっている。全体の構図は、神龍が湧き騰がる波涛を踊り超えていく様子を描くもので、極めて動感に富んでいる。元代末期の青化(染付)中の精品であり、宣徳染付の先駆をなすものである。この類の文様は元代染付と明代宣徳の作品に多く、芸術的特長は十分鮮明である。(楊根北京大学考古学系教授)

tenkyua.JPG






















染付の絵柄は、密度が濃いほどよいと言われています。そういう意味で骨董市にあったような空白が多い絵柄は、あまりよろしくありません。また、紀州品は、官窯の中でもさらに「御窯」と言わる皇帝用の品々が多いため、上記の天球瓶も単に染付で描かれているだけでなく、彫りこみが入っているようです。
もっと凄いものが、落合先生のHPに掲載されていたので、紹介します。
http://kishu-bunka.org/toujishi/6.htm
この天球瓶の彫りこみは凄いですね。

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ゴッホの贋作をありがたがって観賞してはいけません! 「ゴッホ」にいつまでだまされ続けるのか 小林英樹著 を読む [美術]

「贋作」...いやな響きです。そして同時に興味が高まる言葉であることも事実です。
私は美術品の贋作事件に興味を持ち、いろいろな関連した本を読んできました。その結果、有名な美術館でも贋作を展示していたことがある。あるいは今も展示していることがあることが分かりました。有名な倉敷の大原美術館でも過去にゴッホ、ドガの贋作を展示していたことがあるそうですし、美術館の学芸員も自分の勤める美術館の作品を自信をもって「真作」と言えないことも多いようです。
そして、逆に有名な贋作事件の中には、「真作を贋作とするために仕掛けられた贋作事件」もかなりあることを知りました。もともと古美術業界や美術界の中では、贋作は相手にされないのですからマスコミを動員して贋作事件として公にすることには何らかの意図があることも注意する必要があります。

「ゴッホ」にいつまでだまされ続けるのか―はじめてのゴッホ贋作入門 (YUBISASHI羅針盤プレミアムシリーズ)
さて、『「ゴッホ」にいつまでだまされ続けるのか』です。著者の小林英樹氏は、1947年生まれ、東京藝術大学油画専攻卒で現在は愛知県立芸術大学教授とのことです。小林氏の「ゴッホ」関連の本は、何度か本屋で見かけたことがあるものの、これまで読む機会がありませんでした。
私にとってこの本は衝撃的な本でした。私はこれまで、日本の真贋事件を調べてきて「やっぱり日本の美術界は閉鎖的でダメだな~」と思っていたのですが、この本を読んで日本以外の美術界も同じような状況であることを知りました。

今年も日本にゴッホの贋作がやってきた。その贋作は、東京と京都で開催されるワシントン・ナショナルギャラリー展の目玉としてポスターに大きく掲載され、街をにぎわせている。
一体この国はどうなっているのだろうか。
山紫水明の地、日本ではかつて豊かな文化が育まれ、時代の価値観を反映した優れた芸術作品が絶えることなく生み出されてきたが、それらを可能にしたのは数多くの鍛え抜かれた目利きの存在である。彼らは、秀逸の作品や本物の芸を見極める眼を持ち、一級品を愛し、追求する文化的風土を守り続けてきた。そうして、質のよいものだけが残り、質の悪いものは淘汰されていった。日本にはそういった伝統がある。
小林氏は、この本の中で「左利きの自画像」、「寝室」、「芦屋のひまわり」、「カミーユ・ルーラン」、「ジヌー夫人(オルセー美術館)」、「東京のひまわり」の6点を贋作だと指摘しています。そして、推定される贋作者も特定しています。
この中で、贋作入門編として「左利きの自画像」について紹介します。

自画像は、画家が鏡に映った自分自身を見ながら描くものである。右利きの画家はパレットを左手に持つ。それをキャンパスに描くときは、鏡に映ったとおり画面に向かって左側に描かれる。同様に筆を握る右手はキャンパス上の右側にくる。
一方、他人が描いた画家の肖像画は、パレットを持つ左手は向かって右側に見える。鏡に映った像とは反対である。同様に筆を握る手は向かって左側に描き出されるが、それは握手をするときに差し出す手である。
gogh.jpg「左利きの自画像」は、注意して見たことはありませんでしたが、私のゴッホの絵のイメージに合致した絵だと思っていました。ゴッホらしい顔、太い輪郭線、波打った背景...。これらは、すべて計算されて製作された画だと小林氏は指摘します。小林氏は上記以外にも造形的におかしな点に関する6点の検証を行っており、非常に説得力があります。詳しくはこの本を読んでいただくのがよいでしょう。


本来ゴッホでないものが、貴重なゴッホの一枚の位置に上り詰め、収まってしまうことがある。≪左利きの自画像≫もその一つだ。精神を病むゴッホのイメージの類例がないためにその一枚に需要が集中し、繰り返し研究対象になり、本物のゴッホの世界を曇らせ、歪め、覆い尽くしてしまう。多くの真作やゴッホの精神状態が贋作との関連で論じられるという恐るべき現象を生み出している。

ゴッホに関しては、佐伯祐三や佐野乾山のように本人の作品が贋作とされるような悲劇は起きていないようですが、上記のようなゴッホの世界を歪めていることは確かでしょう。美術に興味のある方には必読の書だと思います。

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ゴッホの遺言―贋作に隠された自殺の真相ゴッホの復活完全版 - ゴッホの遺言 (中公文庫)ゴッホの宇宙―きらめく色彩の軌跡耳を切り取った男ゴッホの証明―自画像に描かれた別の顔の男


藤田嗣治の本は高い! あなたは本を買うためにいくらまで出せますか? 高い本も思わず買ってしまういけない私...。(笑) [美術]

あなたは本を買うのにいくらまでなら出せますか?

私は、Yahoo! オークションで10万円で本を購入したことがあります。もちろん、普通の本ではありません。佐伯祐三が亡くなって初めて出された画集「佐伯祐三畫集 山本発次郎蒐集 昭12年発刊 限定500部 」という稀覯本です。 この本、1937年発刊ですから74年前の本ですので、それなりの古さの本でした。
オークションに出た時、どうしても欲しかったため意地になってせってしまいました。10万円の価値があるかと言われると客観的に言えば「ない」です。(笑) せいぜい3、4万円の本です。
先日、専門の古本屋に買い取ってもらいましたが、お情けで8,000円でした。そんなものですね。

そんな私ですが、昔からそんなにお金を使っていたわけではありません。
10年ほど前は、藤田嗣治の画集を買うのに悩みに悩んだことがあります。

fujitagasyu.jpg藤田嗣治は国際的に評価されている数少ない日本の画家です。彼は1920年代パリでピカソ、モディリアーニ、ユトリロなどとエコールド・パリの寵児として活躍しました。しかし、太平洋戦争時に戦争画を描いた事が理由で戦後の画壇から正当な評価をされていませんでした。現在でも非常にファンの多い藤田ですが、当時の悩みのタネは画集がほとんど無かったことです。これは、藤田の夫人が画集を出すことに対して許可を出さないからだと言われています。(現在は、いろいろと出ていますね。)

藤田のファンである私も彼の画集や過去の展覧会の図録を探していましたが、なかなか見つかりませんでした。しかし、神保町の某古書店でフランス製の藤田の画集を発見しました。(右図) これは2巻ありそれぞれ600ページ以上ある巨大な本です。これは買いだ!と思って値段を見ると第一集が3万円、第2集が2万9千円と非常に高価です。
欲しい、でも高い。悩みました。その日は買わずに帰りましたが、やはり気になって次の週にまた見に行きました。その日はさんざん迷ったあげく買う意気込みで某書店に行ったのですが、結局3万円を払う勇気がなく帰って来ました。
自分の不甲斐なさに打ちひしがれて(笑)、他に安く売っていないかな~と思い、Webで調べたら...何と! 某画廊で新品が19,000円で売っているではありませんか! 何で古書店で新品よりも高く売ってるんだ? と思いつつ早速購入しました。(送料1,000円で計20,000円)
内容はフランス語で書かれているため、教養のない私は読めないためちょっと損した気分ですが、藤田の絵がふんだんに掲載されているため満足しています。

KenzanOgata.jpg最近は、もっぱらオークションやAmazonで買うことが多いため、どうしても出費が増えてしまいます。実際の本屋で2万円払うにはかなりの勇気が必要ですが、Webだと何気なく買ってしまいますよね。(笑)

最近では、佐野乾山関連の住友慎一先生の本が高くて、手控え集は2万円弱~3万円弱します。しかし、乾山関連では、なんと言ってもリチャード・ウィルソン氏の本が超高いです。定価が何と145,000円もします。
まあ、定価で買う人はいないでしょうが、とにかく高いです。実際に内容を見ても、確かに労作であることは間違いありませんが、145,000円の価値があるかと問われれば、私の個人的な意見ですが、「はっきり言ってない!」と断言します。(笑)
せいぜい3万円というところでしょう。
14万円も出すのであれば、この本(4巻セットですが)があれば他の本はいらない、というくらい必要資料を全部載せて欲しいものですが、そんなことはありません。他にもいろいろな本を買う必要があります。
何とか、デジタル出版にするなどして廉価版で出してほしいものですね。(私は買いませんが...(^^))

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「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著 を読む [美術]

ご存じ、人気のTV番組「開運! 何でも鑑定団」でおなじみの中島誠之助先生の本です。

私は「何でも鑑定団」が大好きで番組が始まった当初から楽しみに見ていました。この番組は、1994年から続いている長寿番組で、もう17年もやっているのですね。
この番組で紹介されるまでは、骨董品はともかく、古いおもちゃに高価な値が付いたり、箱があると値段が大きく違うなどとはほとんどの人が思っていなかったので、大げさに言うと日本人の意識を大きく変えた番組と言えると思います。また、古陶磁や掛け軸など古い家には必ずあるようなものにとんでもない値段が付いたりすることがあるとわかり、若い世代になって本当であれば捨てられていたようなものも、一応「もしかしてお宝では?」と考えるようになり、安易に捨てなくなったという意味でも日本の文化に大きな貢献をしていると思います。(いや、本当にマジでそう思っています)

また、司会の島田紳助さんと石坂浩二さんのコンビもベストコンビですね。特に紳助さんの鑑定士への鋭い突っ込みはさすがで、鑑定士の凄さとある意味でのいかがわしさを見事に引き出しています。(「行列のできる・・・」では弁護士たちのいい加減さを十分に引きだしていますね(^^))
それにしても、この番組は17年も続いているということは、紳助さんから「日本一やる気のないアシスタント」と言われていた二十歳だった吉田真由子さんは、●●歳ですか...。(笑)

長寿番組だけあって、鑑定士の横山大観の弟子である渡邉包夫さん、日本のインディ―ジョーンズ安岡路洋さん、前回紹介した瀬木慎一さん、刀剣の鑑定士である柴田光男さんなどが亡くなられました。私は、渡邉包夫さんが贋作の絵に対しての「いけません!」と いうコメントが好きでした。また、渡邉包夫さんの弟子である書画鑑定の石井久吾さんのファンでした。最初の頃だったと思いますが、鑑定に出された絵画に対して、以下のようなやりとりがありました。

石井 「残念ながら贋作ですね。」
紳助 「本当? 命掛けられますか?」
石井 「はい、私ごときの命でよければ。」


石井さんは普段はニコニコしていて物静かな人ですが、何とも腹の据わった人だと感動してそれ以来ファンになりました。

ニセモノ師たち (講談社文庫)
さて、前置きが長くなってしまいましたが、「いい仕事してますね」で有名な中島先生の本です。中島先生は、東京都港区青山に生まれ、子供のころに両親を亡くしたため、養父に育てられたそうです。この養父は茶道具で有名な「水戸幸」の番頭でこの業界では有名な目利きだったそうです。
その養父に子供の頃から鍛えられて、1960年代から骨董商として独立したようです。そして、1976年に南青山の「骨董通り」に古伊万里の店「からくさ」を開き、古伊万里の世界で有名となります。ちなみに「骨董通り」は中島先生が名付け親だそうです。
私の会社の本社が骨董通りに近かったため、ときどき覗いて見た事がありますが、いつも閉まっていました。「からくさ」は、2000年に閉店したそうです。ちなみに中島先生の娘さんである由美さんは、陶磁研究家で戸栗美術館の評議員だそうです。

茶道具から古伊万里、中国陶磁器まで広い分野で切れの良い鑑定と贋作の場合でも依頼者への「思い出の品です。大事にして下さい」などの優しいフォローで有名な中島先生ですが、駆け出しのころに、まんまと騙されたことがあるそうです。

中島先生を騙した悪い奴は誰かと思ったら、井伏鱒二の「珍品堂主人」のモデルとして有名な秦秀雄氏だそうです。秦秀雄氏は戦前、北大路魯山人星ケ岡茶寮を営みましたが、結局喧嘩別れをして独自に目黒茶寮を運営したり、骨董に関しては青山二郎、小林秀雄などと交流があり、「目利き」と言われていた人です。乾山や仁清など有名な作品は9割以上はニセモノですから、物を見なくても「ダメだね」と言っていれば9割以上の確率で当たることになります。しかし、その9割の中に混じっている目の利かない人には分からない「ホンモノ」を見出すのが秦秀雄氏だと言われていました。

知人とともに秦氏の家を訪れた中島先生は、帰り際に玄関脇の部屋の襖が10センチほど開いており、そこに当時中島先生が欲しくて欲しくてたまらないと思っていた「薩摩切子」らしき器が見えました。友人と一度は帰った中島先生ですが、その日のうちに一人で秦氏の家を訪れます。

satumakiriko.jpg「どうした?」と秦さんが聞くから、「先生、あの瓶がどうしても気になるから見せていただきたい」と申し上げると、秦さんは、ハハ―ンという顔をしました。(中略)
私はその瓶を薩摩切子にちがいないと読んでいたわけです。
そうしてその瓶を手に取らせてもらいました。ブルーの色被せでカットガラスの蓋つきの一対、古い箱に入っていて、しかもその箱には「島津家西の蔵」と書いてありました。「これは先生、何ですか?」と聞きましたところ、「これは、きみ、薩摩切子だよ」と先生がおっしゃる。
これが夢にまで見た薩摩切子か・・・・。話には聞いていましたが、一度自分で持ってみたい、扱ってみたいと思っていた憧れの品でした。しかも天下の秦先生が持っているものだから、モノもきっといいにちがいないと思いこんでしまい、どうしてもそれを自分のものにしたくなったのです。
値段を聞いたら、百万円だというんです。
当時、私の家の家賃は八坪で三万円という時代でしたから、百万円は目の玉が飛び出るほど高い買い物です。しかし、どうしてもこの瓶はほしかった。しかもなんとそのカネはあったのです。
「ニセモノ師たち」(P170~171) 写真は薩摩切子です。


そして、百万円を払って手に入れた念願の「薩摩切子」ですが、ヨーロッパ帰りの友人の店の一隅に自分の買ったものと同じ「薩摩切子」が飾ってあるのを見つけてショックを受けました。友人に聞くとそれはフランスの香水瓶で値段は一万七千円だということでした。

つまり古狸である秦氏に、駆け出しの中島先生がまんまと嵌められて騙されたということです。しかし、当時は業者の間での取引では騙される方が悪い、目が利かないヤツが騙されるという不文律がありましたので、中島先生も秦氏にキャンセルすることはせず、「あのときの百万円の痛みが、今日の自分を作ったと思っています」と書いています。
その時の「薩摩切子」は、どうしたかというと地方のオークションで同業者に20万円で投げ売りしたとのことです。私的には、この記載はとてもショックでした。なぜかというと、中島先生がそれ以前に書いていた「鑑定の鉄人」で、

その薩摩切子の瓶は多摩川大橋の上までもっていって、川のなかに叩きこんでしまいました。ちきしょう、ってなもんです。その代わりにO君からそのフランスの香水瓶を買いました。自分へのいましめのメモリアルとして。
「鑑定の鉄人」(P75~76)


と書いてあるのを読んで非常に感激したからです。「さすが中島先生だ! 普通なら捨てたりしないで売り抜けるよな… やっぱり大物は違うよな...」とずっと思っていたからです。そして、中島先生の本はほとんど読み、出ているTVは必ず見るような完全な私淑状態でした。ですので、「ニセモノ師たち」 を読んだ時のショックは言葉では言えないほどでした。(笑)
まあ、今考えると裏読みもせずに本に書いてあることをまともに信じていた純粋と言えば純粋ですが、まあおバカな自分を笑って冷静に見られるようになりました。(^^)
美術業界、特に骨董業界では自分で勉強せずに書かれたものや聞いたことをそのまま信じたりすると、きっと痛い目にあうのでしょうね。それ以来、中島先生への崇拝も解けて冷静に見られるようになりました。

たとえば、この本に書いてある「佐野乾山」に関する記述です。

しかし私はそれを一瞥して、真贋は別としてなんて騒々しい乾山なのだろうかと思いました。乾山はああいうものではない。もっと華やかでありながら、その後には、なにか枯淡の精神が流れているように思っていたからです。(中略)
むろん骨董界のほとんどの人たちは、佐野乾山が「腹に入らない」(納得がいかない)ということで取り扱う人は少なかったようですが。しかし、その決着はいまだについていません。まあ、つけないほうが幸せなんでしょうね。歴史にお任せしましょう。
「ニセモノ師たち」(P259~260)


中島先生は先代から乾山に関して学んだのだと思いますが、結局「乾山とはこういうものだ」というような捉え方しかされていないようです。昭和30年代当時の乾山の本を見ると、現在では真作と認められないような作品が多く掲載されており、乾山の作品そのものの研究も十分ではなかったと感じます。

さて、佐野乾山事件当時、乾山の真贋を判定できる目利きは誰だったでしょうか? 現在なら中島先生と言うところですが、その当時は、骨董の世界に入ったばかりで上に書いた秦秀雄氏に騙される前ですので、残念ながら違うと思います。じゃあ、誰が目利きだったのかと言うと、やはり佐野乾山を認めた森川勇氏、勘一郎氏(如春庵)親子、バーナード・リーチ氏などを上げざるを得ないでしょう。

最近の発掘調査の研究では、乾山が製作した陶器の領域は以前と比べてかなり広いことが分かってきています。50年前の佐野乾山事件当時に考えていた「乾山とはこういうものだ」という狭い領域の中では判断はできないように思います。

現在の目利きである中島先生が、陶磁界のしがらみを離れて佐野乾山の作品をどう見るかに関してはとても興味がありますね。

また、「決着をつけない方が幸せなんでしょうね」というのも、不思議な言い方です。現在、佐野乾山の真贋は明確にされていませんが、業界では完全な「贋作」扱いです。このような状況で、そのままの方が幸せなのは誰なのでしょうか?
少なくとも佐野乾山の所有者でないことは確かですね。
ちなみに、中島先生を騙した秦秀雄氏は佐野乾山は真作であるとの立場でした。

落合先生の佐野乾山関連の情報も ・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む 【佐野乾山に関しては、K's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/)】 ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。人気ブログランキングへ

このブログの目次です。 http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1 やきもの百科―鑑定の入り口 ニセモノはなぜ、人を騙すのか? (角川oneテーマ21 C 135) 骨董屋からくさ主人 (角川ソフィア文庫) 「開運!なんでも鑑定団」の十五年 目利の利目 ホンモノの人生 骨董掘り出し人生 (朝日新書 80) やきもの鑑定五十年―拝見させていただきます


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美術評論家の瀬木慎一を悼む [美術]

今日の朝刊に美術評論家の瀬木慎一氏が死去されたとの記事が載っていました。実際には3月15日に肺炎で亡くなっていたようです。80歳だったとのことです。謹んでお悔やみ申し上げます。

私は瀬木さんのファンだったので、本当に残念です。まだまだ美術界にモノ申すご意見番として頑張って欲しかったです。瀬木さんは、最近はTVの「なんでも鑑定団」の洋画の鑑定士としておなじみとなっていましたが、最近出ておられなかったので残念に思っていましたが、健康がすぐれなかったのですね。

私は瀬木さんの本が好きで、よく購入していました。ぱっと探しただけでも「名画の値段」、「浮世絵世界をめぐる」、「迷宮の美術」、「日本美術事件簿」の4冊が出てきました。あと2,3冊あったと思いますが、本の山の中に埋もれて見つかりません。(‐‐;

名画の値段―もう一つの日本美術史 (新潮選書)
私が一番最初に買った瀬木さんの本は、「名画の値段 -もう一つの日本美術史-」という本で、日本の名画が明治、大正、昭和、平成とどのような値段で売買されていたかをまとめた本で、副題にあるようにまさに「もう一つの日本美術史」と言える本です。私が好きだった、尾形光琳、葛飾北斎、岩佐又兵衛、上村松園などの代表作がどのような経緯で、いくらで取引されたかなどを興味深く読むことができました。

また瀬木さんは、日本特有の事なかれ主義で波風をたてない風潮のある美術界の中で、常に問題提起をしてきた人だと思います。浮世絵の分野で写楽と北斎に関する内容が有名です。

写楽に関しては、あれだけ技術の高い絵師が百数十枚の役者絵を描いて1年あまりで忽然と消えたことはおかしい、有名絵師が名前を変えて出版したに違いない、という「写楽別人説」が唱えられました。能役者の斉藤十郎兵衛が写楽であるとの主張や歌川豊国、歌舞妓堂艶鏡、葛飾北斎、喜多川歌麿、司馬江漢、谷文晁、円山応挙、山東京伝などの絵師が写楽と名乗っていたとの本が浮世絵の専門家、素人を問わずに沢山出されました。
しかし、瀬木さんはそのような風潮に対して冷静に、「写楽は写楽である。『浮世絵類考』の原点に立ちかえってすべてを見直すべき」と主張しました。

次に北斎に関してです。長野県の小布施(おぶせ) に北斎館という北斎の肉筆画を集めた美術館があります。小布施は長野市内からも遠い自然が豊かな場所ですが、一般の人は「どうしてそんなところに北斎の美術館が?」と思うかもしれません。これは小布施出身の高井鴻山という豪農商が、江戸で北斎の弟子となった関係で北斎が83歳の時に小布施を訪れ、以来4度も訪れて絵画の制作を行ったといわれているからです。そして、その時に小布施の町の祭り屋台の天井絵や岩松院の天井絵を描いたと言われています。
この岩松院の天井絵は畳21畳分の大きさがあり、畳の上に寝て見ないと全体が見えないほどの大きさで、北斎最晩年の作と言われています。(お客さんがみんな横になって天井絵を見ているのを傍からみるとちょっと異様です。(笑))

そしてこの北斎館は、小布施町民が所有していた北斎作品の流出に危機感を抱いた小布施町が、作品を町民から買い上げたり貸与を受けるなどして開館したとのことです。私も何度か訪れましたが、なかなか雰囲気の良い美術館です。
瀬木さんは、その小布施町の旧家から、「百」、「天狗」の二種類の8個の紙印が見つかったことを重く受け止めるべきと主張しました。
印というものは、改めて説明するまでもなく、長期の使用に耐えるべきものであり、石もしくは木といった堅固な材料によって造られるのが普通である。そして、画家はそれを大事にし、みだりに使用しない。たまたま、何かの都合で印を携行していなかった画家は、著名のみで済ますか、花押を添えれば足りる。紙による印をわざわざ造るというようなことは、まあ、あり得ない。紙印が造られるのは、贋作用であるのが、美術の世界の常識である。(中略)
実をいうと、私は以前から、小布施町から出た、あるいはそこにある天狗印の作品の不安定であることに気付き、クルミであるとか、氷を石にぶつけたものであるとか、紙印であるとかの地元での伝聞を紹介して、注意を促していた。
このような印が造られたこと自体、特異であるが、それを見てはならないものとして、子孫に伝えられて、永らく隠匿され、ようやく今日、明るみに出されたことも、珍しいケースである。所蔵家の勇気は、特記すべきものがある。すべての北斎研究者は、これに対応しなければならない。
(「迷宮の美術」P130~131)
かえりみて、ここ数年の北斎への熱狂は、写楽へのそれと共に、常軌を逸していた。作品の内容を厳密に検討しないまま曖昧な印象に頼って、一部の疑似鑑定家が無暗に真作の数を増やしていた北斎作品の総点検が今、当然に必要である。紙印の側からのみ、作品の真贋を判定できないことはいうまでもないが、それを有力な手がかりとして作品自体を再検討することは可能であり、ぜひともこの原点に戻って冷静になされるべきである。これを契機に、北斎研究を、遅ればせながら学問の水準に引き上げたいものだと心から念願する
(下線は、引用者) (同 P133 )

瀬木さんは、北斎が四度にわたって小布施を訪れたというのは誇張であり、祭り屋台の天井絵、岩松院の天井絵を北斎が制作したというのは、考え難いと主張します。では誰が北斎の代わりに制作を行ったかということになりますが、瀬木さんは北斎の弟子である葛飾為斎が小布施に来ていた可能性が高いと主張していました。
このように、美術界の流れに迎合することなく、美術研究を学問として行うように主張していたのが瀬木さんでした。

美術雑誌に関係していた知人に聞いた話では、瀬木さんは「美術界の暴れん坊」というような印象だったそうで、「瀬木さんが言うのであれば、しょうがない」というような雰囲気があったそうです。
それだけに瀬木さんに取り上げて欲しかった美術界の問題がまだまだ沢山ある思います。もう少しお元気でいて欲しかったというのが正直な気持ちです。

本当に惜しい人を亡くしました。ご冥福をお祈りいたします。

写楽に関してはこちらもどうぞ。
・写楽は北斎か? 「写楽」問題は終わっていない 田中英道著を読む
・写楽は欄間彫りの「庄六」だ! 「歌川家の伝承が明かす『写楽の実像』を六代・豊国が検証した」 六代歌川豊国著を読む
・江戸美術考現学 浮世絵の―光と影  仁科又亮著 を読む

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浮世絵世界をめぐる西洋名画の値段 (新潮選書)日本美術事件簿西洋美術事件簿瀬木慎一の浮世絵談義
近代美術事件簿名画修復―保存・復元が明かす絵画の本質 (ブルーバックス)国際/日本 美術市場総観―バブルからデフレへ1990‐2009


千利休とその弟子が織りなすドラマ 「利休七哲」 西崎泰正、工藤かずや著 を読む [美術]

今回は漫画です。西崎泰正、工藤かずや著の 闘茶大名「利休七哲」です。
お茶には疎い私ですが、茶道具(特に茶碗)は好きなので興味深く読みました。

闘茶大名利休七哲 (SPコミックス)








Wikipediaなどを見てみると、利休七哲とは、千利休の高弟七名の呼称のようです。
・細川忠興(三斎)
・古田重然(織部)
・芝山宗綱(監物)
・瀬田正忠(掃部)
・蒲生氏郷
・高山長房(右近/南坊)
・牧村利貞(兵部)

この七哲に織田長益(有楽斎)、千道安(利休の実子)、荒木村重(道薫)を加えて「利休十哲(じってつ)」と呼ぶそうです。この本は、七哲だけでなく、十哲を含めて利休を巡る茶人達の生涯を描いたものです。
内容は、以下の通りです。
第一話 荒木高麗と茶人の生涯
第二話 山上宗二の嘆き 侘茶心得
第三話 大徳寺の木像と利休の運命
第四話 蒲生氏郷 最期の意地
第五話 古田織部 貫きし矜持
第六話 織田有楽 戦国を生き抜きし魂
第七話 高山右近 武と茶と信仰の果て
終章 千宗旦

この中で、一番興味深かったのが、第一話の荒木村重の話です。信長、秀吉ともに利休を愛でて茶道を嗜んだことは有名ですが、特に信長は茶道具の大コレクターだったそうです。
有名な所では、松永弾正の一件です。弾正が謀反を起こした時に秘蔵していた茶釜「平蜘蛛」を差し出せば謀反を不問に付すと提案しましたが、弾正は拒否して「平蜘蛛」に爆薬を入れ、自ら火をかけて爆死しました。しかし、茶道具を差し出せば謀反を許すってどういうことなのでしょうね。信長は「平蜘蛛」を手に入れたいために弾正を攻めたようにも思えます。

そして、この本の荒木村重の件です。摂津三十万石の村重に対して信長は謀反の疑いありと十万の兵を挙げて攻め寄ります。荒木村重は、「荒木高麗」という名物茶器を所有していることで有名でした。その価格は現在の価格で約1億5千万円だとのこと。(荒木高麗の画像がないので、イメージです)
kourai.jpg
そして、信長は「荒木高麗」を差し出せば帰参を許すとの提案をしますが、村重は拒否します。家族や重臣たちは、自分達の命よりも「荒木高麗」の方が大事なのか、 と反発しますが村重の決意は変わりません。結局、城は落とされて家族や重臣たちは皆殺しになりますが、村重は「荒木高麗」を携えて、わずかな部下と逃げ落ちます。
この本では、村重は茶人として命がけで信長の手から「荒木高麗」を守ったとなっていますが、私にはこれが本当の茶人の生き方なのか疑問に思いました。名物茶器とは言え茶道具のために家族や重臣たちを犠牲にする生き方を利休が認めたとはどうも納得が行きません。この辺りは、史実がどうなのか気になる所です。

しかし、信長や秀吉などが、黄金ではなく古びた茶碗や茶釜を求めて戦をしていたというのは、とても面白いと感じました。どこまで本当なのか分かりませんが、とても興味深く読みました。

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小山冨士夫と加藤陶九郎の関係は? 「永仁の壺」 村松友視著 を読む [美術]

村松友視氏が「永仁の壺事件」に関して書いた本です。

永仁の壺








永仁の壺に関してはみなさん御存じだと思いますが、簡単に言うと加藤唐九郎氏が作った壺を文部技官であった小山冨士夫氏が鎌倉時代の古陶として重要文化財に認定しましたが、さまざまな疑惑の声が上がり最終的には唐九郎氏が「自分が作った」と認めました。当然、重要文化財の指定は解除され、認定した小山冨士夫氏は文部技官を退官することになります。

その後、唐九郎氏は重要文化財にまで認定されたほどの永仁の壺を作った男として有名になり、何故か4年後の昭和40年(1965年)には毎日芸術賞を受賞するなど名陶工としての道を歩んだようです。ちなみにマンガの「美味しんぼ」の唐山陶人は唐九郎氏がモデルと思われます。
一方、小山冨士夫氏は文部技官を退官後、作陶の道に入り、著作も多かったようです。そのほかにも出光美術館の顧問になったり、東洋陶磁学会を設立したりすることになります。

村松氏はこの本で二人の事件の経緯を綿密に調査して事件の本質に迫ろうとしています。
その中で興味を引いた部分を紹介します。

●「芸術新潮」1960年12月号での青山二郎氏との対談
唐九郎  結局、僕はこう思うんだ。いま問題になっているものは、僕としてできに自信がなかったから銘を入れなかった。もし、銘を入れて、ちゃんと売れば、五倍も十倍にも売れたわけだよ。それが自信がないから、銘を入れなかった。入れなかったから古いものと思われた。技術が下手でも、それが古いものなら値打ちがあるという認識が日本には根強くある・・・これは根強いのだよ。

私も永仁の壺の写真を見た限りでは、「どうしてこれが重要文化財?」という印象を持ちました。それまでの鎌倉期の古瀬戸を見たことがある人にとっては違和感のある壺だと思います。そういう意味で、陶九郎氏のいう「自信がなかったから銘を入れなかった」という発言は頷けるものです。
これだけであれば、小山技官に古陶磁を見る目がなかっただけということになりますが、そんな単純な話ではないと思います。

この対談には、途中から秦秀雄氏が乱入してきます。秦氏は井伏鱒二の「珍品堂主人」のモデルとなったり、北大路魯山人と星ヶ岡茶寮を経営してその後ケンカ別れした人で、いわゆる「目利き」として知られていました。
(鑑定団の中島先生も駆け出しの頃、秦氏に一杯くわされたと本に書いてあります)

  あなた、小山とはずいぶんつき合ったの。
唐九郎   仲はいい。
  小山、すっかりほおかむりしているようだが、どうなんだネ。
青山  いや、あれ、かわいそうだヨ。
  それはかわいそうサ。新聞や雑誌に出ている小山の写真見ても、僕は切ないと思うくらいだ。
青山  唐九郎どころじゃないよ。かわいそうなことは。
唐九郎  それは僕はのんきじゃけどねネ。小山氏はネ...。
青山  だけど、あの空気がいけない。文化財委員会といういやな空気が。それから脱けたらいいのだよ、小山は。
唐九郎  小山氏はわれわれと一派なんじゃ。一派なんだけども、あの中じゃ、どうも動けないのじゃ。

ここでいう一派というのは日本陶磁協会のことで、小山氏も唐九郎氏も日本陶磁協会の仲間でした。日本陶磁協会は社団法人で、唐九郎氏のような陶工や陶磁器の美術商の他に小山氏のように国の文部技官が入っていました。これに関しては、このHPに国会での討論の内容が紹介されています。

美術品で真贋事件で、「国会でも議論された」と形容されるのは佐野乾山事件が有名ですが、1年前に起こったこの永仁の壺事件でも同じ高津議員による追求があったのです。この辺りもよく調べなければ分からない所ですね。

さて、この村松氏の本です。結論は書きませんが、上記のHPの内容や国会での答弁を読むとまだまだ思い切りが足りないような印象を受けますが、真贋事件に興味のある方にはお勧めです。

落合先生の佐野乾山関連の情報も
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む

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真贋青柳瑞穂の生涯 真贋のあわいに (平凡社ライブラリー)やきもの真贋鑑定―ほんもの・にせもの比較図鑑 (学研グラフィックブックス・デラックス)古陶磁 真贋鑑定と鑑賞
天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実真贋・考 (ふたばらいふ新書 (011))


眼の力 夢の美術館―美を見抜く 戸田鍾之助著 を読む [美術]

この本は、月刊誌の『和樂』に2年間の連載した内容を単行本化したものです。筆者は、日本有数の目利きとして知られる大阪の道具商「谷松屋一玄庵」の戸田鍾之助父子で茶道具の名品を手にしながら、その素晴らしさ、目利きの心得について語り合ったものです。

眼の力 夢の美術館―美を見抜く








本書には、著者の鍾之助氏が選んだ「夢の美術館」として26点の名品が掲載されており、鍾之助氏がそれに関する解説をしています。これを見るだけでもこの本を買う価値は十分にあると思います。
・大井戸    喜佐衛門      ・御所丸   古田高麗
・古井戸    老僧         ・青井戸   柴田
・古井戸    六地蔵       ・染付香合  辻堂
・利休茶杓  天正二年春     ・遠州茶杓  くせ舞
・志野     卯花墻        ・志野     羽衣
・光悦赤茶碗 乙御前       ・光悦黒茶碗 雨雲
・粉引     三好         ・黄瀬戸香合 宝珠
・瀬戸黒    大原女       ・伯庵     土岐
・黄瀬戸    難波         ・織部茶碗  菊文
・黄伊羅保             ・薩摩     乃の宮
・伊賀花入  からたち       ・備前花入  太郎庵
・徳利     備前徳利      ・徳利     吹原粉引
・備前     緋襷水指      ・備前     矢筈耳付水指   

私は茶の湯の世界は縁遠く、これらの茶道具はほとんど見たことがないのですが、鍾之助氏の解説とともに写真を見ていると利休、遠州そして、これらの茶道具を使った当時の大名達の世界に触れたような気になります。
やはり名品は、見ているだけでその世界に引きずりこまれるような感覚になりますね。

戸田鍾之助氏の戸田商店は、明治時代の大数寄者で、最大の美術品蒐集家で あった藤田傳三郎(香雪)に出入りして蒐集に尽力したそうです。その膨大な蒐集品は、現在藤田美術館に収められています。

鍾之助氏と子息の博氏が古井戸「老僧 御茶椀」を見ながら見どころを語る場面も出てきます。この「老僧」は、古田織部が秀吉から拝領したと言われている名椀で水戸徳川家の入札で藤田家に収まったそうです。入札価格は大正時代の9万円だったそうですから、今の値段でいうと10億円くらいの価格になります。茶道具の世界でお金の話をするのは無粋かと思いますが、やはり我々庶民の関心はそこですから...。(笑)

茶の湯関連で言えば、昨年末、三井記念美術館で、茶人のまなざし「森川如春庵の世界」に行ってきました。森川如春庵という人は、名古屋の数寄者で、何と16歳にして光悦の「時雨」、さらに3年後の19歳の時にも同じ光悦作の「乙御前」を手に入れた希代の大茶人、目利きと言われた人です。この本にも森川如春庵の名前が何度か出てきます。
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実は戸田鍾之助氏の名前も、この展覧会の図録を読んで初めて知りました。そこでは鍾之助氏が森川如春庵から茶道具に関していろいろと学んだようなことが書かれていました。
私は茶碗が好きなので、光悦、志野、瀬戸黒などを良く見に行っていましたが、この本で大井戸や高麗茶碗、織部、粉引など、まだまだ知らない世界があるのだということを教えてもらいました。

茶道具に関心のある方は必見の本だと思います。

こちらがこの本の元になった本です。(ちょっと高い)
眼の力―美を見抜く









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