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写楽は北斎か? 「写楽」問題は終わっていない 田中英道著を読む [美術]


「写楽」問題は終わっていない(祥伝社新書260)

写楽、別人説に関しての本です。
著者は浮世絵の専門家ではなく、西洋美術史が専門の田中英道氏です。田中氏は「写楽は北斎である」との主張をされていますが、美術界の通例通り門外漢の主張に対して徹底的に無視されているようです。



syaraku.JPG写楽は寛政6年から7年にかけての約1年弱の期間に約150点あまりの作品を残して忽然と消えたため、謎の絵師と言われています。写楽と言えば、この絵のように背景に雲母摺という高価な手法を使い、役者の顔をデフォルメした大首絵で有名です。
しかし、当時は「あまりに真を画かんとして、あらぬさまにかきしかば、長く世に行なわれず、一両年にして止む」と言われたように、人気がなく1年余りで制作を止めたと言われています。
歌舞伎役者を題材とした浮世絵は、もともと役者のブロマイドのようなものですので、見たままを描くのではなく実物以上に良く描くのが一般的でした。しかし写楽は顔に皺やたるみのあるものはそのまま描いたりしていますので、歌舞伎ファンはもとより役者本人も買いたくないような作品だったのだと思います。ですので、当時の絵師やマニアの間では有名だったでしょうが、一般的には不人気な絵師というのが写楽の評価だったと思われます。
ところが、明治43年にドイツの美術研究家であるユリウス・クルトが著書の『SHARAKU』の中で写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家であると激賞したことから、日本国内でも写楽ブームが起こることになります。
つまり、クルトが注目する明治43年以前は写楽は不人気な絵師だったため贋作がない、というのが一般的な見方です。(不人気な画家、作家の贋作を作っても売れないので作る意味がない)

このように実力のある絵師が突然現れて、1年で姿を消したことから「写楽は有名絵師が名を変えて出した」という写楽別人説が出され、候補としては、歌川豊国、歌舞妓堂艶鏡、葛飾北斎、喜多川歌麿、司馬江漢、谷文晁、円山応挙、山東京伝、中村此蔵、土井有隣、十返舎一九、谷素外など多くの名前があげられました。
ところが近年、「写楽」の謎はもはや存在しない、「写楽」問題は終わった、とする説が学界のみならず一般にも有力になってきました。江戸時代の「増補浮世絵類考」で写楽の正体として記された阿波の能役者・斉藤十郎兵衛の実在が確認されたこともありますが、2007年、ギリシャのコルフ島で発見された「東洲斎写楽画」との署名が入った肉筆の扇画面が、専門家によって真蹟と鑑定されたことで、その動きは一気に強まりました。
この扇面画には写楽が消えたはずの寛政七年という年記があり、この絵が本物であれば、写楽は浮世絵の活動をやめた後も絵を描いていたことになります。その結果、多くの写楽別人説は成り立たなくなり、私の「写楽=北斎」説も、寛政六年の一年が北斎の活動の空白期にあたることが根拠の一つでしたから、消えてしまいます。
田中氏は、ギリシアで発見された写楽の肉筆画(下図)は、写楽の筆ではないと主張します。
sharaku1.JPG












この肉筆画に関しては、以前このブログでも紹介しました。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2009-08-09-1

前回のグログでははっきりと書きませんでしたが、私もこの肉筆画が写楽の筆によるものであるとは考えていません。これは私の印象論ですが、写楽の画としての力強さも迫力を何も感じないというのが理由です。また、同じ絵師による作品でも浮世絵と肉筆画では、微妙に描写や印象が違うのが普通ですが、この扇図は、写楽の浮世絵をそのまま写したような絵にしか見えません。
この写楽の肉筆画に関して、田中氏は、以下のように書いています。
一見して、これはとうてい写楽作ではないと感じざるをえませんでした。それは何かというと、これはわれわれ研究者の画を見るときの原則なのですが、ディテール、筆の描き方、筆のさばきです。それが写楽とは別に絵師の手になると思われるものでした。
加えて、肉筆で扇面画を描くことは、結局余技として描くわけで、こうしたものを写楽が手掛けるはずがないと、私は直感的に思ったのですが、小林忠氏、浅野秀剛史、辻惟雄氏ら近世絵画の専門家たちは、みな異口同音に写楽と認めているので、そういう考え方に対して私は非常に疑問を感じたのです。(中略)
ところがこの肉筆画が出てきて、その絵が思いのほか稚拙であったことで、斉藤十郎兵衛説が逆に肯定される根拠とされているのは驚きを通りこして、あきれるしかありません。つまり写楽は実は絵が下手だった、写楽画が優れているのは、彫り師の腕によるもので、斉藤十郎兵衛はもともとが素人で、つまり能役者だった者が描いたのだから、それも無理はないのだと、むしろ肯定する論になっていくのです。

田中氏は、この肉筆画の作者は「高島おひさ」の団扇図に写楽画を描いたことで知られる栄松斎長喜であると書いています。
筆遣いも同じ、団扇図自体のたどたどしく、スピード感のない筆致も共通しており、同じ作家の手であると判断されます。今回の肉筆扇面画にも団扇図にも共通する、精彩のない線描から推測されることです。これは模写画を描く絵師の通幣といえます。

そして、田中氏は「写楽は北斎である」と主張します。その理由は、
①北斎は、当時役者絵を多く描いていた勝川派に属して勝川春朗と名乗っており、写楽が登場した寛政6年から7年まで消息を絶っている。
②「風山本 浮世絵類考」に二代目北斎=写楽との記載があり「墨田川両岸一覧」の作者と書かれているが、「墨田川両岸一覧」を描いたのは北斎である。
③写楽と勝川春朗の浮世絵の筆致、質感、発想に共通点が多い。

北斎の名前は「アホくさい」から取ったとも言われてますので写楽斎の「しゃらくさい」との関連性も感じますね。田中氏の論にはかなりの説得力を感じますが、浮世絵の世界では西洋美術の専門家の主張ということで、無視されているようです。

私としては別の理由で「写楽=北斎説」には同意できませんが、それについては別に書きます。

写楽に関してはこちらもどうぞ。
・写楽は欄間彫りの「庄六」だ! 「歌川家の伝承が明かす『写楽の実像』を六代・豊国が検証した」 六代歌川豊国著を読む
・江戸美術考現学 浮世絵の―光と影  仁科又亮著 を読む
・美術評論家の瀬木慎一を悼む

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このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1

レオナルド・ダ・ヴィンチ 芸術と生涯 (講談社学術文庫)日本美術 傑作の見方・感じ方 (PHP新書)実証 写楽は北斎である―西洋美術史の手法が解き明かした真実
聖徳太子虚構説を排す ミケランジェロ (講談社学術文庫)
画家と自画像―描かれた西洋の精神 (講談社学術文庫)

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コメント 4

Simple

TBM さん

Nice! ありがとうございます。
セレッソ、惜しかったですね。
J2同士の決勝戦ってすごいですね。
by Simple (2011-12-31 17:30) 

Simple

mo_co さん

Nice! ありがとうございます。
お子さんに絵本を読んでもらえるとは幸せですね!
by Simple (2012-01-01 09:49) 

一風斎

この件につきまして、特集ページを作りました。
ご高覧いただけたら幸いです。
by 一風斎 (2013-02-11 12:35) 

Simple

一風斎 さん

コメントありがとうございます。
写楽のHP拝見いたしました。緻密で詳細な検討、素晴らしいですね。
こんな詳細な検討を行う人はタダものではないと思いましたが、新○さん(一応伏字)ですよね? 私もNiftyフォーラム時代から江漢の「五拾参次」を調べていましたので、新○さんのHPはちょくちょく参考にさせて頂きました。
今回も詳細な調査、素晴らしいですね。私もあれを写楽の真作として通すのはマズイと思います。
by Simple (2013-02-11 18:01) 

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