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陶工 尾形乾山は本当に素人か? 『「琳派」最速入門』を読む [尾形乾山]

「琳派」最速入門: 永遠に新しい、日本のデザイン (和樂ムック)


今回は、ムック本です。
「琳派」に関する入門書です。


この本は、「琳派」の入門書ですが、困った事に一番重要な「琳派」の定義が書かれていません。
「琳派」は当時最新流行の、洒落たインテリアやモードだったのです。
光悦宗達から100年後。同じく京の尾形光琳乾山の兄弟がこの美の様式を受け継ぎます。さらに100年後の19世紀、江戸の酒井抱一や鈴木其一といった絵師たちが「琳派」を継承していきます。
当たり前ですが、光悦や宗達、光琳や乾山が自分達の芸術が「琳派」だと思っていた訳はありません。あくまでも後世の誰かが説明しやすいように名付けてそう呼んでいるだけです。
そのため、研究者の中には宗達を琳派と呼んで良いのか? と疑問を持っている方もいます。
「宗達は本当に琳派か? 俵屋宗達 琳派の祖の真実 古田亮著 を読む」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-06-23

さて、この本の内容ですが、なかなか面白くまとまってはいますが、尾形乾山に関してはクレームを付けたいと思います。この本の62ページに乾山の記載があります。その題名が、

偉大なる素人 尾形乾山

というものなんです。これってひどい表現だと思いませんか?
乾山本人が聞いたら絶対に怒ると思います。

では、この作風はどこからきたのでしょうか。実は、乾山が陶芸の素人だということが、大きな要因になっています。
日本のやきものはいつも素人が大変革を起こしてきました。乾山はそのさきがけで、明治以降では川喜多半泥子や北大路魯山人などもまた、偉大なる素人でした。彼らにはプロにない大胆でとらわれない発想ができます。ゆえに新しい風を起こすことができたのです。

確かに乾山は37歳という高齢で陶工になりました。しかし、どんな陶工でも最初は素人です。
乾山の章を書いた人は、乾山は一生「素人」だったと言いたいのでしょうか。乾山は81歳で亡くなっていますので、鳴滝で作陶を初めてから44年間を陶工人生を歩みました。44年間作陶して作品を作り続けた人を「素人」と呼ぶのでしょうか?

乾山がそれまでの焼物の世界に大変革を起こした事は確かだと思います。しかし、それは決して乾山が「素人」だったからではないと思います。乾山がそれまでの陶工とは違う新しい発想とセンスを持っていたからではないでしょうか?

半泥子や魯山人は、陶工として生計を立てたわけではありませんので「素人」と呼んで良いと思います。しかし、乾山は鳴滝以来、助手や協力者を含めた乾山窯を経営して生活を維持し、死ぬまで陶工として生きました。そのようなプロ中のプロである乾山をどうして「素人」と呼べるのでしょうか?

筆者は、鳴滝時代、二条丁子屋時代、入谷時代のどこまでが「素人」で、どこの時点を「初心者」、「熟達者」、「達人」などと定義するのでしょうね。(笑)
鳴滝時代は13年あります。普通は一つの道に職業として10年以上専念した人を「素人」とは言わないでしょうから、筆者は鳴滝時代の初期の作品を「素人」の作品と言いたいのでしょうか? その乾山が素人の時に作った作品を特定できるのであれば是非教えて欲しいものです。(^^)

もし、陶工である乾山を「素人」というのであれば、本阿弥光悦こそ本当の「素人」ではありませんか? 彼はある意味で乾山よりも素晴らしい作品を残していますが、陶工ではありません。彼の陶芸作品は、色々な分野ですばらしい才能を発揮した彼が、手慰みで造ったものです。
また、単に陶工として窯を築いた時期が37歳と遅かったから「素人」なのだというのであれば、40歳の時に絵師となった兄の光琳も「素人」ではありませんか?
しかし、光悦や光琳が「素人」だという説は聞いた事がありません。

この、「乾山、半泥子、魯山人の三人の素人が日本のやきものに変革を起こした」という主旨の事は中島誠之助さんも良く話をしますが、私はいつも疑問に思っていました。

乾山本人が聞いたら怒るような事を言うのはもう止めませんか?

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
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