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北朝鮮のミサイル攻撃! 『 そのとき 』 首都・東京が被爆する朝 ベリー西村著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


『 そのとき 』_首都・東京が被爆する朝

この本は、ベリー西村氏が1992年に見た夢を元に書いているものです。
以前は「未然の書」というタイトルでしたが、2017年10月5日に左のようなタイトルに変わっています。(内容も大幅にシュリンクしています)

その夢というのは、
北朝鮮からの核ミサイルが東京を攻撃し、その核爆発で西村氏自身も死ぬ
という恐ろしいものです。
本書の執筆は2014年4月ですので、その時点で現実化されていないため、未来予言の「未然の書」として書いています。
少し長いですが、核心部分なので引用します。幸いにも2016年のミサイル攻撃はありませんでしたが、最近の動向を見ていると以下の内容にリアリティーがあるので紹介しておきます。
2016年6月11日午前11時11分。
テレビニュースの画面が急に緊張した声とテロップが流れ出した。
「北朝鮮、ミサイル発射か」
それに続き女性アナウンサーが緊張しながらもゆっくりと語った。
「二分以内に東京に到着する模様」
「えええっ、二分後?、イージス艦のSM3迎撃ミサイルは無力だったの!」
急いで側道に停車し車外に出た。ちょうど横浜の高台で、遠くに川崎、東京タワーを見渡すことが出来る場所にいた。
その瞬間、品川上空で閃光が見えた。
「しまった、女房を倉敷に帰すのが間に合わなかった」
そう思った瞬間、頭が真っ白になった。明らかに核爆発による閃光だ。直後、強烈な爆風を感じた瞬間、暗闇となり一瞬だがクラクラと軽い目眩を感じたこと迄は記憶している。客観的に考えて、この瞬間に私は即死、身体は蒸発したのだろう。

イージス艦によるSIM3シーザーミサイル、パトリオットミサイルは発射されたのだろうか。
それだけが気がかりである。
2016年以降、本書を読んでいる貴方には解っているだろう。
しかし2014年の時空にいる私には何も知らないままである。私に理解出来ることは、東京が北朝鮮の核ミサイルにより攻撃された事実のみだ。
その後、西村氏は予知夢研究会を立ち上げて2,000人以上の会員が集まったそうですが、そのほとんどがオカルト系の人たちだったそうです。しかし、その中で5人のメンバーが西村氏と同じ夢をみていたそうです。その人たちからの聞き取り調査によって、予想した内容が書かれています。

・北朝鮮への攻撃のXディの一週間前にミサイルが発射された。
・日本には10発の通常ノドンミサイル、12発の核弾頭テポドンミサイルが発射された。
・福岡2発、大阪4発、京都1発、名古屋3発の通常弾道ミサイルの内、着弾したのは福岡1発、大阪1発の合計2発のみ。
・東京に向けられた11発の核弾頭ミサイルのうち8発は撃墜したが、3発は防御網を突破した。
⇒ 8発の核ミサイルの迎撃によって東京多摩地区、八王子地区、埼玉草加、浦和、川口地区に大量の放射性物質が降り注ぎ東京周辺は壊滅状態となった。
・1発は東京湾至近上空、または東京湾海面到達後に爆発したものと見られ、2メガトンの破壊力は巨大な津波を引き起こした。
⇒ 千葉、横須賀、横浜、川崎、アクアラインを崩壊させ、品川、羽田空港、晴海にも押し寄せ、東京駅周辺に大型貨物船が打ち上げられた。


日本には同時に20発以上のミサイルが同時に飛んで来るという予想ですが、最近の北朝鮮の動向を見ているとリアリティーがありますね。

この本によると、北朝鮮の日本へのミサイル攻撃の前にイスラエルによるイランの核施設攻撃が行われるとの事ですので、そちらも注視すべきだと思います。
新しい本では、北朝鮮のミサイル発射は2018年5月~10月だろうと書いています。つまり、長くてあと1年という事です。

決して皆さんの不安を煽るつもりはありません。
このような内容の本が2014年4月に出されていた事を記録しておきたいだけです。
そしてこの予知が外れる事を願っています。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
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琳派 尾形乾山の書を考える その2 乾山の字母について [尾形乾山]

さて、今回は乾山の文字の字母について考えてみます。

前回紹介した、1982年に五島美術館で開催された「乾山の絵画」の図録に、当時五島美術館の工芸課長であった竹内順一先生の「尾形乾山に関する主要論文概要」という論考が掲載されています。その中に驚いた事に佐野乾山に関する記載がありました。
(新発見佐野乾山の紹介とその反論の中で)一つだけとりあげたい論文がある。それは乾山の書(筆跡)を扱ったもので、過去の研究ではまったく行われなかった方法論にもとづくものであるからだ(正確にいえば書道史ではごくあたり前の方法論だが、それが乾山作品に応用されたことに意義がある)。加瀬藤圃「乾山字母表に就いて」(『陶説』113、114号 昭和37年)がそれで、乾山の使用した字母(くずし字の母体の字)を系統的にあつめて、乾山の書の特質(この場合は新発見佐野乾山の書体と、乾山晩年の画賛のそれとの比較対照)を論じたもの。書の遺品は、乾山の場合25歳から晩年まで残されており、字母表作成に限定しなくとも、筆跡の年代を系統づけることは、乾山研究に重要な成果をもたらすだろう。(『乾山の絵画』1982年 五島美術館 P207)

この加瀬藤圃氏の論文は、『陶説』という日本陶磁協会の機関誌に掲載されました。佐野乾山が論争になっていた頃、この加瀬氏の佐野乾山の陶器と手控えに対する否定論は陶磁協会の有力な論拠となっていたように思えます。
加瀬氏の論考は、他の陶磁協会のメンバーのように、「絵が悪い」、「器が悪い」、「絵が騒々しい」などのように、どの作品を見て言っているのか分からないような批判と違って、当該の作品や手控え等を特定して批判を加えているので、きちんと議論できる内容です。その点では評価に値する論考だと思います。

この論考については、K's HomePage においてすでに反論がなされています。(http://kaysan.net/sano/kasetouho2.htm
そのため詳細は割愛しますが、結論を簡単に言うと、「文字の比較対象が間違っているので結論も間違っている」ということです。
乾山が絵画や陶器に書いている賛は作品の一部であり、絵や空間など全体のバランスを見て字母や字体を選択しています。「ここは通常の平仮名では弱いのでこの字母を使おう」、「ここにはこの字体を使おう」というような作者の意志が働いています。一方、手控帖は言わばメモのようなものですから、思いついた事をそのまま、字の種類を選ぶ事なく書いていますので字母の数が少なくなり、字体が異なるのは当然です。

まあ、加瀬氏の論考に関してはこれで「終了!」なのですが、それだけだと加瀬氏の論考内容は正しいと思われかねないので、明らかな間違いを何点か指摘しておきましょう。

陶説1S.JPG①「あ」に関して

このめづらしいあの字(阿)が無数にある。それは真物と思えるものには一字もかかれていない。佐野新乾山「阿」にあって、乾山真蹟に一字も見当たらないものなのである」(113号P42)
と加瀬氏は自信満々に書いています。

しかし、左の図の赤線で示した部分に、その「阿」が使われています。この図はどこから持ってきたかと言うと、なんとこの加瀬氏の論文が掲載されている『陶説』113号の白黒の口絵の1番最初に「乾山作 桜絵画賛四方皿」として掲載されているものです。(^^)
これは、愛陶家大屋敦氏の所蔵品のようで、陶磁協会理事長である梅沢彦太郎氏、久志卓真氏がインタービューをしているようですので、当然陶磁協会公認の乾山ということになります。

加瀬氏の論考を読むと、乾山の絵画は良く見ているようですが陶器の方はあまり見ていない印象を持ちましたが、やっぱりと言う感じです。まあ、加瀬氏は『陶説』のこの号にこの乾山が掲載される事は知らなかったのだと思いますが、残念でしたという感じです。

雪竹図文字 1.JPG②「し」に関して

シについていえば、乾山晩年はシをことごとく「|」にかいて単独体が多い。たとえば八ツ橋の画賛は「|」が4ヶあって一つも連綿がない。七十九才筆の雪竹画賛は、一首の和歌に3ヶの「|」があるがみな単独体である。(中略) 新乾山は連綿体をおもに用いている。(中略)そして無理に右から中心に運ぶ運筆は、軽々しくて御話にならない。真乾山の堂々たる直線をひいたのと比較すれば、何人も全然別手なることをうなづけることであろう。」(114号P29-30)

加瀬氏の取りあげている雪竹図の当該部分を左に示します。赤枠の部分が「し」の単独体です。確かに、特徴的な「し」であり、「乾山ならでは」と言いたくなるのも分かります。
しかし、いくつかの作品に使っていないからといって「一つも連綿がない」というのは、あまりにも強引です。
しの連綿体.JPG上のように加瀬氏は滔々と述べていますが、乾山晩年の八十一歳の十二カ月和歌花鳥図の十月の中に左に示したような「まし」という単独体ではなく連綿体で書かれているものがあります。(「乾山の絵画」P18 )
この作品は、加瀬氏が調査した作品に入っていますのでこの部分は見落としたのだと思います。これは考えてみれば当然で、乾山の使った「|」は特殊な書体ですので、作品によって使い分けるものだと思います。
いずれにしても、「晩年には単独体しか使わなかった」というのはどう考えても言い過ぎです。

紫式部ss.JPG③「て」に関して

次はテであるが、真乾山は普通の「て」をかく。新乾山は「亭」このテをかく。(中略)真乾山は絶対この「亭」はつかわなかったと思う。」(114号 P32)

確かに、佐野乾山で良く使われている「亭」の字に関しては、私もこれまでの乾山の文字では見た事がありませんでしたので、「これは加瀬氏の言う通りかもしれない」と思っていました。
しかし、いろいろな本を調べてみると、1987年に五島美術館で開催された「乾山の陶芸」の図録P44に、左に示すような赤枠で囲った「亭」を使用した例がありました。

紫式部

巡りあひて」 ⇒ 「免倶李逢

この展覧会の作品選定には、大御所である林屋晴三、山根有三両氏が関わっていたそうですから、作品の真贋に関しては懸念はなさそうですし、私が見ても乾山作品に間違いないと思います。
これも加瀬氏が乾山の陶器をよく見ていない証左だと思います。

以上、簡単に述べましたが、これまであまり批判のされた事のない加瀬氏の論考ですが、探せばまだまだ反論できそうな所があると思います。加瀬氏が主張する「乾山は絶対に◎◎は使わなかった」などと言う事は、乾山本人にしか知りえない話で、限られたサンプル調査では言えるはずがありません。せいぜい言えるのは「私の知っている範囲では◎◎は使わなかった」というくらいでしょう。

また、加瀬氏は、佐野乾山の手控帖は、現代人が書いたものであると言いたいがため、「そして圧倒的に平仮名の普通のソを新乾山はかく。ここにも現代人らしい感覚が伺えるのである。」(114号 P31) というような表現を多く用いています。これを読むと、江戸時代以前には私たちが使っている平仮名を使わなかったかのような印象を受けますが、実際には昔から平仮名も当然使われていました。これも印象操作の一例ですね。

さらに言うと加瀬氏の発言の問題は、これまで書いたようにいろいろと突っ込み所がある内容にもかかわらず、
猶問題になっても真物とみせようとした、森川氏は、まづ第一の明き盲で、これを絶賞して已まなかった美術史家の数氏は、尚一段の半鑒耳食の徒である。その愚劣低見論ずるに足らぬヘボ学者である。二世紀以前の作品と今窯からでたばかりの下劣醜陋なるものとを辨別出来ぬとあっては、今までなにを勉強されていたかといいたい。(114号 P52)」

というような超上から目線で断言することです。古美術の世界では、絶対に正しいと言える証拠など無いのですから真剣に考えている人ほど、多くの可能性を想定します。そのため、どうしても「~と思われる」、「~という可能性が高い」などのように弱い表現が多くなります。そのため、加瀬氏のように強い表現で断言されると、普通の人は信用して正しいと思ってしまう事になります。
それにしても、加瀬氏の発言は他者に対するリスペクトのかけらも無いですね~。

私も少し加瀬氏を見習って書いてみましょう。
加瀬氏の論考は、上に書いたように手法はともかく比較対象がまったくダメで御話にならない。当然結論も間違っている。また、検討内容についても上に例として3点挙げたように基本的な間違いが多くてまったく杜撰な内容である。陶工である乾山の器を研究していないにもかかわらず乾山の全てを分かった気になって書いているのは笑止千万だ。何年も乾山の書と字母を研究されてきたそうであるが、これまで何を勉強されてきたのかといいたい。
どうでしょうか? 加瀬氏に比べるとまだまだ目線が低くて表現が弱いですかね? (^^)

議論をすることは重要で必要ですが、相手に対するリスペクトを忘れないようにしましょう。
以上のように加瀬氏の論考は、不正確な点が多く、再検討が必要な内容だと思います。

乾山の書に関しては、こちらもどうぞ。
・琳派 尾形乾山の書を考える その1

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
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