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大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。

今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

①力道山との確執
以前、このブログで梶原一騎先生の「男の星座」を紹介しました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04) 最近はKindle版で読めるようになりました。この作品で、梶原先生を取り巻く、太陽である力道山、月である大山倍達を軸に話が進んでいきます。
本篇は、昭和29年12月22日の東京蔵前国技館の力道山VS木村政彦の”プロレス巌流島の決闘”から始まります。ご存じのように力道山の裏切りによって木村が敗北した試合の後、力道山に喧嘩を売った大山倍達が登場します。この辺はおなじみのシーンですね。前半は、この力道山と大山倍達との交流を中心に描かれています。みなさんすでにご存じのように、この二人とも朝鮮半島から渡って来たという過去を持ちます。しかし、この「男の星座」では、力道山の過去は明らかにしていますが、大山倍達の過去に関しては描かれていません。この辺りは、まだ大山氏に対する遠慮があったのかも知れませんね。(上記ブログより)
いろいろな経緯があり喧嘩別れで極真会を離れた梶原先生も真樹先生も大山倍達が韓国出身だということに関しては一言も触れていません。これは、お二人の大山館長に対する最大限の配慮があったのだと思います。
一九五四年七月特別号の『オール讀物』(文藝春秋)において力道山と大山倍達の対談が行なわれた。「サムライ日本」というタイトル通りに、二人は終始日本人として振る舞い、最後まで朝鮮・韓国の話題に触れることはなかった。
この対談は、何かの特集で読んだ覚えがあります。この対談が後に二人が決定的に対立するきっかけになりました。この二人は、同じ半島出身ということで、以前から面識があったようです。二人とも半島出身であることを隠していたことは共通していますが、その徹底度合いがまったく違ったようです。力道山は、朝鮮訛りを徹底的に排除しましたが、大山倍達は五十年以上日本に住んでいたにもかかわらず韓国訛りの日本語を話していました。
しかし、力道山は大山とまったく正反対だった。彼は自らの出自の漏洩を避けることに神経を尖らせ続けた。その異常さゆえに、後年の力道山は精神的な病に冒されるほどだったと言われている。また、そんな彼の意識が自らの死期を早めた遠因であると語る関係者は少なくない。

その二人が冒頭に挙げた力道山と木村政彦との一戦の後に大山倍達が激怒し、力道山に挑戦状を叩きつけ、周囲の人たちに制止されると、その後力道山と一対一の勝負を付けるためにつけ狙ったことが大山倍達の本に書かれています。力道山対木村戦の時、大山倍達が力道山に挑戦したのは、力士出身の格闘技評論家である小島貞二氏の著書に書かれているので、本当だと思っていましたが、その後も力道山を付け狙ったというのは大山氏の本とそれをベースにした梶原先生の「空手バカ一代」に書かれているだけなので、正直言って疑っていました。しかし、本当の話だったようです。
その後も、大山は小島貞二や門茂男が言うように力道山を付け狙い続けた。一九五〇年代頃から大山と親交があり、町井久之のもとで活動していた秋元明は次のように証言する。「大山さんが力道山に挑戦状を突き付けて何度も試合を迫ったのは本当です。大山さんはマスコミの人たちに力道山と戦いたいと吹聴して回りました。それで、この話が大事になってしまったのです。
ただし、「空手バカ一代」を読むと兄と慕っていた木村政彦が力道山にやられたので、その仇打ちという意味付けで描かれていますが、実際の理由は異なるようです。前述の雑誌『オール讀物』での対談での腕相撲が原因とのことです。
すると大山さんの怒りはまだ収まっていないようで、『力道は絶対に許せん』と言い張るので驚きました。大山さんが言うには、ある雑誌の対談で力道山と会ったが、余興として最後に腕相撲をすることになったそうです。互いの立場を立てて引き分けにしようと申し合わせていたのに、記者が写真のシャッターを切る瞬間、突然力道山が猛烈な力を入れて大山さんは負けてしまいました。
つまり、兄と慕う木村政彦の仇打ちではなく、自分のメンツのために挑戦したというのが本当のようです。木村戦も大山倍達との腕相撲の話にしても、力道山があらかじめ決めていた約束を破って自分が勝つという汚いやり方をしたので、大山倍達が「力道山は許せん」となったということのようです。
それに対して周囲の人たちは、どう思っていたかと言うと、
正直、民団関係者のほとんどが実際に二人が戦えば確実に大山さんが勝つし、力道山はプロレスラーとして活動が出来なくなってしまうと信じていました。ただ、そうなると今度はプロレスを興行するヤクザ関係者まで巻き込んでしまいます。ヤクザと揉める方が問題だと小浪さんが言い出して、そこで小浪さんと町井先生と曺(寧柱)先生の間で相談し、何とかして二人を仲直りさせなければならないということになったのです(秋元明)
結局、大山倍達と力道山とのトラブルは、力道山の興行を仕切っている日本のヤクザと朝鮮の建青・民団などの抗争につながる可能性があったため、曺寧柱と町井久之が両者の間に入って必死に和解させたようです。力道山と木村政彦の世紀の一戦において力道山が裏切って勝利した時も木村の後援をしていた暴力団員が力道山をつけ狙ったそうですから、巨額のお金が動くプロの興行というのは複雑なものです。
ちなみに力道山は、ヤクザに対しては常に低姿勢だったそうです。
力道山はヤクザに対していつも低姿勢で媚びるようなところがありました。町井先生に対しても同様でした。
最強のステゴロと言われた花形敬の映画『疵』で「「力道山も恐れた男」として語り継がれる伝説の都会派ヤクザ」と宣伝されていましたが、力道山は花形に限らずヤクザに対しては低姿勢だったようですね。

②学歴詐称の件
大山倍達は、拓殖大学と早稲田大学に通ったことになっています。
大山が拓殖大学に入学したことを疑う人はほとんどいないが、早稲田大学への入学については大山特有の大言であると一笑に付す関係者は多い。
しかし実際には、拓大入学が嘘で早稲田大学への入学は事実だったそうです。普通に考えれば逆だろ? と思いますが、大山館長は武道家としては早稲田大学よりも木村政彦の通っていた拓殖大学の方がふさわしいと考えていたのかも知れません。

③佐藤栄作元首相との関係
大山館長の初期の頃の本を読むと佐藤栄作元首相の写真が出ていたので、子ども心にどのようなつながりがあるのか不思議に思っていました。大山館長は、毛利松平氏の紹介で佐藤大臣のボディーガードをやっていたそうです。
一九六一年、池田勇人内閣で通産大臣を務めた佐藤は念願の首相の座に向けて積極的な活動を開始する。その際、大山は佐藤のボディガードを務めたと言われている。「毛利松平氏の紹介だったということですが、大山さんは一九六〇年代初期、佐藤栄作氏のボディガードをやっていました。それは間違いありません。それで、当時のお金で五百万円以上を極真会のビル建設資金としてもらったと聞いています」(鄭達鉉談)

④真樹先生の『大山倍達との日々』への対策に関して
このブログでも紹介した真樹先生の『大山倍達との日々』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-03-20) に対して、やはり大山館長は激怒していたようです。館長は、小島氏に真樹先生の本に対する反論の本を書かせようと考えていたようですが、小島氏は固辞しました。
「真樹の本に私自身が反論するのは大人気ない。だから、これは私以外の人間が書いた形にしなければならない。そこで小島にその本を書いて欲しいんだ」
私には大山の申し出を受ける気持ちは最初からなかった。私が著者となる書籍で、たとえ大山とはいえ他人の意向に則った幇間のようなものは書きたくなかったからだ。しばらく考えるふりをした後、私は婉曲に断った。大山の再三の要請にも私は首を縦に振らなかった。大山は怒りながらも最後には諦めた様子で、「私の命令を正面から断ったのは芦原(英幸)と小島だけだよ」とこぼし、「それじゃあ、他に誰か書き手はいないかね?」と訊いてきた。
この時、小島氏は郷田勇三氏を推薦したそうですが、結局は当時館長の秘書業務を行っていた北海道支部長の高木先生が書かされることになったようです。

大山倍達、極真会館に興味がある方には必読の書だと思います。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

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大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。


今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

私のように昭和30年代に生れた男たちは、梶原一騎先生原作の「空手バカ一代」に多大な影響を受けてきました。そして、私を含めて多くの人たちは大山倍達にあこがれて、極真会館に入門して空手を学んだと思います。私にとって大山倍達は神のような存在でした。現在では、内容の多くの部分が梶原先生の創作によるものだということが通説になっていますが、その当時は考えもしませんでした。

そして、中学生になると漫画だけではなく、大山倍達に関する本をかたっぱしから読んでさらに大山館長へのあこがれを強くしていきました。しかし大山館長の本を読んで行くうちに子ども心にもいくつかの疑問が湧いてきました。それは、「なぜ本によってこんなに文体が異なるんだろう?」ということです。これは、今考えると何人かのゴーストライターが書いているのだから当り前なのですが、その当時の中学生には理解できないことでした。(真樹日佐夫先生も何作か書いていました)

その他にも気になった(違和感を感じた)点がいくつかありました。
①大山館長は石原莞爾の主催する東亜連盟に加わっていると本に書いてあること。空手と関係があるのだろうか?
②「日本人たるものかくあるべし」とか「日本男児として云々」ということが必要以上に強調されていること。おそらく大山館長はそれほど日本を、日本人を愛しているのだろう...。

この2点に関しては、その後ずっと気になっていましたが、今回紹介する本を読んでようやく納得できました。大山館長の伝説はほとんど梶原先生が創作したような言われ方をしていますが、それがまったく間違いであることが分かります。
大山倍達の人生を辿った私たちの「旅」は、ある意味で巷間に知られる「大山倍達伝説」の反証の連続だった。「伝説」のなかで描かれる大山倍達の姿は、ほとんどが「虚像」だったのである。
 大山は一九五〇年代初頭から、メディアを利用することで「空手家・大山倍達」の偶像化を試み始めた。同時に、大山は自らの手によって、現在も語り継がれている「大山倍達伝説」を創作した

大山倍達は、日本統治時代の朝鮮(現韓国)で生れた「崔永宜」であり、厳格な親に反発して勘当されて日本に渡り「空手家・大山倍達」として大成します。大山館長が韓国人であることは、もうすでに周知の事実であると思いますが、その半生を朝鮮の民族運動にささげていたことはこの本で初めて明らかになりました。そしてその民族運動に関わったのは、大山氏の師匠である曺寧柱の影響でした。
大山倍達を語るとき、避けることの出来ない存在が曺寧柱であることはいまさら言うまでもない。だが、「大山倍達伝説」関連の視点で捉える曺の姿は、多分に「空手家」としてのイメージが強い。しかし、曺の真の姿は「空手家」としてより、むしろ「民族運動家」にこそある。

そして、曺寧柱は、「五族協栄」「民族協和」による民主的な国家運営をするという石原莞爾の思想に影響を受け、熱心な信奉者となります。石原は戦後地元の酒田で病気の療養をしていましたが、GHQにより呼び出されて酒田法廷で証言をします。この時に石原を乗せたリヤカーを引いていた若者の一人が大山倍達であったこと初めて知りました。
しかし、大山倍達には曺寧柱のような思想はありませんでした。
大山には決して民族主義者のような思想もなく、朝連と対決しなければならないイデオロギーもなかった。ただ戦うことに酔っていた。一度に何人を倒せるのか、どの技が敵を倒すために有効なのか……。それだけが大山を朝連との抗争に駆り立てた唯一の理由だった

その当時、在日朝鮮人の民族団体は、共産主義革命を主張し政治的色合いの濃い「在日朝鮮人連盟(朝連)」と民主主義の立場から朝鮮人自身の手で朝鮮建国を目指す「在日朝鮮建国促進青年同盟(建青)」および「在日本朝鮮居留民団(民団)」が対立していて激しい抗争を繰り返していました。
朝連と建青・民団はことあるごとに衝突した。それは「殲滅戦」と言ってもいいほど、徹底した暴力による抗争だった。双方数百人におよぶ激闘に発展することもしばしばで、棍棒や刃物などの携帯は当たり前、ときには拳銃やライフルなどの銃器さえ使われた。もちろん抗争による死傷者は続出し、それは現在、私たちが映画などで観る「暴力団同士の抗争」を遥かに凌ぐ過激さだった。そんな抗争劇が数年間続いたのである。

そのような状況の中、建青のメンバーとして、建青を守るという大義名分を得た大山氏は戦闘隊長としてボクシングや空手を使って自ら抗争に明け暮れ、朝連を相手に戦うこと自体に喜びを感じていました。
前日、MPの出動によって攻撃を阻止された朝連は、建青の完全な殲滅を画策し、百五十名にもおよぶ青年隊を送り込んだ。大山たち応援隊がきたとはいえ、対する建青は朝連の三分の一に満たない五十名程度で応戦することを余儀なくされた。(中略)
大山は意気揚々と朝連青年隊に対峙した。ボクシング、空手で鍛え上げた大山の強さを知らない青年隊は、一斉に大山に殴りかかってきた。なかには棍棒や鉄パイプを持った者たちもいた。ところが、大山は相手の攻撃をものともせず、次から次へと朝連青年隊を殴り倒していった。大山にはもはや武器も通じなかった。この乱闘事件で、大山は数十名の朝連の青年隊員に重傷を負わせることになる。

この時、大山氏は同じ在日朝鮮人である東声会の町井久之と一緒に戦い、その後も交流を持っていました。大山倍達伝説の一つの「戦後ヤクザの用心棒をしていた」という話がありますが、当時は朝鮮人と日本人ヤクザとは敵対していたため、日本のヤクザの用心棒をする可能性は低く、これは町井との関係のことを言っているようです。
朝連との抗争で、町井一派と大山さんが一緒に出ていくと、それだけで朝連は総崩れでした。戦う前に相手は怯んでしまうんです。朝連にとっては大山さんと町井さんの二人が目の上のタンコブだったんです。大山さんと町井さんが朝連の本部に乗り込んでいって、道場破りのように朝連の看板を持ち帰ってきたこともあったくらいです」(鄭達鉉談)

大東亜戦争中は、日本人に同化し、日本人として一緒に戦っていた朝鮮人ですが、終戦後は戦勝国でも敗戦国でもない第三国人として無法の限りを尽くしました。
終戦当時、集団で大手を振る朝鮮人と正面からわたり合えたのは日本人ヤクザや愚連隊だけだった。後に日本最大の広域暴力団・山口組三代目組長となる田岡一雄は、『山口組三代目 田岡一雄自伝〈電撃篇〉』(徳間書店)のなかで次のように記している。《現在ではとうてい考えられぬことであるが、当時はそれほど警察は三国人に対して無力だったのである。三国人の暴虐非道に対して身を挺して楯となり、防波堤となったのは全国のやくざであった。(中略)われわれが率先して治安を守らなければならぬ時代だったのだ》
大山が渡日してから死去するまでの五十数年間のうち、最も「朝鮮人」「韓国人」らしく生きていた時代だ。同時に、自らを日本人として描いた「大山倍達伝説」においては、何よりも隠蔽したい時代でもある。また、皮肉にもこの時代があったからこそ「大山倍達伝説」は生まれたとも言える。何故なら、大山にとっての民族運動は「空手修行」と直結していたからだ。

このような時代に、大山倍達は朝連との抗争という大義名分を得、生き生きと自らの強さを追求していたのです。

まだまだ書きたい内容がありますので次に書きます。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

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超回復など考えずに毎日鍛えろ!「筋トレ虎の巻」- 杉田茂 [格闘技]

今回は、筋トレに関する本の紹介です。
私は大学時代に空手をやっていたので、その当時はベンチプレスやスクワットなど筋トレをかなり頑張ってやりました。空手を止めてからはほとんどやっていませんでしたが、最近ボルダリングをやるようになり、自重中心ですが、また筋肉を鍛えることをやるようになりました。

そして、トレーニングする時にいつも考えていたのが「超回復」に関してです。
「超回復」:筋力トレーニング後に24~48時間くらいの休息をとることによって起こる現象。休息の間に筋力がトレーニング前よりも増加することをいう。超回復の原理を有効に利用することによってはじめて、トレーニング効果が現れると考えられている。(「トレーニングをする前に読む本」石井直方著)
石井氏は東京大学大学院教授で理学博士で、1981年ボディビルミスター日本優勝・世界選手権3位にもなった方ですので、私はずっとこの説を信じていましたし、筋トレをやる人の間ではほぼ常識になっていると思います。要は、2日~3日の休息を取ることによって筋力が大きくなる、筋トレは毎日やってはダメという理論です。

しかし、以前このブログで書いた史上最強の柔道家であった木村政彦のトレーニングを知ってから大きな疑問を持ちました。(大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-08-15
・100数十Kg、200Kgを超える重量で数百回、数千回という単位で延々とベンチプレスを行う。
・寝る前には腕立て伏せ1,000回を日課としていた。
⇒ その結果、ベンチプレス250Kg、ストレートアームプルオーバー90Kg、握力は200Kgを超えていたと言われています。
現在の理論で言えば、毎日ウエイトトレーニングをやるのは逆効果、1日筋トレをやったら2日は休息が必要と言われていますが、上記のような、どう考えてもオーバーワークの木村のトレーニングでどうして鋼のような肉体ができたのでしょうか? もしかすると、現在の筋トレの理論が何か間違っているのではないか、と疑問を感じてしまいますね


筋トレ虎の巻 ハンディ版―指導書には載っていない筋トレの極意を伝授

さて、前置きが長くなってしまいましたが、その疑問に答えてくれるのがこの本です。
著者の杉田茂氏は、1947年大阪生まれ、16歳からボディビルを始め、1972年JBBFミスター日本優勝、1974年に渡米し、1976年NABBAミスター・ユニバース優勝など輝かしい実績を残している方です。

この本で、杉田氏は「超回復」に関して以下のように書いています。
トレーニング関係者を迷わせている元凶が、誰が唱えたのか、「超回復」という理論である。トレーニングによって疲労した筋肉が、48~72時間休息させた後に前よりも強くなっている状態を「超回復」というらしく、この48~72時間の休養を取らずにトレーニングを行っていると、筋肉は大きくならず、やせ細ってしまうというのだ。
私はボディビルを始めた16歳から、現役を引退した42歳までの26年間を振り返って見ると、72時間はおろか48時間も筋肉を休めた覚えがない。
これを超回復理論に当てはめると、私は16歳の頃の58キロの身体のままだということになる。こんな考えがまかり通って、もっともらしく語られていれば、初心者ならずとも、トレーニング・プログラムを作る段になるとナーバスになってしまうのも無理はない。
そして、もう一つ同じような話ですが、最近いろいろなスポーツのトレーニングでよく言われる「オーバートレーニング」に関しての話です。
オーバートレーニングという言葉はトレーニングの専門誌でよく目にするし、陸上競技の長距離などでオーバートレーニングが元でスランプに陥り、低迷を続けている選手の話を聞いたことがあるが、ボディビルダーで実際にオーバートレーニングになった人などいるのだろうか--という疑問だった。
というのも、我々の時代のボディビルダーのトレーニング量は、今のボディビルダーからは考えられないほどのものをこなしていた。
私の前年のミスター日本である末光健一さんは、1日100セット以上やることで知られていたし、ライバル関係にあった私も、末光さんに勝つためにはそれ以上のセット数をやらねば、と思っていた。事実、それを実行していた。(中略)
それによって我々がオーバートレーニングに陥ったかというと、答えはNOである。
つまり、われわれのレベルで少しくらいハードなトレーニングを続けたってオーバートレーニングになんかならないよ、と言う事です。そして、オーバートレーニングを心配する人に対しては、
『論より証拠』と考えて、一度、翌朝あごも上がらなくなるほどトレーニングをしてみたらいい
と喝破しています。
この杉田氏の本を読むと、「超回復」や「オーバートレーニング」理論というのは、誰かが自分のライバル達に自分よりも練習させないように広めたガセネタではないか、と思えてきます。(^^)

さあ皆さん、何も心配しないで毎日ハードなトレーニングを続けましょう!(笑)

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「わが師 大山倍達」 高木薫著 を読む [格闘技]


わが師大山倍達―1200万人への道
大山館長に関する本です。

これは、真樹先生の「大山倍達との日々」が出された後、しばらくしてから出版されたもので、明らかに真樹先生の本に対抗するために出された本です。著者は、北海道支部長であった故高木薫先生です。

私は、北海道の地方支部に通っていましたので、高木先生の孫弟子ということになります。直接指導を受けたことは数えるほどですが、北海道大会がある時には札幌まで手伝いに出かけました。
その当時、高木先生は、千葉真一さん、真田広之さんと交友があり、大会の時にはよく来られていました。私が大会の受付をやっていた時、大柄な髭を蓄えた男が「千葉です!」とやって来た時は驚きました。ちょうど映画「戦国自衛隊」の撮影の時期だったらしく、そのままの服装だったと記憶しています。

高木先生は、城西大学で極真空手を始め、本部道場にも通うようになりました。大学の先輩に添野義二氏、後輩に三浦美幸氏がいます。昭和45年に大山館長に言われて支部を作るために北海道に渡ります。当時は、「空手バカ一代」の連載が始める前で、国内支部も黒崎健時氏の成増道場、真壁忠氏の秋田支部、芦原英幸氏の四国支部、添野義二氏の埼玉支部しかなかった頃です。

さて、なぜその高木先生がこのような本を書くことになったのでしょうか?
おそらく、真樹先生の本( 「大山倍達との日々」)が出たことで、ウィリーの片八百長の話や大山館長の武勇伝に関する疑惑など、体面を非常に気にする大山館長にはかなりショックだったのだと思います。そして、当時北海道支部長でありながら、なぜか館長の秘書のようなことをやっていた高木先生に、この本に対抗するような本を出すように強い(逆らえない)依頼(指示)があったのだと思います。

この本は、「第一章 大山倍達・神の手の軌跡」、「第二章 歴史は語る ―― 極真会館秘話」 と前半は、大山館長の伝説に関して書かれており、第三章 に高木先生の極真会館での修行、北海道での道場立ちあげの苦労などに関して書かれています。そして、「第四章 極真を去っていった同志たち」、「第五章 梶原一騎氏と真樹日佐夫氏」と続きます。
前半部は真樹先生の本で明らかになった、大山館長関連の神話の疑惑に関して、それを払拭するために書かれたような内容で、まあそれほど面白い内容ではありません。(^^)
後半部は、高木先生の修行時代から北海道支部を立ち上げるまでの苦労や、芦原氏、添野氏など極真会去った人たちとの思い出が書かれており、とても興味深い内容です。その中で、私が面白いと思った内容を紹介します。

1)芦原英幸氏、添野義二氏の件
高木先生が、大学時代に四国の芦原氏の道場で合宿をやった時の話です。
八幡浜に着いた私を芦原先輩は歓迎してくれた。酒の好きな私をもてなしてくれ、空手談義に花を咲かせながら先輩も私もだいぶいい心持ちになってきた。しかし、酒の強い私ではあったが、その夜はあまり深酒するわけにはいかなかった。明日の朝、東京から遅れてくる添野氏を八幡浜の駅まで迎えに行かなければならなかったからである。いい加減、酔いが回ってきたところで私は芦原先輩に言った。
「先輩、そろそろ寝ましょうよ。明日は、添野先輩を迎えに行かなきゃなりませんし・・・」
すると、
「いいよ、いいよ、あんなの放っときゃ一人で来るから」
と芦原氏。私もついついその気になり、深夜まで先輩に相手をする羽目になってしまった。そしてとうとう、添野先輩を迎えに行くことも忘れて、深酒をし朝方まで寝込んでしまったのである。
この時の合宿には、山崎照朝先輩も合流していた。
翌朝、合宿の電話のベルがけたたましく鳴った。私は、「しまった・・・」と思った。私宛の電話と聞いて受話器を取ると、案の定、添野”先輩”からであった。
「誰一人いないとはけしからん。高木、お前、今すぐに迎えに来い!」
私は慌てた。「放っときゃいい」と言っていた芦原先輩も慌て、山崎先輩も慌てた。城西大学の全員数十名をつれて、私たち三人は八幡浜駅へと急いだ。
私はこれを読んで、「芦原さんは、添野さんより先輩なのに、どうしてそんなに気を使っているんだろう」、「添野さんも先輩を呼びつけるとはどうなの?」と素直に思ったものでした。
しかし、この本は、真樹先生や芦原氏、添野氏など極真会を去った人たちをさりげなく貶めるのが目的の本であると思われますので、このまま素直に受け取るべきではないでしょう。少なくとも、「一日でも早く入門したら”先輩”」であり、上下関係の厳しい極真会で、上に書いたような芦原さんと添野さんの対応には、信じられないほどの違和感があります、とだけ書いておきます。

②真樹先生のお見合いの件
梶原先生は、大山館長と姻戚関係を結ぼうと考えていたように書かれています。
くわしい事情は私にも書けないが、また過去において梶原氏は、総裁のお嬢さんを真樹氏と結婚させ、総裁と姻戚関係を持つことによって「極真会館二代目館長・真樹日佐夫」、「三代目館長・梶原一騎長男」とういう構想を抱き、総裁に持ちかけたこともあったようだ。しかし、梶原氏からのこの話があってのち、大山総裁が真樹氏の”身辺”を調査してみると、「義理の息子に相応しからず・・・」という結論に達せざるを得ない行いが次々と出、この縁談(?)は結局、立ち消えになっていった。
これも、かなり真樹先生のことをひどく書いていますね。 以前書いた「大山倍達との日々」の内容で、あえて紹介しなかった件がこの件なのですが、高木先生がここまで書いているので、書いちゃいます。
「大山倍達との日々」は、月刊誌であるカラテマガジンに連載されていた内容がベースになっていますが、真樹先生が大山館長の三女とお見合いをした件に関しては、本の方には掲載されませんでした。真樹先生としては館長に対してかなり気を使ったのだと思います。
その当時、館長の娘さんはまだ18歳だったと記憶していますが、結局真樹先生には、当時付き合っていた女性がいたため先生の方から断わったそうです。先生は、奥さん以外に19歳年上の女性を亡くなるまで面倒をみていたことから分かるように、基本的に年上の女性が好みのようです。付き合うにしても20歳以上でなければ、とも思っていたようですので、可愛らしい館長の娘さんであっても断わらざるを得なかったのでしょうね。
真樹先生の小説には、主人公の通っている道場主の娘が主人公を思いつめた眼差しで見つめてくるような場面がよく出てきますが、おそらくこの当時の状況を反映しているのだと思います。
また、「マス大山カラテスクール」の広告に、真樹先生の紹介として、「大山倍達の後継者」との記載があり、その状況を知らなかった私としては、「真樹日佐夫って、『ワル』の原作者なのに、どうして?」と不思議に思っていました。

③梶原先生の漫画に高木先生登場の件
梶原先生の原作の劇画に高木先生が登場した事があります。
正直言って私としては、この両名(注:梶原先生と真樹先生)のことについてはあまり触れたくない。両氏に対し、嫌な思い出が一つあるからである。 『ボディーガード牙』というタイトルで、梶原氏がさる週刊誌に連載している時であった。主人公は大山倍達総裁をモデルにしたものであったが(仮名で)、そのなかに「北海道の高木」という人物が ”実名” で登場した。作品中に出てくる私「高木」は、「支部を七つも八つも持って商売だけうまい」とか「女性に色目を使っている」とか、何ともシマラナイ役であった。
これには、さすがに私も我慢ならなかった。実名で作品を書いているところから、梶原氏が大山総裁の義兄弟であることも忘れて、氏の事務所へ乗り込んでいった。そこには、弟の真樹氏もいた。両名は、
「やあ、やあ・・・」
と私を迎えたが、「何がやあやあだ・・・」と私。両名は震えていた。以後、その週刊誌の連載から、二週間にして私の名前は消えた。
この雑誌を私はリアルタイムで見ていました。その当時、北海道支部に通っていましたので、この本を本屋で立ち読みをした時は、ぶっ飛びました。(笑)
「北海道の高木って・・・」他にいないでしょ...
梶原先生の意図は分かりませんが、さすがにちょっと酷いな~と思いました。
まあ、高木先生が殴りこんで行ったとしてもケンカ好きな梶原先生と真樹先生の二人が喜ぶことはあっても、「震える」ことは絶対にないと思いますが...。
もしかすると、高木先生はこの件を大山館長に訴えたのかも知れませんね。

極真会館に関して興味がある方にはお勧めの一冊です。

それ以外の真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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マス大山カラテスクールBOX(7冊セット)真樹日佐夫の百花繚乱交遊録絶対に勝てるケンカの手順―実戦対応最新版 (BUDO‐RA BOOKS)哀しき空手王格闘家は女々しい奴が9割
すてごろ懺悔―あばよ、青春

達人の神技は誰にでもできる? 「重心力を極める武術のコツ」 長野峻也著 を読む [格闘技]


重心力を極める武術のコツ (アスペクトムック)
武道研究家の長野峻也氏の本です。
長野氏は、長年にわたっていろいろな武術を研究しており、その成果を「武術」シリーズとして本に書いています。私も長野氏の本は好きで、本屋で見かけると必ず買っています。

この本は、その「武術」シリーズの集大成とも言える本です。
この本にはDVDが付いており、これまで長野氏が文章で書いていた秘技を素人の女性が実際にやって、大の男が吹き飛ばされてしまうという内容が収録されています。

これまで「達人の神技」と言われていた技を、長野氏は長年に渡って試行錯誤して体得しました。しかし、その技のコツを教えると誰でも簡単にできるということも分かったしまったのです。(笑)(DVDに出演している女性もぶっつけ本番でやったそうです。)

DVDに収録されている内容は、以下の内容です。
1.発勁 ・ 合気 ・ 化勁 : 合気揚げ、指合気、三人合気揚げ、ウナギ抜け、呼吸投げ
2.応用技法 : 沈身の打撃練習、沈身の応用(下段払い、ローキック・前蹴り)
3.武器術 : やり、居合、無刀捕り、ナイフ捕り
4.補足 : 演武会より

長野氏は、「神技は見世物芸」だと書いています。確かに空手でも、瓦割やブロック割りなど、普段普通の人は絶対やらない(実際にどの程度難しいか分からない)演武を行い、アピールしていますよね。私もブロック割りは何回かやったことがありますが、実際には、割れやすいように乾燥させたりいろいろな苦労がありました。(笑)
一般的に神技と言われている技も、この本のDVDを見ると、コツが分かればできそうな気がします。

天下無敵と言われた武術家にも、実は負けた話はいくらでも伝わってきます。
名人、達人と称賛されていても、「生涯に一度も遅れを取ったことはない」という道理はありません。宮本武蔵にさえも、負けた話、対戦を避けて逃げた話はあります。
「最後の合気の名人」と武道界の一部で言われていた佐川幸義先生は、自らの技をビデオ撮影させることを決して許さなかったそうです。
その理由は、「気の利いた人間がビデオを分析すれば合気の秘密に気づいてしまうだろう。そうすると、通じなくなってしまう」ということでした。

そう言われると夢が無くなってしまいますが、そんなものかも知れませんね。そのため、昔の武道家達は、対戦まで自分の得意手を絶対に明かさなかったと言われています。
この本の宣伝動画を追加します。

おまけとして、日野晃氏の動画も。


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ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2 [格闘技]


芦原英幸正伝

前回紹介した本ですが、芦原氏以外についても他にもいろいろと興味あることが書かれているので紹介します。

●柳川次郎との関連について
以前、このブログで柳川次郎と芦原氏に関連したことを書きました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-25) ここで紹介した真樹先生の本では、柳川氏の名前を聞いただけで、震え上がる芦原氏が書かれていましたが、これもどうやら事実とは異なるようです。
柳川は本部時代から芦原に目を掛けていた。若い時代、関西の裏社会をたった一人で震撼させたという様々な伝説や武勇伝を有する人物だが、芦原の罪のない天衣無縫なやんちゃさに、柳川は若き日の自分を重ねていたのかもしれない。
「お前は私に似ているから・・・。だけど筋だけは外しちゃいけないよ」 そんな戒めの言葉を受けたと芦原は言った。(中略)この日まで少なくとも芦原と柳川は「大山先生より柳川先生が本当の師やった」と芦原が述懐するような関係にあったということだ。(下線は引用者が追加)
ここで書かれている柳川氏と芦原氏の関係を見ると、上記ブログで紹介した真樹先生の記述には違和感を感じます。この本に書かれているような関係であれば、柳川氏が気にいらないことがあれば、直接芦原氏を叱りつけることが自然だと思います。
実は、この真樹先生の「血と骨」という本ですが、以前から不審に思っていました。この本は短編集なのですが、空手や武道関連ではなく、普通の小説の中に「余生」という柳川氏と芦原氏のことを書いた短編が入っているのです。おそらく武道関係者は、誰も読まないような本です。ですので、読み直す度に違和感を感じ、「真樹先生は誰に向けてこの小説を書いているのだろう?」と常々思っていたのです。
この小島氏の「芦原英幸正伝」を読んで、この「余生」は真樹先生が「誰か」に、芦原氏を貶めるような文章を書いてくれと頼まれて仕方なく書いた短編ではないかと考えました。真樹先生としても気が進まないが、立場上断る訳にもいかないので、武道関係者が読まないような普通の小説の短編集に埋め込んだのではないでしょうか。(あくまでも私の推論です)

前回のブログで紹介した、支部長会議で芦原氏が大山館長に詰め寄った時に、柳川氏が芦原氏を諫めました。
「芦原、もうやめんか。如何なる場でも、如何なる時でも自分の師匠や親分に食ってかかるのは仁義に外れた行為や。師弟関係は親子も同然やないか。お前が今やっていることは、仁義に生きる世界なら万死に値する最低の行為なんや。場をわきまえんか」
一瞬我に返った芦原だが、もう止めることはできなかった。芦原は柳川に向かって「先生との縁もこれまでちゅうことですね。先生は館長の味方やもんね。ワシは今から先生のカタキになるちゅうことですわ。好きにしたらええ」と言い放つと、会場を後にした。

大山館長の右腕として、大山道場の時代から館長の元にいた黒崎健時氏のコメントです。
「弟子が師の悪口を言うのは許されないことで、私のように若い頃から仁義を重んじる世界にいた者にはよく分かっていることです。だがそんなことさえ綺麗ごとに思えるほど、私にとって大山は何一つ師らしいことをしていないんです。要は喧嘩ができない大法螺吹き。空手では私より強かったとしても、人間としてはあんなに外見と違って臆病な男はいませんね。右翼の世界、極道の世界、武道の世界など、『漢』を売りものにする世界では最低な人間です。」

●正道会館について
芦原氏が極真会を除名になった後、芦原氏の弟子だった石井和義氏が正道会館を立ち上げて、極真会館のコピー(パクリ)としか思えないスタイルで急激に勢力を伸ばしました。それに関して、雑誌「フルコンタクトカラテ」などの編集長だった山田英司氏が疑問を唱えます。
怖いよなぁ、あのケンカ十段を敵に回したクーデターだぜ。(中略) 大阪の梅田の近くでさ、ビルのなかだけどヘビーサンドバッグなんて十基も吊るしてあるし、だいぶ金がかかっているんじゃないかな。それに選手や指導員を引き抜くのに億単位の金が動いているとも聞いてるよ。だって、ついこの前できたと思ったらもう全国にたくさん支部があるんだぜ。(中略) そんな感じでカップヌードルのようにどんどん支部長作って芦原会館潰しに動いているってもっぱらの噂なんだ。

その後の正道会館の躍進は、みなさんご存じの通りだと思います。芦原氏を裏切り、極真会館とももろに対抗する組織でありながら、大きな妨害を受けることなく躍進した裏には大きな闇の力と巨額の金が動いていたというのが小島氏の見解です。

●芦原氏の病気に関して
芦原氏は、1988年に一番頼りにしていた愛弟子である二宮城光氏と決別します。そのことが芦原氏に与えたショックは大きかったようで、精神的にかなりのストレスが溜まっていたようです。また、その他にも会館の運営や子供の教育などストレスの原因は多かったようです。
1991年、芦原氏はALS(筋委縮性側索硬化症)を発病し1995年4月に死去します。この病気は、全身の筋肉が急激に衰えて行く病気で、原因は分かっておらず、現状では治療方法も対処療法しかないようです。自分の強さに絶対の自信を持っていた芦原氏の最後が、このような病気で終わるとは、何とも残酷な運命とした言いようがありません。一日一日落ちている自分の筋力を芦原氏はどのような気持ちで捉えていたのでしょうか?
本当に残酷なシナリオだと思います。

その他にも書ききれない内容が満載の一冊です。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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大山倍達の遺言大山倍達正伝芦原英幸伝 我が父、その魂拳王―復讐 Revenge (BL NOVELS)格闘家に告ぐ!実戦格闘技論ストーカー、痴漢、通り魔、強盗…女性がキケンから身を守る24の方法

ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1 [格闘技]


芦原英幸正伝
梶原一騎先生の「空手バカ一代」の後半の主人公として活躍した「ケンカ十段」芦原英幸氏に関する本です。

著者の小島氏は、早稲田大学の同好会で極真空手を学び、卒業後に福昌堂に入社し「月刊空手道」の編集記者となります。そして、極真会を除名されてマスコミから遠ざかっていた芦原氏や極真会館の大山倍達館長と深く交友し、特に大山館長とは最晩年まで交遊が続きました。著書に「大山倍達正伝」、「大山倍達の遺言」などがあります。

小島氏は、芦原英幸氏に関しては、2008年に「芦原英幸伝 わが父 その魂」を出しましたが、共著者である芦原氏の息子である英典氏と意見の相違が生じ、それに関してアンチ小島派から猛烈なバッシングを受けました。そのため、この本のAmazonの書評を見てもアンチ小島派の意見が多く出されています。

私は、昔から小島氏の本は好きだったので、アンチ派のバッシングを醒めた目で見ており、早く次の本が出ないかと心待ちにしていましたので、この本を本屋で見つけた時はすぐにレジに走って読み始めました。いろいろと批判はあるのでしょうが、小島氏の本には大山館長や芦原氏に関して、小島氏にしか書けない内容が詰め込まれており、私としては多くの人に読んで欲しいと思っています。

さて、「空手バカ一代」を読んでも分かるように、四国に行っていた当初、芦原氏は大山館長にとってかわいい愛弟子でした。同じく、大山館長の愛弟子であった真樹日佐夫先生の本から引用します。
「近いうち、面白い男に会わせられると思うよ」
と彼が言い出した。
「ほう、誰です」
「芦原といってね、愛媛支部長として派遣して二年になるか」
それが私が芦原英幸の名前を聞いた最初である。
「四国といえば、かの少林寺拳法の本場じゃないですか。支部活動も、さぞやりにくいことだろうな」
興味をおぼえて身を乗り出す私に、大山は微笑し、
「それが、どこ吹く風といった按配らしいんだ。細心な反面、底抜けに豪胆な男でねえ。なかなかの男前でもあるし、真樹さんとは気が合うと思うが」
と、いかにも愉しげな風情であった。(「極真カラテ二十七人の侍」より)

そのように良好な関係であった大山館長と芦原氏ですが、「空手バカ一代」の後半の主人公になったことで、その関係のもヒビが入ってしまいます。大山館長にしてみると、自分の半生記として始まった「空手バカ一代」の主人公がいつの間にか芦原氏になってしまった、しかも大人気、という何ともやり切れない気持ちになっていたようです。また、芦原氏と同じように、このマンガに登場した添野義二氏や山崎照朝氏らと出してもらえなかった極真関係者達の間で、嫉妬ややっかみによる感情的な縺れも生じたようです。
やはり、あの芦原への除名処分は行き着くところ、大山の嫉妬が全てだったと。同時に大山の嫉妬を誘発させた芦原の破天荒な言動の数々が、縦社会の枠をはみ出していたという事実も認めなければならないだろう。
具体的には、若い頃から芦原氏と親交のあった小倉正一郎氏のコメントを見ると分かります。
あの当時館長相手にため口をきいたのは芦原先輩しかいませんでしたよ。大山館長の悪口も、というより不満ですが、日常茶飯事で・・・。しかもわざと館長に聞こえるように言う。それが先輩なんです。

その結果、芦原氏は1980年9月8日に大山館長から永久除名処分を受けます。それに先立つ3月9日に京王プラザホテル42階で開催された緊急全国支部長会議の席上、芦原氏除名の緊急動議が出されます。(このために開かれた緊急全国支部長会議でした)

この時、芦原氏は大山館長に歩みより、
館長、ワシがこの窓割ると言っちょるんです。こんな腰抜け支部長は置いといて、館長が芦原を外に放り出してくださいよ。アンタ「牛殺しの大山」と言われちょるんでしょ。何頭もの牛を殺したんでしょ。熊も退治したって聞いてますけん、ワシみたいなヒヨッ子潰すなんて簡単やないですか。破門だ除名だ手回しのいいことせんでも、今ここで決着をつけてください。
と挑発したそうです。
そのような経緯で除名になった芦原氏ですので、大山館長は芦原氏については、
芦原は弱い奴しか相手にしなかったから、強豪が集結する全日本から逃げた

というようなことを公言していたそうです。しかし、実際には違ったようです。
芦原氏自身は出場する気でいたのですが、「25歳以上は審判」ということで、出場できなかったそうです。(大山館長が芦原氏を出したくなかったようです)

また、オランダ支部から巨漢の強豪カレン・バッチ(190cm、100Kg)が来た時、本部の指導員メンバーは総なめにされ、唯一対等に戦ったのが、藤平(リングネーム:大沢昇)氏だけだったと言います。当時指導員だった盧山初男氏もボロボロにされて、その後、一時極真会館を離れることになります。そのカレン・バッチに対して大山館長は、四国から芦原氏を呼んで戦わせて、空手の本家の威信を保ったのですが、
カレン・バッチに勝ったのは藤平だけ。芦原なんて逃げ回っていたよ
とコメントしていたそうです。

最後に、歴代の日本チャンピオンとの組手について、佐藤俊和氏(第8回大会優勝)のコメントを紹介します。
私の時もそうでしたし、盧(山)先輩(第5回大会優勝)も三浦先輩(第4回大会優勝)も芦原師範には散々な目に遭わされました。でも芦原師範には憎しみとか怒りとか、そういった感情がないんです。可愛い後輩に稽古をつける程度の気持ちしかない。だからやられたほうもあまり根に持たないんですね。(()内の補足は引用者が付加しました)

芦原英幸ファン、極真フリークには必読の書だと思います。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
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ニコラス・ペタスの「SAMURAI SPIRIT」 最強の武道とは何か ニコラス・ペタス著 を読む [格闘技]


最強の武道とは何か (講談社プラスアルファ新書)



「大山倍達の最後の内弟子」と言われたデンマーク出身のニコラス・ペタスがNHKの「SAMURAI SPIRIT」に出演し、極真空手やK-1での格闘技経験を生かして、さまざまな武道を体験したことに関して書いた本です。


その体験した武道は、以下の6つです。
①空手(沖縄空手)
②柔道
③相撲
④合気道
⑤剣道
⑥弓道

この中で、私にとって一番興味深かったのが、④の合気道です。
というのは、大学で極真空手を学んでいた私には同じ大学で演武を行っていた合気道(大東流)が、格闘技としてどう見ても強そうに思えなかったからです。しかし、極真会館の二代目館長である松井章圭氏が大東流佐川先生の奥義を受け継いだと言われている木村達雄氏の道場に入門して、いとも簡単に吹き飛ばされたという話を松井氏の自伝で読み、大変興味を持っていました。そして、今ではYouTubeなどで見られる養神館の塩田剛三氏や六方会の岡本正剛氏などの神技を見ると、その素晴らしさに本当に魅入ってしまいます。

そのペタスの合気道体験は、動画でみることができます。


この動画では、合気道養神館の塩田館長の演武の画像を見てペタスが鼻で笑って、「Come on!」、「No way!」と言っていますが、どうも番組の演出だったようです。ペタスがデンマークで空手を学んでいた時の憧れの三人の武道家がいました。それが、極真会館の大山倍達館長、沖縄空手の船越義珍先生、そして合気道の植芝盛平先生だったそうです。番組を見る時は、演出があることを認識して見なければなりませんね。
それにしても、ペタスが合気道の師範に良いようにあしらわれているのを見ると、合気道の奥深さが分かりますね。

そして、空手の章では、同じ極真会館で全日本大会を実に五回優勝した極真の顔である数見肇氏が紹介されています。現在は極真を離れて自分の道場を開き、沖縄空手を学び、そこで行きついたのが「型」であると言っています。これも意味深ですね。
「空手は型だと思います。空手の技は型からくるものですから」
「試合はある意味で非日常です。でも、一番いいのは日常のなかで空手が活かされること」

数見氏は、沖縄空手の宇城憲治氏に教えを受けているそうですね。

それ以外にもペタスが、体当たりでそれぞれの武道で投げられ、吹っ飛ばされて、その凄さを実感したことを率直に書いています。ペタスという、極真、K-1で実績のある格闘家が体験するから、その武道の凄みがよりリアリティーを持って伝わってくるのだと思います。

「格闘技やスポーツと武道は違う!」ということを改めて考えさせられる本です。
武道・格闘技ファンには、必読の書だと思います。

極真空手関連は、こちらもどうぞ。
・大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む
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一撃の拳松井章圭極真 新たなる歩み空手 (Jスポーツシリーズ)DVD>第17回全日本空手道選手権大会 激戦43番 (<DVD>)
合気道 絶対に崩せる「無力化」の手順 君にもできる「抜き」の技術(DVD付) (BUDO‐RA BOOKS)
沖縄空手も合気道も本当はこんなに強かった (達人シリーズ)
合気道と中国武術はなぜ強いのか? (BUDO‐RABOOKS)
合気道 「抜き」と「呼吸力」の極意―相手を無力化する神秘の科学 (BUDO‐RA BOOKS)
氣の呼吸法―全身に酸素を送り治癒力を高める (幻冬舎文庫)

梶原一騎先生の遺作 「男の星座」 梶原一騎原作 を読む [格闘技]

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昭和のマンガ界のドンであった梶原一騎先生の遺作となった本です。
このマンガは連載当初、「空手バカ一代」などのマンガでは書けなかった事実を描くとか、これまでの女性関係を明らかにする、などのアオリ文句が書かれていました。当時、梶原先生と噂のあった女性達は、内心ビクビクしていたそうです。(^^)

梶原先生は、「巨人の星」や「明日のジョー」、「愛と誠」などで、私たち昭和世代のものたちを夢中にさせてくれました。その後、「空手バカ一代」で、当時ほとんど無名だった大山倍達館長を主人公とした一代記を世に問います。同時期に、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」が大ヒットし、この当時、学校で空手やカンフーのマネをして遊ばなかった中学生、高校生はいなかったのではないか、というほどのブームとなりました。この「空手バカ一代」のブームで、当時は異端視されていた極真空手=フルコンタクト空手(実際に突きや蹴りを相手に当てる)が人気となり、今では空手界の主流となりつつあります。

その後、梶原先生は、少年マガジンに連載した「四角いジャングル」でマーシャルアーツのべニー・ユキーデやアントニオ猪木などを登場させ、マンガで実際の格闘技の宣伝や解説をするという、これまで無かった「メディアミックス」を実現させました。これは、例えば「四角いジャングル」でアントニオ猪木が闘う試合に関して、対戦相手の紹介や裏話を解説して盛り上げるというもので、極真会館の真樹日佐夫先生や故芦原英幸氏を登場させて、二人の会話で読者に説明をするという、今考えるとトンデモナイものです。(^^)
当時は真剣になって読んでいましたが、振り返って見ると、いかにもイカガワシイ話であふれていました。梶原先生の作品は、いくつかの実際にあった話にフィクションで大盛りして膨らませるという手法を取っています。そして、その決め文句が、「もしこの話を疑うのであれば、●●を確認してみればよい」と断言します。この●●は本当にあった話ですので、ナルホドといって騙されてしまうのでした。(笑)

さて、本題の遺作である「男の星座」ですが、これまでに書けなかった事実を書くと言いつつ、実際にはこれまでの梶原先生の作品と同様にかなりのフィクションが含まれているように思えます。しかし、私はそれを否定しているわけではありません。事実を淡々と書いただけでは、盛り上がりのない読んでいて面白くない作品にしかならないと思います。そんな昭和の純文学のような作品を梶原先生の読者も望んではいなかったと思います。(少なくとも私は...)
思えば4分の1世紀 ― 25年の余にわたり梶原一騎は劇画の原作を書いてきた。
そして、このたび「引退」を決意した。理由は今更クドクド言わぬ。思うところあって、と日本語には奥行き深い表現があるではないか。あえて一言だけ残すなら、あの百恵チャンや都はるみだって退き際を知っていた、いわんや男一匹・・・。
とにかく、これが劇画原作者・梶原一騎として最後の作品になる。題して ― 一騎人生劇場・男の星座。さよう、完全なる自伝である。(中略)
従って力道山が出てくる、大山倍達が登場する、A・猪木もG・馬場も2人のタイガーマスクに至るまで。(中略)
いろいろ世間で噂してくれた女優タレント達のことだって赤裸々に描くつもりだ。友よ、愛する読者諸兄よ、梶原一騎とのゴージャスなる「最後の晩餐」に堪能せよ!

このような、梶原先生の言葉で始まる本作ですが、まず主人公が「梶一太」である、という時点で、これはフィクションだと思わざるをえません。本当にノンフィクションを書くのであれば、本名である「高森朝樹」を使うはずですが...、それとも昭和の私小説のスタイルをまねたものなのでしょうか ・・・。

本篇は、昭和29年12月22日の東京蔵前国技館の力道山VS木村政彦の”プロレス巌流島の決闘”から始まります。ご存じのように力道山の裏切りによって木村が敗北した試合の後、力道山に喧嘩を売った大山倍達が登場します。この辺はおなじみのシーンですね。前半は、この力道山と大山倍達との交流を中心に描かれています。みなさんすでにご存じのように、この二人とも朝鮮半島から渡って来たという過去を持ちます。しかし、この「男の星座」では、力道山の過去は明らかにしていますが、大山倍達の過去に関しては描かれていません。この辺りは、まだ大山氏に対する遠慮があったのかも知れませんね。

この本には、浅草の星八神カオルとの同棲やオカマのジャニーさん、そして、大山倍達の一番弟子の春山章が、そのジャニーさんが亡くなった時に遺体を抱えて「あ~ら えっさっさ !!」 と病院を踊り回る逸話が描かれています。いったいどこまでが本当なんだろう? と考えつつ読まざるを得ない作品です。この辺りが、この本を読む醍醐味かも知れません。(^^)

そして、この本の根底には、事情による高校中退という学歴や優秀な編集者であった父親高森龍夫に対する強烈なコンプレックスがあり、それをバネに力道山という「太陽」と大山倍達という「月」と関わりながら、絶対に成り上がってやるという強烈なエネルギーがみなぎっています。

この本は、梶原先生の死去により、講談社の牧野編集長が訪れて、連載を依頼するという場面で未完のまま終了となっています。つまり、有名な「巨人の星」や「あしたのジョー」などの大ヒット作品が生れる前、いわば夜明け前で終わっているのです。ファンとしては、本当に残念なことです。
お笑いの浅草キッドの水道橋博士も熱烈な梶原一騎ファンで有名で、「お笑い男の星座」という本も出していますが、私と同様に未完で終わったこの作品を非常に残念だと言っています。
梶原漫画の一群が、俺たちの情操教育に、どれほど影響をしたかは計り知れない。そして、梶原一騎の人生ほど、波乱に富み、激烈で、昭和の匂いが漂うものはない。これは誰かが語り継ぐべきものである。
そして、博士はこの未完の遺作を真樹先生に書いて欲しい、と事あるごとにお願いしてようやくOKが出たということを読みましたが、その書くべき真樹先生も逝かれてしまいました。本当に残念です。

昭和の時代を生きたおじさん達には必読の書です!

大山倍達については、以下もご覧ください。
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・空手超バカ一代  石井和義著

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大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む [格闘技]


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか← 単行本とKndle版です。

前回紹介した本ですが、700ページもある本なので、いろいろと興味深いことが書いてありますので紹介したいと思います。

①大山倍達について
まず、木村政彦の弟分であった極真会館の大山倍達館長にに関してです。この本では、「大山倍達の虚実」という一章を割いて大山館長に関して書いています。
たしかに大山伝説には多くのフィクションがある。しかし、木村と力道山双方と濃密な関係を持ち、あの二人の一戦では木村側についていたことは間違いなく事実だからだ。
プロ総合格闘技興行が地上波に乗り、さらにネット社会になって格闘技全体の情報化が進み、いまや大山倍達を擁護すると「『空手バカ一代』幻想から脱却できない時代遅れの人間だ」と誹謗されるような状況だが、私は大山や極真空手の流れについて充分理解したうえで話をしていることを理解して頂きたい。
大山館長が韓国人であることは、話し方のイントネーションを聞くと「もしかして?」と感じる人が多いと思いますが、本で明確に書かれたのは、館長の一番弟子であった中村忠氏の著書である「人間空手」だと思います。この本を読んだ時は、大山館長の本はほとんど読んでおり、私淑状態だったので、結構ショックを受けました。まあ、当時は韓国人に対する差別がひどかったでしょうから、それを隠すのはしょうがないと思いますが...。

しかし、館長の本には必ず出ている、子どもの頃に満州で ” 借力 ” (ちゃくりき:拳法の一種)を学び、その後、空手の道に入ったというのがフィクション(嘘)だったことは大ショックでした。この本によると、館長は18歳の時に日本に渡って来ましたが、それまでに学んでいた格闘技は3年間学んだボクシングだけだったそうです。

日本に渡ってからは、京都義方会の曺寧柱に剛柔流空手を学びますが、3ケ月程度だったようです。その後、山梨航空技術学校で学びますが、その時もグローブを持ってボクシングのトレーニングを行っていたそうです。卒業後、上京して松濤館で船越義珍に1年程度空手を学んだそうですが、その後、戦争に徴用されたので空手を本格的に学んだのはその時だけのようです。

一方、木村政彦は戦前の拓大時代に松濤館と剛柔流の空手を柔道と並行して修業していました。それは義方会の東京支部の空手部門の師範代をつとめるほどの本格的なものだったそうです。そう考えると、この時点では、明らかに大山館長よりも木村政彦の方が空手も強かったと思われます。そういう意味で「打撃」、「投げ」、「寝技」のすべての技術を備えていた木村政彦は正に「史上最強の格闘家」であったと言えるのではないでしょうか。

しかし、だからと言って大山館長が弱かったと言っているわけではありません。大山館長は、その後、ボディービルダーの草分けであった若木竹丸氏に師事してウエイトトレーニングを行い、強靭な肉体を作り、山に籠って自己流の空手のトレーニングを行っていたようです。そして、木村政彦は、大山館長が興行で実際に柔道家とすもう取りの二人と闘い、わずか2発の蹴りで倒すのを見ているそうです。

この本を読んで、私は遠藤幸吉の「あのねえ増田さん、大山が本当に好きだったのは牛島先生なんだよ」というコメントが気になりました。
「大山はね、たしかに木村さんのことを尊敬していた。だからいつもそばにいたがったし、後をついてまわっていました。木村さんのことを尊敬していたことは間違いない。だけどね、大山が本当に好きなのは牛島先生のことなんです」
「それはどういうことですか?」
「大山は牛島先生の極右思想に惹かれていたんです」

木村政彦の師である牛島辰熊は、柔道家として頂点を極めましたが、思想家としての顔がありました。それは、陸軍で軍事の天才と言われた石原莞爾の思想に傾倒し、後に東條英樹暗殺計画まで図るほどでした。当時の戦況は、日本の敗戦は濃厚であるにもかかわらず、東條は国民を騙して戦争を継続しようとしていました。そして、牛島は暗殺の実行犯として、自分の育てた「最強の格闘マシーン」である、木村政彦を使おうとしました。しかし、当の木村政彦は自分が強くなること以外には全く興味がなかったそうで、師の思い通りには動きませんでした。
牛島辰熊には思想があった。
加納治五郎にも大山倍達にも思想があった。
しかし、何度も言うが、木村政彦にはそれがなかった。

②柔術から柔道へ
まず、木村政彦が活躍した戦前は、柔道といっても現在のように講道館だけでなく、「講道館」、「武徳会」、「高専柔道」の三つの流派がしのぎを削っていました。明治十五年に加納治五郎が講道館という新興柔術流派を作りましたが、最初は町道場の一つにすぎませんでした。それが、富田常雄の小説「姿三四郎」によって、一挙に有名になり、現在の世界の講道館になっていったのです。これは、池袋の少し大きな町道場であった極真会館が梶原一騎先生の「空手バカ一代」で世界の極真カラテになったのと似ていますね。

それらの大本は古流の柔術なのですが、講道館柔道は当て身を禁止とし、当初は寝技がなく立ち技を中心とした技の体系を作りあげました。それに対して武徳会は半官半民の全国的な組織で、立ち技と寝技を両方取り入れていました。そして、もう一つの勢力がいわゆる「高専柔道」です。高専と言っても、現在の高専ではなく、戦前の旧制高校と旧専門学校による高専大会の柔道のことです。そしてこの「高専柔道」は、寝技が中心の柔道で、木村政彦をして「柔道の最盛期は高専柔道にはじまり高専柔道の消滅とともに終わった」言わしめたほどでした。

③阿部謙四郎と合気道
師匠の牛島辰熊に毎日のようにしごかれていた拓大予科時代の木村政彦は、どんな大会でも無敵でした。しかし、唯一、予科二年生の時に出場した全国の若手五段から強い選手を選んで行われた「済寧館武道大会」で大きな敗北を味わいました。
その相手は、武専助教の阿部謙四郎という選手です。
彼と組み合ってまず驚かされたのは、ふんわりとしか感じられない組み手の力と柔軟さだった。(中略) 文字通り掴みどころのない感触で、どんな技でも簡単に吹っ飛びそうな気さえした。
これはたやすい、私は思い切って得意の大内刈り、大外刈りを放った。次いで一本背負い。しかしどうだろう。まるで真綿に技をかけたようにフワリと受けられ、全然効き目がない。(中略) これではまるで一人相撲ではないか・・・。(中略) 相手の技に対して戦々恐々、防戦一方で試合は終わった。結果はもちろん、私の判定負けである。
木村政彦を翻弄した阿部謙四郎の柔道の秘密は、なんと、柔道と並行して植芝盛平に合気道を学んでいたことだったのです。これには驚きました。しかし、阿部が合気道を学んでいた件は、木村政彦は知らなかったようです。木村はこの阿部に完膚無きまでに敗れたことで奮起し、更なる研鑽を重ね、本当の無敵の王者への道をたどることになります。つまり、無敵の木村を生んだのは合気道であったとも言えるわけです。
そして、実は合気道の植芝盛平と木村政彦が立ち会う可能性があったそうですが、木村の親友であり、植芝の弟子であった塩田剛三の機転で、実現しなかったそうです。格闘技ファンとしては、是非とも実現して欲しかったですね。残念です。(^^)

④ウエイトトレーニングについて
木村政彦、大山館長は、若木竹丸に当時は一般的でなかったウエイトトレーニングを行い、鋼のような肉体を作り上げています。しかもその内容が尋常ではありません。
・100数十Kg、200Kgを超える重量で数百回、数千回という単位で延々とベンチプレスを行う。
・寝る前には腕立て伏せ1,000回を日課としていた。
⇒ その結果、ベンチプレス250Kg、ストレートアームプルオーバー90Kg、握力は200Kgを超えていたと言われています。
現在の理論で言えば、毎日ウエイトトレーニングをやるのは逆効果、1日筋トレをやったら2日は休息が必要と言われていますが、上記のような、どう考えてもオーバーワークの木村のトレーニングでどうして鋼のような肉体ができたのでしょうか? もしかすると、現在の筋トレの理論が何か間違っているのではないか、と疑問を感じてしまいますね。

以上のように、これはいろいろな観点で楽しめる本です。
是非、一読をお勧めします。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

【お知らせ】
8/16(金)夜7時から日本テレビの「笑神様は突然に…」という番組で、仙台大観音が紹介されるそうです。そして、このブログで使用した写真を使用するとのメールを頂きました。どの程度使用されるのか分かりませんが、みなさんもお時間があれば、ぜひご覧になって下さい。
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Gスピリッツ Vol.24 (タツミムック)七帝柔道記力道山の真実 (祥伝社文庫)GONG(ゴング)格闘技2011年7月号大山倍達正伝ヘーシンクを育てた男


木村政彦は最強の男だった! 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む [格闘技]


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか今さら紹介するのが恥ずかしいくらい有名な本ですね。2011年9月発刊で私の買った本は26刷りでした。そんなに売れているのですね~。

著者の増田氏は、1965年生まれ。北海道大学中退。北大柔道部で高専柔道の流れを汲む寝技中心の七帝大柔道を経験。柔道を引退後、新聞記者になる。2006年「シャトゥーン ヒグマの森」で第5回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞。今回紹介する本で「新潮ドキュメント賞」、「大宅壮一フィクション賞」をダブル受賞しました。

格闘技が大好き人間である私は、この本は発売当初から気になっていましたが、キャッチ―な題名とコピーが気に入らず、買わずに無視していましたが、先週末にとうとう軍門に下り買ってしまいました。(笑)
いや~ぁ 参りました! 傑作としか言いようがありません! 思わずのめり込み、一気に読んでしまいました。と言っても、読むのに一週間かかってしまいましたが...。何故かというと、この本、いまどき珍しい二段組みで700ページもあるのです。通常のビジネス書の3冊分の量と重さがあるため、持ち歩いて読む気にはなれないので、通勤用にKindle版も購入しました。
つまり、 紙本(2,730円)+ Kindle版(2,080円)=4,810円 の本です。(^^)
でも、その価値は十分にありますよ!

木村政彦とは、史上最強の柔道家と言われ、「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と言われるほどの最強かつ孤高の天才格闘家です。身長170cm、体重85Kgと今では小柄な部類に入りますが、当時まだ普及していなかったウェイトトレーニングを取り入れて、250Kgのベンチプレスを上げていたと言われています。しかも、握力は200Kgはあったであろうと言われています。
そのパワーを生かして、立ち技では大外刈りを駆使して自身の2倍もある巨漢を一発で畳に叩きつけたり、戦前寝技の殿堂と言われた高専柔道で拓大を優勝に導くほどの寝技の名手でもありました。しかし、その柔道界の頂点に立った木村ですが、戦後、師匠の牛島辰熊が立ち上げた「プロ柔道」に参加し、さらにプロレスラーとなって力道山と戦って惨敗したことで、その名声が一気に落ち、柔道界からもは認められていない存在となっていました。

さて、この本の題名である「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は、上記、力道山との戦いに惨敗した後のことを言っています。
プロレスラーとして木村は力道山とタッグを組んでシャープ兄弟と戦いますが、プロレスはご存知のように、真剣勝負ではなく事前にシナリオが決まっています。結局、木村は力道山の引き立て役となり、シャープ兄弟に一方的にやられ、それを力道山が空手チョップで助けて勝つというようなシナリオが書かれていました。プロレス発足時の一般的な評価は、柔道王の木村が格上で、大相撲出身とはいえ関脇止まりの力道山は格下でした。しかし、プロレスでは、負けず嫌いな力道山が勝つシナリオを書いていたため、木村がそれに反発して「真剣勝負ならば負けない!」と両者が戦うことになったのです。
しかし、当時のプロレス界は、裏社会の後援者が力を持っており、木村、力道山双方の後援者が「本当の喧嘩になるとみっともない」ので、あらかじめシナリオを決めておいて引き分けにすることで、両者合意していました。
ところが試合の途中で力道山は木村を裏切り、セメント(真剣勝負)に切り換え、張り手で木村を倒し、倒れた木村の顔面をサッカーキックで蹴って失神させてしまいます。これによって、木村のこれまでの名声は地に落ち、力道山がスター街道をまっしぐらに走ることになります。

さて、その木村の強さに関しての記載です。
遠藤幸吉:柔道家。120Kgの巨漢で大山倍達とアメリカに渡りプロレスラーと試合をしたことで有名。のちにプロレスに転向して力道山とタッグを組む。
それは君、強いなんてもんじゃないよ。(中略)実際に稽古をつけてもらった私たちから言わせてもらうと、木村さんの強さは別格です。組んだ瞬間、石みたいに硬くて動かないんです。巨大な岩みたいにまったく動かない。(中略) でも動かないんだから、一センチも動かないんだから、どうやって崩せっていうの。崩せないんだから技もかけられない。
(大外刈りは?)あれはもう凄いなんてもんじゃない。その場で下に叩きつけられる。大外というより大外落としです。受け身がとれないんだから。頭打って失神しちゃんだから。
寝技だってもちろんめちゃくちゃ強い。こっちは人形みたいなものです。オモチャですよ。とにかく強いの一言です。『強い』という言葉以外に表現のしようがない。あんなに強い柔道家は、あの後一人も見たことがない。
松本安市:昭和23年全日本選手権優勝、東京五輪柔道チーム監督。現役時代に何度も木村と闘った。
講道館柔道の歴史で化物のように強い選手が四人いた。木村政彦、ヘーシンク、ルスカ、そして山下泰裕。この中で最も強かったのは木村政彦だ。スピードと技がずば抜けている。誰がやっても相手にならない。
大山倍達:ご存じ極真会館館長。木村の弟分を自称していた。
試合は「木村相手に何分立っていられるか」のタイムを競うだけのものだった。とにかく技が速い。神技だよ。全盛時代の木村先輩には誰もかなわない。ヘーシンクもルスカも三分もたないと断言できる。
塩田剛三:合気道養神館館長。拓大で木村と同期。死ぬまで親友として付き合い続けた。
木村の柔道は技の切れ味が違う。今の柔道のような体力の競い合いではなく、技で投げていた。どんなでかい奴も一発で吹き飛ばしたよ。山下(泰裕)や斉藤(仁)なんてコロンコロン投げるさ。
昭和39年の東京五輪の時、日本チームは、当時の世界に敵なしとなっていた世界王者ヘーシンクに誰をぶつけるか決められませんでした。
安定感のある神永か、一本背負いの一発を持つ猪熊功か、あるいはヘーシンクに体格負けしない巨漢の坂口征二か。八人からなるコーチ会議は紛糾し続けた。
「木村政彦を代表にするしかない」
高専柔道出身の政財界人や武専出身の大御所たちからは、半分本気でそういう意見も出されていた。
木村はすでに47歳になっていたが、それでも木村が一番強いと思われていた。

それほど、ずば抜けて強かった木村政彦が、あの力道山との一戦に関してだけは「鬼の木村」らしからぬ、否、自分に過剰なほどの自信があり過ぎた故に油断があり、力道山の裏切りにあっさりと倒されてしまいました。そして、その後木村は死ぬまでその敗北を引きずりながら生きることになります。
短刀を懐に呑んで力道山を刺し殺そうと付け狙った木村は、その怒りを胸に抱えたまま、苦しみながら後半生を生きた。その後半生はまさに生き地獄だった。

木村の最晩年に現東京都知事である猪瀬直樹氏が取材した時のやりとりです。
「あいつは卑怯な男ですよ」 と木村は僕にいった。
「だから、殺したんだ」 しかし、彼はあなたに殺されたのではなくヤクザに刺されて死んだんですよ。
「いや。殺した」 どうやって?
「ここですよ」 と木村は額を指さした。僕は意味がわからなかった。
「ここに “” と書いたんです」 書く? ああ、イメージで前頭葉のあたりに字を描いたわけですね。
「そうだ」

そして、著者である増田氏は、こう書きます。
乱暴であるのを承知でいえば、木村は力道山を殺すべきではなかったのか。たとえどんな犠牲を払ってでも。
力道山の謀略によって木村が失ったものは、あまりに大きかった。
木村氏を敬愛するが故の増田氏の発言だと思います。増田氏の木村政彦に対する思いが詰まった素晴らしい本です。

格闘技ファンには必読の書です! 読むべし!

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Gスピリッツ Vol.24 (タツミムック)/a>七帝柔道記 力道山の真実 (祥伝社文庫) GONG(ゴング)格闘技2011年7月号大山倍達正伝空手バカ一代  【コミックセット】

笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子著 [格闘技]


悪名の棺―笹川良一伝
前回の笹川良一氏の本の評判が良かったので、書きたかったことを追加します。

笹川良一氏は空手界の主流であった伝統派空手の全日本空手道連盟(全空連)の会長を務めていました。私は、大学時代に全空連の大会で、空手着を着た笹川氏が20枚くらいの瓦をジャンプした正拳の一撃で割る試し割をTVで見ましたが、「あんな正拳で割れる訳ないだろ!」と怒りを覚えたことを覚えています。
笹川氏は空手の鍛練を積んだとは聞いていませんので、おそらく何らかの仕掛けが会ったのだと思います。

その当時、笹川氏から大山館長に対して全空連の傘下に入るように何度も要請があったようです。しかし、大山館長は頑として断り続けました。特に笹川良一氏に関しては、空手をやったことがない素人が会長職についていることに対して反発していました。
これについては梶原先生のマンガでよく書かれていたので、私もかなり洗脳され笹川氏に対して非常に嫌悪感を感じていました。
全空連側とは、私の知る限りでは都合三度、会合を持った。最初は築地スエヒロ、二回目が糸山英太郎の経営する新日本会館、そして最後が赤坂の料亭<千代新>でである。
最初と二度目、大山に請われて私も同席した。先方は江里口栄一専務理事、顧問である佐々木真太郎(糸山英太郎の実父)、糸山といった顔触れであったが、いずれの場合も物別れとなり、そして三度目、笹川良一全空連会長が直接大山に会って説得したいとのことで、会合の場として<千代新>を指定してきたのだった。
技術部長として貴君を遇する用意がある、といった話が江里口理事より持ち出され、大山の真対いに座を占める笹川全空連会長が重々しく頷いてみせた。(中略)このとき、大山が崩していた膝を揃えて座り直した。笹川会長をまっすぐに視て、やや高みから口を切った。
「大変光栄なお話ではありますが、辞退させていただきます。講道館と武徳会のふたつがありました頃、日本柔道が一番レベルアップしたのと同じように、われわれ空手の世界に於いても、いくつかの流派が存続し合った方がプラスであろうと考えておりますもので----」
一瞬、全空連会長の顔が朱をそそいだようにみえた。重苦しい沈黙が座を支配した。
この話はこれまでだ。お互い裃は脱ぎ捨てようではないか
笹川が破顔してみせ、それで大山もまた膝を崩した。ざっくばらんな話が交わされはじめたところへ綺麗どころが続々と入来し、みるみる活況を呈した。(「大山倍達との日々」真樹日佐夫)

私はこの記載を読んで、笹川良一氏の大山館長への対応に対して器の大きさを感じました。
この本には書いていませんが、この時全空連側は大山館長に対して1億円以上の現金を差し出したそうです。真樹先生は隣で「受け取っちまえよ、館長!」と心の中で叫んだそうですが、結局大山館長は辞退し、真樹先生は館長への畏敬の念を強くしたそうです。

また、もと極真会館の評議員で糸山英太郎氏の盟友であった河合大介氏との会話では、真樹先生の大山館長に対する思いが述べられています。
河合「大山氏をどう思われます?」
真樹「どうって、それはまあ・・・」
河合「かつては非常に魅力的な人物であった――。違いますかな」
真樹「いや、同感だな」
私は深く頷いた。
(彼に初めて会った二十年の昔、並はずれたスケールの大きさにいたく魅了されたことは動かせない・・・)自信とやさしさに充ちていた壮年の日の大山の姿が鮮明に脳裡に甦った。なぜか、胸を締めつけられるような寂寥感をおぼえずにはいられなかった。
真樹「人間は変容するということだろうか、月並みな言い方をするならば・・・」
私が言うと、今度は河合が深く頷き、
河合「まさしく」
と応じた表情がこよなく侘しげであった。(「大山倍達との日々」真樹日佐夫)

工藤氏の本では、笹川氏と児玉誉士夫との違いは、笹川氏は子供の頃から金持ちの環境で厳しく育ったのに対して、児玉は貧しい家に育ったため、金に対する根本的な考え方が違ったのではないかと書いています。
笹川氏の本を読んで、笹川氏がよく言っていた台詞が西郷隆盛の、「児孫のために美田を買わず」であったことに驚きました。皮肉にも大山館長も同じことを常々語っていました。そしてさらに「私が死んだあとに財産というものが残っていれば、私の墓につばをかけよ」とも語っていました。

若き日の大山館長は、笹川氏から提示された大金よりも自分の理念を優先しました。それは真樹先生をも感動させるような潔さでした。しかし、人は年月が経つと変わるのが常です。
笹川氏が毎年何千億円もの大金を自分や家族に残さずに死ぬまで福祉活動につぎ込んできたのに対して、大山館長はどうだったのでしょうか?

そう考えて、改めて笹川氏への畏敬の念を強くしました。

笹川氏に関しては、以下もご覧下さい。
・笹川良一は本当に悪人だったのか? 悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子 を読む

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大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む [格闘技]


大山倍達の遺言
この本は、極真会館の創始者である故大山倍達館長の突然の死から始まった極真会館の分裂騒動をまとめた本です。全編525ページにも及ぶ分厚い大作で、ようやく読み終えました。
本書の出版に関しては、小島氏のブログに2、3年前からの話が出されており心待ちにしていましたが、2012年4月にようやく出版されました。その間、出版社が講談社から新潮社に変っており、いろいろな事があったことが想像できます。

1994年4月26日に極真会館の創始者である大山館長が70歳で亡くなりました。突然の死で本当にビックリしました。
94年から95年にかけては、4月に大山館長、7月には合気道養神館の塩田剛三氏、そして大山館長の死から1年経った4月には芦原英幸氏が亡くなり、個人的にとても残念でした。私は大山館長の死から松井館長になり分裂を繰り返す極真会館を格闘技系雑誌などを通じリアルタイムで見ていました。そして短いとは言え一時は極真会館の地方支部に通っていた極真会館の大ファンであった者としては、本書は本当に読むのが辛く、暗くなるような内容です。大山館長の元で一緒に汗を流していた仲間たちが、どんどん分裂して離れているのは本当に悲しいことです。

極真会館の分裂は、大山館長の死の直後から始まりました。大山館長は肺がんの末期だったそうで、聖路加国際病院に入院されていましたが、当時側近だった梅田嘉明氏の提案によって遺言書が作成されました。これは、「危急時遺言書」という形の特殊なもので、梅田氏(医師)、大西靖人氏(故人:第15回全日本大会優勝者)、米津稜威雄(弁護士)、米津等、黒沢明(館長の友人)の5人が証人となっていました。遺言書には大山館長の後継者は松井章圭氏と明記されており、これが大山館長の意志として松井新館長が誕生しました。
後に裁判でこの遺言書は認められることはありませんでしたが、このブログでも書いているように私は裁判の判断をあまり信用していませんので、それはどうでもよいことです。とにかく大山館長が自分の後継者として考えていたのは松井氏であったことは確かだと私は考えます。
松井館長は選手としては、17歳の頃から大会に出場して「牛若丸」と異名を取り、「華麗なる組手」の実践者として大山館長の寵愛を受けていました。そして第17回大会、第18回大会、第4回世界大会を連覇し、さらに極真会館の荒行である「百人組手」の完遂者でもあります。

私は、もちろん松井館長を支持しています。昔からファンだったこともありますが、大山館長が生前、後継者に関して、以下のように語っていたことを知っているからです。
大山倍達の意思を継ぐべき極真会館の後継者には、ふたつだけ条件があるんです。
・若いこと。三十代であることが第一の条件。
・第二は強いこと。圧倒的に強い人間でなくてはならない。
私の後継者は世界チャンピオンでなければならない。できれば百人組手を達成している者がいい。

しかし、31歳という若さであり支部長としては末席にいた松井氏が極真会館の館長という最盛期には123カ国1,200万人(かなり誇張はあると思いますが...)の頂点に立つことは、空手界という超縦社会ではかなり厳しいものがあったことは想像できます。普通の一部上場の会社でも、平の取締役から社長に抜擢という話はよくありますが、いくら能力があっても31歳の若者が一気に社長になることはあり得ないでしょう。そのため、極真会館は10年以上にわたって分裂を繰り返すことになります。

特に、高校生の頃から大山館長の寵愛を受けていた松井氏に対して、当時全盛期であった三瓶啓二氏が中心となっていた三瓶グループのメンバーたちは、当時の松井氏に対して反発し、反松井の立場を取っていたそうです。その感情が尾を引いて、大山館長の死から1年後に松井館長に対してクーデターを起こし、「支部長協議会派」として松井派と対立することになります。さらに松井館長を絶対に認めない高木薫(北海道支部長)氏は大山館長の妻、娘たちを担いで「遺族派」を結成します。(後に「支部長協議会派」と合流)
この三瓶氏と高木氏は大山館長存命の頃から権力志向が強かったと聞いています。
しかし、大山館長の二代目の条件である世界チャンピオンは、この当時、
第1回:佐藤勝昭、第2回・3回:中村誠、第4回:松井章圭、第5回:緑健児
の4人しかいません。さらに、この中で百人組手を達成しているのは松井館長だけです。これを考えただけでも、松井館長の正当性は明らかであり、高木氏、三瓶氏には資格がないことになります。

これまで格闘技雑誌などを通して知識を持っていましたが、この本を読むと松井館長にも若さゆえの思い込みや気負いによる間違いや不手際が多くあったことが分かりました。それらのミスは敵対していた人達にとっては感情的に絶対許せないことだったのかもしれません。
大山館長が存命中も支部長たちの館長に対していろいろと不満はあったようですが、大山倍達という絶対的な存在がその声を抑えていたようです。その大きな大山倍達という重しが取れて、一番若い松井氏が館長になったのですから、すんなりとうまく行かないのは当然だと思います。この本を読むと、組織運営というのは本当に難しいと感じます。松井館長に対して、支部長協議会派は「透明で民主的な会館運営を!」と主張していましたが、結局、支部長協議会派も三瓶氏たちの「不透明で非民主的な運営」が理由で離反者が続出しました。

あれから20年近い月日が流れ、松井館長もそろそろ50歳に手が届く年齢になりました。これからが本当の勝負だと思います。

極真会館に興味ある方には必読の書です。

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大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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大山倍達正伝伝統武術という未来兵器 KURO-OBI 無敵の黒帯を目指せ! 第2号 かつてカラテは地上最強だった DVD付芦原英幸伝 我が父、その魂




日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす [格闘技]


空手バカ一代(1) (講談社漫画文庫)
梶原一騎先生の名著である、「空手バカ一代」を文庫版を購入して30年ぶりに読み直してみました。
この作品は、私が小学生から中学生にかけて少年マガジンに連載されていたもので、当時は夢中になって読んでいたものです。



karabaka.JPG

いや~、やっぱりこれは名著ですね。冒頭から引き込まれていきます。

作品の冒頭がこの一文で始まります。
事実を事実のまま
完全に再現することは
いかに
おもしろおかしい 架空の
物語を生みだすよりも
はるかに困難である ---
(アーネスト・ヘミングウェイ)
小学生だった私は、これを読んで「このマンガに書かれていることは真実なんだ」と頭から信じることになります。


梶原先生は、さらに畳みこんで書きます。
これは事実談であり・・・
この男は実在する!?

この男の一代記を 読者につたえたい一念やみがたいので
アメリカのノーベル賞作家ヘミングウェイのいう「困難」に
あえて挑戦するしかない・・・
わたしたちは 真剣かつ冷静に この男をみつめ ・・・ そして その
価値を 読者に問いたい ・・・ !!

国際空手道連盟・極真会館空手三段 梶原一騎
同 総本部役員・極真会館門下生 つのだじろう

この文に続いて、主人公の大山倍達が米国スパニッシュハーレム街でナイフとピストルを持った5人のギャングを一瞬のうちに倒す話、シカゴの野天競技場で闘牛と戦って牛の角を手刀で折る話が書かれており、その後に梶原先生お得意のコメントが入ります。
ニューヨーク・ギャングとの対決はアメリカで発行されている空手、柔道などの東洋武術の専門雑誌「ブラックベルト」に ・・・
猛牛殺しの記事は、同じく「ブラック・ベルト」および世界的に有名な権威をもつ「ライフ」誌にそれぞれ報じられていた ・・・

この当時は、パソコンもWebもありませんので、「Googleで検索したのですが、見つかりません」などということなく、「大山倍達は本当にすごいんだ!」と純粋に信じていました。(^^)

それまで空手界では相手に当たる直前に突きや蹴りを止める「寸止め」が主流でしたが、この「空手バカ一代」の大ヒットによって、それまで異端とされていた直接打撃制(フルコンタクト)が注目されるようになりました。そして、池袋のちょっと大きな町道場であった極真会館を世界の極真会館に押し上げる原動力となりました。
この「空手バカ一代」から40年を経て現在の空手界を見ると、主流は「寸止め」ではなく、「フルコンタクト空手」に変わっているように思えます。(少なくともメディアレベルでは)
現在も格闘技ブームと言われていますが、この「空手バカ一代」が始まってからすぐ後にブルース・リーの「燃えよドラゴン」が大ヒットし、空手、カンフーが大ブームとなりました。同世代である宮台真司氏も中学、高校と空手をやっていたそうですが、この時のブームは単に空手を見るだけでなく、「自分で空手をやる」というところが違っていたと思います。

さて、この梶原先生の「空手バカ一代」ですが、初期(1~7巻:つのだじろう作画)の頃は、ノンフィクション路線を踏襲していましたが、作画が影丸譲也に変わった後期からは故芦原英幸氏にスポットが当たり、フィクション度が強まってきます。この頃、大山館長は梶原氏に対して「主人公は誰なのか」と不満を漏らしたことがあるそうですが、結果的にこの件も梶原先生と大山館長との関係にヒビを入れる一因になったようです。

「空手バカ一代」を語る時、この梶原先生の創作したフィクションの部分が多いということで、話題になることがありますが、私はまったく問題ないと思います。私自身もそうですが、この「空手バカ一代」がなければ空手の道に入ることもなかったですし、ある意味人生を変えた本とも言えると思います。たとえその内容が事実と違っていることが分かっても、それも含めて梶原先生に「楽しく、納得して騙されていた」と私は考えます。(笑)
極真会館二代目館長である松井章圭氏もこの「空手バカ一代」をTVで見て、極真会館に入門したと自伝で書いています。「華麗なる組手」、「牛若丸」、「天才児」という数々の形容詞を付けられていた松井館長も、この本が無ければ普通の勤め人で終わっていたかもしれません。

最近はあまりマンガを読んでいないので分かりませんが、この「空手バカ一代」のように多くの人の人生に影響を与えた作品ってあるのでしょうか?
梶原ワールドを楽しみたい人には必読の書と言えるでしょう。

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大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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空手バカ一代(2) (講談社漫画文庫)空手バカ一代(3) (講談社漫画文庫)空手バカ一代(4) (講談社漫画文庫)空手バカ一代(5) (講談社漫画文庫)空手バカ一代(6) (講談社漫画文庫)空手バカ一代(7) (講談社漫画文庫)

合氣道の開祖 植芝盛平は弱かった? 中村天風と植芝盛平 氣の確立 藤平光一著 を読む [格闘技]


中村天風と植芝盛平 氣の確立
中村天風と植芝盛平 氣の確立  幻冬舎文庫
植芝盛平は合氣道の開祖として数々の武勇伝、オカルト的な逸話で神格化されていますが、そのような植芝盛平像を粉砕し正当な評価への第一歩となりそうなのが、藤平光一氏著の「氣の確立」です。
この本は、藤平氏が師事した植芝盛平と中村天風について書かれていますが、両方の師に後継者にと思われていたほどの著者にしか書けない事が多く書かれています。

若い方は中村天風のことはあまり知らないと思いますので少し説明します。天風は日本初のヨーガ行者で「心が身体を動かす」という思想の心身統一法教える天風会を作り、山本五十六、東郷平八郎、松下幸之助など多くの著名人が弟子入りしたことでも有名です。
天風は、16歳の時に頭山満の縁で、陸軍の軍事探偵(いわゆるスパイ)となって満州で大暴れして「人斬り天風」と呼ばれましたが、30歳で奔馬性結核を発病します。満州では死も恐れない活躍をしていた天風ですが、病魔によってじわじわと蝕まれる恐怖を感じ、それを克服するためにアメリカからヨーロッパを回ってその病気を治す方法を探ります。しかし、結局得られるものがなく帰国する途中のアレキサンドリア港の食堂で、ヨガの大哲学者カリアッパに邂逅して、そのまま3年間インドに滞在し、帰国する時には病気が治っていたそうです。

植芝盛平は、ご存じのように合氣道の開祖と言われており、このブログでも紹介した塩田剛三氏や藤平光一氏などの多くの弟子を育てました。盛平は、出口王仁三郎の大本教の熱心な信者であり、「鉄砲の弾をよける」、「瞬間移動できる」など、オカルト的な逸話が沢山ありました。また、王仁三郎とともに満州に渡り馬賊と戦うなどの実戦経験も豊富でした。
合氣道というと、現在では「女性でもできる護身術」という印象がありますが、藤平氏が入門した当時は一般人の入門は認められておらず、軍関係者など有力者の紹介状がなければ入門できなかったようです。それだけ危険な技も多く、本質的は本当の武術と言えるものだと思います。(現在は危険は技は使用しないでしょうが...)

この本の中で一番興味深かったのが、植芝盛平の武道的な開眼に関してです。
和歌山の田辺に講道館の道場がありそこを任されていた鈴木新吾氏の話です。植芝盛平が兵役を終えて大陸から帰ったあと、鈴木氏に入門して柔道を習っていたそうです。その鈴木氏曰く、
植芝先生は、私に入門したころは弱かったよね。いつかあなたくらいに強くなれるんだろうか、なんて私に聞いていたものね。
盛平が北海道の開拓時代に武田惣角に大東流柔術を習い、強さに一層の磨きがかかったというのが通説でしたが、
あのときもダメだったよね。大東流を習ってきたから負けない、なんて言いながら、やっぱり弱かったよね。あのときは、先生、1ヶ月寝込んだね。
盛平が鈴木氏を投げようと思った瞬間に爪先でポーンと飛ばされてしまい、腰を痛めて1ヶ月ほど寝込んだというのである。伝説では、戦争に行った時に敵が撃った銃弾の軌跡を見切ったり、北海道ではならず者たちを何人も叩き伏せたりさまざまな武勇伝が伝わっていますが、当時はそんな強さは無かったことになります。
でも、先生、大本に行って修行して帰ってきたときには強くなっていたね。あの時に強くなったんだね。
盛平は、大本教と出会ってから以前とは見違えるように強くなったと言うわけです。藤平氏は、
”だから先生は大本教からは生涯離れることができなかったし、一生涯、大本教の信者であった”と書いています。

そして、盛平は大本教でリラックス(自然体)の重要性を体得したため、弟子達に宗教的な訓話を多くしていたとの事ですが、重要なのは、それを会得するために大本教(宗教)は必須条件ではなかったということです。藤平氏や塩田剛三氏は盛平の弟子として、その強さを継承しましたが大本教の教えには疑問を持っていたそうです。
もう一つ面白かったのが、盛平が藤平氏に対して、
私が苦心して覚えたこと(リラックスが重要だということ)を、藤平のやつがみんな教えて歩く
と怒っていたそうです。

盛平は、道場ではリラックスしろとは教えずに「力を入れろ」と逆の事を教えていたそうです。そのため、盛平の言う事を忠実に守った人は強くなれずに、藤平氏や塩田氏のように師匠から技・極意を盗んだ人が達人となったわけですね。

藤平氏は、二人の師匠に関して、以下のように述べています。
植芝先生は死ぬ間際まで、私の悪口を言った。 (中略)
植芝先生とは逆に中村天風先生は、私の扱いにも氣をつかってくださり、どこへ行っても私のことをほめてくれていた。
だからどうだということではないし、植芝先生に恨み言をいうつもりも毛頭ない。
ただ、天風先生のほうが、やり方がスマートだったのだと思う。
藤平氏の植芝盛平に対する記載を紹介します。
・ただし、これははっきりと書いておくが、植芝先生はとにかく強かった。押しても突いてもびくともしない。鋼鉄のような感じで、なぜこれほどまでに強いのだろうかと、いくら考えてもわからないほど圧倒的に強かった。これは間違いのない事実である。
・とにかく無邪気で、いつでも先生の心はプラスの状態だった。また、いくら自分の弟子でも、面と向かっては文句を言えない氣のやさしい一面も持っていた。
ただ、合氣道の技の効果はともかく、理屈の面では最初からどこかおかしいのではないかと感じていた。合氣道の技の説明のはずなのに、いきなり大本教の話をされても、こちらとしてはとまどうだけだ。
伝説の達人たちには、いろいろと話に尾ひれが付きやすいものです。植芝盛平に関しても同様のようですね。
合氣道に興味のある方にはお勧めです。

塩田剛三氏の本に関してはこちらをどうぞ。
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氣の呼吸法―全身に酸素を送り治癒力を高める (幻冬舎文庫)「氣」の威力 (講談社プラスアルファ文庫)氣の実在氣と生活


合気道の達人の本「合気道人生」 塩田剛三著 を読む [格闘技]

合気道の達人、塩田剛三先生の本です。

合気道人生
みなさんは合気道と聞くとどんな印象を持っているでしょうか?
「護身術」、「関節をきめる」、「健康に良さそう」などの印象だと思います。私もそうでした。以前書いたように、私は大学時代に極真空手をやっていたため、「極真が一番」などという、ある意味梶原先生に洗脳された状態でした。ですので、大学の合気道部の演武を見ていても「あんなもの実戦には役に立たない」と小馬鹿にして見ていました。
(洗脳が解けた今考えるととても恥ずかしいです(^^))

そんな私が出あったのがこの塩田先生の本です。この本で私の合気道に対するイメージは180度変わってしまいました。そして、「これこそ本当の武道では?」と思い塩田先生の養神館に関する書物やビデオを買いまくり、一時は本気で入門しようと考えていました。塩田先生に関しては、まずはこの映像をご覧下さい。



「これはヤラセではないか?」と思う方も居るかと思いますが、この塩田先生に関しては、ニセモノだという評判はほとんどありません。
最近、何かと話題になっているライターの小島一志氏ですが、私は結構好きで読んでいます。氏も極真空手をやっていたこともあり、氏の視点からみた格闘技論には共感を持っていますし、かなり信頼性が高いと思っています。
氏の書いた塩田先生に関する記述です。
応接室で会った塩田は、どこにでもいる老人という趣だった。(中略)
「これが達人といわれる塩田剛三か? やっぱり・・・・」(中略)
塩田は道着を身にまとって現れた。その姿は、さっきの塩田ではなかった。五体から濛々と立ち上がる殺気、オーラを背負ったような神々しさ、そんな超人的な空気を漂わせている男は、私の知る限り、大山倍達と芦原英幸以外いなかった。
そして、私のところにくると突然、弟子がもっていた木刀を取り、私に突き出した。「どこからでもいいから、これで私を打ってきなさい。遠慮する必要はありません」というのである。私は塩田の威圧感に、完全に飲まれてしまった。正直いって私は、私のもとに歩みを進める塩田の存在を見て、ただそれだけで震えあがってしまった。(中略)
私は塩田に勧められるまま、木刀を手にして無我夢中で打ちまっくった。最初は手加減していたが、木刀の先には、さっきいたはずの塩田の姿がないのだ。次第に熱を帯びて、私は本気で塩田に向かったいった。
ところが塩田は木刀を紙一重でかわしてしまう。かわした直後、私の視界から姿を消してしまうのである。(中略)気が付いた瞬間、塩田の手刀が私の喉元にあるのである。(中略)後ろから塩田の襟元、袖、帯などを掴みにいくと、掴んだ瞬間、私の腕に激痛が走り、体が宙に舞った。最後には、塩田の背中や肩に手を触れただけで、私の腕は曲がりそうになった――。(「新世紀格闘技論」より)

さて、その塩田先生の本ですが、合気道以外の話になると途端に軽いイメージになってしまいます。拓大を卒業した先生は、親交のあった陸軍大将畑俊六の部下となり、「支那派遣軍総司令秘書官」を任ぜられて満州から台湾、南方まで派遣されます。当然、海外でも合気道の厳しい稽古の話出るのかと思いきや、そこでの生活は「金とヒマをもてあます」と書かれているような内容で、芸者と遊んだなどの話がでてきます。「何だか武人にしては軽い人だな~」というのが正直な最初の印象でした。(笑)

しかし、この本をよく読んでいくと何となく裏が見えてきました。
いくら畑俊六大将と親しいからといって戦時中に軍人がそのようにヒマをもてあましていたはずはありません。
塩田先生の御尊父は小児科の名医と言われた塩田清一氏で、病院の仕事が終わると、ひっきりなしに家に来客があったそうです。その顔ぶれがスゴイです。陸軍関東軍司令官畑栄太郎、その実弟、畑俊六大将、東条英機(陸軍大将、首相)、南次郎(陸軍大将、朝鮮総督、貴族院議員)、宇垣一成(陸軍大臣、朝鮮総督、参議院議員)小磯国昭(陸軍大将、首相)、加藤友三郎(海軍大将、首相)、清浦奎吾(内務大臣、首相)、後藤新平(満鉄初代総裁、内務大臣、東京市長)、頭山満(玄洋社総帥)、渋沢栄一(第一国立銀行頭取、実業家)、馬越恭平(大日本麦酒社長)、大倉喜八郎(大倉財閥創設者)などなど。

このような人脈を持っているということは、国事に関わる環境が揃っていたということです。そして、その塩田先生が、畑俊六大将の「支那派遣軍総司令秘書官」として満州に行ったのですから、これは「特務(スパイ)」活動を行ったとしか思えません。本場のイギリスでもそうですが、普通の人間はスパイにはなれません。きちんとした(信用のおける)人脈や絵描きや歌手、先生のような武道家など特殊な技能がなければ国の命運を左右する、そのような重要な仕事は任せられません。
スパイというと、「そんなの小説や漫画の世界でしょ?」という人がいると思いますが、現在でも日本以外では普通に行われていることですし、日本も日露戦争から第一次世界大戦までは活発に諜報活動を行っていました。みなさんも明石元二郎石光真清などの名前はご存知だと思います。

その目でこの本を見直すと、植芝道場の時代に、陸軍憲兵学校や陸軍戸山学校、大川周明の東亜経済調査局附属研究所(いわゆるスパイ養成機関)に出稽古に行っていたとの記載があります。これは出稽古という名目で特務に関する訓練を受けていた可能性が大きいと思います。

そして、このブログでも紹介したクマさんの「ケンカ道 その”究極の秘技”を探る」に以下のような記述がありました。
塩田先生):おじが陸軍大臣(畑俊六)をやっとったので、特に仕事はなかったんですが、中国に”調査”ということで渡ったんです。
クマさん):何の調査?
塩田先生):何の調査ですかなぁ(笑)。ただ金を使って遊んでただけですから(笑)。
塩田先生、クマさんが相手なので、リラックスして思わず本当のことを言ってしまったようですね。塩田先生の「しまった!」という舌打ちが聞こえてきそうです。(笑)

このクマさんの本には、上海のフランス租界の女郎屋での命がけのケンカの話がでてきます。

1人めが部屋に飛び込んできたから、そいつの顔をギザギザのビールで突いてねじったんですよ。そうしたらそいつはギャーと叫んで、目ん玉が飛び出て、顔の半分がぐちゃぐちゃになっちゃった。
こりゃいかん、危ないと思ってビール瓶を捨てると次に飛び込んできた奴が、中国人ですから中国拳法でもやっとったんでしょう、横蹴りで蹴ってきたんです。それでその足を手刀で叩いてやったら、足が折れてしまった。
その次にきた奴は殴りかかってきたので、合気道の技で四方投げという、腕の関節を逆にとる技で投げたら、腕がポキンと折れてしまった。なるほど、植芝先生の言ったことは本当だ、合気道ってのはよく効くわいと思いましたよ(笑)。

塩田先生の合気道は、このような命をかけた実戦で裏打ちされた武道なのだと思います。

最後にもう一つ画像を紹介します。


◆明日につなげる今日のアクション◆
本に書かれていることを鵜呑みにしないで必ず裏読みする


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塩田剛三直伝 合気道 呼吸力の鍛錬合気道修行―対すれば相和す写真詳解 合気道基本技全書塩田剛三の合気道―達人の技と心を伝える養神館 合気道入門 (MAN TO MAN BOOKS)合気道―はじめて合気道を志す人のために (ドゥスポーツシリーズ)塩田剛三の奥義伝承[DVD]英文版 合気道 - Dynamic Aikido

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ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著 を読む [格闘技]

この本は、「週刊プレイボーイ」に昭和61年4月~12月まで連載された”バイオレンス対談・ケンカ道”をもとに作られた本です。ゲージツ家クマさんが、今では考えられないような昭和の偉人、達人にインタビューした内容です。
ケンカ道―その“究極の秘技”を探る (ノン・ライブ)



ケンカ道―その“究極の秘技”を探る (ノン・ポシェット)



この対談のメンバーを見て、みなさんビックリするのではないでしょうか?
今ならほとんど不可能な偉人、達人達を厳選してクマさんがインタビューしています。

第一章 青春無頼編
【一】修羅場を潜れるのは若いうちだ
   前田日明(28)  プロレス界の若大将
【二】侠気は”ワル学校”でしか磨けない
   シーザー武志(31) シュートボクシングの創始者
【三】「オレの息子なら、勝つまでやれ!」
   ディック・マードック(41) ケンカ武者のプロレスラー
【四】大義名分が立てば、思い切りブン殴れ
   芦原英幸(43) ”ケンカ十段”の理論家空手家

第二章 武技探求編
【一】ケンカのけじめはノックアウト
   佐山聡(29) 新格闘技シューティング創始者
【二】きれい汚い関係なし、先制攻撃にこそ
   東 孝(38) 超過激空手実践
【三】向こう傷は”男の勲章”
   藤原喜明(38) 関節技の最強プロレスラー

第三章 海外死闘編
【一】「気迫」と「執念」が「技」に勝る
   大沢昇(45) キックボクシングの初代チャンプ
【二】”弱気の虫”に勝利なし
   上田馬之助(46) さすらいの金狼プロレスラー

第四章 極意到達編
【一】男の「体」と「脳みそ」を合致させる道
   アントニオ猪木(44) 格闘技界のリーダー
【二】柔よく剛を制す ― その奥儀を明かす
   塩田剛三(72) 合気道の超人
【三】男はケンカを通して友をつくれ
   カール・ゴッチ(63) プロレスの神様
【四】力がなければ、正義は保てない
   大山倍達(64) ゴッドハンド

この中で、何人かの達人に対するクマさんの一口コメントを紹介します。

前田日明
アントニオ猪木を追い続け、いつか必ず打倒することを誓う、プロレス界の若大将、前田日明さん。ケンカは高校時代に修羅場を経験していた。それは強くなるための”練習”だったという。
新日本プロレスでイギリスから凱旋帰国した時の前田は、若々しくとてもカッコ良かった!古館伊知郎の名づけた「七色のスープレックス」にはあこがれました。

芦原英幸 
『空手バカ一代』の”ケンカ十段”、芦原英幸さんは、マンガでのイメージとは大違いの理論派武闘派だった。しかし、若い時の、四国での道場破りの話は、いつ聞いても痛快無比だ。
芦原さんは『空手バカ一代』以前にも大山館長の本で何度か出てきていましたが、だんだんと芦原さんに関する記載が読者に悪い印象を与えるような書き方に変わってきたので不思議に思っていました。1980年に除名となりますが、それでようやくその意味が分かりました。

塩田剛三 
合気道の第一人者、塩田剛三さんは、一見、ヒョーヒョーとしたおじいさん。だが、ちょっと手を握られただけで腰が抜けてしまった。まるで電気ナマズのような人だった。超人というのはいるものだ。
この本を読んだ当時は、まだ梶原ワールドに洗脳されていた状態だったので、「空手が最強!」、「大山倍達最強!」と今考えると狭い考えに染まっていました。そのため、合気道なんてはなから馬鹿にしていました。しかし、この本の塩田剛三の部分を読んで「ン!何か違うような...」という印象を持ちました。
しかし、実際に塩田剛三の本当の凄さを認識するのはそれから5年以上経ってからのことで、それからは真剣に塩田剛三の養神館に入門しようと考えていました。

人間、視野が狭いとダメですね。何年生きていても、世の中にはまだまだ自分の知らない世界があるということを謙虚に認識すべし、と日々反省しています。(笑)




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ブレイク・スルー K-1 舞台裏の物語  佐藤猛著 を読む [格闘技]

佐竹雅昭氏の「まっすぐに蹴る」に対抗した出した本との事で楽しみに読んでみました。
ブレイク・スルー―K‐1舞台裏の物語





私は、佐藤氏のことはまったく知らなかったのですが、石井和義氏のK-1に関するライセンス契約などの法務関係を担当された方のようで、2001年に石井氏とともに国税局の査察を受け逮捕され、2003年有罪判決を受けたそうです。正道会館関係の方からの反論かと思って期待していたのですが、内容的には期待はずれです。

佐藤氏は石井氏から「一流のビジネスセンスと実行力、そこから見え隠れする人生観、いや宇宙を感じていた」そうで、佐竹氏の石井氏の批判的記載に関して、「そんな人じゃないです。貢献したことのほうが多いですよ」、ということを言いたくて本書を書いたようです。
氏は、石井氏のK-1ビジネス手腕に関して、下記の4点を挙げています。
・徹底したマーケット・インの手法
・独自のアウトソーシング能力
・異常なまでのスピード経営
・説明不要の長時間労働

私も石井氏の独特の経営手腕、着眼点に関しては認めざるを得ないと思っています。20代前半で、芦原氏から大阪道場の発足を依頼され、短期間で月に1,000万円弱を稼ぐ道場に育てるのは並の経営手腕ではできません。また、その発想、行動力も素晴らしいものだと思います。ただ、そのために犠牲になった人も多かったことは想像できます。特に佐竹氏のように薄給で働かされた道場職員などの上に成り立った成功だと思います。

佐藤氏は、石井氏に関して不満のある部分に関しても記載しています。
・決めてほしいときに、決めてもらえない
・独自の時間感覚
独自の時間感覚とは、石井氏が自分自身のみで管理するカレンダーでスケジュールを組むが、石井氏の関心がなくなったり、優先順位が変化すると突然スケジュール表から消えるようなことを言っているようです。これは石井氏の師匠の芦原氏、さらにはその師の大山館長もそのような傾向があったようですから、綿々と代々受け継がれているのかも知れません。

本書は例えて言えば、会社の部長クラスが社長の不満を書いた本に対して、ビジネスパートナーが「社長はそんな人ではありませんよ」と反論した本とでも言えましょうか。特にこの社長は、部下あるいは部長クラスに対する対応とビジネスパートナーに対する対応が極端に違っていたようです。(どこの会社でもありそうな話です)

佐藤氏は、石井氏は外国人のK-1ファイターに尊敬されている、K-1ファイターの中で佐竹氏が一番お金に対してうるさかったと書いていますが、佐竹氏の給料やファイトマネーは他の外国人K-1ファイターに出した金と釣り合っていたのでしょうか? その内容を知っているのであれば、そこも含めて書いて欲しいと思いました。

また佐藤氏は、佐竹氏から恫喝的な電話を受けたようなことも書いてありましたが、他の本を読むと石井氏も出版関係やマスコミ関係に同様なことをやっていたように書かれてありますので、人によって対応が違うのはお互い様のような気がします。また、佐藤氏は石井氏も佐竹氏の健康については気にしていたと書いていますが、佐竹氏があれほど書くのですから、石井氏の思いは佐竹氏には全然伝わっていなかったと言わざるを得ません。最近はやりのコーチング手法を使ったマネジメントでは、「伝わらない思いはないものと同じ」と考えています。この辺は、空手の子弟関係が絡んだ超ボスマネジメントを脱しきれなかった石井氏の弱みだったのだと思います。
(苫米地先生の言う「ネガティブラポール」のコントロールを間違ったということでしょうか?)


まっすぐに蹴る












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まっすぐに蹴る  佐竹雅昭著 を読む [格闘技]

K-1の立ち上げに多大な貢献をした佐竹雅昭氏の本です。
まっすぐに蹴る








以前書きましたように、私は佐竹氏を“常勝軍団”と言われていた正道会館時代から見ていました。その後、
ニールセンとの戦い ⇒ リングス参戦 ⇒ K-1参戦
と続きますが、私はこの流れは石井氏が敷いたレールだと思っていました。しかし、この本を読むと、リングス参戦は佐竹氏が「前田日明と戦いたい!」という思いから自分の意思で動いたことが分かります。実際には、佐竹氏だけが参戦する予定だったのが、石井氏も一緒に正道会館として参戦という形になってしまったようです。

その石井館長ですが、佐竹氏は石井氏を空手の師として仰いだことはない、と断言しています。実際に組手は一度もやったことがないそうです。佐竹氏は、正道会館での先生は中山猛夫氏だと言っています。(中山氏は、極真の第9回全日本選手権大会に空手歴1年で出場して準優勝(優勝は東孝氏)という偉業を成し遂げた強豪で、第1回、2回の正道会館の大会で優勝しています。)

佐竹氏は、K-1を「奴隷と奴隷商人との商売」と表現し、大変なのは奴隷だが、儲けるのは奴隷商人だと書いています。リングスで前田氏と戦いたいと思っていた佐竹氏を石井氏が「K-1を立ち上げて“お金は二人で折半しよう”」誘ったとのことですが、もちろん折半の話はうやむやになり、佐竹氏は職員の給料(最初5万円 ⇒ 12,3万円)+ファイトマネー(値段の記載なし)しか貰っていなかったそうです。

私がこの本で一番衝撃を受けたのが、94年12月のグレコ戦以降、佐竹氏が試合中に頻繁に記憶が飛び、ICU(集中治療室)に3回も入って、ドクターストップもかかってたということです。
劇画の「空手バカ一代」で大山館長がアメリカ遠征でボクサーと対戦した時に、意識を失った状態で本能のまま戦い勝利するという話があり、子供心に「大山館長って何てすごいんだ!」と思っていました。しかし、佐竹氏は連戦のダメージの蓄積のため、脳の血管が細くなっており、脳挫傷寸前の状態にも関らず戦い続けていました。そのため、ヘビー級の重いパンチをもらう度に記憶を飛ばして闘っていたそうです。まさに「空手バカ一代」そのものですね。改めて佐竹氏は凄いと思いました。

それにしても、そのような体調で試合出すことを許した、強制した人は何を考えていたのでしょうか? (詳しくは是非この本を読んで下さい)

佐竹氏はそのような事があったため、いつも万一の事を考えて周辺整理をしてから試合に臨んでいたそうです。まさに命をかけた戦いだったわけです。

佐竹氏の命をかけた戦いと勇気と情熱にあらためて感謝!
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芦原英幸氏の本
芦原英幸伝 我が父、その魂大山館長の本大山倍達正伝












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空手超バカ一代  石井和義著 を読む [格闘技]

K-1の創始者、正道会館の館長である石井和義氏の本です。タイトルの「空手超バカ一代」は、おそらく極真会館の大山倍達館長の一代記「空手バカ一代」(梶原一騎原作)からとったものでしょう。私は、この「空手バカ一代」やその他のいわゆる「梶原一騎ワールド」で育った人間なのでその目から見た感想を書きます。

空手超バカ一代 (Bunshun Paperbacks)
私が小学生の高学年の頃、少年マガジンで「空手バカ一代」の連載がはじまりました。当時は梶原一騎の最盛期で、「巨人の星」、「あしたのジョー」、「空手バカ一代」を読みたくて、毎週マガジンの発売日が楽しみにしていました。(「巨人の星」が「空手バカ一代」と連載時期が重なっていたかどうかは記憶が定かでないですが...)
その影響で、私も大学時代に極真空手の支部道場に通った経験もあり、「空手バカ一代」の準主役となった芦原英幸氏の大ファンでもありました。その頃は、ちょうどウィリーと猪木の世紀の一戦があり、その後芦原英幸氏、添野義二氏といった有名な師範達が次々に極真会館を去った激動の時期でした。

そのような経緯もあり、極真会館に関してはそこそこ詳しいと思っていましたが、芦原氏の弟子であった石井和義氏に関してはまったく知りませんでした。しかし、氏の率いた正道会館の佐竹氏、角田氏などが他流派のトーナメントに参加して優勝を飾って常勝軍団と呼ばれたり、「USA大山空手VS正道空手5対5マッチ」の企画、リングスへの参戦、K-1の立ち上げとあっという間にメジャーになっていったのは驚きを持って見ていました。

石井氏は芦原氏から22歳で大阪道場を任されます。資金援助も土台も何もないゼロの状態から大阪球場内の文化会館に道場を持ち、1日に500人もの人が稽古にくる恐らく(人数的には)日本一の大道場にまで育てあげました。この道場経営手腕には驚くべきものがあります。だからこそ、K-1をあれだけメジャーにできたのだと思います。
特に驚いたのは石井氏の指導方法で、自分で“ホメ殺し”と書いていますが、初心者に対して「わぁすごい!」、「強い突きだね!」などとホメまくって楽しいと感じさせるような指導を行っていたそうです。今は知りませんが、当時の空手道場では先輩の言うことは絶対であり、後輩に対して石井氏のやったような指導方法などあり得ない状況でした。

その盛況な道場の月々の収益(500万~800万円)を銀行に預けずに現金のまま芦原氏に渡していたそうです。それにも関らず、その当時石井氏が芦原氏からもらっていた月料は11万円!だったそうです。
私だったら、道場の収益を少しゴマカシて何とかうまくやろうと考えるのでしょうが、石井氏は収益には手を付けずに律儀に芦原氏に届けていたそうです。ここに石井氏の芦原氏への忠誠心を見ることができます。
しかし、これまでの貯金を使いつくした石井氏は27歳の時に芦原氏に昇給を懇願しました。その結果12万円!(笑)に昇給されたそうですが、結局それが芦原氏の石井氏に対する不信感を買ったため、退会することになったそうです。

この石井氏が送付した多額の資金によって芦原氏は極真会館本部道場より立派な四国の本部道場を建てることができたわけです。私は、当時真樹日佐夫氏が発行していたカラテマガジンの記事で芦原氏の四国道場が新築されたことを知りましたが、「芦原空手はそんなに儲かっているのか?」と少し不思議に思っていました。しかし、この石井氏の本でその疑問が氷解しました。

精神性が重視される武道の世界ですが、現実世界で暮らしていくには相応のお金が必要です。芦原氏が大山館長の下で職員をしていた頃の月給が7万だったそうです。そしてその芦原氏の職員の石井氏が11万円、石井氏の職員となったK-1の佐竹氏の給料が5万円(最終的には13万円になる)だったそうです。芦原氏にしても石井氏にしてもそれぞれ自分の給料に相当の不満を持っており、それが原因で師匠と険悪な状態になっているにも関らず自分がまた同じことをしているのは何故なのでしょうか?
特にこれだけ常識もあり頭の切れる石井氏が、それが原因で芦原氏と決別したにも関らず自分の職員である佐竹氏に同じことをしていたことは理解できません。

その石井氏も結局、脱税という罪で服役することになります。その石井氏は、大山館長と芦原氏に関して、
二人とも強さとセコさと商魂にかけては間違いなく空手史に残る
と表現しています。石井氏をしてそう言わしめた、お二方のすごさは想像するしかありません。
特に大山館長のほとんどの著書を読んで、「極真空手はソウル(魂)空手だ!」という一文に感銘を受けていた私にとってはかなりのショックでした。

ワトルズが説いたように、肉体、精神、魂の3つのバランスが取れていないで大金を手にするとそうなってしまうのかもしれませんね。
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