So-net無料ブログ作成

イスラエルの失われた10支族が日本に来ていた! 「この国の「深奥」の重大な歴史」 久保有政著 を読む [歴史の真実・陰謀論]

もう隠しようがない 日本人が知って検証していくべきこの国「深奥」の重大な歴史 ユダヤ人が唱えた《古代日本》ユダヤ人渡来説
今回は、日本人とユダヤ人との関係に関しての本です。

まず最初に断わっておきますが、さまざまな陰謀論で語られる「ユダヤ」は、いわゆる「フリーメンソン」のことで、これは人種的にも宗教的にもユダヤとは関係ありません。(詳しくは、「ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む」:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-05-29 をご覧ください。)
著者の久保氏は1955年兵庫県伊丹生れ、ユダヤ文化研家、古代史家で、日本とユダヤの関係の著書を多く書かれています。

日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人は同じ先祖を持つ)は、かなり昔から唱えられていますが、まあほとんどがトンデモ論の扱いだと思います。これが日本人=ユダヤ人という意味であればありえない話だと思いますが、この本で主張しているのは、
古代日本にイスラエル人(ユダヤ人)が渡来し、神道や天皇制、また日本人の特徴となる伝統文化などをもたらした」ということです。そして、その説が日本人だけでなく多くのユダヤ人からも唱えられています。この本は、そのユダヤ人たちの主張をまとめたものです。

この本でいう「ユダヤ人」は「古代イスラエル人」のことです。
かつて古代のイスラエル民族は、紀元前10世紀には12支族からなる統一王国をつくっていた。だが、そののち南北に分裂。「北王国イスラエル」には10支族がついたが、アッシリア帝国によって捕囚され[紀元前722年]、そののち世界に離散した。
一方、「南王国ユダ」の人々は、のちに「ユダヤ人」と呼ばれる人々であるが、バビロン帝国やローマ帝国によるエルサレム破壊などの憂き目を経験し、さらに約1900年間の世界への流浪を経験したのち、ついに1948年、祖国の地に「イスラエル共和国」を建国した。
彼ら南王国ユダの子孫=ユダヤ人は、同胞である「イスラエルの失われた10支族」を探し求めてきた。

この本では、5人のユダヤ人を紹介しています。
ラビ・マービン・トケイヤー(1936年~):東京広尾の日本ユダヤ教団のラビ(教師)
ヨセフ・アイデルバーグ(1916~1985年):イスラエル防衛軍士官。京都の護王神社の見習い神官となり日本の伝統を研究。7ヶ国語を話す。
ラビ・エリヤフ・アビハイル(1932~2015年):「イスラエルの失われた10支族」の調査、およびイスラエルへの帰還を支援する特務機関「アミシャーブ」の創設者。
アビグドール・シャハン(1933年~):教育者、文学者、歴史家。
エリ=エリヤフ・コーヘン(1949年~):ユダヤ教司祭の家に生まれる。元イスラエル大使。

⑤のエリヤフ・コーヘン氏は、このブログで紹介した「キリストの墓」にエルサレム・ストーン(石灰岩)を寄贈した方です。(「30年ぶりにキリストの墓を訪ねる」 http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15 参照)

これらの人たちは、日本に来て日本の神道や生活様式、考え方や神話の内容がユダヤ人のそれと驚くほどの類似性があると感じています。

●旧約聖書と古事記、日本書紀の内容の類似
●カタカナとヘブル語の表記の類似
●日本語と古代ヘブル語の類似(数多く提示されている)
●日本の神社とイスラエルの神殿の類似
・日本の御神輿(おみこし)とイスラエルの契約の箱が似ている。
・日本の神社は手水舎で禊をおこなうが、ユダヤ教でも死者や出血、汚れ、病気などを穢れたものとみなし、それらに触れた場合清めの行為が必要。
・日本の神社の神官の装束と古代イスラエルの祭司の服装が似ている。
・諏訪大社の御頭祭と聖書にあるモリヤにおいてアブラハムがイサクを神に捧げようとした話が酷似している。(諏訪大社の御神体は「守屋山(モリヤ山)」である)

ユダヤ人は、現在でも「イスラエルの失われた10支族」の調査を続けており、その多くはシルクロード沿い(アフガニスタン、パキスタン、中央アジア、北インド、ミヤンマー、中国)などで見つかっているそうです。そしてそのシルクロードの終着点である日本に到達したであろうことは間違いないと考えています。

その日本に来たユダヤ人は「弓月の民」=「秦氏」であろうと言われています。秦氏は京都の太秦に移住したと言われています。太秦には大辟神社(おおさけ神社、現在は大酒神社と書く)があり、大辟は、イスラエルの王ダビデの中国語表記と同じだそうです。

私は、30年以上前に恐らく(詳細は失念)ヨセフ・アイデルバーグ氏の本を読みましたが、「話としては面白いけど...。」という印象でした。しかし、今回の久保氏の本を読み、少なくとも古代において日本がユダヤ人の影響を受けていることは間違いないと思いました。

興味ある方にはお勧めの本です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

日本とユダヤ 聖徳太子の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)神道のルーツとユダヤ 日本の神道と伝統的風習の起源は古代イスラエル人!神道の中のユダヤ文化 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)仏教の中のユダヤ文化―聖書から見た釈迦の教えと聖徳太子伝説 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)

本物の塩は美味しい! 「すごい塩」 白澤卓二著 を読む [健康]


長生きできて、料理もおいしい! すごい塩すごい塩―――長生きできて、料理もおいしい!
← Kindle版です。

今回は、塩の話です。

著者の白澤卓二先生の略歴です。 1958年神奈川県生まれ。千葉大学医学部卒業後、老化ゲノムバイオマーカーの研究を行う。順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。医学博士。
このブログでは、(「砂糖」をやめれば10歳若返る! 白澤卓二著 を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-03-31)を紹介しました。この本で、先生は「砂糖はソフトドラッグだ!」と主張されています。また、最近ではココナッツオイルを使ったダイエット法でよくTVにも出ていますね。また、以前このブログで紹介したジョコビッチの本に解説文を書かれています。

今年のGWに八幡平に行った時に、たまたま三陸「宮古の塩」を買ってきました。この塩が荒塩で、そのまま食べても美味しかったので、すっかりはまってしまいました。とは言え、塩はあまり摂ると体に悪いと思っていたのですが、前述のジョコビッチの本や「自分を変える最強の食事」に海塩を積極的に摂取していることが書いてあり、興味を持ちました。
そんな時、たまたま見たTVで九州の天草の昔ながらの製塩法で作っている塩の紹介をやっていたので、早速Webで注文しました。(「通詞島の釜炊き塩」) また、8月に北海道に行った時には、網走で「オホーツクの塩」を買ってきて、現在はこれを使っています。(下の写真)

ohotsuku.JPG特に「自分を変える最強の食事」では、著者は朝の起きぬけに水に溶かした小さじ1/2~1杯の海塩を摂ることで夜までのエネルギーを高くキープできている、と書かれています。私もさっそく試してみましたが、とてもいい感じです。ただし、これは通常の食塩でやってはダメです!。かならず「海塩」を使って下さい。

さて、食塩と海塩の違いはなんでしょうか?
日本では1971年まで伝統的な製法で塩が作られていましたが、1971から1972年にかけて塩を作るための施設が日本政府の方針で閉鎖になりました。これ以降、塩専売公社のみが塩を作って販売して良いことになりました。そして塩と言えば専売公社の作った、まったくミネラル分のない「精製塩」(純度99.9%)となりました。このNaClは、食品というよりは工業製品です。

海塩は、伝統的な塩田で天日干ししたり、平釜で海水を蒸発させたりして作ったもので、海水に含まれるマグネシウム、カリウム、カルシウム、ナトリウム、塩素、セレン、銅、亜鉛など必須ミネラルが含まれています。ミネラルの摂取はバランスが重要で、精製塩(食塩)だけを摂るとナトリウムとカリウムのバランスが崩れて高血圧などの病気の原因になります。

この本で白澤先生は、おすすめの海塩として「わじまの海塩」、「ひんぎゃの塩」を挙げています。いずれもマグネシウム、カルシウムが豊富だそうです。
私が試した、「宮古の塩」、「オホーツクの塩」、「通詞島の釜炊き塩」と比較してみましょう。

マグネシウム カルシウム
わじまの海塩 295mg 527mg
ひんぎゃの塩 2,000mg
宮古の塩 220mg 71mg
オホーツクの塩 600mg 510mg
通詞島の釜炊き塩 625mg 124mg
(いずれも100g当り)

このようなミネラル分を含んでいるため、なめてみると食塩の単なるしょっぱさではなく、まろやかでこくがあり、少し甘味を感じます。

「敵に塩を送る」という言葉があるように、塩は本来私たちが摂らなければ死んでしまうもので、過剰摂取はないそうです。海塩はマグネシウムを多く含むので、摂取しすぎると「えぐみ」を感じてそれ以上は食べたくなくなるし、仮にたくさん摂取したとしても水分さえきちんと摂っていれば余計な塩分は排出されるそうです。

白澤先生は、この本で一般に言われているような高血圧の原因など「塩が体に悪い」ことを裏付けるデータは1つもない、と書かれています。逆に、極端な減塩は体のだるさ、筋力、気力の低下、立ちくらみの原因になります。また塩が不足すると脳卒中、心筋梗塞などの病気の原因にもなるそうです。

先日、たまたま麻布十番を歩いていたら「塩屋」という塩専門のお店があり驚きました。(http://www.shop-ma-suya.jp/)中を覗いたら、日本中どころか世界中の塩を売っていました。それぞれの塩の味を確かめることもできるようです。私の使っている「オホーツクの塩」、「通詞島の釜炊き塩」も売っていました。お店の中を見て回るだけでも楽しめます。塩をトッピングするアイスクリームもイートインできるようです。
本物の塩を求める人が多いということですね。

健康に興味や心配がある人はぜひ読んで欲しい本です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


能登わじまの海塩500g通詞島の釜炊き塩 400gオホーツクの塩 オホーツク海水100%青ヶ島の自然塩【ひんぎゃの塩】240g



「ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!」 福田一典著 を読む [健康]


ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!―今あるがんが消えていく『中鎖脂肪ケトン食』ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する!← Kindle版です。


今回は、がんの治療に関する本です。

著者の福田一典氏は、1953年福岡県出身。熊本大学医学部を卒業後、米国バーモンド大学医学部生化学教室に留学し、がんの分子生物学的研究を行い、1992年から(株)ツムラ中央研究所研究部長(漢方薬理の研究)、1995年国立がんセンター研究所等を経て、2002年に銀座東京クリニックを開設し、がんの漢方治療と補完・代替医療を実践しています。

現在、1年間に70万人ががんと診断されていて、がんで死亡する人は35万人だそうです。つまりがんの治療率は5割を切っているそうです。一般にがんの治療の基本は小さい時に完全に切除することで、進行した状態ではがんの根治は困難と言われています。また、抗がん剤による治療は、正常細胞もダメージを受けるので健康な人でも耐えられないような副作用があることが問題となっています。

このブログでがんにはビタミンCが効くことを紹介しました。(「ビタミンCの大量摂取がカゼを防ぎ、がんに効く 生田哲著 を読む」http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03
この本は、そのビタミンCの効果をさらに上げる方法を紹介しています。

この本の主張は、「がん細胞はブドウ糖を絶てば死滅する」ということです。

がんの民間治療として絶食療法は昔から知られていたようです。これは食事を制限した時に、人間の体は生命維持のためのエネルギ―供給(脳や心臓など重要な臓器)を優先するため、がん細胞に栄養が行かなくなるというロジックのようです。このブログでも紹介した石原結實先生は、がんは長年の高脂肪食の食べ過ぎによる血液の汚れが原因と主張されていますので、この絶食による血液の浄化、がん治療の効果は確かにあるように感じます。

この本によると、がん細胞はエネルギーとしてブドウ糖しか利用できないそうで、ブドウ糖を制限するとがん細胞が死滅するということです。最近ダイエットでよく行われている「糖質制限」を行うことで、体内に代替エネルギーとして脂肪酸が分解してできる「ケトン体」が造られます。体内の正常細胞は「ケトン体」を利用できますが、がん細胞はケトン体をエネルギーとして使うことができないので、痩せ衰えて行くそうです

そして、がん細胞の唯一のエネルギー源であるブドウ糖と構造が似ているのが、ビタミンCです。糖質制限を行っている状況でビタミンCを大量(25~100g)を点滴する治療を行うことで、がん細胞がビタミンCをブドウ糖と間違えて取り込みビタミンCが発生する過酸化水素によって死滅することになり、ビタミンC療法の効果が上がると言われています。

【私が愛用している仙台勝山館のMCTオイルです】
仙台勝山館 MCTオイル 360g <ココナッツベース100%>
この糖質制限は、1920年代に米国メイヨークリニックで「ケトン食療法」が発案され、この時は、90%以上のカロリーを脂肪から摂取していたそうです。1960年代には、中鎖脂肪酸によってケトン体の再生効率が上がったため、脂肪摂取割合は50%に下がったそうです。中鎖脂肪酸は、以前紹介した(究極のダイエット - 脂肪を摂るとやせる!  シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-06-06)で書いたように、私もダイエットで利用しています。ココナッツオイルやMCTオイルを摂取することで、体内でケトン体を作ることができます。中鎖脂肪酸の良い所は、通常はブドウ糖が枯渇した時に生成されるケトン体がブドウ糖があっても生成されることです。(がん治療にはダメですが…。)
極端な糖質制限はいろいろな弊害もありますので、『シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」』では、必要な炭水化物も摂りつつ、ケトン体による脂肪燃焼効果を得るため、この中鎖脂肪酸を強力な武器としています。

しかし、このように昔から知られている有効で簡単ながん治療が、なぜ現在主流になっていないのでしょうか? やっぱり効果が無いんじゃない? とみなさん疑問に思うでしょうね。私もそう思いました。

いろいろな理由を考えてみましたが、やはり「医者や製薬会社が儲からないから」というのが大きな理由ではないでしょうか? 糖質制限、中鎖脂肪酸(ココナッツオイル、MCTオイル)、ビタミンCなどダイエットの延長でがんが治ってしまうと困る人たちが沢山いるのだと思います。(あくまでも私の意見ですので、ご自分で判断して下さい)

がんの多くは生活習慣病と言われています。健康的な食生活、日常生活を行うことで病気が治るというのは、至極当然ではないでしょうか?

この本の中には専門的な化学式が沢山出てきて読みにくい部分もありますが、健康に興味がある方にはお勧めの一冊です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

やせる! 若返る! ケトン体食事法がんに効く食事 がんを悪くする食事医療大麻の真実  マリファナは難病を治す特効薬だった!恐怖 有毒ミネラルにあなたは殺される!―ガン専門医が、業界の圧力に屈せず、「緊急告発」 (危険警告Books)決定版!抗がんサプリメントの正しい選び方、使い方


大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。

今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

①力道山との確執
以前、このブログで梶原一騎先生の「男の星座」を紹介しました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04) 最近はKindle版で読めるようになりました。この作品で、梶原先生を取り巻く、太陽である力道山、月である大山倍達を軸に話が進んでいきます。
本篇は、昭和29年12月22日の東京蔵前国技館の力道山VS木村政彦の”プロレス巌流島の決闘”から始まります。ご存じのように力道山の裏切りによって木村が敗北した試合の後、力道山に喧嘩を売った大山倍達が登場します。この辺はおなじみのシーンですね。前半は、この力道山と大山倍達との交流を中心に描かれています。みなさんすでにご存じのように、この二人とも朝鮮半島から渡って来たという過去を持ちます。しかし、この「男の星座」では、力道山の過去は明らかにしていますが、大山倍達の過去に関しては描かれていません。この辺りは、まだ大山氏に対する遠慮があったのかも知れませんね。(上記ブログより)
いろいろな経緯があり喧嘩別れで極真会を離れた梶原先生も真樹先生も大山倍達が韓国出身だということに関しては一言も触れていません。これは、お二人の大山館長に対する最大限の配慮があったのだと思います。
一九五四年七月特別号の『オール讀物』(文藝春秋)において力道山と大山倍達の対談が行なわれた。「サムライ日本」というタイトル通りに、二人は終始日本人として振る舞い、最後まで朝鮮・韓国の話題に触れることはなかった。
この対談は、何かの特集で読んだ覚えがあります。この対談が後に二人が決定的に対立するきっかけになりました。この二人は、同じ半島出身ということで、以前から面識があったようです。二人とも半島出身であることを隠していたことは共通していますが、その徹底度合いがまったく違ったようです。力道山は、朝鮮訛りを徹底的に排除しましたが、大山倍達は五十年以上日本に住んでいたにもかかわらず韓国訛りの日本語を話していました。
しかし、力道山は大山とまったく正反対だった。彼は自らの出自の漏洩を避けることに神経を尖らせ続けた。その異常さゆえに、後年の力道山は精神的な病に冒されるほどだったと言われている。また、そんな彼の意識が自らの死期を早めた遠因であると語る関係者は少なくない。

その二人が冒頭に挙げた力道山と木村政彦との一戦の後に大山倍達が激怒し、力道山に挑戦状を叩きつけ、周囲の人たちに制止されると、その後力道山と一対一の勝負を付けるためにつけ狙ったことが大山倍達の本に書かれています。力道山対木村戦の時、大山倍達が力道山に挑戦したのは、力士出身の格闘技評論家である小島貞二氏の著書に書かれているので、本当だと思っていましたが、その後も力道山を付け狙ったというのは大山氏の本とそれをベースにした梶原先生の「空手バカ一代」に書かれているだけなので、正直言って疑っていました。しかし、本当の話だったようです。
その後も、大山は小島貞二や門茂男が言うように力道山を付け狙い続けた。一九五〇年代頃から大山と親交があり、町井久之のもとで活動していた秋元明は次のように証言する。「大山さんが力道山に挑戦状を突き付けて何度も試合を迫ったのは本当です。大山さんはマスコミの人たちに力道山と戦いたいと吹聴して回りました。それで、この話が大事になってしまったのです。
ただし、「空手バカ一代」を読むと兄と慕っていた木村政彦が力道山にやられたので、その仇打ちという意味付けで描かれていますが、実際の理由は異なるようです。前述の雑誌『オール讀物』での対談での腕相撲が原因とのことです。
すると大山さんの怒りはまだ収まっていないようで、『力道は絶対に許せん』と言い張るので驚きました。大山さんが言うには、ある雑誌の対談で力道山と会ったが、余興として最後に腕相撲をすることになったそうです。互いの立場を立てて引き分けにしようと申し合わせていたのに、記者が写真のシャッターを切る瞬間、突然力道山が猛烈な力を入れて大山さんは負けてしまいました。
つまり、兄と慕う木村政彦の仇打ちではなく、自分のメンツのために挑戦したというのが本当のようです。木村戦も大山倍達との腕相撲の話にしても、力道山があらかじめ決めていた約束を破って自分が勝つという汚いやり方をしたので、大山倍達が「力道山は許せん」となったということのようです。
それに対して周囲の人たちは、どう思っていたかと言うと、
正直、民団関係者のほとんどが実際に二人が戦えば確実に大山さんが勝つし、力道山はプロレスラーとして活動が出来なくなってしまうと信じていました。ただ、そうなると今度はプロレスを興行するヤクザ関係者まで巻き込んでしまいます。ヤクザと揉める方が問題だと小浪さんが言い出して、そこで小浪さんと町井先生と曺(寧柱)先生の間で相談し、何とかして二人を仲直りさせなければならないということになったのです(秋元明)
結局、大山倍達と力道山とのトラブルは、力道山の興行を仕切っている日本のヤクザと朝鮮の建青・民団などの抗争につながる可能性があったため、曺寧柱と町井久之が両者の間に入って必死に和解させたようです。力道山と木村政彦の世紀の一戦において力道山が裏切って勝利した時も木村の後援をしていた暴力団員が力道山をつけ狙ったそうですから、巨額のお金が動くプロの興行というのは複雑なものです。
ちなみに力道山は、ヤクザに対しては常に低姿勢だったそうです。
力道山はヤクザに対していつも低姿勢で媚びるようなところがありました。町井先生に対しても同様でした。
最強のステゴロと言われた花形敬の映画『疵』で「「力道山も恐れた男」として語り継がれる伝説の都会派ヤクザ」と宣伝されていましたが、力道山は花形に限らずヤクザに対しては低姿勢だったようですね。

②学歴詐称の件
大山倍達は、拓殖大学と早稲田大学に通ったことになっています。
大山が拓殖大学に入学したことを疑う人はほとんどいないが、早稲田大学への入学については大山特有の大言であると一笑に付す関係者は多い。
しかし実際には、拓大入学が嘘で早稲田大学への入学は事実だったそうです。普通に考えれば逆だろ? と思いますが、大山館長は武道家としては早稲田大学よりも木村政彦の通っていた拓殖大学の方がふさわしいと考えていたのかも知れません。

③佐藤栄作元首相との関係
大山館長の初期の頃の本を読むと佐藤栄作元首相の写真が出ていたので、子ども心にどのようなつながりがあるのか不思議に思っていました。大山館長は、毛利松平氏の紹介で佐藤大臣のボディーガードをやっていたそうです。
一九六一年、池田勇人内閣で通産大臣を務めた佐藤は念願の首相の座に向けて積極的な活動を開始する。その際、大山は佐藤のボディガードを務めたと言われている。「毛利松平氏の紹介だったということですが、大山さんは一九六〇年代初期、佐藤栄作氏のボディガードをやっていました。それは間違いありません。それで、当時のお金で五百万円以上を極真会のビル建設資金としてもらったと聞いています」(鄭達鉉談)

④真樹先生の『大山倍達との日々』への対策に関して
このブログでも紹介した真樹先生の『大山倍達との日々』(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-03-20) に対して、やはり大山館長は激怒していたようです。館長は、小島氏に真樹先生の本に対する反論の本を書かせようと考えていたようですが、小島氏は固辞しました。
「真樹の本に私自身が反論するのは大人気ない。だから、これは私以外の人間が書いた形にしなければならない。そこで小島にその本を書いて欲しいんだ」
私には大山の申し出を受ける気持ちは最初からなかった。私が著者となる書籍で、たとえ大山とはいえ他人の意向に則った幇間のようなものは書きたくなかったからだ。しばらく考えるふりをした後、私は婉曲に断った。大山の再三の要請にも私は首を縦に振らなかった。大山は怒りながらも最後には諦めた様子で、「私の命令を正面から断ったのは芦原(英幸)と小島だけだよ」とこぼし、「それじゃあ、他に誰か書き手はいないかね?」と訊いてきた。
この時、小島氏は郷田勇三氏を推薦したそうですが、結局は当時館長の秘書業務を行っていた北海道支部長の高木先生が書かされることになったようです。

大山倍達、極真会館に興味がある方には必読の書だと思います。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

芦原英幸正伝大山倍達の遺言極真空手 黒沢浩樹-最後の超人伝説芦原英幸伝 我が父、その魂芦原英幸正伝格闘家に告ぐ!実戦格闘技論
最強格闘技論(リアルバトロジー)

大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1 [格闘技]


大山倍達正伝大山倍達正伝
← Kindle版です。


今回の本は、極真会館の大山倍達の隠された一生を解き明かしたもので、600ページ以上ある力作です。第一部は、生前の大山倍達を知らない塚本佳子氏が大山倍達の半生を描き、第ニ部では晩年の大山倍達と交流があった小島一志氏が小島氏の視点で空手家大山倍達を描いています。

本の帯には「資料500点、証言者300人余、渾身の取材で驚愕の真実続出!」と書かれています。小島氏の書かれた内容は、これまでの氏の本である程度書かれているのでそれほどインパクトはありませんが、第一部の塚本氏の内容が衝撃的です。生前の大山氏を知らない塚本氏だからこそ何の思い入れも込めず淡々と取材で得られた事実を記載しています。

私のように昭和30年代に生れた男たちは、梶原一騎先生原作の「空手バカ一代」に多大な影響を受けてきました。そして、私を含めて多くの人たちは大山倍達にあこがれて、極真会館に入門して空手を学んだと思います。私にとって大山倍達は神のような存在でした。現在では、内容の多くの部分が梶原先生の創作によるものだということが通説になっていますが、その当時は考えもしませんでした。

そして、中学生になると漫画だけではなく、大山倍達に関する本をかたっぱしから読んでさらに大山館長へのあこがれを強くしていきました。しかし大山館長の本を読んで行くうちに子ども心にもいくつかの疑問が湧いてきました。それは、「なぜ本によってこんなに文体が異なるんだろう?」ということです。これは、今考えると何人かのゴーストライターが書いているのだから当り前なのですが、その当時の中学生には理解できないことでした。(真樹日佐夫先生も何作か書いていました)

その他にも気になった(違和感を感じた)点がいくつかありました。
①大山館長は石原莞爾の主催する東亜連盟に加わっていると本に書いてあること。空手と関係があるのだろうか?
②「日本人たるものかくあるべし」とか「日本男児として云々」ということが必要以上に強調されていること。おそらく大山館長はそれほど日本を、日本人を愛しているのだろう...。

この2点に関しては、その後ずっと気になっていましたが、今回紹介する本を読んでようやく納得できました。大山館長の伝説はほとんど梶原先生が創作したような言われ方をしていますが、それがまったく間違いであることが分かります。
大山倍達の人生を辿った私たちの「旅」は、ある意味で巷間に知られる「大山倍達伝説」の反証の連続だった。「伝説」のなかで描かれる大山倍達の姿は、ほとんどが「虚像」だったのである。
 大山は一九五〇年代初頭から、メディアを利用することで「空手家・大山倍達」の偶像化を試み始めた。同時に、大山は自らの手によって、現在も語り継がれている「大山倍達伝説」を創作した

大山倍達は、日本統治時代の朝鮮(現韓国)で生れた「崔永宜」であり、厳格な親に反発して勘当されて日本に渡り「空手家・大山倍達」として大成します。大山館長が韓国人であることは、もうすでに周知の事実であると思いますが、その半生を朝鮮の民族運動にささげていたことはこの本で初めて明らかになりました。そしてその民族運動に関わったのは、大山氏の師匠である曺寧柱の影響でした。
大山倍達を語るとき、避けることの出来ない存在が曺寧柱であることはいまさら言うまでもない。だが、「大山倍達伝説」関連の視点で捉える曺の姿は、多分に「空手家」としてのイメージが強い。しかし、曺の真の姿は「空手家」としてより、むしろ「民族運動家」にこそある。

そして、曺寧柱は、「五族協栄」「民族協和」による民主的な国家運営をするという石原莞爾の思想に影響を受け、熱心な信奉者となります。石原は戦後地元の酒田で病気の療養をしていましたが、GHQにより呼び出されて酒田法廷で証言をします。この時に石原を乗せたリヤカーを引いていた若者の一人が大山倍達であったこと初めて知りました。
しかし、大山倍達には曺寧柱のような思想はありませんでした。
大山には決して民族主義者のような思想もなく、朝連と対決しなければならないイデオロギーもなかった。ただ戦うことに酔っていた。一度に何人を倒せるのか、どの技が敵を倒すために有効なのか……。それだけが大山を朝連との抗争に駆り立てた唯一の理由だった

その当時、在日朝鮮人の民族団体は、共産主義革命を主張し政治的色合いの濃い「在日朝鮮人連盟(朝連)」と民主主義の立場から朝鮮人自身の手で朝鮮建国を目指す「在日朝鮮建国促進青年同盟(建青)」および「在日本朝鮮居留民団(民団)」が対立していて激しい抗争を繰り返していました。
朝連と建青・民団はことあるごとに衝突した。それは「殲滅戦」と言ってもいいほど、徹底した暴力による抗争だった。双方数百人におよぶ激闘に発展することもしばしばで、棍棒や刃物などの携帯は当たり前、ときには拳銃やライフルなどの銃器さえ使われた。もちろん抗争による死傷者は続出し、それは現在、私たちが映画などで観る「暴力団同士の抗争」を遥かに凌ぐ過激さだった。そんな抗争劇が数年間続いたのである。

そのような状況の中、建青のメンバーとして、建青を守るという大義名分を得た大山氏は戦闘隊長としてボクシングや空手を使って自ら抗争に明け暮れ、朝連を相手に戦うこと自体に喜びを感じていました。
前日、MPの出動によって攻撃を阻止された朝連は、建青の完全な殲滅を画策し、百五十名にもおよぶ青年隊を送り込んだ。大山たち応援隊がきたとはいえ、対する建青は朝連の三分の一に満たない五十名程度で応戦することを余儀なくされた。(中略)
大山は意気揚々と朝連青年隊に対峙した。ボクシング、空手で鍛え上げた大山の強さを知らない青年隊は、一斉に大山に殴りかかってきた。なかには棍棒や鉄パイプを持った者たちもいた。ところが、大山は相手の攻撃をものともせず、次から次へと朝連青年隊を殴り倒していった。大山にはもはや武器も通じなかった。この乱闘事件で、大山は数十名の朝連の青年隊員に重傷を負わせることになる。

この時、大山氏は同じ在日朝鮮人である東声会の町井久之と一緒に戦い、その後も交流を持っていました。大山倍達伝説の一つの「戦後ヤクザの用心棒をしていた」という話がありますが、当時は朝鮮人と日本人ヤクザとは敵対していたため、日本のヤクザの用心棒をする可能性は低く、これは町井との関係のことを言っているようです。
朝連との抗争で、町井一派と大山さんが一緒に出ていくと、それだけで朝連は総崩れでした。戦う前に相手は怯んでしまうんです。朝連にとっては大山さんと町井さんの二人が目の上のタンコブだったんです。大山さんと町井さんが朝連の本部に乗り込んでいって、道場破りのように朝連の看板を持ち帰ってきたこともあったくらいです」(鄭達鉉談)

大東亜戦争中は、日本人に同化し、日本人として一緒に戦っていた朝鮮人ですが、終戦後は戦勝国でも敗戦国でもない第三国人として無法の限りを尽くしました。
終戦当時、集団で大手を振る朝鮮人と正面からわたり合えたのは日本人ヤクザや愚連隊だけだった。後に日本最大の広域暴力団・山口組三代目組長となる田岡一雄は、『山口組三代目 田岡一雄自伝〈電撃篇〉』(徳間書店)のなかで次のように記している。《現在ではとうてい考えられぬことであるが、当時はそれほど警察は三国人に対して無力だったのである。三国人の暴虐非道に対して身を挺して楯となり、防波堤となったのは全国のやくざであった。(中略)われわれが率先して治安を守らなければならぬ時代だったのだ》
大山が渡日してから死去するまでの五十数年間のうち、最も「朝鮮人」「韓国人」らしく生きていた時代だ。同時に、自らを日本人として描いた「大山倍達伝説」においては、何よりも隠蔽したい時代でもある。また、皮肉にもこの時代があったからこそ「大山倍達伝説」は生まれたとも言える。何故なら、大山にとっての民族運動は「空手修行」と直結していたからだ。

このような時代に、大山倍達は朝連との抗争という大義名分を得、生き生きと自らの強さを追求していたのです。

まだまだ書きたい内容がありますので次に書きます。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

芦原英幸正伝大山倍達の遺言極真空手 黒沢浩樹-最後の超人伝説芦原英幸伝 我が父、その魂芦原英幸正伝格闘家に告ぐ!実戦格闘技論
最強格闘技論(リアルバトロジー)

大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



前回の満洲事変から日本は、中国大陸での関東軍の軍事行動が続き、盧溝橋事件をきっかけとして支那事変の泥沼に引きずり込まれてしまいます。その原因ですが、今回は結論から書きましょう。
断言します。大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿とその側近たちです彼らが中華民国との泥沼の戦いに日本を引きずり込み、それだけでは飽き足らずに対米開戦を仕組んだのです。(下線は引用者、以下も同様)

それでは、近衛文麿の経歴と功績を書いてみましょう。
◆皇別摂家(近衛家・一条家・鷹司家)の出身。(つまり天皇家の血筋が入っている)
◆45歳で首相になり、治安維持法違反の共産党員や二・二六事件の逮捕・服役者を大赦しようと主張し、周囲を驚愕させた。
◆盧溝橋事件で、戦線の拡大を渋る参謀本部に圧力をかけて強硬路線を進め支那事変を拡大させた
◆「支那事変中は発動しない」と約束して国家総動員法を公布し、一ヶ月後に施行した。
日独伊三国同盟を締結して大政翼賛会を発足させた。
◆近衛の側近である尾崎秀実がゾルゲ事件(ソ連のスパイのゾルゲに情報を流していた)で捕り総辞職した。

これを見ると、私たちが教科書で戦前の昭和の歴史の中で習う重要フレーズは、ほとんど近衛文麿がやっていたことが分かります。そして、近衛は日米関係修復の選択肢がほとんどない状況で東條英機にバトンタッチします。そのため、大東亜戦争の戦争責任はイメージ的には東條英機がほとんど一人で引き受けている状況です。東條さんとしても、恨んでも恨みきれないでしょうね。
ハリウッド映画「終戦のエンペラー」(2013年)で、GHQの担当者が東條英機に対して天皇の戦争責任について「3名の証人が必要だ」という要求に対して、ただ一人近衛文麿の名前を示すシーンがあり、とても印象的でした。

話を盧溝橋事件に戻します。
1937年(昭和12年)7月7日、北平(北京の当時の名称)郊外の盧溝橋で夜間軍事演習中の日本軍が銃撃されました。ここに日本軍がいるのは、北清事変後に結ばれた北京議定書で駐屯する権利が認められたからです。在日米軍が日本にいるのと同じ条約上の権利です。
盧溝橋事件の真相は今でもよくわからないのですが、確実に言えるのは日本陸軍には中国と戦う意思がまったくなかったということです。この時点で陸軍参謀総長は宮さまで儀礼的な存在、しかもたまたま参謀次長と現地駐屯軍司令官がそろって危篤です。(引用者注:つまりこの時点で、戦闘領域を広げた場合に責任を取れる人がいなかった)
参謀本部第一部長には満洲事変で名を馳せた石原莞爾がいましたが、石原は「満洲国養成に専念すべき」「ソ連への警戒に専念すべき」「大陸で戦うよりは居留民を引き上げて補償金を払ったほうが安上がり」「満洲を獲った以上は大陸本土に深入りする理由はなく、むしろ長期的には蒋介石政権と提携して大陸の安定を図ったほうが日本の国益になる」という理由で、国民党政府との戦いには絶対反対なのです。

しかし、中国には国民党政府の他に、中国共産党が存在し、日本と蒋介石を戦わせようとしていました。
廊坊事件、広安門事件と北京周辺で日本軍への襲撃事件は続き、7月29日には200人以上の日本人居留民が虐殺された通州事件が発生します。女性は輪姦されたうえ、四肢を切断されて殺され、しかも別の兵士に死姦されるという常軌を逸した虐殺です。こうした事実が報道されるや、日ごろからただでさえ中国に反感を抱いていた世論は止まらなくなり、「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」が合言葉となります。「今こそ凶暴なシナ人に制裁を加えろ」というわけです。石原莞爾のような冷静な意見は通らなくなります。

最近のシリア情勢やフランスでのテロをニュースを聞くと、この支那事変の時の日本人の被害を思い出します。現在の私たちは、海外居住の日本人が通州事件のような悲惨な仕打ちを受けた場合、冷静に判断できるでしょうか?
そこに近衛文麿首相が戦いを嫌がる参謀本部に対して「世論がこんなに怒っているのに、なぜ参謀本部は戦おうとしないのだ」と圧力をかけます。部長と首相では勝負になりません。総理大臣が本気で「やれ」と命令してきたことに対して逆らえる公務員などまずいないのです。しかも、近衛の背後には世論の圧倒的支持があります

これ以降、日本軍は8年間支那事変を戦い続けることになります。私たちは、その大きな原因は軍部の独走では無かったことを認識すべきです。
なぜこのような事になったしまったのでしょうか。
現在では、日本の近衛文麿とアメリカのF・ルーズベルトの両方の取り巻きには、ソ連の独裁者スターリンのスパイが大量に潜り込んでいたことが明らかになっています。
日本としては石原莞爾の主張するようにソ連の南下に備えて、日本との緩衝地帯である満洲を守っていれば良かったのです。しかし、スターリンとしては日本の脅威がソ連に向かないように、支那事変をしかけ、近衛を使って日本軍を南下させて、蒋介石と日本軍が共倒れになることを狙ったのです。
結果はその通りになりました。8年間におよぶ日本軍との戦いで疲弊した蒋介石は共産党の毛沢東に敗れ、日本はアメリカに敗れてしまいました。そして、アメリカはドイツと日本に勝利して世界は平和になると思っていましたが、気が付くとアジアは共産主義で真っ赤になっていました。そのため、朝鮮戦争でソ連・中国による共産主義の南下を防ぐために戦う事になります。

フランスでのテロ、トルコでのクーデターなどヨーロッパでは危ない雰囲気が漂っています。さらに中国は、自分の国の領土拡大の行動が今まで以上に露骨になっています。

過去の日本の歴史をきちんと正確に学び、日本の進むべき道を冷静に考えて対処することが、今まで以上に重要な時期だと思います。過去の戦争では、朝日新聞などの大手メディアが国民感情を煽り、国民を戦争の道へと引きずり込んだことが分かっています。そのようにメディアに乗せられたことに反省し、報道内容、ネット情報の真贋を冷静に判断することが最も重要な事だと思います。

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ





倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



以前、倉山先生の本については、『負けるはずがなかった!「大東亜戦争」倉山満著』で、
ソ連との片手間の中国との片手間のイギリスとの片手間に、アメリカの喧嘩を買った日本」というフレーズを紹介しましたが、その中国との闘いの発端となった満洲事変(“州”ではなく“洲”が正しい)について書きます。満洲事変に関しては、保守論者の中にも「満洲事変は言いわけのできない日本の自作自演の侵略」との評価がされることが多いですが、実際にはどうだったのでしょうか?

満洲事変は1931(昭和6)年に奉天郊外で起きた柳条湖事件に端を発します。通説では、戦前の昭和の時代は、「議会政治が弱体化して軍部が台頭し、テロが多発した暗い時代」となっており、私もそうイメージを持っていました。しかし、実際には大正末期から昭和7年まで明治憲法下で憲政会と政友党が交互に政権を担当する「憲政の常道」が機能しており最も政党政治が強力な時代で、軍縮傾向の状況で陸軍や海軍の立場は弱く、大蔵省から予算を取るために四苦八苦していました。しかも長引くデフレ不況、政治の腐敗が続き、無策な政府に対する国民の不満が溜まっていました。

当時の中国は、1912年に辛亥革命で満州族の清朝が滅亡しましたが、それに代わって国を統一できる政府がなく各地域の軍閥が跋扈する国として統制が取れていない状況でした。(倉山先生に言わせると「無法地帯」) 前回書いたように、清国は満州民族による征服王朝ですから、満洲は清の領域に入っていました。しかし、その前の漢民族の王朝である明国時代は、領土は万里の長城内だけであり、それより外は未開で野蛮な「化外の地」でした。ですので、(満洲 = 中国の領土)ではありません。基本的には満洲は満州族のものですが、日清、日露戦争を経て満洲の北はロシアが勢力を持ち、南は日本が満州鉄道を警備するための関東軍の駐留の権益を得ていました。

その当時、満洲地方は軍閥の張学良が支配していましたが、非常に治安が悪く、その地域に住んでいた日本人居留民(その多くは朝鮮人)が被害を受ける事が多く、その度に関東軍が出兵して救援していましたが、対中関係を重視している政府は根本的な対策を打たなかったため、現場の兵士の不満は溜まっていきました。そしてついに、石原莞爾中佐を中心とする関東軍の謀略により、満洲事変が起こされました。
関東軍の工作対は列車通過直前に線路を爆破し、しかもそのまま通過できるような爆破具合だったので、死傷者ゼロだったという、神業的な自作自演テロでした。
これが道徳的に問題だというなら、中国大陸では一瞬たりとも生きていけないでしょう。
しかし、他国に対する侵略は国際法違反ではないのか? という疑問がわきますが...。
では「侵攻」とはどういう意味でしょうか。「先に手を出すこと」でも「先制武力攻撃」を仕掛けることでもありません。「挑発もされないのに、先に攻撃を仕掛けること」です。大事なのは「挑発」の有無です。
本章を読んできた方で、中華民国(あるいは満洲の張学良)が日本に対して一切の挑発をしていないと証明できる方がいるでしょうか。
当時の国際法では、当時の満洲のように無法地帯(国際法用語では「無主の地」)を獲得しても侵略にはならず、合法であったとのことです。

そして、石原莞爾の天才的な軍事作戦によって、わずか1万6千名程度の出先機関でしかなかった関東軍で30万人以上いたと言われている張学良軍を制圧することができました。しかし、国際法にも違反せず、軍事的には完勝と言える状況にもかかわらず、日本は世界から侵略者として糾弾されることになりました。私たちは、その点を反省すべきだと思います。

さて、当時の状況を時系列でまとめてみましょう。
①第一次世界大戦後アジア太平洋における日本以外の大国は米英ソであるが、当時の日本は軍事強国であり、日本の安全を脅かす国は無かった。
②日本国内では、大正デモクラシーの潮流の中で政党政治が力を持ち陸海軍の地位は低下していた。政党の権力は頂点に達し、衆議院二大政党が内閣を組織する「憲政の常道」が確立し、陸海軍ともに高官たちは出世のために二大政党に取り入る風潮がはびこった。
③政友会の田中義一首相兼外相の時、中国国内は、張作霖と蒋介石の抗争で内乱状態(無法地帯)であり、日本人居留民保護のために出兵を繰り返した。
④満洲の駐屯軍である関東軍が張作霖を暗殺した。本来、軍隊の規律を保つために責任者を死刑にすべきだったが、田中首相は決断できず河本大作大佐を護衛失敗の理由で処分しただけで済ませ、それが原因で総辞職した。
⑤当時満洲を拠点としていた張学良軍は日本人居留民に対して非人道的行為を繰り返しており、その度に関東軍が戦闘行為を繰り返していた。
⑥それに対して日本政府は中国との関係を重視し、しかるべき抗議を行わなかった。
⑦関東軍の石原莞爾大佐が柳条湖事件を主導し、約1万人程度の関東軍で約50倍の張学良軍を撃破し、満洲を制圧した。これに対して国内世論が支持した
⑧政府は対外的に、不拡大方針を出し、参謀総長が関東軍に対して撤退命令を出した。これにより、国際連盟は、日本に対して満洲での「匪賊討伐権」を容認した
⑨しかし同日、日本で政変が起きて犬養毅内閣に代わり外相も代わり、関東軍と対立した。
⑩翌年、関東軍は溥儀を立てて満洲国を建国するが、犬養内閣はこれを承認しなかった。
⑪上海事変に対して陸海軍は共同して対処し、中国政府と和議にこぎつけるが、その10日後、5.15事件で犬養首相が暗殺される
⑫犬養内閣に代わって斉藤実海軍大将が総理になり、満洲国を承認する。国際連盟は満洲の実態を把握するためにリットン調査団が派遣される
⑬リントン調査団はリットン報告書をまとめ、満洲国は承認しないが、満洲における日本の権益は容認した。(イギリスが何とかひねり出した妥協案で、中国には花を持たせ、日本に実を取らせた)
⑭しかし朝日新聞を筆頭とする日本のマスコミはこの報告書を反日文書だと糾弾し、世論を煽った。ポピュリズムに流された政府は、リットンと国際連盟を敵視した
⑮1933年、政府はリットン報告書が採択された場合の国際連盟脱退を閣議決定した。溥儀など満洲人の要望により、関東軍が熱河に軍事作戦を展開して国際連盟との関係をさらに悪化させた
国際連盟はリットン報告書を採択し、日本は連盟を脱退した

以上の状況をさらに大ざっぱにまとめると以下のようになります。(もちろん異論はあるでしょうが...笑)
●日本は朝鮮人居留民保護のために満洲事変を起こした。
●民衆は朝日新聞などマスコミの煽りで親日文書であるリットン報告書、国際連盟を憎悪した。
●日本は満洲人の溥儀のために国際連盟と敵対し、脱退した。

何と、日本は朝鮮人と満洲人のために世界を敵に回して戦争を開始した事になります
(- -;

特に、リットン報告書に対する正確な理解ができていなかったことが致命的ですね。この辺りも現在の私たちが注意すべき事だと思います。今でも、政府の政策に対して「◎◎法案絶対反対」などとレッテル張りしたプロパガンダ報道が大きくされていますからね。自分でも内容をきちんと把握して判断すべきだと思います。

もう一つ満洲事変での反省点は中国のプロパガンダに対する対応です。
満洲事変期における中国のプロパガンダは世界史に残る傑作でしょう。何しろ、軍事的には全戦全敗でありながら、口先だけで状況をひっくり返したのですから。(中略)
満洲事変が起こるや、「古い封建的軍事主義の日本が、若い成長期の民主主義国家である中国を侵略している」といった類の宣伝がばら撒かれました。これを知っていながら外務省は一笑に付したので宣伝戦でやりたい放題やられました。現に当時のアメリカ世論は信じてしまったのですから、「こんなデタラメを信じるバカはいないはずだ」では通らないのです。明らかに国益を損ねました。
もし、ここで日本がまともに国策を統一し諸外国に真っ当な説明をしていれば、中国は世界の嫌われ者として放逐されていたでしょう。
ところが、時の外相である幣原喜重郎の宣伝に対するすさまじい発言が残っています。(中略)要するに、何も言わなくても日ごろの行いがいいのでみんながわかってくれるという態度です。
残念ながら国際社会はそんなに甘くないですし、中国人のプロパガンダ能力をナメすぎです
中国のやり方は今でも同じパターンの繰り返しですから日本はこれを反省し、現在の中国のプロパガンダに対しては、バカバカしいと思わず必ずきちんと世界に対して反論しなければなりません。(反論しないと認めたことになる)

中国は、満洲国を「偽満州国」と呼び、日本の傀儡政権であると非難しています。
満洲国は日本がでっち上げた傀儡国家だ、というのは決まり文句です。だったら、アメリカは21世紀になってもアフガニスタンやイラクで同じことをしています。ロシアもグルジアからアブハジア切り離し、独立国を名乗らせています。ベルギーだってもとはといえばイギリスの都合でできた国ですし、バングラディシュはインドがパキスタンから分離独立させて創った国です。満洲国だけを「傀儡」だのなんだのと批判するのはどういう了見なのでしょうか。

最後に、1930年代以降の日本は、ファシズム国家であったと言われていますが、倉山先生は「ファシズムにも軍国主義にもなれなかった。国家が一丸となって真面目に戦争しなかった」から負けたのだと書いています。
もう一つ、当時の日本を軍国主義と呼ぶのも褒めすぎです。軍国主義とは「国策の最優先事項に軍事を据えること」です。誰がそんなことをできたのでしょうか。(中略)昭和日本の悲劇は、軍国主義に走ったことではなく、軍国主義になれなかったことです
第二次世界大戦を戦った大国は1933年から45年まで一人の独裁者が政治を指導しています。ソ連のスターリンやドイツのヒトラーは言うに及ばず、民主国のはずのアメリカでもF・ルーズベルトが死ぬまで大統領でした。(中略)
日本だけはこの十三年間に十三代の内閣で十一人の総理大臣が交代しています英米ですら独裁者に匹敵する指導者を選んで戦争を行おうとしている時代に、日本政治は不まじめすぎたというべきです

思い返せば、小泉首相以降、第1次安倍内閣から第2次安倍内閣までの間、民主党を含めて毎年のように総理が変わり、まともな政策を打ちだすことができませんでした。日本は同じような政治状況の中で、中国大陸での泥沼の戦争、大東亜戦争を戦っていたわけです。確かにあのような政治状況ではまともに戦えるわけがありません。

しかも最初に書いたように、満洲事変当時は、「長引くデフレ不況、政治の腐敗が続き、無策な政府に対する国民の不満が溜まっていた」という状況に加え、当時の幣原喜重郎外相は極端な親中で、満洲で居留民に被害が発生しても日中友好の観点から何も言わないという対応です。
まるで、反日デモで日本人の店舗が破壊され、略奪されても何の抗議もしなかった、少し前の民主党政権時代そのものではありませんか!
戦争というのは、このような状況の時に起こるんだというのが理解できますね。安倍首相が、まずはデフレ不況の脱却を第一に掲げたことは非常に重要なことだと思います。

満洲事変だけで長くなってしまいました。
それ以降に関しては、気力が続けばまた書きます。(^^)

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ





倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

中国五千年のプロパガンダを暴く!「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その1 [歴史の真実・陰謀論]

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)


最近、精力的に正しい歴史を啓蒙している、倉山満先生の本です。
私も歴史は好きですが、大正―昭和の時代に関しては今一つ理解できないことが多かったのですが、倉山氏の本を読むとすっきりと腹に落ちてきました。



今回は、困ったお隣の国、中国の話です。

倉山先生は、最初に断言します。
まず、中国に「近代」などありません。あるのは、独裁の古代と殺戮の中世だけです。中国大陸では古代と中世が繰り返されてきただけで、中国はいまだに近代国家ではないのです。
そう言われると納得できる部分が多いです。(^^)
中国の歴史は、以下のパターンの繰り返しが続いているだけだとのことです。
①新王朝、成立

②功臣の粛清

③対外侵略戦争

④漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成

⑤閨閥、宦官、官僚など皇帝側近の跳梁

⑥秘密結社の乱立と農民反乱の全国化

⑦地方軍閥の中央侵入

⑧①へ戻る
このパターンは、20世紀の毛沢東以降も続いているとのことです。

この中で、日本人と一番違うのは、②功臣の粛清ではないでしょうか?
新しい王朝を打ち建てた皇帝がまっ先にすることは、功臣の粛清です。それまでの功労者を殺すのです。しかも一族皆殺しです。なぜならば、自分の地位を脅かす能力があるからです。
日本だと、自分が偉くなったら、自分に尽くしてくれた腹心の部下を重用して大事にしますが、中国ではまったく思想が違います。
「これまで一緒に苦労してきた仲ではないか」といった人情をあてにしたら、中国大陸では生き残れません。
恐ろしい世界ですね。日本人は、どうしても「同じ人間なのだからいつかは分かりあえる」と考えてしまいますが、中国人には(韓国人もか?)、まったくあてはまらないようですね。そのような自分勝手な理屈を考えの違う国民に期待してはいけないということでしょうね。

特に、毛沢東は究極の中華皇帝だということです。彼は、①中華人民共和国という帝国を起こすと、順調に②中国共産党、紅軍の歴戦の闘士を粛清し、③朝鮮戦争で対外侵略を行いました。そして、④漢字を簡体字に変更しました。改竄歴史書は今作っているようです。(^^) この流れを見て行くと今後中国がどうなるか興味深いですね。
1957年11月、恐怖政治をしている独裁者がモスクワに集まった共産主義国サミットで「核戦争を起こそう! 人類の三分の一か半分が死ぬことは世界にとっていいことなのだ!」などと嬉々として提案し、出席者全員を唖然とさせという世界最“恐”の独裁者が毛沢東です。ソ連のフルシチョフは「絶対に中国に核武装させてはならない」と決意しました。
彼の言った「自分は始皇帝より多くの人を殺しているから偉い」、「一億死んでもまだ十億」という名言は有名ですよね。

そして、よく言われる「中国五千年の歴史」に関してです。
一九四九年に成立したこの国は、たかだか建国六十年です。よく「中国何千年の歴史」などと言われますが、それは「支那(チャイナ)大陸」という土地に人が住んでいたという記録が何千年か残っている、くらいの意味でしかありません。
ある程度馴染みのある中国の王朝を書いてみます。この中で、青字+太字で示したのが、いわゆる漢民族の王朝です。それ以外の王朝は、北方民族などに征服された王朝や一つの王朝としてまとまっていない国です。

夏(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)

|(略)

前漢(西漢、紀元前206年 - 8年)
|(略)
後漢(東漢、25年 - 220年

|(略)

隋(581年 - 618年)
唐(618年 - 907年)
五代十国時代(907年 - 960年)
北宋(960年 - 1127年)
南宋(1127年 - 1279年)
元(1271年 - 1368年)
(1368年 - 1644年)
清(1616年 - 1912年)

つまり、明以前の漢民族による王朝は、1,000年以上前の後漢まで遡る必要があるわけです。これでは、漢民族の王朝である中国という国の連続性があるとは思えません。私は遣隋使や遣唐使で知られている随や唐は漢民族の王朝だと思っていましたが、北方の鮮卑族の王朝だそうです。いかに中国に関する知識が無かったかが分かりますね。まあ、学校ではそのよう事は教えてくれないのでしょうがありませんが...。
これを見るだけで「中国五千年の歴史の嘘」が分かりますね。

くれぐれも中国のプロパガンダに騙されないようにしましょう。

「嘘だらけの日中近現代史」に関しては、以下もご覧ください。
・満洲事変は侵略ではない! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その2
・大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿だ! 「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満著 を読む その3

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ





倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々嘘だらけの日英近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日韓近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日露近現代史 (SPA!BOOKS新書)

200万アクセス、ありがとうございます!

気がついたら200万アクセスを超えていました! いつもいつも訪問頂きありがとうございます。
2009年7月から始めたブログですが、2013年11月に100万アクセスを超え、2016年6月に200万アクセスを超えることができました。

ブログ開始以来、週1回程度しか更新できていませんし、あまり宣伝も行っていないので本当にみなさんのおかげです。このブログは、検索エンジンから来訪される方(So-net以外の方)が多いので、アクセス数の割にNice!が少ないのが特徴ですね。(^^)

現状の当ブログのベスト20です。
相変わらず「あさま山荘」関連のアクセスが多いですね。また、今年の4月に熊本で大地震があったので、東日本大震災関連の記事もアクセス数が増えていました。
順位題名ジャンルアクセス数
1 あさま山荘に行ってきました! こんな狭い場所で銃撃戦をやっていたの? 社会75,144
2 大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む格闘技29,090
3 東日本大震災の地震はオカシイ? 地震波形を見る! 震災・原発24,845
4 真樹先生が高森真士のペンネームで書いた「血と骨」 柳川次郎との交流を読む 真樹日佐夫23,739
5 何かオカシイぞ! 東日本大震災前の建設関連株の動き 震災・原発21,559
6 極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本..格闘技20,152
7 笹川良一は本当に悪人だったのか? 悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子著 社会16,895
8 これはジョークではない! 金正日は日本人だった 佐藤守著を読む 社会16,656
9 間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む ダイエット15,567
10 ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2 格闘技14,119
11 合氣道の開祖 植芝盛平は弱かった? 中村天風と植芝盛平 氣の確立 藤平光一著を読む 格闘技13,226
12 「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著を読む 美術13,129
13 まっすぐに蹴る  佐竹雅昭著 を読む 格闘技11,906
14 「赤いサイロ」がK-1グランプリで優勝! テレビ朝日の「ミルミルミシル」 北海道11,195
15 東日本大震災の津波にも負けなかった! 日本三景の松島 東北10,459
16 「水分の摂りすぎ」は今すぐやめなさい 石原結實著 を読む 健康10,054
17 東日本大震災は人工地震か? 震災・原発9,901
18 世界を動かしているのはロックフェラーとロスチャイルドだ! 世界権力者人物図鑑 副島隆彦著 を読む 歴史の真実・陰謀論9,771
19 ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1 格闘技9,646
20 あさま山荘に行ってきました! 冬のあさま山荘はやっぱり寒かった... 社会9,494


今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


究極のダイエット - 脂肪を摂るとやせる!  シリコンバレー式 「自分を変える最強の食事」 を読む [ダイエット]

シリコンバレー式 自分を変える最強の食事シリコンバレー式 自分を変える最強の食事← Kindle本です。

今回紹介する本は、「完全無欠ダイエット」の本です。
この本は2015年9月に発売なのですが、私は本屋に平積みしているのを見て即購入しました。

しかし、読んでみるとコーヒーのカビ毒の話やコーヒーにバターやオイルを入れるという「完全無欠コーヒー」というイカガワシイ話が書かれてあり、コーヒー大好きでブラックしか飲まない私は想像しただけで「うっ・・・」となり、さらにグラスフェッドバター、MCTオイル、中鎖脂肪酸などなど聞きなれない言葉が沢山出てきて途中で読むのを止めて、部屋の隅に置きっぱなしになっていました。

しかし、このブログでも紹介した「ジョコビッチの生まれ変わる食事」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-04-03)を読んで食事の重要性を再認識し、この本の事を思い出して再読してみました。
読みなおしてみると興味深い内容ばかりです。前回は何を読んでいたんだ?という感じです。それ以来何度も読み返しています。

著者である、デイブ・アスプリーは1970年生まれ、シリコンバレーの億万長者です。彼は、「低カロリーで毎日運動する」というこれまでのダイエット法を実践しました。しかし摂取カロリーを1日1,500~1,800Kcal、週6日、毎日90分の運動を実施したにもかかわらず、痩せることができず体重が140Kgまで増加したそうです。

それをきっかけにして人体の仕組みに関して研究を行い、ハッキング=バイオハック(太るメカニズムの解明と自分の体を使った人体実験)を開始 し、それに30万ドル(約3,300万円)以上使ったそうです。そして、最終的にたどり着いたダイエット法(「完全無欠ダイエット」)によって1日0.5Kgずつ減量し、元気になり、腹筋が割れ、回復力、集中力がUPしてIQがUPしたそうです。

さて、そのダイエット法ですが、著者が一番勧めているのが、朝、一杯の「完全無欠コーヒー」を飲むことです。これは、熱いコーヒーにグラスフェッドの無塩バターとMCTオイルを大さじ1~2杯入れて飲むものです。これまでの低脂肪が重要というダイエットとは真逆の方法です。これによって、朝食抜きでも空腹感を感じることなく昼まで脂肪を燃焼させて活動することができると言います。

バターとMCTオイルを入れることで中鎖脂肪酸をたっぷり摂ることができ、身体の中を脂肪燃焼モード(ケトン体モード)にすることができるという理論です。そして、良質な脂肪をたっぷりと摂ることで、脂肪はクリーンに燃え、栄養たっぷり、満足感をもたらし体も脳も最大限に機能させることができるとのことです。著者は、一日4,000~4,500キロカロリーの「完全無欠な脂肪」の食事を続けた結果、頭が冴え、痩せだしたと書いています。

グラスフェッドバター」、「MCTオイル」って何だ? と思われているかも知れません。(私も全然知りませんでした) グラスフェッドとは、要は牧草(グラス)飼育という意味です。最近の牛はほとんどが穀物で飼育されているので、こういう牛はグレイン(穀物)フェッドと言われています。牛が本来食べるべき牧草をきちんと食べているグラスフェッドの牛は健康で当然その牛肉は、グレインフェッドの牛に比べて「栄養が豊富で毒素が少なく、他のどんな食品よりも多くの抗酸化物質、オメガ3脂肪酸、微量元素、ビタミンを供給してくれる」とのことです。そして当然、牛乳にしてもバターにしてもグラスフェッド牛のものが格段に健康に良いそうです。
牛にジャンクフードを与えれば、牛はジャンクフードになる。反芻動物は草を食べるようにできているのだ。
MCTオイルのMCTは、「Medium Chain Triglyceride」のことで中鎖脂肪酸のことです。中鎖脂肪酸はココナッツオイルやパーム油などに含まれています。MCTオイルはそれから中鎖脂肪酸だけを抽出したもので、より純度が高いものです。最近、ココナッツオイルダイエットの流行っているようですが、ココナッツオイルの特有の匂いが苦手な人は、無味無臭のMCTオイルを使う方が良いと思います。

仙台勝山館 MCTオイル 360g <ココナッツベース100%>私も早速、MCTオイル+グラスフェッドバターを入れた「完全無欠コーヒー」を試してみました。確かに、油を入れているので油っぽくなりますが、変な味も匂いもなく全然普通に飲めます。私は、前回書いたように2月から「1日1食」を実行していたので、ダイエット効果に関してはあまり効果を感じていませんが、朝一杯の「完全無欠コーヒー」を飲むことで、自分で自覚できるくらい元気が出て、集中力が増し、頭がスッキリします。

脳を含めた細胞は脂肪で構成されていることを改めて強く実感しました。そして、確かに朝食抜きの空腹感の低減にも効果があるようです。グラスフェッドバターまではちょっとと思っている方は、MCTオイルだけでも効果がはっきり分かると思います。私も最初は、グラスフェッドバターは入れずに、ここで紹介しているココナッツベース100%の仙台勝山館のものを使用しました。(少々高いのが難点ですが...。)
有機バイオバター グラスフェッドバター 無塩バター

さらに高いのが、このグラスフェッドバターです。日本の乳牛はほとんどがグレインフェッドなので、どうしても輸入品になってしまいます。私の住んでいる川越にある成城石井に売っていたので、試しに買ってみましたがやはり高いな~というのが正直な感想です。(250gで2,500円!)

アスプリー氏は、バイオハックの段階であらゆるダイエット法を自分で試したそうですが、どれも成功しなかったそうです。
食事の目的は頭と体に燃料と栄養を届けることである。
⇒ 脳は1日のカロリー消費の25%を占める
⇒ 運動を増やしてカロリーを減らしたら疲労してやる気も出なくなる
これはとても説得力があります。そうなんですよ! 低炭水化物ダイエットや一日一食を続けると、腸内の善玉菌のエサが減るので腸内環境が悪くなります。そして、低脂肪の食事を心がけていると体が乾いてきて頭がすっきりしなくなります。
それらの解決方法がこの本にはいろいろと書かれています。

また、脂肪を沢山食べろという以外にも、この本にはこれまでの常識をひっくり返すことが沢山書かれています。
自分的に、一番うれしかったのが、コーヒーはとても体に良いということです。
コーヒーはスーパーフードである
⇒ 集中力、記憶力、パフォーマンスを高め、脳卒中や糖尿病のリスクを下げる
⇒ 腸内の善玉菌(やせる腸内細菌)のえさとなるポリフェノールを大量に含む(赤ワイン、チョコより多い)
(氏は「太るか痩せるかは腸内細菌で決まる」、痩せる腸内細菌を増やすことが重要だと言っています)
これ以外にも興味深い情報が満載の一冊です。

ダイエット、健康に関して興味がある方には必読の書だと思います。

ダイエットに関してはこちらもどうぞ。
・私も実践! 「やってみました1日1食!! 」 船瀬俊介著 を読む
・小麦は食べるな! 「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 ノバク・ジョコビッチ著 を読む
・万病が治る! 20歳若返る! 『かんたん「1日1食」!! 』 船瀬俊介著 を読む
・男性は読まないように! 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井睦著 を読む
・間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む
・ダイエット本の決定版! 「やせる」 勝間和代著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

あなたを生かす油 ダメにする油 ココナッツオイルの使い方は8割が間違い体が生まれ変わる「ケトン体」食事法: 太らない、疲れない、老けない――体と頭を「糖化」させるな (単行本)やせたければ「いい油」オメガ3を摂りなさい 生活シリーズ1日スプーン2杯だけ ココナッツオイルでやせる!やせたければ脂肪をたくさんとりなさい ダイエットにまつわる20の落とし穴


佐野乾山はホンモノだ! 岡本太郎の見た佐野乾山 美術手帖 1962年8月号 を読む [尾形乾山]

2 (3).JPGこれまで探していて入手できなかったこの本をようやく手に入れることができました。50年以上も前の本です。

美術手帖 1962年8月号の中に寄稿されている、
「生活者のイメージ 琳派と自然 佐野乾山展をみる」 岡本太郎

新発見の佐野乾山が話題になった1962年6月、芸術新潮が「佐野乾山」展を企画して新発見の作品と資料を東京と大阪で公開しました。これは、芸術新潮の編集部が、「実際にそれらの作品を見る機会を得た人は意外に少ない。そして、噂話にひとしいような真贋論議が実物に則した研究に先走ってしまった。」という問題意識を持って企画したそうです。(素晴らしい!)

今回、紹介する岡本太郎氏の手記は、この「佐野乾山」展の作品を見てその感想をまとめたものです。この手記に関しては、佐野乾山に関する資料には必ずと言っていいほど引用されています。
例えば、白崎秀雄著「真贋」には、以下のように引用されています。
(前略) 会場に入るなり、意外な思いだった。 二つ三つと見るにつれ--なかなかイイジャナイカ。--色が鮮やかなハーモニーで浮かび上がっている。筆さばきも見事だ。(中略) 気どりやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものがない。(中略)いきいきした線、タッチ、そのリズムが何となくモダ―ンな感じで、ふとピカソやマチスのデッサンを思いおこさせる奔放な表情があったりする。(中略)さてこの展覧会は、真贋のうるさいセンギに決着をつける為に計画されたのだろうが、そんなことどうだっていい。たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーのもり上がりがあれば、本ものより更に本ものだ。
これを読むと岡本氏がホンモノ派であることは明白ですが、どの程度乾山の真贋について考えているのかは良く分かりませんでした。

前置きが長くなってしまいました。それでは、岡本氏の記載を紹介します。

岡本氏は、佐野乾山を見るまで光琳は評価していましたが、乾山はまったく評価していなかったようです。この前提で読まないと前出の引用部分の意味合いが良く分からないと思います。
(略) 光琳の絢爛として厳粛な、一義的芸術、その激しい格調、ロマンチスムにふれ、つき動かされれば動かされるほど、私には弟の乾山の仕事が面白くない。趣味的な弱さ、低さ。時おりふれても眼をみはらせるほどのものではなかった。才人の職人芸だ、と無視していた。
近ごろ「佐野乾山」と称するやきものが大量に発見され、真贋問題で大へん騒いでいる。そういうニュースを見聞きしても、そんなことどうだっていいじゃないか、馬鹿々々しい沙汰だとしか思えなかった。従って今度の展覧会にも、「乾山」を確かめに出かけるほどの熱も興味もなかった。ところが編集子のいささか強引な案内もあり、たとえつまらぬものでも日本文化の一つの証拠として、やはり実見しておいてもよいぐらいの気分で行って見た。
(下線は引用者による:以下も同様)
ここから上に挙げた引用文につながります。岡本氏は佐野乾山を見て、乾山を見なおしたようです。
会場に入るなり、意外な思いだった。
二つ三つと見るにつれ、--なかなかイイジャナイカ。--色が鮮やかなハーモニーで浮かび上がっている。筆さばきも見事だ。見て行くほどに楽しい気分になった。
気どりやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものがない。のびやかに、なまなましい。若い。
(中略)
「乾山」を見なおした。やきものの効果を、小憎いほど心得ており、つぼやさわり、味いを存分に駆使しながら、やはり純粋に絵具の色、線の面白さを打ち出している。つまり絵として、楽しめる。
ここから佐野乾山の作品に関する記載ですが、ここに書かれている印象は、私の抱いた印象とまったく同じでした。
真剣とも遊びともつかない奔放なタッチ。いかなる技術的アクシデントもおそれていない。(中略)
サラサラと落書きのような気軽さで描き上げたものでも、何か形としてかたまり、そして完結している。松、梅、菊、朝顔、茄子、みんなそうだ。線が流れっぱなしになってしまわないで、必ず出発点に回帰して来る。もの、実在物の強靭なシルエットのまとまりを見せている。自然の趣ではない、別な実体を浮き彫りしている。そういう形態を生かす技術である。
ここから岡本氏は、当時話題になっていた「佐野乾山」の真贋論争に関する持論を展開します。学者や骨董商が重要視している「落款」や「故事来歴」、それを根拠にしたニセモノの芸術に関して徹底的に批判します。
さてこの展覧会は、真贋のうるさいセンギに決着をつける為に計画されたのだろうが、そんなことどうだっていい。たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーのもり上がりがあれば、本ものより更に本ものだ。まったく、骨董品として商売の種にしたり、美術史的に鑑定なんかする、にぶい御連中の、芸術感覚から浮いてしまった馬鹿々々しさには腹も立たない。
繰り返していうが、芸術にとっては実在するものの豊かさだけが本ものなのであって、落款とか故事来歴の信憑性などは、些末な問題だ。それにつけても、考えるのは、われわれの周囲にあまりにも「芸術」と称するニセモノが多いということ。極めてわずかな本ものしかない。たとえ高名であり、大へんなものだとされていても。そういうニセモノにならされて、むしろ「芸術」本来の感動を見失っているから、こういう騒ぎもおこるのだ。

今回、岡本氏の原文を読むことができ、かなり真剣に佐野乾山をホンモノだと感じていることが分かり、安心しました。そして、佐野乾山を見た岡本氏の印象が、私の感じた印象とまったく同じであることを知りうれしくなりました。
同じくホンモノ派であったバーナード・リーチ氏は、森川氏所有の佐野乾山を見て、「一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です。」とコメントしました。これはすごい発言です。なぜなら、リーチ氏はこれまで名品と言われていた鳴滝時代の光琳絵付けの乾山作品を含めて、佐野乾山の方がすばらしいと言っているからです。このコメントに関して、私はこれまで「それはちょっと言い過ぎでは?」と思っていましたが、今回の岡本氏の書かれた内容を読むと岡本氏もリーチ氏と同じ意見であることが分かりました。
やはり美術品は見る目がある人が見なければダメだ、そして佐野乾山を評価するには「絵が分かる人」でなければならない事を再認識しました。
最近の本を読むと、リーチ氏の佐野乾山に対する見解、発言はリーチ氏の芸術人生の中の汚点であり、晩節を汚したというような扱いをされているものが多いですが、私はそのような評価をする人たちの見識を疑います。

岡本氏は鳴滝時代の乾山の作品(光琳が絵付けをしたもの)をまったく評価していなかったようですが、「光琳は評価していたのでは?」と思って読み進むと、
陶器や団扇に描いたものなんか、つまらぬものが多い。やせていて、これが同じ光琳かと思うくらいだところでここに見られる乾山の方は楽に描きちらしていて、自由で豊かである。
と書かれています。光琳の「紅白梅流水図」「燕子花」などは傑作と評価していますが、乾山の陶器に対する絵付けに関しては、まったく評価していないようです。納得ですね。バーナード・リーチ氏もこの点を指摘していたのだと思います。
1960年代当時の乾山作と言われていた作品は、よく知られている光琳絵付けの作品以外は現在の眼で見ると「?」なものが多かった状況です。玉石混交の乾山作品の中で、玉である光琳絵付けの作品を評価できないのであれば岡本氏が乾山の作品を「才人の職人芸だ、と無視していた」ことも当然のこととして納得できます。私たちも「光琳の絵付け=傑作」という一般的な思考を見なおすべきかも知れません。

私は、この岡本太郎氏の一文に芸術品としての佐野乾山の素晴らしさのすべてが書かれていると感じました。現在、この重要な一文があまり重要視されていないことを不思議に感じました。

佐野乾山に関しては、このK's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]

京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力)
最近の落合先生の本は難解なので、読むのに時間がかかります...。
本書のまとめを行っている中、落合先生の最新刊が発売になってしまいました。先生の本は、内容を理解するのが大変なのでなかなか追いつけません。(笑)
今回紹介する「天皇とワンワールド」は、先生が2015年9月20日に東京の学士会館で講演を行った時に話された内容のベースとなっている本です。


先生の講演のDVDです。
活字に出来ない《落合秘史》 日本人が知るべき「國體」と「政体」の秘密 (<DVD>)
私は先生の講演は、これまで発刊されていた、大塔宮計画、明治維新の裏などの話をされると思って行ったのですが、冒頭から「ウバイド文化」の話をされ、頭の中がパニックとなり「???」となりました。(笑)
しかも、先生はノー原稿で2時間休みなく講演をされ、そのパワフルさには本当に圧倒されました。興味ある方はDVDでその雰囲気を感じて欲しいと思います。


さて、この本の内容ですが、正直言って正確に理解できているとは言いかねますので、できるだけ私の言葉を挟まずに先生の言葉を紹介します。

●ワンワールドとは?
・国際秘密勢力で金融、宗教、軍事など基本的な分野に存在し、ワンワールド・バンカーはワンワールドの一部である。
これはいわゆる「ユダヤ」ではない。「ユダヤ人」という人種、民族はいない。ユダヤ教徒は存在するが、そのすべてがワンワールド・バンカーではない。ワンワールドは広義のフリーメーソンであり、その下に海外南朝衆、薩摩ワンワールド、観修寺衆など国體参謀、国體奉公衆がいる。

●京都皇統からの情報
・天皇しか見ることができない「ホンモノの皇統譜」が存在する。
・大塔宮護良親王の王子を北朝光厳上皇の籍に入れて崇光天皇とし、南北朝を秘密裏に統合した。
・欧州に渡った大塔宮の子孫がオランダ・ベルギーなどの王家となりその後の世界史の流れを決めた。
・大塔宮護良親王は、殺されたことにして極楽寺ネットワークを辿って奈良西大寺に入った。
⇒ 散所民社会の貨幣経済を掌握し、蓄積した西大寺の膨大な資産を使って欧州進出を行なった。
⇒ 極楽寺ネットワークは超宗教のマニ教思想で結ばれている。

●皇位継承権の要件 
・現在は、民間から皇室に皇后としてある程度自由に入っているように見えるが、現在でも大塔宮の血統の他に母系要件が必要。熊野別当の家系だけが皇后になれる(京都皇統代の舎人加勢の言)

●ウバイド文化
・太古メソポタミアで発生し、前3800年に終焉。ウバイド海民と騎馬民が東西に分かれる。
・東進した一派は日本列島に渡り、熊野、奄美大島に上陸。
⇒ 頭は、和田氏を称する「イシヤ」。紀ノ川「井口氏」、和泉「池田氏」、河内「和田氏」、「楠木氏」となる。
・西進した一派はケルト人国家を作った。
⇒14世紀に欧州に点在するウバイド・シュメル文明の遺民を結ぶネットワークを作るために大塔宮勢が欧州に入る。
「スメラ」は「シュメル」文明のアイデンティティを強調する合言葉
高松様は、よく口にされていた」(京都皇統代の舎人の言)
⇒ タクシス家が在欧大塔宮の血縁と推定。
・ウバイド人に入れ替わったのがシュメル人でウバイドを含めてシュメル文明と呼んでいる。ウバイド文化の本質は「思想と情報の文明」でワンワールド思想の根源となっている。ウバイド人は世界各地で「長者」と呼ばれ「イシヤ」を自称した

●欠史八代
記紀では神武即位を前660年としているが、神武東遷は前50年頃。記紀は神武の即位を600年遡らせている
⇒ 神武の即位を600年遡らせた理由は? 神武が釈迦より下るわけにはいかぬ(京都皇統の言) 記紀の天皇の不自然な長寿こそ、いかに不自然な長寿を用いても架空天皇を挿入しなかった証拠である
・欠史八代は実在した海人王朝(アマ王朝)であり、国體勢力の始祖。安曇海人族が北九州で起こした安曇王権の族長イハレ彦が東遷して神武天皇となる。
・北九州に残った安曇族の留守政権が欠史八代の九州分国となる。

●「国譲り神話」とは
・ 九州分国は、騎馬民王族を迎えて天皇とした。ミマキイリヒコ・イニエを開化の皇子として崇神天皇にする。その後、騎馬人男系と海人女系の対婚制とした。
⇒ 欠史八代から崇神への皇統変更(開化 ⇒ 崇神)が「国譲り」である。崇神はウバイド騎馬系と安曇海神系が混血した崇神天孫族であった。
①タケミカヅチは崇神天皇
②ヤヘコトシロヌシは在外国體
③タケミナカタは国體天皇
④大国主は孝元天皇

●三韓征伐
・仲哀天皇が半島から八幡系天孫(ホムダワケ)を迎え入れた。仲哀天皇は偽装崩御して満州に渡る。(仲哀は中継ぎ天皇)武内宿禰は崇神天皇朝の国體参謀総長。

●応神天皇
・紀元2世紀、羅津は崇神に王朝を譲った海人王朝の皇子フトオシが入り在外国體天皇となった国體天領。フトオシの子孫が八幡殿となり(八幡天孫族)その王子がホムダワケ(応神天皇)。満州の砂金を神功皇后に託し応神と凱旋(八幡ファンド)し、秦氏が宇佐に八幡宮を祀る。

●欽明朝はワンワールドへの開国
①國體外戚を春日小野氏からタチバナ氏に交替
②大陸史観の導入するため「フヒト=史家」を養成
③大乗密教の形をとったマニ教の輸入
 ⇒ 中心は聖徳太子。恵慈が伝えたワンワールド情報は「マニ教」。

落合秘史、古代史に興味ある方は、ぜひ読んでみて下さい。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ
天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本金融ワンワールド 地球経済の管理者たち南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)逆説の明治維新 (別冊宝島 2315)天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実



小麦は食べるな! 「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 ノバク・ジョコビッチ著 を読む [ダイエット]

ジョコビッチの生まれ変わる食事
ご存じ、テニスの王者、ノバク・ジョコビッチの本です。

ジョコビッチは、長い間続いたフェデラーとナダルの2強時代を終わらせて、2011年から王者となった選手です。その王者になれた理由がこの本に書かれています。それは、小麦などに含まれるタンパク質「グルテン」を食事から排除することでした。

Webを見ると、ジョコビッチも実践した「グルテンフリーダイエット」というようなブログも散見されますが、ジョコビッチがこの本で主張しているのは「ダイエット」ではありません。そもそもジョコビッチはダイエットをしたからNO.1になれた訳ではありません。

ジョコビッチは「グルテン不耐症」(セリアック病)という病気だったのです。ですので、グルテン不耐症だからグルテンを食べることを止めることで成績が向上したのです。確かに、グルテンと乳製品を絶つことにより、体重が5Kg減少しましたが、それが目的では無かったのです。

ジョコビッチは、2007年頃からTop10入りして、すぐにTop3に入ります。しかし、2強であるフェデラーとナダルとの差があり過ぎて、自ら「第二集団でもがくだけの存在だったプレーヤー」だったと書いています。その理由は、試合で勝ち上がっても、大一番で原因不明の発作により棄権や敗北が続いていたからです。マスコミや他のTopプレヤー達は、調整不足、体調管理不足、アレルギーなどと指摘していたそうですが、その理由が「グルテン不耐症」だったのです。2010年に、たまたまTVでジョコビッチの試合を見ていたセルビア人の医師が、発作で倒れるジョコビッチを見て、「グルテン不耐症」ではないか、と判断したことがきっかけとなりました。

そして、原因が分かり食事からグルテンを排除したジョコビッチはすぐに5Kg痩せ、脳の中の霧が晴れボールに対する反応が速くなり、身体の柔軟性が増したことで2011年は、全豪・全英・全米オープンで優勝し、念願の世界ランキング1位になります。そして、それ以降2012年、2014年と世界1位を維持し、2016年現在も絶対的王者として君臨しています。

ジョコビッチは、1日5時間以上ハードなトレーニングを続けていたことで有名ですが、グルテンを排除する前は、あまり食事に気を使っていなかったようです。「これだけトレーニングをしているのだから...」とけっこう間食なども行っていたようです。しかし、その後食事からグルテンを排除することですぐに5Kg痩せたため、「運動だけで痩せようと思うのは考え直した方がよい」と書いています。

ジョコビッチは、すべての人に自分と同じような食事をするようにとすすめているのではありません。人はみんな違う身体を持っているのだから、自分にあった食事をすることが重要だと言っています。その一つの例として、「グルテンを14日間だけやめてみて、どういう気分になるか試してみてほしい。そして、15日目に、パンを少しだけ食べて様子をみてほしい。体が発する声に耳を傾けてほしい。」を提案しています。

その理由は、ジョコビッチと同じようにグルテン不耐症の人がいる可能性があること。そしてもう一つの理由は、現在グルテンはあらゆる加工食品に使用されており、そのほとんどが遺伝子組み換えされた穀物であり、これを食べることによって脳の中で炎症が起こると言われています。そのため、2週間そのような食物を排除することで、グルテンが自分の体に与えている影響や、自分の体の変化(体の訴え)をよく観察して欲しいということです。

ちなみに、ジョコビッチのお父さんはピザ屋をやっていたそうですが、診察の結果グルテンの他に、乳製品やトマトに対してもアレルギーがあることが分かり、診察した医師に思わず「ちょっと待って下さい。私の家はビザ屋なんですよ!」と叫んでしまったそうです。

さらにジョコビッチは、この本の中で遺伝子組み換え穀物がさまざまな加工食品に使用されていることを含めて食品業界が儲かり、それによって私達の健康が損なわれ、医療業界が儲かっていることを指摘しています。これはジョコビッチの立場を考えるとかなり勇気のある発言だと思います。

ジョコビッチはセルビア(旧ユーゴスラビア)の出身です。サッカーで言うと、オシム元全日本監督やピクシーことストイコビッチも同じ国の出身です。サッカー関連の記事で、ユーゴが内戦で大変だったことは知識としては知っていましたが、それ以上の詳しい事は知りませんでした。

この本には、ジョコビッチがテニスを始めた子供の頃、毎晩のようにNOTO軍の空爆を受け、防空壕に避難する日々だったことが書かれています。そのような状況でも次の日にはテニスの練習場所を探して、毎日練習したそうです。このような死と向かい合わせの体験がジョコビッチの精神力のベースにあることが分かりました。

正直言って私自身は、ジョコビッチはあまり好きなプレーヤーではありませんでした。(錦織ファンです) しかし、この本を読んで非常に感銘を受け、好きな選手の一人になりました。また、このように自分が飛躍できた秘密をあえて公開していることに驚きました。これはプロ選手として自分の強さに絶対の自信があるからできる事だと思います。何故なら、この本を読んだ無名の選手がグルテンフリーによってジョコビッチのように大飛躍を成し遂げて、No.1の座を脅かされるリスクだって十分にあるからです。

おそらくジョコビッチにとっては、その程度であれば受けてたつよ! という自信があるのでしょう。ただ、この本の中でメンタル面の安定方法に関しては、「僕はまだ現役のプレーヤーなので詳細は書かない」というような事を書いていますので、ジョコビッチにとっては食事よりもメンタルの安定の方が守るべき秘密のようです。

食事に関して興味がある方にはお勧めの一冊です。

ダイエットに関してはこちらもどうぞ。
・私も実践! 「やってみました1日1食!! 」 船瀬俊介著 を読む
・万病が治る! 20歳若返る! 『かんたん「1日1食」!! 』 船瀬俊介著 を読む
・男性は読まないように! 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井睦著 を読む
・間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む
・ダイエット本の決定版! 「やせる」 勝間和代著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


2週間で体が変わるグルテンフリー(小麦抜き)健康法 (青春新書インテリジェンス)いつもの小麦が不調の原因! グルテンフリー入門 (TJMOOK 知恵袋BOOKS)小麦は「毒」?: 小麦のグルテンがあなたの健康をむしばんでいる「いつものパン」があなたを殺す: 脳を一生、老化させない食事 (単行本)疲れやすい人の食事は何が足りないのか (青春新書プレイブックス)




歯周病は病気の原因になる! 「白米が健康寿命を縮める」 花田信弘著 を読む [健康]


白米が健康寿命を縮める 最新の医学研究でわかった口内細菌の恐怖 (光文社新書)白米が健康寿命を縮める~最新の医学研究でわかった口内細菌の恐怖~ (光文社新書) ← Kindle版です。

虫歯や歯周病が歯だけでなく、全身の病気の原因になるというコワい話です。

著者の花田 信弘氏は、1953年福岡県生まれ、福岡県立九州歯科大学歯学部卒業、同大学院修了。米国ノースウェスタン大学博士研究員、九州歯科大学講師、岩手医科大学助教授、国立感染症研究所部長、九州大学教授、国立保健医療科学院部長を経て現在、日本歯科大学、明海大学等の客員教授、非常勤講師等をされています。

この本の要旨をまとめて言うと、

口内細菌(虫歯菌や歯周病菌)が血液中に入り込み、がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病、慢性関節リュウマチ、脳脊髄膜炎、心内膜症 などの原因となる。

ということです。
血液の中に細菌が入りこんだ状態で、急激に菌が増えた場合は敗血症となりますが、菌が徐々に増える場合は、菌血症と言われます。そして、体の中で唯一、日常的に菌が簡単に血液の中に入り込める場所が「虫歯の穴」と「歯茎の間の炎症でできた隙間とその奥の血管」だそうです。

口内細菌は、歯の表面にバイオフィルムと言われる菌の保護膜を作り、これはうがいでは取ることができず、歯垢、歯石となり物理的に砕くしか除去することはできません。そのため、バイオフィルムの状態の時に歯磨きできちんと取る必要があります。食事をした後、歯磨きをしないで寝ると確実に口内細菌は増殖して血管内に入り込み血液と一緒に全身を巡ることになります。(バイオフィルム1mg内に約1億個の細菌が存在する)
このバイオフィルムという概念は、20年前には存在しなかったものだそうで、古い歯医者さんはあまり気にしていないかもしれませんね。

口内細菌には以下の2種類があります。
①歯周病菌Gr:菌自体が毒素を持つタイプで、耐熱性があり、ホルマリンで無毒化できない。
②虫歯菌Gr:体内に入って毒素を放出するタイプで、熱やホルマリンで無毒化される。

虫歯の場合は、歯医者に行って治療しますが、歯肉炎などの軽い歯周病の場合はそのまま放っておくことが多いと思います。しかし、歯肉炎は発症して炎症を起こし、潰瘍面から毒を持った細菌が血液中にどんどん入ることで、血管の劣化や老化の原因になるそうです。

そうは言っても、人間の体は外からの菌に対して防御機能がきちんとしているはずでは? と思いますよね。私もそう思っていました。でも口腔内細菌が増え始めたのは進化の過程ではつい最近のことであるため、人間の防御機能が対応できていないそうです。

さて、ここからが本題です。その最近とはいつかと言うと、稲作が始まった時だそうです。そして、米やイモなどの糖質を加熱した時に、βデンプンがαデンプンになる(糊化)ことが問題で、これが虫歯の原因となります。この糊化したものが、いったん冷えるとデンプンはβ化するので虫歯のリスクは減るそうです。つまり、ホッカホカのご飯よりも、冷やした冷や飯の方が虫歯のリスクが低いということです。

稲作を行う前の原始人の時代は虫歯、歯周病は無かったそうです。原始人の頃は山菜、木の実、魚介類、獣肉類などを食べていたようです。また、チンパンジーには虫歯や歯周病がないそうです。

つまり、米などの「糖質のみが虫歯の原因であり、歯周病菌のエサとなる」ということです。
食後の歯磨きは当然ですが、米などの糖質を減らすことも重要ですね。
糖質は美味しいですが、歯周病や肥満などの原因となりマイナス面も大きいですね。

私のとっては衝撃的な内容でした。
みなさんにもお勧めします。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

科学的根拠に基づく歯周病へのアプローチ歯周病で死ぬのはイヤだ!歯周病専門医が教える糖尿病がよくなるとっておきの方法歯と歯ぐきを守る新常識 歯みがきだけで虫歯や歯周病が防げない本当の理由 (サイエンス・アイ新書)歯は磨かないでください 歯周病を治すと、全身が健康になる (廣済堂健康人新書)




私も実践! 「やってみました1日1食!! 」 船瀬俊介著 を読む [ダイエット]

やってみました! 1日1食

またまた船瀬俊介氏の一日一食の本です。

今回の本は、実際に一日一食を実践されている方々のインタビューがいろいろと載っていて参考になります。特に、運動をやっている方々に一日一食はどうなのか? ということが気になって読みました。


前回も紹介したように、一日一食の効果は以下のようにたくさんあります。
①持病が消える (糖尿病、水虫など)
②病気にかかりにくくなる (免疫力UP)
③身体が軽くなる (体重が減る、末梢血管まで血流が良くなる)
④疲れにくくなる (一日三食食べると消化エネルギーを厖大に消費する)
⑤睡眠時間が短くなる
⑥肌が若返る
⑦頭が冴えてくる (脳神経細胞のデトックス)
⑧生き方が前向きになる
⑨身体が引き締まる
⑩不妊症が改善する (男女とも)
⑪寿命が延びる
⑫食費が三分の一ですむ (食べないので当然)
⑬仕事がはかどる
⑭趣味を楽しめる
⑮感性が豊かになる

WEIGHT.JPG実は、私も1月の末から一日一食を実践してみました。現在、約4週間ですが、正直言って上に記載した効果をそれほど感じていません。(^^) もともと健康のために糖質制限をしたり、サプリメントを飲んだり、発酵食品を食べたりしていたので、普通の人ほどの効果が出ないのかもしれません。
でも、このグラフを見て頂くとお分かりのように、体重だけは確実に減りました。数値だけ言うと、4週間で4Kg減りました。
ただ、オレンジの矢印で示した部分で急激に体重が落ちていますよね。これは、2日間、38.5℃くらい熱が出てずっと寝ていたからです。2日で2Kg痩せました。ここで大きな発見がありました。

「一日一食で一食抜くと約2日の断食となる」

考えてみれば当たり前ですが、実際にやって見てすごく新鮮な発見でした。そして熱から回復した時は、●○ザップ並みの腹筋ボディーになっていて鏡の前でポーズしてみました。(笑)
ただし、一日一食の目的は痩せることもありますが、排毒、解毒が大きな目的ですので、それも忘れずに。

健康法に関する効果の検証が難しいのは、今回の熱を出した事が、「健康に気を使っていなければもっと熱が出ていた」のか、「健康法が間違っていたから熱が出た」のかの判断が誰にもできないことです。(笑) 自分のクローン人間を作って並行して実験したいものですね。

グラフを見てお分かりのように、最初のうち体重の落ちが悪くなっています。これは、最初は「プチ一日一食」の乗りで始めたからです。そして、家族と一緒の土日は一日二食にしていたからです。断食なども会社で一人の時は自由にできますが、家族と一緒の時に食べないのは、なかなか難しいものです。

最初の頃は、朝・昼:コンビニの飲むヨーグルト(180ml)、その間に空腹になったら、LG21(明治ヨーグルト)を飲み、夕食を食べる。2週間経った頃から、コンビニの飲むヨーグルトを止めて、昼と3時にLG21と夕食の一食としました。これで何とか続けられそうです。

一日一食にすると、確かにお腹が減ります。しかし、船瀬氏が書いているように、
「空腹を楽しめ」
「ああ、お腹が減ったなあ。なんて気持ちいいんだろう・・・」
そう思うと、本当にえも言われぬ心地よさを感じます。
「ああ、ありがたいなあ。生命の力が湧いてくるなあ」
眼を閉じて、その快感をじっくり味わいます。まさに、空腹を楽しむ境地です。
私の場合は、空腹の時は体中の免疫細胞がウィルスを食べているイメージをして空腹を楽しんでいます。(笑)

ダイエット、健康に興味ある方は、ぜひ読んでみてください。
そして、一日一食を一緒に実践しませんか?

【2016..03.13 追記】
1日1食を継続して気になった点を追記します。体重は、さらに下がって5Kg減りました。お腹回りの脂肪が減り、腹筋も割れて見えています。
①便秘がちになる:一日2食から食べる量が半分に減るのですから仕方がないとは言え、毎日快便だったのが、2~3日出なくなるのは不快です。(^^) 出る時はまとめて大量に出るので、体重の減りがリニアではなくなります。
②長時間座るのが苦痛になる:お尻の脂肪も減るため、イスに長時間座るとお尻が痛くなります。これは以前の間欠断食で痩せた時も感じました。仕事で座り続けていると、1時間おきに立ちあがったり、したに厚いクッションを置く必要があります。
③寒がりになる:全体的に脂肪が減っているのからだと思いますが、寒い日は極端にトイレが近くなります。でも、お腹回りがスリムになってズボンのベルトの穴が足りなくなってきましたので、ニンマリです。

ダイエットに関してはこちらもどうぞ。
・小麦は食べるな! 「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 ノバク・ジョコビッチ著 を読む
・万病が治る! 20歳若返る! 『かんたん「1日1食」!! 』 船瀬俊介著 を読む
・男性は読まないように! 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井睦著 を読む
・間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む
・ダイエット本の決定版! 「やせる」 勝間和代著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

一日一食 ~40歳を過ぎたら、食べなくていい~やってみました! 1日1食「食べない」健康法 (PHP文庫)できる男は超少食―空腹こそ活力の源 !「空腹」が人を健康にする一日一食断食減量道 (講談社プラスアルファ新書)




万病が治る! 20歳若返る! 『かんたん「1日1食」!! 』 船瀬俊介著 を読む [ダイエット]


万病が治る! 20歳若返る! かんたん「1日1食」!! (講談社文庫)万病が治る! 20歳若返る! かんたん「1日1食」!! (講談社文庫)
← Kindle版です。

一日一食に関する本です。
著者の船瀬氏は、1950年福岡生まれ。九州大学理学部 ⇒ 早稲田大学文学部卒業 という変わった経歴の持ち主です。医療、食品、環境問題に取り組んでいるジャーナリストです。

最近、よく耳にする「1日1食」に関する本です。以前このブログで紹介したように、私は朝食抜きの生活を続けており、2週間1日おきに断食する「間欠断食」を実行したこともあります。
しかし、「1日1食」については、なかなかハードルが高くて実行できていませんでした。最近、動物写真家の小原玲さんが、ブログなどで「1日1食」でダイエットしたことを書いていて、「やってみようかな・・・」と思いこの本を手にとりました。

「1日1食」は、芸能界でも実践者が多いようで、タモリさん、ビートたけしさん、水谷豊さん、千葉真一さん、福山雅治さん、GACKTさん、未唯さんなどが行っているそうです。その他作曲家の三枝成彰さん、作家の桐島洋子さんも「1日1食」の実践者とのことです。
確かにその人たちの顔を思い浮かべてみると元気でエネルギッシュに活動していますね。

「腹八分で医者いらず」、「腹六分で老いを忘れる」、「腹四分で神に近付く」という言葉は、船瀬氏が40年以上前に取材したヨガ道場の導師の教えだそうです。
なぜ「1日1食」が体に良いのでしょうか?
すでに、1935年に米コーネル大、C・M・マッケイ教授がマウスの摂取カロリーを六割にすると、十割の飽食ネズミに比べて、二倍生きることを確認しています。 さらに、そのメカニズムも1999年、レオナルド・ガレンテ教授(マサチューセッツ工科大学教授)の長寿遺伝子サーチュインの発見により立証されました。
つまり、「栄養は多ければ多いほどよい」ということはなく、「栄養は少ないほどよい」ということです。カロリー制限(ファスティング:少食・断食)することで、細胞を活性化させ、寿命を延ばすことができるということですね。
野生のライオンも満腹の時には、獲物を襲ったりしないそうですが、体の免疫細胞も血液中に栄養が十分にあると細菌などが侵入してきても、攻撃しないようです。人間も、太古の昔において、頭を最高に働かせて体力を目一杯使う時というのは、何日も食べておらず空腹の状態で獲物を捕える時であったろうと考えられます。
ですので、「1日1食」で体内が飢餓状態の時の方が免疫力が上がり、頭の回転も早まり、活動的になるというのはとても理にかなっていると思います。

また、人間は食料を食べることによって、栄養と一緒に毒素も身体に取り込んでしまいます。一日三食食べるとこの毒素は身体の新陳代謝能力を越えるほどの量になって脂肪組織に多く蓄えられるとのことです。この溜まった毒素がさまざまな病気の原因と考えられます。
そして、この「一日一食」のファスティングを行うことで、「体毒」(身体の中に溜まった毒素)を身体の外に出すことができるのです。この自己浄化(デトックス)こそファスティングの最大の効能であるとのことです。

船瀬氏は「一日一食」の効能を15項目あげています。
①持病が消える (糖尿病、水虫など)
②病気にかかりにくくなる (免疫力UP)
③身体が軽くなる (体重が減る、末梢血管まで血流が良くなる)
④疲れにくくなる (一日三食食べると消化エネルギーを厖大に消費する)
⑤睡眠時間が短くなる
⑥肌が若返る
⑦頭が冴えてくる (脳神経細胞のデトックス)
⑧生き方が前向きになる
⑨身体が引き締まる
⑩不妊症が改善する (男女とも)
⑪寿命が延びる
⑫食費が三分の一ですむ (食べないので当然)
⑬仕事がはかどる
⑭趣味を楽しめる
⑮感性が豊かになる

では、これだけメリットのある、画期的なファスティングがメジャーになっていないのは何故でしょうか?
その理由は、ファスティングの効用を認めると困る人たちがいるからだと船瀬氏は指摘します。具体的には、食料消費量が半分になったり、病気の患者が半減したりすると困る人たちがいるということです。農業、漁業、食料品業界や医療業界、医薬品業界などの人たちにとって市場規模が半減すると死活問題になります。これは言われてみればもっともです。
私たちが健康になると困る人たちがたくさんいるというのは何とも歪んだ世界ですね。

ダイエット、健康に興味ある方は、ぜひ読んでみてください。

ダイエットに関してはこちらもどうぞ。
・小麦は食べるな! 「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 ノバク・ジョコビッチ著 を読む
・私も実践! 「やってみました1日1食!! 」 船瀬俊介著 を読む
・男性は読まないように! 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井睦著 を読む
・間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む
・ダイエット本の決定版! 「やせる」 勝間和代著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

一日一食 ~40歳を過ぎたら、食べなくていい~やってみました! 1日1食「食べない」健康法 (PHP文庫)できる男は超少食―空腹こそ活力の源 !「空腹」が人を健康にする一日一食断食減量道 (講談社プラスアルファ新書)



「佐野乾山事件とバーナード・リーチ」 豊口真衣子著 を読む [尾形乾山]

今回紹介する本は、普通の本ではありません。東京大学比較文学・文化研究会から1998年に出された論文です。私は、東大から小冊子を購入しましたが、最近では、WebにPDFがUpされています。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/48878/1/CLC_15_004.pdf

前回紹介したような産経新聞の記事が出される前、佐野乾山について語られることがほとんどない状況で、この論文が出されたことに関してはある程度の意味があったと思います。佐野乾山事件に関する経緯が簡潔にまとめられていますので佐野乾山に関して何も知らない人が読む入門書としては、当時の状況が把握できて良いと思います。

ただし、論文の結論・内容に関しては...残念です。
私は常々佐野乾山に関する記載で、「国会での言論統制」に関して記載のない物は評価するに値しない、と考えています。その意味でこの論文は、わたし的にはここで「終了!」です。

この論文の結論は以下の通りです。
・リーチの名はメディアに頻繁に登場する。
・佐野乾山事件が紹介されるときは必ずリーチが言及される。事件を大きくしたのも複雑にしたのもリーチだ。
・リーチが本物説を唱えたことは本物説論者にとって大きな安心感を与えた。
・リーチは新佐野乾山、日本の動向に関して限られた情報しか与えられなかった。本物説論者によって利用されていた面がある。
・結局、リーチは本物説、偽物説の両方から利用された

豊口さんは古美術業界に詳しくないようですが、それにしても佐野事件に対するとらえ方があまりにも表面的すぎます。論文のテーマの取っ掛かりとして、リーチの役割に目を付けるのは良いでしょう。もしかすると、事件の登場人物で唯一知っている名前だったのかも知れません。

事件の発端となった発見者の森川氏の家族にまでインタビューするなど、過去の経緯を綿密に調査しているにもかかわらず、なぜこの真贋事件の核心である国会文教委員会での議論に到達しなかったのでしょうか? 通常は、白か黒か結論が明確になるはずの真贋事件で「日本最大の真贋事件」と言われた佐野乾山事件だけが、なぜグレーと判断されてそのまま30年以上(論文執筆当時)も放置されているのかと不思議に思わなかったのでしょうか?

その国会の文教委員会で行われたことは、東京国立博物館の林屋晴三氏、京都国立博物館の藤岡了一氏、東京大学の山根有三氏などの真作派に対する言論の弾圧でした。これによって佐野乾山に関する学問的な研究の道が閉ざされてしまいました。このことこそ豊口さんが大学の論文で取り上げるべき重要なテーマであったと思います。

事件当時から佐野乾山を調査してきた渡辺達也氏の「尾形乾山の見極め」には、地元高校の教諭であった渡辺氏にも圧力がかかっていたこが記載されています。
おそらくこれは篠崎源三氏の差し金だろうが、著者は昭和三十八年(1963)年十月五日、六日の二日間にわたって壬生町の常楽寺境内の具慶尼庵址及び乾山作陶窯址の発掘を壬生高等学校美術家生徒の教育の一環として実施した。その後、県教育委員会から佐藤金作学校長を通じて、「佐野乾山問題から手を引くように」との圧力があり、日本美術史上に関わる専門のことであるからと、拒否したことがあった。(同書 P118)
昭和39年1月に宇都宮市の東武デパートで「乾山展」が行われました。この時、栃木新聞社が新聞紙上で展示品の佐野乾山を紹介しました。その作品解説は、地元の研究家である石塚青我氏が担当しました。
しかし、石塚氏は、私に「実は解説文は全部林屋晴三君が書いたんだよ。ただ名前を出せないので僕の名前にした」と言っていた。文部省の干渉が影響したといえる。(住友慎一、渡辺達也「尾形乾山手控集成」P404)

ちなみに当時のマスコミも、「国会で議論された」と書いていましたが、何を議論したのかに関しては何も報道しませんでした。私は当時のマスコミがこの問題を報道しなかったことが、佐野乾山をグレーにした元凶だと考えています。産経新聞も、今回のように今まで知られていた陶磁製方の寄贈の話を大々的に報道するのではなく、このような真贋事件の本質に関してきちんと報道すべきだと思います。

その他、豊口氏の記載に関して一言、二言...。
①リーチは真作派であったが、常に贋作である可能性を挙げて逃げ道を用意していた。
はっきり言って、300年以上前の美術品に関して絶対確実な真作の根拠などありません。ですので真面目に考えている人ほどその発言は慎重になるはずです。リーチの、
(これほど美しいのに)本物でないなら、過去に乾山と同じように偉大な芸術家がいて、絵具も釉薬も手法もそっくり乾山流に作ったか、或いは、信じられないような人物が今日存在しているか」だ」
という発言は、「可能性としてはあるがそんな人は存在しない」という意味で捕えるべき発言でしょう。リーチは、森川氏の佐野乾山を見て、「一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です。」とコメントしたのです。リーチは長年乾山を研究してきて、七代乾山となった人です。そのリーチが、それまで知られている乾山の傑作よりも森川氏の佐野乾山の方が素晴らしいと評価したのです。つまり誰もが名品として認めるであろう光琳・乾山の合作よりも素晴らしい贋作を作ることができるような陶芸家が存在するとは考えられない、という当たり前のことです。

逆に、贋作派の代表である加瀬藤圃の、
真乾山とは似ても似つかない下手物であることは明瞭である。
森川氏は、まづ第一の明き盲で、これを絶賞して已まなかつた美術史家の数氏は、尚一段の半鑒耳食の徒である。その愚劣低見論ずるに足らぬヘボ学者である。二世紀以前の作品と今窯から出たばかりの下劣醜陋なるものとを辨別が出来ぬとあつては、今までなにを勉強されていたのかといいたい。
という断定的で自信満々のコメントほど、眉毛が濡れるほど唾をつけて疑ってかかるべきものだと思います。

②リーチは陶芸家としては唯一真作派であった。これは、日本では佐野乾山に対する反対意見が大勢を占めているという正しい情報を与えられなかったからだ。
贋作派の中心は日本陶磁協会でした。陶磁協会は、陶芸家や骨董屋、文部技官などが会員となっている大きな団体で、事件当時、陶磁業界で大きな力を持っていたと言われています。佐野乾山に関してその陶磁協会のTopが贋作であると判断したのですから、陶磁協会の会員はその判断に従わざるを得ません。つまり陶芸家たちは自分たちの作品が業界内で売れなくなるリスクを考えると自由に意見を言える状況では無かったのです。その中で、日本の陶磁業界とは関係のないリーチは、陶芸家としては唯一自分の感じた、信じた事を自由に発言できる立場にいたのです。その点を理解できなければ話になりません。
前出の渡辺達也氏の「尾形乾山の見極め」には、以下の記載があります。
私は直接リーチ氏に「富本さんは乾山についてどういっておられますか?」と聞いてみたところ、リーチ氏は「富本は絵もわからないしなにもいわない。いえないのだ。悲しい。」と、親友の富本氏がなにも発言できない立場を知っていて、それこそ悲しそうであった。とどのつまりは富本憲吉氏でさえ、勿論浜田庄司氏でも同じであったろう、日本陶磁協会の傘下にある陶芸家の泣きどころを、リーチ氏はよく知っていて、日本の美術界の狭隘な姿を悲しんでいたのである。(渡辺達也氏「尾形乾山の見極め」P97)

最後に「永仁の壷事件」と「佐野乾山事件」に関して書きます。
佐野乾山に関して論じる時に、「永仁の壷事件」の時に陶磁協会が何をしていたかを一緒に考えなければ状況をきちんと理解できません。
「永仁の壷事件」とは、陶工の加藤唐九郎が作った壺を文部技官であった小山冨士夫が鎌倉時代の古陶として重要文化財に認定しましたが、さまざまな疑惑の声が上がり最終的には唐九郎が「自分が作った」と認めて重要文化財は取り消されました。一般には、小山富士夫は唐九郎に騙されたと言われていますが、実際には、小山も唐九郎も陶磁協会の仲間でした。

佐野乾山事件と言えば、「国会でも議論された」という枕詞が付きますが、実は前の年におこった永仁の壷事件に関しても同様に国会で議論されています。(http://kaysan.net/sano/einin.htm
要は、永仁の壷事件という明確な贋作に関するメンバーどうしの馴れ合いに関しては何の糾弾も謝罪も反省もしなかった日本陶磁協会が、佐野乾山に関しては執拗に贋作だ、贋作だという主張を繰り返していたのです。
このことを知ると「佐野乾山に関してそれだけ言うのであれば、なぜ永仁の壺の時にきちんと贋作だと糾弾しなかったのか!」と言いたくなります。それこそ、前出の加瀬藤圃が指摘した「二世紀以前の作品と今窯から出たばかりの下劣醜陋なるものとを辨別が出来ぬとあつては、今までなにを勉強されていたのかといいたい。」という言葉をそのままお返ししたいですね。(^^)

【追記】
国会文教委員会での議論に関しては、基本書とも言える白崎秀雄氏の「真贋」「新発見・佐野乾山」(昭和40年)に記載がありますし、詳しい内容については国会のHPで議事録を読むことができます。

さて、産経新聞の佐野乾山報道ですが、きちんと本質までたどり着くか見守りたいと思います。

乾山に関しては、こちらもご覧下さい。
・乾山と言えば色絵陶器です! 「国際写真情報 」 を見る
・佐野乾山の真実! 尾形光琳二代目 乾山 細野耕三著 を読む
・佐野乾山は美しい! 骨董のある風景 青柳瑞穂著 青柳 いずみこ 編 を読む
・藤田玲司と三田村館長が認めた「佐野乾山」、ギャラリーフェイク 006 「タブーの佐野乾山」 細野不二彦著 を読む
・「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著 を読む
落合先生の佐野乾山関連の情報も
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む

【佐野乾山に関しては、K's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm)】

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


佐野乾山の新聞報道に関して(2015年) [尾形乾山]

2015年11月26日の産経新聞に何十年か振りに佐野乾山に関する記事が掲載されました。

世紀の真贋論争「佐野乾山」解明へ 栃木の旧家で自筆伝書と陶器発見

お! 佐野乾山の新資料が見つかったのか! とビックリしました。
しかし、記事を読んでみると乾山の書いた伝書「陶磁製方(佐野伝書)」が所有者から佐野市に寄託されたという内容です。な~んだ。佐野伝書は、新発見でも何でもなく昔から乾山の伝書として真筆として認められているもので、50年前の真贋論争とはまったく関係がありません。
KenzankaigaS1.JPG











KenzankaigaS2.JPG
写真のように1982年に五島美術館で開催された「乾山の絵画」という美術展で展示され、図録にも掲載されています。




新聞記事にも佐野伝書が確認されたのは33年ぶりと書かれていますが、これまで知られていた資料が佐野市に寄託されただけなのに、なぜ
半世紀前の真贋(しんがん)論争事件で美術界最大のタブーとされた「佐野乾山」に、再びスポットライトが当たることになる。」(記事の記載)
につながるのか全く分かりません。
また、佐野伝書とともに素焼きの皿3枚が発見されたそうですが写真を見る限り、私には佐野乾山とは思えません。この記事は、産経新聞にしか掲載されていませんので、「産経新聞もよっぽどネタがないんだな~」と思ってしまいました。(笑)

ところがその後、産経新聞は
●11月26日具体的な記述、由来明確 ゆかりの佐野市が寄託受け入れ 真贋論争の「佐野乾山」史料、栃木で発見
●11月27日尾形乾山「元文2年9月」に佐野へ 有力者の招きで来訪か
●11月28日「佐野乾山」は数点程度か 栃木県内旧家で盗難、所在不明陶器も
●12月2日「佐野乾山」裏付ける貴重な史料 「陶磁製方」の写本も発見
●12月5日真贋論争巻き起こした佐野乾山のもう一つのミステリー 盗難で所在不明の作品は何処へ…

というように、佐野乾山キャンペーンのような記事を連続して書いています。
う~む! 産経新聞は何を意図しているのでしょうか?
記事の記載回数の割に内容は陶磁製方の所有者から取材した内容に留まっており、そこまで引っ張る必要もない内容です。

当初は、50年前の佐野乾山事件にはまったく関係ないと考えていましたが、これだけ新聞ネタになることで、一般の人にも「佐野乾山」の名前が浸透する良い機会かもしれないと思うようになりました。私は50年前の「佐野乾山事件」が風化してしまうことを懸念して地道な活動をしていましたが、今回の記事で少しは人々の記憶に残るかもれしれませんね。

もしかすると産経新聞はまだ何か大きなネタを持っているのかも知れませんね
これからも注目したいと思います。

【2015.12.08:追記】
2015.11.26夕方の記事の内容の間違いを勝手に添削します。(^^)
「所蔵が確認された「色絵夏山水画菓子皿」
 栃木県佐野市で、自筆伝書「陶磁製方(佐野伝書)」や陶器など6点が見つかった尾形乾山は日本画家、尾形光琳の弟で、日本三大陶工の一人としても知られる。だが、晩年に現在の同市で作陶された「佐野乾山」は大量の贋(がん)作(さく)が流通し、研究者や好事家の間では「乾山を見たら偽物と思え」とまで言われる幻の作品群となっている。佐野市は寄託を受けることを決定。美術界最大の謎の一つ「佐野乾山」の全容解明に期待がかかる。」(元の記事)

①尾形乾山は日本画家、尾形光琳の弟で、日本三大陶工の一人としても知られる。
尾形乾山は、日本画家尾形光琳の弟で、日本三大陶工の一人としても知られる。
(元の文だと尾形乾山が日本画家のように読めてしまいます)
②晩年に現在の同市で作陶された「佐野乾山」は大量の贋(がん)作(さく)が流通し、研究者や好事家の間では「乾山を見たら偽物と思え」とまで言われる幻の作品群となっている。
晩年に現在の同市で作陶された「佐野乾山」は昭和30年代に大量の新発見の作品が発表された。当時の乾山研究者や好事家の間では「乾山を見たら偽物と思え」と言われていた中での新発見で大きな話題となった。
(当時発見された佐野乾山は、「贋作」とは結論付けられていません。あくまでも「グレー」です。また、大量に流通したとも言えません。一部の骨董屋、好事家が購入していただけです。「乾山を見たら偽物と思え」というのは、佐野乾山に関して言われたことではなく、当時の乾山(鳴滝・二条丁子屋)などに関して言われたものです。当り前ですが、佐野乾山などに比べて鳴滝乾山などの贋作の方が桁違いに数が多いです。)

新聞報道は、事実誤認が多いものです。みなさんも注意して読みましょう。

乾山に関しては、こちらもご覧下さい。
・乾山と言えば色絵陶器です! 「国際写真情報 」 を見る
・佐野乾山の真実! 尾形光琳二代目 乾山 細野耕三著 を読む
・佐野乾山は美しい! 骨董のある風景 青柳瑞穂著 青柳 いずみこ 編 を読む
・藤田玲司と三田村館長が認めた「佐野乾山」、ギャラリーフェイク 006 「タブーの佐野乾山」 細野不二彦著 を読む
・「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著 を読む
落合先生の佐野乾山関連の情報も
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む

【佐野乾山に関しては、K's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm)】

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


負けるはずがなかった!「大東亜戦争」倉山満著 [歴史の真実・陰謀論]


負けるはずがなかった! 大東亜戦争今は、太平洋戦争と呼ばれている大東亜戦争に関する本です。

著者は、気鋭の保守論客である倉山満氏です。
倉山氏は、1973年香川県生まれ、憲政史研究者。1996年中央大学文学部史学科卒業後、同大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務め、同大学で日本国憲法を教えています。最近、ものすごいペースで本を書き続けています。

先生の本を読むと、これまで学校で学んだ事や一般に通説と言われていることがいかに偏った見方であるかが分かり、衝撃を受けます。例えば、「嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)」には、
ソ連との片手間の中国との片手間のイギリスとの片手間に、アメリカの喧嘩を買った日本」と書かれています。(笑)
そうなんです。私たちは何となく「日本はアメリカとだけ戦った」ように考えてしまいますが、実際には中国、英国、オランダ、オーストラリア、アメリカなど連合軍と戦ったのです。そして、日本はアメリカ以外には連戦連勝でした。戦略を間違ったとしか言いようがありません。
瀬島龍三がデタラメな作戦を立案したら岡村寧次がすご過ぎて、(引用者注:中国大陸の)二千四百キロの「直進行軍」をやり通してしまった。少なくとも日本は大陸ではまったく負けていません。
日本は大陸で負けていないどころか、大東亜戦争は対米戦争以外全戦全勝でした。(中略)大東亜戦争で、日本はイギリスとオランダに対しては戦勝国です。支那事変が片付かないのにアメリカにアホなケンカを売ったから、勝てる戦をみすみす負けただけです。それでもオランダは九日で、イギリスは六十日で粉砕したのです。帝国陸海軍は、どれほど強かったのか。そして、上層部がどれほどアホだったのか。

倉山先生の主張は要約すると、「日本の軍隊(現場)はとてつもなく強かったが、トップ(政府、陸軍、海軍)に戦争に対する全体戦略が無かったので負けた。」ということです。日本の現場力が強かったので、おかしな作戦であっても成果を出してしまったため、トップはさらにおかしな作戦を立てていったということです。日本の現場力の強さは今に始まった事ではないということですね。
さらに政府、軍部のトップの中にはコミンテルンのスパイが多数もぐりこんでいて、さらに戦略を混乱させていました。

日本の軍事力に関して言えば、1930年のロンドン軍縮会議の時、各国の主力艦の数を議論しました。
対米七割、六割と言いますが、日本とアメリカの海軍軍人は同じことを考えていました。対米七割なら日本が勝つ、対米六割ならアメリカが勝つとお互いに思っているのです。それほどまでに日本の帝国海軍は強かったのです。
つまり、対米7割で勝つのであれば、同等の主力艦の数であれば日本が米国に圧勝するということです。これも目からウロコな事だと思います。

また、対ソ戦で近代兵器に敗退したと言われていたノモンハン事件ですが、ソ連崩壊後の情報公開によって、実はソ連の被害の方が多かったことが分かったそうです。

さて、大東亜戦争に対する倉山先生の主張は、とても過激です。(^^)
大東亜戦争は「君にも勝てる」とか「こうすれば勝てた」という話ではありません。「何でこれで負けようがあるんだ、バカ者どもが」という話なのです。

倉山先生は、アメリカとの対戦での最大のミスは真珠湾を奇襲したことだと主張します。
ハワイを奇襲して失敗したら終わりですから、わざと負けようとして採用したとしか思えません。第一、帝国海軍は四十年間、まずマニラ(引用者注:米国の植民地だった)を取り、フィリピン沖で米軍を待ち構えて艦隊決戦というバトルドクトリン(戦闘教義)を持っていました。

もともと、アメリカが石油を売らないと言ってきたから始めた戦争ですので、石油を取りに行くべきですが、日本はハワイを攻撃してしまいました。
では、石油はどこにあるか。オランダ領インドネシアです。何のためにアメリカと戦争をするのか、まして何のためにハワイを攻撃したのでしょうか。ハワイに石油があったのでしょうか。オランダだけを攻めればよかったのです。付け加えるとしても石油を産するブルネイを持つイギリスまでです。
確かにそう思います。もともとの作戦の通り、対米戦に関しては米国の植民地であったフィリピンだけを攻撃すれば良かったのです。米国領であるハワイを攻撃したので、米国に「リメンバー パールハーバー」の対日戦の口実を与えてしまいました。攻撃対象がフィリピンだけであれば、「若者を戦場に送らない」と言って当選したルーズベルトが植民地奪還のために若者を送ることを米国民が許さなかったと思います。
その元凶を造ったということで、名将として評価の高い山本五十六を倉山先生は徹底的に批判しています。
山本五十六がそもそもハワイを狙った理由は、証拠がないので断定するつもりは毛頭ありませんが、アメリカかコミンテルンのスパイだったと言えば一番合理的な説明がついてしまいます。

さらに、アメリカが国際法無視の国であると明言します。
だから、アメリカは強い日本に勝つためにはどうしようかと必死になりました。(中略)やっぱり通商破壊だろうとの結論になったのです。「あれだけわれわれはドイツを苦しめたじゃないか。戦闘員とか非戦闘員の区別をつけない鬼畜の行い、それがわが国の伝統でございます。だって、ゲリラ戦でできた国なんだもん!」 ─ ─ 完全に開き直りですが、アメリカ人はこういうヤツらなのです。アメリカはこういうことを海でもやる。だから、病院船でも平気で沈めまくりますし、のちにそこに無差別都市空襲も加わります。
さらにこれが2つの原爆投下につながりますね。そのようなアメリカに対して、日本はあまりにも生真面目であったというよりも、対策がお粗末でした。
勝てば官軍は世の常とは言え、このような国際法無視の国が裁いた、A級戦犯 「平和ニ対スル罪」、B級戦犯「戦争犯罪」、C級戦犯「人道に対する罪」って何なのでしょうね。

これ以外にも目からウロコの内容が盛りだくさんの内容です。
これまで一方的な史観で語られてきた昭和史ですが、倉山先生のような視点でもう一度見直すことが必要だと思います。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

倉山満の憲法九条 ― 政府も学者もぶった斬り!この国を滅ぼさないための重要な結論 《嘘まみれ保守》に憲法改正を任せるな! (Knock‐the‐Knowing)お役所仕事の大東亜戦争嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)



尾形乾山生誕350周年の展覧会(2013年)を振り返る [尾形乾山]

「琳派」の展覧会と言えば、美術展でも大人気の企画物の一つでしょう。
2008年に東京国立博物館で『尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展-継承と変奏-」』という大企画展が開催されました。私も観に行ってきましたが、凄い人で混みあっていました。20万人以上の方が訪れたそうです。

ところが、その5年後の2013年は光琳の弟の尾形乾山の生誕350周年ですが、目立った乾山展は開催されませんでした。今年(2015年)の5月~7月に東京ミッドタウンのサントリー美術館で久しぶりの乾山展『「着想のマエストロ 乾山見参!」展 』が開催されました。かなり大規模な乾山展で、見ごたえがありましたが、「なぜ生誕350周年でこれをやらなかったのか?」と疑問に思います。

さて、実はその乾山生誕350周年の年に栃木県の佐野市で「佐野乾山展」が開催されていました。(2013年12月4日~8日) 私もその展覧会のお手伝いをしていたので紹介します。会場は、佐野市内にある佐野文化会館です。

小さな展示会をやるにはちょうど良い大きさの会場で、30点以上の佐野乾山が展示されました。
sDSCF5770.JPG
















私も佐野乾山を10年以上調べていますが、これだけ多くの素晴らしい佐野乾山の作品を一度に観たのは初めてでした。
sDSCF5769.JPG
















佐野乾山の特徴は、鳴滝時代には見られない乾山の自画自賛の作品であるということです。(鳴滝時代は、光琳などの絵付けでした)つまり、乾山自身が描いた絵と書を見られるということです。
sDSCF5705.JPG
















「まだこんなに素晴らしい佐野乾山が残っていたんだ…」というのが正直な感想です。絵も書ものびのびと描かれていて引き込まれてしまいます。
sDSCF5783.JPG
















今回は、茶碗と角皿が多かったですね。
S1.JPG


























来場された方々のほとんどは、「佐野乾山」の事をご存じなかったようです。
sDSCF5806.JPG













それでも作品に描かれた絵と書の素晴らしさに皆さん感心されていました。
sDSCF5812.JPG













乾山の賛と落款です。最初「於下毛佐野庄越名河畔 元文二歳焚之」最後「老陶工乾山省」と書いてありますね。表に描かれた絵も見事でした。
DSCF5399.JPG


さて、以上が前振りです。(笑)

一昨年、昨年に続き、今年も佐野で展示会と講演会を開催します。
お近くの方は、ぜひご覧になってください。(今年は作品の展示は10点程度です)

日時 10月10日(土) ~ 10月11日(日)
講演会 13時30分開始
作品展示 10日(土) 13時~17時、11日(日) 10時~17時
入場 無料
場所 佐野市市民活動センター ここねっと (栃木県佐野市大橋町3211−5)
主催:佐野乾山顕彰会

佐野乾山について知りたい方は、以下のブログも参考にして下さい。
・佐野乾山の真実! 尾形光琳二代目 乾山 細野耕三著
・藤田玲司と三田村館長が認めた「佐野乾山」、ギャラリーフェイク 006 「タブーの佐野乾山」 細野不二彦著 を読む
落合先生の佐野乾山関連の情報も
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む

【佐野乾山に関しては、K's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm)】

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


「シャンプーをやめると、髪が増える」 -抜け毛、薄毛、パサつきは“洗いすぎ”が原因だった- 宇津木龍一著 [健康]

シャンプーをやめると、髪が増える  抜け毛、薄毛、パサつきは“洗いすぎ


今回は、「脱シャンプー」の話です。
著者の宇津木先生は、日本で最初のアンチエイジング専門施設である北里研究所病院美容医学センターを創設し、センター長を務めている方です。日本では数少ないアンチエイジング治療専門の美容形成外科医です。


この本の主旨ですが、「薄毛の一番の原因はシャンプーだ!」ということです。
私はこの本を動物写真家の小原玲さんのブログで知りました。私も以前から髪が気になっていたのでさっそく始めてみました。まだ始めて2週間ちょっとなので、当然「髪が増える」ということはありませんが、意外と心配していたような臭いやベタつきなどはないものなんだな~と思って楽しみに続けています。
小原さんのFacebookなどを拝見したり、Webで検索すると、意外とたくさんの方が「脱シャンプー」をすでに実行していることが分かり驚きました。

最近、男性の薄毛の悩みはミノキシジルなどの効果が認められてきたため、男性のカツラの需要が減ってきているそうです。そのため、カツラメーカーは女性用カツラに力を入れている、そしてその女性の薄毛の原因がシャンプーであるということも聞いた事があります。

「薄毛の一番の原因はシャンプーだ!」の理由
①最近のシャンプーは40種類近い化学物質が含まれており、それらの化学物質がシャンプーの度に頭皮の10万個の毛穴から入り込み、毛根を痛めつけている。
②シャンプーは洗浄力が強く、皮脂を根こそぎ取り去るため皮脂腺が発達して髪に行くはずの栄養が皮脂腺に吸い上げられている。シャンプーをすればするほど皮脂が無くなるため、頭皮は必死になって皮脂を出すので逆に髪がベタつく。
③シャンプーの界面活性剤の強力な洗浄効果によって頭皮のバリアが壊され、頭皮の新陳代謝が衰えるため、頭皮が薄くなる。また、皮脂という天然のコーティングを失った髪のキューティクルは乾燥してめくれ上がる。
④シャンプーに入っている防腐剤によって頭皮の常在菌を殺してしまい、逆にカビやさまざまな雑菌が付くようになる。(頭皮には数多くの常在菌が棲みついていて、この常在菌が皮脂や汗を食べて、酸性の物質を代謝している。そのおかげで頭皮は弱酸性に保たれ、雑菌やカビなどの侵入から守られている)

シャンプーを使わないと汚れが落ちないと感じる方が多いと思いますが、
酸化した油脂はただの水で洗いさえすれば流れ落ちるので、頭皮を酸化物で傷めることはありません。毛髪を健康に保つために、シャンプーを使う必要はまったくないのです。
ワケのわからない物質が36個も含まれているシャンプーを、あなたは舐めて味見できますか? 気持ちが悪くて舐められませんよね。舐められないものを皮膚につけてはいけません。(頭皮についた化学成分は皮膚から直接吸収される。)

その他にもシャンプーメーカーのCMのイメージの刷り込みには注意しましょう。
*「ノンシリコン」にだまされるな
シリコンは比較的安全な物質であり、そのシリコンを悪者にしてシリコン以上に害のあるシャンプーを安全であるかのようなイメージを作り上げている。
*「ベビー用」にだまされるな
ベビー用にも界面活性剤や防腐剤は堂々と使われている。毒性は大人用と変わらない。そんなシャンプーを赤ちゃんに使うなどとんでもない話。
*「髪がサラサラなびく」のは、干からびているから
髪は本来皮脂でコーティングされていて髪を整えられるようになっている。サラサラの髪は皮脂が奪われて乾燥し、カサカサに干からびた状態。

そして、ボディーシャンプーなども防腐剤などが入っており、体の常在菌を殺してしまうので使わない方が良いとのことです。私たちの体は常在菌と共生していて雑菌などのバリアを作っています。ですので、洗い過ぎると逆に常在菌を殺してしまうので雑菌の温床になってしまうそうです。

宇津木先生によると、からだの汚れはすべて水だけで落とせるとの事ですが、お尻などはボディーシャンプーを使いたくなりますよね? まあ、気持ちの問題ではありますが...。
まあ、全然使わないというのは、すぐには難しいと思います。

最近はお医者さんも手術の前などは、ブラシなどを使って指などを洗うことは止めたそうです。(逆に雑菌を増やすことになるそうです) 私はハンドソープで手を頻繁に洗う方なので、最近はできるだけ水だけで流すようにしています。

健康に興味がある方は、ぜひ読まれることをお勧めします。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

「肌」の悩みがすべて消えるたった1つの方法―美肌には化粧水もクリームもいりません―宇津木式スキンケア事典 化粧品をやめると、肌はよみがえる (ノンフィクション単行本)化粧品を使わず美肌になる!




超回復など考えずに毎日鍛えろ!「筋トレ虎の巻」- 杉田茂 [格闘技]

今回は、筋トレに関する本の紹介です。
私は大学時代に空手をやっていたので、その当時はベンチプレスやスクワットなど筋トレをかなり頑張ってやりました。空手を止めてからはほとんどやっていませんでしたが、最近ボルダリングをやるようになり、自重中心ですが、また筋肉を鍛えることをやるようになりました。

そして、トレーニングする時にいつも考えていたのが「超回復」に関してです。
「超回復」:筋力トレーニング後に24~48時間くらいの休息をとることによって起こる現象。休息の間に筋力がトレーニング前よりも増加することをいう。超回復の原理を有効に利用することによってはじめて、トレーニング効果が現れると考えられている。(「トレーニングをする前に読む本」石井直方著)
石井氏は東京大学大学院教授で理学博士で、1981年ボディビルミスター日本優勝・世界選手権3位にもなった方ですので、私はずっとこの説を信じていましたし、筋トレをやる人の間ではほぼ常識になっていると思います。要は、2日~3日の休息を取ることによって筋力が大きくなる、筋トレは毎日やってはダメという理論です。

しかし、以前このブログで書いた史上最強の柔道家であった木村政彦のトレーニングを知ってから大きな疑問を持ちました。(大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-08-15
・100数十Kg、200Kgを超える重量で数百回、数千回という単位で延々とベンチプレスを行う。
・寝る前には腕立て伏せ1,000回を日課としていた。
⇒ その結果、ベンチプレス250Kg、ストレートアームプルオーバー90Kg、握力は200Kgを超えていたと言われています。
現在の理論で言えば、毎日ウエイトトレーニングをやるのは逆効果、1日筋トレをやったら2日は休息が必要と言われていますが、上記のような、どう考えてもオーバーワークの木村のトレーニングでどうして鋼のような肉体ができたのでしょうか? もしかすると、現在の筋トレの理論が何か間違っているのではないか、と疑問を感じてしまいますね


筋トレ虎の巻 ハンディ版―指導書には載っていない筋トレの極意を伝授

さて、前置きが長くなってしまいましたが、その疑問に答えてくれるのがこの本です。
著者の杉田茂氏は、1947年大阪生まれ、16歳からボディビルを始め、1972年JBBFミスター日本優勝、1974年に渡米し、1976年NABBAミスター・ユニバース優勝など輝かしい実績を残している方です。

この本で、杉田氏は「超回復」に関して以下のように書いています。
トレーニング関係者を迷わせている元凶が、誰が唱えたのか、「超回復」という理論である。トレーニングによって疲労した筋肉が、48~72時間休息させた後に前よりも強くなっている状態を「超回復」というらしく、この48~72時間の休養を取らずにトレーニングを行っていると、筋肉は大きくならず、やせ細ってしまうというのだ。
私はボディビルを始めた16歳から、現役を引退した42歳までの26年間を振り返って見ると、72時間はおろか48時間も筋肉を休めた覚えがない。
これを超回復理論に当てはめると、私は16歳の頃の58キロの身体のままだということになる。こんな考えがまかり通って、もっともらしく語られていれば、初心者ならずとも、トレーニング・プログラムを作る段になるとナーバスになってしまうのも無理はない。
そして、もう一つ同じような話ですが、最近いろいろなスポーツのトレーニングでよく言われる「オーバートレーニング」に関しての話です。
オーバートレーニングという言葉はトレーニングの専門誌でよく目にするし、陸上競技の長距離などでオーバートレーニングが元でスランプに陥り、低迷を続けている選手の話を聞いたことがあるが、ボディビルダーで実際にオーバートレーニングになった人などいるのだろうか--という疑問だった。
というのも、我々の時代のボディビルダーのトレーニング量は、今のボディビルダーからは考えられないほどのものをこなしていた。
私の前年のミスター日本である末光健一さんは、1日100セット以上やることで知られていたし、ライバル関係にあった私も、末光さんに勝つためにはそれ以上のセット数をやらねば、と思っていた。事実、それを実行していた。(中略)
それによって我々がオーバートレーニングに陥ったかというと、答えはNOである。
つまり、われわれのレベルで少しくらいハードなトレーニングを続けたってオーバートレーニングになんかならないよ、と言う事です。そして、オーバートレーニングを心配する人に対しては、
『論より証拠』と考えて、一度、翌朝あごも上がらなくなるほどトレーニングをしてみたらいい
と喝破しています。
この杉田氏の本を読むと、「超回復」や「オーバートレーニング」理論というのは、誰かが自分のライバル達に自分よりも練習させないように広めたガセネタではないか、と思えてきます。(^^)

さあ皆さん、何も心配しないで毎日ハードなトレーニングを続けましょう!(笑)

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)落合先生の最新刊です。落合先生は、間違っていた内容は分かった時点ですぐに修正されますので、南北朝の基本を読んだ後は、新しい本の方から読んで行った方が良いかも知れません。

今回は、明治維新後の政府の動き、特に西郷隆盛の真実に迫る内容です。

まずは、落合先生の主張のおさらいです。

【欧州大塔宮】
南北朝時代の大塔宮護良親王が西大寺に入り、生れた王子とその子孫が、東南アジアからマラッカ海峡を抜けインド洋を経てホルムズ海峡で上陸し、14世紀末~15世紀にかけてトレビゾンド港(トルコ)から黒海を渡ったヴェネツィアに到着し、陸路を取り欧州を北上してフランドル地方で現地のケルト族と混交して経済力を蓄えて欧州王家と貴族になった。現在のオランダ王室の祖先のオラニエ=ナッサウ家ヴィレムⅠ世が欧州大塔宮と言われています。
つまり、落合先生の説では、英国を拠点とするいわゆる「ワンワールド」の背後には、欧州大塔宮がいたということです。
二年前の私が「地政学的な海洋ワンワールドの連合」と考えた勢力の正体が、実は世界王室連合で、その背後になんと欧州大塔宮がいたのです。大塔宮護良親王から始まる國體天皇系が欧州王家となり、欧州貴族となって、大きく発展していたとは、ほんとうに驚きました。

また、落合先生は、京都皇統から最近さらに詳しく「ベルギー王室は欧州大塔宮の子孫」と教られたそうです。日本の皇室が、オランダ、ベルギーなどの国の王室と親密な関係があることは周知の事実ですが、その裏にそのような事情があったということですね。
(落合先生の本には書かれていませんが、鎖国していた江戸時代に西洋の国ではオランダとだけは交流を許可していた理由はこれかも知れません)

関連した情報です。
・小栗忠順、木戸孝允、陸奥宗光は欧州大塔宮の子孫である。
・岩倉使節団の目的は不平等条約改正のため海外事情を観察すること、というのは表の看板であり、裏の目的は、新政府の首脳(岩倉・木戸・大久保)がベネルクスで欧州大塔宮とフィラデルフィアで在米大塔宮に「お目通り」することであった。

【版籍奉還】
15代将軍である徳川慶喜が大政奉還したことは、國體天皇から指示による「堀川政策」の一部ですが、一番の現実的な問題は廃藩置県の前段階として、版籍奉還でした。
・戊辰戦争で勝利した薩摩、長州藩などは恩賞として過贈を望んでいた。
・國體天皇から指示を受けた慶喜が、酒井家に姫路藩が版籍奉還の先鞭を付けるように命じた。(当時の状況を考えると、藩の永続しか考えていない諸藩から見ると版籍奉還を自ら言いだすことは正気の沙汰ではない。)
・木戸考允が動き政府の中心である薩長土肥に版籍奉還を行わせ、残りの諸藩の流れを作った。
・この薩長土肥に対しては版籍奉還の代償として、以下の利権を与えた。
長州:全国の土木談合利権
薩摩:警察・文部利権
土佐:海運利権
肥前:長崎の軍港利権

【西郷隆盛の征韓論】
西郷隆盛と言えば「征韓論」を主張し、それを受け入れられずに下野したと認識されていますが、それは事実とは異なると先生は指摘します。

西郷隆盛は、征韓論者ではない
・武力進駐論を唱えた板垣退助は征韓論者であるが、西郷は礼節外交を唱えただけであり、征韓論者ではない。
・西郷は、礼節外交のため開国勧告のために訪韓を希望し、新政府の板垣退助、副島種臣、江藤新平、大隈重信らの参議はそれを承認した。
・しかし、明治天皇(政体天皇)は、欧州使節団が帰国するまで保留とした。
・そして、帰国した岩倉右大臣、木戸孝允・大久保利通参議の反対によって西郷の訪韓は取りやめとなる。これは、國體天皇の意向によるものである。
・開国したばかりの日本は、外事は國體天皇(孝明先帝)の専管であり、覇道一神教(イエズス会)の侵入を防ぐのが國體上の重大事であった。そのため、重大な外事に関しては、國體参謀本部が最終的な落とし所を決めていた。
・國體参謀本部は欧州大塔宮から指導を受けていたが、欧州大塔宮としては、朝鮮問題よりも台湾派兵が急務であると考えていた。
⇒ 当時の日本にとって、いろいろな意味で重要なのは韓国ではなく台湾であった。明治4年、台湾で宮古島島民が多数殺害される事件が発生し、それを契機として明治7年台湾征討を行った。

そして、落合先生は驚くべきこともさらりと書いています。
・明治42年の伊藤博文の暗殺は、玄洋社軍人である明石元二郎が指揮した朝鮮軍の一隊が実行した暗殺を、テロリスト安重根の仕業に見せかけたもの

興味ある方は、ぜひ読んで欲しい一冊です。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

聖徳太子は怨霊になった!「逆説の日本史」2 古代怨霊編 井沢元彦著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


逆説の日本史〈2〉古代怨霊編 (小学館文庫)井沢元彦氏の「逆説の日本史」2です。
井沢史観のポイントは「怨霊」ですので、この巻も興味深い内容が書かれています。

まずは、聖徳太子です。みなさん現在の天皇をイメージすると意外に思うかも知れませんが、天皇家は聖徳太子の昔から明治までは仏教徒でした。そして、明治以前は神社と寺は一体で、寺社と呼ばれていました。それが、明治になって国家神道が強化され、神仏分離が進められて現在の形になったのです。

1.聖徳太子
・聖徳太子はなぜ「聖徳」なのか? ⇒ 太子が偉大な人物だったからではない。また、なぜ有能な太子が天皇になれなかったのは不可解である。
・当時、「内官家」を新羅から取り戻すことが天皇家の宿願だったため、太子は、朝鮮半島に2回出兵しようとしたが失敗し新羅征伐は挫折する。(「内宮家」(うちつみやけ):任那あるいは伽耶のこと)
・遣隋使で随の煬帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々。」という国書を出したのは、当時の外交常識から言ってトンデモないことである。随と戦争になってもおかしくない内容。
・その当時、祖先を祀るものがいなくなった霊は祟りをなす、という考えがあった。太子の子孫は息子の山背大兄王の時に、孫もふくめて皆殺しにされており、太子の霊を祀る子孫はいなくなった。
聖徳太子は怨霊になった
聖徳太子一族を滅ぼした蘇我一族も中大兄皇子に滅ばされた。当時の人は、これは太子の祟りと考えたであろう。
「聖徳」の諡号は、怨霊となった証拠である

【諡号とは】「後醍醐天皇」、「推古天皇」などの「後醍醐」や「推古」などは諡号と言われ、生前の人物や事跡を考慮して付けられます。ですので、生前に「後醍醐天皇」、「推古天皇」と呼ばれたわけではありません。つまり、聖徳太子は死後に怨霊となったと考えられるので、「聖徳」と付けられたということです。
井沢氏は、歴代の天皇で「」を諡号に使われている天皇は怨霊になったと考えています。(太子以降は6人しかいません)
孝徳天皇:大化の改新後即位するが、中大兄と遷都問題で対立して難波宮に置き去りにされる。孝徳帝の妻も中大兄について大和に行ってしまう。
称徳天皇:弓削道鏡を天皇にしようとして実現せずに亡くなった。
文徳天皇:最愛の妃の生んだ皇子を皇太子にできずに、無理やり藤原氏の娘の皇子を皇太子にさせられた上に若くして急死した。
崇徳天皇:保元の乱で敗れ、讃岐に島流しになり日本の大魔王となる。「皇を取って民となし、民を皇となす」と呪い、平家・源氏の武家政権を誕生させた。
安徳天皇:平家一門が壇ノ浦で滅亡する時に、二位の尼に抱かれて海へ投身した。
順徳天皇:承久の乱で敗れ、佐渡に流され佐渡で死ぬ。

2.天智天皇、天武天皇
・天智天皇(中大兄皇子)は、663年に朝鮮半島の百済復興のために朝鮮半島に軍事介入し、唐・新羅軍と対決し大敗を喫した。(白村江の戦い)
⇒ 唐の日本侵攻を恐れ、長門や筑紫に守備兵を置き、博多に水城という防護壁と西日本の各地に城を築いた。また、内陸の大津に遷都を行った。
・天智天皇の陵の所在だけ、日本書紀に記載されていない。
・天武天皇は、天智天皇の弟ではない。
⇒ 日本書紀以外の書を見ると、兄であるはずの天智天皇のよりも天武天皇の方が年上になる。国史大辞典にも天武天皇が死んだ年齢の欄は空白になっている。
・年が上であるはずの天武が天智よりも早く天皇になれなかったのは、正統な後継者になる資格が無かったからである
⇒ 天武天皇は、自分の皇位の正統性を主張するために、「古事記」、「日本書紀」の編纂を命じた。 天武が即位した後に三種の神器の一つである草薙剣が天武に祟り、天武が病気になったことが日本書紀に記載されている。(天武は正統でないから祟った ⇒ 後に加筆された可能性あり)
・京都の泉涌寺は、仏教を信仰していた天皇の菩提寺であるが、天武以後称徳女帝までの8代7人の天皇の位牌がない。(天武系の天皇は皇統から外されている)
・「天智」の諡号は、殷の紂王(中国史上最悪の王と言われる)の身につけていた宝石の名前にちなんでいると考えられ、縁起の悪い名前である。
・さらに「天武」の諡号は、殷の紂王を殺した周の武王にちなんでいると考えられる。
⇒ 天智天皇は天武天皇に殺された。
・天智天皇の娘である持統天皇は、自ら即位して孫を皇位に付けることで、天武系の血統を排除して天智系の血統を守り抜いた。
「持統」の諡号は、「継体持統」にちなみ、皇統の断絶を防いだことを意味している

3.奈良の大仏は何故建立されて、そして捨てられたのか
・奈良の大仏は、創建当時世界最大の金銅仏であった。
・天皇の妃を提供していた藤原氏の陰謀で非藤原氏系である長屋王が無実の罪を着せられて自殺したが、その後、その犯人と思われる藤原四兄弟が相次いで病死し、聖武天皇には後継ぎの皇子が生れなかった。
⇒ 聖武、光明皇后ともに藤原氏の血を引いており、長屋王の祟りを恐れた。聖武天皇に男子が生れないのは長屋王の祟りであると考えた。
奈良の大仏は、長屋王の祟りを封じることを目的として造仏された。(怨霊を仏教の力で封じこめようとした)
・しかし、世界一の大仏を建立したにもかかわらず、聖武天皇に男子が生れなかった。
⇒ 奈良の大仏は役に立たなかったので、大仏を捨てて平安京に遷都した。

非常に興味深い内容ですね。古代史に興味がある方には必読の書です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

邪馬台国の卑弥呼は天照大神だ!「逆説の日本史」1 古代黎明編 井沢元彦著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

この「逆説の日本史」シリーズはすでに20年以上連載が続いており、井沢元彦氏のライフワークとも言えるものです。

井沢氏は、早稲田大学法学部を卒業後、TBSで報道記者を経て、「猿丸幻視行」で江戸川乱歩賞を受賞し、それ以降作家活動に入りました。私は、初期の作品から好きで読んでいました。この「逆説に日本史」は、目からウロコという内容が多いためとても参考になる本だと思います。

なぜ歴史に関しては素人である井沢氏が、このような日本史シリーズを書き始めたかと言うと、現在の日本史学界には、大きな欠陥があるからだと言います。
①日本史の呪術的側面の無視ないし軽視
②滑稽ともいうべき史料至上主義
③権威主義
これらがある限り、素人である井沢氏にも日本史に対して主張すべきことがたくさんあると考えています。特に「井沢史観」の重要なポイントは、「怨霊」です。無念の死を遂げた者は祟りをなすので、鎮魂しなければならない。古代の人々はその怨霊を恐れて様々な手段を用いて怨霊の鎮魂を行ってきました。
しかし、日本の歴史学界は、怨霊信仰は平安時代までは無かったと考えているそうです。その理由は、文献にそのような記載がないからだそうです。文献に記載のないものは存在しないというロジックだそうです。(^^)

さて、この本の中で興味深い内容を紹介します。
1.「和」について
・「和」は日本人のアイデンティティーである。
・聖徳太子の十七条憲法をみると、仏教よりも天皇よりも「和」を重視している。
第一条:「和を以って貴しと為す」(和)
第二条:「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」(仏教)
第三条:「詔(天皇の命令)を承りては必ず謹め。君は天なり。臣は地なり。」(天皇)

2. 大国主命(オオクニヌシノミコト)について
・神話では、話し合いによって天照大神(アマテラスオオミカミ)に「国譲り」を行ったことになっている大国主命は、実際には恨みを持って死んだ。(あるいは殺された)
⇒ そのために天照大神は出雲大社という巨大な神殿を建て、自分の次男を出雲国造として土着させて神官としてオオクニヌシを鎮魂した。(昨年、高円宮典子女王が出雲国造(いずもこくそう)の家系である千家国麿さんと結婚されました。天皇家は、万世一系と言われていますが何度か王朝が変わったという説もありますので、千家氏の方がアマテラスの血統を引き継いでいる可能性もありますね。(私見))
⇒ その当時、出雲大社は高さ48mあり日本最大あった。(96mと言う説もあり)自分が滅ぼした先住民の王の神殿が一番大きいことは日本以外ではありえないことである。
・出雲大社に祀られている大国主は、参拝者に対して横を向いて配置されており、参拝者は御客座五神という天照大神系の神々を拝んでいることになる。(これは大国主を参拝させたくないために意図的に配置している)
・御客座五神は、大国主が死の世界から出て来ないように監視している。
・大社名物の巨大な注連縄は、通常と正反対の右上位(右から綯始めている)であり、これは死者の着物を「左前」にするのと同じである。
・通常の神社は、「二礼、二拍手、一拝」であるが、出雲大社は「二礼、四拍手、一拝」である。これは、「四」=「死」であり、大国主が死の世界から出ないようにしているからである。

3.卑弥呼について
・「卑弥呼」は女王の名前ではなく、「日御子」か「日巫女」である。
⇒ 古代において王者の名前を口に出すことはタブーであったので、中国の使者に女王の名を伝えることはあり得ない。
・邪馬台は、古代中国の発音では「ヤマト」に近い発音である。
・卑弥呼は、太陽神であり、248年に起こった皆既日食が原因で殺された。(古代においては、霊力の衰えた王を殺し、新たに霊力のある王を立てることが多い)
⇒ それが天照大神の「岩戸隠れ」の神話になった。卑弥呼 = 天照大神 である。
・「宇佐八幡神託事件」の時に和気清麻呂は、伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮に行っており、天皇家にとって、祖先神は宇佐八幡であったと考えるしかない。(明治天皇以前には天皇の伊勢神宮の参拝はなかったそうです)
・宇佐八幡は、神社の一之御殿:応神天皇、二之御殿:比売大神、三之御殿:神功皇后(応神天皇の母)とされているが、実際の配置をみると「比売大神」が主祭神である
・宇佐八幡も出雲大社と同様に「二礼、四拍手、一拝」の拝礼作法である。この作法は、全国でもこの2社だけである。
宇佐八幡宮は殺された卑弥呼を祀った神社であり、比売大神卑弥呼 である。
・卑弥呼を神格化したものが天照大神で、それを祀ったのが伊勢神宮であり、卑弥呼の遺体を祀ったのが宇佐八幡である。

というような、非常に興味深い内容が書かれています。
古代史に興味がある方には必読の書です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]

南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)

落合秘史の中でも重要な「南北朝」問題に関する本です。

以前にもこのブログで書きましたが、私たち戦後教育を受けた世代は南北朝に関する知識がほとんどないと言っても良いと思います。学校の日本史では、後醍醐天皇の建武の新政や足利尊氏の室町幕府に関してざっと習うくらいですので、それで理解できるはずはありません。そして、なによりも戦国時代や明治維新のように小説の題材にならないことが大きいと思います。

現在の天皇の皇統は、一般には北朝であると言われています。しかし、幕末の長州、薩摩、水戸をはじめとした勤皇の志士たちは南朝が正当であるとして顕彰していました。特に後醍醐天皇の建武の新政の立役者である忠臣楠木正成は、「大楠公」として崇拝されていました。さらに驚くべきことに、現在の皇居外苑にその楠木正成の像が設置されています。これは、明治天皇が南朝を正統であると認めたからと言われていますが、なぜ北朝である明治天皇が自らの家系を否定するようなことしたのでしょうか?

このような納得できない事実が存在するため、「明治天皇は維新の時に南朝の大室寅之助に入れ替わった」、「明治維新は南朝革命である」という「明治天皇すり替え説」が消えないのだと思います。この説は、10年ほど前にネットなどでかなり話題になって広まったので、ご存じの方も多いと思います。

落合先生の「落合秘史」も、先生の名付けた「堀川政略」の一つとして南朝の大室天皇に入れ替わったことは認めています。しかし、先生の秘史の奥深さは明治天皇が大室天皇に変わったから現天皇家は南朝になったのではなく、「もともと現在の天皇家は南朝であった」(南北朝の別などない)ということです。

落合秘史は、このブログでも紹介しているように、「さる筋」(京都皇統代の舎人)が呟いた歴史に関するキーワードをジグソーパズルのピースとして、歴史の真実を洞察して構築したものです。これは太古の遺跡から発掘された遺品や文字から当時の状況と現在までの歴史を洞察するのと同じことです。

今回、皇統代から与えられた呟きは、
・香淳皇后は南朝の血筋
・久邇宮を北朝と視ては間違う

というものです。ここでいう香淳皇后とは昭和天皇の皇后で、今上天皇の御母のことですが、父方の伏見宮は北朝として知られていますので、最初は落合先生もどう考えればよいのか見当も付かなかったようです。

もう一つのヒントは、明治大学教授徳田武著の「朝彦親王伝」にありました。ここに、
我が実家は芳野の皇居(南朝)の血筋である故か、殊に盛んであり、当今は禁裏(天皇)も後醍醐帝の血筋であるし、近衛も鷹司も皆、我が実家の縁続きである。不思議な事よ。
と書かれていることに先生は注目します。朝彦親王とは、その侍従岩倉具視とともに「堀川政略」を立案した重要人物であると先生は考えています。朝彦親王は伏見宮家が実家であり、久邇宮は朝彦親王から始まりますので、伏見宮が「芳野の皇居(南朝)」とは聞き捨てできないことです
この内容は、ライターである浅見雅男の「伏見宮」にも同じ記載についての言及がありますが、両著とも歴史的事実と異なると判断しているそうです。

この辺が日本の学界のおかしな所で、天皇の家系の事は天皇及びその近親や重臣が一番知っているはず、と考えないのでしょうかね?(笑) 落合先生も、この両著が朝彦親王の発言を単なる誤りと解釈していることに不審を持ち、調査を進めます。そして、最終的には、「さる筋」(つまり皇統筋です)からの情報として以下の事を知ることになります。
崇光天皇は護良親王の王子
②護良は西大寺に入り、そこで死んだ
③西大寺の資産で吉野から鎌倉まで、宿場ごとに極楽寺を造り、護良親王を護るための情報ネットワークとした。
④極楽寺ごとに忍者を置き、全国の情報を集めた。
北朝の三人も納得した上で、崇光を入れた
⑥崇光の諱を、興良に合わせて益仁から興仁に改める。
⑦畿内から鎌倉にかけて湊のネットワークを作り、その湊々が室町時代の外国との通行の拠点となり、後の伏見宮海外ネットワークとなる。
⑧直仁は花園の子
⑨新北朝は畑を提供。橘が入って正成の鎮魂なる。
つまり、南朝である後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王の子が崇光天皇として北朝に入ることで、それ以降の皇統には南朝の血が入っているということです。

大塔宮は、後醍醐天皇の皇子ではありますが武勇に優れ、後醍醐天皇が鎌倉幕府に対して兵を挙げた時に楠木正成らともに挙兵します。そして、足利尊氏、義直兄弟、新田義貞などと戦い、鎌倉幕府を倒し建武の新政を実現させます。しかし、足利尊氏を征夷大将軍に任命すると新たな幕府を打ち立てることを懸念して、自らが征夷大将軍となり、尊氏は鎮守府将軍に押しとどめます。しかし、その後、讒言により後醍醐天皇によって鎌倉に幽閉されてしまい、結局足利尊氏の弟である義直に暗殺されたということになっています。(詳細は最後の年表をご覧ください)

その大塔宮が実は、鎌倉で死なずに義直の手引きで西大寺に入り、極楽寺の情報を使って活動をしていたと言うのが落合先生の説です。確かに、この説を前提に考えると、①大塔宮が殺された時に当時は必須であった「首実検」が行われていないこと ②後に尊氏と対立する義直が南朝に帰服したこと、などこれまで不審に感じていたことがすっきりとつながるように思います。

明治天皇になった長州の大室寅之助もこの大塔宮の系統であるとのことです。また、大塔宮が紀州の井口左近の館に逗留した時に左近の娘に産ませた子を家祖とするのが、落合先生の家系とつながる皇別の井口氏だということです。

南北朝問題に興味がある方にはぜひ読んで欲しい一冊です。

【南北朝時代の年表】興味のある方へ…
1317鎌倉幕府、皇位を大覚寺・寺明院両統の交互即位を定める。
1324後醍醐天皇の倒幕計画が発覚。(正中の変)
1327後醍醐天皇の皇子である護良親王(大塔宮)、天台座主となる。
13315月、後醍醐天皇の倒幕計画が発覚。(元弘の乱)
9月、楠木正成挙兵し、金剛山の赤坂城に籠る。
9月末、笠置陥落し、後醍醐天皇、捕えられる。
10月、赤坂城、陥落。楠木正成は戦死を装う
13323月、後醍醐天皇、隠岐に配流される。
4月、光厳天皇(北朝初代)即位
11月、大塔宮護良親王、吉野で挙兵。楠木正成赤坂城を奪還して千早城を拠点する
13331月、赤松円心、播磨で挙兵。楠木正成、天王寺で幕府軍を破る。
2月、吉野陥落。大塔宮は高野方面に逃れる。
幕府の大軍、赤坂城を落とし、千早城を包囲。楠木正成は知略でこれを防ぐ。
後醍醐天皇、隠岐を脱出。名和長年、天皇を奉じて船上山で挙兵。
5月、足利尊氏、幕府に叛き六波羅を落とす。新田義貞、鎌倉を落とし、北条氏が滅亡。
6月、後醍醐天皇、京都に還幸。大塔宮を征夷代将軍、尊氏を鎮守府将軍に任ずる。
13341月、建武の新政始まる。武士たち不平不満がつのる。
11月、大塔宮、足利との確執で捕えられて鎌倉に幽閉される
13357月、北条の遺児時行挙兵。足利直義軍を破り鎌倉を奪還。(中先代の乱)
直義、大塔宮を暗殺
8月、北条時行軍を破り鎌倉を奪還そのまま鎌倉に留まり朝廷の叛く。
12月、新田義貞、勅令を受けて尊氏と戦い敗れる。
13361月、後醍醐天皇、叡山に避難。尊氏、入京。奥羽鎮守府将軍、北畠顕家が駆けつけ、正成らとともに足利軍を破る。
4月、尊氏、九州で勢いを盛り返し、東上。
5月、足利軍が楠木軍と湊川で激突。正成、壮絶な最期をとげる
8月、尊氏のおす光明天皇が即位し、北朝が再建。
10月、後醍醐天皇、尊氏の講和案を受け入れ下山。
11月、後醍醐天皇、三種の神器(偽物)を光明天皇に渡す。
12月、後醍醐天皇、吉野に遷幸し南北朝時代始まる。
13373月、高師泰、新田義貞の籠る越前金ヶ崎城を落とす。
13385月、北畠顕家、堺石津川で戦死
7月、新田義貞、越前藤島で戦死
8月、足利尊氏、征夷大将軍となる。
13398月、後醍醐天皇薨去、後村上天皇即位
13481月、楠木正成の子正行、高師直と戦い戦死。
13508月、足利尊氏、義直の対立が激化。
12月、直義、南朝に帰服し、足利尊氏討伐の綸旨を得る
13522月、足利尊氏、義直を毒殺
13584月、足利尊氏、死去

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実金融ワンワールド 地球経済の管理者たち明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)

御朱印でめぐる 全国の神社---開運さんぽ を読む [関東]


御朱印でめぐる 全国の神社---開運さんぽ (地球の歩き方御朱印シリーズ)


最近、若い女性の間で「寺社仏閣の御朱印」を集める「御朱印ガール」が増えているそうですね。御朱印とは、神社や寺院で寺社の職員や僧侶、氏子さんなどが筆で寺社名や参拝日を書いて朱色の印を押してもらうものです。

私もよく寺社仏閣には行きますが、このような世界があるとは知りませんでした。先日、親戚の子の御朱印集めに付きあってその楽しさを知り、早速私も始めました。御朱印は頂く時に、お気持ちということで300円程度を支払うことが多いですが、お守りを買うよりも安上がりという考え方もありますね。

大宮にある武蔵一宮である氷川神社に行って頂いた御朱印を紹介します。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-02-21
通常は、社務所で御朱印帳を預けることが多いのですが、氷川神社では見ている前で筆で書いて頂きました。
hikawa_s.JPG


















氷川神社と言えば、地元川越にも川越氷川神社がありますので、御朱印を頂いてきました。(日付を見てお分かりのように、こちらを先に頂きました) 川越氷川神社は、大宮の総本社に較べると小じんまりとした神社ですが、縁結びの神様として地元の女性たちがよく訪れています。
また、NHKドラマで有名になった川越祭り(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-10-18)は、この川越氷川神社のお祭りです。
kawagoe_hikawa_s.JPG


















このように、後で見て神社を訪れた時の日付も分かりますので、集めることが楽しくなってきます。
また、実際に御朱印を頂きに行くと、若い女性だけでなく私のようなおじさん達も並んでいることも多く、幅広い世代の人たちが集めていることが分かりました。
これまで、神社やお寺をなんとなく訪れていましたが御朱印を頂くということで、また一つ楽しみが増えたように感じます。 正直に言うと、どうしてこんなに楽しいことを今まで知らなかったのだろう、と悔しく思ってます。(^^)

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

日本全国この御朱印が凄い! 第壱集 増補改訂版 (地球の歩き方―御朱印シリーズ)御朱印ブック日本全国この御朱印が凄い! 第弐集 都道府県網羅版 (地球の歩き方御朱印シリーズ)はじめての御朱印ガイド全国御朱印図鑑御朱印でめぐる 江戸・東京の古寺 (BOOKS)新・かわいい御朱印めぐり   水の神さま・山の神さま・恋の神さまにごあいさつ決定版 御朱印入門京都の隠れた御朱印ブック

デビッド・ロックフェラーはお友達!「ドクター苫米地 「脳の履歴書」」 苫米地英人著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


自伝ドクター苫米地 脳の履歴書
この本は、このブログでも2回紹介しています。

・自伝ドクター苫米地 「脳の履歴書」 苫米地英人著 を読む
・自伝 ドクター苫米地「脳の履歴書」 を読む その2

こんなに書いて、まだ書くことあるの? と思われるかも知れませんが...。
先日、何気なくパラパラとこの本をめくったのですが、改めて読むと、この本には陰謀論者にとってはとんでもないことが書いてあったのです。私がいわゆる「陰謀論」に興味を持ったのは、3.11の大地震、福島原発事故がきっかけですので、この本が出た当時は、知識としては知っていましたが、あまり興味を持っていませんでした。
先日、世界の金融陰謀論、といった内容のアメリカのDVDを見ていたら、デビッド・ロックフェラーさんが出ていた。そういえば、昔この人と仲良くしていたな、こんなすごい人だったんだなと、つくづく思ったものだ。普通にお茶を飲む関係で、ただのいいおじいちゃんだと思っていたのだが、今改めて思えばこれほどの大物だったんだなと、ふと思った。三菱地所を退職するまでは、毎年クリスマスカードをやり取りしていたものだ。(中略)
私はデビッドさんとは常に「デビッド」「ヒデト」と呼び合っていた。

ロックフェラーと言えば、ロスチャイルドと並び、陰謀論の世界では2大巨頭というべき存在であり、そのロックフェラーのトップがデビッド・ロックフェラーです。ベンジャミン・フルフォード氏などは、このデビッド・ロックフェラーこそが世界を操っているイルミナティの元締めだと考えています。
この本には、そのデビッド・ロックフェラーとの思い出が書かれています。
「今日は面白いところでメシを食おう」といって連れていかれたのがロックフェラー・センターの近くにあるレストランだったのだが、このレストランはおそらく今でもあるだろうし、その存在は今も秘密のままなのかもしれない。
普通のレストランに入っていくと、そのまま奥のキッチンへ入っていく。なにしろデビッド・ロックフェラーさんだから、どこへ行っても当然顔パスだ。やぁやぁ、など手を振りながらさらにそのキッチンの奥へと行くと、上げ戸があり、そこを下ってさらに進むと超豪華なレストランスペースが広がっているのだ。かつての禁酒法の時代に作られたもので、さながら当時の映画に出てくる秘密バーそのものなのだ。もちろんそこはデビッド・ロックフェラーさんしか使えない。そこへ連れて行ってもらった日本人はおそらく私たちが最初だったろう。

苫米地先生は、三菱地所のロックフェラー・センター買収に関わったことで、デビッド・ロックフェラーと親しくなったそうです。苫米地先生のお父さんは、日本興業銀行(現みずほ銀行)常務を経て、和光証券社長、会長になったほどの人で、そのコネで三菱地所に入社したそうです。
そして、入社後、会計・財務を担当していましたが、それ以外にも新入社員時代から歴代社長に随行して通訳を担当していたそうです。以前紹介したように、苫米地先生は大学時代からサイマルで同時通訳をやってましたので、会社としてはサイマルの同時通訳者を雇うよりも安上がりということなのでしょうが、それによって後のロックフェラー・センターの買収に関わることになります。

三菱地所がロックフェラー・グループを買収した時に、日米同時に記者会見を行い、日本での記者会見では苫米地先生が通訳を行い、翌日の新聞に通訳した言葉がそのまま掲載されたそうです。
その会見の際、印象に残った質問があった。
「三菱とロックフェラーはなぜ親密になったのか」というものだったのだが、その答えの訳し方がなかなか難しかった。もちろん「いやお互いにロスチャイルド家にお世話になっていますからね」などと答えるわけにもいかない。

ロックフェラー・グループの買収の件は、どちらかと言えば「バブル時代の失敗例」のように書かれることが多いと思いますが、苫米地先生は大成功であったと主張します。
買収は大成功だったのだ。失敗だったのは売却のタイミングで、売る時期を半年間違えたのだ。あと半年ほど待てば1千億円は利益を出していたのだし、10年待てば5千億円の利益となっていただろう。何かしら仕掛けられているのだと思っているのだが、まさに最悪のタイミングで売却してしまったのだ。 (中略)それは何かというと、日本の一民間企業である三菱地所がロックフェラー・グループのオーナーになったということなのだ。(中略)それはあのデビッド・ロックフェラーと対等になったということであり、それだけで大成功なのだ。

また、デビッド・ロックフェラーがロックフェラー・センターを売却した理由は、以下の通りだそうです。
これはもう時効だから明らかにしていいと思うのだが、つまりなぜロックフェラー・センターを売却するのか、と私が直接尋ねた際、デビッドさんは明確に「遺産分与のためだ」と言っていた。

これ以外にも紹介した内容はたくさんありますが、この辺りでやめておきます。
苫米地先生、陰謀論に関して興味がある方はぜひ読んでみてください。

苫米地先生の他の本は、
・苫米地先生は気功師だった! 「気功」洗脳術
・これまでの速読法は間違っている! ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方
・携帯電話は危険か? あなたは常識に洗脳されている
・裏の権力者に担がれたオバマは真のリーダーではない! 「すごいリーダーは「脳」がちがう」
・この世に「フリーランチはない!」 FREE経済学入門
・洗脳支配
・洗脳原論
・頭の回転が50倍速くなる脳の作り方
・ビジネス成功脳 スピード構築
・まずは親を超えなさい!
・苫米地英人 宇宙を語る
・夢をかなえる洗脳力
・IQ200になる習慣
・年収が10倍アップする超金持ち脳の作り方
・スピリチュアリズム
・自伝ドクター苫米地 「脳の履歴書」
・自伝 ドクター苫米地「脳の履歴書」 を読む その2
・脳と心の洗い方
・営業は「洗脳」―一瞬でお客様を支配する禁断の営業術
・苫米地先生の「洗脳護身術」はトンデモ本か? それとも山本氏がドンデモか?

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

「わが師 大山倍達」 高木薫著 を読む [格闘技]


わが師大山倍達―1200万人への道
大山館長に関する本です。

これは、真樹先生の「大山倍達との日々」が出された後、しばらくしてから出版されたもので、明らかに真樹先生の本に対抗するために出された本です。著者は、北海道支部長であった故高木薫先生です。

私は、北海道の地方支部に通っていましたので、高木先生の孫弟子ということになります。直接指導を受けたことは数えるほどですが、北海道大会がある時には札幌まで手伝いに出かけました。
その当時、高木先生は、千葉真一さん、真田広之さんと交友があり、大会の時にはよく来られていました。私が大会の受付をやっていた時、大柄な髭を蓄えた男が「千葉です!」とやって来た時は驚きました。ちょうど映画「戦国自衛隊」の撮影の時期だったらしく、そのままの服装だったと記憶しています。

高木先生は、城西大学で極真空手を始め、本部道場にも通うようになりました。大学の先輩に添野義二氏、後輩に三浦美幸氏がいます。昭和45年に大山館長に言われて支部を作るために北海道に渡ります。当時は、「空手バカ一代」の連載が始める前で、国内支部も黒崎健時氏の成増道場、真壁忠氏の秋田支部、芦原英幸氏の四国支部、添野義二氏の埼玉支部しかなかった頃です。

さて、なぜその高木先生がこのような本を書くことになったのでしょうか?
おそらく、真樹先生の本( 「大山倍達との日々」)が出たことで、ウィリーの片八百長の話や大山館長の武勇伝に関する疑惑など、体面を非常に気にする大山館長にはかなりショックだったのだと思います。そして、当時北海道支部長でありながら、なぜか館長の秘書のようなことをやっていた高木先生に、この本に対抗するような本を出すように強い(逆らえない)依頼(指示)があったのだと思います。

この本は、「第一章 大山倍達・神の手の軌跡」、「第二章 歴史は語る ―― 極真会館秘話」 と前半は、大山館長の伝説に関して書かれており、第三章 に高木先生の極真会館での修行、北海道での道場立ちあげの苦労などに関して書かれています。そして、「第四章 極真を去っていった同志たち」、「第五章 梶原一騎氏と真樹日佐夫氏」と続きます。
前半部は真樹先生の本で明らかになった、大山館長関連の神話の疑惑に関して、それを払拭するために書かれたような内容で、まあそれほど面白い内容ではありません。(^^)
後半部は、高木先生の修行時代から北海道支部を立ち上げるまでの苦労や、芦原氏、添野氏など極真会去った人たちとの思い出が書かれており、とても興味深い内容です。その中で、私が面白いと思った内容を紹介します。

1)芦原英幸氏、添野義二氏の件
高木先生が、大学時代に四国の芦原氏の道場で合宿をやった時の話です。
八幡浜に着いた私を芦原先輩は歓迎してくれた。酒の好きな私をもてなしてくれ、空手談義に花を咲かせながら先輩も私もだいぶいい心持ちになってきた。しかし、酒の強い私ではあったが、その夜はあまり深酒するわけにはいかなかった。明日の朝、東京から遅れてくる添野氏を八幡浜の駅まで迎えに行かなければならなかったからである。いい加減、酔いが回ってきたところで私は芦原先輩に言った。
「先輩、そろそろ寝ましょうよ。明日は、添野先輩を迎えに行かなきゃなりませんし・・・」
すると、
「いいよ、いいよ、あんなの放っときゃ一人で来るから」
と芦原氏。私もついついその気になり、深夜まで先輩に相手をする羽目になってしまった。そしてとうとう、添野先輩を迎えに行くことも忘れて、深酒をし朝方まで寝込んでしまったのである。
この時の合宿には、山崎照朝先輩も合流していた。
翌朝、合宿の電話のベルがけたたましく鳴った。私は、「しまった・・・」と思った。私宛の電話と聞いて受話器を取ると、案の定、添野”先輩”からであった。
「誰一人いないとはけしからん。高木、お前、今すぐに迎えに来い!」
私は慌てた。「放っときゃいい」と言っていた芦原先輩も慌て、山崎先輩も慌てた。城西大学の全員数十名をつれて、私たち三人は八幡浜駅へと急いだ。
私はこれを読んで、「芦原さんは、添野さんより先輩なのに、どうしてそんなに気を使っているんだろう」、「添野さんも先輩を呼びつけるとはどうなの?」と素直に思ったものでした。
しかし、この本は、真樹先生や芦原氏、添野氏など極真会を去った人たちをさりげなく貶めるのが目的の本であると思われますので、このまま素直に受け取るべきではないでしょう。少なくとも、「一日でも早く入門したら”先輩”」であり、上下関係の厳しい極真会で、上に書いたような芦原さんと添野さんの対応には、信じられないほどの違和感があります、とだけ書いておきます。

②真樹先生のお見合いの件
梶原先生は、大山館長と姻戚関係を結ぼうと考えていたように書かれています。
くわしい事情は私にも書けないが、また過去において梶原氏は、総裁のお嬢さんを真樹氏と結婚させ、総裁と姻戚関係を持つことによって「極真会館二代目館長・真樹日佐夫」、「三代目館長・梶原一騎長男」とういう構想を抱き、総裁に持ちかけたこともあったようだ。しかし、梶原氏からのこの話があってのち、大山総裁が真樹氏の”身辺”を調査してみると、「義理の息子に相応しからず・・・」という結論に達せざるを得ない行いが次々と出、この縁談(?)は結局、立ち消えになっていった。
これも、かなり真樹先生のことをひどく書いていますね。 以前書いた「大山倍達との日々」の内容で、あえて紹介しなかった件がこの件なのですが、高木先生がここまで書いているので、書いちゃいます。
「大山倍達との日々」は、月刊誌であるカラテマガジンに連載されていた内容がベースになっていますが、真樹先生が大山館長の三女とお見合いをした件に関しては、本の方には掲載されませんでした。真樹先生としては館長に対してかなり気を使ったのだと思います。
その当時、館長の娘さんはまだ18歳だったと記憶していますが、結局真樹先生には、当時付き合っていた女性がいたため先生の方から断わったそうです。先生は、奥さん以外に19歳年上の女性を亡くなるまで面倒をみていたことから分かるように、基本的に年上の女性が好みのようです。付き合うにしても20歳以上でなければ、とも思っていたようですので、可愛らしい館長の娘さんであっても断わらざるを得なかったのでしょうね。
真樹先生の小説には、主人公の通っている道場主の娘が主人公を思いつめた眼差しで見つめてくるような場面がよく出てきますが、おそらくこの当時の状況を反映しているのだと思います。
また、「マス大山カラテスクール」の広告に、真樹先生の紹介として、「大山倍達の後継者」との記載があり、その状況を知らなかった私としては、「真樹日佐夫って、『ワル』の原作者なのに、どうして?」と不思議に思っていました。

③梶原先生の漫画に高木先生登場の件
梶原先生の原作の劇画に高木先生が登場した事があります。
正直言って私としては、この両名(注:梶原先生と真樹先生)のことについてはあまり触れたくない。両氏に対し、嫌な思い出が一つあるからである。 『ボディーガード牙』というタイトルで、梶原氏がさる週刊誌に連載している時であった。主人公は大山倍達総裁をモデルにしたものであったが(仮名で)、そのなかに「北海道の高木」という人物が ”実名” で登場した。作品中に出てくる私「高木」は、「支部を七つも八つも持って商売だけうまい」とか「女性に色目を使っている」とか、何ともシマラナイ役であった。
これには、さすがに私も我慢ならなかった。実名で作品を書いているところから、梶原氏が大山総裁の義兄弟であることも忘れて、氏の事務所へ乗り込んでいった。そこには、弟の真樹氏もいた。両名は、
「やあ、やあ・・・」
と私を迎えたが、「何がやあやあだ・・・」と私。両名は震えていた。以後、その週刊誌の連載から、二週間にして私の名前は消えた。
この雑誌を私はリアルタイムで見ていました。その当時、北海道支部に通っていましたので、この本を本屋で立ち読みをした時は、ぶっ飛びました。(笑)
「北海道の高木って・・・」他にいないでしょ...
梶原先生の意図は分かりませんが、さすがにちょっと酷いな~と思いました。
まあ、高木先生が殴りこんで行ったとしてもケンカ好きな梶原先生と真樹先生の二人が喜ぶことはあっても、「震える」ことは絶対にないと思いますが...。
もしかすると、高木先生はこの件を大山館長に訴えたのかも知れませんね。

極真会館に関して興味がある方にはお勧めの一冊です。

それ以外の真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ


マス大山カラテスクールBOX(7冊セット)真樹日佐夫の百花繚乱交遊録絶対に勝てるケンカの手順―実戦対応最新版 (BUDO‐RA BOOKS)哀しき空手王格闘家は女々しい奴が9割
すてごろ懺悔―あばよ、青春

「逆説の明治維新」 落合莞爾監修 を読む [落合莞爾]


逆説の明治維新 (別冊宝島 2315)

こんな本も出ていたのですね。気が付きませんでした。

監修が落合先生となっているので思わず買ってしまいました。
ムック版ですので、落合先生の”落合史観”の取っ掛かりの本としてはとても良いと思います。


内容は、明治維新の全体像を書いていますが、【巻頭特集2】として「明治維新の”陰謀”」と題され、落合先生が主張されている「堀川政略」について書かれています。

知られざる歴史の真実① 明治維新を断行させた「堀川政略」の秘密に迫る
知られざる歴史の真実② 幕府の終焉・大政奉還は徳川慶喜が計画した!?
知られざる歴史の真実③ 明治天皇は奇兵隊出身!?
知られざる歴史の真実④ 明治政府が発令した身分制度はインチキ!?
知られざる歴史の真実⑤ 龍馬を操った黒幕・尾崎三良って何者?

『落合秘史』シリーズ著者文筆家・落合莞爾が語る ”これぞ逆説”
これぞ逆説① 「ペリー来航」 外交を行っていたのは幕府ではなく國體天皇!
これぞ逆説② 「池田屋事件」 池田屋事件は予定のイベントだった
これぞ逆説③ 「長州征討」 長州征討を収束させるために将軍家茂の死去を偽装!
これぞ逆説④ 「八月十八日の政変」 マルクスの「共産党宣言」が政変の火種!?
これぞ逆説⑤ 「安政大獄」 安政の大獄は反発によるテロの誘因だった!
これぞ逆説⑥ 「薩長同盟」 みずからの正当性のため土佐を排除した薩長
これぞ逆説⑦ 「戊辰戦争」 孝明天皇から会津に支払われた義捐金
これぞ逆説⑧ 「廃仏毀釈」 土佐・佐賀の成果を盗用した薩長が維新の理念と精神を歪曲
これぞ逆説⑨ 「西南戦争」 土佐を士族反乱から救った陸奥宗光のリーク
これぞ逆説⑩ 「王政復古」 現存する「密勅」はただの下書きだった!

「堀川政策」に関する記載を紹介します。
当時から世界でも有数の経済規模を誇った日本の経済制度の近代性、社会における科学水準、道徳水準の高さなどを目の当りにした欧州諸国は、植民地化は困難と判断、幕府に貿易自由化とキリスト教布教解除を要求する。
その一方で、欧州諸国からの皇室国際化の要請を予測していた皇室は、開国に備えて政治・外交j・社会体制まで包含した大規模な国家戦略群をあらかじめ建てていた。それが「堀川政略」で、・・・
落合先生によると、江戸時代の経済は世界に先駆けて「先物取引」を行っており、欧州の富豪の財力をしのぐほどの長者が何人も存在したほどの規模であったそうです。そのような豊富な日本の資金を国際金融社会が放っておくことはありません。
「世界は一つ」、「金は天下の回りもの」、「ボーダレス経済」などと言ったかどうかは不明ですが(笑)、とにかく日本を開国させて、そのお金を世界経済(国際金融)に取り込もうとしたのでしょうね。

以上のように落合史観のポイントを知るには良い本だと思います。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ

天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実金融ワンワールド 地球経済の管理者たち明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)

メッセージを送る